2007年 03月 02日 ( 1 )
ネパール ~インドと最も近い国~
 インドの北東に面する隣国、ネパール。

 ブータンやチベットと並んで欧米からは「シャングリラ」と呼ばれるこの国は、国土面積15万k㎡(北海道の約2倍)、人口約2,500万人の小さな国だ。

国の概要
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名称 : ネパール国(ネパール王国とも)
面積 : 1,470,000k㎡
首都 : カトマンズ(カトマンドゥ、Kathmandu)
人口 : 2,530万人(2004年)
国旗 : ネパールは、世界でただ一つ国旗が四角形でない国だ(1962年から採用)。
      青い縁取りはヒマラヤを、中の赤色は国民を示している。
      上部の月模様、下部の太陽模様は、王家・ヒンドゥー教への篤い信仰を示し、
      国家・信仰が月や太陽の如く永続するようにとの意味が込められている。
国教 : ヒンドゥー教
言語 : ネパール語(ヒンドゥー語と似ている)
時差 : 日本時間 - 3時間15分
      こんな中途半端な時差があって良いのか・・・。
      インドの時差(3時間半)もたいてい中途半端だと思ったが、
      まさか15分単位が存在するとは。
標高 : 首都カトマンズは約1,300mだが、標高8,000m級のヒマラヤ山系もある
国花 : シャクナゲ  国獣 : 牛  国鳥 : キジ(虹雉)
通貨 : ネパールルピー(1ネパールルピー=1.7円)
      インドルピー紙幣がそのまま使用可能。
      だが、インドの500/1,000ルピー紙幣の偽造が深刻化しており、
      この2種類の紙幣は「使用出来ない」。
      ※但し、闇市場や高額な物を扱う店では、受取ってくれる場合も。
貿易 : 輸出 インド・アメリカ
      輸入 インド・シンガポール
産業 : 農業(国内GDPの約40%を占める)
      観光事業(10~20%を推移、国内治安に左右される)
      既製服/カーペット類


歴史
 ネパールの歴史は殆どカトマンズ盆地の歴史といってもよく、聖人ナイア・ムニがカトマンズの谷底を乾かして、その場所を住処としたとの記述に始まる。
 これは勿論神話だが、実際に大昔カトマンズ盆地は湖の底だったということが、近年の地質調査から明らかになっている。

 インドに数多くの足跡を残している仏教の始祖ブッダだが、彼が誕生したのは現在のネパール領内のルンビニというところだ(紀元前6世紀)。
 その後、インドのマウリヤ王朝のアショーカ王が、ダウリでの戦いを機に仏教に改宗、紀元前3世紀にこのルンビニを訪れたという記録が残されている。

 ネパール内に確固たる王朝が成立したのは、4世紀頃。
 リッチャヴィ王朝がカトマンズ盆地一帯を支配した。
 これにとって代わったのがマッラ王朝で、10世紀から15世紀まで彼らが支配王朝だった。
 15世紀中頃、マッラ王朝の3人の王子がカトマンズ、パタン(Patan)、バクタプル(Bhaktapur)で独立国を立上げた。この3箇所には、今でも保存状態の良い王宮の跡が残っている。

 16~18世紀、ネパールには、イスラム勢力にインド本土を追われたヒンドゥー勢力が多数流入してきた。
 彼らのうち、カトマンズの西方のゴルカ(Gorkha)に拠点を置いたプリティヴィナラヤン・シャー(Prithvinarayan Shah)が、1768年にカトマンズを制圧し、3つに分裂していたカトマンズ盆地を完全掌握し、その後ネパール全土を支配下に置いた。

 1814年~1816年、ゴルカ王朝はインド大陸の完全掌握を狙うイギリスと対決(第1~3次ゴルカ戦争)。イギリスに負けたゴルカ王朝はイギリス保護国となり、高い戦闘能力を買われたゴルカ兵は、イギリス軍の傭兵部隊となることを義務付けられた。
 彼らは、なまってグルカ(Gurkha)と呼ばれ、インド独立戦争のきっかけとなったセポイの反乱でインド軍鎮圧の大切な戦力となった。
 20世紀に入っても、彼らはどんどん危険な戦場に投入された。第二次世界大戦ではビルマ戦線で日本軍と、1982年のフォークランド紛争(南米最南端の英領フォークランド諸島にアルゼンチンが侵攻、イギリスがこれを奪還した)でもイギリス軍として参加している。

 シャー王朝はイギリス保護の下存続するが、1846年には属下のラナ家に支配権を握られ、以降1951年まで、同家から輩出する宰相による国政運営が続いた。
 1951年、トリブバン国王はイギリスから独立したインドの影響を強く受けながら、民主化への舵取りを行う(立憲君主制への移行)。
 しかしその息子マヘンドラ国王の治世期以降、再び国王の支配力を強化する動きが出始めると、民主化運動が激化。
 1990年に、国民主権をうたった新憲法が制定された。

 昨今の情勢不安が出始めたのは、1996年くらいからだ。
 中国の影響を強く受けるマオイスト(毛沢東的共産主義者)たちが、ネパールの王制打倒を掲げて活動を活発化、国内気運も国の民主化へと動いていた。
 この時期、王家は親中派のビレンドラ国王・ディペンドラ皇太子と、親印・米派のギャネンドラ王弟とに分かれていた。国民からは、民主的路線を進める前者が慕われていた。
 しかし2001年、王族の晩餐会で銃乱射事件が発生、ビレンドラ国王・ディペンドラ皇太子はじめとする王族殆どが死亡する惨事となった。王室の公式発表では、ディペンドラ皇太子が銃を乱射したとなっているが、動機が不十分、事件後の対応に不可解な点が多い等の理由により、ギャネンドラが王権奪取をせんと行った線が強い。
 事件後王位を継承したギャネンドラは、一方的に非常事態宣言を発令、議会停止、専制人事などを行った。
 このなりふり構わぬ絶対君主制の復活に、国内の民主化活動が爆発、2006年4月24日に国王は国民への権限委譲、議会政治復活を認めた。同月27日にコイララ首相率いる新政権が誕生した。
 同政権下、国王の権限は大幅に縮小され、国家統帥権剥奪、国歌変更(以前の内容は国王を讃える内容になっていた)、政教分離などが議決された。

 目下、問題視されているのは、今後の体制を象徴君主制とするか、共和制まで一気にもっていくかということだ。




 インド周辺 第15回旅行 ・・・ カトマンズ
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 インド周辺 第18回旅行 ・・・ カトマンズ周辺ほか
by bharat | 2007-03-02 10:30 | インド周辺国ぶらり旅