☆SHANGRI-LA☆  ~ブータン~
 先般、短期間ながら、インド隣国のブータンに行って来た。

 個人的には、インド以上に情報が少ない国だが、インドに来てからというもの、いつか行って見たい気になる国の1つだった。


国の概要
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名称 : ブータン王国
面積 : 38,394k㎡
      地図の通り20の県で構成されている
首都 : ティンプー(Thimpu)
人口 : 699,000人(2001年国勢調査による)
      国外からの労働者も多数おり、実際のところはもう少し多い?
国旗 : 中央の雷龍は、ブータンの地元の通称Druk Yul(雷龍の国)からきたもの。
      上部の黄色は、国家の権威を表現している。
      下部のオレンジ色は、仏教への信仰心や精神的な強さを表現している。
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国章 :
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国教 : 仏教(チベット仏教を国境とするのはブータンのみ)
言語 : ゾンカ語(チベット語と似ている)
時差 : 日本時間 - 3時間
標高 : 海抜180m~7,550m
国樹 : イトスギ  国花 : ブルーポピー  国獣 : タキン  国鳥 : ワタリガラス
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通貨 : Ngurtrum(ヌルタム)
      インドルピーと1:1連動制。現地ではインドルピー紙幣/貨幣がそのまま使用可。
貿易 : 輸出 インド(95%)・バングラデシュ(5%)
      輸入 インド(75%)・シンガポール(13%)
産業 : 水力発電事業(インドに電力を輸出)
      観光事業(ここ数年来 本格化)
      農業

歴史

 宗教的観点からは古いが、政治的・国際的にはまだまだ若い国ブータン。

 この地に仏教が本格的に入ってきたのは、7~8世紀と言われている。
 ブータン仏教の開祖グル(導師)・リンポチェという高僧が、大乗仏教をこの地に伝えたとされ、ブータンにおいては、彼の像は仏陀と並列で並べられるほどステータスが高い。


 国としてのスタートは、チベットの宗教派閥争いに敗れた僧ガワン・ナムゲルが1616年に建国。
 17~19世紀、この一帯は山間部族が小王国を建て、合従連衡を繰り返していたが、イギリスの圧力が増すに従い、ある勢力は降伏し、ある勢力は抗戦した。現在のインド・ブータン国境近辺の地域では、ブータン・イギリス間の領有を巡る小競合いが激化。
 1773年にクチビハール、1826年にアッサムが相次いでイギリス支配下になってしまうと、焦点はドゥアールに集中。この領有をめぐり、1864年に戦争が勃発した(ドゥアール戦争)。
 この戦争に敗れたブータンは、イギリスから金を受取る代わりに領土の所有を諦めざるを得ないこととなった。
 
☆SHANGRI-LA☆  ~ブータン~_e0074199_5105844.jpg 領国内の族長レベルの争いに終止符が打たれたのは1907年。
 ワンチュク家のウゲンが強大な軍隊を形成して他勢力を一掃、領国内の統一を果たした。
 以降、現在まで2代ジグミ・ワンチュク(治世1910~52)、3代ジグミ・ドルジ・ワンチュク(1952~72)、4代ジグミ・シンゲ・ワンチュク(1972~)と世襲君主制を採っている。
 一時期、政治のトップに首相を据えたこともあったが、1964年の首相暗殺、クーデター未遂など政情不安を招いた為、国王親政に戻った。

☆SHANGRI-LA☆  ~ブータン~_e0074199_5114415.jpg 尚、第4代国王ジグミ・シンゲ・ワンチュクは、2008年の立憲君主制への移行を宣言しており、議会政治強化・国王定年制などドラスティックに国の制度を変えるようだ。


 ・・・しかし、たった4代で、顔と頭身バランスが随分と近代化している気がする。
 現国王は、なかなかのイケメンである・・・初代~3代と、ベッピンさんの王妃を娶ったのだろうか。



 国際的には、1910年にイギリス保護下、1949年にはインド保護下に入るなど、小国ゆえの外交政策も、1971年に国連に加盟して、世界の檜舞台にあがる。
 以降、インド・バングラデシュを皮切りに世界各国との国交を樹立を行い、1986年には日本とも樹立、本年2006年はちょうど20周年の節目の年にあたる。

 国内政策については、かなり変わっている。
 特に現国王は、過激な近代化や外部文化の過度の流入を嫌い、伝統的工法による建物の建築のルール化、伝統的服装の強制、世界的な国の判断基準となっているGNPに代わるGNH(Gross National Happiness : 「国民総幸福量」 )の提唱等を実施。
 アイデンティティの醸成、国王への敬服が促進された一方で、国内にいた異民族が流出(=難民化)せざるを得ない環境となり、特にネパール系の人々12万人が一度に難民化し、国際問題に発展した一幕も。


シャングリラ(地上の楽園・桃源郷)の由来について

 今回、ブータンの地に降立って、まず驚いたのが、ヨーロッパ人観光客の多さ。
 9割以上はヨーロッパ人、それも御年配の方ばかりだった。

 どうもブータンは、ヨーロッパでは「シャングリラ(地上の楽園・桃源郷)」のイメージが強いらしく、老後の旅の人気ランキングが高いようだ。
 「ブータン=シャングリラ」が定着したのは、1933年英国人作家ジェームス・ヒルトン(James Hilton)が書いた『失われた地平線』(原題"Lost Horizon")によるところが大きい。因みに、同書は、日本でも1959年増野正衛によって訳され、新潮社から出版されている。
 ヒルトンは同作品において、この世の楽園シャングリラに迷込んでしまうガイジン4人の様子を描いている。
 場所は、小説によると、「バンコクの北西」で「インド・カシミールの東」だという・・・小説の中で描かれる様子から察するに、今のブータンあるいはチベットを連想していたと言われている。
 この本を原作として映画化もなされている、しかも2度。

 中国は、2002年5月5日、雲南省の最北西部、迪慶チベット族自治州の州都である中甸が、その行政地域がシャングリラであるとして、県名を本当にシャングリラ(香格里拉)に変更してしまった。
 また、デリーにも昨年出来たが、マレーシア系華僑の郭鶴年(ロバート・クォク)が展開するアジア地区最大のデラックスホテルグループの名前でも有名になっている。

☆SHANGRI-LA☆  ~ブータン~_e0074199_5691.jpg 僕は、シャングリラ聞くと、1997年石野卓球・ピエール瀧らの電気グルーヴがリリースしたCDタイトルを連想してしまう・・・。
 ♪夢でキスキ~スキ~ス
         キスキ~スキ~ス
              どこへもどこまでも~♪
 の歌詞をつい口ずさんでしまう。

 彼らは、シャングリラの意味を知って、曲のタイトル付けたんだろうか・・・まぁ、余計な御世話だが。



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by bharat | 2006-10-18 10:30 | インド周辺国ぶらり旅