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第7回旅行は、ガンジス川源流② ハリドワール
ハリドワールで、悲願達成!

 リシケシュから車で南下すること2時間、これまたヒンドゥーの聖地ハリドワール(Haridwar)に到着。
 川辺から少し離れたところに駐車場があるんだが、砂洲にあるから、なんか九十九里に来たみたい(千葉出身なもんで)。

 ハリドワールは、「ハリ:神様」と「ドワール:ゲート」から名付けられ、ヒンドゥー教徒たちからはとても神聖視されている。ガンジス川の脇には歩道・橋が掛けられ、多くの教徒でゴッタ返していた。
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 土産物屋も、神様の絵やポリ製の水筒(これにガンガーの水を入れて持ち帰る)ばっかり。

 歩道をテクテク歩いて、ふと川の水に目をやると・・・・透き通ってる!

 今度こそ沐浴のチャンスとばかり、早速パンツ一丁になって、川の中へ。

 き、きもちええ~。
 流れが速くて、流されそうになるけど、とっても良い感じ。

 外人が珍しいらしく、すぐにインド人のチビッコたちが20人くらい寄ってきた。
 半分も聞き取れなかったが、

  「どこから来たの?」
    「何してんの?」
      「どう?気持ち良い?」

 みたいな事を言ってるみたいだ。

 1人のチビッコが、牛乳の入った壷を持ってきて、ガンガーにお供えしろと言う。
 言われるとおりにやってみた。
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 何故か、チビッコに加えて、周りの大人も一斉に拍手・・・これで少し聖人に近づいたんかな・・・

 因みに、そのあと街を散策してから(カンカン照りだったからパンツはものの数分で乾いた)、一路デリーへ・・・。


 尚、タクシー代は、デリー~ムスーリ~リシュケシュ~ハリドワールを2.5日で回って、7800ルピー(約2万円)だった。運転手さんの宿泊・食事代は含まれ、ガソリン代は含まれない。
 バスと比べると高いけど、その場その場で予定を変更出来るのが良かったな。



オススメ度(100%個人主観)

  ★★★★☆
by bharat | 2005-08-31 10:30 | インドぶらり旅
第6回旅行は、ガンジス川源流① リシケシュ
 前日行ったムスーリが、あまりに静かで何も無かったんで、急遽予定を変更して、近くのエキサイティングなところに行こうということになった。


ヨガで有名な街 リシケシュ

 ムスーリと同じウッタラーンチャル州にある、リシケシュ(Rishikesh)。
 州都デラ・ドゥーンより南にあり、ガンジス川を挟む格好で街並みが形成されている。
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 元来、聖なる川ガンジス川に御参りする敬虔なヒンドゥー教徒たちで賑わう巡礼地の1つだったが、ビートルズが1960年代にヨガをしにこの地に来たことから、欧米人への人気に火がつき、今ではヨガやアーユルベーダ(インド医学)などに関心のある人々も多く訪れる。

 ちなみに、僕らが口にする「ガンジス川」だが、これは元来の言葉を誤って訳した名残だ。
 こちらでは、川の名前「ガンガー」に敬称「ジィ」を付けて、「ガンガージィ」と言うのだが、これが間違ってヒアリングされて、「ガンガージィ」→「ガンジィ」→「ガンジス」となったんだそうだ。


キレイな川と汚い街並み

 つり橋を渡って、街並みの栄えた方、沐浴場のある方に進む。
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 川沿いに幅の狭い歩道があり、両端には巡礼用の各種グッズ屋が並ぶ。
 現地人観光客が多い為か、価格はとっても控え目。
 「クリシュナ神の勝利!」「ラーム神の勝利」などど書かれたシャツ数枚を購入した・・・ムスリムの前では着られないな・・・。因みに3枚で110ルピー(約300円)くらいだった。
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 しっかし・・・道が汚い。
 牛のウ○コだらけ。
 誰か掃除しないんかな?

 一方、川はとってもキレイ。
 ガンジス川の上流にあたるので、水もまだ汚染されていないようだ。
 時期によっては透明度も高いらしいのだが、行った時期がモンスーン・シーズンだったため、増水の影響でドロで濁っていた。
 ここだったら、沐浴出来るかも!・・・と思って、ガート(沐浴のために川辺に設けられた階段)に行ったら、目の前で牛が川にウ○コを・・・・・・
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 ・・・・・ハリドワールで沐浴することにしよう・・・・。

 川辺に建てられた、恐らく名も無いであろう礼拝堂は、とてもキレイにメンテナンスされていた。彫刻もとてもカラフルで美しい。
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 あとから知ったのだが、ここリシュケシュは、更に上流のヤムノートリー(Yamnotri)、ガンゴートリー(Gangotri)、ケダールナート(Kedarnath)、バドリーナート(Badrinath)という聖地に行くための出発点として機能しているとのこと。道理で仙人みたいな格好をしたインド人がいっぱいいた訳だ。




オススメ度(100%個人主観)

  ★★★★☆
by bharat | 2005-08-30 14:46 | インドぶらり旅
第5回旅行は、北インドの避暑地ムスーリ
 ジャイプールに一緒に行った、インド人スタッフと意気投合し、その翌週、今度は北の避暑地に行くことになった。
 あまり、ボケ~っとするのは好きじゃないんだけど、何か見所があるんじゃないかと期待しつつ、出発。

 今回の移動は、タクシーをハイヤーしてのもの。


ハネムーンのメッカ、ムスーリ
 今回行き先に決めたのは、ムスーリ(Mussoorie)というところ。
 北インドのウッタラーンチャル州にある、有名な避暑地。
 ウッタラーンチャル州は、北を中国のチベット自治区、東をネパールと接しており、ホテルが立ち並ぶ避暑地、ヒマラヤ山麓のトレッカーたちの休憩地、ヒンドゥー教の巡礼地など、とてもバラエティに富んでいる。

 一般的に、こちらの人たちは、丘陵の避暑地全般をHill Stationと呼んでいて、今回行ったムスーリもその典型的な場所だ。

 デリーからタクシーで飛ばすこと約7時間、州都デラ・ドゥーン(Dehra Dun)で小休止して、ムスーリに入った。

デラ・ドゥーンの街中
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ムスーリの入口付近
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 街はこじんまりとしているが、建物の殆どがホテル・・・
 ピークシーズンを過ぎていたので、なんかちょっと活気が無い気がしたな。
 なんでも、1823年にイギリス人によって避暑地として開拓されて以降、夏季にたくさんの客が来るようになり、最近ではインド人の新婚旅行先としても有名になり、ホテルがニョキニョキ建ったらしい。

 一番最初に目に入ったホテル「クリシュナ・パレス」(だったと思う)に泊まることにした。
 オフシーズン料金だったんで、250ルピー(≒700円) / 人と安かった。

 荷物をホテルに置いて、早速散策。

 空気もキレイだし、眼下の眺めも最高なんだけど。。。ハッキリ言って何も無い。。。
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ガンヒル
 てくてく東に向かって歩いていくと、ロープウェイ乗り場を発見。
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 ムスーリで一番高い地点ガンヒル(Gun Hill)まで行くという。
 30ルピー(≒75円)払って、頂上へ。

 頂上に着いたけど、なんじゃここは。
 民族衣装のコスプレ写真屋と手品グッズ屋しかないぞ。。。。
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 オッチャンが、

  「ヒマラヤをバックに写真撮るよ!」

 ほう、それは良いかも・・・って霧で何も見えないぢゃないか!
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 辺りが暗くなると、街は死んだように静かになっていった。
 この静けさを味わいに来るんだろうね、みんな。
 僕はやることなくて、あまり楽しめなかったけど。

 で、同僚に緊急提案して、翌日別の場所に行くことにした。

   リシケシュ・ハリドワールへGo☆



オススメ度(100%個人主観)

   ★☆☆☆☆ ・・・ ノンビリ長期滞在するには良いと思うが。。。
by bharat | 2005-08-29 21:03 | インドぶらり旅
第4回旅行は、ラージャスターン州都のジャイプール
 今回は、バス旅行。
 当社ゴア事務所から長期出張でデリーに来ていたインド人スタッフと、2人でジャイプール(Jaipur)に行って来た。


ラージャスターン州の州都
 今回行ったジャイプールは、ラージャスターン(Rajasthan)州の州都。
 ラージャスタン州は、インド西部の州で、前回行ったグジャラート州の北にある。西端はパキスタンとの国境。戦闘民族ラージプートがいた場所で、非常に独立心の強い民族であるがゆえに、インドの中でも独自の歴史を歩んできている。非常に名誉を重んじている同民族は、戦争で降参することを拒み、集団自害することを良しとしていた・・・日本の室町時代・戦国時代の武士の感覚に似ているかも。
 現在の地名になったのは、1037年にマイドゥル・ラオという小国王がアンベール城を陥落させ、その周辺地域の統治下にしたとき。因みに、ジャイプールの意味は「勝利の都:ジャイ(=勝利)、プル(=都)」。

 ムガル帝国隆盛期、第3代皇帝アクバルの時期には、ジャイプール王はムガルと君臣関係を持った。ムガル帝国の重臣としてジャイプールの支配権を確保した上、婚姻関係を結んで、関係強化に努めた。因みに、第4代ムガル皇帝ジャハーン・ギルは、アクバルとときのジャイプール王女との子供だ。このあたりの小国の生存方法も、日本の戦国時代に酷似してるな。
 
 ムガル衰退後は各ラージプート小国は次々と独立した。英国がインドに入ってきたのちも、同盟条約を結んで、政治的・経済的に英国に従うかわりに、統治権を保持した。この統治者がマハーラージャ・・・そう、あの『踊るマハラジャ』のマハラジャ。
 マハーラージャが与えられた立場に溺れてフヌケ化し、贅沢三昧するうち、ラージャスターン州の文化・教育レベルはどんどん低下、インド内の文盲率が最も高い州になったんだと。ちなみに、その後改善されて、今の識字率は約70%前後らしい。

 ジャイプールは、そんな州の州都で、人口約250万人。
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 デリーからも約300kmと近く、旧市街地のピンクシティや昔のマハラジャの宮殿、昔の天文台など見所も多いので、観光も盛ん。
 また、ここは良質の絨毯を産することでも有名で、店のオッチャン曰く「衣類はカシミール、絨毯はラージャスターン」なんだと。
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 ただ、街の通りはだいだい狭くて、ゴチャゴチャしていて、汚い。中心部に向かう大通りは絶えず渋滞しているし、道路の舗装状況も御世辞にも良いとは言えない。
 人口の割りに、デリーと同じくらい物乞いの姿が目立ってたなぁ。
 まぁ、ある意味で、とてもインドっぽくて、僕はとても気に入ったんだけど。


安い! 長距離バス
 こちらは、とにかくバス・電車の値段が安い!
 インドは、飛行機国内線が高いので、余計にその価格差にインパクトが出てくるのだ。

 ラージャスターン州の出先事務所ビカネール・ハウス(Bikaner House)が、デリー市内のインド門近くにあり、そこから毎日州内主要都市に向けてバスが出ている。
 時間は、1時間~1時間半に1本のペースで、3本に1本くらいの割合でエアコン付。
 価格は、エアコン無しが250ルピー、エアコン付が375ルピー(だったと思う)。
 東京~名古屋くらいの距離を700円くらいで移動できるとは・・・うぅむ、なんと素晴らしい!

 出発当日、ゴア事務所の同僚と朝8:00にビカネール・ハウスで待ち合わせたんだけど、バスが8:00発で1本逃してしまった・・・で、仕方なく9:30のバスに乗った。しかも、運悪くエアコン無し。でも、当日はそんなに暑くなかったから、キツくなかった。

 国道を爆走すること約5時間余り、途中1回トイレ休憩を挟んでジャイプールに到着。

 到着したバス・ターミナル付近で、屋根に大量の客を載せたムチャクチャなバスと遭遇・・・・上の人たち、落っこちないのかしら。
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 バス・ターミナルで帰りの便のチケットを購入。
 帰りは、エアコン付がいいなと思い、19:00発のエアコン付Volvoバスにした。

 ターミナルから適当にブラついて、安宿を確保。
 RTDCツーリストホテル。
 RTDCは、Rajasthan Tourism Development Corporationの略、観光振興協会ってところかな?
 一泊一部屋400ルピー。 →1人200ルピー。
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 市内でラージャスターン料理屋へ。
 同州は一般的にベジタリアン料理がメインで、肉料理は出ない。
 ということで、ベジ・ターリー(野菜の大皿料理)を食べた。
 値段は、御代わり自由で60ルピー(≒150円)。
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  ・・・ホテル泊・・・


 前述のRTDC主催の1日観光ツアーに参加。
 英語のガイド説明付で、150ルピー(500円弱)、時間は9:00~18:00。

 早速申込みを済ませて、出発を待つが、バスが来ない・・・

 我々「ねぇ、バス来ないよ?」
 受付「あと2分で来るよ。」

 ・・・2分後・・・

 我々「ねぇ、バス来ないよ?」
 受付「あと2分で来るよ。」

 ・・・2分後・・・

 我々「ねぇ、バス来ないよ?」
 受付「あと2分で来るよ。」

 ・・・・30分後・・・・

 来た、モノ凄いボロいのが・・・・まぁ、安いし仕方が無いかな。

 9時40分頃、バスに乗込む。
 出発までに更にそこから10分くらいかかったが、コブラ使いを見て時間を潰した。
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 回った順番は忘れてしまったが、こんなところを見て回りました。


ラクシュミナラヤン寺院
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 という名前だったと思う。
 なにせ、「ガイドの英語説明」がとんでもないハッタリで、70過ぎくらいのおじいちゃんが英語だがヒンディーだが聞き取れないボリュームでモゴモゴ喋るだけで、何言ってるか全っ然分からなかった・・・150ルピーだし、仕方が無いか。

 ヒンドゥー教の神様の1人ラクシュミーを祀った寺院。
 一般参拝者に交じって、見学。
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風の宮殿(Hawa Mahal)

 壁をピンク色に塗った(ピンクというより薄いオレンジ色だったけど)、旧市街地に入って、大通りを進むと見えてくる。
 もともと、ラハラジャたちが道行く平民の生活を眺めるために作った建物で、だから道路に面する側にたくさん窓がある。
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天文台(Jantar Mantar)

 1728年、ときの王ジャイ・シンが立てた天文観測所。天文学に造詣が深く、学者を海外派遣して天文学を勉強させ、彼らにこの天文台を作らせた。
 僕は、あまり造詣が深くないので、写真も撮らず・・・。


シティパレス

 ピンクシティのちょうど中心に位置し、綺麗な外壁の内側には博物館やらギフトショップやらが入っている。
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アンベール城(Amber Fort)

 かつて今のジャイプール市街地に都が築かれるまで、小国の首都だった城。
 山城形式になっていて、高い城壁・分厚い門に守られている。
 中には、戦闘施設のほか、宮殿などもあって、外見とは打って変わって綺麗な印象だった。
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ジャイガール城(Jaigarh Fort)

 こちらも要塞。
 1726年にジャイ・シンが建てた要塞で、一度も戦火を浴びてないので、城壁などは崩れずに綺麗に残っている。
 世界最大のキャノン砲が自慢・・・どうやってここまで持ってきたんだろうか(ここで組み立てたのかな)。
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 砲台が展望台として開放されていて、とてもいい眺め。ジャイプール市街地の様子を一望出来る。
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 結局、出発時間の遅れが祟り、ツアーから帰ってきたのは、20:00前。
 我々のVolvoバスはとっくに出発してた。

 バスのチケットカウンターでひたすらゴネたら、20:30くらいの臨時便に2席ネジ込んでくれて、なんとか帰ることが出来た(エアコン無しだったけど)・・・やれやれ。
 


<後日談>
 ここジャイプールへは、その後再訪した。
 そのときの様子は、コチラ


オススメ度(100%個人主観)

 ★★★★☆
by bharat | 2005-08-16 15:22 | インドぶらり旅
第3回旅行は、グジャラートの中心都市アーメダバード
研修旅行で、アーメダバードの旅へ

 当社には、観光旅行でなく研修目的の旅行であることを前提条件に、僕のような各国派遣員に、一定の日数に限って、会社経費で旅行することを承認する制度がある。
 今回は、同制度を使って行った旅行で、事前学習した上、旅行の道中も文化教室の先生が英語で細かく説明をしてくれたので、とっても内容の濃い旅行だった。

 というわけで、第3回旅行記。


アーメダバードってどこ?
 今回の旅は、1泊2日だったのだが、まず旅立つ前にアーメダバードがどんなところかを調べてみた。

アーメダバード(Ahmedabad)
 インド最西部に位置するグジャラート(Gujarat)州の中心都市。
 人口450万人。
 グジャラート州は西をパキスタン、南西をアラビア海と接していて、歴史的には4000年前にハラッパ文明が発祥した地域でもある(但し現存する著名な遺跡は殆どパキスタンにある)。
 仏教文化が広まった同地域に、10世紀以降、ムガル帝国等のイスラム勢力が侵入、現在のヒンドゥー教・イスラム教混在の原型となった。

 最近の出来事としては、あまり宜しくないニュースが多い。
 2001年1月26日、同地域をM7.9の地震が直撃、アーメダバードを中心に30,000人以上の死者が出た。また、2002年以降、イスラム教徒とヒンドゥー教徒との間で相次いでテロ行為・暴動が発生、同年中に1,000人以上の死者を出す大惨事となった。

 現在のアーメダバード及び周辺地域は平穏(とゆぅか平和的な騒々しさ)、雑然とした雰囲気の中にも、歴史的文化的背景から様々な興味深い建築物がたくさんあった。
 また同地域一帯は一大工業地帯にもなっているそうな。
 (アグラみたいな空気の汚さは感じなかったけど。)



圧巻!階段井戸   日本の井戸とは違うぞ!

 1日目は、飛行機でアーメダバード入りして、マイクロバスで周辺地域を回った。

アダラジ・バブ
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 アーメダバード至近のアダラジ(Adalaj)にある階段井戸(Vav)を観光。
 日本のような井戸では無く、水の湧き出る場所に向かって階段をつくり、その周囲を神殿みたいに彫った一種の建物みたいになってる。壁面には大掛かりな彫刻を模してある。
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 慢性的に降雨量の少ない同地域で、水は貴重視され、それが宗教崇拝と結びついて、神殿のような建築物になったんだそうな。
 この傾向はヒンディー文化からイスラム文化に変わっても続いて、やがて上級貴族や上位
カースト者の集う場所となっていった。
 このアダラジ・バブは、15世紀前後に建築されたもので、その後同地域がイスラム勢力に侵略された際も、地中に埋没していたため然したる被害を受けずに綺麗に残ったらしい。
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モデラの太陽寺院
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 お次は、アーメダバードに程近いモデラ(Modhera)にある太陽寺院(Sun Temple)へ。
 このヒンドゥー寺院には、階段井戸が併設されており、とても大規模な宗教施設だったことが分かる。
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 お堂の中の太陽神を祀ってある場所は、春と秋の決まった日(春分・秋分だったかな)に朝日を浴びるように設計されており、建築は実に巧妙かつ精巧。
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 11世紀に建築されてものとされ、その後侵攻してきたイスラム勢力によって、多くの彫刻の顔が削り取られてしまっている。所謂、廃仏毀釈ってやつですな。


ラニキ バブ 
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 こちらは、アーメダバードの北北西約100kmに位置するパタン(Patan)の階段井戸(Raniki Vav)。
 パタンは、イスラム勢力に征服されるまで長くヒンドゥー教の中心地であり、この井戸は残存する数少ないヒンドゥー建築物となっている。前述のアダラジ・バブ同様に、ヒンドゥー彫刻が取水地点に向かう通路の壁面に施されていた。ブラフマー、ヴィシュヌ、シヴァの三大神はじめヒンドゥー教に登場する数々の神が壁面に彫られており、その中にブッダの彫刻も見受けられる。仏教自体がヒンドゥー教の一宗派であるというヒンドゥー教の宗教観を如実に表していて興味深い。
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 また、同地域はPatora手織物でも有名で、半年~1年かけて作られるサリー(インドの女性用衣類)は数十万円もするという。


グジャラート料理 
 アーメダバードに戻り、グジャラート料理を食す。
 同地域の料理の特徴は、殆ど全ての料理について砂糖での味付けがベースになっている点で、野菜炒めや御飯が甘いのはもとより、カレーの類まで甘い。
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 ・・・・ホテル泊・・・・


 公営観光協会によるアーメダバード市内観光ツアーに参加。その後、マイクロバスにてSabarmat Ashramに移動・観光、飛行機にてDelhiに戻る。

アーメダバードの興り
 アーメダバードは、アーメド=シャー(Ahmed Shah)王が同地を通りかかった際にウサギが犬(キツネ)を追いかける勇敢な様を見て気に入り、1411年に市街を建設したのが始まりとされている。

アーメダバードの町並み
 表通りは、小さな商店が立並び、また数多くの牛が闊歩し、雑然としている。
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 裏通りは、小さな住宅が長屋状に連なり、その中にヒンドゥー寺院(マンディル)、イスラム寺院(モスク)、ジャイナ教寺院がひっそりと配置されており、今も生活の中心になっているようだ。
 住宅は、それぞれヒンディー文化時代、イスラム文化時代、イギリス植民地時代に建てられた見栄えの違うものが混在していて、日本では見られない多様性を感じる。

スワミ・ナラヤン寺院(Swami Narayan Temple)
 1850年に建てられたヒンドゥー寺院で、今も毎朝多くの教徒が参拝を行っている。
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ハシー・シン寺院(Hathee Singh Temple) 
 ジャイナ教寺院。ジャイナ教は、ヒンドゥー教の一宗派に位置付けられ、「非暴力」「不殺生」の考えを究極的に追求する考えを持っている。教徒たちは、この考えを対人間のみならず全ての生物に対して実践することを旨としており、その徹底ぶりは我々には理解し難いものがある。歩く際には虫を殺さない様ほうきで掃きながら進み、虫が誤って口に入って死ぬことの無い様白い布で口を覆っている。また、口内に繁殖する雑菌を殺さぬ様歯磨きもしない。

ガンジーの修道場(Sabarmat Ashram) 
 グジャラート州生まれのマハトマ=ガンディーが、イギリス・アフリカを経て、1915年よりインド独立の活動拠点とした場所。人種差別・身分差別撤廃の考えを実践すべく、このAshram(修道場)に、Untouchable(不可触民:最低カーストの更に下の層)の入居を許し、製糸業を営んで、彼らの自活を促した。また、1930年の「Salt March:塩の行進」(イギリス政府の塩税に対する反対運動)は、このAshramを出発点としており、その活動に関する写真や書面も数多く保管されていた。



 ガンジーの活動については、またいろいろ調べて別の機会に書こうかな。



オススメ度(100%個人主観)

 ★★★★☆
by bharat | 2005-08-10 13:59 | インドぶらり旅
第2回旅行は、タージマハルのあるアグラ
 デリーを初めて出て、行った先はアグラ(Agra)。
 世界的に有名な世界遺産タージマハル(Taj Mahal)があることで有名な場所だ。


デリーからの日帰り旅行にもってこい
 タージマハルのある都市アグラは、デリー南南東約200kmに位置するウッタル・プラデーシュ(Uttar Pradesh、UP)州の工業都市だが、殆どの人は世界遺産タージマハルがある場所と記憶している。
 しかし、工業化に伴って、アグラ周辺の大気汚染やヤムナー川の水質汚濁が大きな問題となり、これらから世界遺産を守るために様々な措置が採られ、現在は観光都市としての性格が強い。
 タージマハルの存在があまりに強調され、この地が太古の昔からムガル帝国の支配地であったとの印象もあるが、実際はそうではなく、同帝国がAgraを支配下においたのは、タージマハル建設のわずか100年余り前のこと。元々アグラには古代ヒンディー王国があったとされ、その後ガズニ(アフガニスタン系王朝)によって11世紀に滅ぼされた後、小国王による統治を経て、1526年にムガル帝国支配下となった。同帝国第5代皇帝シャージャハーンの代まで都として大いに栄えたが、その子第6代アウラングゼーブの代にデリーに遷都された。

 ・・・とまぁ、Lonely Planetなどの書籍を通じて、アグラについての事前勉強をして、アグラに向かった。

 今回の移動は、当社本店社員の私費旅行への引率という名目の元、僕の上司の車を貸切ってのもの。御陰様で大変快適な移動だった。

e0074199_4423299.jpg 当日6:00にDelhiを発ち、途中国道沿いのレストランで朝食を取った。あらゆる旅行代理店から推薦を受けていることをアピールしたいのか、荘厳な扉に所狭しと旅行社のステッカーが貼られていて、返って怪しかった(笑)。
 「Welcome」「ようこそ」のステッカーが貼られていたが、店員は皆日本語はおろか英語も片言。チャイマサラとサンドイッチを食べて(味はそこそこ)早々にその場を離れた。

 アグラに近づき、国道から市街地の道路になると、連日の雨の影響か悪路が目立つ。
 タージマハルへの最短路も通行止めとなっており、少し回り道をしてタージマハルを目指した。遺跡の美化の観点から、周囲4kmまでしか自家用車で近づけないようになっており、大駐車場に車を停め、観光客慣れしたオートリクシャーで切符売り場まで移動(片道10分の距離にも関わらず往復Rs200/-も取られた)した。

タージマハル
 ・・・ムガル帝国のシャージャハーン皇帝によって、亡妻ムムターズのために建てられた墓。1631年に着工、1653年完成。後に、このTaj Mahalより優れた建築物が建てられることの無い様、一部の熟練工たちの指や手を切断したという。
 また、ヤムナー川を挟んだ対岸にシャージャハーン自身の墓を黒大理石で建設しようという計画もあったようだが、最近ではデマだという説が強い。・・・


 タージマハルの敷地入り口となる赤い大きな門の向かって左側に切符売り場と手荷物預かり所があり、まずは入場切符を購入。入場料はインド人Rs20/-に対し、外国人はなんとRs750/-。
 実に露骨な観光政策で、なんとも潔い。

 飲食物やタバコ・パーン(植物製の噛みタバコのようなもので吐き捨てると赤いシミが付く)など庭園内の汚れに繋がるものが持込禁止となっているほか、何故か携帯電話の持込も禁止されている。携帯電話を手荷物預かり所に預け、入場した。

 門をくぐってすぐにあの有名な姿が見える訳では無く、赤い砂岩で作られた城壁に囲まれた庭園があり、その奥に幾何学模様を施した芝生の庭園、続いて白大理石の丸いドームが見えてくる。日本の自社仏閣が森林に囲まれてひっそりと建っている様とは異なり、タージマハルの周囲に何も無いので、建物だけが浮き上がって見える。
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 タージマハルの本体の左右には赤い砂岩で出来たイスラム建築物が対称に建っている。左右の建物とも内壁・柱・天井部に装飾が施されているが、当時はモスクとしてイスラム教徒の集会所となるよう建設されたため、東側の建物は方角が悪く、使用されなかったらしい。美観を整
える為だけに東側の建物を建てたんだと。
 このあと、インドで数多くのイスラム建築を見ることになるが、同建築は極端なまでに左右対称性や均一性にこだわっている節が見られる。この辺の感覚は、日本人に相通じるものがあるかも知れないなぁ。

 タージマハルを囲む4つの大理石の塔があるが、これも美観の為だけのものだという(全ての塔はタージマハルに向かって少し外側に建てられ、地震の際に本堂を傷めないようになっている)。
 タージマハル本体に入るには、履物を脱がねばならない。インド人はその辺に脱ぎ捨てていたが、ちゃんと履物預かり所があったので、我々はそこで履物を脱いで預けた(履物を返して貰う際、チップをねだられたが払わなかった)。

 中央入口に近づくと、頼んでもいないのにガイドを名乗るインド人のオジサンが細かく説明をしてくれた。
 ・・・(以下、オジサンの説明内容)本体入口を囲む門のような外壁面に、アラビア文字のような文字列が縦に書かれているが、その文字は上のものほど大きく刻まれていて、下から文字を見たときに上下の文字が均等の大きさに見えるよう工夫されている。
 中に入ると大きな石碑が2つ。ムムターズとシャージャハーンのものだが、石棺では無いという。
 2人の石棺は石碑の下、地下室にあるということだ。地下室へは網が張られていて、僅かな光を頼りに覗くことしか出来なかったが、確かに石碑らしきものが見えた。
 建物内部は、想像していたよりもこじんまりした感じがしたが、壁面には様々な色の宝石が埋め込まれていて、光を当てると白色透明の大理石に囲まれた石が美しく光る(オジサンが懐中電灯で見せてくれた)。この白色透明の大理石が故に、タージマハルは朝~夜まで色々な色に映り、夫々の時間で違う色に映えるらしい。我々が行った日は曇りだったので、あまりその美しさを享受出来なかったように感じた。



アグラ城
 ・・・当初ムガル帝国の軍用施設としてアクバル帝の代に建設されたが、シャージャハーンの代になって宮殿の要素も兼ねるようになった。しかし同皇帝が息子アウグレンゼーブによって皇帝の座を奪われると、同Fortはシャージャハーンの幽閉の場所として機能した。・・・


 タージマハルの駐車場から車で約5分、Agra Fortの入口に到着。堀を渡って入場券を購入。またもや、外国人価格(Rs250/-)とインド人価格(Rs50/-)に分かれており、仕方無く外国人価格で入場・・・。
 城門をくぐると、通路が一定の間隔で曲がりながら中心に近づける構造になっており、日本の戦国期の城郭構造と非常に似ていた。
 内部は大きな庭園のようになっており、視界の中に入ってくるものは集会場のような建物(後述Diwan-I-Am)とその先に見えるモスクの白い塔状の屋根(後述Moti Masjid)くらいだった。他に何も無いのかと思って、建物の奥の小さな階段を昇ると、ヤムナー川に面する形で建物が広がっており、大きな空間に出る事が出来る。最奥部にはKhas Mahalと呼ばれる大理石の建物があり、意外に奥は大規模である事が分かった。Khas Mahalから、ヤムナー川を挟んでタージマハルを見ることが出来、非常に良い景色だった。
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・Diwan-ni-Am 
 シャージャハーンが政を行う為に使用された、謁見の間。
・Moti Masjid 
 上記Diwan-i-Amから頭頂部をうかがうことの出来る建物で、赤い壁面のAgra Fortとは対照的に真っ白な色が非常に映えていた。ちなみに、門は閉ざされており入場は出来なかった。あとから知ったのだが、同Masjidは、インドで最も美しいモスクの1つなのだという。


見終わっての感想など

 インド随一の観光名所アグラだが、タージマハル、アグラ城がただ建っているのみで、特にその周辺に歴史博物館なども無ければたいした土産物屋も無かったのには、とてもビックリ。
 一番ボロい商売が出来そうな場所に何故店が無いのが・・・法的に規制されているのだろうか。
 また、裸足にならなければ入れないなどの方策は採られているものの、建物の内外の装飾された壁面に直に触れてしまうのも驚きだった。

 ただ、デリーからの距離も手頃で、観光客や出張者に対する紹介場所としてはうってつけかも知れない(個人的には1回行けば十分な印象を受けたけど)。


<後日談>
 その後、アグラを再訪。
 遺跡を傷つけないための工夫、環境対策などが改善されていた(コチラ参照)。



オススメ度 (100%個人主観)

     ★★★☆☆
by bharat | 2005-08-02 10:30 | インドぶらり旅
第1回旅行は、インドの首都デリー
 このカテゴリでは、僕のインド国内旅行記を徒然なるままに書いてゆこうと思う。
 個人的な目標としては、インド滞在2年の間に、72箇所回ろうと思っている。
 根拠は、ただ漠然と、月に3箇所くらい回りたいなぁというだけ。

 というわけで、第1回旅行記。

大国インドの首都
e0074199_2043650.jpg 私が住むことになったここデリーは、言わずと知れたインドの首都である。
 現在の人口は、1,200~1,300万人(資料によって結構数字はマチマチ)。

 デリーは、都市と州の中間的な存在である。
 都市としてはとても大きいし、州としてはとても小さい(面積1483k㎡は東京都全体の70%にあたる広さ)。
 政府からは、「州」としてカテゴリ分けされているが、1991年までは「連邦直轄地」というくくりだった。
 後者が州のように運営されているので、呼称がどちらであっても、あまり違いは無い。
 因みに、現在インドはデリーを含む29州と6つの連邦直轄地から構成されている。

 デリーは、北東のオールドデリー地区、中央に大きく広がるニューデリー地区、南部のカントンメント地区に分かれる。
 都市の東側を、聖川ヤムナーに面していて、川を越えればもう隣州のウッタル・プラデーシュだ。
 南西に車を1時間も飛ばせば、これまた隣州のハリヤナである。


e0074199_205146.jpg デリーが都市機能を持ったのは、13世紀初頭。
 西から入ったイスラム系の奴隷(スルタン)王朝がここに城塞都市を築き、これが現在のオールドデリー地区にあたる。今でも、城壁などが多く残存している。

 1つの王朝の都から、インド全土の首都として認知されるようになったのは、1911年。
 当時インドを支配していた英国が活動拠点をコルカタからデリーに移したのだ。



見どころ沢山☆ 世界遺産も!
 入替り立代り支配者が変わっていったデリー。
 昔の城砦や寺院をはじめ、見どころは実に沢山ある。

 詳細はここではとても書き切れないので、別カテゴリ「デリー市内あれこれ」で紹介していくことにする。

デリー 1  フマユーン廟
デリー 2  工芸博物館
デリー 3  イスコン寺院
デリー 4  IITF ・ IITF(続き)
デリー 5  シャールク・カーンをこの目で見たい!
デリー 6  日本人だけの大忘年会
デリー 7  Auto Expo 2006
デリー 8  武器兵器博覧会「DefExpo」
デリー 9  超巨大ヒンドゥー寺院 アクシャルダーム
デリー10  ガンディーが荼毘に付された地ラージガート
デリー11  世界にそびえ立つ世界遺産 クトゥブ・ミナール
デリー12  中世の天文台 ジャンタル・マンタル
デリー13  占い好きなヒトは是非☆ 『アガルティヤの葉』
デリー14  チベット人居住区
デリー15  男性(同伴)でないと登れないジャミ・マスジッド
デリー16  裸の寺院 鳥の病院
デリー17  巨大シヴァ寺院 マンガル・マハーデーヴァ
デリー18  左程古くない「古い城」 プラーナーキラー
デリー19  ロディー・ガーデン
デリー20  インド御遍路 カバリヤ
デリー21  夏祭り
デリー22  ハーフマラソン
デリー23  運動会
デリー24  鉄道博物館
デリー25  サフダルジャン廟
デリー26  日本人会 忘年会(今年は主催側)
デリー27  国立博物館
デリー28  日本妙法寺
デリー29  IETF
デリー30  ロータス・テンプル(Bahai'i House)
デリー31  アーユルヴェーダ病院
デリー32  ハウズカス遺跡
デリー33  階段井戸(Gandhak ki Baoli)
by bharat | 2005-08-01 10:30 | インドぶらり旅