第34回旅行は、ムガルゆかりの地パーニーパット
 デリーを北に向かう国道1号線を北上、ハリヤナ州都チャンディーガルに向かう途中、何気無く通り過ぎてしまう、何の変哲も無いT字路がある。
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歴史的合戦の名勝

 ここパーニーパットは、歴史上とても重要な場所だ。

ムガル発祥のきっかけ

 16世紀中盤まで続いた奴隷王朝の時代・・・。
 奴隷王朝最後のローディー朝と、アフガニスタンの新興勢力バーブル軍とが1526年、ここで対決した。
 結果はバーブル軍の勝利・・・同年、バーブルは自勢力をムガル帝国を称し、ここに1858年まで続くムガル帝国が誕生する。
 バーブルは、ムガル帝国初代皇帝となった。

 因みに、1530年跡を継いだ2代皇帝がフマユーンだ。
 デリーにフマユーン廟がある。


ムガル隆盛のきっかけ

 その後すぐ、ここは再び戦場となる。

 1556年、ムガル第3代皇帝アクバルが、当時デリーを占拠していたスール朝へームーと戦い、これを破った。これによって、ムガル帝国の北インドでの勢力圏は大きく広がり、その支配力も確実なものとなった。


ムガル滅亡のきっかけ

 三たび、ここは戦場となる。

 18世紀、インドでの支配力を失いつつあったムガル帝国は、アフガニスタンから進入してきた新勢力に抗しきれなくなっていた。
 1776年、アフガニスタンの王アフマド・シャーがインドに攻込むと、第15代ムガル皇帝シャー・アーラム2世は単独での防衛は無理と判断、近隣勢力であったマラーター同盟(※)と共同戦線を張って対抗する。結局、この戦いはアフマド・シャーの勝利に終わるも、痛み分けのような格好になり、アフマド・シャー軍もアフガニスタンに退却する。この間隙を突いて、英国軍が入り込んでくることとなった。

(※)マラーター同盟とは、インド西部から興った勢力で、敬虔なヒンドゥー信仰をベースとし、当時としては珍しく給与制の常備兵隊を抱えて、時期を問わず戦争出来る特性を持っていた。
 この特性は、日本の戦国時代の織田信長が敷いた軍事組織と似ており、半兵半農の軍事組織よりも自由な軍事戦略を採ることが出来た。
 18世紀頃からバラモン階級のペーシュワー宰相が実験を握るようになった。そして、元は配下だった諸侯が自力を付けてきたことから、主従関係は、ペーシュワーを盟主とする同盟関係となった。
 これをマラーター同盟と呼んだ。


今は、漬物の名産地

第34回旅行は、ムガルゆかりの地パーニーパット_e0074199_821384.jpg 現在、この町はアチャールという漬物が特産の、静かな町だ。

 町通りにアチャール屋が点在していた。
 ピクルスやマンゴーの漬物が有名だが、チェリーなどの甘露漬のような変わったものもある。

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オススメ度(100%個人的主観)

     ★☆☆☆☆ ・・・ 通り過ぎてしまうくらい何も無い
by bharat | 2006-02-05 10:12 | インドぶらり旅