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カテゴリ:インド周辺国ぶらり旅
コロンボから車で30分、スリランカの首都である、スリジャヤワルダナプラコッテ(Sri Jayawardenepura Kotte)。
この長い名前、世界で一番長い都市名なのだとか。 因みに名称は、スリランカの名声高き初代大統領のジャヤワルダナと、スリランカの昔の王朝コッテ(コーッテ)(詳しい歴史はコチラ)に由来している。 コロンボよりここに遷都されたのは、1980年代。 以来、国会議事堂が移され、その後官公庁の建物、住民が順次シフトする筈だったが、今のところそのスピードは遅々としており、寂れた印象を受ける。 見所といえるのは、ジェフリー・バワ(詳細はコチラ)が設計した、国会議事堂。 ![]() 警備上の理由で、遠くからしか見られないが、やはり直線的なデザインが特徴的だ。 政府から依頼を受けたバワは、デザインから建物完成までわずか3年という短期間で仕上げたという。 この議事堂の近くに、スリランカの伝統工芸を実践販売するグラモダヤ民俗芸術センター(Gramodaya Folk Art Center)がある。1988年、プレマダーサ元大統領によって作られた。 敷地内に、銀細工・木製細工・皮革製品・織物など種類別にワークショップがあるのだが、どれもマバラな感じ。 販売も、小さな小屋1棟でのみ行われていた。 おまけに、現地通貨キャッシュしか対応しておらず、ガイジンにはとても買物しづらい環境。 伝統工芸保護の理念は良いと思うが、どうも片手落ちの感が・・・。 オススメ度(100%個人主観) ★☆☆☆☆ ・・・ 特に観光するものナシ 所要観光時間 30分 コロンボから北東へ11km、車で30分ほど行くと、小さな村キャラニヤ(Kelaniya)に到着する。
ブッダがスリランカに来訪!? ここで観るものは1つだけ。大きな仏教寺院ラージャ・マハー・ヴィハーラ(Raja Maha Vihara)がそれだ。 寺院に向かう階段のうえの両脇には、ガードストーン。 寺院の外壁が真新しく見えるが、13世紀の建立と意外に古い。周囲には、細かな彫刻と、 ![]() ヒンドゥー神の彫刻。![]() 外壁はヒンドゥーだが、中にはちゃんとブッダがいる。![]() 壁画は最近のもの。スリランカの仏教伝来の絵など。 本尊には、金色のブッダ。 また、本尊脇に安置されている巨大なブッダ像。因みに、目が半目・足が揃っているので、涅槃像では無い。 涅槃に入った仏陀は、両目ともつむり、足のつま先がズレている。 寺院の他には、ストゥーパ(仏塔)と神様を祀った御堂がある。 オススメ度(100%個人主観) ★★☆☆☆ ・・・ コロンボから近いので時間があれば 所要観光時間 1時間 2006年4月に初めて行った、スリランカのコロンボ。
そのときの様子はコチラに書いたが、今回再来訪。 モルディヴに旅行した帰りに、立寄った。 今度は観光 前回旅行時より時間があったので、今回は観光がメイン。 キーワードは、「仏教」と「ジェフリー・バワ」。 ガンガラーマ(Gangarama)寺院 ヒンドゥー教に関係するような(聖なる川ガンガー+ラーマ神)名称だが、仏教寺院。ごく最近に建てられた寺院だが、たくさんの礼拝者が集まる、市内最大規模の寺院だ。 莫大な資金力を持つ宗教団体が管理・運営しているということで、敷地内には象を飼い(象は1日に250kgくらいエサを食べ、とても飼育費がかかる)、 本堂には、立派な仏像が沢山並び、 アヌラーダプラの分け木から育てたと言う菩提樹、 世界各地から寄贈された仏像や書籍の倉庫に、 純白のストゥーパ(仏塔)。これは、ストゥーパの傍らにあった仏像。 顔の造りがスリランカのものとは明らかに違う(これは中国のもの)。 タイから寄贈された離れの建物も見られる。確かに、バンコクで見た寺院に造りがソックリだ。 こちらも寄贈された石像。ポロンナルワの石像を模したものと思われる。 博物館という名の、寄贈された物を保管する建物もある。仏教寺院だが、入口にはヒンドゥーの神々が。 建物の内部には、大量の仏像の雛壇と、 寄贈品の保管棚がある。棚には、大量の仏像と・・・ ・・・こけし?? ・・・亀??頂いたものは何でも展示する主義のようだ。 数年に1度しか一般公開しないキャンディの仏歯寺に祀ってあるブッダの歯(の入れ物)の写真も掲示されている。こんなに大層に保管してあるとは、驚き。 次の寺院に行く前に。 スリランカが生んだ、天才建築家。 ![]() 1919年生まれ、2003年没(84歳)。 コロンボの上流家庭に生まれ、英国で文学を学んだ後に弁護士となった。 スリランカに帰国後、自ら購入した土地の造園に着手するも行き詰まり、再び英国へ今度は建築を学びに飛んだ。1957年、38歳での遅い建築家デビューだったが、その後は自国スリランカをはじめ、隣国インド、インドネシア、モーリシャスで傑作を残した。スリランカの首都スリジャヤワルダナプラコッテの国会議事堂も彼の設計だ。 直線的なデザインと、周囲の景色と建築物との繋がりを意識した技法は多角評価され、リゾート建築家の大家と呼ばれた。 で、そのバワがデザインした仏教寺院がこれ。 シーマ・マラカヤ(Seema Malakaya)寺院は、上に書いたガンガラーマ寺院の団体が管理している。コロンボ市内に横たわるベイラ湖に浮かぶこの寺院は、直線的なデザイン。 建物の内壁は、ご覧の通り、スカスカ。曲線の木がタテに組んである。 市内にあるパラダイス・ロード・カフェ(Paradise Road Cafe)も、バワのデザイン。と言うより、元々バワが活動拠点としていたこの場所が改装され、カフェになっている。 吹抜けになっている中庭で、美味しい食物を食べられる。![]() ![]() ![]() その他 ヴィハーラ・マハデーヴァ公園。入口にブッダ坐像がある以外は、特に特徴の無い公園。 スリランカ人の中にもイスラム教徒はいる。ということで、モスクもある。 国内総人口の1/3が集結する首都
![]() 左の小さな島が、首都のマーレ。 ここに10万人以上が密集して暮らしている。 町並み・見どころ 町には、我々の目に馴染みのあるものが沢山。車は殆ど100%日本車。 バイクも殆ど日本製(Hondaタイのものが多い)。 埋立工事・防波堤工事は、日本ゼネコンによるもの。 特に2004年12月、スマトラ沖地震によって発生した大津波では、この防波堤が街を救ったのだという。 竹中直人の店、なんてのもあった。ハワイ同様、他の店と変わり映えしないものを売っているに違いない。 大統領官邸 現在は、大統領はここに住んでいないそうだ・・・。政府要人が外国から来訪した際に、ここに泊めるのだという。 その際は向かって右のポールに、国旗が掲げられる(左にはいつもモルディヴ国旗)。 国会議事堂 ![]() フクル・ミスキ 1656年に建立されたモスク(イスラム教礼拝堂)。インドでよく出くわす典型的なモスクを沢山見たせいだろうか、丸いドーム状の屋根が無いモスクというのには、どうも違和感を感じてしまう。 インドが大理石なら、モルディヴは潤沢に獲れる珊瑚を建材に使用!固い珊瑚に、実に見事な彫刻が施されている。 モスクの前庭部分には、王家・親族の墓標が並ぶ。金曜モスク これは近隣のイスラム教国からの支援によって建てられた新しいモスク。中は写真撮影禁止で撮れなかったが、壁面や天井の装飾は実に綺麗だった。 中央に恐ろしく大きな広間があり、ここで皆礼拝を行うのだという。 博物館 公営か民営か知らないが、とてもこじんまりとした島(国?)で唯一の博物館。昔の王が使用した輿や、 コーランの印刷機が置いてある。 古い貨幣・紙幣の中には、日本の小判もあり、この時代から日本-モルディヴ間で何らかの商行為があった可能性を示唆している。また、モルディヴが大昔からイスラム教国では無かったことを示すものとして、仏教関連の出土品が結構陳列されている。 ![]() ![]() ![]() また、歴代の王の写真も(新しい順に左から)。 ![]() ![]() ![]() ![]() 魚市場・果物市場 ここマーレは輸入品と輸出品の交流地点。 近海で獲れた魚、周りの島で採れた果物は、マーレの市場に持込まれ、海外から輸入される食材や生活雑貨に形を変えて、島に戻っていく。 ![]() ![]() スポーツ大国!? 2007年フットサル世界選手権のポスターが・・・この島で開催されるらしい。意外とスポーツ盛んなのかな? オススメ度(100%個人主観) ★★☆☆☆ ・・・ やはり近隣のリゾートホテルで過ごすのが王道 所要観光時間 0.5~1時間 インド大陸の南西、インド洋に浮かぶモルディヴ共和国。
インドに来るまでは、詳細な場所すら知らなかったが、折角近くに住んでいるのだからということで、今回行ってきた。 第100回旅行 ・・・ マーレ(モルディヴ共和国の首都) ホテル (7) ・・・ Cocoa Island ホテル (8) ・・・ Soneva Gili 国の概要 ![]() 名称 : モルディヴ共和国(モルジブ、モルディブ、とも)「花輪状の諸島」を意味するサンスクリット語マロディープ (Malodheep)が示す通り、ワッカ状の環礁が連なる 諸島である。 面積 : 298㎡(佐渡島の0.35倍) 首都 : マーレ(Male) 人口 : 29.9万人(2006年)、うち首都マーレに10万余人居住。 国教 : イスラム教(スンニ派) 言語 : ディベヒ語 時差 : 日本時間 - 4時間 ※但し、モルディヴ国内に「リゾート時間」なるものが存在し、 島によってはこれを採用(日本時間-3時間)。 標高 : 殆どの土地が海抜1~3m。2004年スマトラ沖地震では大きな被害を被った。 通貨 : ルフィア(1ルフィア=10円) USドル紙幣が使用可能。 ※但し、ホテル施設ではチップ以外は、全部クレジットカード決済可能。 産業 : 漁業 観光事業 国の歴史 6世紀 セイロン島(現在のスリランカ)から仏教徒の人々が移住してきた、といわれている。 12世紀 アラブ人がイスラム教を伝える。 1558年 ポルトガルがマーレを占拠 当時ヨーロッパ大陸で貴重視されていた貝殻やアンバー(香水の原料) を狙ってのもの。1573年まで支配は続き、この間キリスト教信仰が 強制される。 1645年 オランダの保護国になる(~1796年)。 1887年 イギリスの保護国となる。 この影響は今でも残り、現在、英国連邦府に属している。 1965年 7月26日、スルタンを元首とする君主国として独立。 1968年 11月11日、国民投票で共和制に移行。 初代大統領は、ナシル。 1978年 11月11日、マウムーン・アブドゥル・ガユームが第2代大統領に就任。 1988年 11月3日、国内実業家の雇った傭兵によるクーデターが勃発。 同日夜、インド軍部隊が投入され、無血鎮圧された。 2004年 12月26日、スマトラ沖地震による津波の襲来を受け、82名が死亡。 このとき津波を防いだ防波堤が日本製(無償援助によるもの)だったので、 親日的な島民が多い。 日本との意外な共通点 それは「カツオ節」。これを元来より食材として使用している国は意外に少なく、日本とモルディヴより他には殆ど無いと言われている(勿論、日本料理の世界進出等により、今では色んな料理で登場する)。 モルディヴでは、農地が極端に少なく、イスラム教徒は豚を食べない。そのため、食生活は魚が中心。 また獲れる魚の6割がカツオということで、ごく自然に保存食「カツオ節」が作られるようになったようだ。 一方、日本においても『大宝律令(701年)』や『延喜式(905年)』に貢物として、「型魚(カタウオ)」の表記が確認され、この時代に既にカツオ節の原型が登場している。 現在の名称は、恐らく「カツオ干し」が訛ったものではないかと言われている。 このカツオ節は、鎌倉~室町~戦国時代には、味噌・梅干などと並んで戦時の保存食として活躍した。 徳川家康の半生について記した『三河物語』にも、「鰹節を上皮けづりて(中略)噛み候へば、殊の外、力になるよし」の記載がある。 山鹿素行の著した兵法書『武教全書』にも、「鰹節は(中略)、これをかまば性気を助け、気を増し、飢えをしのぐのみならず、功あるものなれば必ず用意すべきことなり」とある。 また単純に、「勝男武士(カツオブシ)」と当て字して、縁起が良いとされたようだ。 幕藩時代(江戸時代)には、カツオが獲れる土佐藩や薩摩藩などで、独自のカツオ節製造法が編み出された。 カトマンズ盆地で、カトマンズ、パタン、バクタプル以外にもいくつか見所がある。
それを纏めて、今回の旅行記とした。 ボダナート(Bouddhanath) ![]() カトマンズ市の北東部に位置している、巨大なストゥーパ(仏塔)。(※上の航空写真は、購入した絵葉書より。) 町通りからちょっと入ったところにあるので、車で流していると気付かないが、お祈り用のロウソクを売っているコーナーを中に入ると・・・ いきなり真っ白いストゥーパが出現する。 このババロアみたいな純白ストゥーパは高さ36m、南アジアでは最大の大きさだ。スリランカにも同様に白色のストゥーパはあったが、ここまで大きなものは無かったし、ましてや首都地域では無かった。 更に特徴的なのは、上部に目が書いてあること・・・これが神聖というよりコミカルな印象を与えている。 夕方の時間は、地元の参拝者でゴッタ返す。皆、時計回りに御参りするので、我々もこの流れに乗って移動することになる。 気に入った土産物屋を通過してしまっても、後戻りは出来ない・・・もう1周しなければ。 ふとTシャツに目を移すと・・・!!デリーのチベット人居住区で購入したTシャツと全く同じデザインのものを発見! ネパール・インドの流通網、恐るべし。 パシュパティナート(Pashpatinath、Pashupati) ![]() シヴァ神を祀る寺院が集まるこの地域は、ネパールのみならず、近隣国のヒンドゥー教徒も参拝に訪れるという、ヒンドゥーの聖地だ。一番大きな寺院は異教徒立入禁止だが、外見だけでも見がいがある。 ![]() 周囲には、小さなシヴァ寺院も多数ある。 川沿いに立地しているこの集落。川っぺりで何やらモクモク煙が立ち昇っているが・・・ 実はこれ、死体を焼いている。ここで荼毘に付しているのだ。 キルティプル(Kirtipur) ![]() カトマンズ市街地を南西に行き、丘陵を車で約45分進むと、キルティプルという小さな村落に到着する。現地語で「名誉の町」というこの村落の見所は、バーグ・バイラヴ(Bagh Bhairav)寺院だけだが、なかなか立派な造りだ。 シヴァ神を祀っているということだが、本堂入口にはカーリー女神がおり、 やはりバクタプルで目撃したのと同様、生贄(ヤギ)をお供えしていた。生き血をすする野良犬に、ニッコリ笑う地元の子供たち・・・すごい絵だ。 朝市が開かれているところですら、妙に歴史を感じる。 帰り際、真新しい仏教寺院を発見。中には、本堂のほか、宿坊などもあった。 オススメ度(100%個人主観) ★★★★☆ ・・・ ヒンドゥー教・仏教の隆盛を体感出来る 所要観光時間 3時間 マッラ王朝期に栄えた「第3の都」バクタプル(Bhaktapur)。カトマンズ盆地から東へ12km、車で約45分ほど行ったところにある。 ヒンドゥーの神が護る町 6.88k㎡のこの都市は、9世紀頃に形成され、マッラ王朝期に王都となった。 15世紀、Yaksha Malla王の治世期に、現在の形になった。 同じく王都となった他の2都市(カトマンズ、パタン)と比べて特徴的なのは、町全体が勾配の上にあること、木造多層階建ての建物が多いことだ。 喧騒と静けさと・・・ ここに到着したのは10時頃だったと思うが、当日は3月3日のホーリー(ヒンドゥー正月)前日祭。 一見静かな通りも、カラーパウダーや水風船の飛び交う戦場と化していた。 結局、水はかなり浴びたが、奇跡的にカラーパウダーは食らわずに済んだ。 ![]() ![]() ![]() ![]() ヒンドゥー教だが・・・ ![]() この一帯に建てられている建物の多くに、性交している彫刻が多く見られる。ヒンドゥー・タントリズム(ヒンドゥー密教)と呼ばれるこの宗教理念は、多くの宗教が己の欲望を抑制することによって精神的な高みに至るとする中で対極をいっており、つまり物質的や性的な欲望を解放することによって、神と一体化することが出来るとしている。 この理念は、インドでも古代~中世のイスラム勢力が本格的に入ってくる前まではごく一般的に流布されていた(世界遺産に指定されている中央インドのカジュラホの性交渉を象った彫刻は有名)。 ここネパールのヒンドゥー教も恐らくこの考えがベースになっていると推測され、かつイスラム勢力による性的描写の弾圧・毀釈がなかったので、今も当たり前のように残存しているのだと思われる。 生贄 インドの多くの地域で見られなくなったが、ここネパールでは未だにヤギを神(主にカーリー女神)に生贄として捧げている。こんなスプラッタな光景がそこかしこで見られた(首をはねて寺院を周って、首を神前に捧げ、体から内臓を取出す)。 ![]() 町並み 坂を登ると、急に広けた広場に出る。 ダルバール・スクウェアだ。 王宮コンプレックス 金色の入口門、 レンガ造りに木製の門扉、 ナーガを祀った溜池、![]() ![]() などで構成される大きな建物群。 入口門と建物の一部は、修復作業中だった。 ニャタポール(Nyatapol)寺院 これは、ダルバール・スクウェアのランドマークになっている、高さ30m以上の5重の塔。ブパティンドラ・マッラ(Bhupatindra Malla)王が1708年に建立した。 階段両脇の像は、力の序列を示している。 1番下から人間、象、獅子、グリフォン、神の順で、夫々1階層下のものより10倍の力があると言う。 神は人間の1万倍力があるということか。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 他の大理石造りのヒンドゥー寺院も、階段が同様にデザインされたものがいくつかあった。ニャタポール寺院を模倣したものだろうか。 ヒンドゥー彫刻 ![]() ![]() ![]() 名も無い建物の前にも、このような彫刻が並んでいる。これは、学校施設(?)の前に安置されていたヒンドゥー教の神々(カーリー女神、ヌルシンハ神、ハヌマーン神、シヴァ神)。 パシュパティナート(Pashpatinath)寺院 大きな屋根を持つこの寺院は、震災の影響で崩壊の危機に晒された。現在、ドイツの援助を得て内部に石・鉄骨の補強材が入っている。 ![]() ![]() バイラヴナート(Bhairavnath)寺院 ![]() バイラヴ(シヴァ)神を祀った寺院。元々平屋建てだったが、1718年にブパティンドラ・マッラ(Bhupatindra Malla)王によって増築された。 司祭の館 高名な司祭が住んでいたという館。 とても尊敬する気になれない、ちっぽけな人形が窓側に突っ立っている・・・。御存命中は、こんな風貌では無かったと思うが。 孔雀の館 寺院と交じり合う一般住宅の中に、一際彫刻の美しい家がある。孔雀の館と呼ばれるこの館には、木造の木目細かな孔雀の装飾があり観光場所の1つになっている。 向かい側の土産屋さんの2階からよく見える。 オススメ度(100%個人主観) ★★★☆☆ 観光所要時間 1.5~2時間 カトマンズの王宮跡ダルバール・スクウェアから車で南へ約20分、マッラ王朝期の3つの王都のうちの1つ、パタンに到着する。マッラ王朝期の都 マッラ王朝期の15世紀、3人の王子が夫々独立国家を建てたが、そのうちの1つの都がここパタンに置かれた。 都市としての歴史は、3都市の中で最も古く、既に紀元後299年にラリトプルという名で都市が形成されていた。 カトマンズにあるものと同じ名称のダルバール・スクウェア等があり、規模はやや小さいものの、綺麗な寺院が数多く残っている。市の中心には主としてヒンドゥー教寺院があるが、パタン市は仏教の中心地で、仏教寺院も市のはずれに点在している。インドにある仏跡ブッダガヤーの大菩提寺(マハーボディ寺院)を模した寺院も、ここパタンにある。 パタン博物館 レンガ造りに、大きなひさし、巨大な狛犬が特徴的な建物は、博物館。1997年に出来たが、以前は王宮の一部だった。 当日は早朝だったため、まだ開館しておらず、中は見れなかった・・・。 毎日10:30に開くらしい。 クリシュナ寺院(Krishna Temple) ![]() チケット売場から広場に入って、奥手の左方にある。寺院の名のわりには、節操無く色々な神様を祀っている。 まず、寺院の前の柱には、ヴィシュヌ神の乗物の鳥ガルーダ。 本堂の2階にはクリシュナ神、その他の階ではシヴァ神、ブッダを祀っている。 訳の分らないルームシェアリングである。 黄金寺院(Golden Temple) ![]() 広場から少し離れたところにある。ヒンドゥー教ではなく仏教寺院だ。 12世紀の建立とされている。 ![]() 門をくぐって中に入ると、受付があり25ルピー払って本堂へ。中には、細かな細工を施した本堂がある。 ![]() ![]() その他の寺院 ![]() ![]() 御祭りモードの街中 ふと遠くを仰ぎ見ると、ヒマラヤ山系がクッキリ見え、とても穏やかな感じ・・・だが、当日はホーリー前日祭。 インドほど全員を巻き込んで、ということでも無いが、子供たちは大盛上がり。 ![]() ![]() ![]() 石野卓球ならぬ、石の卓球に興じる子供も。オススメ度(100%個人主観) ★★★☆☆ 所要観光時間 1.5時間 ネパールの東部、国内唯一と言っていい広範な平地(といっても盆地だが)を蓄えるのが、首都カトマンズだ。標高は1,300m、人口は100万人以上。 王宮都市 カトマンズは、都市の名でもあり、その一帯に広がる大きな盆地の名でもある。 現在、カトマンズ盆地全部を対象として、ユネスコ世界文化遺産に指定されている(2003年危機遺産に指定)。 ネパールの歴史のくだりでも書いたが、古代~中世において、ネパールを治めるとはつまり実質的にこのカトマンズ盆地を支配下に置くということだった。 代々の支配者がこの地を統治し、15世紀中頃にマッラ王朝が3つに分裂すると各々の首都カトマンズ(市としての)、パタン、バクタプルは競い合って立派な王都を形成し、それが現在でも見事に残存している。 市街地周辺の遺跡については、別途第99回旅行記「カトマンス周辺ほか」にまわすとして、ここでは、巨大な王宮跡について記すことにする。 ダルバール広場(Durbar Square) ![]() 大小入れて見所が43もある。 小さなものを端折っても、20弱は観るべきところがあり、かなり見応えのある観光スポットになっている。 以下、観た順番に・・・。 ①バサンタプル・ダルバール(Basantapur Durbar、地図上の43) ガンガ通り(Ganga Path)から入っていくとまず右手に見えてくるのがこの建物。1770年に、ネパールの王Prithvi Narayanが建てた建物は、外見は4つの屋根だが中は9階建て。 その目の前にある広場Basantapur Dabaliでは、骨董品のノミ市が開催されていた。 周囲の店もいくつか骨董品を扱っていて、なかにはこんな御面屋さんも。②ガッディ・バイタク(Gaddi Baithak、26) 他の寺院群から明らかに浮いた存在のこの建物は1908年に建てられた。イギリス植民地時代に、年に1回の山車祭の際に、イギリス人たちはこの洋風建築からその喧騒を眺めていたのだという。 ③クマリ館(Kumari-ghar、25) 1757年、ジャヤ・プラカシュ・マッラ王によって建てられたこの館には、ネパールの生き神クマリが住んでいる。クマリは、ネパールの神タレジュ(Taleju)の化身とされ、少女の中から選ばれる。 少女は生き神として崇められ、国王も彼女の前では跪くという。 クマリの少女は、初潮を迎えると通常の人間に戻り、また新たな少女がクマリとなる。館の門をくぐると、中庭からクマリの部屋が見え、呼ぶと顔を出してくれることがあるという。 ④トリロキャ・モハン・ナラヤン(Trilokya Mohan Narayan、24) 1690年に建てられたこの建物は、ヴィシュヌ神を祀っている。⑤カスタマンダプ(Kasthamandap、18) 12世紀に建てられたこの巨大な建物は、1本の木から作られたという。 ガラーンとした内部の一角には、シヴァ神が祀られている。⑥アショク・ヴィナヤク(Ashok Vinayak、16) カスタマンダプの前にある、小さな祠。地元民には、マル・ガネーシュ(Maru Ganesh)の名で通っているこの祠には、ガネーシュ神が祀られている。 ⑦サンテネシュワル寺院(Santeneshwar Temple、地図の左端) ![]() 広場の端にあるこの小さな寺院には、シヴァ神(シヴァリンガ=シヴァの男根)が祀られている。⑧マジュ・デガ(Maju Dega、13) 17世紀後半に建てられたこの建物は、そんなに大きくないが、9段のステップの上に建っているので、存在感がある。⑨シヴァ・パールバティ寺院(Shiva Parbati Temple、11) 寺院というより、普通の家かホテルの様なそっけない建物。 開放された窓からは・・・!!シヴァとパールバティ夫婦が下界を眺めている。 なんというシュールな造り・・・。 ⑩スウィート・バイラヴ(Sweet Bhairav、28) 囲いがあって良く見えないが、シヴァの巨大な像が安置されている。年に1回(9月~10月)の祭りの際に、御開帳される。 ⑪宮殿・モハンチョウク・ハヌマーン像(Royal Palace・Mohan Chowk・Hanuman Statue、30) この広場の中心部に当たるのが、この宮殿。バサンタプル・ダルバールと内部で繋がっており、大きな複合建築物を形成している。 これに繋がるモハン・チョウクの出入口は立派な造り。 この建物群の前に立っているのがコレ。色んなものを被っていてよく分からないが、ハヌマーン像。 ヒンドゥー神話「ラーマーヤナ」に登場する猿神だ(ラーマーヤナについてはコチラ参照)。 この1672年にPratap Malla王によって建てられたハヌマーン像が、そのままこの王宮跡の名称である「Hahuman Dhoka Durbar Square」になっている。 ⑫タレジュ寺院(Taleju Temple、38) ![]() ネパールの神の名前を拝するこの寺院は、高さ36.6mの荘厳な造り。1564年に、Mahendra Malla王によって建てられた。 毎年10月に開催される祭りでは、この寺院で神に対する生贄として、羊の頭部を108つ供える。 ⑬カル・バイラヴとその周辺(Kal Bhairav、33) このド派手な石像(というか壁画?)は、シヴァ神を彫ったもの。昔、広場の北のはずれにあったものを、Pratap Malla王が現在の位置に移した。 たくさんの参拝者がやってきては、祈りを捧げる。 この石像の右奥にある、8角形の屋根をした寺院はチヤシン・デガ(Chyasin Dega、7)で、クリシュナ神を祀っている。 Pratap Malla王が亡くなった2人の王妃を偲んで1649年に建てたものだ。 ![]() 石像の左側にあるのは、ジャガンナート寺院(Jagannath Temple、31)で、1563年にMahendra Malla王によって建てられた。 しかし、インドのプリー(Puri)にある本家本元のジャガンナート寺院とは随分違った雰囲気だ。 ⑭コチリンゲシュワル・マハデヴ寺院(Kotilingeshwor Mahadev Temple、5) 突然石造りの、違和感タップリのこの寺院は、シヴァ神を祀っている。 中には、笑っちゃいけないけど笑ってしまうデザインの黄金のシヴァリンガ(シヴァ神の男根)。男根に衣装を着せて、顔を付けるこのセンスって・・・恐るべし。 ⑮マヘンドレシュワル寺院(Mahendreswor Temple、1) その名が示すとおり、Mahendra Malla王が1562年に建てたもの。淡い色使いが鮮やかな印象を与えるこの寺院には、シヴァ神が祀られており、シヴァの乗物の牛ナンディも見られる。 ⑯タラニ・デヴィ寺院(Tarani Devi Temple、39) (記憶がちょと曖昧だが)広場のはずれにある寺院。 これといった特徴は無いが、壁に書かれた落書き(?)が面白かったので。意外な一面・・・ ヒマラヤを頂く土地からはあまり想像出来ないが、カトマンズの水道事情は良くなく、このように街中の井戸・水道に列を作る光景が珍しくない。上水道設備の整備が遅れているのだろうか・・・? オススメ度(100%個人主観) ★★★★☆ ・・・ インドと全く違う雰囲気のヒンドゥー寺院 所要観光時間 2.5~3時間 インドの北東に面する隣国、ネパール。
ブータンやチベットと並んで欧米からは「シャングリラ」と呼ばれるこの国は、国土面積15万k㎡(北海道の約2倍)、人口約2,500万人の小さな国だ。 国の概要 ![]() 名称 : ネパール国(ネパール王国とも) 面積 : 1,470,000k㎡ 首都 : カトマンズ(カトマンドゥ、Kathmandu) 人口 : 2,530万人(2004年) 国旗 : ネパールは、世界でただ一つ国旗が四角形でない国だ(1962年から採用)。 青い縁取りはヒマラヤを、中の赤色は国民を示している。 上部の月模様、下部の太陽模様は、王家・ヒンドゥー教への篤い信仰を示し、 国家・信仰が月や太陽の如く永続するようにとの意味が込められている。 国教 : ヒンドゥー教 言語 : ネパール語(ヒンドゥー語と似ている) 時差 : 日本時間 - 3時間15分 こんな中途半端な時差があって良いのか・・・。 インドの時差(3時間半)もたいてい中途半端だと思ったが、 まさか15分単位が存在するとは。 標高 : 首都カトマンズは約1,300mだが、標高8,000m級のヒマラヤ山系もある 国花 : シャクナゲ 国獣 : 牛 国鳥 : キジ(虹雉) 通貨 : ネパールルピー(1ネパールルピー=1.7円) インドルピー紙幣がそのまま使用可能。 だが、インドの500/1,000ルピー紙幣の偽造が深刻化しており、 この2種類の紙幣は「使用出来ない」。 ※但し、闇市場や高額な物を扱う店では、受取ってくれる場合も。 貿易 : 輸出 インド・アメリカ 輸入 インド・シンガポール 産業 : 農業(国内GDPの約40%を占める) 観光事業(10~20%を推移、国内治安に左右される) 既製服/カーペット類 歴史 ネパールの歴史は殆どカトマンズ盆地の歴史といってもよく、聖人ナイア・ムニがカトマンズの谷底を乾かして、その場所を住処としたとの記述に始まる。 これは勿論神話だが、実際に大昔カトマンズ盆地は湖の底だったということが、近年の地質調査から明らかになっている。 インドに数多くの足跡を残している仏教の始祖ブッダだが、彼が誕生したのは現在のネパール領内のルンビニというところだ(紀元前6世紀)。 その後、インドのマウリヤ王朝のアショーカ王が、ダウリでの戦いを機に仏教に改宗、紀元前3世紀にこのルンビニを訪れたという記録が残されている。 ネパール内に確固たる王朝が成立したのは、4世紀頃。 リッチャヴィ王朝がカトマンズ盆地一帯を支配した。 これにとって代わったのがマッラ王朝で、10世紀から15世紀まで彼らが支配王朝だった。 15世紀中頃、マッラ王朝の3人の王子がカトマンズ、パタン(Patan)、バクタプル(Bhaktapur)で独立国を立上げた。この3箇所には、今でも保存状態の良い王宮の跡が残っている。 16~18世紀、ネパールには、イスラム勢力にインド本土を追われたヒンドゥー勢力が多数流入してきた。 彼らのうち、カトマンズの西方のゴルカ(Gorkha)に拠点を置いたプリティヴィナラヤン・シャー(Prithvinarayan Shah)が、1768年にカトマンズを制圧し、3つに分裂していたカトマンズ盆地を完全掌握し、その後ネパール全土を支配下に置いた。 1814年~1816年、ゴルカ王朝はインド大陸の完全掌握を狙うイギリスと対決(第1~3次ゴルカ戦争)。イギリスに負けたゴルカ王朝はイギリス保護国となり、高い戦闘能力を買われたゴルカ兵は、イギリス軍の傭兵部隊となることを義務付けられた。 彼らは、なまってグルカ(Gurkha)と呼ばれ、インド独立戦争のきっかけとなったセポイの反乱でインド軍鎮圧の大切な戦力となった。 20世紀に入っても、彼らはどんどん危険な戦場に投入された。第二次世界大戦ではビルマ戦線で日本軍と、1982年のフォークランド紛争(南米最南端の英領フォークランド諸島にアルゼンチンが侵攻、イギリスがこれを奪還した)でもイギリス軍として参加している。 シャー王朝はイギリス保護の下存続するが、1846年には属下のラナ家に支配権を握られ、以降1951年まで、同家から輩出する宰相による国政運営が続いた。 1951年、トリブバン国王はイギリスから独立したインドの影響を強く受けながら、民主化への舵取りを行う(立憲君主制への移行)。 しかしその息子マヘンドラ国王の治世期以降、再び国王の支配力を強化する動きが出始めると、民主化運動が激化。 1990年に、国民主権をうたった新憲法が制定された。 昨今の情勢不安が出始めたのは、1996年くらいからだ。 中国の影響を強く受けるマオイスト(毛沢東的共産主義者)たちが、ネパールの王制打倒を掲げて活動を活発化、国内気運も国の民主化へと動いていた。 この時期、王家は親中派のビレンドラ国王・ディペンドラ皇太子と、親印・米派のギャネンドラ王弟とに分かれていた。国民からは、民主的路線を進める前者が慕われていた。 しかし2001年、王族の晩餐会で銃乱射事件が発生、ビレンドラ国王・ディペンドラ皇太子はじめとする王族殆どが死亡する惨事となった。王室の公式発表では、ディペンドラ皇太子が銃を乱射したとなっているが、動機が不十分、事件後の対応に不可解な点が多い等の理由により、ギャネンドラが王権奪取をせんと行った線が強い。 事件後王位を継承したギャネンドラは、一方的に非常事態宣言を発令、議会停止、専制人事などを行った。 このなりふり構わぬ絶対君主制の復活に、国内の民主化活動が爆発、2006年4月24日に国王は国民への権限委譲、議会政治復活を認めた。同月27日にコイララ首相率いる新政権が誕生した。 同政権下、国王の権限は大幅に縮小され、国家統帥権剥奪、国歌変更(以前の内容は国王を讃える内容になっていた)、政教分離などが議決された。 目下、問題視されているのは、今後の体制を象徴君主制とするか、共和制まで一気にもっていくかということだ。 インド周辺 第15回旅行 ・・・ カトマンズ インド周辺 第16回旅行 ・・・ パタン インド周辺 第17回旅行 ・・・ バクタプル インド周辺 第18回旅行 ・・・ カトマンズ周辺ほか < 前のページ次のページ >
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