インドの農村行政の実態

 ちょっと前に、日本の政府系の研究所のインド駐在研究員のNさんに同行させてもらい、デリー近郊の農村を見る機会があった(詳細は第6回旅行参照)。
 そのNさんより、インドの農村行政について詳しく聞く機会があったので、今回はその内容について少し書こうと思う。


インドの農村開発行政

 1947年の独立以降のインド経済の歴史は、初代首相ネルーの社会主義政策からスタートしている。
 彼は、重工業を中心とする近代工業の育成に注力し、国営・公営企業の成長を重視した。当時独立した他の発展途上国の先んじて5カ年計画を導入、経済安定成長を目指した。独立当初の大混乱期にあって、ネルーの打出した諸政策は奏功したが、1960年代に入ってそのツケがまわってくることとなる。
 企業の新規参入を避け、厳しい輸入統制などで、一部の国営・公営企業への権限集中が賄賂などの腐敗を蔓延させ、また地方における農産業の停滞をもたらした。

 だが、現在に至るまでインド政府が全く農業行政に手を付けなかった訳ではない。
 1960年までは、前述した農産業停滞からの脱却を図った制度的な改革を随時実行、農地面積拡大・国内自給率向上を目標とした。
 1960年代後半からは、農地面積の拡大が限界に達したとして、耕作作物の品種改良など技術重視の戦略に転換した(「緑の革命」)。小麦と米を中心に導入されたこの政策は、結果的には小麦革命を実施した州(パンジャーブ州やハリヤナ州など)で大成功した。
 1970年代に食料完全自給を達成すると、今度は政策の主眼は農村の貧困緩和に移行していく。


貧困緩和事業の内容とその実態

 現在、インド政府が打出している主要な政策は以下の通り。

農村自営促進事業(SGSY)
(内容)農村における自助グループ育成を行う。
(実態)農民への認知度は極めて低い。

農村雇用事業(SGRY)
(内容)村内における公共事業(用水路・村内道路の敷設、公民館・学校の建設など)を通じて、農村部の雇用創出を行う。
(実態)認知はある程度されているものの、政府補助金の使途を巡る不正が多々発生。e0074199_3581226.jpge0074199_3582574.jpg







連邦首相農道事業(PMGSY)
(内容)バジパイ政権以降実施されている政策で、比較的大規模なもの。幹線道路・主要都市と村とを結ぶ農道の整備事業。
(実態)認知はある程度されている。しかし、小さな農村では実行されないこと、村内労働力が有効活用されないこと(政府系の建設会社が請負うケースが多いため)などが問題視されている。
 
インディラ住宅事業(IAY)
(内容)指定カースト民・山間部族などの貧困層に住宅資材などを無償・安価で提供するもの。
(実態)貧困層の定義が曖昧(一般的には約12,000ルピー/年と言われている)なため、あるいは提供先の決定権がパーンチャヤット(村議会)と群開発室にあるため、腐敗の温床になっている。


 また、上記のほか、政府は、農民の生活負担軽減のため、保健所や学校の設置なども行っているが、この辺の実態については第6回旅行参照。


 これらの実態について、大規模な訴えを上層部に起こすことは極めて稀だという。
 各農村には、様々なカースト民がいるので、村全体の連帯感はとても希薄で、それが故に大規模な運動は発生しないとのことだ。


農村の過酷な環境

 政府の諸政策の恩恵をなかなか受けられない環境に加えて、インフラ環境や生活環境、自然環境が更に農民を苦しめている。
 Nさんが調査した村々では、電気はごく一部の住宅にしか届いておらず、上下水道設備が無いためトイレも無い。飲料水の清潔性にも多くの問題がある。用水路の有無は村によるが、乾湿の差が激しいので、作物栽培が出来る時期は制限されてしまう。
 (時期によってこんなに環境が変わる)
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 都市部とのアクセスが悪いので教育水準も自然と低迷。
 村内労働者の所得は25~40ルピー(約65~100円)/日、1年のうち約4ヶ月は仕事が無い状態だという。e0074199_4432792.jpg
 農民の金銭的拠り所は、もっぱら出稼ぎ者の仕送りで、一部の農村では年間収入の2/3を仕送りに頼っている状況もあるようだ。




村のための事業とは・・・

 Nさんの調査結果(経過報告)を聞かせて貰い、第6回旅行に引続いてインドの村の実態について理解を深めることが出来た。

 我々日系企業がこの地で貢献出来ることって一体・・・悩みは尽きない。
by bharat | 2005-10-31 15:01 | ふと思うこと