第80回旅行は、英国植民地時代の都コルカタ
 インド東部、ベンガル湾を臨む西ベンガル州の州都コルカタ。
 人口約1,300万人は、ムンバイ、デリーに次ぐ国内3番目の規模。
 商業の拠点ムンバイに政治の拠点デリー・・・インド第3の都市は如何なる特徴を持つ場所なのか・・・。

「古き良き・・・」か「旧態依然」か
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 このチンチン電車とアンバサダー(20世紀前半ばから製造され続けているインド国産車)だらけの街中の風景。
 つい先日私が撮ったものだが、数十年前にタイムスリップしたかのような錯覚すら覚えるノスタルジックさである。

 これは、この都市が英国の影響を強く受けた歴史に大きく起因している。
 欧州列強がこぞって植民政策を進めていた1530年、コルカタはポルトガルに占領された。
 以降、1690年に英国の東インド会社がこの土地を取得すると、街の機能を大きく発展させていった。街の名はカルカッタと呼ばれた。
 その後、英国がインドの植民政策を、東インド会社による間接統治から国の直轄に切替えると、1698年以降はコルカタは英国インドの首都となった。
 1912年、首都機能はデリーに移転したが、この間もコルカタは現在のバングラデシュを含むベンガル地方の州都として機能し、1947年のインド独立後も西ベンガル州の州都として機能し続けている。
 2000年前後からのインド各地の改称運動(英国によって付けられた都市名をインドの旧名に戻す動き)により、2001年に正式にカルカッタからコルカタに改称した。因みに、1995年にムンバイ(英国命名ボンベイ)が、1996年にチェンナイ(英国命名マドラス)が夫々改称している。 




 英国建築を色濃く受継ぐ歴史建造物をいくつか。

ヴィクトリア・メモリアル(Victoria Memorial)
第80回旅行は、英国植民地時代の都コルカタ_e0074199_10433588.jpg 文字通り、英国のヴィクトリア女王の死去を偲んて建てられた記念館。
 当時、ヴィクトリアは英国領インド女王でもあったので、1906年当時の首都コルカタにこの館が建てられたというもの。
 1906年に着工し、完成したのは1921年。
 ウィリアム・エマーソン卿という著名な英国建築家の手によるもので、イタリア建築とムガル建築の要素をミックスした設計になっている。


タゴール・ハウス
第80回旅行は、英国植民地時代の都コルカタ_e0074199_13113621.jpg この英国建築は、詩聖と言われたラヴィンドラナート・タゴール(Rabindranath Tagore)の生家。
 今は、ラヴィンドラ・バラティ大学の一部になっている。
 タゴール・・・なんとなぁく聞いたことのある名前だが、実は日本と大きな繋がりがある人物だ。
 1861年、コルカタの上流階級の家に生まれた彼は、17歳のときに英国に留学、詩の才能を大きく伸ばす。1901年に、コルカタ郊外に野外学校を設立するかたわら、詩作活動を行い、1909年に詩集『ギータンジャリ』を発表、原語はベンガル語だったが英訳されると世界から注目を浴びた。
 1913年に、アジア人として史上初のノーベル文学賞を受賞した。
 尚、インド国歌・バングラデシュ国歌の作詞・作曲は彼の手によるものだ。


第80回旅行は、英国植民地時代の都コルカタ_e0074199_18321917.jpg タゴールは、当時西洋化に急速に傾倒する美術において、東洋美術の見直しを行っていた岡倉天心と親交をもった。
 きっかけは、岡倉天心が仏跡視察を目的として1902年インドに来たとき。彼は、ブッダガヤアジャンタエローラなどの仏跡を視察したが、この間10ヶ月ほど、タゴールの下に逗留している。
 その際、アジアの文化・歴史・平和などについて大いに語り合い、御互いに共感したという。
 すっかりインドを気に入った天心は、門下の横山大観らを現地見学のためにインドに派遣した。
 このときのベンガル美術との盛んな交流は、日本美術ベンガル派と呼ばれる流派を生んだほどだ。

 返礼とばかりに、タゴールはノーベル賞受賞後の1916年、訪日。
 上野で開かれた歓迎式典でタゴールは講演を行い、列席した大隈重信首相は感涙したという。

 その後、彼は数回日本を訪れたが、日本が東洋文化を捨て去って軍国主義に流れる様を批判しながら、1929年を最後に日本を地を踏むことは無かった。 



女神信仰発祥の地
第80回旅行は、英国植民地時代の都コルカタ_e0074199_1655315.jpg第80回旅行は、英国植民地時代の都コルカタ_e0074199_166857.jpg 20世紀前後の英国風の街並みも特徴的だが、もう一つこの地域に特徴的なのが宗教だ。
 ヒンドゥー教の中でも、特にドゥルガー女神、カーリー女神を篤く信仰している地域なのだ。
 いずれも、シヴァ神の奥さんパールヴァティ女神の化身で、ドゥルガー女神は戦いの神、カーリーは更にそれを通り越して破壊・殺戮の神として崇拝されている。カーリーは、肌の色ドス黒く(もしくは青く)、破壊の神シヴァを足蹴にしている構図はなんとも迫力満点である。

 コルカタ市内・近郊で、カーリー女神はじめヒンドゥー教の寺院を数多く見ることが出来る。

カーリー寺院
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 1809年建立(前身はもっと昔からあったらしい)。
 寺院内は一切写真撮影禁止(画像は出店で買った写真をスキャンしたもの)。
 だが、一度行く価値はある。
 この寺院では、カーリー女神の怒りを鎮めるために、1日数回ヤギを生贄に捧げる儀式が行われるのだ。
 時間はマチマチだが、今回たまたま儀式に立ち会うことが出来た。

 鼓笛隊が太鼓を鳴らす中、一頭のヤギが引きづられて入場。
 断頭台に無理矢理首を固定されると、聞いたこともない鳴き声が響き渡る。
 「めぇー」ぢゃなくて「め゛゛え゛゛ーーーーー!」みたいな感じ。

 オッサンが、おもむろに年季の入った偃月刀を振りかぶり、首をドカッと一太刀で切落とす。
 首が転がり、自由になった胴体が血を出しながら、手足をバッタバッタと動かしまくる。

 これだけでも結構R指定な感じなのだが、ここからが更に凄い。
 断頭台近辺に流れ出た生き血めがけて、参拝者が駆け寄ってきて、素手で血を触りそれを有難そうに額に塗りたくるのだ!

 なんというか・・・奥が深いねぇ、ヒンドゥー教は。


ダクシネシュワル寺院
第80回旅行は、英国植民地時代の都コルカタ_e0074199_16342836.jpg 別名、ニュー・カーリー寺院。
 ここもカーリー女神を祀っている。
 1847年建立。
 本堂の周りにはシヴァ神を祀る小さな祠が並んでおり、現人神であるラーマクリシュナも祀っている。


ビルラー寺院
第80回旅行は、英国植民地時代の都コルカタ_e0074199_18472826.jpg ビルラー財閥が建てた寺院。
 ごく最近に出来たものと思われる。


パレシュナート(Pareshnath)寺院
第80回旅行は、英国植民地時代の都コルカタ_e0074199_18495842.jpg これは、ジャイナ教の寺院。
 1867年の建立。
 ジャイナ教徒は、自らの生活を厳しく律する一方で、信仰の場となる寺院にはふんだんな贅を注入する。
第80回旅行は、英国植民地時代の都コルカタ_e0074199_18515740.jpg 内部も銀や鏡を使い、キラキラ光っている。

ナコーダ・モスク(Nakhoda Mosque)
第80回旅行は、英国植民地時代の都コルカタ_e0074199_2025366.jpg これは、イスラム教のモスク(礼拝所)。
 1926年の建立。
第80回旅行は、英国植民地時代の都コルカタ_e0074199_18562780.jpg 敷地内は広く、1万人の礼拝者を収容出来るのだという。
 緑色の大きなドームと、高さ50mにもなる2つの尖塔が特徴的。


その他
 英国的な要素も、宗教的な要素も無いが、是非抑えておきたい場所を2つほど。

ハウラー(Howrah)橋
第80回旅行は、英国植民地時代の都コルカタ_e0074199_1934270.jpg 1943年、コルカタを流れるフーグリ川に掛けられた橋。
 特筆すべきは、この外見。
 上部にやたら鉄骨を使っている。
 それもそのはず、水流に影響を及ぼすとの懸念から橋脚を立てることを避け、全長450mに亘って川には1本の橋脚も立っていないのだ・・・対岸同士で引っ張り合う構造から、橋梁上部が鉄骨だらけなのだ。


インド博物館
第80回旅行は、英国植民地時代の都コルカタ_e0074199_19141885.jpg 殆どの都市の博物館が物足りないというインドにあって、デリーの博物館と並んで充実した展示物を誇るのが、この博物館。
 インド各地の遺跡発掘物などが豊富に並び、大いに関心を誘うが、なかでも面白いのがこの民族コーナー。
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第80回旅行は、英国植民地時代の都コルカタ_e0074199_19161918.jpg第80回旅行は、英国植民地時代の都コルカタ_e0074199_19162958.jpg
 大きなインド地図の周りに、各地の民族の人形が。
 ジャンムー・カシミール州の人々の肌の色が白くて、分厚い衣服を纏っているのに反して、インド最南端のアンダマン・ニコバル諸島の人々の肌は真っ黒(インド大陸の茶褐色とも違う黒さ)で殆ど何も着ていない。
 よく「多様性のインド」というが、この展示がその全てを表している。



オススメ度(100%個人主観)

   ★★★☆☆ ・・・ インド4大都市で一番特徴のある都市では無かろうか

所要観光時間

   6~8時間 (渋滞が酷く、兎に角移動に時間が掛かる)
by bharat | 2007-05-01 10:30 | インドぶらり旅