カテゴリ:インドぶらり旅( 113 )
第86回旅行は、ケーララの門前町トリスール
 コチを北東(内陸方向)に70km進んだところにあるトリスール。

 ヒンドゥー寺院を街の中心に据えた、門前町トリスール(Thrissur、トリチュールとも)に到着する。


 ・・・続きはのちほど・・・
by bharat | 2007-05-10 10:30 | インドぶらり旅
第85回旅行は、インド随一のリゾート地コチ(コーチン)
 殆どのインド人が、一度は行くことを薦める場所・・・それがコチ(コーチン)だ。
 インド大陸の西岸、ケーララ州のこの都市には一体何があるというのか。




   ・・・続きはのちほど・・・
by bharat | 2007-05-09 10:30 | インドぶらり旅
第84回旅行は、谷あいの村カリンポン
 ダージリン・グームから、車で東方面に約3時間。
 ダージリンと相対する尾根に広がる集落カリンポンがある。

2100→0→1250
e0074199_20321194.jpg 標高2,100mのダージリンから標高1,250mのカリンポンへは、一旦両都市を結ぶ谷を一気に下って、そこから一気に登っていくしかない。
 結構な山道なのだが、現地の人々はジープにしがみ付きながら、移動していた。
谷底を流れる川を見渡せる展望場所があり、近辺の複雑な地形を実感できる。
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e0074199_20341813.jpg 目を凝らして川面を見ると、ボートが。
 ここは、ラフティングの名所なのだそうだ。
 安全管理面はどうなのだろう・・・。


街の様子・見どころ
e0074199_20534751.jpg 街の様子はこんな感じ。
 ダージリンに少しいた、顔の濃いインド系の人々は、ここカリンポンには全くいない。
 全員、アジア系の顔をしている。


パインビュー(Pine View)植物園
e0074199_20551317.jpg 山の中腹あたりにある。
e0074199_205733.jpg 何故か、大量のサボテンを栽培・展示している。
e0074199_20574273.jpg ここは本来の植物園としてよりも、ここからの眺望の方が有名らしい。
 運転手が頼んでもいないのに、強く来ることを薦めたのもうなずける。

ゾン・ドク・ペリ・ニンマパ・ゴンパ(Zang Dhog Phelri Nyingmapa Gompa)
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e0074199_21251040.jpg 入口付近にシュールな胸像(基金の関係者らしい)のあるこの僧院(ゴンパ)、ドゥルピンの丘という一際高い場所に建っている。
 1976年建立と新しい。
e0074199_21274726.jpg 中の仏像も立派で、
e0074199_21271076.jpg 外には小さな仏塔(ストゥーパ)が整然と並んでいる。


マンガル・ダーム(Mangal Dham)
e0074199_21305811.jpg クリシュナ神を祀る寺院。
 恐らくこの一帯では少数派であろうヒンドゥー教徒たちの日々の祈りの寄りどころになっているようだ。


グラハム邸
e0074199_2134037.jpg スコットランド人宣教師のグラハム氏の邸宅および孤児院・学校施設。
 赤い屋根のかわいい邸宅を進むと、
e0074199_21343925.jpg 丘の上には、一見インドでは無いような風景が広がっている。
 これは、孤児の居住場所であったり、学校であったりする。
e0074199_2136154.jpg 立派な教会もある。


御当地料理
 ここにはちょっとした御当地料理が存在する。

チベット料理
e0074199_21374535.jpg 意外と少ないのが、チベット料理を出す店。
 このGompu'sは数少ないチベット料理店。
 トゥクパ(チベットラーメン)とモモ(チベット餃子だが、ここのは肉まんみたいな皮だった)
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カリンポン・チーズとカリンポン・キャンディ
e0074199_21414913.jpg カリンポンでしか買えないものがここLark'sで売っている。
e0074199_214288.jpg カリンポン・チーズ。
 製法が他のチーズとどう違うかは分からないが、味はアッサリしていて臭みも無い。
 美味☆
e0074199_2143243.jpg カリンポン・キャンディ。
 沖縄の黒糖飴とクッキーをこねたような味で、これまた美味☆




オススメ度(100%個人主観)

    ★★☆☆☆ ・・・ チーズとキャンディ以外は特徴的なもの無し

所要観光時間

    2時間
by bharat | 2007-05-05 10:30 | インドぶらり旅
第83回旅行は、ヒマラヤ鉄道駅のあるグーム
 ダージリン・ヒマラヤ鉄道の遊覧区間となっている、ダージリンともう一方の終着駅がこのグーム(Ghum)。
 鉄道の様子については、コチラ参照。

タイガー・ヒル(Tiger Hill)
 ダージリンの麓に位置するグームから東に進むと、タイガー・ヒルという標高2,590mの丘がある。
 ここは、近辺の宿が皆ウリにしている御来光ツアーのメッカなのだ。

 朝4時前後に宿を出発し、展望小屋から朝日を拝むのだ。

e0074199_2351727.jpg 当日は、生憎の曇り。
 かすかな希望を胸に展望小屋に向かう。
 料金設定が細かく分かれており、外で見るのと小屋の中で見るのとではチケットの値段が違う。
 外で寒そうに待つ人たちを横目に、小屋の中へ・・・。



 案の定、雲は晴れず、結局こんな感じに何も見えないまま周りが白く明るくなっていった・・・残念。
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 天気がいいと、こんな感じに見えるらしい(これは現地で購入したハガキの画像)。
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イガチョリン・ゴンパ(Yiga Choling Gompa)
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 グーム市内にある、一際立派な僧院がこれ。
 1875年の建立と非常に歴史が古く、また中にブッダ像の保存状態も良い。
 そして何より珍しいことに、ブータンで殆どNGだった、堂内の撮影が許可されている。
 シャッター1回につき10ルピー(約30円)という、面白い料金課金方法。
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オススメ度(100%個人主観)

    ★★★☆☆ ・・・ ダージリンと一緒に観光すべし

所要観光時間

    1~2時間
by bharat | 2007-05-04 10:30 | インドぶらり旅
第82回旅行は、紅茶の名産地ダージリン
 インドの代名詞のように語られる、ダージリンティー。
 このブランド名は、勿論、産地の地名ダージリンから取ったものだ。

 ということで今回は、ダージリン。


世界的紅茶の名産地

 もともと、この辺りの地域はインドというより、ネパールなどヒマラヤ系やブータン・シッキムなどのチベット系の勢力がその版図をたびたび塗り替えていた場所だった。
 18世紀、ここダージリンはネパールのグルカ族に、隣の尾根にあるカリンポンはブータンの支配下になっていた。

 英国が東インド会社をインドに設立し支配力を強めると、その拠点であるコルカタに程近いダージリンは夏季の避暑地として機能するようになる。
 19世紀当時、ダージリンにあった僧院ドージェ・リンからDarjeelingの名を取り、英国風建築物を建て、斜面には紅茶を栽培していった。
 やがて、高地の涼しい気温・高い湿度とダージリンの土壌が上質の紅茶を産することが分かると、ダージリンティーは山岳鉄道(詳細後述)を使って、英国本土に持ち帰られ、大いに愛飲されるようになった。


シリグリからダージリンへ
e0074199_2051040.jpg 当初、22時00分コルカタ発の夜行列車でニュー・ジャイパイグリ駅まで行き(翌朝8時00分着)、そこからユネスコ世界文化遺産のダージリン・ヒマラヤ鉄道に8時間ほど乗って、ダージリンを目指そうと考えていたのだが、5月は折りしも観光シーズン真っ只中。
 コルカタからの夜行列車をキャンセル待ちしていたがキャンセルが出ず、コルカタで足止めを食うハメに・・・。
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 仕方無く同地で1泊し、翌朝のフライトでダージリン最寄の空港であるバグドグラ(Bagdogra)に飛んだ。
 同空港は、離発着する機の殆どが戦闘機という軍事色の強い空港で、民間機が戦闘機が離発着する間を申し訳無さそうに移動する。
 この空港からダージリンまでは、ジープタクシーをチャーターして直行もしくはシリグリ経由でダージリンを目指す・・・移動時間にして3時間くらい。
e0074199_2075323.jpg 尾根伝いに敷かれた山間道路をくれくれと車が登るのだが、すぐその脇をオモチャみたいな線路が走っている。
 幅わずか61cmのこの線路こそがダージリン・ヒマラヤ鉄道で、DNAの二重螺旋のように自動車道と幾度も交差しながらダージリンまで伸びていた。
e0074199_21544587.jpg 状況説明があとになったが、シリグリからチャーターしたジープは、乗客は私と旅仲間の会社同僚の2名と運転手1名・・・なのだが、運転手の奥さんと子供と友達らしき人も同乗しており、総勢6名と乗客よりも運転手の身内の方が多いという人数構成。
 そして、運転手の自宅が道中にあったので、ここで強制的に小休止を取る。
e0074199_20122991.jpg そして夕方頃、前方で汽笛の音が聞こえた。
 朝9時にニュー・ジャイパイグリ駅を出発した列車がまだこんなところに・・・。
 予定通り、この列車に乗って移動してたら、暇を持て余していたかも。




e0074199_21535116.jpg ダージリンに着いた頃には、とっぷり日も暮れていた。
 何はともあれ、無事ホテルにチェックイン。
 ホテルから外を見ると、派出所の近辺でなにやらもめていたが・・・なんだったのだろう?
e0074199_21591425.jpg ホテルから細い方の道を進むと、ちょっとした商店街が立ち並び、結構時間潰しになる。
 中でも、この骨董品屋は商品のセンスが良くすぐに気に入った。
 店名の示す通り、店主は隣の山のカリンポン出身だった。



e0074199_2224099.jpg ホテルの建物の1階部分にはチベット料理屋のデヴェカス(Devekas)。
 ここのトゥクパ(ラーメンみたいなもの)とモモ(ギョウザみたいなもの)が美味かった。



必見&必乗! ヒマラヤ鉄道!
 翌朝、早起きして行ったグーム近くのターガー・ヒルから御来光を拝むことが出来ず(詳しくはコチラ)、ホテルに戻って朝食。
e0074199_22374950.jpg この間、ホテルの人にこのようなチケットを手配してきてもらう。
 これが、前日の夕方見たダージリン・ヒマラヤ鉄道のジョイライド(Joyride)のチケット。
 ジョイライドとは、要は観光客用に8時間の長時間ではなく、ちょっとだけ鉄道を楽しんでもらおうというもの。
 区間はダージリン~グーム~ダージリンで約2時間、料金は240ルピー(約720円)/人。
e0074199_2242264.jpg 朝10時00分に出発するということで、ちょっと早めに駅に向かう。
e0074199_22443032.jpg 英国が作った鉄道だけあって、駅名の看板はイギリスの地下鉄の看板ソックリ。
e0074199_22524018.jpg 手動のターンテーブル(方向転換器)も、この列車の小ささならでは。



 駅のホームには、ちっちゃな客車が3台スタンバイ済。
 内装は結構立派。
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 甲高い汽笛音を響かせながら、蒸気機関車がホームに入線してきた。
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 午前10時過ぎ、定刻を少し遅れて4両編成の小さな列車がダージリン駅を出発。
e0074199_2259154.jpg 時速10kmにも満たないこの列車、脇の車にどんどん抜かれる。
 列車は、そんなことを御構い無しに、自分のペースでゆっくり走り続ける。
e0074199_231192.jpg あまりにゆくりなので、こんな風に前輪の様子を確かめながら機関士が併走する事だって出来る。


 10時45分頃、登り勾配をグルッと1周して小高い丘バタシア・ループ(Batasia Loop)に到着。
 ここで、カメラを持った沢山の観光客に出迎えられ、列車は5~10分ほど小休止。
 皆、列車を撮ったり、機関部分を覗き込んだりしていた。
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 この間、機関士たちは大忙し。
 なにせ齢100歳以上の機関なので、今の数十分の走行でジョイントというジョイントがゆるむらしく、そこらじゅうトンカチで矯正するのだ。
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 バタシア・ループを出発すると、列車はグーム市街地に入る。
 このあたりは、脇の住宅や店と線路の間隔が恐ろしく狭く・・・
e0074199_23125669.jpg こんな感じや・・・
e0074199_23131763.jpg こんな感じに、列車がスレスレを走り抜けていく。
 浅草の花やしきのジェットコースターみたいな雰囲気。



e0074199_23173838.jpg 11時過ぎ、列車は軽やかに汽笛を鳴らして、グーム駅に到着。
 このあと、列車は再びダージリンに戻るのだが、僕はここで待たせてあった車に乗込み、カリンポンに向かった。





チベット仏教僧院の数々
 土地柄、ダージリンにはチベット仏教(密教)の影響が色濃く残っており、僧院(ゴンパ)も数多く残っている。
 代表的なものを観て周った。

ドゥルック・ダンガク・ゴンパ(Druk Sangak Gompa)
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e0074199_22195482.jpg 歴史的に重要な、ということは無いのだが、1992年にダライ・ラマ(チベットの王様)が献納した巨大寺院。
 御覧の通り、アップでは全体が入らないくらいデカい。
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ブティア・ブスティ・ゴンパ(Bhutia Busty Gompa)
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e0074199_22241267.jpg 市街から少し北方にはずれた丘に建っているゴンパ。
 敷地入口から本堂まで、周囲を木に囲まれており、ちょっと見つけにくい。
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e0074199_22274628.jpg 周囲は完全な住宅街。
 住宅街といっても、丘にへばりつくように家が建ててあり、家々が密集しているという感じではない。
e0074199_22284942.jpg 下の側溝が下水道、その上部に心許無く通っているパイプが上水道と思われる。
 こんな細いんぢゃ、しょっちゅう水がつまったりするのだろう。




やはりこれを語らずには・・・
e0074199_23271285.jpg 最後になったが、紅茶畑のハッピーバレー(Happy Valley)。
 丘にびっしりと植わった茶とうっすらとかかった霧がなんとも情緒ある風景を生み出している。
e0074199_23275431.jpg ハッピーバレー・カフェでは、オバチャン(年齢を聞いたら還暦を超えていた、40そこそこにしか見えない)が美味い紅茶・緑茶を入れてくれる。
 なんでも名物オバチャンのようで、日本の芸能人もTV番組で何人かここでお茶を飲んだようである。




オススメ度(100%個人主観)

    ★★★★☆ ・・・ ここぞ真の避暑地♪

所要観光時間

    4時間
by bharat | 2007-05-03 10:30 | インドぶらり旅
第81回旅行は、西ベンガル北部の中継基地シリグリ
 西ベンガルの観光名所の1つとして、紅茶の産地ダージリンがある。
 山間にあるダージリンへの通行口として機能しているのが、ここシリグリだ。

街の様子
e0074199_2291644.jpg ちょっとした物流拠点になっているこの町には、至るとところにジープスタンドやバススタンドがある。
 オートリクシャーは、専ら市内の移動用だ。
e0074199_22105092.jpg また、ここは籐製品が特産品らしく、籐製の調度品や家具を扱う店が多い。



タシゴマン・ストゥーパ
e0074199_22124140.jpg 市内からちょっと東にはずれたところにある僧院。
 歴史的重みは感じないが、そこそこ大規模な造り。
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オススメ度(100%個人主観)

    ★☆☆☆☆ ・・・ 観光場所は殆ど無いが、ダージリンに行くジープを探すならココ

所要観光時間

    30分
by bharat | 2007-05-02 10:30 | インドぶらり旅
第80回旅行は、英国植民地時代の都コルカタ
 インド東部、ベンガル湾を臨む西ベンガル州の州都コルカタ。
 人口約1,300万人は、ムンバイ、デリーに次ぐ国内3番目の規模。
 商業の拠点ムンバイに政治の拠点デリー・・・インド第3の都市は如何なる特徴を持つ場所なのか・・・。

「古き良き・・・」か「旧態依然」か
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 このチンチン電車とアンバサダー(20世紀前半ばから製造され続けているインド国産車)だらけの街中の風景。
 つい先日私が撮ったものだが、数十年前にタイムスリップしたかのような錯覚すら覚えるノスタルジックさである。

 これは、この都市が英国の影響を強く受けた歴史に大きく起因している。
 欧州列強がこぞって植民政策を進めていた1530年、コルカタはポルトガルに占領された。
 以降、1690年に英国の東インド会社がこの土地を取得すると、街の機能を大きく発展させていった。街の名はカルカッタと呼ばれた。
 その後、英国がインドの植民政策を、東インド会社による間接統治から国の直轄に切替えると、1698年以降はコルカタは英国インドの首都となった。
 1912年、首都機能はデリーに移転したが、この間もコルカタは現在のバングラデシュを含むベンガル地方の州都として機能し、1947年のインド独立後も西ベンガル州の州都として機能し続けている。
 2000年前後からのインド各地の改称運動(英国によって付けられた都市名をインドの旧名に戻す動き)により、2001年に正式にカルカッタからコルカタに改称した。因みに、1995年にムンバイ(英国命名ボンベイ)が、1996年にチェンナイ(英国命名マドラス)が夫々改称している。 




 英国建築を色濃く受継ぐ歴史建造物をいくつか。

ヴィクトリア・メモリアル(Victoria Memorial)
e0074199_10433588.jpg 文字通り、英国のヴィクトリア女王の死去を偲んて建てられた記念館。
 当時、ヴィクトリアは英国領インド女王でもあったので、1906年当時の首都コルカタにこの館が建てられたというもの。
 1906年に着工し、完成したのは1921年。
 ウィリアム・エマーソン卿という著名な英国建築家の手によるもので、イタリア建築とムガル建築の要素をミックスした設計になっている。


タゴール・ハウス
e0074199_13113621.jpg この英国建築は、詩聖と言われたラヴィンドラナート・タゴール(Rabindranath Tagore)の生家。
 今は、ラヴィンドラ・バラティ大学の一部になっている。
 タゴール・・・なんとなぁく聞いたことのある名前だが、実は日本と大きな繋がりがある人物だ。
 1861年、コルカタの上流階級の家に生まれた彼は、17歳のときに英国に留学、詩の才能を大きく伸ばす。1901年に、コルカタ郊外に野外学校を設立するかたわら、詩作活動を行い、1909年に詩集『ギータンジャリ』を発表、原語はベンガル語だったが英訳されると世界から注目を浴びた。
 1913年に、アジア人として史上初のノーベル文学賞を受賞した。
 尚、インド国歌・バングラデシュ国歌の作詞・作曲は彼の手によるものだ。


e0074199_18321917.jpg タゴールは、当時西洋化に急速に傾倒する美術において、東洋美術の見直しを行っていた岡倉天心と親交をもった。
 きっかけは、岡倉天心が仏跡視察を目的として1902年インドに来たとき。彼は、ブッダガヤアジャンタエローラなどの仏跡を視察したが、この間10ヶ月ほど、タゴールの下に逗留している。
 その際、アジアの文化・歴史・平和などについて大いに語り合い、御互いに共感したという。
 すっかりインドを気に入った天心は、門下の横山大観らを現地見学のためにインドに派遣した。
 このときのベンガル美術との盛んな交流は、日本美術ベンガル派と呼ばれる流派を生んだほどだ。

 返礼とばかりに、タゴールはノーベル賞受賞後の1916年、訪日。
 上野で開かれた歓迎式典でタゴールは講演を行い、列席した大隈重信首相は感涙したという。

 その後、彼は数回日本を訪れたが、日本が東洋文化を捨て去って軍国主義に流れる様を批判しながら、1929年を最後に日本を地を踏むことは無かった。 



女神信仰発祥の地
e0074199_1655315.jpge0074199_166857.jpg 20世紀前後の英国風の街並みも特徴的だが、もう一つこの地域に特徴的なのが宗教だ。
 ヒンドゥー教の中でも、特にドゥルガー女神、カーリー女神を篤く信仰している地域なのだ。
 いずれも、シヴァ神の奥さんパールヴァティ女神の化身で、ドゥルガー女神は戦いの神、カーリーは更にそれを通り越して破壊・殺戮の神として崇拝されている。カーリーは、肌の色ドス黒く(もしくは青く)、破壊の神シヴァを足蹴にしている構図はなんとも迫力満点である。

 コルカタ市内・近郊で、カーリー女神はじめヒンドゥー教の寺院を数多く見ることが出来る。

カーリー寺院
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 1809年建立(前身はもっと昔からあったらしい)。
 寺院内は一切写真撮影禁止(画像は出店で買った写真をスキャンしたもの)。
 だが、一度行く価値はある。
 この寺院では、カーリー女神の怒りを鎮めるために、1日数回ヤギを生贄に捧げる儀式が行われるのだ。
 時間はマチマチだが、今回たまたま儀式に立ち会うことが出来た。

 鼓笛隊が太鼓を鳴らす中、一頭のヤギが引きづられて入場。
 断頭台に無理矢理首を固定されると、聞いたこともない鳴き声が響き渡る。
 「めぇー」ぢゃなくて「め゛゛え゛゛ーーーーー!」みたいな感じ。

 オッサンが、おもむろに年季の入った偃月刀を振りかぶり、首をドカッと一太刀で切落とす。
 首が転がり、自由になった胴体が血を出しながら、手足をバッタバッタと動かしまくる。

 これだけでも結構R指定な感じなのだが、ここからが更に凄い。
 断頭台近辺に流れ出た生き血めがけて、参拝者が駆け寄ってきて、素手で血を触りそれを有難そうに額に塗りたくるのだ!

 なんというか・・・奥が深いねぇ、ヒンドゥー教は。


ダクシネシュワル寺院
e0074199_16342836.jpg 別名、ニュー・カーリー寺院。
 ここもカーリー女神を祀っている。
 1847年建立。
 本堂の周りにはシヴァ神を祀る小さな祠が並んでおり、現人神であるラーマクリシュナも祀っている。


ビルラー寺院
e0074199_18472826.jpg ビルラー財閥が建てた寺院。
 ごく最近に出来たものと思われる。


パレシュナート(Pareshnath)寺院
e0074199_18495842.jpg これは、ジャイナ教の寺院。
 1867年の建立。
 ジャイナ教徒は、自らの生活を厳しく律する一方で、信仰の場となる寺院にはふんだんな贅を注入する。
e0074199_18515740.jpg 内部も銀や鏡を使い、キラキラ光っている。

ナコーダ・モスク(Nakhoda Mosque)
e0074199_2025366.jpg これは、イスラム教のモスク(礼拝所)。
 1926年の建立。
e0074199_18562780.jpg 敷地内は広く、1万人の礼拝者を収容出来るのだという。
 緑色の大きなドームと、高さ50mにもなる2つの尖塔が特徴的。


その他
 英国的な要素も、宗教的な要素も無いが、是非抑えておきたい場所を2つほど。

ハウラー(Howrah)橋
e0074199_1934270.jpg 1943年、コルカタを流れるフーグリ川に掛けられた橋。
 特筆すべきは、この外見。
 上部にやたら鉄骨を使っている。
 それもそのはず、水流に影響を及ぼすとの懸念から橋脚を立てることを避け、全長450mに亘って川には1本の橋脚も立っていないのだ・・・対岸同士で引っ張り合う構造から、橋梁上部が鉄骨だらけなのだ。


インド博物館
e0074199_19141885.jpg 殆どの都市の博物館が物足りないというインドにあって、デリーの博物館と並んで充実した展示物を誇るのが、この博物館。
 インド各地の遺跡発掘物などが豊富に並び、大いに関心を誘うが、なかでも面白いのがこの民族コーナー。
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e0074199_19161918.jpge0074199_19162958.jpg
 大きなインド地図の周りに、各地の民族の人形が。
 ジャンムー・カシミール州の人々の肌の色が白くて、分厚い衣服を纏っているのに反して、インド最南端のアンダマン・ニコバル諸島の人々の肌は真っ黒(インド大陸の茶褐色とも違う黒さ)で殆ど何も着ていない。
 よく「多様性のインド」というが、この展示がその全てを表している。



オススメ度(100%個人主観)

   ★★★☆☆ ・・・ インド4大都市で一番特徴のある都市では無かろうか

所要観光時間

   6~8時間 (渋滞が酷く、兎に角移動に時間が掛かる)
by bharat | 2007-05-01 10:30 | インドぶらり旅
第79回旅行は、歴史ある新興都市プネー
e0074199_733577.jpg ムンバイから南東に約150km、高速道路を使って丘陵を越えると、一際大きな高原都市が出現する。
 プネー(Pune)だ。


昔の激戦地は、今や一大産学都市
 ここプネーは、日本で言うところのつくば市のような都市だ。
 標高500mの丘陵特有の涼しい気候、インド最大の産業都市ムンバイから距離が近いことなどの要素があったので、大学や産業が数多く位置しており、都市全体が産学一体となって発展している。
 人口は約400万人で、インド全土のトップ10に入る多さ。

e0074199_7543151.jpg そんなこの都市には、今でも至るところに城壁が残っている。
 プネーは、17世紀に興ったマラーター王国の拠点だった。ムガル帝国が第5代シャー・ジャハーンの治世期にその影響力を弱めるや、南インドの諸勢力は抵抗を開始、その筆頭勢力がシヴァージー率いるマラーター族だった。彼は1599年にプネーの太守を努め、その後同地を本拠として勢力を拡大、1674年にはライガール(Raigarh)で正式に王を名乗った。
 その後、1680年にシヴァージーが没すると、第6代皇帝アウグランゼーブ率いるムガル帝国は南征を開始、この一帯はマラーターvsムガルの一大戦地となった。
 劣勢だったマラーター国は、この頃その実質支配者を王からバラモン階級宰相(ペーシュワー)に代え(この頃からマラーター同盟と名を変える)、ムガルのアウグランゼーブ帝の没後、勢力を盛り返しに掛かる。
e0074199_6354853.jpg 他方、アウグランゼーブ亡き後のムガル帝国は、諸侯の離反、ペルシャ・アフガン勢力に侵攻され、デリーも陥落する有様。ムガル帝国は、一部領土の譲渡を約束に、マラーター同盟に援軍を請うた。こうして、ムガル・マラーター連合vsアフガン勢力アフマド・シャーの戦いが1761年に起こった(パーニーパットの戦い)。
 結果は、ムガル・マラーター連合の大敗。その後、マラーター同盟は当時支配力を強めていた英国の傘下に入った。

 話が長くなったが、このような歴史の影響で、街中には今でもマラータ王国・同盟時代の要塞や城壁が残り、初代王のシヴァージーも今尚厚く信仰されているのだ。



歴史ある城塞・寺院が見どころ
 このような歴史のあるプネーは、宗教色と軍事色が織り交ざった街並みが特徴的。

シャニワール・ワーダー(Shaniwar Wada)
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e0074199_6363288.jpg 上に述べたペーシュワーの第2代バージー・ラーオが1736年に建てたもの。
 ヒンディー語で「土曜日の宮殿」という名だが、宮殿というよりは要塞の体を成している。
 城壁の前は広い庭園になっており、シヴァージーの像が立っている。


パールヴァティ・ヒル(Parvati Hill)
e0074199_6423038.jpg 市の南西のはずれの小高い丘。
 微妙な傾斜が疲れを倍増させる階段をひたすら登ると、寺院群が見えてくる。
e0074199_643448.jpg 中心のパールヴァティ寺院の入口で靴を脱いで門をくぐると・・・
e0074199_6453143.jpg 立派な本堂が目に入ってくる。
 建設は18世紀中頃と言われ、勿論パールヴァティ(シヴァ神の奥さん)
の名が示す通りヒンドゥー寺院なのだが、形状はどこかイスラム建築っぽい・・・ハイデラバードのチャールミナールに似ている。
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本尊の中には、パールヴァティもいるが、旦那のシヴァのリンガ(男根)の像もある。
 ・・・が、何故か顔が。
 なんぢゃこれは。
e0074199_65715.jpg 本堂脇の壁画には、シヴァ一家の絵があるのだが、シヴァの容貌が一般的な姿ではなく、マラーターの王シヴァージー似になっている。
 王の神格化ということか。


ダガダシェートガナパティ寺院(Dagadushethganapati Mandir)
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e0074199_772128.jpg 舌を噛みそうなくらい長い名前だが、要はガネーシャ寺院。
 全インド的に有名なガネーシャ寺院で、ガネーシャ祭りの頃には参拝者でゴッタ返すらしい。
e0074199_7122626.jpg カメラ禁止だが、本堂には巨大で純白のガネーシュ像が鎮座している。


ウィシュワスト・ダット寺院(Wishwast Datt Mandir)
e0074199_7154823.jpg 由緒ある寺院っぽいのだが、御覧の通り大改築の真っ最中だった。
e0074199_7165166.jpg 中の神様は、そのままだった・・・退避させずに改築しちゃうのだろうか・・・?


その他の寺院
e0074199_7184212.jpg この他にも、沢山のヒンドゥー寺院が街の中に実によく溶け込んでいる。
e0074199_72486.jpg そんな街の一角の金物屋の前で、店のオジサンが何やらカンカンと金物食器を叩いている・・・板金?
e0074199_726555.jpg !!・・・ヒンディー語を彫っていた。
 結婚祝いに、新郎新婦の名前・日にちを彫っているのだそうだ。
 日本でたまに貰う、引き出物みたいなものか・・・但し、これはあげるのではなく、自分達で使うもののようだが。


 
オススメ度(100%個人主観)

    ★★☆☆☆ ・・・ 観光地というより避暑地


観光所要時間

    約3時間
by bharat | 2007-01-15 10:30 | インドぶらり旅
第78回旅行は、避暑地ロナウラと周辺石窟群
e0074199_16104660.jpg インド西部のマハラシュトラ州。
 ムンバイから、プネーへ続く高速道路を車で流すと、ロナウラ(Lonavala)なる地名が出てくる。


避暑地として
e0074199_547231.jpg 人口数万人に過ぎないここロナウラは、ムンバイの避暑地として知られている。
 標高約700mは、年中程良い気温を与え、ムンバイ-プネーハイウェイ沿いには、リゾート施設が並ぶ。
 写真は、MTDCカルラリゾート。
e0074199_558739.jpg ここロナウラの名物は、チッキ(Chikki)という砂糖でナッツ等を固めた御菓子。
 そこら中に、土産屋がある。


カルラ石窟寺院
e0074199_6112942.jpg ロナウラから数km離れたところに、石窟寺院(群)が数箇所残っている。
 その1つがこのカルラ(Karla)石窟寺院だ。
e0074199_6134047.jpg ムンバイ-プネーハイウェイをムンバイからプネーに進んで、このゲートを左折。
 途中の駐車場に車を停めて、急な石段をひたすら登る。


 と、眼前に巨大な岩肌に人工的にくり貫いた構造物が出現する。
 向かって右側には、保存状態の良い寺院跡がある。
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e0074199_6454079.jpge0074199_6465686.jpg 入口の左右には、象とブッダの彫刻が彫られている。
 ブッダ本人が彫られているので、大乗仏教期に出来た寺院だと分かる。
 紀元前80年に造られたものとのこと。
 正面の彫刻の上部には、木製の馬蹄状の窓が残っている。
 灯り取りのために施されたもので、アジャンタ石窟寺院群にも類似したものがある。
e0074199_4573347.jpg 中は、奥行40m、高さ14m。
 最奥には、巨大なストゥーパ(仏塔)がある。
e0074199_4543874.jpg 周りの石柱を良く見ると、ストゥーパと並んでアショカ石柱(Ashok Pillar)が彫られている。
 アショカ石柱は、マウリヤ朝のアショカ国王が国章のライオンとともに法勅を刻んだもので、当時勢力下の地域に建てられた。
 だが、アショカ王は紀元前232年に没しており、この寺院の建設時期とはズレている・・・はて・・・?



バージャ石窟寺院群
e0074199_64918.jpg ムンバイ-プネーハイウェイをムンバイからプネーに進んで、今度は右折。
 中々開かない踏切を越え、小高い丘を登ると、バージャ(Bhaja)石窟寺院群にたどり着く。

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e0074199_6112515.jpg 中央に位置するこの寺院が第12窟と言われているが、周囲を見渡しても第1窟~第11窟がどれなのか分からない。
 構造は、先述のカルラ石窟寺院と似ているが、こちらの方が古く、紀元前2~3世紀に出来たものだという。
e0074199_6205377.jpg 大きな第12窟の他には、こんな場所が。
e0074199_6231114.jpg 無数のストゥーパが所狭しと置かれている。
 ・・・ここに仮置きした後、石窟に安置するためのものだっただろうか?
e0074199_6252531.jpg 見逃してしまいそうなくらい奥には、壁面に彫刻が施された石窟がある。
 このような彫刻が残っているのは、バージャではこの石窟だけ。

e0074199_6311927.jpg また、この石窟のある丘の更に向こうには、ヴィサプール城(Visapur Fort)とローハガード城(Lohagad Fort)が向かい合う丘に築かれている。
 かつて、ヒンドゥー教勢力とイスラム教勢力が対峙し激戦を繰り広げた歴史があると、地元民が言っていたが、いつの時代のことなのかは不明。


オススメ度(100%個人主観)

   ★★☆☆☆ ・・・ アジャンタ石窟寺院群に行く時間が無いヒトは良いかも

観光所要時間

   3~4時間
by bharat | 2006-11-18 10:30 | インドぶらり旅
第77回旅行は、インド第3の港カンドラ
 西をパキスタン、南西をアラビア海に接するグジャラート州。
 この州の港の1つが、今回訪れたカンドラ(Kandla)だ。

インド第3の港
e0074199_5515921.jpg ここカンドラは、バイザックチェンナイに次ぐ取扱量を誇る、インド第3位の港。
 因みに、第4位コルカタ(ハルディア)、第5位ムンバイと続く。

e0074199_5585470.jpg カンドラ港の主要な取扱品目は、石炭類。
 バイザック港は鉄鉱石、ハルディア・ムンバイはコンテナと、各港によって、取扱品目の割合が極端に異なっている。
 但し、勿論ここカンドラでも、コンテナや鉄鋼製品なども捌いている。


取扱量の詳細
2005年度の各港の取扱量(単位 千トン):
港湾名       輸入/輸出/接続          合計
バイザック     25495/25150/5156       55801
チェンナイ     27199/20049/0          47248
カンドラ       34780/10176/951        45907
ムンバイ      22684/11956/9773       44190
ハルディア    25005/14173/2           42216
JNPT         18444/15251/1957      37746
ニューマンガロール 16519/17932/0       34451
パラディープ    11424/1685/0           33109
モルムガオ      6074/25614/0           31688
ツチコリン     13374/3765/0           17139
コチン          10844/3094/0         13938
コルカタ       4131/2190/4485        10806
エノール        8631/537/0            9168

総計        227640/173443/22324      423407


オススメ度(100%個人主観)

   ★☆☆☆☆ ・・・ 港湾地区に入るには事前に許可が必要

観光所要時間

   1時間
by bharat | 2006-11-01 10:30 | インドぶらり旅