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インドを語る上で、避けて通れない話題 「カースト」 。
インドに来て約3ヶ月、日々の生活に垣間見られる「カースト」の名残について思うこと・・・


カーストとは?

 ヒンドゥー教の基本概念である、「輪廻転生」「浄・不浄」の概念から生まれた社会構造。
 ヒンドゥー教では、現世で、ダルマ(戒律)を遵守して生きた人間は来世でより良い環境に生まれ変わることが出来るとしていて、現世社会をたくさんの階層に区切って自分のポジションを明確化した。
 これが、カーストで、我々が世界史で勉強したのは、有名な4区分、「バラモン(ブラーミン):僧侶」「クシャトリア(クシャットゥリ):戦士」「バイシャ(ヴァイシャ):商人」「スードラ(シュードゥラ):農民」。上のカーストに行くほど、「浄」つまり清らかでケガレていないことになり、スードラの下には「不可触賎民:untouchable」と言われる人たちがいて、最もケガレていると見做されている。

 上記身分区分は正確にはヴァルナと言われていて、これを細分化したものがカースト。
 カーストの種類は3000くらいあると言われているけど、インド人も正確な数字を知らないみたい。
 語源は意外にもポルトガル語。もともとインドでジャーティと言っていたんだけど、16世紀にインドに進出したポルトガルがこの言葉を母国語カスタ(階級)にあてて、それがなまってカーストになった。

 各カースト(本当はヴァルナだが、カーストで統一して書きます)は、相容れない社会構造を確立して、1947年のインド独立時にカースト廃止、49年に不可触賎民撤廃が制定されたにも関わらず、その名残はず~っと残存し、今でもインド人のマインドはこの概念が前提になっているようだ(このへんは後述します)。
 因みに、49年以降、不可触賎民を指定カースト、上の4つのカーストをヒンドゥーカーストと言うことにしている。




それって、身分区別を助長しただけじゃ・・・?

 インド独立以降も、法でカースト撤廃が決められたのちも、何千年も続いた考え方が突然変わる訳は無いし、何より全人口の8割以上が信仰するヒンドゥー教の基本概念がバックにあるんだから、急に一元構造の社会になる訳が無い。
 何より、就いている職業でカーストが分かってしまうし(例えば清掃屋さん、アイロン屋さん、屍体処理員、皮革製品作業員などは低カーストの人たちしかしない)、自分の苗字でカーストが分かってしまうんだから、「この人は、自分より上の人だ/下の人だ」と言う感覚は全然無くなって行かない。

 また、中途半端なことに、指定カーストの人たちのために、政府はリザーブシステムというのを作った。
 これは、指定カーストの人たちが、今まで高カーストの人たちしか付けなかった職(政治家・教員など)に就ける様、また教育レベルの高い学校に行ける様、一定の枠を設けて優先的に就職・通学出来る様にした。
 ただ、これって、指定カースト出身者からすると「私は指定カースト出身です」って言ってるようなものだし、ヒンドゥーカースト出身者からすると「あいつは能力も無いのに指定カースト枠の恩恵で自分と同じポジションに来やがった」ということになるわけで、返ってカーストの上下を思いっきりビジュアル化しているだけな気がするんだよね。


インドでのガンジー人気はイマイチ!?
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 インド独立運動に貢献し、日本でも御馴染みの、マハトマ・ガンジー。
 
 彼は、インド独立に際してカースト制度のあり方についても当然考えていたんだが、その行動が故に、インドでは驚くほど人気が無い。

 彼は、アフリカでの体験などをもとに、インドがイギリスの手を離れ、カースト制度の弊害を捨て去り、真の独立国家となることを目指して活動を展開した。ガンジーの伝記ぢゃないから、活動内容の詳細には触れないよ。

 その後、カーストの上下に関係無くイギリスからの独立運動が各地で激化するが、だんだん独立をスムーズに行う為に、政治力・金銭力のある人たちの協力が不可欠であることが分かってくる。彼らの大半は、バラモン・クシャトリア出身だったので、結局ガンジーは最終段階では、声高にカースト制度廃止を叫ばなくなっていった。

 この政治的融和が、インド人にはとても弱腰に映るらしく、「ガンジーがもっと強硬に進めていたら、今の社会構造ももっと違っていたのに」という感想を持つインド人がとても多い。

 彼が行った、不可触賎民への就職斡旋などは評価に値するが、結局上位カーストの反発を考慮してストレートにカースト廃止を言えなかった彼は、不可触賎民を「神の子=ハリジャン」(※K-1の山本キッドぢゃ無いよ)と呼び直し、差別は無くしたいが、区別はするという格好を採った。
 元不可触賎民の中には、この「神の子」の表現がモノ凄い皮肉に聞こえるらしく、そう呼ばれるのをとてもイヤがる人もいる。


 反面、日本では余り馴染みが無いが、スバス・チャンドラ・ボースやバガット・シンなど、過激な反英運動を行った人たちの人気が非常に高く、バガット・シンについては何度も映画化されている。数年前に1回イギリス人が作った映画「ガンジー」がキレイに纏まっているので話題になったのと比べると、やはり歴然の差だ。ボースについては、最近のマンガかわぐちかいじ作「ジパング」に登場しているね。マンガの中で出てくる彼はかなり気骨のある人物に描かれている。

ボース
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バガット・シン(のDVD)
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こんなところにもカーストが・・・

 こちら首都デリーでは、みんな雑多な社会で生活しているから、一見カースト社会から脱却しているようにも見えるが、さにあらず。


 前にも書いた通り、僕は現在JNU(ジャワハルラール・ネルー大学)で1年間だけ学生をしているんだけど、この入学申請手続などにも、カーストの縛りがロコツに出てくる。

 まず、入学申請のフォーム。
 僕は外国人用の用紙を貰ったから気づかなかったんだけど、インド人用の用紙にはカーストを書く欄が設けられていて、それに記入しなければならない。なんでもそれを書かないと、指定カーストかどうか判断出来ず、大学側が特別措置を採れないからだと言う。大学が指定カースト者に対して採らねばならない特別措置とは、一定の枠内で優先的に入学させる、学生寮に優先的に入寮させる、などなど。
 そんなことをするから、入学後、遅かれ早かれ、生徒の間でも誰がどのカーストなのか分かっちゃう。

 成績発表のやり方も結構強烈だ。
 学校が始まってすぐに、クラスに時間割を確認しようと、学部の掲示板を見たら、まだ前学期の成績発表が貼ってあった。
 どんな風なのかなぁと目を通したら・・・名前のあとに、なんとカースト名が記されてる!!
 よ~く見ると、カーストごとに別の紙になってる・・・。
 あとから周りの連中に聞いたら(彼らはヒンドゥーカーストだったが)、「当たり前ぢゃない、なんで同じ紙に並んで書かれなきゃならないの?」とバッサリ。
 習慣化されていて、何の違和感も感じていないようだった。


 首都の一流大学でさえ、こんななんだから、農村部はもっと凄いんだろうな・・・

 (その後農村に行く機会があった。詳しくはこちら)
by bharat | 2005-09-01 15:04 | ふと思うこと