2005年 12月 15日 ( 1 )
第25回旅行は、ヴァラナシ郊外の町ジョーンプル
 ヒンディー語の集中特訓で、3週間ヴァラナシに行ってきた。
 前回行ったときに市内はあらかた観て回っていたので、今回はちょっと足を伸ばして近くの町を観る事にした。

ジョーンプル(Jaunpur)
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 この街を前々から知っていた訳では無い。
 10月に発生したデリーでの同時爆破テロに先立つこと約3ヶ月前、その試験爆破(誤爆説も)とも取れる小規模な爆発が鉄道列車車両内で発生した。乗客7名が死亡するこの事故が発生したのが、このジョーンプル近郊だった。
 その後、Lonely Planetなどの旅行ガイドブックに記載があったことに気付き、我が家の巨大インド地図を見ていて、「ヴァラナシのすぐ近くなのか・・・」とおぼろげに憶えていたので、今回急に行こうと思った。
 実際、ヴァラナシ在住の人に聞いても、サールナートの次に近い中規模の街だと言うことだった・・・口を揃えて「何も無い街だよ」とも言ってたが。

 タクシーを半日借りて移動することにしたが、タクシーの運転手も「何でそんなとこ行くの?」といった様子だった。
 タクシーに揺られること2時間弱、ジョーンプルに入る。

 旧市街地らしき場所にひっそりと立つ古い城(Fort)を観た。

オールド・シャーヒー(Old Shahi)城
e0074199_444516.jpg 13~14世紀、スルタン王朝の1つであるトゥグラク王朝期の建設と言われている。
 この頃の北インドは、イスラム王朝が支配を開始した時期で、奴隷王朝~ハルジー王朝~トゥグラク王朝~サイイド王朝~ローディー王朝と全てデリーを都としていた。デリーの東部のこの辺りは、彼らの王朝と各小国とも衝突が頻発した地域だった。
e0074199_624456.jpg この城も、素朴な造りながら、平地側には高い城壁、背後は切り立った崖になっており、非常に考慮して造られた感がある。敷地内にはモスクや兵舎らしき建物跡が今も残存している。

 ローディー王朝がこの地域の支配権を確実なものにしたのは、1479年のジョーンプル制圧だ(当時同地を本拠としていたシャルキー王国を滅亡させた)。ローディー王朝は、他の4スルタン王朝(トルコ系)と違いアフガン系で、アフガン人傭兵を巧みに起用し、特徴的かつ大きな軍事力を誇ったと言われる。
e0074199_63950.jpg ローディー王朝の初代バフロール・ローディー王から王位を継承した2代スィカンダル・ローディーは、無謀な版図拡大をやめ、国内事情の安定化を図った。中国でいうところの「度量衡」や日本でいうところの「楽市楽座」などの諸政策を展開、国力強化を実現した。また、アーグラ(Agra)の都市機能を大々的に強化している。
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 第3代イブラヒム・ローディーの代になると、周囲との衝突が始まる。1526年、パーニーパットの戦いで、中央アジア出身のバーブルとの全面戦争となり、君主イブラヒムが戦死する大敗北を喫する。勝利したバーブルは、デリーとアーグラを支配下とし、ムガル帝国を建国する。
e0074199_642751.jpg ムガル帝国期以外の城郭を見るのは珍しかったが、保存状態があまり良くないのが残念だった・・・。


悪路が物語る・・・
e0074199_611664.jpg もう一つ気になったのが、ヴァラナシからの道路の状態。ところどころ凸凹なので、たかだが50km余りの距離なのに移動に2時間弱もかかる。
 最近のビジネス誌がこぞってインドを取り上げて美辞麗句を並べ立てているが、その殆どは英語堪能なIT技術者と「市場規模」に注目している。「市場」と目されている殆どの人々は、自動車で時速25km/hでしか移動出来ない道路の先にいる町や村に住んでいるという現実・・・日本の雑誌記者はどう捉えているのだろうか・・・。
 インド国内の隅々の道が5年~10年で先進国なみになるとは思えない・・・我々ガイシ企業にとって最も頭の痛い「ビジネス阻害要因」だ。



オススメ度(100%個人主観)

   ★☆☆☆☆ ・・・ヴァラナシにずっと居て、おヒマなら


所要観光時間

   30分

by bharat | 2005-12-15 10:30 | インドぶらり旅