第27回旅行は、クリシュナ生誕の地マトゥラー
今回の旅行先は、マトゥラー(Mathura)。
デリーからアグラに車で向かうと、途中の道路標識に名前が出てくる。 ヒンドゥー神クリシュナゆかりの地らしいのだが・・・。 宗教紛争の中心地 現在、インド人の誰に聞いても「クリシュナの生誕地」という認識がされているマトゥラーだが、意外にも宗教都市としての歴史は、仏教とジャイナ教に始まる。 紀元前4~2世紀頃、マウリヤ朝の宗教政策の庇護下、多くの仏教寺院やジャイナ教寺院が建てられたと言われており、少なくとも中国の僧玄奘(629~642年にインドに滞在、仏教の修行に勤め、のちに『大唐西域記』を記した)がマトゥラーを634年に訪れたときには、僧院が20、仏教僧が2,000人いたとされている。 同地がクシャーナ王朝支配下になった紀元後2世紀も、引続き仏教が栄えたが、その後、グプタ王朝期に入ると、ヒンドゥー教が隆盛を見せる。中でも、ヴィシュヌ神の信仰が特に篤かったが、同地域が半農半牧の生活様式であったため、ヴィシュヌ神の化身でありしばしば牧童の姿で描かれるクリシュナ神がこの地域の圧倒的支持を得ることとなった。 このクリシュナ神が、このマトゥラーで生まれたとされている(因みに第29回旅行のヴリンダーバンもクリシュナゆかりの地である)。 こうして、ヒンドゥー教によって、この地域から仏教はほぼ完全に姿を消したが、そののち今度はヒンドゥー教が駆逐される。 アフガン系イスラム王朝のガズニ朝の君主マフムードによって、この地域一帯はイスラムに塗り替えられた。 その後16世紀に入り、再び商人・農民の間で、マトゥラーはクリシュナ神の生誕地であるとして、クリシュナ信仰が盛んになる。この時期、クリシュナ神を祀るケーサオ・デーオ寺院などが建立されたが、1500年にローディー王朝(イスラム系奴隷王朝)によって破壊され、再建築されたのち1669年に今度はムガル王朝(これまたイスラム系)によって破壊された。こうして、イスラム王朝によるヒンドゥー弾圧政策によってこの地は破壊され、その後イスラム寺院が建設された。 このイスラム寺院と、その後1960年建てられた新生ケーサオ・デーオ寺院は隣接するように建っているが、近年のある宗教紛争がきっかけで、今現在、ここには極めて厳重な警戒態勢が敷かれている。 1990年代初頭、時の政権政党インド人民党(BJP)は、イスラム原理主義勢力を牽制する意味で、イスラム対ヒンドゥーの対立構造を助長し、その1つとしてアヨーディヤー(デリーの東約630kmに位置するウッタル・プラデーシュ州の一都市)の寺院を槍玉に上げた。同地に現在存在するイスラム教モスクは、以前ヒンドゥー神ラームの生誕地を祀った寺院があった場所であり、ヒンドゥー教徒に同地を返せというのがBJPの見解だった。 1992年12月16日、ついに物理的衝突が発生・・・ヒンドゥー至上主義者が同モスクを破壊した。 これに端を発し、宗教紛争がインド全土に飛び火、近隣諸国にも影響を及ぼす一大事になってしまった。1994年に、最高裁判所がアヨーディヤーの土地の所有権について裁定をしない旨決定し(要はお蔵入り)、時間とともに平静を取り戻しつつあるが、2002年にもアヨーディヤーで巡礼を終えたヒンドゥー教徒を乗せた列車に、イスラム教徒が放火し、多数の焼死者を出すという事件も発生しており、お互いの中ではまだ何かくすぶっている感じだ。 ・・・と、話をマトゥラーに戻すと、上記アヨーディヤーの宗教紛争の経緯とマトゥラーの歴史が似ている(昔ヒンドゥー寺院のあった場所にモスクが建っている)ので、今でもマトゥラーの寺院の警備はとても厳しいのだ。 実は、今現在の土地がどの教徒のものなのか、という問題はインドでは結構多い。 上述のアヨーディヤーは、ヒンドゥー教が興る前に仏教が盛んだったため、寺院建立地の所有権紛争には仏教も絡んでいる。 また、仏教ゆかりの地ブッダガヤーでも、大菩提寺の所有権をめぐって、ヒンドゥー教徒と仏教徒が争っている。現在は、1949年に制定された大菩提寺管理法に基づいてヒンドゥー教徒が管理しているが、インド仏教のリーダー佐々井秀嶺(インド仏教のリーダーはなんと日本人なのだ)率いる大菩提会による返還運動が行われている。 プチ・ヴァラナシ マトゥラーの街並みはというと、狭い道筋をヒト・牛・犬・サイクルリクシャーが絶えず行き交い、雑然としている。 また、街の東側をヒンドゥー教の聖なる川ヤムナーに接しており、ヴィシュラム・ガート(Vishram Ghat)をはじめとして20余りの沐浴場がある。 ・・・そう、ここはプチ・ヴァラナシなのだ。ひと気がちょっと少なくて、活気が足りないことを覗けば、地形も雰囲気もヴァラナシにとても似ている。 クリシュナ生誕寺院 入口の門で、サイフ以外の一切合財を一時預かり所に預ける様指示され、中へ。中の様子は一切撮影できなかったが、外見はこんな感じ。内部はちょっとした寺院群になっており、通路で互いの建物を行き来できるようになっている。通路にはクリシュナ神はじめヒンドゥー教グッズを販売する店が並ぶ。因みに観覧には靴を脱ぐ必要があり、冬の時期はかなり足が冷え、ツラい・・・。 ホントウの(?)クリシュナ生誕寺院 参拝を終え、靴をはいていると、1人のオジサンが寄ってきた。 彼が言うには、今僕が見たのはホントウのクリシュナ生誕寺院では無いと言う。そういえば、関連書籍にもクリシュナ生誕地には諸説あると書いてあったな。 案内して貰った場所は、政府関係の保護政策が全く採られていないため、写真撮影もOK。 その他の「ゆかり」 寺院の近くにあるのは、クリシュナがおしめを替えたとされる池(人口の溜池)。今は、水が干からびている。溜池というよりは、アーメダバードで見た階段井戸と同様の形状をしていた。 続いては、クリシュナの父母が監禁されていたとされる牢獄の跡。 クリシュナの父ヴァースデーヴァと母デーヴァキーは、デーヴァキーの従兄のカンサ王によって監禁されていた。カンサ王が、デーヴァキーの産む8人目の子供によって自分が殺されるとの予言を聞き、デーヴァキーが子供を産む度にその子供を取り上げ殺していったのだ。ところが、8人目の子供(クリシュナ)が産まれたとき、牢獄の番人の目を盗んで、ヴァースデーヴァとデーヴァキーの従者は赤子を連れてヤムナー川へ。 川の流れは激しかったが、ナーガと呼ばれる大蛇に守られるように無事川を渡って対岸の村へ。従者は、村で偶然見つけた赤子を連れて再び牢獄に戻った。カンサ王はこの赤子を8人目の子供だと思い、殺す。難を逃れたクリシュナは、やがて成長し、ついにはカンサ王を倒した。 ヴィシュラム・ガート 数あるガートの中でも一際大規模で、寺院も建っている。 ここは、上述の話でクリシュナがカンサ王を倒した後、休息した場所と伝えられている。 この寺で御参りをした際、聖水を頂戴したので、何の気なしに飲んだのだが、これがなんとヤムナー川の水だった・・・この後数日間、激しい下痢になったのは言うまでも無い。 このガートにあった渡し舟を使って、対岸に移動・・・。 ネズミーランド!? ヤムナーの対岸に見えるのは・・・・東京ネズミーランドのお城!? 対岸に着いて、小さな集落を通って徒歩約15分。 それは、真新しいヒンドゥー寺院だった。 特定の神を祭ってある訳ではないみたいだ。入口の門にはヌルシンハ(ヴィシュヌ神の化身の1つ。頭が獅子、体が人間)、中にはブラフマー、シヴァ、ハヌマーンなど色々な神様が祀ってあった。 中には、良く分からないものも・・・なんで頭から火噴いてるんだろう?? ・・・うぅむ、しかしこの寺院、何故外見だけ妙にヨーロッパ調なのだろうか・・・分からん。 カンサ城 再び渡し舟に乗って元来たガートに戻る。 途中、大きな城が見えてきた・・・カンサ城だ。 ガート側から回って見に行ってみたのだが、廃墟になっていて、特に見るものは無かった。 驚くことに、建物の一部は、今も住居として使用されているようだった。 オススメ度(100%個人主観) ★★★☆☆ ・・・アグラよりもディープ故、短期観光客には向かないかも。 所要観光時間 2~3時間
by bharat
| 2006-01-11 10:30
| インドぶらり旅
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2年間のインド生活で、どこまでインド人に近づけるか!?
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