カテゴリ:インド周辺国ぶらり旅( 27 )
インド周辺 第6回旅行は、素通りしてしまいそうなダンブッラ
 シーギリヤから南西に向かうと、ダンブッラ(Dambulla)という小さな集落に着く。

 何も無いので通過してしまいそうになるが、ここにはユネスコ世界文化遺産の石窟寺院がある。

e0074199_16192940.jpg その石窟寺院は、丘の上にあるらしく、大通りからは金色の巨大な仏陀坐像が目印となる。



ダンブッラの歴史
 今では、小さな集落にこの寺院がポツンとあるだけだが、ここは紀元前2~1世紀頃、タミル人にアヌラーダプラを追われたシンハラ王ヴァラガム・バーフが落ち延びた場所だとされている。

e0074199_16381749.jpg その後、ドゥッタガーマニーというシンハラ王が、ここに石窟寺院を造らせた。このドゥッタガーマニーは、今でもスリランカでは英雄視されている。
 ・・・正確には、シンハラ人の英雄と言った方が正しいか。彼はシンハラ国王としてタミル人を撃破したので、シンハラ人vsタミル人の民族問題になると、シンハラ人たちに担がれるようだ。2002年に、スリランカ政府がLTTE(タミル・イーラム解放の虎)との和平交渉に臨んだ際に、一部のシンハラ人国会議員たちは、ドゥッタガーマニーの銅像の前で交渉反対をアピールした。

 


丘のふもとには

 近年建設されたと思われる、綺麗な建物が建っている。

ダーガバ(仏塔)
e0074199_16442362.jpg 大通りから駐車場に入る場所の脇に建っている。
 見た目からかなり新しい感じで、仏塔とはいっても、恐らく仏陀に関連するものが中に保管されている訳では無さそうだ。



博物館
e0074199_16463346.jpg 丘を上がる石段の傍にある。時間の関係上、中の様子を見る事は出来なかった。

e0074199_16495382.jpg
 仏陀坐像は大きさも去ることながら、悪趣味とも思える金ピカぶり。快晴下の太陽光を受けて眩しく反射していた。この坐像、横から見ると意外に薄っぺらい・・・時代劇のセットみたい。

 
e0074199_16502057.jpg 博物館の入口のモチーフは理解不能だった。。。あんぐりと大口を開けているのは、獅子なのか。




石窟寺院
e0074199_16584519.jpg 丘の上にある石窟寺院を目指して、石段を登っていくが、炎天下だったので結構キツい。
 また、寺院入口には、掘立小屋があって、入場券チェックをするのだが、アヌラーダプラで購入したスリランカ世界文化遺産等周遊券(USD40.00-もしくは4,080スリランカルピーで8箇所周遊出来る)の対象外となっていたため、丘の中腹のチケット販売所で入手できる専用入場券が必要。これを知らなかったので、入場するのに手間取った(靴預け場のヒトにチップをあげて、買ってきて貰った)。


e0074199_22384211.jpg 掘立小屋を抜けると、右側の岩肌一面に、建物がはめ込まれている・・・石窟を観光し易いように後年しつらえたものだろう。

 石窟は、全てこの右側の岩肌を掘削して造られており、全部で5つある。手前から第1窟~第5窟となっており、奥に行くほど作成年代が新しくなっている。



第1窟 デーワ・ラージャ・ヴィハーラ(Dava Raja Vihara)
e0074199_2246416.jpg 「神々の王の寺」ちう名前のこの石窟には、全長14mの仏陀涅槃石像がドドォンと横たわっている。他にも立像が何体かあるが、この涅槃像が石窟内のイメージを圧倒的に支配している。
e0074199_2250693.jpg 不思議なのは、涅槃像が黄色いのに、足の裏が赤い花柄ということ。
 スリランカ仏教では、仏像の足の裏を赤くするのが通例らしい。
 しっかし、物凄い偏平足.....インド中を歩いたとき、疲れなかったんだろうか?



第2窟 マハラジャ・ヴィハーラ(Maha Raja Vihara)
e0074199_2321976.jpg この石窟が群を抜いて大きく、まさに「偉大な王の寺」の名に相応しい感じを受ける。
e0074199_2324693.jpg 内部は、仏陀涅槃像、仏陀立像、仏陀坐像、仏塔、石窟建設者のドゥッタガーマニー王の像が所狭しと置いてあり、迫力がある(というかしっちゃかめっちゃかというか)。
e0074199_2331586.jpg
e0074199_237134.jpg 天井に描かれた曼荼羅や仏陀の絵は、とても綺麗。どうやって、絵の具を垂らさずに描いたのだろうか・・・?




第3窟 マハ・アルト・ヴィハーラ
第4窟 バスシーマ・ヴィハーラ
第5窟 (名前ナシ?)
 後半3つの石窟は小さく、どの仏像がどの石窟のものだったか忘れてしまったので、纏めて紹介。


e0074199_2310483.jpg 鮮やかな曼荼羅(?)を背にした仏陀坐像。
e0074199_23101765.jpg 仏塔の前に整列する仏陀坐像。
e0074199_23102969.jpg 第2窟のものよりは小さいが、やはり黄色の仏陀涅槃像。
e0074199_23104267.jpg 壁画の仏陀も黄色く描かれている。




オススメ度(100%個人主観)

    ★★★★☆ ・・・町は目立たないけど、一見の価値アリ

観光所要時間

    2時間
by bharat | 2006-04-20 10:30 | インド周辺国ぶらり旅
インド周辺 第5回旅行は、巨岩宮殿シーギリヤ
ポロンナルワの西に位置する、シーギリヤ。

e0074199_340465.jpg 道中は、ただのジャングルなのだが、


e0074199_341587.jpg その中に突然姿を見せる岩山。


 ただの岩山ならエアーズロック(オーストラリア)やモニュメントバレー(アメリカ・アリゾナ州)と同様の天然の奇岩で片付けることが出来るのだが、このシーギリヤ・ロックは更に奇怪。



疑心暗鬼の王様が選んだ安寧の地

 この高さ200mの巨岩の上には、かつて宮殿があった。
 この岩山が、ユネスコ世界「自然」遺産ではなく、「文化」遺産に指定されているのも、そのためだ。

 5世紀後半、シンハラ王ダートゥセーナの王位継承で一騒動起こる。
 彼には、長男カッサパと次男モガラナがいたが、カッサパの母親は平民、一方のモガラナの母親は王族だった。兄のカッサパ王子は、血筋の良い弟モガラナに王位が継承されるのではと疑念を抱き、父のダートゥセーナ王を監禁し、王位を強引に継承した。

 クーデター後、ダートゥセーナは殺害され、モガラナは南インドに亡命する。

 カッサパ王は、王都アヌラーダプラを棄てて、何かから逃げるようにシーギリヤに到着、この巨岩の上に王宮を建設させ、ここに11年間住んだという。
 
 カッサパの最期は、あっけなく、南インドで体勢を立て直したモガラナに侵攻され、自害して果てた。
  
 尚、その後王都はモガラナによって再びアヌラーダプラに戻され、シーギリヤの各施設は、そのまま仏教僧に寄進されたという。


王宮の遺構の数々

e0074199_3542518.jpg 11年間と短い期間ではあったが、この間に造られた施設は今も残っており、見ることが出来た。
 但し、垂直に切り立った岩を200m登っていくので、かなりシンドイ。




フレスコ壁画
e0074199_417828.jpg 岩にへばりついた螺旋階段をせっせと昇っていくと、岩の中腹(?)にくぼみがあり、その中の壁一面に絵が描かれている。


e0074199_4184929.jpg
e0074199_4195011.jpg


 1400年前のものとは思えない色鮮やかさで、ビックリする。
 色褪せない理由の1つには、壁面の下地作りが丁寧だったことが挙げられる。
 壁面は、2回粘度で、その上から石灰を塗って、合計3層のレイヤーからなる。その上から、野菜・花木から採取した塗料で描いている。

 この壁画の女性、当時は500人ほどいたのだが、今は僅かに18人しか残っていない。

 この絵が描かれた理由や絵画の内容については諸説あるが、カッサパ王が父ダートゥセーナの鎮魂のために天国の遊女アプサラを描かせたという説が有力なようだ。




鏡のカベ(Mirror Wall)
e0074199_4305698.jpg 螺旋階段を再び下ると、ベージュ色のテカテカしたカベのある通路を通過する。
 これは、当時、カベの反対側に描かれていたフレスコ画を反射させるための細工で、ロープが張られていて直接触ることは出来なかったが、ツルツルしていた。鏡という程ではないが、確かによく光を反射していた。

 ちなみに、この部分は外から見ると、こんな感じになており、岩山の水平方向の凹にペタペタと光沢質の漆喰( 卵白+蜂蜜+石灰 だと言われている)を塗って出来ていることが分かる。
e0074199_1122878.jpg






建物跡
e0074199_10583594.jpg これも、岩山の中腹にあるのだが、芝生も生えていて、岩山の上にいることを忘れる不思議な雰囲気。



ライオン宮殿
e0074199_1165142.jpg

 岩山の頂上部分に続く最後の階段の両脇には、巨大なライオンの足が!
 右足(向かって左側の足)は、修復作業中でした。

 当時は、足の付け根や顔もあったようで、ライオンに食べられるように階段を昇っていく構造になっていたようだ。

 シーギリヤの語源は、「ライオンのノド」。
 それを象徴する構造物だ。



王宮跡
 頂上に着くと、周りが開ける。
e0074199_111462.jpg


 当時の宮殿の基礎と壁の一部、溜池も残っている。

 しかし11年間、よくこんな場所に住み続けたものだ。




etc.

e0074199_11192910.jpg ポロンナルワ同様、ここでも昔の日本車を発見。
 DATSUNは、20世紀後半、日産自動車が小型自動車やピックアップトラックの海外展開のときに使っていたブランド名。特に、80年代の北米では、この名前が恐ろしく浸透し、今でもDATSUNブランドの知名度は無くなっていない。ちょっと違和感があるが、当時のフェアレディZあたりも、北米ではDATSUNブランドで販売されていた。

 因みに、このクルマは、右ハンドルのピックアップトラック。当時、北米仕様ぢゃないのも、数多く出ていたのであろうか。



e0074199_11274269.jpg こちらは、暑さでバテて寝ているワンコ。
 飽く迄推測だが、インドの犬がイギリス犬種から出た雑種なのに対して、スリランカの犬はちょっと顔が違う気がする。どことなく、中国や日本で見る犬と似た感じがする。



e0074199_1130305.jpg 爬虫類苦手な方、すいません。
 道端で見かけた、大トカゲ。
 体長1mくらいで、足の構造からか、体をクネらせないと歩けないらしい。ヒョコヒョコ道路を横切って水場を目指していた。
 コモドドラゴンなどと同種だろうか...。





オススメ度(100%個人主観)

    ★★★★☆ ・・・脚力があるうちに是非観るべし


観光所要時間

    2時間
by bharat | 2006-04-19 10:30 | インド周辺国ぶらり旅
インド周辺 第4回旅行は、中世の王都ポロンナルワ
e0074199_4411063.jpg アヌラーダプラミヒンタレーの南東に位置する小さな町ポロンナルワ。
 かつて、王都の置かれていた仏教遺跡の多い場所で、ユネスコ世界文化遺産にも指定されている。




ポロンナルワの歴史


 かつて、長い間王都のあったアヌラーダプラを南インドから入ってきたチョーラ王朝が征服すると、スリランカのシンハラ王朝は、このポロンナルワに逃れ、ここを都にした。
 シンハラ王のヴィジャヤバーフ1世は、この地にあったかつての灌漑施設を再整備し、南インドから入ってきたシヴァ派ヒンドゥー教によって廃れていた仏教を復興する施策を採る。彼の孫パラークラマ・バーフ1世らによって、数々の仏教建築物が建設され、この地は仏教の聖域として東南アジア各国にも認知されるまでになった。 
 因みに、13世紀後半に、前述のチョーラ王朝がここに侵攻するに至り、ポロンナルワは捨てられ、その後廃墟となってしまった。


仏教都市の遺跡

 そんな訳で、ここには仏教に関する遺跡がゴロゴロしている。

南部の遺跡群
<石立像>
e0074199_79091.jpg 遺跡群南部にある石像。誰の石像なのかは諸説あるらしいが、ポロンナルワの王パラークラマ・バーフ1世ではないかというのが有力らしい。



<ポトゥグル・ヴィハーラ>
e0074199_7919100.jpg 石立像の近くにある、建物跡。
 これは、かつて仏教経典等を保管する図書館だったらしい。



<大象・中象・小象・ミニ象>
e0074199_71387.jpg 付近のオッチャンがこんなものを売り歩いていた。



クォードラングル
 市の西部に広がる溜池(パラクマラ・サムッドゥラ)に沿った堤防道の近くには、遺跡が集合した一角が。
 「四角形」の意味を持つこの壁に囲まれた場所には、以下の建築物がある。



<ダラダ・マルヴァ(Dalada-Maluva)>
e0074199_3472671.jpg 仏歯寺かあるいはそれに順ずる建築物だったらしい。今は、石で出来た基礎部分と柱が残っているのみ。屋根は木製だったのだろうか。



<ガル・ポタ(Gal-Pota)>
e0074199_350543.jpg 石の長椅子のようなこの物体は、石碑。長さ9m、幅1.5m、厚さ0.5mのこの巨石は、スリランカ仏教の聖地ミヒンタレーから持ってきたもの。石碑には、南インドからの侵略者、ポロンナルワ近隣国、ときの王ニッサンカ・マッラのことなどが記されている。



<サトゥマハル・パラサーダ(Satmahal Prasada)>
e0074199_41141.jpg 階段状に積み上げられたこの建物は、守衛が使う警備塔。とはいっても、外部には、仏教に関する彫刻が掘られていて、当時は立派なものだったと思われる。建築様式が他のものと明らかに違うので、近隣国のタイの建築家によるものだとの説あり。



<ハタダゲ(Hatadage)>
e0074199_481729.jpg ニッサンカ・マッラ王の治世期(1187~96)に建てられたたされる、仏歯寺の跡。入口部分には、ムーンストーンが比較的綺麗に残存している。

e0074199_750568.jpg このムーンストーン、スリランカの仏教寺院では良く見るが、輪廻転生の考えを彫った半月形の「玄関マット」のようなもの。外側から内側に向かってステージが進む。一番外側には、炎が描かれ、欲望を表している。その1つ内側が、生命をあらわしている・・・象は誕生、馬は老齢、獅子は病気、牡牛は死を象徴している(但しポロンナルワのストーンには牡牛は彫られていない)。その内側の花輪は愛する心、さらにその内側の花をくわえた鳥は純潔を表している。最後の蓮の花は天国。

e0074199_7505783.jpg ムーンストーンのあたりで靴を脱いで階段を昇ると、本堂部分には仏陀立像が安置されている。




<ヴァタダゲ(Vatadage)>
e0074199_13484012.jpg 建物の外壁がはっきりと残っている、ダーガバ(仏塔)。東西南北に入口があり、その入口にはムーンストーン。左右には上部が丸い板状の彫刻が対になって置かれている。これはガードストーンと言って、本尊に祀る仏像などを悪魔から守るために置かれたものだ。


e0074199_13543728.jpg 仏塔および本尊の仏像等は、7世紀頃すなわちまだポロンナルワが王都になる前からあったものとされている。


e0074199_1356113.jpg 外壁に人間と獅子の彫刻がビッシリ彫られているが、これはニッサンカ・マッラ王治世期である12世紀後半に造られたもの。それにしても、獅子がことごとくアイ~ンのポーズで、かなり愛嬌がある。
e0074199_13581962.jpg



<アタダゲ(Atadage)>
e0074199_1441942.jpg これも仏歯寺の跡だが、石の門と柱を残すのみとなっている。本尊部分には、仏陀立像が置かれている。この寺は、ヴィジャヤバーフ1世の治世期である1055~1110年に建てられたもの。

e0074199_14125714.jpg このすぐ近くには古代シンハラ文字で書かれた石碑が安置されているが、内容については特に説明書きが無かったので不明...。



<ニッサンカ・ラタ・マンダパ(Nissamka Rata Madapa)>
e0074199_1416516.jpg ニッサンカ・マッラ1世が、僧の唱える経文を聞いたとされる建物。
 現在は、石柱・石門を残すのみ。



<菩提樹跡(Bodhi Tree Shrine)>
e0074199_14184133.jpg 字ズラだけ拾うと、ここにかつて菩提樹があったようなのだが、その形跡を見ることは出来ない。



<トゥーパーラマ(Thruparama)>
e0074199_1421887.jpg 土台から屋根までちゃんと残っている仏堂。建物がかなりゴツい印象を受けるが、これはシンハラ王国の伝統的建築様式ゲディゲ(Gedige)に基づくもので、1~2m厚の壁で外からの光を遮断し、わずかに明けられた採光窓から朝夕に仏像の顔に光を当てるように設計されている。

e0074199_142746100.jpg




宮殿跡とのその周辺
e0074199_15194784.jpg ここ一帯は、13世紀にここを治めたパラークマバーフ1世の生活・政治拠点だった。当時、7階建だったと言われる宮殿の遺跡と、大臣たちと閣議を行ったとされる閣議場が今も残る。


e0074199_15233343.jpg



北部の遺跡群

 クォードラングルから来たに向かうと、大きなダーガバ(仏塔)や仏像群がある。

<金の尖塔>
e0074199_1437423.jpg 先端部分が時計塔のような形状をしたこのダーガバは、12世紀後半、ときの王ニッサンカ・マッラによって建てられたもの。全高・直径ともに55mで、そのデザインは、アヌラーダプラのルワンウェリ・サーヤ大塔を模したものとの説あり。元々、先端が金色だったことから、金の尖塔("Rankot Vihara")と呼ばれている。
e0074199_14415415.jpg



<ガル・ヴィハーラ(Gal Vihara)>
e0074199_14433341.jpg 巨大な石像と石窟像が合計4並んで立っている。

 一番左の仏陀坐像は、高さ4.6m。
 瞑想のポーズを採っている。


e0074199_14584026.jpg 続いては、石の小さな御堂の中に安置されている仏陀坐像。
 興味深いのは、仏陀の周りに、ヴィシュヌ神やブラフマー神などのヒンドゥー神が彫られていること。この彫刻が彫られたパラークマバーフ1世の治世期の13世紀には、仏教とヒンドゥー教がこの地域に混在していたということか。後述するヒンドゥー寺院でも触れるが、時の王妃がヒンドゥー教徒であったためとか、南インドのチョーラ王朝の影響によるもの等、諸説ある。

e0074199_1459625.jpg 右端に2体並んでいるのは、巨大な仏陀涅槃像とその涅槃を悲しむ一番弟子アーナンダの像。涅槃像は全長14m、アーナンダ像は高さ7m。



意外なもの

 意外なものを2つほど...。

<ヒンドゥー寺院>
e0074199_15375937.jpge0074199_1534334.jpg 仏教遺跡一色のポロンナルワにも、シヴァ神を祀るヒンドゥー寺院がある。
 トレードマークも健在・・・シヴァ神の乗物の牛ナンディと本堂に祀られたリンガ(シヴァ神の男根)。
 この寺院が建てられた背景は諸説あるが、有力な説は、① 時の王妃がヒンドゥー教徒であったため、② 南インドのチョーラ王朝の影響によるもの。



<同い年くらいかな?>
e0074199_15403082.jpge0074199_15401149.jpg こちらは、宮殿跡の駐車場に停まっていた車。
 自分の記憶が正しければ、多分これ、1970年大前後のトヨタのクラウンぢゃないかと思う。まだ現役で走っているとは。

by bharat | 2006-04-18 10:30 | インド周辺国ぶらり旅
インド周辺 第3回旅行は、スリランカ仏教発祥の地ミヒンタレー
e0074199_410977.jpg アヌラーダプラから東約10km、今は小さな集落しか無いミヒンタレーというところに到着。

 ここは、スリランカの仏教の始まった聖地だ。




ここから仏教が始まった...

  ...というのも、紀元前243年に、アショーカ王の弟(あるいは長子とも)のマヒンダが、ここミヒンタレーの王デーヴァーナンピヤティッサのもとを訪れ、仏教についての説明を行い、彼を仏教徒に改宗させることに成功したのだ。これが、今のところの、スリランカに初めて仏教が登場したという一番古い記録だ。

e0074199_6504996.jpg 階段をせっせと昇っていくと、中腹に分岐が。
 直進すると、古代病院跡が見えてくる。
 そこから上を仰ぎ見ると、マハーサーヤ大塔が、白く光っていた(一番上の写真がそれ)。仏陀の毛髪が祀られていると言われる。



e0074199_6581990.jpg 帰り際、丘の中腹を横に折れると、レンガ剥き出しの古いダーガバ(仏塔)カンタカ・チェーティヤがある。かつて30mあったとされる高さは今でも12m、周囲が130mあり、ずんぐりした印象を受けた。紀元前60年頃に建造されたものだという。



e0074199_70432.jpg その付近には、当時の人々が使用していたらしい浴槽跡もあった。水の注ぎ口が今も立派に残っているところを見ると、当時はかなり立派な宿泊施設が整備されていたのではと思わせる。




のぞう こぞう

e0074199_73137.jpg
 文字通り、野(野良)象の小象。
 偶然帰り道にて遭遇したが、車・人間に慣れているのか、のんびり食い物(草木)を物色していた。
by bharat | 2006-04-17 10:30 | インド周辺国ぶらり旅
インド周辺 第2回旅行は、スリランカ最古の都アヌラーダプラ
e0074199_15411868.jpg コロンボからセイロン島を北東に200km余り(車で4時間余り)行ったところに、スリランカ最古の都アヌラーダプラがある。



仏教の聖地

 ここアヌラーダプラは、少なくとも2500年前には、都として栄えていた。
 紀元前3世紀に、アショーカ王の弟(あるいは王子とも)マヒンダがこのあたり一帯を治めていた王デーヴァーナンピティッサのもとを訪れ、アヌラーダプラに程近いミヒンタレーで、仏教への改宗をさせた。ここに、スリランカの仏教の歴史がスタートするのだが、このとき王がマヒンダ一行をもてなしたのが、アヌラーダプラだと言われている。

 このように、アヌラーダプラは永くスリランカの都・仏教の本拠地として栄えたが、スリランカの歴史でも書いたが、1017年に南インドから侵攻してきたチョーラ朝によって、スリランカ王ミヒンドゥ5世が捕えられ、王都としての歴史を終えることとなる(ポロンナルワに遷都された)。


仏教史跡がたくさん

 このような歴史的背景から、アヌラーダプラには多くの仏教関連史跡がある。

ルワンウェリ・サーヤ大塔(Ruwanweli Seya Dagoba)
e0074199_5312333.jpg
 一際目立つこの建物は、後述する黄銅の宮殿やスリー・マハー菩提樹に続く歩道の一番手前にある。
 スリランカでは、仏塔(舎利塔)のことを、ダーガバ(Dagoba)という。因みに、インドではストゥーパ。このダーガバには、仏陀や彼の弟子の遺骨が収められていると考えられており、昔から教徒たちの信仰の拠り所になっている。
e0074199_634212.jpg
 建物の周囲には、ズラッと象の彫刻が並んでいる。仏教では、象は聖なる動物とされていて、上座部仏教(小乗仏教)では、仏陀の代わりに崇拝対象にもなっている。が、こんなに並ぶとちょっと異様だ・・・。

e0074199_610267.jpg 寺院敷地内には別棟があり、ここに、仏陀の涅槃像がある。これは大乗仏教期に造られたと思われる。


e0074199_6132585.jpg




スリー・マハー菩提樹

e0074199_22104514.jpg ルワンウェリ・サーヤ大塔から更に歩道を置くに進んだ先に、スリー・マハー菩提樹がある。
 これは、スリランカに仏教が広まり始めた紀元前3世紀頃、インドのブッダガヤー(ボードガヤー)にあった大菩提樹の分け木が持ち込まれて、大きくなったものだ。
 
 この菩提樹の近くに、仏教僧が修行をする僧院が建てられた。今はくすんだ色の柱が立つその空間は、黄銅の宮殿と呼ばれ、1,000もの小部屋を持ち、屋根は銅で黄金色に光っていたという。



ジェータワナ・ラーマヤ(Jatavana Ramaya)
e0074199_2373565.jpg

e0074199_238181.jpg アヌラーダプラの遺跡群のちょうど中央に位置するこのダーガバは、高さ約70m。赤レンガ剥き出しで、円塔の形状も若干いびつだが、とても迫力がある。建設された3世紀当初は、高さ122m、その上部に30mの水晶柱が乗っかっていた。



サマーディ仏像(Samadhi Buddha Statue)
e0074199_2391441.jpg

e0074199_2393525.jpg ジェータワナ・ラーマヤから程近く、小さな庭園の中に佇んでいるのが、この仏像だ。
 4世紀頃に造られたというが、1,500年経っているとは思えない状態の良さだ。
 因みに、像を保護する屋根は、後年据えられたとのこと。



クッタム・ポクナ(Kuttam Pokuna)
e0074199_246834.jpg

e0074199_2462897.jpg 仏像から車で数分、道の脇に溜池らしきものが見えてくる。正式名称は、クッタム・ポクナというらしいが、ツインポンドの名で通っているらしい。
 かつての僧の沐浴場で、形状は西インドのアーメダバードにある階段井戸に似ている・・・建築技術的に影響を受けているのだろうか・・・!?
 近くに公衆便所があり、用を足そうとしたら、入口には鍵が・・・何の為の便所なのか。



オススメ度(100%個人主観)

   ★★★★☆ ・・・インドの仏塔とはまた違った雰囲気の仏塔を見られる
by bharat | 2006-04-16 10:30 | インド周辺国ぶらり旅
インド周辺 第1回旅行は、スリランカ最大の都市コロンボ
 ここからしばらくは、スリランカ周遊の記録。
 まずは、スリランカの玄関口コロンボ(Colombo)。

首都ではないが・・・

 デリー-コロンボ間のアクセスは良い。
 飛行機は毎日周航しており、フライト時間は3時間半くらい。

 コロンボは、スリランカ最大の都市で人口約220万人。スリランカが1948年にイギリス自治領となってから、長らく首都だったが、1985年に、国会議事堂をに移し、首都もここに移転した。但し、スリ・ジャヤワルダナプラ・コッテの人口は10万人強で、経済的な機能は未だコロンボに残存しており、政治機能も完全に移転したとは言えない(現に首相官邸もコロンボに残ったまま)。

 さて今回は、インドに来て初の国際線、スリランカ航空に搭乗した。
 知人から聞かされていた「スリランカ航空のサービスは良くて、機内食も美味いよ」との情報は、全くアテにならなかった。
 フライトアテンダントは、ほぼ全員素人で、終始バタついていたし、余裕が無いせいなのか、対応も最悪。期待していた機内食も、やっつけ仕事のインド食。これにはかなりガッカリした。

 こんな調子で3時間半のフライトののち、コロンボに到着。

e0074199_5431682.jpg コロンボ国際空港は、正式にはバンダラナイケ(Bandaranaike)という。コロンボの北約30kmの場所にあり、車で小一時間かかる。
 空港内の様子はと言うと、最近改築されたとのことで、とても綺麗だった。フライトの悪印象が一気に飛んでいく。車の送迎口への最後の通路が一部工事中だったが、近々完成するのだろう。


e0074199_622837.jpg 手配してあった車とドライバーを探す。
 ・・・来る車、来る車が全部日本車だ。しかも、年式のちょっと古い車ばっかり。あとから知ったのだが、スリランカを走る約90%の車は日本製で、しかも殆どが中古車。この現象は、新車に対する輸入関税が高いこと、また日本車の耐用年数が長いことに起因しているようだ。
 今回使ったのも、日本車。日産サニー。


史跡周遊はさておき...

 さて、コロンボでの滞在時間がかなり限られていたので、土産物の物色に時間をあてた。

e0074199_5302799.jpg まずは、市内の物産店へ。
 スリランカの代表的な土産物と思しき品が、店内に並んでいる。


 中でも、目を引くのが、カラフルな木彫りのお面のような物体。
e0074199_5305769.jpg
e0074199_5311597.jpg

 なんでも、これはスリランカに古くから伝わる「仮面劇」に使用されるものだそうだ。
 店内に並ぶのは勿論観光客向けの土産にアレンジされたものだが、実際の仮面もこの様なデザインらしい。スリランカの南西部では、昔から豊穣を祝う仮面劇コーラムと、疫病祓いの呪術トゥイルの2つに大別された儀式に、仮面が用いられた。写真のド派手な仮面は前者に使用されるもので、後者のものは通常使用する以外は固く封印されていて人目に晒されることは無いという。
というわけで、気に入ったコーラムのお面を2つ購入。


 続いて行ったのは、ODEL(オデル)という名の総合デパート。
e0074199_13391332.jpg
 中は、日本のデパートと見紛うほど、綺麗で整然としている。
 3階建てと小振りながら、ここで一通りのものは揃う。

e0074199_1352746.jpg1階 :
観光土産
...Tシャツ・食器
化粧品・時計・装飾品
...海外有名ブランド
紅茶類
...ミント・ラム(酒)など珍しいフレーバー有
ショップ
...Nike・Puma・Adidas等


e0074199_5555374.jpg2~3階 :
輸入雑貨
...輸入食器・家庭用品等
衣類・靴
...輸入物など
玩具
...日本製品など


e0074199_612542.jpg飲食店 :
1階の一角には、「日本橋」なる日本食店もある(コロンボに3店舗展開している)。メニューは、寿司に丼物と豊富に揃っている。味も合格点。
また、店舗外には、イタリアンジェラート屋もあり、これまたなかなか美味。


e0074199_6105526.jpg デパート全体の雰囲気は、整然としており、非常に清潔感がある。
 陳列もとても見易いし、店員の案内も適切でいい加減なところが無い。
 広い店内のどこで会計を済ませても良く、とても便利。
 バックヤードの在庫も、トランシーバーで的確に把握。

 日本の百貨店をモデルにしたのか、欧米の大型ショッピングセンターをモデルにしたのかは不明だが、インドの大型店舗の様子とは随分違った・・・良い意味で。
 インドの大型店舗のマネージャーも、これを見て改善して欲しいもんだが。




<<後日 再来訪>>
 2007年3月に、再度コロンボの地に立った。
 主たる目的は、モルディヴに行くための経由(スリランカ航空を使用したので)だったのだが、コロンボにも1泊してゆっくりと観光&買物に時間をあてた。

 そのときの様子はコチラ



オススメ度(100%個人主観)

   ★★★★☆ ・・・インドからここに来たら、久々にストレス無く買物が出来る

   3月再来訪し、★1つアップ



観光所要時間

   半日~1日(土産物漁りが好きならば時間がかかる)
by bharat | 2006-04-15 10:30 | インド周辺国ぶらり旅
近くて遠い国 スリランカ

e0074199_3214199.jpg 先日、インドの隣国スリランカへ行ってきた。
 タミルナドゥ州のラーメシュワラムに行った際、目と鼻の先にあったスリランカ(肉眼で確認することは出来なかったが)について、もっと知りたいと思い、近いうちに行ってみたいと思っていた。

 限られた日数で、効率良く周遊したかったので、どういうルートで周るか研究した。
 我々日本人にとっては、インド以上に知らない国かも知れない・・・ということを痛感。



スリランカという国の概要

e0074199_593174.jpg名称:スリランカ民主社会主義共和国

面積:65,600km2(北海道の8割)
首都:スリ・ジャヤワルダナプラ・コッテ
人口:約1,950万人
民族:シンハラ人(73%)・タミル人(18%)・ムーア人(8%)・バーガー人(1%)
言語:シンハラ語・タミル語
宗教:仏教(70%)・キリスト教(11%)・ヒンドゥー教(10%)・イスラム教(9%)
GDP:3,700USD(1人あたり)


 余談だが、シンハラ語については、日本で正式に研究している先生は1人だけで、日本で同言語を習いたい場合はその先生に頼むしかないという。・・・まぁ、在日スリランカ人に頼めば教えてくれるだろうけど。


スリランカの歴史

 スリランカという名は、意外に新しく、1972年5月22日にイギリスからの完全独立時に正式に命名されたもの。それ以前は、セイロンと呼ばれていた・・・紅茶のブランド名で有名だ。今でもスリランカの島はセイロン島の名で呼ばれている。

 スリランカの歴史がスタートしたのは、紀元前5~7世紀頃と推測されており、北インドからの移民が発端であったと言われている。現在のスリランカの主要言語のシンハラ語がアーリヤ系言語であるのもこれに起因するという。
 その後、紀元前3~2世紀に仏教がインドよりもたらされた。伝説によれば、仏教伝播の主導者は、アショーカ王(関連する場所はこちら)の弟(あるいは王子とも)マヒンダだったという。彼が、ミヒンタレーの王を仏教に改宗させ、その後スリランカ全土に仏教が広まったとしている。仏教が栄えた1つの証拠として、ちょうどこの時期に、王都があった地アヌラーダプラに、大きな僧院(マハーヴィハーラ)が建てられた。因みにこの頃の仏教はおおむね小乗仏教(上座部仏教)だったが、大乗仏教も徐々に南インドから流入してきていたようだ。
 紀元前2世紀~紀元後1世紀の間は、南インドも巻き込んで、各地の王による覇権争いが激化した。まず、紀元前145年、タミルの王エラーラがアヌラーダプラを陥落させ、以降44年ここを統治したと記録がある。このエラーラを倒したのは、スリランカ南東のローハナ地方に拠点を置いていたドゥッタガーマニー、紀元前101年のことだった。
 紀元後5世紀頃に、アヌラーダプラの南東シーギリヤに巨岩王宮が建てられたが、この時期はまだスリランカ島(セイロン島)の北部が中心の歴史だった。

 これが大きく変化するのが、10世紀~11世紀初め。南インドのチョーラ朝が同地域のパーンディヤ朝を駆逐、パーンディヤ王はスリランカに逃亡してくる。これを追ったチョーラ朝がスリランカ北部を制圧し、都も、アヌラーダプラから中央東部のポロンナルワに移してしまった。この時期には、仏教建築物のほか、ヒンドゥー建築・信仰も行われていた。

 チョーラ朝がその後スリランカを放棄する政策を摂りはじめると、ローハナ地方から出たシンハラ王統のヴィジャヤバーフ1世がチョーラ朝を駆逐、ポロンナルワを王都に定めると、政治の安定、仏教の復興に尽力、治水設備の再整備や仏歯寺の建築等を行った。
 その後、マレーの諸勢力との拮抗状態が崩れ、南インド諸勢力が再度干渉を始めると、スリランカ北部は次第に彼らに侵食され、シンハラ王統は逃げるように南に移動、王都もポロンナルワからガンポラ、更には南西沿岸のコーッテへとどんどん南に移していく。

 15世紀末以降は、各地で王国が興る。コーッテの王国の他、セイロン島北端の諸島群ではタミル人のジャフナ王国が、中央山間部ではキャンディ王国が出現。コーッテ王国は、16世紀初めからポルトガルとコロンボを拠点にシナモン貿易を開始、交易関係を構築して、更には軍事的協力も受けるようになる。このときに築かれた砦が今でもゴールという地に残されている。
 コーッテ王国は、ポルトガルの海軍・大砲の力を借りて、ジャヌハ王国を支配下に入れ、残るキャンディ王国と対決することとなった。キャンディは、ポルトガルと同様積極的な植民地拡大政策を行っていたオランダと組んで、コーッテに対抗した。これが奏効して、キャンディ・オランダ連合は1658年にポルトガル勢力をセイロンから一掃することに成功した。

 1802年、オランダ・イギリスの植民政策・戦争により、スリランカはイギリスの支配下におかれ、1815年には、キャンディ王国がイギリスによって滅ぼされる。

 その後長くイギリス植民地となっていたが、1948年2月4日にイギリス連邦自治領という形で実質的独立を勝取る。1972年5月22日には、新憲法公布、国名改称(スリランカ民主社会主義共和国)して完全独立した。


スリランカにおける民族紛争

 この1972年の憲法の中に、仏教を特別扱いする内容があったとして、それまでくすぶっていたシンハラ人とタミル人との亀裂が表面化し、タミル統一戦線が発足、ここから過激勢力LTTE(タミル・イーラム解放の虎)が出現した。このLTTEは、全世界の中でも最も凶悪な組織とされ、昨今再危険視されているアルカイダが活発化するまでは、一番危険とされていたほどだ。
 1980年代には、政府軍とタミル勢力は全面戦争状態に突入したが、ノルウェーによる調停活動により、現在は停戦協定が発効中だ。
 しかし、ここのところ、北東部などでまたテロ行為が活発化しており、2005年8月12日にはカディルガマル外相が暗殺されるという事件が起きた。

 現在、コロンボなどの都市部や中央部の観光地などは平穏だが、外務省の海外安全情報では以下のようになっている(詳細地域名省略)。

 北部州:渡航延期・渡航是非検討
 東部州:渡航延期・渡航是非検討
 その他:十分注意

世界遺産は全部で7つ

 スリランカには、6つの文化遺産と1つの自然遺産がある。

 アヌラーダプラ(1982年指定)は、スリランカにおける仏教の聖地。
 ポロンナルワ(1982年指定)は、11世紀頃から王都がおかれた場所。
 シーギリヤ(1982年指定)は、5世紀に王宮が建立された場所。
 キャンディ(1988年指定)は、15世紀~イギリス支配期までのスリランカの王国があった場所。
 ゴール(1988年指定)は、15~17世紀にコーッテ王国と組んだポルトガルが軍事拠点を置いた場所。
 ダンブッラ(1991年指定)には、スリランカ最大の石窟寺院がある。

 シンハラジャ森林保護区(1988年指定)は、野生生物、樹木、低木、薬草などが手つかずで残されている世界でも数少ない原生林であるとして、自然遺産に登録された。


 このうち、今回は、6つの文化遺産を見てきた。
 詳細は、追々書いていく。
by bharat | 2006-04-14 10:30 | インド周辺国ぶらり旅