カテゴリ:デリー市内あれこれ( 38 )
【州別観光事務所4】ナガランド・ハウス
 サフダルジャン廟に程近い、Aurangzeb Road 29番地。
 ナガランド州の観光事務所が佇むように建っている。
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インド東部最果ての州ナガランド
e0074199_1412010.jpg 余程インドについて知見のある人しか、この州名を知らないと思われる。
 ナガランド州は、東をミャンマーに接するインドで最も東側にある州の1つで、いわゆる北東諸州の1つだ。


e0074199_1414255.jpg この州の存在について、私はIITFを通じて知っていた。
 インドの中でも、とりわけ特徴的な性格をもつこの州を、いつか訪れてみたいと思っていた。



 縁在ってこのナガランド・ハウスの方にも大いなる助力を貰い、円滑にナガランド州への入域許可を貰うことが出来たので、先日同州に行くことが出来た(そのときの様子は近々書こうと思う)。
by bharat | 2007-05-15 10:30 | デリー市内あれこれ
【州別観光事務所3】アーンドラプラデーシュ・ハウス
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 デリー門のすぐそば、Ashok Roadにあるこの事務所。
 アーンドラ・プラデーシュ(Andhra Pradesh)州の出張事務所になっており、観光情報や風土料理を出す食堂などを備えている。

e0074199_20415270.jpg 建物内には、観光をアピールする看板がいくつかあるが、

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 一際目を惹いたのはコレ。
 サイババの家と思われ、ハッキリ言って何のアピールなのか分からない・・・サイババの住む州アーンドラ・プラデーシュ♪ とでも言いたいのだろうか・・・?


 さて、アーンドラ・プラデーシュ州についてだが、州都ハイデラバードを旅行した際に詳しく記したので、そちらを参照して欲しい。


 今回ここを訪れたのは、ここが美味しい御当地料理を出すとインド人の友達に聞いたから。

e0074199_20474751.jpg その食堂、様子はこんな感じ。
 地元のヒトだか職員だか分からないが、結構な賑わいを見せている。
 昼のメニューは、Veg(肉ナシ)・Non-Veg(鶏/羊/魚)から選ぶ。
 料金は全部Rs60-(約180円)/人。
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e0074199_20534581.jpg これが結構美味い。
 食器などは決して綺麗ではないし、店員は殆ど英語NGだが、味はマル。
 アーンドラ・プラデーシュ特有の激辛な味付けがちゃんとされている。

 因みに、ボーイがカレーを持ってグルグル徘徊しており、断らないとワンコ蕎麦のようにガンガン皿にカレーを盛ってくるので注意。

by bharat | 2007-04-27 10:30 | デリー市内あれこれ
【州別観光事務所2】アンダマンニコバル・ハウス
 デリーの大使館が居並ぶチャナキャプリ(Chanakyapuri)地区。
 この一角に、知る人ぞ知る州の観光事務所がひっそりと佇んでいる。
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 中に入っても、職員は全くやる気ゼロ。
 何を話しても電話に夢中。
 仕方なく、受付に無造作に置いてあった観光パンフレットを貰って退散した。

e0074199_17224637.jpg このアンダマン・ニコバル諸島(Andaman & Nicobar Islands)は、れっきとしたインドの州の1つだ。
 だが位置が特徴的で、東経93℃はバングラデシュより東でミャンマーと同じくらい、北緯7℃(ニコバル諸島の南端)はインド大陸の最南端のコモリン岬よりも南になる。
 島の数は572にのぼり、その殆どは有人島。無人島は僅か30余。
 地図を見ると、この諸島だけベンガル湾の遥か南東にポッツ~ンとある感じだ。

 インド大陸に住んでいるインド人たちからすると、この諸島は殆ど気にしていないようで、自領と思っていない節すらある。
 笑えない笑い話にこんなのがある。
 スマトラ島沖の大津波でアンダマン・ニコバル諸島の島民が多数亡くなった。
 インド人の多くは、その報をニュースで聞いて、初めてこの諸島に住んでいる人間がいることを知ったという・・・。

 そんなアンダマン・ニコバル諸島。
 ニコバル諸島には軍事施設がある(らしい)ので、インド人・外国人共に特別な許可無しには入島出来ない。
 一方、アンダマン諸島については、入島可。
 リゾート観光施設として開発を進めている様子。
 綺麗な海を見ながらノンビリしたり、ダイビングを楽しんだり出来るようだ。
 南アンダマン地区のポート・ブレア(Port Blair)というところには飛行場があり、大陸側との空路が確保されている。
 Jetair、Air Deccanなどの便が毎日出ている。

 宗教分布は、ヒンドゥー教67%、キリスト教24%、イスラム教8%、そのほか1%。
 言語は、ベンガル語・タミル語・ヒンディー語が夫々20%前後で、部族語も9%ほど使われている。

 歴史を紐解くと、先住民が住んでいたこの一帯を17世紀にマラタ朝が征服。
 その後、19世紀以降は英国植民地となり、その地域特性上、流刑地として機能した。

 20世紀の第2次世界大戦期には、日本軍がここを占領。
 大戦後、インド独立と同時にインドの一部となった。

 インド北東諸州と同様、インドの中央部からは軽視され続け、先住民族の保護も適正になされていないようで、残すところあと数十人という危機的状況に陥っている民族もいる。


 ・・・一度行って見たい場所の1つである・・・。


<後日談>
 その後、念願叶って行くことが出来た。
 その様子はコチラ
by bharat | 2007-04-26 10:30 | デリー市内あれこれ
デリー33 階段井戸(Gandhak ki Baoli)
 デリー市内の観光場所は比較的中央部・北部に固まっているが、南に全く無いという訳でもない。
 世界遺産のクトゥブ・ミナールが好例だが、その他にもいくつかある。

 この階段井戸もそんな隠れた遺跡の一つ。

e0074199_3375754.jpg クトゥブ・ミナールの南方に広がるメローリ(Mehrauli)集落。
 まず目印となるのは、このアダム・カーン(Adham Khan)廟。アダム・カーンは、ムガル皇帝アクバルの乳母を務めたマハム・アンガ(Maham Anga)の息子で、アクバル皇帝軍の将軍にまでなった人物だ。しかしのちにアクバルの不信を買い、アクバルのこれまた乳母のジジ・アンガ(Ji Ji Anga)の夫のアタガ・カーン(Ataga Khan)によってアグラ城から突き落とされて謀殺されてしまう。そののち、アダムの母マハム・アンガが亡くなった際、アクバルはこの廟を造り、2人の霊を鎮めた(1562年)。
 全くどうでも良い話だが、乳母は英訳すると2種類ある。乳をあげる乳母はWet Nurse、子育てだけする乳母はDry Nurseという。



e0074199_333155.jpg さて、話が脱線したが、このアダム・カーン廟の脇の細い道を入る。
 車1台がやっと通れるくらいのこの側道を進み、何気なく道の左側を見ると、鉄柵が見えてくる。
 外側からは全く遺跡の雰囲気は無いのだが、近づくと・・・
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e0074199_4192690.jpg 5層建の階段井戸が忽然と姿を現す。
 今は干上がっているこの階段井戸、歴史は古く奴隷王朝期にまで遡る(13世紀)。
 同王朝の第3代のイルトゥトミシュ(Iltutmish)王の治世期に、住民の生活用水の摂取手段として掘られたとされている。



e0074199_4195089.jpg 使用目的が一般生活用ということで、建造物の造りは実にサッパリしている、というか何の装飾も無い。
 王族が水を神聖視した水を祀るということで、精緻な彫刻をそこら中に施したアーメダバードの階段井戸とは、明らかに別物だ。


 名称の由来Gandhakは、サルファー(Sulphur)の現地語。
 硫黄のニオイがしたことから、これが井戸の名前となったようだ。

 
by bharat | 2007-04-19 10:30 | デリー市内あれこれ
デリー32 ハウズカス遺跡
 デリーの南、骨董品や高級ブティックの店舗が並ぶハウズカス(Hauz Khas)。

 その最奥に、今は現地民の憩いの場となっている、遺跡群がある。

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ロイヤル・ファミリーの水瓶
 この一帯の歴史は、意外に古く、ムガル帝国期よりも前、13世紀に遡る。
 この時期、デリーはスルタン(君主の意)が王を名乗り、スルタン王朝期の真っ只中だった。
 因みに、スルタン王朝は、1206年に始まる奴隷王朝(この時期に建てられたのがデリーにある世界遺産クトゥブ・ミナール)、ハルジ王朝、トゥグラク王朝、サイイド王朝、ロディー王朝(今もデリーに現存するロディー・ガーデンはコチラ)の5王朝を指す。

e0074199_13424559.jpg ハルジ朝、アラウッディーン・ハルジ(Alauddin Khilji)の治世期、彼は1284年にこの地に都市を形成し、その周辺に城砦を巡らせた。
 今は、総合スポーツ施設となっているシリフォート(Siri Fort)も、1303年、文字通りSiriという地名に建てられた城砦だった。
 このシリフォートの住民のために作られた水瓶は、当時ハウズ・イ・アライ(Hauz-i-Alai、アラウッディーンの池)と呼ばれた。

 ハルジ王朝期の将軍ギャースウッディーン・トゥグラク(Gyasuddin Tughlaq)が建てたトゥグラク王朝期には、この溜池にてを入れ直し、ハウズカス(Hauz Khas、王族の池)と改称した。


庭園の中の様子
e0074199_1547143.jpg 入口部には、小さいが重厚な印象の門がある。
e0074199_15493025.jpg 中は、芝生を敷いた庭園になっており、霊廟が点在している。
e0074199_1551068.jpg 霊廟の屋根の内壁には、コーランと思しきイスラム文字と、
e0074199_1617026.jpg 墓をひっぺがした跡がある。
 ・・・いつ、何の目的でひっぺがしたのだろうか・・・?


e0074199_162135100.jpg 小さな霊廟が乱立しているが・・・
e0074199_16222236.jpg 中にはこんな立派なものもある。
 特に明記されていないのだが、恐らくトゥグラク王朝のフィローズ・シャー・トゥグラク(Firuz Shah Tughlaq)の廟と推測される。
e0074199_16244788.jpg 中には棺が安置されている。
 何故、この棺だけ無事に残っているのか・・・?


 この遺跡群は、増改築されながら、奴隷王朝期からロディー王朝期の長きに亘って使用されていた。
 恐らく、貯水湖に近いということで利用価値が高かったのだろうし、各王朝ともイスラム系だったので、生活習慣上・宗教上使用することが出来たのだろう。
 この立派な建物は、ロディー王長期の1354年になって建てられたもの。
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 マドラサ(Madrasa)と呼ばれる、学校施設として機能していたと言われている。
 因みに、このマドラサという名称は、今現在も使用されており、インドで生まれ育つイスラム教徒たちは、マドラサで教育を受ける。教育内容は、国語・算数に始まりイスラム特有の教育にまで及ぶ。

 


by bharat | 2007-04-14 10:30 | デリー市内あれこれ
デリー31 アーユルヴェーダ病院
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 南デリー、South Extensionの一角にあるこの建物。
 インド医学アーユルヴェーダ(Ayurveda)に基づいた診療・治療を行う病院である。

 一般的に、日本でアーユルヴェーダというと、女性の美容目的のエステの様なイメージが強いようだ。
 どこのリゾートホテルにも、仰向けに寝て額にオイルを垂らしている写真が出ている。
 ただ、これはシロダーラ(不眠・頭痛を無くし、集中力を増進させる治療法)というほんの一例に過ぎない。

 ヒンディー語(サンスクリット語)で、生命(アーユス)に関する知識(ヴェーダ)が示す通り、アーユルヴェーダはとても幅広い学問で、生命哲学とも言うことが出来る。
 その歴史は、4000~5000年前まで遡ることが出来るという。
 対症療法というよりは、病気そのものから体を守る、予防の概念が強く、この点は漢方医学にも似ている。
 

e0074199_16272958.jpg この病院は、見た感じ普通の病院と大差無い。
 待合室があって、奥に診察室が2つ。
 待合室には、患者が沢山。
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 これは、大変珍しい番号札(正直、インドに来て初めて見た)。
 皆、順番を守って、診察を待っていた。


 30~45分くらい待つなぁと思い、病院の並びのコーヒーショップで時間を潰す。
 喫茶してから病院に戻ると、ちょうど順番が。

e0074199_16322658.jpg 診察室に入る。
 中は、田舎の市役所の一室みたいな感じで、机・椅子が一揃い、簡単なベッドが脇に置いてある。
 医者と思われる人も、白衣を着るでも無く、街行くオッッチャンと全く変わらぬ服装。

 基本スタイルは、問診&脈診。
 後日知ったが、舌診というのもあるそうだ。

 因みに、私が診てもらったのは、たまに発生する下痢とじんましん。
 診察結果は、「食べすぎに気を付けて、大量の刺激物を食べないように」・・・えぇ、御尤もですね。


e0074199_16374565.jpg 処方箋を書いて貰い、裏手の薬局へ。
 係の人が手際良く錠剤やらカプセルやらペーストやらを処方してくれる。
e0074199_1639636.jpg で、出て来たのがこんな薬。
 錠剤がメチャでかい・・・子供はまず飲み込めないくらいの大きさ。
 そして、ペーストがまた、メチャメチャ苦い・・・味は正露丸をもう少しキツくした感じ。



 じんわりとした効き目しか無い一方、副作用の心配が無いということで、今でも服用しているが、やはり効き目はあまり実感出来ない。
 食いすぎれば下痢するし、辛いものを大量摂取すればじんましんが出る。

 ・・・インド医学、奥深し。
by bharat | 2007-02-18 10:30 | デリー市内あれこれ
デリー30 ロータス・テンプル(Bahai'i House)
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e0074199_3422918.jpg デリー東南(フマユーン廟を東南に進む)に建っているこのシドニーのオペラハウスに似た建築物は、宗教建築物だ。

 バハイ教と呼ばれる宗教の寺院なので、バハイ・ハウス。
 蓮の花を模しているので、通称ロータス・テンプルと呼ばれている。
e0074199_3432389.jpg この余り聞き馴染みの無い宗教は、イランで生まれたバーブ(Bab、1819~1850)が始めたバーブ教が元だ。彼が異端視されて20,000人の信徒たちと共に1850年に処刑されると、その後バハーウッラー(Baha'u'llah、1817~1892)がバハイ教として確立、アブドゥルバハー(Abdu'l Baha、1844~1921)へと続いた。
 教義は、人類の平和と統一。男女平等、一夫一婦制、偏見の除去、教育の普及などを推進している。
e0074199_344764.jpg 現在、360ヶ国に信徒がおり、2112もの宗教団体によって支えられている。キリスト教に次いで世界で2番目に広く信仰されている宗教だと言われている。
 27エーカーという広大な敷地に特徴的な建築物。
 屋内へは、クツを預けて入る。
 いかなる宗教の人でも、ここで瞑想をすることが出来る。
e0074199_3474564.jpg この建物は、1980年に建設開始され、86年に完成。
 高さ34.27m、花びら状の屋根は9×3=27枚。この9という数字は、バハイ教にとって意味のある数字らしい・・・周りの池の数も9つあった。
e0074199_3482826.jpg 花びら屋根にふと目を転じると、人が!
 恐ろしく不安定な体制で、清掃作業をしていた。

by bharat | 2007-02-16 10:30 | デリー市内あれこれ
デリー29 IETF
e0074199_7215847.jpg 2月13日(火)~16日(金)、北デリーのPragati Maidenで大規模な展示会が開催された。
 この場所は、いわばインドの幕張メッセとも言えるところで、この場所でDEFEXPO(防衛省主催の軍備・国防に関する展示会)オートエキスポIITF(物産展示会)などが開催されている。

 今回の会は、IETF(International Engineering & Technology Fair)。邦名、インド国際産業&技術フェア。



日本パビリオン
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e0074199_206466.jpg 2007年は、日印交流年。
 今回の展示会では、日本企業のみを集めたパビリオンが設置された。
 館内には、インドに進出している、あるいは関心のある日本企業などが所狭しと展示ブースを構えていた。
 初めて見る企業も多かった。
 ・・・しかし、製造業の隣に非製造業があったりと、業種別に展示していないので、とても周りづらいな・・・。
e0074199_20242496.jpge0074199_20244810.jpg 館の中で、一際人を集めていたのが、HONDAのブース。みんな、ASIMOのショーが御目当てなのだ。
e0074199_20363930.jpge0074199_2037897.jpg 現地の小学校生たちが目を輝かせてショーに見入っていた。この日のASIMOは、クリケットバットを持って登場、英語とヒンディー語を話す。その様子に観客たちが歓喜していた。



 日本パビリオン以外の館を見る時間が無かったのが心残りだったが、日印交流年の好調な滑り出しを実感できた。
by bharat | 2007-02-13 10:30 | デリー市内あれこれ
デリー28 日本妙法寺
e0074199_14462047.jpg デリーの東、ノイダ(Noida、Utttal Pradesh州)に向かう道沿い。
 ちょうどフマユーン廟の裏手にあたるこの場所に、大きな仏塔(ストゥーパ)があることを御存知だろうか。


日本妙法寺デリー道場
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 日本妙法寺については、ラージギル旅行記でも書いたが、日蓮宗の一派で、インドを含む世界各国に道場を配している。

 ここデリーにも、道場を造っているという話は聞いていたが、こんなところにあるとは知らなかった。

 現在のところ、形になりつつあるのは、このストゥーパくらいで、あとは土木職人たちの仮住まいと、住職の仮住まいがその脇に立っているくらいだ。


e0074199_13294767.jpg ここで現場を管轄する、田中上人に会って、色々話を聞くことが出来た。
 同上人は、若いころに他の宗派からこの妙法寺に入り、妻帯を持たず、世界中を周っているという。
 1980年くらいから、ずっとインドに居るのだという。


e0074199_13335893.jpg このデリー道場の建設は、2004年後半から開始したのだという。
 土地取得の際には、いろいろインド側の対応に振り回されながらも、この場所を得て、ボランティアの手を借りながら、ゆっくりとだが着実にストゥーパの建設を行っている。
 完成すれば、高さ31m、内部にはブッダの遺骨、外壁四方に異なる4つ(誕生・瞑想・説法・涅槃)の仏像を配する真っ白い立派なものに仕上がる。


e0074199_13365126.jpg 既に、ストゥーパの先端部分は、クレーンで吊り上げて設置済。
 今は、周囲を塗装している段階で、完成時期は2007年11月頃。
 私は、6月頃に日本に帰国するので、残念ながら完成を直に観ることは出来ない・・・。


e0074199_13402130.jpg ストゥーパの下部は、ちょっとした倉庫になっており、上述した4体の仏像が、設置のときを待っていた。
 日本の道場から寄贈されたものだという。


e0074199_1341226.jpg 建設に使っている工具や資材は、恐ろしく原始的で古いものだった。


e0074199_13441595.jpg この日も、現場作業員が何人かいて、ノンビリ作業を行っていた・・・あと11ヶ月、こんな調整で、ノンビリ完成に漕ぎ着けるのだろう。





e0074199_13452831.jpg 妙法寺とは全然関係無いが、田中上人になついていた仔犬が可愛かったので、写真に収めた。

by bharat | 2007-01-08 10:30 | デリー市内あれこれ
デリー26 日本人会 忘年会(今年は主催側)
 12月10日(日)18時、毎年恒例の「デリー日本人会 忘年会」が開催された。

 昨年の忘年会にも出席したが、これは一観客として。

 今年は、輪番制で当社が総括役(宴会部長と呼んでいる)となったため、約2~3ヶ月前からの諸々の準備を行うこととなった。
 加えて、当会の総合司会を仰せつかり、またこれは自由意志だが、余興にも参加させてもらったので、実に盛り沢山、思い出タップリの会になった☆


みんなのボランティアで支えられている
 現在200~300社いるであろう、デリー及びデリー近郊進出企業の駐在者及びその御家族が対象のこの忘年会。
 出席者はもちろん、裏方さんもこの中から選ばれる。

 会全体の流れを宴会部長が取纏める・・・といっても大したことは無い。

e0074199_2016338.jpg 本当に大変なのは、大道具さん、音響・照明さん、クイズ担当さん、福引担当さんたちなのだ。
 今回、総合司会をやらせてもらい、この方々と一緒に準備期間~本番と御付き合いさせて頂いたが、本当に頭が下がる思いだった。
 実作業者のうち、インド人たちも当然交じっているのだが、ハッキリ言って、このエンターテイメント途上国(ボリウッドトップスターのコンサートですら、このレベル)においては、彼らはまだ我々の要求する水準まで達していない。
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 なので、結局、道具の搬出入や音響・照明などは、日本人がやらざるを得ない。

 この方々の御蔭で、日本の宴会さながらの細かい演出が成功している。
 観る立場から、観てもらう立場に回って、改めて実感した。


でも、ちゃんと楽しみました☆

 当日は、朝8時入りして、通しのリハ。
 18時開始なので、10時間もあると思っていたが、これが結構時間がかかる。
 細かな設定を当事者間で確認しながら、結局リハが終了したのは16時過ぎ。

e0074199_20275020.jpg 皆さん、殆ど休む間も無く18時に本番スタート!

 総合司会といっても、会の間、ずっと出突っ張りという訳ではない。
 余興、クイズ大会、福引大会と、イベントの間は、舞台袖で休めるので、あまり疲れない。

 で、考えたのが、

   ・・・何か楽しいことがしたい!・・・

e0074199_20351832.jpg さすがに総合司会が、四六時中冗談を言ってる訳にも行かないので、ある余興団体の責任者の方に御願いして、飛入り参加させてもらうことにした。

 詳細は、ナオミさんのブログを参照して欲しいが、兎に角楽しい内容に仕上がっていた。

 私はというと、グラサンをして、気志團のダンスを少々。
 今まで気付かなかったが、坊主頭にヒゲ+グラサンは、かなり迫力が出る。


 で、そのあとの福引大会でも、賞品を頂きました。
 ラッキーラッキー☆


 何度か台詞を噛みながらも、乗り切って、21時30分頃、無事に閉会。


 怪我も無く、ブーイングも無く、終われて一安心。
 当事者の方々、本当に御疲れ様でした。
by bharat | 2006-12-11 10:30 | デリー市内あれこれ