2007年 04月 14日 ( 1 )
デリー32 ハウズカス遺跡
 デリーの南、骨董品や高級ブティックの店舗が並ぶハウズカス(Hauz Khas)。

 その最奥に、今は現地民の憩いの場となっている、遺跡群がある。

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ロイヤル・ファミリーの水瓶
 この一帯の歴史は、意外に古く、ムガル帝国期よりも前、13世紀に遡る。
 この時期、デリーはスルタン(君主の意)が王を名乗り、スルタン王朝期の真っ只中だった。
 因みに、スルタン王朝は、1206年に始まる奴隷王朝(この時期に建てられたのがデリーにある世界遺産クトゥブ・ミナール)、ハルジ王朝、トゥグラク王朝、サイイド王朝、ロディー王朝(今もデリーに現存するロディー・ガーデンはコチラ)の5王朝を指す。

e0074199_13424559.jpg ハルジ朝、アラウッディーン・ハルジ(Alauddin Khilji)の治世期、彼は1284年にこの地に都市を形成し、その周辺に城砦を巡らせた。
 今は、総合スポーツ施設となっているシリフォート(Siri Fort)も、1303年、文字通りSiriという地名に建てられた城砦だった。
 このシリフォートの住民のために作られた水瓶は、当時ハウズ・イ・アライ(Hauz-i-Alai、アラウッディーンの池)と呼ばれた。

 ハルジ王朝期の将軍ギャースウッディーン・トゥグラク(Gyasuddin Tughlaq)が建てたトゥグラク王朝期には、この溜池にてを入れ直し、ハウズカス(Hauz Khas、王族の池)と改称した。


庭園の中の様子
e0074199_1547143.jpg 入口部には、小さいが重厚な印象の門がある。
e0074199_15493025.jpg 中は、芝生を敷いた庭園になっており、霊廟が点在している。
e0074199_1551068.jpg 霊廟の屋根の内壁には、コーランと思しきイスラム文字と、
e0074199_1617026.jpg 墓をひっぺがした跡がある。
 ・・・いつ、何の目的でひっぺがしたのだろうか・・・?


e0074199_162135100.jpg 小さな霊廟が乱立しているが・・・
e0074199_16222236.jpg 中にはこんな立派なものもある。
 特に明記されていないのだが、恐らくトゥグラク王朝のフィローズ・シャー・トゥグラク(Firuz Shah Tughlaq)の廟と推測される。
e0074199_16244788.jpg 中には棺が安置されている。
 何故、この棺だけ無事に残っているのか・・・?


 この遺跡群は、増改築されながら、奴隷王朝期からロディー王朝期の長きに亘って使用されていた。
 恐らく、貯水湖に近いということで利用価値が高かったのだろうし、各王朝ともイスラム系だったので、生活習慣上・宗教上使用することが出来たのだろう。
 この立派な建物は、ロディー王長期の1354年になって建てられたもの。
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 マドラサ(Madrasa)と呼ばれる、学校施設として機能していたと言われている。
 因みに、このマドラサという名称は、今現在も使用されており、インドで生まれ育つイスラム教徒たちは、マドラサで教育を受ける。教育内容は、国語・算数に始まりイスラム特有の教育にまで及ぶ。

 


by bharat | 2007-04-14 10:30 | デリー市内あれこれ