第31回旅行は、聖川合流の地アラハバード
今回は、ウッタル・プラデーシュ州東部の都市アラハバードに行ってきた。
メーラトへの旅行同様、日本の政府系の研究所のインド駐在研究員の方(Nさん)の調査に同行させて貰う形での旅行となった。 北インド随一の文教都市・・・だった 元々、この都市はプラヨーグ(祭り・儀礼の場)という意味の名前で呼ばれていた。紀元前10世紀頃から人間の集落が形成されていたと言われており、宗教・学問発展の中心地の1つであったようだ。中国の僧玄奘も、643年にこの地を訪れたとある。 12世紀に入ると、この地域一帯はアフガン系イスラム勢力のゴール王朝の占領下となる。次いで、ムガル帝国勢力下に入り、第3代皇帝アクバル治世期の1583年にこの地に城郭を建設、翌1584年にはこの地がアラハバード(アッラーの場所)というイスラム教コテコテの名前になった。その後、マラーター王朝、東インド会社の支配下となる。 20世紀に入ると、アラハバードはインド現代政治の中心政党である国民会議派の活動拠点として機能した。ガンディー、ネルーらが会議を重ねた場所(詳細後述)なども残されている。 尚、現在はインドの急激な発展からちょっと置いていかれた雰囲気を醸し出しており、アラハバード大学のステータスなども低下の一途らしい。 「水」で異なる近郊の村の様子 アラハバードの地形はちょっと特異で、市の東端と南端をヤムナー川に接している。東側には橋が2本かかっており、最近出来た新しい綺麗な橋(通行有料、日本のODA枠で出来たもので建設者は韓国橋梁会社だったみたい・・・ノンリコースだったのね)は結構立派な造り。 東端に架かっている橋を渡り、村に向かう。道中思ったのは、ヤムナー川のすぐ近くにも関わらず、カラカラに乾燥していること・・・地学的にこのあたりは砂岩質で、雨が降ってもすぐに地下に吸い込まれてしまい、地表近くには水分が残らない。真夏には1~2ヶ月全く水が無い時期もある。農業には不適で、石切などを生業としている人が少なくない。 1つ目の村は、4つの自然村から構成される行政村(インドでは、自然と出来た無数の村や集落をいくつか束ねて行政村とし、選挙や地方自治体などはこの行政村を単位として動いている)。連邦首相農道事業(PMGSY:詳細はこちら)として道路の敷設工事の真っ最中だった。 また、その道路の脇には学校が。中を覗いてみると、休日なので生徒はいなかったが女性教員が数名いた。この学校は公立校のようで、彼女らは政府から給料を貰っているのだという。 また、この校舎は教室として使用する他、乳幼児の健康管理を行う保健室としても使っており、天井から吊るされたヒモに秤を取付け、体重測定などを定期的に実施するのだと言う。 村の家々は、雨で簡単に落ちてしまいそうな漆喰塗りの壁に藁葺の屋根という、極めて粗末な作り。 その中に突如現れた綺麗な(といってもデリー市内では見かけない様な貧相さだが)家が1軒。なんでも、インディラ住宅事業(IAY:詳細はこちら)で建てられたのだそうだ。このIAYの理念はとても尊敬出来るのだが、どの村の誰の住宅をどのように建てるかは、かなり不透明なプロセスで決定されることが多いらしく、課題の多い事業みたいだ。 村には、政府が設置した井戸は無く(あったのかも知れないが)、村人が使用している主要な大きな井戸は、彼らが自分で掘って作った井戸だった。飲料水、生活用水(洗濯など)として使用しているというその水は、恐ろしく汚かったが、村人は「綺麗なので飲んでも全然大丈夫」と言っていた・・・雨季などの菌が繁殖し易い時期に村全体が伝染病に感染する可能性を危惧した。 次の村に移動しようと歩いていると、思いも寄らぬものを発見。 太陽発電装置! なんでも、購入すると2,000ルピー(約5,200円)くらいするものを、政府の援助た何かで貸与されたのだと言う。粗末な家の屋根に放り出されたその装置は、子供が夜間勉強する為の照明にではなく、真昼間うたた寝しながら聞くラジオの電源に使用されていた・・・どう使用するかは個人の自由だがもう少し建設的に使って欲しいな。 最近のTVで、インド国産企業で南インドの貧しい村に発電装置を販売・設置している企業の特集を見た。日本でもこういった事業に積極的に参画する動きは無いのだろうか・・・何かと言うと、ODA絡みの大規模事業ばかりがニュースになるが、こういうのもインド政府の補助を貰いながら出来るんぢゃないかな? 次の村(集落)は、人口の9割以上が指定カースト民(元不可触賤民:詳細はこちら)というところ。牛、鶏などに囲まれてベッドを屋外に放り出してみんなのんびり過していた。水の入手方法は、電動ポンプ。 集落からちょっと離れて、村長の家が。 カラフルな母屋に、離れが2軒。離れにはトラクターが置かれており、かなり他の村民とは生活水準が異なる感じだ。全ての建物の入口には鉄格子のシャッターがはめられていた・・・周りの人たちを信用してないのかしら? 次の村に移動。 道が陥没していて、車が通行不能だったんで、途中から歩いて移動する。 道の両脇には、小麦・菜種畑が広がっていた。ちょうど収穫期前にあたるらしく、青々と茂っていた。 と、畑の中心から、何故か頭に枯れ木を乗せた女性たちが大行進・・・これは一体・・・? この村で政府が行った公共事業の数々を見せてもらった。 まず、囲いだけ作ったトイレ・・・当然これでは用を足せません。 続いては、予定より舗装範囲が少なく完成した道路。予算のお金や資材が横流しされたのではと村人たちは疑っているらしかった。 市内に戻り、ホテルに帰ってきた。 ラーム・クリシュナ・ホテル・・・値段は500ルピー(約1,300円)くらいと手頃で、改装直後なのか部屋も綺麗だった。お湯は出たり出なかったりだけど、ちゃんと桶で湯をくれるので大丈夫。部屋は少々埃っぽいが、虫は出ない。併設のレストランも、野菜しか出ないが味はそこそこ。 翌日・・・。 現地調査員が増えたので、5人(運転手を除いて)乗れる車をホテルで手配したところ、インドの誇るNo.1国産車アンバサダーAmbassadorが到着・・・前のベンチシートに並んで座れってことね。しかし、この車の製造年を知りたいもんだ。 この日の村は、市の北部にあたり、川の水の恩恵を充分に受けている地域だった。 立派な用水路が村中にひかれており、周辺の田畑に水を注いでいた。 小麦や菜種が茂り、それを脱穀する店もあった。店主に話を聞くと、脱穀機などは日本製だと言う。 店主 「"オカサ"ってメーカーのだよ。」 僕 「"オカサ"?」 店主 「あぁ、日本の西の方みたいだ。」 ・・・! オオサカね。しかも、メーカー名ぢゃなくて、場所の名前だっつの。 機械を見せてもらったら、なんとヤンマーディーゼルのものだった。 アラハバード市街は、サンガム(詳細後述)など水と密接に関係した文化・生活が根付いているが、少し都市部を離れると、水が豊富にあって裕福な生活をしている村と、水が乏しく貧しい生活を余儀無くされている村とが混在している。 作物の収穫期を過ぎた3~5月には、もと顕著な違いを目のあたりにしたに違いない。 市内観光も・・・ アラハバードの市内も半日ばかり観光。 アナンド・バワン(Anand Bhawan) ヒンディー語で「喜びの家」と名づけられたこの家は、インド初代首相ジャワハルラール・ネルーの生家。現在は、家の内部が博物館に改装されていて、当時の部屋の様子を再現している。ネルーの執務室や、国民会議派の議員たちが会合を行った部屋などが観られる。 マハトマ・ガンディーが宿泊したゲストルームやインディラ・ガンディーの部屋もある(2人の部屋は内側から繋がっており、ガンジーのロリコン説を裏付ける1つの状況証拠になってるんだとか)。 サンガム アラハバードは、ヒンドゥー教の聖地の1つで巡礼地にもなっている。 インド神話で、不老不死を得るために神族と魔族(アスラ/阿修羅)が協力したという話がある。彼らは、飲むと不老不死になるアムリタ(甘露)を作る為に、乳海を攪拌したのだが、結局その乳海から得たアムリタを飲んだのは神族だけだった。 この乳海の霊液がインドの4箇所に零れ落ちたと伝えられており、そのうちの1箇所がアラハバードとされている(他は、ハリドワール、ウッジャイン、ナースィク)。これら4箇所を「4大聖地」と呼んでいることがある(※)。 ※この呼び方は結構曖昧で以下の様な区分もある。 「4大神領」 バドリナート、ジャガンナート、ラーメーシュワラム、ドゥワールカー 「7聖都」 ヴァラナシ、ハリドワール、カーンチープラム、アヨーディヤー、マトゥラー、ウッジャイン、ドゥワールカー 「3聖地」 ガヤー、アラハバード、ヴァラナシ この「サンガム」は合流というヒンディー語で、文字通りガンジス(ガンガー)川とヤムナー川とサワスワティ川(聖川だが架空の存在とされている)が合流する場所を意味する。毎年、1月~2月にマーング・メーラーと呼ばれる御祭りが行われ、12年に1度は特に大規模な御祭りクーンブ・メーラーが行われる。 今回訪れたときはちょうどこの時期にあたり、しかも6年に1度の"準"クーンブ・メーラーだったので、かなりの盛況だった。巡礼者はまだまだこれから集まってくる雰囲気だったが、彼らが滞在するテントの数が半端無かった。 また、巡礼者が多く集まるということで、被災者募金の仮事務所も設置されていた・・・小銃を持った軍人にハリボテの動物たちのミスマッチがなんともシュール・・・。 聖なる川とくれば、早速沐浴♪ 頼んでも無いのに、勝手に御祈りしてきて金をボッタくる胡散臭い輩がウヨウヨいてうっとうしかったけど、彼らを無視しながらおもむろに川の中へ・・・。 3つの聖川にちなんで、3回牛乳を川に捧げて、川からあがる。 Fort ムガル皇帝アクバルが1583年に建てた城塞。 現在、観光ではなく軍用施設として使用されているので、内部の隅々まで見ることは出来ない。 アラハバード大学(Allahabad Univ.) この大学の農学部には、随分と前から日本人が関係していて、現在も日本の農学博士のもと、有機農薬栽培などの試みが実践されている。 オススメ度(100%個人主観) ★★★☆☆
by bharat
| 2006-01-23 10:36
| インドぶらり旅
|
2年間のインド生活で、どこまでインド人に近づけるか!?
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