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第3回旅行は、グジャラートの中心都市アーメダバード
研修旅行で、アーメダバードの旅へ

 当社には、観光旅行でなく研修目的の旅行であることを前提条件に、僕のような各国派遣員に、一定の日数に限って、会社経費で旅行することを承認する制度がある。
 今回は、同制度を使って行った旅行で、事前学習した上、旅行の道中も文化教室の先生が英語で細かく説明をしてくれたので、とっても内容の濃い旅行だった。

 というわけで、第3回旅行記。


アーメダバードってどこ?
 今回の旅は、1泊2日だったのだが、まず旅立つ前にアーメダバードがどんなところかを調べてみた。

アーメダバード(Ahmedabad)
 インド最西部に位置するグジャラート(Gujarat)州の中心都市。
 人口450万人。
 グジャラート州は西をパキスタン、南西をアラビア海と接していて、歴史的には4000年前にハラッパ文明が発祥した地域でもある(但し現存する著名な遺跡は殆どパキスタンにある)。
 仏教文化が広まった同地域に、10世紀以降、ムガル帝国等のイスラム勢力が侵入、現在のヒンドゥー教・イスラム教混在の原型となった。

 最近の出来事としては、あまり宜しくないニュースが多い。
 2001年1月26日、同地域をM7.9の地震が直撃、アーメダバードを中心に30,000人以上の死者が出た。また、2002年以降、イスラム教徒とヒンドゥー教徒との間で相次いでテロ行為・暴動が発生、同年中に1,000人以上の死者を出す大惨事となった。

 現在のアーメダバード及び周辺地域は平穏(とゆぅか平和的な騒々しさ)、雑然とした雰囲気の中にも、歴史的文化的背景から様々な興味深い建築物がたくさんあった。
 また同地域一帯は一大工業地帯にもなっているそうな。
 (アグラみたいな空気の汚さは感じなかったけど。)



圧巻!階段井戸   日本の井戸とは違うぞ!

 1日目は、飛行機でアーメダバード入りして、マイクロバスで周辺地域を回った。

アダラジ・バブ
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 アーメダバード至近のアダラジ(Adalaj)にある階段井戸(Vav)を観光。
 日本のような井戸では無く、水の湧き出る場所に向かって階段をつくり、その周囲を神殿みたいに彫った一種の建物みたいになってる。壁面には大掛かりな彫刻を模してある。
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 慢性的に降雨量の少ない同地域で、水は貴重視され、それが宗教崇拝と結びついて、神殿のような建築物になったんだそうな。
 この傾向はヒンディー文化からイスラム文化に変わっても続いて、やがて上級貴族や上位
カースト者の集う場所となっていった。
 このアダラジ・バブは、15世紀前後に建築されたもので、その後同地域がイスラム勢力に侵略された際も、地中に埋没していたため然したる被害を受けずに綺麗に残ったらしい。
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モデラの太陽寺院
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 お次は、アーメダバードに程近いモデラ(Modhera)にある太陽寺院(Sun Temple)へ。
 このヒンドゥー寺院には、階段井戸が併設されており、とても大規模な宗教施設だったことが分かる。
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 お堂の中の太陽神を祀ってある場所は、春と秋の決まった日(春分・秋分だったかな)に朝日を浴びるように設計されており、建築は実に巧妙かつ精巧。
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 11世紀に建築されてものとされ、その後侵攻してきたイスラム勢力によって、多くの彫刻の顔が削り取られてしまっている。所謂、廃仏毀釈ってやつですな。


ラニキ バブ 
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 こちらは、アーメダバードの北北西約100kmに位置するパタン(Patan)の階段井戸(Raniki Vav)。
 パタンは、イスラム勢力に征服されるまで長くヒンドゥー教の中心地であり、この井戸は残存する数少ないヒンドゥー建築物となっている。前述のアダラジ・バブ同様に、ヒンドゥー彫刻が取水地点に向かう通路の壁面に施されていた。ブラフマー、ヴィシュヌ、シヴァの三大神はじめヒンドゥー教に登場する数々の神が壁面に彫られており、その中にブッダの彫刻も見受けられる。仏教自体がヒンドゥー教の一宗派であるというヒンドゥー教の宗教観を如実に表していて興味深い。
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 また、同地域はPatora手織物でも有名で、半年~1年かけて作られるサリー(インドの女性用衣類)は数十万円もするという。


グジャラート料理 
 アーメダバードに戻り、グジャラート料理を食す。
 同地域の料理の特徴は、殆ど全ての料理について砂糖での味付けがベースになっている点で、野菜炒めや御飯が甘いのはもとより、カレーの類まで甘い。
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 ・・・・ホテル泊・・・・


 公営観光協会によるアーメダバード市内観光ツアーに参加。その後、マイクロバスにてSabarmat Ashramに移動・観光、飛行機にてDelhiに戻る。

アーメダバードの興り
 アーメダバードは、アーメド=シャー(Ahmed Shah)王が同地を通りかかった際にウサギが犬(キツネ)を追いかける勇敢な様を見て気に入り、1411年に市街を建設したのが始まりとされている。

アーメダバードの町並み
 表通りは、小さな商店が立並び、また数多くの牛が闊歩し、雑然としている。
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 裏通りは、小さな住宅が長屋状に連なり、その中にヒンドゥー寺院(マンディル)、イスラム寺院(モスク)、ジャイナ教寺院がひっそりと配置されており、今も生活の中心になっているようだ。
 住宅は、それぞれヒンディー文化時代、イスラム文化時代、イギリス植民地時代に建てられた見栄えの違うものが混在していて、日本では見られない多様性を感じる。

スワミ・ナラヤン寺院(Swami Narayan Temple)
 1850年に建てられたヒンドゥー寺院で、今も毎朝多くの教徒が参拝を行っている。
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ハシー・シン寺院(Hathee Singh Temple) 
 ジャイナ教寺院。ジャイナ教は、ヒンドゥー教の一宗派に位置付けられ、「非暴力」「不殺生」の考えを究極的に追求する考えを持っている。教徒たちは、この考えを対人間のみならず全ての生物に対して実践することを旨としており、その徹底ぶりは我々には理解し難いものがある。歩く際には虫を殺さない様ほうきで掃きながら進み、虫が誤って口に入って死ぬことの無い様白い布で口を覆っている。また、口内に繁殖する雑菌を殺さぬ様歯磨きもしない。

ガンジーの修道場(Sabarmat Ashram) 
 グジャラート州生まれのマハトマ=ガンディーが、イギリス・アフリカを経て、1915年よりインド独立の活動拠点とした場所。人種差別・身分差別撤廃の考えを実践すべく、このAshram(修道場)に、Untouchable(不可触民:最低カーストの更に下の層)の入居を許し、製糸業を営んで、彼らの自活を促した。また、1930年の「Salt March:塩の行進」(イギリス政府の塩税に対する反対運動)は、このAshramを出発点としており、その活動に関する写真や書面も数多く保管されていた。



 ガンジーの活動については、またいろいろ調べて別の機会に書こうかな。



オススメ度(100%個人主観)

 ★★★★☆
by bharat | 2005-08-10 13:59 | インドぶらり旅
第2回旅行は、タージマハルのあるアグラ
 デリーを初めて出て、行った先はアグラ(Agra)。
 世界的に有名な世界遺産タージマハル(Taj Mahal)があることで有名な場所だ。


デリーからの日帰り旅行にもってこい
 タージマハルのある都市アグラは、デリー南南東約200kmに位置するウッタル・プラデーシュ(Uttar Pradesh、UP)州の工業都市だが、殆どの人は世界遺産タージマハルがある場所と記憶している。
 しかし、工業化に伴って、アグラ周辺の大気汚染やヤムナー川の水質汚濁が大きな問題となり、これらから世界遺産を守るために様々な措置が採られ、現在は観光都市としての性格が強い。
 タージマハルの存在があまりに強調され、この地が太古の昔からムガル帝国の支配地であったとの印象もあるが、実際はそうではなく、同帝国がAgraを支配下においたのは、タージマハル建設のわずか100年余り前のこと。元々アグラには古代ヒンディー王国があったとされ、その後ガズニ(アフガニスタン系王朝)によって11世紀に滅ぼされた後、小国王による統治を経て、1526年にムガル帝国支配下となった。同帝国第5代皇帝シャージャハーンの代まで都として大いに栄えたが、その子第6代アウラングゼーブの代にデリーに遷都された。

 ・・・とまぁ、Lonely Planetなどの書籍を通じて、アグラについての事前勉強をして、アグラに向かった。

 今回の移動は、当社本店社員の私費旅行への引率という名目の元、僕の上司の車を貸切ってのもの。御陰様で大変快適な移動だった。

e0074199_4423299.jpg 当日6:00にDelhiを発ち、途中国道沿いのレストランで朝食を取った。あらゆる旅行代理店から推薦を受けていることをアピールしたいのか、荘厳な扉に所狭しと旅行社のステッカーが貼られていて、返って怪しかった(笑)。
 「Welcome」「ようこそ」のステッカーが貼られていたが、店員は皆日本語はおろか英語も片言。チャイマサラとサンドイッチを食べて(味はそこそこ)早々にその場を離れた。

 アグラに近づき、国道から市街地の道路になると、連日の雨の影響か悪路が目立つ。
 タージマハルへの最短路も通行止めとなっており、少し回り道をしてタージマハルを目指した。遺跡の美化の観点から、周囲4kmまでしか自家用車で近づけないようになっており、大駐車場に車を停め、観光客慣れしたオートリクシャーで切符売り場まで移動(片道10分の距離にも関わらず往復Rs200/-も取られた)した。

タージマハル
 ・・・ムガル帝国のシャージャハーン皇帝によって、亡妻ムムターズのために建てられた墓。1631年に着工、1653年完成。後に、このTaj Mahalより優れた建築物が建てられることの無い様、一部の熟練工たちの指や手を切断したという。
 また、ヤムナー川を挟んだ対岸にシャージャハーン自身の墓を黒大理石で建設しようという計画もあったようだが、最近ではデマだという説が強い。・・・


 タージマハルの敷地入り口となる赤い大きな門の向かって左側に切符売り場と手荷物預かり所があり、まずは入場切符を購入。入場料はインド人Rs20/-に対し、外国人はなんとRs750/-。
 実に露骨な観光政策で、なんとも潔い。

 飲食物やタバコ・パーン(植物製の噛みタバコのようなもので吐き捨てると赤いシミが付く)など庭園内の汚れに繋がるものが持込禁止となっているほか、何故か携帯電話の持込も禁止されている。携帯電話を手荷物預かり所に預け、入場した。

 門をくぐってすぐにあの有名な姿が見える訳では無く、赤い砂岩で作られた城壁に囲まれた庭園があり、その奥に幾何学模様を施した芝生の庭園、続いて白大理石の丸いドームが見えてくる。日本の自社仏閣が森林に囲まれてひっそりと建っている様とは異なり、タージマハルの周囲に何も無いので、建物だけが浮き上がって見える。
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 タージマハルの本体の左右には赤い砂岩で出来たイスラム建築物が対称に建っている。左右の建物とも内壁・柱・天井部に装飾が施されているが、当時はモスクとしてイスラム教徒の集会所となるよう建設されたため、東側の建物は方角が悪く、使用されなかったらしい。美観を整
える為だけに東側の建物を建てたんだと。
 このあと、インドで数多くのイスラム建築を見ることになるが、同建築は極端なまでに左右対称性や均一性にこだわっている節が見られる。この辺の感覚は、日本人に相通じるものがあるかも知れないなぁ。

 タージマハルを囲む4つの大理石の塔があるが、これも美観の為だけのものだという(全ての塔はタージマハルに向かって少し外側に建てられ、地震の際に本堂を傷めないようになっている)。
 タージマハル本体に入るには、履物を脱がねばならない。インド人はその辺に脱ぎ捨てていたが、ちゃんと履物預かり所があったので、我々はそこで履物を脱いで預けた(履物を返して貰う際、チップをねだられたが払わなかった)。

 中央入口に近づくと、頼んでもいないのにガイドを名乗るインド人のオジサンが細かく説明をしてくれた。
 ・・・(以下、オジサンの説明内容)本体入口を囲む門のような外壁面に、アラビア文字のような文字列が縦に書かれているが、その文字は上のものほど大きく刻まれていて、下から文字を見たときに上下の文字が均等の大きさに見えるよう工夫されている。
 中に入ると大きな石碑が2つ。ムムターズとシャージャハーンのものだが、石棺では無いという。
 2人の石棺は石碑の下、地下室にあるということだ。地下室へは網が張られていて、僅かな光を頼りに覗くことしか出来なかったが、確かに石碑らしきものが見えた。
 建物内部は、想像していたよりもこじんまりした感じがしたが、壁面には様々な色の宝石が埋め込まれていて、光を当てると白色透明の大理石に囲まれた石が美しく光る(オジサンが懐中電灯で見せてくれた)。この白色透明の大理石が故に、タージマハルは朝~夜まで色々な色に映り、夫々の時間で違う色に映えるらしい。我々が行った日は曇りだったので、あまりその美しさを享受出来なかったように感じた。



アグラ城
 ・・・当初ムガル帝国の軍用施設としてアクバル帝の代に建設されたが、シャージャハーンの代になって宮殿の要素も兼ねるようになった。しかし同皇帝が息子アウグレンゼーブによって皇帝の座を奪われると、同Fortはシャージャハーンの幽閉の場所として機能した。・・・


 タージマハルの駐車場から車で約5分、Agra Fortの入口に到着。堀を渡って入場券を購入。またもや、外国人価格(Rs250/-)とインド人価格(Rs50/-)に分かれており、仕方無く外国人価格で入場・・・。
 城門をくぐると、通路が一定の間隔で曲がりながら中心に近づける構造になっており、日本の戦国期の城郭構造と非常に似ていた。
 内部は大きな庭園のようになっており、視界の中に入ってくるものは集会場のような建物(後述Diwan-I-Am)とその先に見えるモスクの白い塔状の屋根(後述Moti Masjid)くらいだった。他に何も無いのかと思って、建物の奥の小さな階段を昇ると、ヤムナー川に面する形で建物が広がっており、大きな空間に出る事が出来る。最奥部にはKhas Mahalと呼ばれる大理石の建物があり、意外に奥は大規模である事が分かった。Khas Mahalから、ヤムナー川を挟んでタージマハルを見ることが出来、非常に良い景色だった。
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・Diwan-ni-Am 
 シャージャハーンが政を行う為に使用された、謁見の間。
・Moti Masjid 
 上記Diwan-i-Amから頭頂部をうかがうことの出来る建物で、赤い壁面のAgra Fortとは対照的に真っ白な色が非常に映えていた。ちなみに、門は閉ざされており入場は出来なかった。あとから知ったのだが、同Masjidは、インドで最も美しいモスクの1つなのだという。


見終わっての感想など

 インド随一の観光名所アグラだが、タージマハル、アグラ城がただ建っているのみで、特にその周辺に歴史博物館なども無ければたいした土産物屋も無かったのには、とてもビックリ。
 一番ボロい商売が出来そうな場所に何故店が無いのが・・・法的に規制されているのだろうか。
 また、裸足にならなければ入れないなどの方策は採られているものの、建物の内外の装飾された壁面に直に触れてしまうのも驚きだった。

 ただ、デリーからの距離も手頃で、観光客や出張者に対する紹介場所としてはうってつけかも知れない(個人的には1回行けば十分な印象を受けたけど)。


<後日談>
 その後、アグラを再訪。
 遺跡を傷つけないための工夫、環境対策などが改善されていた(コチラ参照)。



オススメ度 (100%個人主観)

     ★★★☆☆
by bharat | 2005-08-02 10:30 | インドぶらり旅
第1回旅行は、インドの首都デリー
 このカテゴリでは、僕のインド国内旅行記を徒然なるままに書いてゆこうと思う。
 個人的な目標としては、インド滞在2年の間に、72箇所回ろうと思っている。
 根拠は、ただ漠然と、月に3箇所くらい回りたいなぁというだけ。

 というわけで、第1回旅行記。

大国インドの首都
e0074199_2043650.jpg 私が住むことになったここデリーは、言わずと知れたインドの首都である。
 現在の人口は、1,200~1,300万人(資料によって結構数字はマチマチ)。

 デリーは、都市と州の中間的な存在である。
 都市としてはとても大きいし、州としてはとても小さい(面積1483k㎡は東京都全体の70%にあたる広さ)。
 政府からは、「州」としてカテゴリ分けされているが、1991年までは「連邦直轄地」というくくりだった。
 後者が州のように運営されているので、呼称がどちらであっても、あまり違いは無い。
 因みに、現在インドはデリーを含む29州と6つの連邦直轄地から構成されている。

 デリーは、北東のオールドデリー地区、中央に大きく広がるニューデリー地区、南部のカントンメント地区に分かれる。
 都市の東側を、聖川ヤムナーに面していて、川を越えればもう隣州のウッタル・プラデーシュだ。
 南西に車を1時間も飛ばせば、これまた隣州のハリヤナである。


e0074199_205146.jpg デリーが都市機能を持ったのは、13世紀初頭。
 西から入ったイスラム系の奴隷(スルタン)王朝がここに城塞都市を築き、これが現在のオールドデリー地区にあたる。今でも、城壁などが多く残存している。

 1つの王朝の都から、インド全土の首都として認知されるようになったのは、1911年。
 当時インドを支配していた英国が活動拠点をコルカタからデリーに移したのだ。



見どころ沢山☆ 世界遺産も!
 入替り立代り支配者が変わっていったデリー。
 昔の城砦や寺院をはじめ、見どころは実に沢山ある。

 詳細はここではとても書き切れないので、別カテゴリ「デリー市内あれこれ」で紹介していくことにする。

デリー 1  フマユーン廟
デリー 2  工芸博物館
デリー 3  イスコン寺院
デリー 4  IITF ・ IITF(続き)
デリー 5  シャールク・カーンをこの目で見たい!
デリー 6  日本人だけの大忘年会
デリー 7  Auto Expo 2006
デリー 8  武器兵器博覧会「DefExpo」
デリー 9  超巨大ヒンドゥー寺院 アクシャルダーム
デリー10  ガンディーが荼毘に付された地ラージガート
デリー11  世界にそびえ立つ世界遺産 クトゥブ・ミナール
デリー12  中世の天文台 ジャンタル・マンタル
デリー13  占い好きなヒトは是非☆ 『アガルティヤの葉』
デリー14  チベット人居住区
デリー15  男性(同伴)でないと登れないジャミ・マスジッド
デリー16  裸の寺院 鳥の病院
デリー17  巨大シヴァ寺院 マンガル・マハーデーヴァ
デリー18  左程古くない「古い城」 プラーナーキラー
デリー19  ロディー・ガーデン
デリー20  インド御遍路 カバリヤ
デリー21  夏祭り
デリー22  ハーフマラソン
デリー23  運動会
デリー24  鉄道博物館
デリー25  サフダルジャン廟
デリー26  日本人会 忘年会(今年は主催側)
デリー27  国立博物館
デリー28  日本妙法寺
デリー29  IETF
デリー30  ロータス・テンプル(Bahai'i House)
デリー31  アーユルヴェーダ病院
デリー32  ハウズカス遺跡
デリー33  階段井戸(Gandhak ki Baoli)
by bharat | 2005-08-01 10:30 | インドぶらり旅