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今日から、アッサムティーが飲めなくなる!?
 恐らく、殆どのインド人ならびに在印駐在者は知らないと思うが、昨日で「アッサム州」が無くなった。

 インド北東部に位置し、北をブータン、南の一部をバングラデシュに接するこの州は、周知の通り、紅茶で世界的に有名で、インド国内の紅茶生産の実に6割以上がここで生産されるという。
 また、インド併合時のいきさつが複雑で、インド中央から充分なサポートが得られない等の理由で、少し前まで独立運動が頻発していた。中でも、ULFA(アッサム統一解放戦線)の活動は活発・過激で、今でもブータン・バングラデシュに拠点を持って、密かに活動しているとも言われている。
 勿論、現在はテロが頻発するような事も無く、州都グワーハーティを中心に治安も保たれており、他の北東諸州と異なり、特に入域許可も要らない。

 で、話を戻すと、現在の呼び名「アッサム」は、イギリスが命名したものだ。
 この呼び名を、植民地化前の名前に戻そうというのが、今回の話で、昨日の州議会で、「アッサム」から「アソーム」になることが決定、即日発効した。

 なので、皆が昨日まで飲んでいたアッサムティーは、今日からアソームティーなのです!
 ・・・御後が宜しいようで・・・。
by bharat | 2006-02-28 13:36 | ふと思うこと
必殺! ソファ職人!!

 先日、何回掃除しても綺麗にならないソファを、思い切ってリフォームした。
 これが、実に見事というか、独特というか・・・。
 その作業風景をレポート。

日本には無い長尺ソファ

 今の家に住み始めて間もなく、会社の倉庫に眠っていたソファを家に持ってきた。
 広い倉庫にあったときは、特に気付かなかったんだが、家に運んでもらって驚いた。

e0074199_5184860.jpg ・・・日本ではまず見ない、4シーターなのだ。
 長さはゆうに2メートルを越えており、とにかく取り回しが大変。

 まず家への搬入が一大事だった。
 僕の家は、2nd floor(日本で言う3階)なのだが、建物が古いせいか、階段が狭い。ズン胴のソファを、螺旋のような階段で3階まで引き上げるのは相当苦労した。今でも、階段周囲の壁には無数のこすり傷が付いている。


 で、暫くはこのソファを使っていたのだが、どうも中にたまった埃がすごくて、不快指数が下がらないので、当社総務に事情を相談したところ、「リフォームしてはどうですか?」と言われた。
 日本で家具のリフォームというと、僕の世代ではピンと来ないのだが、こちらインドでは家具のリフォームはごく当たり前なのだと言う。手順は次の通り。

①まず、家具屋(ソファ生地屋)で生地を選ぶ。

②店員に家に来てもらい、寸法を計測して貰って、見積を作成して貰う。
  この見積で、大雑把な金額・必要生地量が分かる。

③出張リフォーム部隊の来訪日時を決定する。
 丸1日必要。


e0074199_6591299.jpg とある晴れた日の11時、出張ソファ職人ラムジ氏とその一味たちがやってきた。写真右端のラムジ氏・・・年の頃は30歳中盤くらい、妻子持ち、趣味はクリケット観戦といったところか。部下の2人は若く、まだ駆け出しみたいな風貌。

e0074199_414965.jpgラムジ氏を玄関に招きいれ、靴を脱いでもらう。
 ラムジ氏の足からは、くさやとドリアンをブレンドしたようなかほりが全開だったが、笑顔で話しかけてきたので、こちらも精一杯の笑顔で応じる・・・しかし、すごいかほりだ。

e0074199_4172420.jpg 作業には膨大な場所を必要とするらしく、居間のテレビ以外の殆ど物は矯正撤去を命じられた。空いた床に職人道具をばら撒いてから、作業開始。時計は12時10分前を指していた。


 まずは、本体部分の表面をはがしていく。
 丁寧に、かつ大胆に。引っこ抜いたクギは、そこらじゅうに飛び跳ねていくが、御構い無しだ。Lの字、Uの字になったクギが、とめどなく床に散乱していく。
 作業が波に乗ってきたな~と思っていたら、ラムジ氏が突然召集をかけて、3人で二言三言。
 で、笑顔で俺に向かって、

   「サー、俺たち昼メシ行って来るさ~♪」

 え゛・・・まだ作業始めて1時間も経ってないけど。
 まぁ、今日中にちゃんと終わるなら、自分たちのペースで進めていいけど・・・早めの昼メシ食ってから午後来てくれた方が・・・まぁ深く考えるのは止そう。

e0074199_5292367.jpg 御手伝いさんが、裸足で床のクギを掃除し始めた・・・危ない思いをさせてごめんよ。でも、悪いのは僕ぢゃなくて、ラムジとその一味なんだよ。
 ふと思い出したが、こちらの人たちは、思いも寄らぬ軽装で色んな作業を行う。まず、素手で揚物。グツグツの油の鍋から素手で揚物をひょうひょい取出すのだ・・・Mr.マリックより遥かにハンドパワーである。道路の舗装工事もビックリした。アツアツのアスファルトの上を15ルピーのゴム草履を履いたおじちゃんがならしていく。ならしているそばから、草履がガムみたいにネチャ~っと伸びていた・・・。

e0074199_530821.jpg さて、御手伝いさんのクギ掃除も早々に終わり、僕ら2人が部屋に佇むこと約1時間半。
 満腹の3匹が笑顔で帰ってきた。
 作業再開。


e0074199_5302211.jpg クッションの表面をはがしたあと、本体部分に張り付ける新しい布(黒い合皮)をチョキチョキ切って、張っていく。作業はチンタラやるくせに、手先は実に器用で丁寧。なかなかやるな~、ラムジ部下その1~。


 ちょっと、別の部屋で勉強などしていると、居間の方からズズズっと飲み物をすする音が聞こえてきた・・・。

   ???

 何だろうと思って、居間に戻ると、3人が茶をしばいていた。

   「ラムジ氏、その茶はどこから?」

   「サー、下のヒトに頼んで入れてもらったんでさぁ」

 ふぅん、下のヒト・・・・ってコラァ!
 うちの大家ぢゃないか!
 勝手に頼むなよ・・・・このオッサン。

 しかし・・・昼食後、作業再開から1時間でまた休憩かよ。
 ラムジよ、いつになったら職人芸を披露してくれるんだ?


e0074199_613249.jpg 出番は意外に早く訪れた。
 クッションのウレタンを新しいものに取り替えた後、いよいよソファ職人ラムジ氏が出てきた。
 年季の入ったミシンを器用に操りながら、新しい布でそのクッションにぴったり合うカバーを裁断・縫製していく。この間、彼は物差し・巻尺の類を殆ど使わない・・・自分の手を定規代わりにして、器用に採寸していた。カバーの出来は、恐ろしい程精緻で、ピンと張った状態でクッションを覆っていく。
e0074199_6174141.jpg 全てのクッションに新しいカバーを被せると、本体部分の最終仕上げに入る。Gパン用の裁縫針みたいなのを駆使して、隅々を縫い合わせていく。


 午後8時・・・ついに新生ソファが完成。e0074199_6185535.jpge0074199_619980.jpg




 素晴らしい出来栄えだ☆
 個人的にはかなり満足。


 ここに、総工費数千ルピー、製作時間8時間(うち休憩時間2時間半)の一大スペクタクルが終わったのだった。
by bharat | 2006-02-01 10:11 | ふと思うこと
インドのNGO事情

 1月初旬、日本から知人の知人のNGO視察団が来た。
 欧米や日本を中心に貧困撲滅の運動を行い、民間企業・NGO協働型の活動を実践している。
 その視察団と行動を共にし、デリーやデリー近郊のNGOの様子を知る機会を得た。

NGO大国インド

 御存知の通り、インドは社会主義独立国家としてその現代歴史をスタートしたが、その官主導の国家体制が破綻を来たすにつれ、民間レベルから警鐘を鳴らす、あるいは独自の活動を始める動きが活発になってきた。
 内容も実に多種多様で、ストリートチルドレン・孤児の保護・育成・社会復帰を支援するもの、農業技術の指導を行うもの、地震・津波等自然災害の復旧活動を行うものなど、挙げればキリが無い。
 団体の数は際限無く増えているとされ、総数は数百万、毎年数万ずつ増えているという報告もある。
 しかもたかがNGOと侮るなかれ、インドのNGOは日本のそれとは活動規模・動かすカネも比較にならない。というのも、日本のNGOは無償で国際支援活動を行う団体のイメージが強いが、インドのNGOは民間非営利団体全般を指すので、ゼニ儲けしない民間団体は全てNGOという呼称で呼ぶことが出来る。資金源も、インド国内の個人寄付や企業単位の寄付はもとより、インド内務省の定める外国貢献規制法(1976年制定:Foreign Contribution Regulation Act)に基づく諸登録を経れば、外国からの送金も受けられる。


あまりに異なる活動事情

 今回、訪問したのは、上述視察団と同行した3団体。
 それと、当社が資金援助を行っている1団体。

サラーム・バーラク・トラスト(Salaam Baalak Trust)
e0074199_18121298.jpg 1990年に設立された団体で、主として、家庭内暴力や経済的事情で家を出ることを余儀無くされた子供たちの家庭復帰を支援する活動を行っている。
 資本規模は約1,000万ルピー(約2,600万円)、従業員数は70名余り、保護している子供の数は数十~数百人規模(常時変動している)。
 本拠の事務所をオールド・デリーに置き、デリー駅敷地内にも施設を保有している。

e0074199_181147100.jpg まずは、デリー駅の施設を見に行った。
e0074199_18134661.jpg ここは、子供に対するカウンセリングを中心に様々なケアを行う場所に使われていた。
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 階段の踊り場ではゲームに興じる子供たち、建物内の一角には粗末な教室(といっても区切られていない)、バルコニーには医務室、事務所の一角には子供のカウンセリングの記録室があった。
e0074199_2184640.jpg 続いて、本部事務所。
 ここには、管理系(総務・経理等)の機能が終結している他、厨房や食堂、教室、寝室などがある。コールセンターもある。因みに、「食堂、教室、寝室」と言ったが、「食堂 兼 教室 兼 寝室」である。当日はこの部屋で、昼食を御馳走になった・・・味はなかなか♪

e0074199_21105451.jpg 訪問当日も、家出してきた子供が1人、事務所に来ていた。オールドデリー付近で途方に暮れているところを保護されたとのこと。実際にこうして保護される例はそんなには無いが、コールセンターへの通報は、1週間に10~20件あるのだそうだ。
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PRAYAS
e0074199_034626.jpg 1988年に設立された団体で、デリー市内に100数箇所の支所を持つ巨大な団体。年間約9,200万ルピー(約2.4億円)を動かしている。
e0074199_0344994.jpgスポンサーも個人寄付に頼らず、政府系補助やコカ・コーラやタージ・ホテルグループなど大企業からの資金援助も受けている。
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一番下の写真2枚は、アーンスト・アンド・ヤング(世界規模のコンサルティング・ファーム)が建てた学校。
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e0074199_0375534.jpg 活動も実に多岐に亘り、子供の保護、初等~高等教育、技術訓練、就職斡旋などを行っているという。
e0074199_0374313.jpg また、AIDS撲滅を目的とする性教育も実践しているといい、とかくこの手のテーマを避ける傾向のあるインドでは進歩的だと感じた。
 上述のSBTの手法が、子供たちの心のカウンセリングを優先的に行って、早く家庭に戻る様促しているのと異なり、このPRAYASは、子供たちを完全に囲い込み(巣立つまで、敷地外には出られないのだという)、自立出来るまで面倒を見るという方策を採っている。夫々特徴があって、興味深い。



HPPI(Humana People to People India)
e0074199_0565287.jpg 1998年に設立された、比較的歴史の浅い団体。主活動をラージャスターン州やジャールカンド州など大都市から少し離れた場所で行っている。クッティーナというデリーとジャイプールの間にある小さな村でも活動を行っており、今回はここの状況を聞いてきた。この団体は、団体名から察しの付く通り、人権保護の観点から弱者救済の行動を採っていて、ユニセフ、ユネスコ、国連エイズ計画などがスポンサリングしている。2004年には、大規模なエイズ撲滅キャンペーンを行ったというレポートもあった。

 
 
SOS Children's Village of India
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 最後は、当社が一部資金援助している団体。
e0074199_1171696.jpge0074199_117280.jpg 写真は、当社拠出金により完成した、コンピュータールーム、図書館、音楽室の様子とその記念式典の様子。

e0074199_118654.jpge0074199_1175472.jpg この団体は、1964年に設立され、災害などによって両親を無くした子供たちを保護・育成・自立させることを目的としている。
e0074199_1193562.jpg 興味深い点は、Villageの名の示す通り、子供たちと擬似家族で1つのコミュニティを形成し、子供を自立させていく点だ。子供たちは、年齢・宗教に関係なく、10人程度にグループになり、擬似の母親が付く。このユニットで子供は活動し、親(擬似)や兄弟(擬似)の愛情を受けながら育っていく。集落の中には、擬似家族1世帯が住める住居が団地形式で配置され、その徒歩圏内に、図書館・コンピュータールーム・音楽室などの共有施設がある。
 個人的な思いとしては、拠出した資金に対しての出来上がりについては、少々不満が残ったが(たったこれだけのPC?たったこれだけの蔵書?などなど)、まぁ僕が決めた事では無いし、ちゃんと形のあるものが出来たのだから良しと考えるか・・・。



気になったこと
 いくつかの団体を見て感じたことは・・・「自分の団体以外の団体の活動についてどう思っているか?」ということ。
 どの団体も、崇高な目的を掲げ、頭が下がる思いだが、どの団体も「他の目的を一にする△△団体と連携を採っています」とか、「□□団体とは、相互補完的な活動をしています」とはコメントしていない。ある団体などは、他の団体より何が優れているかを強調した上で、寄付を求めてきた。これでは、折角の慈悲心・愛護心も台無し・・・。
 こんなときくらいは、インド人持ち前の競争心はちょっと控えて貰って、協調体制で連帯感を持って活動してもらいたいものだ。


by bharat | 2006-01-16 10:53 | ふと思うこと
ヴァラナシでのホームステイ

 昨月(2005年12月)、2~3週間ヴァラナシにホームステイしてきた。
 理由は1つ、集中的にヒンディー語を学ぶには、デリーを離れて、英語の無い環境に行った方が良いと思ったからだ。

 通学先のJNU(ネルー大学:Jawaharlal Nehru University)が1年2セメスター制を敷いており、丁度12月はセメスターの間の休講期にあたる。これ幸いと、ヴァラナシ行きを決めた。

先生の家に寄宿
e0074199_394128.jpg 今回、僕がヴァラナシでの学習先・寄宿先に選んだのは、デリーでの補習先でもある、Bhasha Bharati。ヴァラナシには本校があり、数々の旅行誌にも掲載されている。学習方法や先生の質など賛否両論あるようだが、僕はその即効性のある学習方法を大変気に入っており、今回も迷うことなく同校を選択した。
 デリーの先生が便宜を図ってくれ、僕には元々先生が使用していた部屋を使わせてくれた。日本の寮制学校の施設から見れば粗末かも知れないが、ベッドと机があり、シャワー・トイレも付いているので、充分な設備だ。因みに、通常の寄宿生は漆喰剥き出しの壁に囲まれた、小さな明り取りしかない部屋で、フロ・トイレも共同だ・・・それでもヴァラナシのゲストハウスに比べれば格段に良い環境だが。

e0074199_8194029.jpg 授業は、8:00~11:00と16:00~19:00の合計6時間。
 デリーの先生がうまくヴァラナシの先生に引き継いでくれたようで、僕の怠け癖を知り尽くしていた・・・宿題を出してもコイツはやらないだろうとの読みから、授業をメインにして部屋で1人過す時間を極端に少なくしたようだ。
e0074199_8203779.jpg 授業の合間は、部屋で読書したり、外をブラついたり。
 部屋にいる間は、なるべく先生一家とのコミュニケーションを取ることが出来る様、部屋のドアを開け放しておいた。
 日中はほぼ毎日停電するので、部屋の入口にイスをもっていって、日の光で本を読み耽る・・・。たまに、部屋の中に鳥が飛んで入ってきたりする。鳴き声を聞きながら、のぉんびり時間を過ごす。

ヴァラナシの生活環境
 ヴァラナシは、デリーほど公害がひどくない。街の汚れはすさまじいの一言に尽きる(詳細はこちら)が、光化学スモッグのような状態にはなっていない。 
 気候も、この時期はデリーほど寒くなることもなく、比較的過ごし易いと言える。

 僕が滞在してみて気付いた問題点は、2点。

 まず、電力事情が劣悪なこと。
 今回、パソコンを持って行ったのだが、しょっちゅう充電切れになってしまった。というのも、コンセントから電気が来るのは、毎日早朝~8時くらいまでと、夜間~深夜のそれぞれ数時間だけ。他の時間帯は殆ど毎日停電状態だった。先生曰く、計画停電と突発性の停電が合わさって、かなりの時間、停電になるのだと。幸い、先生の家は大きな発電機を設置しているので、部屋の最小限の照明は確保されるのだが、大半のコンセントは使用不可、湯沸かし器なども使えなくなってしまう。
 デリー日本人会主催の忘年会に着ていったシェルワーニーは、実はここの先生に譲っていただいたのだが、この服のドライクリーニングをクリーニング屋に頼んだときも、停電のせいで危うく間に合わないところだった。なんでも、その店があった場所一帯は、約24時間の間停電になっていて、クリーニングの機械を動かせなかったのだそうだ。

e0074199_847029.jpg 2点目は、僕個人の嗜好の問題なのだが、食べ物の問題。
 僕は、基本的にインドの料理全般が好きで、デリーで生活しているときは基本的にインドの料理を食べている。前回ヴァラナシに行ったときも、食生活については特に問題無く過ごしていた。
 が、今回2~3週間という期間滞在し続けて実感したのは、延々と毎日ベジタリアン料理を食い続けると、心身ともに衰弱するということ。肉を食わないと体に力に入らないし、気分的にもかなり滅入ってくる(飽きる)。ホテルのレストランなどに行けば、ノンベジ(Non-Veg:要は肉・魚・卵など野菜以外のもの)料理にもありつけるのだろうが、今回はホームステイということで、食事は全て先生の家で済ませた。彼ら一家は敬虔なヒンドゥー教徒なので、野菜しか口にしない。で、食卓に並ぶのも、当然野菜・野菜・野菜・・・。
 デリーに戻ってきてから、数日間、肉をドカ食いしたのは言うまでも無い・・・。


季節によって顔を変えるガンガー
e0074199_8591912.jpg 今回も、ガンガー(ガンジス川)から朝日を見ようと思い、早朝、ガート(沐浴場)に行ってみた。
 船に乗り、川にロウソクを浮かべて御祈りし、船上魚売りを無視しつつ、日の出を待った。
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e0074199_901871.jpg 日の光で周りを眺めてみてビックリ・・・9月に見たときと川の様子が全く違うのだ。
 水がすっかり少なくなり、川幅もほっそりして、流れもゆっくり。対岸の砂洲の面積が何倍にもなっていた。弱々しい印象は受けないが、リシケシュやハリドワールで見た激流を思い出せないほど穏やかな雰囲気を醸し出していた。

e0074199_903896.jpg ガートの下に剥き出しになった砂地では、水牛の大群が水浴びしていた。彼らは、雨季~秋の間、どこにいたのだろうか。



垣間見られるカースト意識
e0074199_4194625.jpg 先生一家は、皆敬虔なヒンドゥー教徒だ。
 家の中に、祭壇が設けれており、毎日の御供え物は勿論のこと、子供の成長なども祈願したりする。

 家系は、ブラーミン(バラモン)階級に属し、その中のサラスワットという最上位のカースト(サブカースト)に属している。先生も家族も、日々これを強く意識しており、「我々はヒンドゥー教に基づく生活様式の中で最も重要な位置にいる」と言っていた。

e0074199_4201390.jpg この言動について、反進歩的だとか、差別主義的と決めつけるのも難しい。というのも、彼らなりの一途な宗教心によって、救われている人たちがいることも事実だからだ。彼らの家には、多くの使用人が出入りし、職を得ているし、その中のある老人などは、失明する恐れのある病になったが、先生一家が一切を負担して、手術・療養し、今でも元気に働いている。また、先生一家のあげた収益を元手に私立小学校を設立し、タダ同然の学費で初等教育を施している。

 これらの事業活動・慈善活動については、評価出来る点もある。
 が、彼らの宗教に根ざした上下意識は、日常生活の中では、どうしても我々非ヒンドゥー教徒から見ると、差別的に映る。

 例えば、生活空間。
 先生の家は、4階建てだが、彼らの生活空間は4階にあり、他の階は教室・事務所・ゲストルームで構成されている。この、彼らの居住する4階に、上がることの出来ない人たちがいる。
 ある日、僕が3階の部屋でドアを開け放して読書していると、街のおっちゃんが階段を上がってきた。

 おっちゃん 「こんにちは、ここの生徒さんですか?」

 ぼく 「そうですよ。何か用ですか?」

 おっちゃん 「先生に聞きたいことがあるんだけど、今いますかね?」

 ぼく 「いますよ。一緒にあがりましょう、付いてきて下さい」

 ・・・と、僕が階段を上がろうとしたとき、思いがけない言葉が。

 おっちゃん 「あ、上から下の私に声を掛けるよう、頼んできてください。」

 ぼく 「???」

 おっちゃん 「私のカーストでは、上の階に上がることは出来ませんので・・・」

 ・・・かなりショッキングな一言だった。このあと、彼らは普通に4階と3階で会話をしていたが・・・。


 次に驚いたのは、食事。
 滞在した2~3週間の間、女性の家族と食卓を共にしたことは一度も無かった。殆どは大きな食卓に僕1人、たま~に先生(男性)と一緒に。食事の間、女性はひたすら厨房で料理しており、御代わりを盛り付けたりするだけ。
 日本の一家団欒の絵は、ここには微塵も無い。


 最後、極めつけは使用人との距離感。
 先生の家に出入りしている使用人のうち、若い男性が1人いるのだが、彼は先生とも友達のように接しており、溶け込んでいる。仕事は雑用で、日々のお使いやお客さんの出迎えなどをしている。
 ある日、彼が家にいたときに丁度昼食となった。先生が「一緒に食って行けよ」というので、使用人クンは快くOKした。

 ・・・が、彼が食事をしたのは、食堂の隣の厨房の隅で、しかも地べた。これって、「一緒に食う」って言うのかな・・・。


 また、あるとき、夜みんなでTVを見ようと居間に集まった。先生が使用人クンに「お前もあがってTV見ていけよ」と言うので、彼も上がって見ることに。

 ・・・が、僕を含め、先生一家が皆ソファに座っている中、彼は1人裸足になって地べたに座った・・・僕1人何故かとても気まずい雰囲気を感じた。


 インドの政治家アンベードカルがカースト制廃絶を訴えた際、「使用する側と使用される側の双方に責任がある」と言ったという。
 成る程、お互い、無意識の中でカーストに根ざした差別的行動を取っているんだろうな・・・。
 
 良く、日本人は、インドをはじめとするアジアに駐在中、使用人を雇った際、彼らにナメられるという。どう接して良いか分からないからだ。僕も現在、掃除・洗濯を御願いしている使用人がいるが、やはりナメられいるのだろうか・・・。

 世界に稀有なフラット構造に生きている日本人にとって、この感覚を理解するのはなかなか難しい・・・。


by bharat | 2006-01-10 02:30 | ふと思うこと
テロに対する日本企業の対応

 インドに来る前、インドとはテロとは無縁の国だと思っていたが、最近キナ臭い事件がポツポツ発生している。

引き金は昨今の印パ協調路線
 今年の10月8日、パキスタン北部で発生した巨大地震は、記憶に新しいことろだが、インド人にとっては、その被害よりもインドが積極的にパキスタンに援助物資を提供したことが大きなニュースだったようだ。インドではシン政権になってから、急速にパキスタンとの関係改善が進んでおり、今回の支援をイチ早く決定することによって更にアピールが出来たようだ。
 印パの緊張を実感したインド人たちにとっては、今回の積極支援について、「緊張の本格的な終焉」として基本的には賞賛している人が多い。我々インドでこれからビジネスを拡大して行こうと思っている立場からしても、前向きな出来事で大変良いと思う。

 ところが、これが負の副産物を生み出している。
 国境の警備が手薄になったのを良いことに、過激派がインドに流入、あるいはインドに潜んでいた過激派を動かし、テロを誘発している。


早い沈静化を望むばかり・・・
 10月29日のデリー同時多発テロはとてもショッキングだった。爆破場所の1つだったサロジニ・ナガール市場の上空の不自然な真っ黒い雲を見たときの何とも言えない気分はまだ覚えている。
 このときには、日本でも大きくニュース・新聞等で報道されたようで、親族・知人から安否を気遣う連絡が一斉に来た。とても有難かったが、彼らの口調から察するに、また日本のマスコミが右習えで大袈裟に報道したんだろうなぁという、恐ろしいほどの心配ぶりだった。

 だが、最近は、そんな安否を気遣う連絡は来なくなった。
 別に気遣ってくれということを言いたいのでない。

 ただ、10月29日以降、日本をはじめ世界のメディアがインドでのテロについてあまり報道していないんだなぁと思っただけだ。
 というのも、あれ以降も、小規模のテロやテロと思われる事件がポツポツ起きているからだ。

 10月29日 デリー市内3箇所で同時爆破テロ、死者65人
 11月 2日 カシミール地方スリナガルで爆破テロ、死者9人
 11月14日 カシミール地方で銃撃戦発生、現地人4名死亡、日本人ジャーナリスト負傷
 11月16日 カシミール地方で車爆発、4名死亡

 で、更に12月28日、今度は南のバンガロール(カルナータカ州)で発砲事件が発生。国際学術会議に出席していたインド人研究者1人が死亡、4人が負傷した。犯人は特定されていないが、イスラム系過激派組織による犯行と推測されている。


弱気になるな!日本企業
 正直、日本がデリーの同時爆破テロ以降の事件を大きく取り上げないことについては、ホッとしている。
 ただでさえ、インドへの進出について慎重な日本企業が、ますます慎重になってしまいそうで・・・。

 日常生活で目にするものの多くは、インド国産以外だと欧米のもの、もしくは最近は韓国企業のものが特に目立つ。
 道行く車も現代(Hyundai)の車が多くなってきたように思うし、街の家電屋に並ぶのは概ねLGやサムスン(三星)などで、高級ショッピングモールにでも行かない限り日本製品は見ない。

 TVのCMも、日本企業のCMなんて殆ど見たこと無い(ヒーローホンダやマルチスズキは、インド合弁なので別と解釈して)。HyundaiやLG、サムスンは、バンバン広告を打っているのに。
 街中の看板も同じ状況。

 ・・・見ていて非常に口惜しい。
 早く、言葉(ヒンディー語)を習得して、当社はじめ日本企業をインド人にたくさん広告したいと思う。逆に、日本の中に出来上がってしまったインドの負のイメージを少しでも変えて行きたいなと思う。



 ・・・取り留めない内容になってしまったが、2006年に向けての些細な決意である。
by bharat | 2005-12-29 10:07 | ふと思うこと
オートリクシャーの課金の実態
 当社駐在員は、通常、会社から与えられた運転者さん・車で、日々の移動を行っている。
 別に大層な待遇という訳ではなく、インドの交通事情を考えると、安全管理上その方が低リスクだからだ。

 ちなみに、現在私は「学生」の身であるので、日々の移動手段は、徒歩・サイクルリクシャー・オートリクシャー・タクシーなどである。他社駐在員の御友達の車に乗せてもらうこともよくある。

 今回は、その中の「オートリクシャー」のはなし。

政府vsドライバーの構図
 現在、デリー市内を走り回るオートリクシャーの数は、約50,000台とも言われている。貨物運搬用もしくはプライベート用を除き、全ての車体はCNG(天然ガス)仕様となっており、黄色と緑のツートンカラーがトレードマークだ。製造メーカーはバジャージ(BAJAJ・・・日本のKawasakiと技術提携関係にある)で、同社はインドのみならず東南アジアにも多くのリクシャーを輸出しているインドの有力企業だ。
 上記車体規制に加えて、2002年、政府命令により、指定の運賃メーター取付、制服(上下灰色)着用を義務付け、彼らの行動の無法化に歯止めをかけた・・・筈だった。
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 ところが、実際は合法的にルールを実践しているドライバーは殆どいない。制服についてはパッと見た目で分かるので、警察の目を気にして着ているドライバーが多い気がするが、メーター通りの運賃で走ってくれるドライバーなんか殆どいないのが実情だ。
 僕は、こちらにきて約半年が経過したが、恐らく150~200回くらいオートリクシャーに乗ったと思う。うち、メーター表示運賃で乗せたもらったのは、せいぜい10~20回くらい。

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 この議題について、最近の新聞紙に記事が載っていた。「政府に無理矢理、新型車・制服・運賃メーターを押付けられたお返しに、法外な運賃を乗客に押付けている」と書かれていた。


ボラれないために・・・
e0074199_234614.jpge0074199_2334545.jpg こちらがその運賃メーターのいつくかである。
 意外と色んな機種が出ている。
 メーカーも様々で、製造場所もデリー、バンガロール、プネーなど分散している。
e0074199_2471551.jpge0074199_247299.jpg 当たり前だが、どの機種も課金ルールは一緒。
 0.9kmまでは8ルピー(約20円)一律で、以降0.1km(100m)ごとに0.35ルピー(約1円弱)ずつ加算されていく。
e0074199_2475912.jpge0074199_248134.jpg この計算でいくと、デリー北部にある日航ホテルから、Ring Road沿いのマーケット街(サロジニマーケットやサウス・エクステンションなど)くらいで、40ルピー前後で行けることになる。
 ところが、実際は乗る前に口頭で運賃交渉(だいたいメーター表示で行く様依頼しても、機械が壊れていると言われる)し、50~60ルピーで手を打たなければならない。
 たかだが数十円と思うかもしれないが、通常料金の1.5倍と考えると、かなりのボッタくりである。
 観光街から拾うと、さらにフッかけて来る。
 自分の移動する距離を計算して、だいたいの目安を立てて交渉しないとボッタくられるので注意が必要だ。

 あと、数台でタムロって客待ちしているリクシャーより、空車で走っているのを捕まえた方が安いレートで乗れることが多い。まぁ、空車がバンバン走っているかどうかは、時間帯と場所によるのだが・・・。

 究極にオイシイのは、「タダでの助手席乗り」。
 たまに、空車がいなくて途方に暮れていると、実車リクシャーのオッチャンが「どこまでなの?」と声を掛けてくれることがある。自分の行きたい場所が、既に乗せている乗客の依頼場所への通り道だったりすると、「乗せてくよ、乗んな!」となる。
 オッチャンの左隣に座り、オッチャンの左肩後ろから右手を回して右端のバーを掴む。・・・で目的地まで相乗り。だいたいがタダもしくは、心づけに小銭を渡して目的地まで行けてしまう。
 まぁ、狙ってやれる芸当では無いが、とてもオトクである。


 乗車の都度、いくらで乗れるかリクシャーのオッチャンと激しく運賃交渉・・・個人的にはとても好きだ。
by bharat | 2005-12-22 10:12 | ふと思うこと
インドのテニス熱 2

日本U-14選手団来印

e0074199_17235683.jpg デリーで開催のUnder14アジア選手権大会(インドのテニス熱1参照)に出場すべく、日本からジュニア選手団が11月20日(日)、デリー入りした。
 構成は、男子選手3名、女子選手3名、コーチ1名の計7名。他にも私費で来印した選手団もあったようだが、日本テニス協会が音頭をとったのはこの団体のみである。男子選手は、日本の14歳以下の1位、2位、5位の選手で、順に斉藤秀クン、喜多元明クン、金城充クン(上写真の左から)。
e0074199_17522269.jpg女子選手も、同クラスの1位、2位、5位の選手で、順に石津幸恵サン、美濃越舞サン、大塚弥生サンの3名(下写真の左から)。コーチは、藤井道雄サン(日本テニス協会 強化システム委員長、上写真右)だ。この藤井サンは、元プロテニスプレーヤーで、今から30~40年前に活躍し、デ杯(Davis Cup:毎年開催される国別対抗のテニス大会)にも出場している。同時期には、石黒修(俳優石黒賢の父)選手などがいる。


大器の素質!?

e0074199_1756335.jpg 日本テニス協会の会員の1人が、当社の元社員ということで、僕は急遽「有事の際の相談窓口」をすることになった。
 といって、インドに来て5ヶ月少々、足(クルマ)も無いので、何が手伝えるかなというのが実態だった。せめて、日本食屋を紹介したり、時間があるときに応援に行ったりは出来るなと思い、彼らがデリーに滞在した間、一緒に会食したり、応援(上写真:試合の様子)に行ったりした。



e0074199_17534213.jpg 初めての会食で、ビックリしたことは、全員とても社交的で礼儀正しいことだ。テニスやゴルフなど個人競技の場合、非常に利己的で無作法なジュニア選手をよく目にするが、今回の選手たちは、全くの逆。すぐに打ち解けることが出来た。
 テニスを通じて知り合った僕の友達(インドの先輩と言うべきか)のmicchaさん、ナオミさんらにも協力を得て、テニス交流会や食事会などで、選手たちを激励した。

e0074199_17542058.jpg 大会中には、選手・コーチしか入れない場所(中写真)に入れて貰ったり、大会で使用中のコートで練習試合(下写真)もさせて貰ったり(結果は報告するまでも無いが・・・)。

 試合だけでなく、僕ら大人との日常コミュニケーションも難なくこなしてしまう平成生まれたち・・・何とも頼もしい限り。



外国との接点
e0074199_1739268.jpg 彼らだって、まだ駆け出しなので、海外遠征を頻繁に行っている訳では無い筈だ。にも関わらず、試行錯誤しながら、外国人選手たちとコミュニケーションを取り、会場での練習で知り合ったインド人とダブルスを組む大塚サンや、タイ人選手たちと仲良く集合写真を撮る様子が、とても印象的だった。
 小学校2~5年をアメリカで過した僕にとっては、当時の現地人とのもどかしいコミュニケーションを思い出して、なんかとても見ていて微笑ましかった。
 空き時間に彼らと行った買物では、喜多クンが「世界中の選手とアドレス交換する」ために小さなアドレス帳を買っていた。13~14歳で、大した心意気だと思う。



オマケ
e0074199_1862375.jpg 男子選手を連れて、日本ではあまり見られない、彼らにはちょっぴり刺激的なところに行ってきた。INAマーケットというデリー市内にある大きな市場で、平たく言うと「生肉・鮮魚店」と「トサツ場」と合わせたような場所だ。鶏を絞めたり、羊の頭が並ぶ店を一通り回って、面白いリアクションを見せてくれた。
e0074199_1871276.jpg 勿論、普通の土産も欲しかろうと思い、近くのスーパーで御菓子や紅茶、レトルトカレーなどを物色。

 限られた時間ではあったが、出来る限りのサポートは出来たかな? と思う。

 あ、そうそう、忘れるところだったが、肝心のかれらの戦績は以下の通り。

 ・ 男子シングルス ベスト4
 ・ 女子シングルス 準優勝
 ・ 女子ダブルス 準優勝


 早く彼らにビッグになってもらって、買ってあげたインド菓子の何倍もの御返しをして欲しいものだ(神戸牛でもタラフク食わせて欲しい!!)。
by bharat | 2005-12-13 12:00 | ふと思うこと
インドのテニス熱 1
 僕は、スポーツをするのも観るのもとても好きだが(特にテニスはプレイするのも観戦するのも大っ好きである)、インドに来て思うこと・・・それはインド人の多くが運動嫌い・もしくは運動オンチだということだ。

少ない国技・偏った教育

 国技の定義は難しいが、取敢えず「その国を代表する運動競技」ということが出来ると思う。その数はアメリカがズバ抜けて多い(野球・バスケ・アメフト・アイスホッケーなど)と思うが、日本だってかなりある。相撲、柔道、剣道、空手はもとより、今では野球・サッカー・テニス・ラグビーだって国技と呼んでも良いと思う。
 ところが、インドには驚くほどスポーツのバラエティが無い。
 いの一番に来るのがクリケット。野球の原型になったというこのスポーツは、見ていてもまぁ面白いのだが、とにかく試合時間が長い。長い試合になると、数日かかる。道理で野球が発案された訳だ。
 で、次に来るのは・・・・ホッケー、カバディ、テニスなど。以上。実に寂しい。ガッチリした体格に、激しい競争心、おまけに東西様々な文化が流入してくる特性などを考えれば、もっと色んなスポーツが盛んになっていてもおかしくないのに・・・。学校でも体育の授業は殆どの場合、任意科目もしくは実施されないという。


突如吹いたテニス熱

e0074199_351642.jpg そんな中、最近インドスポーツ界を賑わしている女性選手がいる。
 サニア・ミルザという新鋭の女子テニス選手だ。現在18歳(19歳になったのかな)のミルザは、現在のWTAランキングこそ30位代だが、来年早々にはトップ10入りするとの声もある。キレイな容姿と、非常に攻撃的なプレイスタイルが、多くのインド人を惹きつけ、今やインドでの人気はかなりのもの。ガソリンや食品などのテレビCMに出まくっている。

 このミルザ、インドの大多数を占めるヒンドゥー教徒ではなく、イスラム教徒である。その関係で、なかなか興味深い出来事が彼女の周りで起こっている。当のイスラム教徒は、彼女の服装について、「非常に破廉恥」だとして憤慨しているとか。顔意外を黒い布で覆ってプレイしろとか、そもそも外出して公衆の前に出るべきではないとかボロクソに言われている。一方、インド国民の大多数を占めるヒンドゥー教徒などからは、宗教の相違もなんのその、大人気を博している。教義が厳しいのも考え物だが、時代に合わせて柔軟に出来ないものだろうか・・・。いずれにせよ、ミルザは、テニスの上位選手とイスラム教義の双方と戦いながら、プレイしているのだ。


アジア・オセアニアのレベルアップ

 ミルザの活躍、および経済界全体のインドへの注目もあってか、最近インドのテニス界が盛り上がり始めている。
 今までは、インドといえば、1月に行われるチェンナイ・オープンくらいが目玉で、あとはパッとしなかったのだが、最近はジュニアの大会の誘致などにも積極的だ。
 もともと、アジアはテニスの大会や選手育成などについて層が薄い。特に近年、ATP(男子プロ)とWTA(女子プロ)の規定が変更され、選手は多くの大会に出場しないと上位に上がりにくいようになってしまった。その結果、地続きで回りやすい欧州や大会の多いアメリカなど、特定の地域に拠点を置いてその周りを効率良く転戦する選手が殆どになった。アジアはよっぽどの獲得賞金・ランキングポイントの掛かった大会でない限り、上位選手が寄ってくれなくなってしまった。こうなると悪循環で、人気の上位選手の来ない大会に観客が集まる筈も無く、スポンサーも金を出さなくなる。現在の日本なども惨憺たる状況だ。80年代、セイコースーパーテニスにはレンドル、エドバーグ、アガシ、松岡が出ていたし(90年代に閉会した)、東レパンパシフィックテニスにも伊達はじめトップ10の女子選手がズラッと来日した時代があった(今はトップ20から数人来るくらい)。だから、現在、アジアから輩出される上位選手は男女問わず大変貴重で、彼らを軸としてその下のジュニア選手を盛り上げていく仕組み作りがとても大事だ。
 今年、オーストラリアが牽引役となって(アジア・オセアニアの枠では、オーストラリアの地力が突出している。世界4大大会の1つ全豪オープンが毎年1月にメルボルンで開催され、ラフター、ヒューイットなど上位選手を時代時代で輩出している)、アジア・オセアニア全体規模でのジュニア大会を数多く開催しようと動きが始まった。その1つが、先月11月にここデリーで開催された、Under14アジア選手権大会だ。大会1週間に先立ち、全豪オープンWork Shopも1週間開催され、合計2週間の大イベントだった。
 日本からも、男女ジュニアプロが来日。何かの縁で、彼らと知り合う機会を得ることが出来た。彼らとの交流については、後ほど「インドのテニス熱2」で書こうと思う。
by bharat | 2005-12-12 10:19 | ふと思うこと
11月1日 ディワリ・・・爆音とケムリのシンフォニー
 今年の11月1日は、「ディワリ」という年に一度の大きな御祭りがある。

 「ディワリ」は、もともと「ディープワーリー」といい、ヒンディー語で「ディープ:動物脂で出来たロウソク」「ワーリー:~のある」・・・つまり、ロウソクで祝う日みたいな意味だ。

 『ラーマーヤナ』(詳細説明はデリー市内あれこれ2に記載)のラーマ王子が魔王を征伐して母国に凱旋するのを、市民がロウソクを灯して出迎えるという行為が祭事化したものだ。
 デリー市内では、11月1日の数日前から、家という家が玄関口やベランダにロウソクや電飾を設置し始めていた。家の中では、大掃除や家具・電化製品の整理・買替えを行ったり、壁の塗替えをしたりするようだ。祭り当日は肉など主食系の摂取はせず、インド菓子(ミターイー)やナッツ類を食べるため、祭り前にはマーケットではこれらの詰合せを売っている。
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 祭り当日の夜は、各家でラーマ神の帰還を祝して、その後ガネーシュ神とラクシュミー神にも祈祷をする。ガネーシュは知恵・学問の神、ラクシュミーは富・商売繁盛の神(因みにこのラクシュミーは、日本では吉祥天の名前で知られている)。

 このあと(時間にして20時くらいから)がスゴい展開になる。
 各々、そこらじゅうで、奮発して買った花火・爆竹に火を点ける。

 僕も、マーケットのオジサンに半分無理矢理買わされた花火を少しやったが、ケムリがあまりにスゴいので、殆どを向かいの家の子供にあげて、早々に屋内に退散した・・・。

 階下の大家さんから頂いた差入のナッツを食べながら、ケムリの漏れ入る部屋で、本を読みながら「インド正月」を過ごした・・・。

 ・・・尚、この花火・爆竹は、深夜1時過ぎくらいまで続いた・・・
by bharat | 2005-11-03 14:52 | ふと思うこと
インドの農村行政の実態

 ちょっと前に、日本の政府系の研究所のインド駐在研究員のNさんに同行させてもらい、デリー近郊の農村を見る機会があった(詳細は第6回旅行参照)。
 そのNさんより、インドの農村行政について詳しく聞く機会があったので、今回はその内容について少し書こうと思う。


インドの農村開発行政

 1947年の独立以降のインド経済の歴史は、初代首相ネルーの社会主義政策からスタートしている。
 彼は、重工業を中心とする近代工業の育成に注力し、国営・公営企業の成長を重視した。当時独立した他の発展途上国の先んじて5カ年計画を導入、経済安定成長を目指した。独立当初の大混乱期にあって、ネルーの打出した諸政策は奏功したが、1960年代に入ってそのツケがまわってくることとなる。
 企業の新規参入を避け、厳しい輸入統制などで、一部の国営・公営企業への権限集中が賄賂などの腐敗を蔓延させ、また地方における農産業の停滞をもたらした。

 だが、現在に至るまでインド政府が全く農業行政に手を付けなかった訳ではない。
 1960年までは、前述した農産業停滞からの脱却を図った制度的な改革を随時実行、農地面積拡大・国内自給率向上を目標とした。
 1960年代後半からは、農地面積の拡大が限界に達したとして、耕作作物の品種改良など技術重視の戦略に転換した(「緑の革命」)。小麦と米を中心に導入されたこの政策は、結果的には小麦革命を実施した州(パンジャーブ州やハリヤナ州など)で大成功した。
 1970年代に食料完全自給を達成すると、今度は政策の主眼は農村の貧困緩和に移行していく。


貧困緩和事業の内容とその実態

 現在、インド政府が打出している主要な政策は以下の通り。

農村自営促進事業(SGSY)
(内容)農村における自助グループ育成を行う。
(実態)農民への認知度は極めて低い。

農村雇用事業(SGRY)
(内容)村内における公共事業(用水路・村内道路の敷設、公民館・学校の建設など)を通じて、農村部の雇用創出を行う。
(実態)認知はある程度されているものの、政府補助金の使途を巡る不正が多々発生。e0074199_3581226.jpge0074199_3582574.jpg







連邦首相農道事業(PMGSY)
(内容)バジパイ政権以降実施されている政策で、比較的大規模なもの。幹線道路・主要都市と村とを結ぶ農道の整備事業。
(実態)認知はある程度されている。しかし、小さな農村では実行されないこと、村内労働力が有効活用されないこと(政府系の建設会社が請負うケースが多いため)などが問題視されている。
 
インディラ住宅事業(IAY)
(内容)指定カースト民・山間部族などの貧困層に住宅資材などを無償・安価で提供するもの。
(実態)貧困層の定義が曖昧(一般的には約12,000ルピー/年と言われている)なため、あるいは提供先の決定権がパーンチャヤット(村議会)と群開発室にあるため、腐敗の温床になっている。


 また、上記のほか、政府は、農民の生活負担軽減のため、保健所や学校の設置なども行っているが、この辺の実態については第6回旅行参照。


 これらの実態について、大規模な訴えを上層部に起こすことは極めて稀だという。
 各農村には、様々なカースト民がいるので、村全体の連帯感はとても希薄で、それが故に大規模な運動は発生しないとのことだ。


農村の過酷な環境

 政府の諸政策の恩恵をなかなか受けられない環境に加えて、インフラ環境や生活環境、自然環境が更に農民を苦しめている。
 Nさんが調査した村々では、電気はごく一部の住宅にしか届いておらず、上下水道設備が無いためトイレも無い。飲料水の清潔性にも多くの問題がある。用水路の有無は村によるが、乾湿の差が激しいので、作物栽培が出来る時期は制限されてしまう。
 (時期によってこんなに環境が変わる)
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 都市部とのアクセスが悪いので教育水準も自然と低迷。
 村内労働者の所得は25~40ルピー(約65~100円)/日、1年のうち約4ヶ月は仕事が無い状態だという。e0074199_4432792.jpg
 農民の金銭的拠り所は、もっぱら出稼ぎ者の仕送りで、一部の農村では年間収入の2/3を仕送りに頼っている状況もあるようだ。




村のための事業とは・・・

 Nさんの調査結果(経過報告)を聞かせて貰い、第6回旅行に引続いてインドの村の実態について理解を深めることが出来た。

 我々日系企業がこの地で貢献出来ることって一体・・・悩みは尽きない。
by bharat | 2005-10-31 15:01 | ふと思うこと