インド人化完了☆ <インド滞在の総括レポート1>
2007年6月25日、僕は日本に帰国した。
2年間のインド赴任を終えた。 インドの言語・歴史・地理・文化・宗教観を探求する日々に、一旦ピリオドを打った。 1. 2年間を振り返って 2005年6月26日に、生まれて初めてインドの地を踏んだ。 生まれてこのかた、インドという国と関わりを持つなど、全く予想だにしていなかった。 自分として新たなキャリアを築きたいと思っていた矢先、会社の社内公募があったので、迷わず応募した。 駐在員としてではなく、学習・研究目的でインドへ。 それは、僕の会社同様にも僕にも大きなチャレンジだったと思う。 2年(=24ヶ月)という限られた時間を、少しでも有効に使おうと考え、以下のような手順でインドを理解しようと考えた。 (1) インドの地理を把握する 世界第7位の国土面積を誇るインドだが、その全貌を把握している人は意外に少ない。 アッサムやナガランドがある北東地域(右上写真)や、殆ど東南アジア各国と同じ場所にあるアンダマン・ニコバル諸島(右写真)、今尚調停ラインの残るカシミール地方(右下写真)など、その多様性はインドという国そのものを体現している。 そもそもインドがいくつの行政区分で構成されているかすら、知らなかった。 インドには「州」という行政区分と、「連邦直轄領」という行政区分が存在する。 年々変化を続けているが、現在は29の州と6つの直轄領の合計35の行政区分によって構成されている。 デリーは、最近まで直轄領だったが、州になった。 また、デリーおよびその周辺(ウッタル・プラデーシュ州西部・ハリヤナ州南東部)をNCR(National Capital Region)という別称で呼ぶこともある。 各州の詳細については、後述することにする。 (2) インドの歴史を把握する 日本同様、インドもまた数千年の歴史を有し、その記録が残存する世界に稀有な国である。 その歴史を正確に把握することで、現在のインドの背景を理解しようとした。 まずてっとり早いのが、書籍やインターネットを通じて情報を収集することだ。 中学・高校で学ぶ世界史レベルの情報なら、簡単に収集できた。 ただ、体系的に記載された文献は少なく、特に中世の南北インドの構図や、植民地時代の描写については専門書でも説明不足なものが少なくなく、理解に苦しんだ。 この2年間で、インドをビジネスの切口から書いた書籍は随分と増えた。 今でこそ注目を浴びてアマゾンなどで「インド」と検索すると数千件ヒットするが、2005年6月当時は100件前後だったと思う。しかもその殆どがバックパッカー旅行記や難解な宗教書のようなもの。 インドに着いてからは、大学の先生や友人からの情報収集も随分と行った。 が、結論から言えば、いずれも正確な情報を得るには不十分だった。 大学でインド史を勉強する機会もあったが古い情報だったし、インド人の友人たちの情報も結構曖昧だった。 経済学や神話などには精通している彼らも、自国の歴史のこととなると記憶が曖昧なようだ・・・というか関心自体が薄い気がする。 (3) インドの文化・宗教観への理解を試みる インドという国を少しでも正確に理解する上で、このポイントが最も重要だと考え、実に沢山の本を読み、またインド人たちと議論した。 インドにおける宗教の多様性と根深さは世界的にも群を抜いており、我々が世界史で習ったカースト制や一般的な宗教分布の数字だけでは、その把握などおぼつかない。 我々が習ったカーストは、上から順番にバラモン、クシャトリア、ヴァイシャ、スードラの4つだが、これは実は正確ではない。 この4つの大分類はヴァルナと呼ばれ、その夫々に幾多のカーストが存在している。 数千年前から存在する階級制度と、現代社会の資本至上主義が織り成す混沌と意外な事実。これは現地の様々な局面で目の当たりにした。 <意外な事実①> 籍を置いた大学の成績発表がカースト別に掲示 あとになって分かったのだが、これは「留保制度」と呼ばれる下級カースト者への恩恵措置のためにカーストを明かして成績発表しているのだった。 詳細記事はコチラ。 カースト カースト カースト(2005年9月1日) <意外な事実②> マハトマ・ガンジーは、カースト制度擁護者だった カースト制度について調べるうち、ガンジーはバラモン階級の出で、インド独立に際してもカースト制度を擁護する立場だったことが分かった。 我々を含め、外国人が習う世界の歴史では、ガンジーだけが英国と戦ったように記憶しているが、実際にはスバース・チャンドラ・ボース、ビハリ・ボース、バガット・シンらの過激派やカースト制度根絶を訴えたインド初代法務大臣アンベードカルらがインド民衆を引っ張った。ガンジーが殊更に英雄としてPRされたのは、彼が高カースト者から構成される政治政党(国民会議派)に祭り上げられていたことなどによるものだ。そう考えると、現在のインドルピー紙幣が全てガンジーの顔写真となっているのも、何か勘繰ってしまうものがある。 詳細記事はコチラ。 カースト カースト カースト(2005年9月1日) ラクナウでアンベードカルについて考える(2005年12月20日) <意外な事実③> カースト差別は厳然として残存している インド憲法制定と同時に、不可触賤民(アンタッチャブル)という最下層カースト(正確にはカーストにすら入っていない)への差別は法的に廃絶された。 また、下層カースト者を票田とする政治政党も数多く現れ、彼らに配慮した政治が行われるようになってきた。法的に下層カースト者を村長に任命する制度や、無償・安価で教育や医療を受けられる仕組み作りも整備されつつある。 しかし、今尚カースト制度は様々な形でインドに影響を与え続けている。 ここで気をつけたいのが、我々日本人が歴史上上記のような差別問題から無縁だったと考える人が多いことだ・・・かく言う私も近しいインド人に指摘されるまでその1人だったが。 日本も、単一民族国家では無いし、少数民族や在日日系外国人への軽視政策を過去行ったことがあることを忘れてはならない。 それを忘れずに意識してもなお、インドのカースト制度が社会に与える影響は比較にならない程大きいということだ。 新聞の結婚相手募集欄はカースト別で記載され、 デリーの隣町でもカーストを巡る暴動が起きる。 閉鎖的な農村部では、下級カースト者がヒンドゥー教から仏教に改宗しても以前の迫害から逃れられない実態がある。 関連記事はコチラ。 メーラトでインド行政の陰を知る(2005年9月18日) インドの農村行政の実態(2005年10月31日) ヴァラナシでのホームステイ(2006年1月10日) 州境の村クッティーナ(2006年1月17日) 逃れられぬカースト(2006年11月23日) 指定カースト者による暴動勃発(2006年12月2日) デリー周辺大暴動の実態(2007年6月5日) <意外な事実④> ヒンドゥー教が多数を占めるが、独占的ではない また、インド=ヒンドゥー教一色と思われがちだが、決してそんなことはない。 インド政府が直近に行った2001年国勢調査資料(Census of India 2001)によれば、総人口および宗教分布は以下の通りとなっている。 宗教 / 人口 / 割合 全人口 / 10.28億人 / 100% ヒンドゥー教 / 8.28億人 / 80.5% イスラム教 / 1.38億人 / 13.4% キリスト教 / 0.24億人 / 2.3% シーク教 / 0.19億人 / 1.9% 仏教徒 / 0.8億人 / 0.8% ジャイナ教 / 0.4億人 / 0.4% その他 / 0.7億人 / 0.7% 仏陀(紀元前563~483)が興した仏教は、その後何度も強大な王朝に庇護され、かつ密教的要素の強かった上座部(小乗)仏教から大乗仏教になって一般民衆を大いに取り込んだ。が、その後中世にはすっかり衰え、20世紀に入って前述したアンベードカルが死の直前に改宗する等、近年再び盛上りを見せている。 イスラム教は、人口比率で約13%と言われている。中世~近世期にインドを支配した奴隷王朝やムガル帝国などがイスラム教国家だったこともあり、現在も数多くのイスラム建築の遺構を目にすることが出来るし、未だに街中にモスク(礼拝堂)を確認できる。 また、マジョリティを握っているヒンドゥー教徒が他教徒を圧迫しているということも無い。 その証拠に、現在のインド首相マンモハン・シン(写真右)はシーク教徒(全人口比1.9%)だし、大統領のカラム(写真左)はイスラム教徒(全人口比13.4%)と、宗教的なマイノリティな教徒たちが政治のトップにいる。 また、インド最大とも言われるタタ財閥のドン、ラタン・タタおよびその一族はゾロアスター教であり、宗教人口的には極めて少数派である。タタをはじめとするゾロアスター教徒たちは、8世紀頃にペルシャ地域から今のムンバイのあたりに移ってきて、商売活動を始めたという。写真のタタ財閥5代目代表(持株会社であるタタ・サンズの会長職)であるラタン・タタ率いるタタ・グループは、構成企業93社、総売上2.4兆円、総従業員数22万人という巨大コングロマリットを形成しており、名実ともにインド商業界のトップである。 インドの大衆が、宗教の種類を問わず、公正な判断を下している好例といえるのではないだろうか。 総括レポート②に続く。
by bharat
| 2008-01-01 10:30
| ふと思うこと
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2年間のインド生活で、どこまでインド人に近づけるか!?
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