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第76回旅行は、藩王の旧都アルワール
e0074199_18571762.jpg デリーから、南南西に車で約4時間。
 藩王の王都として栄えたアルワール(Alwar)に到着する。

 アルワール王国は、1771年、から出たラージプートのタクール・プラタプ・シン(Thakur Pratap Singh)が建てた。同名の都をここアルワールに置き、18世紀のインドの軍事戦略上、非常に重要なポジションを担った。
 当時、インド内で、強大な勢力を誇っていたマラタ(Maratha)王朝と戦っていた英国は、このアルワール藩王国を防波堤と位置付け、同盟関係を維持して、様々なサポートを行った。
 このアルワールが皮切りとなってラージャスターンの多くの藩王たちが英国と同盟を結んだが、これらの関係はのちに、英国の成すがままにしか出来ないという不満から崩れてしまう。

 タクール・プラタプ・シンの後、バクタワール・シン(Bakhtawar Singh、治世1791~1815年)、バナイ・シン(Banai Singh、1815~1857年)と良くこの地を治め名君と言われたが、最も有名なのは、ジャイ・シン(Jai Singh)だ。彼は、1902~1932年までこの地を治めたが、過激な性格で(英国とのポロ試合で負けて、馬に火を付けたというエピソードが残っている)、最終的には英国により失脚させられた。

 インド独立の際、この地域は最後まで藩王(Maharaja)らが統一国家形成に難色を示して揉めたが、最終的にラージャスターン州に組込まれ、現在の形になった。


 デリーとジャイプールを繋ぐ大動脈、国道8号線からは随分と南に逸れるが、デリーから155km、ジャイプールから約143kmとほぼ中間地点。
 東西・南北に舗装道路の交流点に位置し、大きな電車の駅もあり(宮殿列車の記事に付記したFairy Queen Trainはデリーとこのアルワールを結ぶ蒸気機関車である)、人口はなんと30万人。



 ・・・でも、その前に。
 忘れそうになったが、市街地に入る前にこんなものがあった。

ジャイ・ヴィラス宮殿(Jay Vilas Palace)
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タタルプールからアルワール市街に向かう途中、遭遇したのが、この建物。
 今は、公共施設の建物として使用されており、観光客が入れるようにはなっていない。
 大通りからは城壁しか見えず、裏の細い路地に回らなければ全貌が見えてこない・・・見逃している人も多いのではないか。
 雨季直後に来れば、手前の沼地も綺麗な水面と化していたのだろう・・・ベストな時期は8月前後かな。



市街部
e0074199_1630997.jpg アルワール市街の様子は、観光地といった様子は全く無く、中規模の商業拠点といった様相。
 道幅も広く、交差点の中央には、時計塔や銅像などが建っていた。
e0074199_16303616.jpg 街からはずれたところにある丘を目指す。
 この丘に、ラージプートの城砦が今も残っているという。


宮殿と周辺施設
 そもそも丘の上の城砦を見に来たのだが、思いがけず広大な宮殿施設が広がっていた。

シティ・パレス
e0074199_19264010.jpg 手間の門をくぐると、いきなり中庭に出てくる。
 この施設は、1793年、バクタワール・シン藩王が建てたもの。
e0074199_1959305.jpg 屋根の腐食や装飾のはがれが見受けられるものの、建物の殆どは残存しており、保存状態は全然悪くない。
 おまけに、公共施設(観光事務所・博物館)として現在も現役で活躍中。

夏の宮殿とバクタワール・シン廟
e0074199_20304943.jpg シティ・パレスの中庭を抜けて、丘の方角を向くと、人造湖(サーガル)を取囲む建物が見えてくる。
 水色と黄色の鮮やかなコントラストが際立つ建物は、宮殿。
 過酷な夏をしのぐ夏の宮殿といったところか。
e0074199_20333515.jpg 向かって宮殿の左側には、丸いドームを持った建物。
 これは、一体の建物を建てたバクタワール・シンの廟だ。



城砦への遠く険しい道

序盤戦
e0074199_2036160.jpg 丘の上にかすかに見える城壁を頼りに、山登り開始。
 道は、一応石畳になっているので、迷子になる心配は無さそうだ。
e0074199_20372917.jpg 歩いてすぐ、道端のあばら家の前に佇むジイサン発見。
 「まだ上までは結構あるぞ。水でも飲んでいかんか?」と壷の水を薦めてくれたが、丁重に御断りした・・・こんなところで急性の下痢になったら、絶対野グ○だもんな。

城門その1
e0074199_20413363.jpg 20分ほど歩くと、城門が。
 日本の城郭と同様、こちらの城砦にも本丸・二の丸などの建築構造が見られる。
 恐らく、これは一番外側の城壁にある門と思われる。

中盤戦
e0074199_20442360.jpg 更に登ること30分。
 遠くに綺麗な城壁が見えてくる。
 ・・・あそこまで行くんか、遠いな。

城門その2
e0074199_20454432.jpg 歩き始めてから1時間弱。
 漸く、最後の城門をくぐる門を突破。
 こんなの、鎧を着込んで攻込んだら、敵に出くわす前に疲れ果てるだろうな。

山頂の寺院
e0074199_20503252.jpg 山頂には、ヒンドゥー寺院が。
 驚くことに、ポツポツ参拝者が。
 こんなところまで、みんな歩いてきたのかな?
 女性や子供もいるが・・・・


 ・・・・と驚いていると・・・・ん??道??
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 Noooooooo!!
 車でここまで来れたんぢゃ無いか!
 一気に疲れが出てきた・・・。

e0074199_20534729.jpge0074199_20535876.jpg こんな廃墟も。
 落書きする内容は、万国共通なのかしら・・・。


バラー・キラー
e0074199_2112738.jpg ヒンディー語で「大きな城砦」を意味するこの施設は、現在は丘全体の治安管理を行う無線基地として使われている。
 といっても、日本のアマチュア無線マニアが嘲笑するくらいの粗末な機材が並ぶ程度。
 職員も2名いたが、とてもヒマそうだった・・・詳細はナオミさんのブログ御参照


e0074199_2135774.jpg 建物が中庭を取囲むスタイルは、前述のシティ・パレスと極めて似ている。
 保存状態はあまり良くないが、気軽に中に入って高層階に昇れる。


 最上階から、丘の逆側を見ると・・・思いもよらぬ絶景が広がる。
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 中央の窪みが単なる扇状地なのか(にしても川は見当たらない)、クレーターのような外圧で出来たものなのかは不明だが、吸込まれるような感覚に陥る。



 ・・・絶景を楽しんだのも束の間、水分補給も出来ないまま、来た道を引返す。
 ふもとで、「バラー・キラー こちらから車で○○分」みたいな看板を出しておいて欲しいものだが・・・。


オススメ度(100%個人主観)

   ★★★☆☆ ・・・ ジャイプールニムラナと組合せると◎かも

観光所要時間

   4~5時間(全て車でまわれば2時間以上短縮可)
by bharat | 2006-10-08 10:30 | インドぶらり旅
第75回旅行は、後進的インドを垣間見れたタタルプール
e0074199_21595848.jpg 今回は、micchaさんナオミさん、Kさんと一緒に日帰り旅行。
 車でギリギリ行ける場所ということで、ラージャスターン州のアルワール(Alwar、詳細は後日更新予定)に行き先を定め、車を出発させた。

 タタルプール(Tatalpur)は、その道すがらに立ち寄った、小さな村だ。


一際目立つ城砦 タタルプール・フォート
e0074199_15204431.jpg 突然この村に立寄ろうと思ったのは、国道を南に進んでいる途中で、小高い丘に立つ立派な城砦が目に入ったからだ。
e0074199_15343743.jpg ふもとの集落を抜けて、城砦への道を登る。
 城壁は、花崗岩の片面を削って出来たもので、構造は粗い。
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 但し、城門は鉄製、内部の建物も煉瓦に漆喰。
 装飾は殆ど無く、軍事色が強い。
 地元民も何時建てられたか細かくは知らない様子だったが、恐らくここを支配下に治めていたアルワールの王様(ラージプート族)あるいはムガル帝国が16~18世紀に造ったものと思われる。


デリー近郊にも残存する旧来のインド
 この集落の文化レベルをちょっと分析。

 まず、道路インフラがしっかりしており、都市部との流通は問題無いと思われる。
 道端の噛みタバコ屋の商品も充実していた。

e0074199_15473877.jpg 自給自足経済でないせいか、比較的皆の服装も裕福そう。
 学校の生徒は制服を着用。
 地元民の普段着も、あまりボロくない。

 家の作りも良く出来ている。
 ドロ造りのものは殆ど見当たらず(アラハバード近郊のドロ住宅を御参照、煉瓦に漆喰、塗装も綺麗。
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e0074199_15481045.jpg 水も潤沢にあり(雨季からだいぶ時間が経過しているのも関わらず)、家畜の保持、農作にも遜色無い感じ。



 だが、驚いたのは、デリーから3時間、アルワールから2時間の立地なのに、とても閉鎖的・旧態依然的な文化だったことだ。

e0074199_1894312.jpg まず、女性が道端を歩く際、顔を見せない。
 サリーの布で顔を隠して歩いている。
 この写真のヒトがクムハール(壷作りカースト、中位~下位くらいのカースト)なのか、ただ家庭の壷を作っていたのかは不明だが、僕らがレンズを向けても、こちらを向くことも無く、顔も隠したままだった・・・積極的な都市部の女性とはかなり様子が違う。


 また、若者の態度も特徴的。
 中学生くらいの男子生徒たちが、我々を面白がって、一緒に丘の上まで付いてきたのだが、やたらと女性陣2名の体を触るのだ。
 こちらが怒ると、今度は少し距離を開けて投石を開始。

 このガイジン拒絶行動とも取れる行動。
 恐らくは、狭い集落社会の中で抑制された性的衝動が、部外者に対して出ているものと思われる。
 集落の中で、男子が女子にセクハラ行為をしようものなら、汚らわしいとして、村八分にされてしまうが、フラッと立寄った部外者になら何をしても村長から罰せられることもあるまい・・・そんな心理なのかも知れない。

 インドには、未だに強烈なムラ社会意識が残っている。
 行政村(行政的に線引きされた村で、選挙の際等はこれが基準となる)・自然村(前者とは全く関係なく、カーストや部族等で歴史的に固まっている集落で、行政とは何の関係も無い)なんていう概念があるのも、その顕著な例だ。


 帰り際、年配のおじさんに、「アイツラ、僕らにこんなふしだらな行為をしてたぞ。」と言ったら、「そうですか、すいません・・・なにぶんガイジンが来るのなんて殆ど初めてなモンデ」と困り顔で話していた。


 ガイジンがインドに上手く浸透していくには、まだまだ時間が必要ということか・・・。
by bharat | 2006-10-07 10:30 | インドぶらり旅
第74回旅行は、ラーマ神ゆかりの地ラームテーク
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 ナグプールから北に40km、小高い丘にヒッソリと残る寺院群がある。
 ラームテーク(Ramtek)だ。


ヒンドゥー神話ゆかりの地
 人口2万人、標高345mのこの小さな村は、ヒンドゥー教徒にとっては、意味のある場所だ。
 神話『ラーマーヤナ』で、ラーマ王子が聖仙アガスティヤ(関連記事こちら)を訪れるくだりで、ラーマは伴侶シータとともにこの丘で一時期を過ごしたとされている。
 ラーマの丘を意味するRamgiriが、のちに現在の地名Ramtekとなった。

古寺院&絶景
e0074199_694763.jpge0074199_69588.jpg 大小27もあると言われるこの丘のヒンドゥー寺院は、14~15世紀に建てられたもの。
 丘を登ってまず目にする木製の城門も、ボロボロになっていた。

ラクシャマン・スワミ寺院
e0074199_613530.jpg 複数の御堂が内部で繋がっている建築様式。
 砲弾状の尖塔シカラを最奥部に持つこの複合建築は、中世のヒンドゥー建築に特徴的で、特に東~中央インドに数多く残っている。中でもプリーのジャガンナート寺院が代表格だ。

プラバラームチャンドラ・スワミ寺院
e0074199_617596.jpg これも、ラクシュマン・スワミ寺院と同様の建築様式。
 奥には、展望台の様な空間があり、下の景色を一望できる(本記事一番最初の画像がそれ)。
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 また、城門方向を見ると、全ての寺院を視界に入れることが出来、迫力がある。

ヴァラハ
e0074199_6244690.jpg ラーマ神がヴィシュヌ神第1化身なら、こちらのイノシシは第5化身。
 化身兄弟ということで、祀られているようだ。


アンバラ湖(Ambala Tank)
 丘のふもとの降りると見えてくる、人造湖。
 湖畔に小振りなヒンドゥー寺院が複数立ち並ぶ、とても雰囲気の良い集落だ。
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e0074199_6311990.jpg 一部水没している寺院もあったが、乾季には水がひいて使用可能な状態になるのだろう。
e0074199_631439.jpg 面白いことに、ここの寺院は、殆どがシヴァ神を祀っている。
 写真は、シヴァ神の乗物ナンディ像。

e0074199_6325126.jpg 当日は、ヒンドゥー教の祭日だったので、集落は実にノンビリした感じ。
 リクシャーを洗う人や・・・
e0074199_634128.jpg 車を洗う人たちが結構いた。



オススメ度(100%個人主観)

   ★★★☆☆ ・・・ 情緒溢れる集落の雰囲気は、期待以上

観光所要時間

   1時間30分
by bharat | 2006-10-03 10:30 | インドぶらり旅
第73回旅行は、新仏教の総本山ナグプール
 デリーから、空路で真南に約1時間半。
 「インドのヘソ」のナグプール(Nagpur、ナーグプルとも)に到着。

ネオ・ブッディズム発祥の地
e0074199_5413362.jpg 空港に降立つと、見えてくる空港名「Dr. Ambedkar International Airport」。
 不可触選民の出でありながら、インド初代法相となり、インド憲法にカースト制度廃止を明記させた不屈の政治家アンベードカルの名を採っている(彼の功績についてはラクナウ旅行記で詳しく書いたので御参照)。
 空港内の内装も、彼の絵や彼が推進した仏教のモチーフが描かれており、インドの他の空港とは一風違った雰囲気を醸し出している。


e0074199_615725.jpg ナグプールは、英国植民地時代の中央州の州都が置かれていた場所。
 今でも、当時の柱が市街地にポツンと立っている。

だが、この都市が今特別なポジションにあるのは、1956年以降だ。
 上述のアンベードカルが、カースト制による身分差別からの解放を目指して、1956年、同志30万人とともにこの地で集団改宗を行ったのだ。
 因みに彼は、その直後、同年12月6日に没した。

 その後、仏教に対する彼独自の解釈は、インドにおける新仏教思想(ネオ・ブッディズム)と位置付けられ、時に昔ながらの仏教から非難を浴びる局面もあったが、現在、インドにおける仏教の復活はアンベートカルによる功績が非常に大きい。

 また、彼の死後、インド仏教の先頭に立っている指導者が、日本人僧であることはあまり知られていない。
 佐々井秀嶺というその僧は、日本仏教団体の仕事でインドに来たのが縁で、以来、低カースト者の救済を目的としてインドで活動を展開。
 インド政府もその活動を高く評価し、1988年には、極めて異例とも言える、時の首相ラジーブ・ガンジーからインド国籍とインド名アーリヤ・ナーガルジュナを与えられた。

e0074199_6383312.jpg ナグプールは、そんなインド仏教の本拠地なのである。
 街中の車・オートリクシャー・自転車などは、みな仏教旗をつけて、仏教一色といった雰囲気だ。



そこかしこで仏教式典が・・・
 今年が、アンベードカル没後50周年、そして佛紀2550年(ブッダ生誕年を元年として、今年が2550年目)にあたるため、10月2日の祝日(ガンディー誕生日)を利用して、様々な仏教式典が開催されていた。
 以下は、そのいくつか。

ディークシャ・ブーミ(Deeksha Bhumi)
 ここは、アンベードカルが集団改宗を行った場所。
 巨大な仏塔(ストゥーパ)が目印の公園だ。

e0074199_6475423.jpg ここの式典がインド中で一番盛大だったと思われる。
 来場者は、一部報道では数百万人とも。
 とにかく、凄い人手・・・なかなか仏塔に近づけない。
e0074199_6495545.jpg 漸く敷地内に入ると、仏塔の脇には、アンベードカルとブッダの像が並んで鎮座している。
e0074199_6512497.jpg 仏塔の中に入ると、様々な写真が展示されており、中央部には仏像が。


龍宮寺(Dragon Palace Temple)
e0074199_5154821.jpg Dragon Palace Templeと聞いて余り要領を得ず、何となく立寄ったが、かなりの盛況。
 本堂の脇には大きな石柱に「妙海山 龍宮寺」・・・あ、それでこの英訳なのね。
e0074199_52344.jpg 本堂には、立派な仏像。


菩薩大寺(Mahavihara)
e0074199_512884.jpge0074199_51474.jpg 道端に、看板で漢字で「菩薩大寺」。
 表のシュールな出来栄えの仏陀立像には、真言宗智山派大本山が寄進したとの掲示が。

ナガロカ(Nagaloka)
e0074199_526095.jpg 敷地内に、公園・大学寮などが建つこの場所には、珍しいイスに座った仏陀坐像とその下にアンベードカルの写真が。


勿論ヒンドゥー寺院もある
 ナグプールに多くの仏教徒がいるとはいえ、やはりマジョリティはヒンドゥー教徒。
 ヒンドゥー寺院もたくさんある。
モティバーグ・スリスカンダ・サマジ(Motibagh Sri Skanda Samaj)
e0074199_5373411.jpge0074199_538660.jpg 白とターコイスグリーンの2色の綺麗な配色の寺院群。
 入口には、南インド特有の建築様式ゴープラム(塔門)、内部には小さな本堂が並び、3階建ての大きな礼拝堂がある。

ラームダーム(Ram Dham)
 ラーム神の名前が付いているが、ヒンドゥー神ほぼ総出演のテーマパーク。

e0074199_6241157.jpg ラーム神の冒険譚「ラーマヤナ」を内壁画や人形で表したトンネル。
e0074199_6244453.jpg 出来栄えは、かなりシュール・・・。


e0074199_6292430.jpg これは、シヴァ神の棲むカイラーサ山を象ったもので、中に入れる。
e0074199_6304434.jpg 中には、インド各地の寺院のシヴァ寺院のリンガ(男根)の模型が展示されている。


e0074199_6335549.jpg これは、ちょっと珍しい像。
 普通のガネーシュ像に見えるが、裏を見ると・・・
e0074199_634458.jpg ヤクシャが彫られている。
 ヤクシャは、インド神話に登場する豊穣を司る大地母神で、元々は山の精霊という位置付けだった。
 日本では、夜叉の名で登場する。



 ・・・冒頭にも記したが、2006年が、アンベードカル没後50周年&佛紀2550年にあたる年ということで、インド仏教の盛上がりを体感することが出来た。
 唯一、日本人仏教指導者の佐々井上人を見ることが出来なかったのが残念だったな。


オススメ度(100%個人主観)

   ★★★★☆ ・・・ インドの新仏教を体感

観光所要時間

   5時間 (祭りが無ければ2~3時間で周れる)
by bharat | 2006-10-02 10:30 | インドぶらり旅
第72回旅行は、知る人ぞ知る城砦の町ニムラナ
 デリーから南東約110km、国道8号線をジャイプール方面に進む。
 ハリヤナ(Haryana)州からラージャスターン(Rajasthan)州に入ってすぐ、右側にこんもりした丘が見えてくる。
 ニムラナ(Nimurana、Neemranaとも)だ。


工業促進の急先鋒
e0074199_693030.jpg デリーの急速な発展に伴って、近郊地域も発展している。その代表格は、デリーの東ウッタル・プラデーシュ州のノイダ(Noida)や西のハリヤナ州のグルガオン(Gurgaon)、マネサール(Manesar)だが、更にその先に位置するこのニムラナも、最近工業化に名乗りを挙げている。
 JETRO(日本貿易振興機構)も、RIICO(Rajasthan state Industrial Development & Investment Corporation Ltd.)と協業して、この地の工業化を進めようとしている。

要塞宮殿ニムラナ
 最近の工業化も、地元の景観を損ねる程ではない。
 丘陵地のふもとには、今ものんびりとした村落があり、動物と村民が渾然一体となって質素な生活をしている。
e0074199_6464033.jpg と、丘陵の中腹に、一際目立つ要塞が。
 この要塞、その名もNeemrana(Nimurana)要塞。
 1464年に建てられた。
 建てたのは、チャウハン(Chauhan)家で、彼らは元々デリー一帯を守るヒンドゥー教の王だったが、プリスヴィラージ・チャウハン(Prithviraj Chauhan)が1192年にイスラム教系の王マフマド・ゴーリ(Mahmud Ghauri)に敗れると、デリーを離れてこのニムラナに落ち延びていた。
 全くの余談だが、この歴史上の出来事にちなんで、インド・パキスタンのミサイルの名が付けられている。インドが1997年、プリトヴィ(Prithvi、大地)と呼ばれる短距離ミサイルをパキスタン国境近くに配備した際、これに対抗してパキスタンはGhauriなるミサイルを配備した。インドのPrithvi(Prithviraj Chauhan)にかけてこれを破ったMuhammad Ghauriの名をつけたのだ。


 その後インド独立後、この要塞(というか宮殿というか)の持ち主のマハラジャ ラジンデル・シン(Rajinder Singh)は、借金対策の一環で宮殿を手放したが、約40年放置されていた。
 復旧作業が始まったのは、1986年(左下が作業前、右下が最近の様子)。
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e0074199_4494133.jpg 要塞へは、ふもとの集落から狭い道を登っていく。
 この入口の標識を見逃さないように。
e0074199_551941.jpg 車で石を埋め込んだ隘路をガタガタと進んでいくと、入口が見えてくる。
e0074199_5542814.jpg 入口を入ると、立派な土産屋さんがある。
e0074199_564780.jpg 店では、地元産のジャム、絵葉書、食器、文房具などを売っている。


e0074199_583619.jpg この要塞、ホテルとして営業中なのだが、まだまだ完全復旧はしていない。
 ロバを使って、資材を搬入し・・・
e0074199_592075.jpg 壁などを地道に修復していた。

e0074199_5112468.jpg 写真の様に、建物も壁を修復した部分と、まだ未修復の分があり、色が違う。



宮殿ホテル ニムラナ
 1991年、かろうじて使用可能だった15室を活用して、ホテル事業が開始された。
 現在は、間取りや内装の異なる46室が宿泊用に使われている。
スイートタイプ(部屋名:グジャラート・マハル)
e0074199_517750.jpg 間取りは狭いが、綺麗なつくりのグジャラート・マハル(Gujaratの間)。
 部屋の中心に、ダブルベッドが1つ。
 その周りに調度品が上品に配されている。
 宿泊費は、3,500ルピー(約9,100円)。
e0074199_5193923.jpg バスルームは、昔の間取りを踏襲しながらも、清潔に仕上げている。
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デラックス・スイートタイプ(部屋名:シーシュ・マハル)
e0074199_5263676.jpg 部屋が広くなるが、内装はちょっと古め。
 ベッドは、ダブルサイズとシングルベッドが1つずつ。
e0074199_5274225.jpg 宿泊費は8,000ルピー(約20,800円)と、ちと高め。


プール
e0074199_5341761.jpge0074199_5343980.jpg 建物群の上の方には、公共スペースがかたまっている。
 これは、プール(とそこに置いてあった置物のゾウ)。
 水浴び・日光浴には十分な大きさ。

健康施設
e0074199_5375585.jpge0074199_538829.jpg プールの近くには、こんな施設も。
 アユルヴェーダ・マッサージ(インド式オイルマッサージ)に、スチームバス、・・・
e0074199_540574.jpge0074199_5401795.jpg サウナやヨガ教室まで。
 全て使いこなせば、随分とリラックス出来そうだなぁ。
 因みに、ヨガ教室は7日間で13,450ルピー(約35,000円)、マッサージ等は1回400~1,600ルピー(約1,000~4,200円)。
 僕は、この方面に詳しくないのだが、相場価格なのだろうか・・・?

レストラン
e0074199_5471896.jpg これも、プールの近くにある。
 宿泊客でなくても、食べられる。
 昼は12:30からオープン、バイキング形式で、600ルピー(約1,600円)。
 味はまぁまぁだった♪




 ・・・ラージャスターンと聞くと、デリーから結構遠い印象を受けるが、ここなら充分日帰りで行ける。都会に毒されてない雰囲気が良い感じだ。


オススメ度(100%個人主観)

   ★★★★☆ ・・・ 都会の行き届いたホテルと違った雰囲気が◎。

観光所要時間

   1~2時間
by bharat | 2006-09-16 20:50 | インドぶらり旅
史跡の保存・復興・管理

 インドを旅していて、ふと思ったことがある。

   「史跡って、誰がどうやって保存しているのだろうか?」



 ちょっと調べてみたら、どうやらインド全土でASIなる機関が統一的に活動しているらしい。
 ASIはArchaeological Survey of India、考古学調査研究所。
 インド政府管下の政府系組織で、観光文化省(Ministry of Tourism and Culture)の文化局(Department of Culture)に属している。
 主たる活動は、遺跡発掘および保存、これに係るノウハウの蓄積・教育、書籍発行など。
 その歴史はウィリアム・ジョーンズ卿が1784年にコルカタで古物収集家の集団Asiatic Societyを組織したのが前身だと言われる。この集団が、19世紀始めにタージ・マハルファテープル・シークリなどは、この頃からちょこちょこ修復されていたようだ。

 画像は、修復保存作業のBeforeとAfter。

 こんなボロい建物が・・・
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 こんなに綺麗に復活!!
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 ただ、全部の建物がこのようなリフォームをされるとは限らない・・・というより、そうでない場合が圧倒的に多いのでは、と思う。

 別に、懐古主義ではないが、何千年という歴史を持つ国は世界中にそう存在しない・・・ASIにはもっと頑張ってもらって、インドの史跡の保存をジャンジャンやっていって欲しい。
by bharat | 2006-09-16 10:45 | インドぶらり旅
第71回旅行は、蒼い海・にび色の港 バイザック
 アーンドラ・プラデシュ(Andhara Pradesh)州の海岸線沿い、オリッサ(Orissa)州境に程近いところにある、港湾都市バイザック(Vizag)。
 正式名称は、ヴィサカパトナム(Visakhapatnam)と舌を噛みそうだが、バイザックの方が地元でも通っているので、タイトルは通称で記した。

一大工業都市
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 ベンガル湾沿いにビーチが続くバイザックだが、実はインド有数の工業都市である。
 ムンバイに続くインド第2の貨物取扱いを誇る港湾、インド最大の造船所があり、その他重工業も盛ん。
 軍港としても有名。

ヒンドゥーゆかりの地として(ヒンドゥー寺院)
 インド名ヴィサカパトナムの、ヴィサカはヒンドゥー神の1人。
 ここは、マウリヤ朝やヴィジャヤナガル朝(都はハンピに置かれた)などの大国の支配下にあった。
 その影響か、この都市には、ヒンドゥー寺院・建築が数多く残っている。

シヴァ・カーリー御夫妻寺院
e0074199_4484680.jpg 海辺にある寺院。
 左がカーリー女神、右がシヴァ神を祀っている。
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 この2人、夫婦なのだが、カーリーは、パールバティがキレたときのバージョン。
 シヴァ神は破壊(と再生)の神として結構暴力的なのだが、カーリー女神はそのシヴァを踏んづけて、魔神の大量殺戮を繰り広げているのである。
 特に、彼女はコルカタとその周辺地域で圧倒的な支持を受け、独自の信仰文化を形成している。

カイラーサギリ(Kailasagiri)
e0074199_717769.jpg バイザック北の小高い丘にある公園。
 場所名は、文字通りカイラーサの丘・・・カイラーサはシヴァ神の住処。
 シヴァとその妻パールヴァティの大きな石像が見どころ。
e0074199_403062.jpg この丘には車で行けるほか、リフトでも行ける。
e0074199_411352.jpg 公園には、石像の他に灯台みたいな建物も。

ラーマクリシュナ寺院(Ramakrishna Mission)
e0074199_4202165.jpg 海辺のシヴァ・カーリー寺院のところから、少し丘を登るとある、新しい寺院。
e0074199_4205834.jpg 中に入ると、朝の御参りの最中だった。

ウトゥカル・サンスクルティカ・サマジ(Utkal Sanskrutika Samaj)寺院
e0074199_585163.jpg 別名ジャガンナート寺院。
 オリッサ州プリーにある世界遺産指定のジャガンナート寺院を真似て作られたから、こう呼ばれる。
 3つの建物が連なる構造が特徴的。
 因みに、プリーの建物の方がずっと大きい。
e0074199_5244496.jpg 寺の細部はオリジナルとは異なっている。
 とてもかわいい仕上がり。

シマーチャラム(Simhachalam)
e0074199_5455414.jpg バイザック市街から約16km離れたところにある大きな寺院。
 標高数百メートルの山を車で一気に登ると、参拝者でごった返す集落が。
e0074199_632559.jpg 中に入るには、数時間かかりそうだったので、パス。外観のみ確認・・・南インド恒例のゴープラム(塔門)様式で、門の中央には、大きくヴィシュヌ派を示すV字のマークが。
 寺院の向かい側の一角には、祭りのときに使用する神輿が格納されていた・・・祭りっていつやるんだろうか?
 ディワリ(インド正月、今年は10月21日)のときかなぁ?
参拝者に交じって、乞食やらモノ売りやらも沢山いたのだが、こんなヒトも。
 全身銀色に塗って、写真を撮らせて御布施を貰うのが生業らしい。
 ガンディーに見えるのは気のせい??

シマーチャラム周辺も楽しい
e0074199_6212795.jpg シマーチャラム寺院の丘から見下ろすと・・・何あれ?
e0074199_623465.jpg 近寄ると、こんなファンキーな門の家が。
 なんと、個人宅らしい。
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また、丘のふもとには、立派なハヌマーン像が。


ポラマンバ(Polamamba)寺院
e0074199_6341625.jpg 比較的新しい寺院。
 寺院の名前にもなっているポラマンバは、地場の女神。


仏教遺跡
 バイザック市街を離れると、仏教遺跡が点在している。
 今回はそのうちの1箇所を観た。
トトゥラコンダ(Thotla Konda)
e0074199_6481027.jpg バイザックの北16kmに位置する。
 丘のふもとの入口の門で、通行料(10ルピー≒26円だったかな?)を払って、丘を登っていく。
e0074199_6493117.jpg 遺跡は柵で囲まれているのだが、入口がとても分りにくい。
 入ると、全景はこんな感じ。
 紀元前2世紀~紀元後2世紀にかけて建てられた。
e0074199_6524725.jpg 地名トトゥラコンダは、現地語で「溜池の丘」を意味する。
 標高130mの丘に建てられた寺院群で修行する仏教僧の生活のために、作られた石製の貯水タンクから地名がついたというわけだ。
e0074199_6594954.jpge0074199_701164.jpg このあたりは小乗仏教が信仰されていたため、礼拝堂あるいは説法所とされる建物跡にも仏像は無い。
e0074199_721290.jpge0074199_722947.jpg 周辺には、僧たちの宿坊があり、そこら中に転がっている石には大昔の文字が彫られている・・・経文とかかな?
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遺跡の外には、明らかに後付けと思われる仏像が安置されている・・・こんなもの無い方がいいんじゃ?とてもウソくさい。


その他
e0074199_763580.jpg 海辺の道沿いには、築100年余りと言う、クルパム廟(Kurupam Tomb)。
 時の王様が亡くなった王妃のために建てたもの。

e0074199_792110.jpg これまた、海沿いにある建物・・・というか物体。
 現役を退いた潜水艦がズ~ンと置いてある。
 ちっちゃい博物館になっている。



オススメ度(100%個人主観)
 
   ★★★☆☆ ・・・ どの本にも詳しく紹介されていないが、なかなかですよ(※)。


(※)後日、ここがナクサライト(こちら参照)の活動拠点であることを知った。大量のロケット弾が押収されると言うキナ臭い事件が9月中旬に発生。皆さん、充分注意して観光しましょう。



観光所要時間

   5~6時間



by bharat | 2006-09-10 10:30 | インドぶらり旅
第70回旅行は、ムンバイ沖に浮かぶ島 エレファンタ
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ムンバイ(ボンベイ)
の半島の東約10km、海上に浮かぶ小さな島がエレファンタ。8平方kmのこの小さな島には、1,600人が暮らしている。


時間が勿体無いぞ・・・
e0074199_616276.jpg 島なので、アクセスは当然船。
 ムンバイのインド門の船着場から、定期船が出ている。
 時間は1時間おきで、朝イチの船は9時。

 ・・・の予定だが、30分以上遅れて漸く出発。
 島には、狭い湾内の波に揺られながら、1時間。



ヒンドゥー石窟寺院
e0074199_410181.jpge0074199_4104114.jpg 島に降りると、長い桟橋状の足場をひたすら歩く。
 4ルピー(約10円)で、トロッコ列車に乗れるが、歩くのと殆ど同じ速度。

e0074199_4202124.jpg 露店が並ぶ石段を100~150段くらい登っていく。
 チケット売場で例によって不公平なガイジン料金250ルピー(約650円)を払う・・・因みにインド人なら10ルピー(約26円)だ。

 いきなり見えてくるのが、第1寺院。
e0074199_4272599.jpg シヴァ神を祀るこの寺院には、壁の至るところにシヴァの巨大な彫刻が。
 その作風は、アジャンタエローラの石窟にクリソツ。
 ・・・保存程度でいくと、エレファンタ島の方が悪い。
 本堂奥には、3つの顔を持つシヴァ「マヘーシュ・ムルティ(Mahesh Murti)」。
e0074199_4372141.jpg 寺院中央には、リンガが祀られている。


e0074199_4403058.jpg 第1寺院の脇にも、小さな寺院があるが、別にたいした事は無い。


近代兵器がなぜここに・・・?
e0074199_4434622.jpg 第1寺院付近にある喫茶店では、犬と猿が休憩中。
e0074199_51666.jpgその喫茶店の脇の石段を進むと・・・「Canon Hill」?
e0074199_4483851.jpg ここから結構歩くが、丘をどんどん進んでいくと、こんなものが。
 随分と近代的に見えるが、最近のものなのか?



 ・・・以上、アッという間に見終えてしまった・・・。
 でも、帰り便が12時発なので、待ちぼうけ。
 おまけに、潮の流れで2時間も海上をフラフラしてた。


オススメ度(100%個人主観)

   ★☆☆☆☆ ・・・ これで世界遺産?という物足りなさ

観光所要時間

   5時間 (船の時間の関係で仕方ない)
by bharat | 2006-08-20 10:30 | インドぶらり旅
第69回旅行は、インド最大の都市ムンバイ
e0074199_6164829.jpg 今まで、実はビジネス目的以外で行ったことが無かったムンバイ。
 今回、半日かけてじっくり周ってきた。


ムンバイの歴史
e0074199_543469.jpge0074199_551731.jpg ムンバイは、元々今の様な地形ではなかった。
 16世紀までは、7つの小さな島で構成される漁村の集落群だった(左の地図の通り)。
 1534年に、この一帯はグジャラートのスルタン(奴隷王朝)から当時積極的な植民政策を採っていた欧州列強の1つポルトガルの手に渡る。ポルトガルは、当時一大貿易港になっていたゴアの補助港として、このムンバイを活用しようとした。ただまだこの頃は、小さな要塞や教会を建てた程度だったという。
 尚、ムンバイ(ボンベイ)の地名の由来は、漁民の信仰していた女神ムンバに由来するとも、ポルトガル語の「良き湾」に由来するとも言われている。
 その後、1661年、ポルトガル王の妹カテリーナとイギリス国王チャールズⅡ世の婚儀に際し、ムンバイは持参材として英国に割譲された。
 1668年には、英国政府から東インド会社に貸与された。東インド会社管轄下のこの時代に、ムンバイは大きく都市機能を発展させる。17世紀の宗教政策等により、ゾロアスター(拝火)教
教徒やグジャラート商人が流入、商館や病院、工場なども増えていった。
 19世紀に入ると、7つの離れた島を繋いで1つの大きな半島にするという大規模な埋立工事が実施された(右の地図のようになった)。こののち、ムンバイは湿地や入り江の多いグジャラート地方の産物の積出港、内陸部デカン高原からの産物の積出港として多いに発展していく。
 現在、人口は1,500万とも1,600万とも言われ、デリーを差置いてインドの最大都市である。



欧州建築の数々

 ムンバイには、ポルトガル・英国の中世建築様式を踏襲した立派な建物がたくさん残っている。

ヴィクトリア・ターミナス(Victoria Terminus)駅
e0074199_0471640.jpg 現在は、インド名チャトラパティ・シヴァジー・ターミナス(Chhatrapati Shivaji Terminus)の名で呼ばれる駅舎。
 現在も、ちゃんと駅舎として使われている。
e0074199_134598.jpg ヴィクトリア・ゴシック建築様式のこの建物は、1888年、建築家フレドリック・ウィリアム・スティーブンス(1848~1900)によってデザインされ、学生や職人たちの協力を得て完成した。
 レンガの重厚な外観、内部には木製の柱、至るところに見られる細かなステンドガラスは、とても上品な雰囲気。
 建物だけじっと見てると、英国にいるような雰囲気になる。
e0074199_116545.jpg 現在、毎日1,000本の列車と200万人の乗客が出入りするこの駅舎は、2004年、ユネスコ世界遺産に指定された。

行政庁舎
e0074199_1455325.jpg 駅舎と同様、フレドリック・ウィリアム・スティーブンスにより1893年に建立。縦に長い構造で、全高約80m。

プリンス・オブ・ウェールズ(Prince of Wales)博物館
e0074199_1351447.jpg スコットランド人建築家ジョージ・ウィテットによって1905年~1937年という歳月をかけて完成した。
 今回は、時間が無かったので外見のみ。中は、3世紀~19世紀の彫刻など、バラエティに富んだ展示物があるという。

インド門(Gateway of India)
e0074199_1514679.jpg プリンス・オブ・ウェールズ博物館同様、ジョージ・ウィテットの手によって1924年に建てられた。
 1911年の英国王ジョージⅤ世とメアリー王妃のインド訪問を記念して作られたのだが、訪問時には完成が間に合わなかった。
 英国の威信を示したこの門は、奇しくもインド独立の際の英国軍の撤退路となる。
 尚、この門の脇から、エレファンタ島への定期船が出ている。

タージ・マハル・ホテル(Taj Mahal Hotel)
e0074199_2101392.jpge0074199_2102938.jpg 1903年に建てられた。
 現在、インド最大の財閥タタの創始者であるゾロアスター教の事業家ジャムシェドジー・タタ(Jamshedji Tata)は、「白人しか入れない」としてワトソンズホテル(今はもう無い)で門前払いを食ったことに怒り悔しがり、英国人の経営するホテルを遥かに凌ぐ巨大ホテルを建設した。
 現在は、隣に背の高い新館もあるが、本館は今も現役。
 四隅の塔がインド建築(ハイデラバード(Hyderabad)のチャルミナールみたい)なのに、真ん中のドームはツルツルぢゃない(欧州建築?)。欧州建築を模倣しながらも、インド建築の主張も入っている、興味深いデザインだ。


由緒正しき会員制の施設
 ここムンバイには、英国統治時代の歴史ある施設が、今も使用されている。
 その殆どは、伝統を重んじ、会員制を採っている。

e0074199_2361795.jpg ロイヤル・ボンベイ・ヨットクラブ(RBYC)は、1846年に出来た団体で、創立実に160年。
 会員制を敷いており、会員とそのお客さんしか入れない。
e0074199_2395947.jpg 当時、こんな感じだった建物は、
e0074199_2464562.jpg 今も、ちゃんとメンテナンスされ、とても落着いた良い雰囲気。
e0074199_2481752.jpg 英国風に、ムードのあるパブも。
e0074199_250244.jpg また、建物の上層階は、ゲストハウスになっていて、会員・ゲストは予約さえすれば、長期/短期問わず宿泊出来る。


 ・・・うぅむ、やはり、名家や金持ちは特権を持っているんだなぁ・・・羨ましい限り。


オススメ度(100%個人主観)

   ★★★☆☆  ・・・ 特権を持った御友達と来るべし


観光所要時間

   1~2時間
by bharat | 2006-08-19 10:30 | インドぶらり旅
第68回旅行は、見事な石窟寺院が残るバーダーミ
e0074199_354934.jpg バンガロールの北500km、かつての王都バーダーミ(Badami)がある。


チャールキヤ朝の都
e0074199_424257.jpg あまり、知られていないバーダーミだが、元々は王国の都が置かれていた由緒ある場所。
 6~7世紀、デカン高原一帯を治めたチャルキヤ王朝の都がここバーダーミ。
 地形は特徴的で、市街地の脇にアガスティヤティルター(Agastyatirtha)人造湖、その周囲三方を切り立った崖が囲んでいる。


どうやって行くか??
e0074199_426310.jpg 見どころの多い町バーダーミだが、どうやって行くかが悩みどころ。
 人口2~3万人の町に当然空港は無い。
 町の中心地から数km離れたところに鉄道の駅があるが、特急停車駅では無い。
 残るアクセス手段はバス。
 マイソールバンガロールとの間で、定期的に高速バスが通っている。夫々12時間くらいかかる。・・・そしてバスはオンボロである。
 因みに、僕はハンピからタクシーで入り(約5時間、2,000ルピー(約5,200円))、帰りは高速オンボロバスでバンガロールに帰った(約12時間、357ルピー(約930円))。帰りは安上がりだったが、結構タフ。

 この町の見どころは、大きく分けて3つ。
 「石窟寺院」、「水辺の寺院」、「崖の上の砦・寺院」だ。

石窟寺院

 町の南側の崖の側面を掘って造られた石窟寺院。
 6世紀頃に出来たとされ、南インドの石窟寺院としては最古のもの。
 このスタイルが、その後世界遺産のアジャンタエローラに伝播したと言われている。
 ここにあるのは、全部で4つ。

第1窟
e0074199_6252218.jpg 向かって一番右側のこの石窟は、シヴァ神を祀っている。
e0074199_23582389.jpge0074199_23584128.jpg入口の脇の彫刻は、躍動感のあるナタラジ像(シヴァ神踊りバージョン)、内部にはシヴァ神の長男坊スカンダ(孔雀に乗っているのが特徴)。
e0074199_00371.jpg中には、とぐろを巻いたヘビの彫刻も登場するが、これのナーガ神というれっきとした神様。
e0074199_04632.jpgそして、本堂にはシヴァのリンガ(男根)。


第2窟
e0074199_045786.jpg 第2窟は、ヴィシュヌ神を祀っている。
 勿論、ヴィシュヌ神の彫刻がそこかしこにあるのだが、彼の化身もいくつか登場する。
e0074199_2293574.jpg ヴィシュヌの第3化身のマツヤ(魚)。
 その昔、賢者マヌが川で釣りをしていたところ、その手に自分から乗っかってきた魚が、命乞いをするので、生かしておいてやったところ、みるみるデカくなり、家で飼えないので海に放流した。
 すると、魚はヴィシュヌが姿を変えた仮の姿で、こう忠告した・・・「7日後に大洪水が来るから、あらゆる生き物のつがいと7人の聖仙を大船に乗せろ」と。
 で、案の定、洪水で世界が水没したけど、マヌ一味は助かった。
 ・・・ビックリするほど、ノアの箱舟の話に似てるな・・・なんか関係あるのだろうか・・・?
e0074199_312447.jpg これは、第5化身ヴァラハ(イノシシ)。
 賢者マヌが、水沈した世界を救うべくヴィシュヌに祈ると、彼の鼻の穴からウリ坊が飛び出してきた。巨大化したウリ坊(イノシシ)が、水に飛び込み、牙で沈んだ大地を持ち上げ、世界を救った。

第3窟
e0074199_3504628.jpg ここも、ヴィシュヌ神を祀っている。
e0074199_4275152.jpge0074199_4285145.jpg まず飛び込んでくるのが、この特徴的な彫刻。
 通常、ヴィシュヌはヘビの上に寝そべっているのだが、この彫刻は片ヒザを付いて座っている。
 これは、この格好が、当時の王様の立居振舞いだったらしく、彫刻もその格好にさせたのだそうだ。
e0074199_4473568.jpg この石窟にも、ヴィシュヌ神の化身がいる。
 これは、第6化身のヌルシンハ。関連エピソードはコチラ

第4窟
e0074199_5391369.jpg 他の3つの石窟と同じ外観だが、この寺院だけジャイナ教。
 11~12世紀に作られた。
e0074199_5473594.jpg 中には、衣類を纏わないジャイナ教祖師ティールタンカラの像が。

作成途上の石窟
e0074199_16381085.jpg 第2窟と第3窟の間には、作成途上の石窟がある。
 これは・・・仏像!?
 なんと、仏教信仰も行われていた。



人造湖周辺のヒンドゥー寺院
 アガスティヤティルター(Agastyatirtha)人造湖の周辺にも、見応えのあるヒンドゥー寺院がいくつかある。

ヤッランマ(Yallamma)寺院
e0074199_65449.jpg 湖の西側に位置する寺院。
 11世紀頃の建立。

ブータナータ(Buthanatha)寺院
e0074199_6135044.jpg 同じ名前の寺院が、湖の北側と東側に2つ存在する。
 これは、北側のもの。
e0074199_616238.jpg で、これが東側のもの。
 こっちの方がズッと凝った立地と作り。
e0074199_6321896.jpg この寺院、本堂部分とその先の部分とで、建てられた時代が違うらしい。
 その証拠に、こんな不自然な柱の連続が。
e0074199_6382550.jpg また、この寺院の裏の岩壁には、彫刻の下書きが残っている。
 見っとも無いというか、人間らしいというか・・・他の遺跡でこんなの見たこと無い。
e0074199_6403615.jpg 更に奥には、小~さな祠が。
 中には、結構立派なヴィシュヌ神の彫刻が彫ってある。
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未成年禁止(?)の博物館
e0074199_6525453.jpge0074199_6532296.jpg アガスティヤティルター(Agastyatirtha)人造湖の北側にある博物館。
 何の変哲の無い彫刻などに交じって、スゴいものが陳列されていた。
 なんと、女性の局部のドアップの彫刻。館内写真禁止なので、画像は書物から取ってきたものだが、正にこんな感じだった。
 万物創生を意味する女性器を信仰対象としていたので、こんな彫刻が当時作られたのだと言う。
 ・・・因みに、未成年も入館可。


北要塞地区
 バーダーミは、崖全体が要塞になっており、チャールキヤ朝のあとも、代々この要塞に手を加えて、防御拠点とした。
e0074199_16345121.jpg 前述の石窟の上部にも城壁が残る他、
e0074199_16354236.jpg北側には頑丈な城門や城壁、砲台、寺院などが残っている。

ハヌマーン寺院
e0074199_1643112.jpg 人造湖の東の端から道なき道(石段)を上っていくと、粗末なハヌマーン寺院が。
 ハヌマーン(猿神)だけあって、サルの巣窟と化しており、長居は危険。
上のシヴァラヤ(Upper Shivalaya)寺院
e0074199_16482432.jpg 丘を上りきると、同じ名前の寺院が2つ。
 これは、上にある方。
 柱は無地だが、土台・壁には立派な彫刻が。
 7世紀頃の建立。
下のシヴァラヤ(Lower Shivalaya)寺院
e0074199_16543990.jpg これは、丘を少しだけ下ったところにある。
 小さな作りで、元々は文字通りシヴァ神を祀っていたが、途中からガネーシュ神を祀るようになった。
 ・・・まぁ、親子だからいいのかな?
砲台
e0074199_165833.jpg 恐らく、中世になってから、建てられたもの。
 南インドの群雄割拠を乗切るべく、敵からの防御に最適なこの丘の上に設置したのだろう。




オススメ度(100%個人主観)

   ★★★★☆ ・・・ 寺院あり、要塞あり、面白い博物館あり。

観光所要時間

   3~4時間
by bharat | 2006-06-12 10:30 | インドぶらり旅