第28回旅行は、クリシュナ・カルトの村ヴリンダーバン
クリシュナ神生誕の地マトゥラーから10km、クリシュナが幼少期を過したとされる村、ヴリンダーバンがある。
寂しい街並みとは裏腹に、多くのヒンドゥー寺院があり、なかなか見応えがあった。 クリシュナに染まった村 インドTシャツでも触れたが、ヒンドゥー神の中でも、クリシュナの人気はシヴァと並んで際立っている。特に、イスコン(ISKCON:International Society for Krishna Consciousness/クリシュナ意識国際協会)なるクリシュナ神普及活動を行う世界規模の団体まであるのがスゴい。因みに、調べてみたら、なんとこの団体、日本にもある! このISKCONを含め、何故クリシュナが数あるヒンドゥー神の中で人気が際立つのか? 諸説あるようなのだが、「イケメンでナンパな牧童」説と「西インドの歴史上の英雄」説などが複合してスーパー神様クリシュナが誕生、全ての支持者を取り込んだようだ。 前者は、マトゥラーで生まれたクリシュナが、地元の暴君を退治し神格化したというもの。顔はカッコ良く、当時のナンパグッズだった笛(今で言うBMW3シリーズみたいなもんか)がとても上手かったので、遊女や踊り子たちにモテまくったみたいだ。 後者は、正反対のカタい内容。ヤーダヴァ族という民族の指導者として辣腕を発揮し、民心掌握に「信愛(バガヴァット)」を旨とする教え(宗教)を説いて、名声を得た名君だったとする説。この「信愛(バガヴァット)」は、ヒンドゥー教の基本的な教えにも組込まれている。 ・・・話はクドくなったが、これらのクリシュナ像が全て1つに纏まったので、色んな支持層を取り込んで、確固たる地位を確立出来たようだ。 ヴリンダーバンは、みんなクリシュナ大好きといった雰囲気の漂う村だ。 とても貧しい街並み・村人(殆どの人が靴を履いていなかった)は、近代化から取り残された過疎の典型イメージを醸成する。それに反して、立派な寺院が密集するように立っている。 変わった雰囲気の村だ・・・。 小集落に際立つ寺院の数々 人口数万人そこそこの村に、保存状態の良いヒンドゥー寺院がたくさん建っていた。 現在もヒンドゥー教徒が礼拝しているという事実が、これら寺院が異教徒の破壊を免れたことを示している(ヒンドゥー教徒は、一度異教徒に破壊された寺院は死んだ寺院として礼拝しない。カジュラホが好例で、同地の有名なヒンドゥー寺院のうち、生きた寺院は1つしか無い。)。現在も礼拝に使われており、かつ外国人観光客が少ないということで、全ての寺院は入場無料(だったと思う)。 ランガジー(Rangaji)寺院 1851年に建てられたヒンドゥー寺院・・・なのだが何か形が変だ。 外壁及び正門は、ラージャスターン州の城郭都市のような体裁でとても武骨な印象を受ける。 門をくぐって中に入ると、今度は巨大な塔門(ゴープラム)が出現する。 ゴープラムは、南インドの寺院に固有のもので、末広がり形状に神様の彫刻をビッシリ施した塔状の門。 北インドでこれを見たのは初めてだ。 階段井戸状の溜池もあった。 ゴーヴィンド・デーヴ(Govind Dev)寺院 小高い丘の上に建つ、赤砂岩で出来た寺院。周りの好天にとても良く映えていた。1590年建築らしいが、そもそもは更に上層に4階分あったらしい。ムガル第6代皇帝アウグランゼーブのヒンドゥー弾圧政策の中で破壊された。ということで、現在この寺院は廃墟化しており、礼拝用としては機能していない。 カーリー寺院 名も無い寺院だが、門構えはとても綺麗。シヴァ神の奥さんのカーリー女神を祀っていたらしいが、現在は閉じて観光・礼拝に使われていないとのことだった。 何故、クリシュナ信仰の中心地に、唐突にカーリー女神の寺院が建ったのかは良く分からない。一般にカーリー信仰は、インド東沿岸部のベンガルあたりでメジャーなのに。カーリーは、ドゥルガーと同様、破壊の神シヴァの奥さんパールヴァティ女神の化身だ。だがドゥルガー、カーリーに化けるにつれ、女神というかヤマンバみたいな凶暴なキャラに変化する。カーリー女神の怒りを鎮めるために、山羊などを生贄に差出すという祭りが未だにある。 ニディワン(Nidhiwan)寺院 閉鎖したカーリー寺院の奥にヒッソリと入口が見えるのが、この寺院。 門をくぐると、巨大な庭園が姿を現す。 サルに気をつけながら、ヒンドゥー僧に中を案内して貰った。 足裏が痛いが、庭園内も裸足で歩かねばならない。 庭園内の1つの社は、クリシュナが寝泊りしたと伝えられる建物。賽銭をせがまれ、「クリシュナ万歳」斉唱を強要された・・・僕はヒンドゥー教徒ではないのだが。 続いては、クリシュナが夜な夜な笛を吹きながら、遊女・踊り子たちと踊ったとされる野外ダンスホール。巨大なチェス盤みたいになっていた。 「案内有難う」とソソクサと寺院を出ようとしたら、ヒンドゥー僧にガイド料をせがまれた。50ルピー(約130円)あげると、「クリシュナ神にたったのこれだけですか!?」と来た。 毎度のことだが、こういうときは勝手な理屈で無理矢理説得する・・・「ホントウは200ルピーあげるつもりでした。でも、僕は仏教徒なので、半分払えば充分だと思いました。加えて、あなたのガイドは半分しか理解出来ませんでした。だから、半分の半分で50ルピーしか払いません」と、ガァーッて言ったら、悲しそうに引き下がってくれた。 ボンケ・ビハリ(Bonke Bihari)寺院 狭い路地を行った先に見えてくる立派な門構えの寺院。 清掃時間で門は閉まっていたが、門が開くのを待つヒンドゥー教徒らで寺院前はゴッタ返していた。 ラーダー・バッラブ(Radha Ballabh)寺院 1626年に建築された寺院だが、少し前に閉鎖された。 宮大工みたいな人たちが解体だか清掃だか作業をしていた。 マダン・モハン(Madan Mohan)寺院 砂岩質の外壁と背の高い塔が特徴的な寺院。内部には、特に目新しいものは無かった。 大迫力のイスコン 集落に固まって建っていた寺院を概ね見終わって、最後にイスコン寺院を見に行くことに。 デリーでのド派手なイメージがあったので、なんとなく今回は予想はしていたが、予想以上にスゴかった。 外部は全て眩しい純白に統一されており、各寺院は階段で繋がっている。 入口を入って左の御堂は、吹き抜け構造になっており、中央に黄金茶室みたいな社が天井に届かんばかりに配置されている。 右の御堂はというと、広いホールを中央に配置した構造で、その奥にヒンドゥー神の像が安置されている。 みんな、御祈りをしたり、ホールで雑談したり、思い思いに過していた。 この御堂の内壁に描かれた絵の1つがとっても気になった。 ・・・真ん中のキャラだけ、とてもウイている・・・。 これ、オリッサ州の神様のジャガンナートなのだが、同地方の自然信仰(ジャガンナートは木)とヒンドゥー教が融合した際、このジャガンナートはクリシュナ神の化身という整理をされた。で、クリシュナ神としてこのイスコン寺院にも描かれているのだが、ハッキリ言ってメチャクチャ不自然な構図だ・・・2頭身化した奇面組の連中が周りの連中と一緒にいるみたいな感じ。 オススメ度(100%個人主観) ★★★★☆ ・・・デリーからも近く、たくさんの寺院を見られる。 所要観光時間 2~3時間
by bharat
| 2006-01-12 10:30
| インドぶらり旅
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2年間のインド生活で、どこまでインド人に近づけるか!?
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