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インドの農村行政の実態

 ちょっと前に、日本の政府系の研究所のインド駐在研究員のNさんに同行させてもらい、デリー近郊の農村を見る機会があった(詳細は第6回旅行参照)。
 そのNさんより、インドの農村行政について詳しく聞く機会があったので、今回はその内容について少し書こうと思う。


インドの農村開発行政

 1947年の独立以降のインド経済の歴史は、初代首相ネルーの社会主義政策からスタートしている。
 彼は、重工業を中心とする近代工業の育成に注力し、国営・公営企業の成長を重視した。当時独立した他の発展途上国の先んじて5カ年計画を導入、経済安定成長を目指した。独立当初の大混乱期にあって、ネルーの打出した諸政策は奏功したが、1960年代に入ってそのツケがまわってくることとなる。
 企業の新規参入を避け、厳しい輸入統制などで、一部の国営・公営企業への権限集中が賄賂などの腐敗を蔓延させ、また地方における農産業の停滞をもたらした。

 だが、現在に至るまでインド政府が全く農業行政に手を付けなかった訳ではない。
 1960年までは、前述した農産業停滞からの脱却を図った制度的な改革を随時実行、農地面積拡大・国内自給率向上を目標とした。
 1960年代後半からは、農地面積の拡大が限界に達したとして、耕作作物の品種改良など技術重視の戦略に転換した(「緑の革命」)。小麦と米を中心に導入されたこの政策は、結果的には小麦革命を実施した州(パンジャーブ州やハリヤナ州など)で大成功した。
 1970年代に食料完全自給を達成すると、今度は政策の主眼は農村の貧困緩和に移行していく。


貧困緩和事業の内容とその実態

 現在、インド政府が打出している主要な政策は以下の通り。

農村自営促進事業(SGSY)
(内容)農村における自助グループ育成を行う。
(実態)農民への認知度は極めて低い。

農村雇用事業(SGRY)
(内容)村内における公共事業(用水路・村内道路の敷設、公民館・学校の建設など)を通じて、農村部の雇用創出を行う。
(実態)認知はある程度されているものの、政府補助金の使途を巡る不正が多々発生。e0074199_3581226.jpge0074199_3582574.jpg







連邦首相農道事業(PMGSY)
(内容)バジパイ政権以降実施されている政策で、比較的大規模なもの。幹線道路・主要都市と村とを結ぶ農道の整備事業。
(実態)認知はある程度されている。しかし、小さな農村では実行されないこと、村内労働力が有効活用されないこと(政府系の建設会社が請負うケースが多いため)などが問題視されている。
 
インディラ住宅事業(IAY)
(内容)指定カースト民・山間部族などの貧困層に住宅資材などを無償・安価で提供するもの。
(実態)貧困層の定義が曖昧(一般的には約12,000ルピー/年と言われている)なため、あるいは提供先の決定権がパーンチャヤット(村議会)と群開発室にあるため、腐敗の温床になっている。


 また、上記のほか、政府は、農民の生活負担軽減のため、保健所や学校の設置なども行っているが、この辺の実態については第6回旅行参照。


 これらの実態について、大規模な訴えを上層部に起こすことは極めて稀だという。
 各農村には、様々なカースト民がいるので、村全体の連帯感はとても希薄で、それが故に大規模な運動は発生しないとのことだ。


農村の過酷な環境

 政府の諸政策の恩恵をなかなか受けられない環境に加えて、インフラ環境や生活環境、自然環境が更に農民を苦しめている。
 Nさんが調査した村々では、電気はごく一部の住宅にしか届いておらず、上下水道設備が無いためトイレも無い。飲料水の清潔性にも多くの問題がある。用水路の有無は村によるが、乾湿の差が激しいので、作物栽培が出来る時期は制限されてしまう。
 (時期によってこんなに環境が変わる)
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 都市部とのアクセスが悪いので教育水準も自然と低迷。
 村内労働者の所得は25~40ルピー(約65~100円)/日、1年のうち約4ヶ月は仕事が無い状態だという。e0074199_4432792.jpg
 農民の金銭的拠り所は、もっぱら出稼ぎ者の仕送りで、一部の農村では年間収入の2/3を仕送りに頼っている状況もあるようだ。




村のための事業とは・・・

 Nさんの調査結果(経過報告)を聞かせて貰い、第6回旅行に引続いてインドの村の実態について理解を深めることが出来た。

 我々日系企業がこの地で貢献出来ることって一体・・・悩みは尽きない。
by bharat | 2005-10-31 15:01 | ふと思うこと
10月29日夕刻、デリー市内にて同時爆破テロ発生

 昨日、デリー市内3箇所で同時爆破テロが発生した。

 今日(10月30日)は、午前中にブラブラとデリー観光でもと思っていたのだが、朝から現地TVニュースに釘付けである。e0074199_15301953.jpg







テロ概要

 ニュースによれば、テロが起きたのは以下の3箇所。

① パハルガンジ(Paharganj)
 旧市街(所謂オールド・デリー)地域で、現地人の中~低所得者たちの住宅街が多く存在。
 鉄道の駅も近くて、安宿も多いので、外国人バックパッカーたちの溜まり場になっている場所も多数ある。

② サロジニ・マーケット(Sarojini Market)
 デリーのやや南に位置する、大きな市場。
 生地製品や雑貨を扱う小規模店舗が乱立する典型的なインドの市場で、金額の安さ(ガイジン向けマーケットではないので)からいつも多くの人でゴッタ返している。

③ オクラ(Okhla)
 工業地域らしいが、詳しいことは知らない・・・。

 上記3箇所で10月29日17:00~18:00にかけて、爆発が発生。
 今朝のニュースの段階では、死者49名、負傷者114名。


テロ発生時の環境

 インドでは、10月末~11月初旬にかけて、ディワリあるいはディープワーリー(Diwali/Deepavali)というインド最大のお祭りが行われる。
 具体的日程は年によって異なるが、今年は11月1日に実施される。

 この時期、人々は自宅や商店を電飾で装飾し、爆竹や花火を付けたり、ロウソクに火を灯したりして、銘々にお祝いをする。

 町中がこんな状況だから、昨日、怪しい物体にライターで火を付けてようが、全然怪しまれないわけだ。政府系の重要な建造物ぢゃなくて、一般的な市街地でテロがあったのは、そのせいだろうと思われる。

 実は、今年8月15日のインド独立記念日、インド政府はテロに相当警戒していた。
 それが杞憂に終わったと思っていた矢先の今回のテロ。
 暫くは、市内の警備が厳重になりそぉだ。


スーパー・ポジティブ

 こんな事件でさぞディワリにも暗い影響があるのではと勝手に心配する僕に、たった今インド人友達からメールが。

  「昨日の事件は大変だったね。君も気をつけてね。
   ハッピー・ディワリ!!」


 ・・・なんだろ、この超楽観主義・・・。
 まぁ、僕もかなりこの類の思考回路があるので、気持ちは分からんでも無いが・・・。
by bharat | 2005-10-30 11:18 | ふと思うこと
インドのTシャツ 2

 これもまた、リシケシュ(Rishkesh:詳細は第5回旅行参照)の道端で購入した一品。

2. ラーム神の勝利
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 ド派手な真黄色に赤い絵柄。
 赤い色で書かれているのは、ラーマ神とハヌマーン神。

 ラーマ神は、インドの2大叙事詩の1つ『ラーマーヤナ』の主人公ラーマチャンドラのこと。
 彼は、のちにヴィシュヌ神の化身として神格化され、ヒンドゥー教の神様の一人になった。
 全身がブルーで、頭には王冠、手には弓を持っていることが多い。
 叙事詩の中で、弓の名手として登場している。

 奥さんの名前は、シータ。
 弟の名前は、ラクシュマン(因みに弟も全身ブルー)。
 部下として、猿の神様ハヌマーンがいる。

 ヒンドゥー寺院では、単体で祀られることもあるし、ラーマ一家総出演している寺院もある。


 Tシャツの柄の話に戻ると、ラーマ神とハヌマーン神が抱き合って勝利を喜んでいる下部のデザインと、弓と文字のプリントされている上部の2つのデザイン構成。
 ヒンディー語は、「ジャイ・スリ・ラーム」=「ラーム様の勝利」と書いてある。
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 このTシャツ、ヒンドゥー教徒たちには、「良いデザインだね!」と言われるが、イスラム寺院とかには着ていけないな・・・。
by bharat | 2005-10-29 02:46 | インドのTシャツ
第16回旅行は、ヒンドゥーの「性」地 カジュラホ
 今回は、カジュラホ(Khajuraho)に行って来た。
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 世界中に、ユネスコ認定の世界遺産は数あれど、こんな遺跡はここだけぢゃなかろうか・・・。
 ヒンドゥー教寺院群の彫刻の中に、数々の男女接合(要はS☆X)像があることで有名な場所だ。

 思い立ったが吉日、ということで、出発前日に旅行代理店と電話で連絡を取りつつ、航空券・宿・現地ガイドの予約を済ませ、前日夜に航空券とホテルチェックイン用のバウチャーを受取った。
 話はソレるが、インドの航空国内線の金額は驚くくらい高い。オーストラリアも確かそうだったが、国内産業保護のせいなのか、平気で往復10,000ルピー(約26,000円)を超える。今回も、往復で11,000ルピー余り・・・イタい出費だな・・・やっぱり移動は電車かバスに限るな。

カジュラホの概要

 ヴァラナシ経由で、カジュラホ空港へ向かう。e0074199_0235382.jpg
 飛行機の窓から下を見るが、何にも無いゾ・・・。

 カジュラホは、マッディヤ・プラデーシュ(Madhiya Pradesh)州の東部にある小さな村で、人口はわずか7,000人余り。デリーからは、南東の方角にあたる。
 村の名前は、「ナツメヤシ(カジュラ)」、「村(ホー)」に由来しており、今でもナツメヤシの木が生えている。
 村の主産業は、観光と農業。小麦、菜の花、グリーンピースの栽培を細々とやって生計を立てている農民が多いという。遺跡の観光で生計を立てられる人はごく一部のようで(政府公認ガイドになる必要があり、試験にパスしなくてはならない)、僕を案内してくれた人が誇らしげに語っていた。

 数々の遺跡が建造されたのは、この地がかつてチャンデーラ王朝の都だったから。e0074199_0422372.jpg 9世紀~14世紀にかけて繁栄した同王朝のもとで、数々の寺院が建てられた。特徴的なのは、同王朝がヒンドゥー教のみならずすべての宗教崇拝に対してとても寛容だったことだ。当時の建築物では無いが、後世(19世紀)にこのチャンデーラ王朝の宗教に対する姿勢を示す為に建てられた寺院が今でも残っている。一番左の円柱形の屋根がヒンドゥー教、中央の方柱形の屋根が仏教、右のドーム形の屋根がイスラム教の寺院を模している。
 チャンデーラ王朝庇護の下建設された寺院は85あったとされるが、イスラム勢力による廃仏毀釈および経年劣化(この地域一帯は花崗岩質だが、寺院はここから約35km離れたケンガワで採れる砂岩で作られた。だから彫刻し易いが、風化もし易かった)によって、今は20余りが現存するのみとなっている。


S☆X S☆X S☆X

 村の遺跡は大きく分けて、3つのエリアに分かれている。
 西エリアは、庭園状の敷地の中にヒンドゥー寺院群がある。
 東エリアは、3つのジャイナ教寺院が。
 南エリアは隣村ジャートカラ村にあり、2つのヒンドゥー寺院がある。

1.西エリア

 入場券を買って庭園内へ。
 例によって2重価格制で、インド人は10ルピー(約25円)、ガイジンは250ルピー(約630円)。
 庭園内には多くの寺院があるが、全てヒンドゥー教寺院だ。

 全ての寺院は、盛り土の上に建てられており、この一帯が湖だったことを示している。現在は庭園南側のシヴ・サーガル湖と北東のプレム・サーガル湖に僅かな水が残っているだけだ。

 現在、実際ヒンドゥー教徒が参拝する寺院は、この庭園内には無い。一旦イスラム勢力によって破壊された寺院には崇拝の価値が無いとされ、その宗教的観点から価値が残っているのは庭園に隣接するマタンゲーシュワラ(Matangesvara)寺院だけだ(同寺院については西エリアの最後に書く)。


ラクシュマナ(Lakshmana)寺院

 庭園入口から奥に向かって、左手前にあり、ヴィシュヌ神を祀る寺院。
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 930~950年に建てられたもので、外部の建築のところどころに日々の生活、特に性の営みの様子が彫られている。
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 ヒゲを生やした王と王妃とのS☆Xには付き人が。
 人間のS☆Xを覗き見する象(右端の象だけ右を向いている)。
e0074199_184911.jpge0074199_182555.jpg 足のトゲを取る女性の尿を受ける人の像。
 丈の短いサリーを着る女性の彫刻は、当時のサリーが超ミニだったことを示している。現在の丈が長いのはイスラム勢力による影響だと言われている。



外部の彫刻下段には、戦い、戦勝祝いの様子に交じって、やはりS☆X(なんとウマを犯そうとしているものもある)の像がある。e0074199_1204175.jpge0074199_1202818.jpg



ヴァラハ(Varaha)寺院
e0074199_1151564.jpg 寺院といっても、約5m四方の敷地に一匹の巨大なイノシシがいるだけ。
 だが、このイノシシ(ヴァラハといって、ヴィシュヌ神の化身)の体に細かい像が彫られていて、結構芸が細かい。
 前述のルクシュマナ寺院より若干古く、900~925年の建設と言われている。



カンダリヤ・マハーデヴァ(Kandhariya Mahadeva)寺院
e0074199_1461295.jpge0074199_1455767.jpg 1025~1050年に建設されたこの寺院は、チャンデーラ王朝の寺院建築の絶頂を示す最高傑作と言われる。正面から奥に向かって屋根が段々高くなり、最奥部の高さは約31mにもなる。また、壁面の彫刻は3段構成になっていて、よく写真やウェブで御目にかかるものは多分この寺院のものだろう。
e0074199_1502040.jpge0074199_1504053.jpg 因みに、ヒンドゥー寺院の屋根は、シヴァ神の住んでいるとされるヒマラヤ山系のカイラーサ山を模したものだ。
 内部の本堂には、例によってリンガ(男根)が祀られている。



ジャガダンビ(Nagadambi)寺院
e0074199_242465.jpg 11世紀初めに建設された寺院で、シヴァ神→パールヴァティ神→ジャガダンビ神と祀る神を変えているのだが、本堂に祀られているのは今もパールヴァティ神だ。
e0074199_24922.jpg 外壁の彫刻はかなりディテールが凝っており、芸術というか素人目にはただの「エロ彫刻」にしか見えない・・・。イスラム教徒にも到底理解されなかったらしく、廃仏毀釈の跡が強烈に残っている。



チトラグプタ(Chitragupta)寺院
e0074199_2104917.jpg 庭園奥の寺院群の一番右にある寺院で、作りは前述のジャガダンビ寺院のパクリっぽいが、本堂に祀ってあるのが太陽神スーリヤという点で特徴的。
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 イスラム勢力による破壊と経年劣化により、入口部の殆どはごく最近になって修復されたもの。


ヴィシュワナータ(Visvanatha)寺院
e0074199_2114729.jpg 1002年、時の王ダンガデーヴァによって建てられた。
e0074199_2162448.jpge0074199_216315.jpg 女性の彫刻がバラエティに富んでいて、外壁には様々な格好の女性像、また様々な体位のS☆X像がある。



ナンディー(Nandi)寺院
e0074199_2201019.jpg 寺院というか、ヴィシュワナータ寺院の一部みたいな感じ。
 シヴァ神の乗り物の牛ナンディーがドカンと鎮座している。



マタンゲーシュワラ寺院
e0074199_2324592.jpg 西エリアの中で唯一現在もヒンドゥー教徒が礼拝する、「生きた」寺院。
e0074199_234843.jpge0074199_2335625.jpg 900~925年の建設とされ、シヴァ神を祀っている。
 本堂には、巨大なシヴァリンガ(男根)が祀られており、お祈りをしてくれる教徒も傍に座っていた。寺院の外では、行者と警官が何やら痴話話。




2.東エリア

 このエリアで中心となるのは、3つのジャイナ教寺院。
 うち1つは、現在もジャイナ教徒が引切り無しに参拝に来ていた。

e0074199_2454999.jpg ジャイナ教は、紀元前5世紀頃、ヴァルダマーナが開いた宗教で徹底した不殺生を旨とする。神はおらず、24代続く「祖師」が宗教のトップにいる。教徒の中に商人が多く、彼らの財力によって寺院は豪華に装飾され、あるいは良く保存されている。
 ジャイナ教寺院の本堂に祀られている坐像などが、仏教寺院の仏像と酷似しているが、見分ける点はいくつかある。ジャイナ教の祖師はイヤリングをして座布団に座っているが、ブッダはイヤリングをせず蓮の花に座っている。



アディナート(Adinath)寺院
e0074199_2531851.jpge0074199_253416.jpg ジャイナ教寺院には、S☆Xしている像は無い(残念ながら・・・)。
 しかし、同じ王朝庇護の下、同時期に建てられているので、彫刻のタッチはとても似ている。
 それどころか、壁面にはヒンドゥー教の神の彫刻も見られる。
 この寺院の壁面には、ゴーケシュアラと言われる頭が牛で体が人間のシヴァ神の化身(方向・方角を司る神)の彫刻が見られる。
 また、バーラトナッテムと言うインド舞踊の様々なポーズをとる女性像が見られる。



パルスワナータ(Parsvanatha)寺院
e0074199_256786.jpg 23代祖師パルスワナータを祀った寺院。
e0074199_323711.jpge0074199_322581.jpg 1817年にヒンドゥー教寺院からジャイナ教寺院に変わった為、多くの彫刻はヒンドゥーの神のものだ。シヴァ神の彫刻が数多く見られ、シヴァとその妻パールヴァティが並ぶ横で化粧をする女性の像があったり、シヴァの左に死神(ヒゲが生え、右手に骸骨、左手にハゲタカがとまっている)の彫刻があったり、結構バラエティに富んでいる。

 
 
シャンティナータ(Shantinath)寺院
e0074199_37458.jpge0074199_365130.jpg 全高5mの第16代祖師シャンティナータを祀る寺院。
 現在もジャイナ教徒が多く参拝しており、祈祷を行う教徒が大勢いた。また、同寺院の正面には宿坊があり、参拝者が滞在出来るようになっている。



3.南エリア

 厳密には、ここはカジュラホ村ではなく、隣のジャットカラ村にある。
 舗装されていない細い道を進むと、ポツンポツンとヒンドゥー寺院が見えてきた。

ドゥラデオ(Duladeo)寺院
e0074199_3103774.jpg 1100年頃建てられたヒンドゥー寺院。
e0074199_316491.jpge0074199_3155268.jpg チャンデーラ王朝後期のもので、宙を舞うように踊る女性像や、様々な体位のS☆X像が見られる。



チャットゥルブージャ(Chaturbhuja)寺院
e0074199_318523.jpge0074199_319522.jpg 1100年頃建てられた寺院で、本堂に全長4mの巨大なヴィシュヌ神を祀る。
e0074199_3261684.jpge0074199_326354.jpg 前述のドゥラデオ寺院から約1km南に離れたこの寺院では、ヴィシュヌ神にまつわる面白い彫刻を見ることが出来る。
 ヴィシュヌ神の化身の奥さん(もはや訳が分からないが)のナルシンガは、頭がライオンで体が人間の女性。
 半分男性で半分女性の両性具有の彫刻は、アルダナリーシュワルと呼ばれている。



夜も寺院を堪能
e0074199_3373015.jpge0074199_3371858.jpg 日中見た寺院は、夜キレイにライトアップされる。
 毎夜開催される「ライト・アンド・サウンド・ショー」はガイジン価格250ルピー(約630円)で、英語版は19:00~20:00、ヒンディー語版は20:45~21:45。寺院が建設された当時の歴史を音声でドラマ仕立てで追いながら、ライトアップされる寺院を堪能する形式だ。1時間はちょっと引っ張りすぎだけど、なかなかキレイでよかった。



村の風景
 今回ガイドをしてくれたジュガル・ティワリさんは、政府公認のガイドで日本語も堪能。
 南エリアの寺院群のあるジャットカラ村の出身で、カーストはバラモン(ブラフマン)。
 この地域でガイドやドライバーをするのは上位カースト者が多いようで、ドライバーもバラモンだった。
e0074199_402670.jpge0074199_401530.jpg 空いた時間にジャットカラ村を少し案内して貰った。
 以前見た村(詳細は第6回旅行参照)とは違い、土壁の家は少なく、レンガの壁、しっくい壁が多い。ヒンドゥー・カースト者の割合が結構多いとのことだ。ただそれでも貧しい格好の子供は結構多く、飛行機機内で貰ったキャンディを配ると、たくさんの子供が寄ってきた。

 ジュガルさん曰く、カジュラホが世界遺産に登録されてから、色んな規制があったり(寺院の周囲の敷地の強制整理や政府公認ガイドによる観光業独占など)、環境汚染(西エリアにあるシヴ・サーガル湖は近年著しく汚染された)などの問題が発生しているが、それでも空港新設、特急用線路引込によって観光客が増えることで得られる金銭的メリットの方が遥かに大きいとのこと。
e0074199_405057.jpg 中央集権が進み、村から都市部に出稼ぎに行く傾向が強まる中で、自分の生まれた村で働き続けることが出来てとても嬉しいのだそうだ。

 インドでは、都市部と村部との間の格差拡大が問題視されているが、観光地として機能している村はまだマシということか・・・。



オマケ
 シヴ・サーガル湖近辺にあった、土産屋「Chandela Enporium」は結構オモロかった。
e0074199_3593846.jpge0074199_3592518.jpg 時間潰しにはもってこいで、物色中、飲み物もバンバン出してくれる。
 値段は高くて、値引きもしないので、何も買わなかったけど。
 画像は、気に入ったライオン像と2階の在庫部屋。



オススメ度(100%個人主観)

     ★★★★★ ・・・ ロコツな性描写を、飽く迄芸術と言い張るギャップを楽しむ

観光所要時間

     5~6時間 (全エリア合計)



by bharat | 2005-10-26 00:10 | インドぶらり旅
インドのTシャツ 1

 インドに来て、ちょうど4ヶ月。
 片言のヒンディー語で、なんとか会話が成立つかな?と言ったところまで来た。

 この4ヶ月の間、いろんな場所のガラクタ屋・土産屋に行ったが、結構面白いTシャツを見つけては、買っている。

 デザインが面白いので、このカテゴリで掲載することにした。


1. ボール バン
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 リシケシュ(Rishkesh:詳細は第5回旅行参照)で買ったTシャツ。
 シヴァ神とパールヴァティ神とその子供のガネーシュ神のプリント柄。
 価格は、50ルピー(約130円)くらいだった。

 下に書いてある文字「ボール・バン」は、「バンと言おう」の意味。
 「バン」はシヴァ神の持っている太鼓の音で、これを口で言ってシヴァ神を喜ばせようという意味のフレーズだ。

 このTシャツを着て歩いていると、道端の人がこの文字を読んで、僕の方をニヤッと笑うことが良くある。
 「ばん!」と言ってやると、喜んだ様子で「コイツ、インドを知ってるな」みたいな顔をされる。
by bharat | 2005-10-25 23:18 | インドのTシャツ
デリー2 工芸博物館

目立たないが、中身は・・・

 デリー市内東部にある、プラーナー・キラーと向かい合うようにして、ひっそりと建っている工芸博物館(Craft Museum)。
e0074199_3192585.jpg入口に守衛がいるが、そのまま何事も無く入れてくれる。なにせ「入場料タダ」だから。



 トンネルをくぐると、正面にいきなり土産物屋が。
 中には、南部インドの鉄細工や、ラージャスターン(Rajasthan)州の操り人形、アッサム(Assam)州のランプなど、各地の工芸品がズラッと並ぶ。見ていてとても楽しいのは勿論だが、何より価格がとても良心的。ハッキリ言って、コンノートプレース(デリー北部の中心地で各州の物産店などが並ぶ地域)やデリーハット(デリー南東部の物産品市場)より安い気がした。


e0074199_3342515.jpg 博物館入口を目指して進むと、高さ3~4mはあろうかという巨大な壷が陳列されている。
 説明書きは一切無いので、これが何なのか、何の為にここに置いてあるのかは不明。
 インドでは、こういった状況に良く出くわす。歴史的史跡・珍しい展示物があっても、十分な説明を記載した看板をあまり見ない・・・現地の人々はあまり知りたいと思わないのだろうか・・・。こんな状況だから、旅先で詳しくその土地を知りたいときにはガイドは必須だ(ウサン臭いガイドにあたらないことを祈りつつ)。



e0074199_3342620.jpg また、その右隣には、昔の祭事場を模した空間がある。土偶や燭台などが置かれていた。


e0074199_3384829.jpge0074199_3382465.jpg 博物館内部は、地域やテーマ別に展示物が並ぶ。
 人形を集めたコーナーには、操り人形、土人形などが陳列されている。中には、NHK人形劇「三国志」に出てきそうな中国タッチの人形もあった。


e0074199_3475074.jpge0074199_3472669.jpg 「カルト」と分類されたコーナーには、ヒンドゥー教にまつわる木製彫刻(写真は10個の頭を持つ悪魔ラーヴァナ)や南部インドのものと思われる獣神の彫刻がある。獣神の方は、チンチンがやけにリアルなんだが、男根崇拝思想に基づいているのだろうか・・・。


e0074199_3492134.jpge0074199_3484477.jpg 中庭に出ると、巨大な神輿が!
 車の上にある物体の屋根部分がヒンドゥー寺院のそれとソックリなので、まさに日本の神輿と同様の機能を果たしたものなのか?(説明書きの看板ナシ)
 館内を更に奥に進むと、昔の建築物の遺構がそのまま保存してある。左右対称の多角形はイスラム建築の、ピラー(出窓下部と壁面との接点部分に施した装飾)はヒンディー建築の影響と推測される。


e0074199_3551288.jpg 館を出て敷地を奥に行くと、「Village Complex」と呼ばれるインド各地の村の住居を再現した一角がある。
 幸いなことに、これには説明書きがされていて、どの住居がどの地域のものか判別出来た。



グジャラート(Gujarat)州の住居
e0074199_4215856.jpge0074199_4212970.jpg Mehr Hutと呼ばれる住居は、しっくい壁に玄関口のタイル細工が特徴。
 Banni Hutと呼ばれるものは、レンガ+藁の作りで、砂漠の風を良く防いだという。



オリッサ(Orissa)州の住居
e0074199_4225418.jpg Gadaba Hutと呼ばれるこの住居の特徴は、木を組んで骨組みを作り、その木にカラフルな色付けを行っている点で、台所は建物の外部に設置されている。



マッディヤ・プラデーシュ(Madhya Pradesh)州の住居
e0074199_4232447.jpg Gond Hutと呼ばれるこのタイプは、各住居の境目をしっくい+茅葺の壁で仕切っているのが特徴的。



ニコバル島(Nicobar Islands)の住居
e0074199_4234510.jpg 住居というか、柱と屋根だけ・・・。



アルナーチャル・プラデーシュ(Arnachal Pradesh)州の住居
e0074199_4241821.jpg 高床式でバルコニー(柵は竹製)を持つこの住居は、Adi Hutと呼ばれる。



アッサム(Assam)州の住居
e0074199_425075.jpg 低温多湿、雨の多い地域性から、Rabha Hutと呼ばれるこの住居は湿気に強い竹で出来ている。



ヒマーチャル・プラデーシュ(Himachal Pradesh)
e0074199_4244066.jpg Kulu Hutと呼ばれるこの住居は、山岳地域が多い地域特性により、特異な形をしている。1階部分は石で組まれ、2階部分は木製。



謎の土産物
e0074199_4192467.jpge0074199_4195289.jpg Village Complex内に、工芸品屋が並んでいたが、マンガ的なデザインの素焼きを発見。何だろうと思ったら、実態は屋根瓦のパーツらしい。1体80ルピーで、サルの親子を購入。




見学を終えて

 本を読んで、インド国内の気候・地域特性が違うのは知っていたが、その土地土地の住居をビジュアルで確認すると、改めてその違いの大きさに驚かされる。
 また、同じインド内でも農耕民族系と狩猟民族系が並存しているのも良く分かって、とても面白い。
 ガイドブックでは大きく取り上げられていないこの博物館、個人的には結構オススメ。
by bharat | 2005-10-25 10:30 | デリー市内あれこれ
デリー1 フマユーン廟
 インドに来て4ヶ月弱、旅行に明け暮れる余り、デリー市内の名所を回っていたなかったなと思い、平日の空いた時間にフマユーン廟(Humayun's Tomb)に行ってきた。
 アーメダバード(Ahmedabad)アジャンタ(Ajanta)エローラ(Ellora)への旅行を引率してくれた先生が、今回のフマユーン廟見学でも、詳細な説明を交えて同所を案内してくれた。


フマユーン廟

概要
e0074199_21132993.jpg ムガル帝国第2代皇帝フマユーンの墓。
 16世紀に建設された建物で、タージ・マハルなどのムガル建築物の御手本となった建物の一つだ。
 このデリーにあるフマユーン廟と、マッディヤ・プラデーシュ(Madhya Pradesh)州のマーンドゥー(Mandu)にあるホーシャング廟(Hoshang's Tomb)が、タージ・マハルの設計の素になったと言われ、中央のドーム状の屋根を持つ建物や、庭園を4x4の正方形に区画する手法など、様々な類似点が見られる。


西部勢力の影響
e0074199_21165391.jpg 入場料(現地人10ルピー:約25円、ガイジン250ルピー:約650円)を払って中に入ると、正面後方に本堂の屋根が見える。
 右側には、見慣れない形(イスラム建築の門は通常側面はまっすぐ上に伸び、頭頂部にかけてカーブして、頂点で角度のある交わりがもっているが、この門はローマ系ビザンチン帝国の様式を採用しており、段々の形をしている)の門があり・・・
e0074199_21183718.jpg くぐった先には、円形(正確には正多角形)の建築物がある。
e0074199_2121045.jpg この建築物はじめムガル帝国時の建築物に特徴的なのは、イスラム系建築(ムガルはコテコテのイスラムですから)とヒンドゥー教寺院の流れを汲む建築がミックスされている点。
 例えば、壁面から天井にかけてスーっとすぼんでいくイスラムテイストに、ピラー(軒下のでっぱりのこと、装飾が施されていることが殆どで、ヒンドゥー寺院の多くはこれが付いている)があったりする。
e0074199_21221495.jpg また、内側の壁面には、蓮の花の装飾が施されており、これはヒンドゥー教の流れを汲むモチーフだ。
e0074199_21233655.jpg また、同じく内側壁面の柱部にあるポット状のデザインも、ヒンディー建築の派生ではないかと言われている(むかしむかし、ヒンドゥー教徒の家では、娘が結婚すると家の柱や隅に水瓶を置いてそれを周囲に知らせた。
 その後、ヒンディー建築物の柱部に水瓶のデザインを模したものが出始めた)。
e0074199_2124171.jpg 因みに、建物内部にはいくつかの棺が納められており(フマユーン帝のものではない)、フタの形で男性・女性を区別することが出来る。フタにデッパリの付いているものが男性、付いていないのが女性のもの。


とことんシンメトリー


e0074199_21253694.jpg イスラム建築で、最も顕著な特徴の一つが、対称性を追求していることだ。
 外部の門をくぐると、廟を囲む内壁が見えるのだが、門の中心が一直線上にあるのがよく分かる。
e0074199_21262564.jpg で、またその内壁をくぐると真正面に廟が見えてくる。因みにここまでの作りは、タージ・マハルもま~ったく一緒。違うのは、タージ・マハルが殆ど白色大理石で出来ているのに対して、フマユーン廟が赤色砂岩・白色砂岩・黄色大理石で出来ている点。
e0074199_21265541.jpg 廟の中央には、棺が。
 これが中央に配置されている証拠に、棺から一番外の門まで一直線に見ることが出来る。
e0074199_21271835.jpg また、廟を斜め45度から見ると、見事に左右対称・・・ここまで拘るとはスゴイな。
 設計図を見てみたいもんだ。
 余談だが、当時の設計者たちはこの廟を建築した後、腕を切断されたり処刑されたりしたそうだ。その者達の墓もちゃんとある。タージ・マハル設計の際も同様の措置が採られたそうだ。


インド人の美術センスへの影響!?

 こういった世界遺産やそれに準ずるインドの建築物の多くは、ムガル帝国が持ち込んだイスラム建築とヒンディー建築のミックス系になっていて、特にクドいくらいの対称性追求は圧巻というほか無い。
 このあたりの影響が今でもインド人の中に染み付いているのかいないのか、インド人の美的センスはこの対象性を追求しているものが多い。
 インド人の子供に、食事用に大きなお盆を1つ、同じ大きさの2つの小さな椀を与えると、殆どの子供がお盆を中央に置き、左右それぞれに椀を1つずつ置くのだそうだ。
 また、インド人に生け花を教えている先生の話では、インド人に「まずは好きなように花を生けてみなさい」と言うと、殆どが左右対称に花をアレンジするのだという。
 そぉいえば、僕が部屋の掃除を御願いしているメイドさんも、ソファの上に置いてある2つのクッションを必ず右端に1個、左端に1個というように置き直していた。

 ここの国では、非対称性の美は理解されにくいものなのか・・・?


オススメ度(100%個人主観)

    ★★★☆☆
by bharat | 2005-10-20 10:30 | デリー市内あれこれ
第15回旅行は、仏教の聖地サールナート
 ヴァラナシに行った際、ちょっと足を伸ばして仏教跡の残るサールナート(Sarnath)にも行ってきた。
 1日間という短い滞在時間だったが、町全体は静かでこじんまりとしており、十分に堪能できた。

ブッダが初めて説法を行った場所サールナート
 ヒンドゥー教の聖地ヴァラナシから北東に僅か9km、同地の喧騒を忘れさせる静かな街サールナートがある。
 ここは、ブッダがボードガヤー(Bothgaya)で悟りを開いたあと、初めて説教(初転法輪)を行った場所とされている。仏教8大霊場の1つに数えられ、今でも多くの仏教僧が訪れる。e0074199_18243332.jpg
 漢字に訳された際「鹿野苑」とされたのは、この周りに鹿がたくさんいたからだとされており、またサールナートという地名自体も「鹿の主」を意味する「サーランガ・ナータ」が訛ったものなんだという。


ムルガンダ・クティ・ヴィハール
 街の中心を成す公園の東側に、大きな僧院を発見。e0074199_1813468.jpge0074199_18124635.jpg
 その周りには4つの石碑があり、ブッダの言葉が刻まれていた。
 丁寧にも、ヒンディー語・英語・チベット語・日本語で併記されていた。

 そのすぐ近くには、有力資本家が寄贈した仏殿があり、中には仏像が安置されていた。e0074199_1816844.jpg


ダーメーク・ストゥーパ
 街の中心を成す公園に入る。
 入場料は、外国人100ルピー(約250円)・インド人5ルピー(約13円)。入口で、

   「ユー・インディアン?」

と聞かれたので、

     「イエス!」

と言って、5ルピーで入場・・・どう見てもインド人に見えないと思うんだが・・・。

 
 中に入っていきなり目に付くのは、巨大な仏塔(ストゥーパ)。e0074199_18191013.jpge0074199_18184967.jpg
 ダーメーク・ストゥーパといい、ブッダが初転法輪を行った場所に建てられたとか、ブッダの遺物を祀ったとか、様々な説明がされている。いずれにしても、仏教徒にとっては大変由緒正しい・神聖な場所の一つとなっている。
 高さは34mもあり、周囲には色々な彫刻・経文が彫られている。


パンチャイタン寺
 公園の中に、ひっそりと残っている寺院跡。e0074199_18232649.jpg
 寺院といっても、石で出来た粗末な小屋といった感じ。


アショーカの遺跡
 公園内には、敬虔な仏教徒だったアショーカ王が建てた建築物群の跡が雑然と残っている。e0074199_1826129.jpge0074199_1825524.jpg
 殆どは、腰の高さほどしか残っていないが、その規模を知ることは出来る。
 また、鉄柵に囲まれた小さな柱のカケラは、かつて20mほどあった柱の基礎が保存されている。


その他の見所・・・
 公園の敷地内にはジャイナ教寺院が、公園と道を挟んだ南側には博物館がある。

ジャイナ教寺院
e0074199_18332911.jpge0074199_18331069.jpg 旅のガイドブックにも名称は書かれておらず、寺の御坊さんに聞いても、

   「ジャイナ教寺院です。」

と答えただけだった。

 本堂奥の坐像は、ブッダそっくり。
 堂内の壁は鮮やかで、色々な絵画がかけてあった。


博物館
 立派な外見に、粗末な陳列物・・・。
 入口のアショーカの柱頭こそ立派だったが、他は彫刻が時代・内容バラバラに並べてあるのみと言った感じ。
 まぁ、入場料2ルピー(約5円)だったんで、仕方無いかな・・・

御坊さんとの話・・・
e0074199_18371163.jpg ダーメーク・ストゥーパの傍の菩提樹の木陰に1人の御坊さんが。
 何してるのかなぁと思って眺めていたら、向こうも私に気づいたらしく、私の髪型(坊主頭)を見てニコニコ笑い掛けてきた。
 片言のヒンディー語で話し掛けてみた。


  僕 「何してるんですか?」

    坊 「仏塔を見ながら、仕事をしてたんですよ。」

  僕 「仕事って?」

    坊 「学校の会計の確認です。」

  僕 「学校を経営してるんですか?」

    坊 「最近、友人と一緒に、村の孤児達のために
       仏教系の学校を作ったんです。」

と、学校の敷地図やら敷地購買費・校舎建設費内訳やらを見せてくれた。

e0074199_1914552.jpg 学校の場所は、サールナートと同じく仏教の聖地とされている、クシーナガル(Kshinagar)というところから数十km離れた村。御坊さんの生まれ故郷なんだと。
 因みに、御坊さんの名前は、アーナンダー。ブッダの一番弟子と同じ名前だ。

 この御坊さんがもともと仏教徒だったのか、ヒンドゥー教から改宗したのかは知らないが、仏教はとても平和的で良い宗教だと私に語った。
 私の読んだ旅行のガイドブックでは、インドでの仏教徒の人数は約700万人と全人口の1%にも満たないが、本当はもっと多いんじゃ無いのかな・・・。
 ・・・この辺のインドにおける仏教の動きについては、アンベードカル(20世紀のカースト反対を唱えた社会活動家、のちヒンドゥー教から仏教に改宗した。)や佐々井秀嶺(在印の日本人僧で、インドでの仏教普及活動を行っている。)の活動をよく調べてから違う機会に書こうかな。



オススメ度(100%個人主観)

    ★★★★☆
by bharat | 2005-10-04 16:00 | インドぶらり旅
第14回旅行は、ヒンドゥーの聖地ヴァラナシ
 インドに来る前から、行きたい行きたいと思っていたヴァラナシ。
 今回、ようやく行く機会が出来た。

 ヒンディー語の個人授業講師の実家がヴァラナシにあり、彼が実家に帰る数日の間に来るなら家に泊めてくれると言うのだ。
 御好意に甘えて、早速電車の切符を手配。

インドの車窓から・・の前にちょっとヴァラナシについて

 何故、僕がヴァラナシに行きたいと思ったか・・・それはこの場所がヒンドゥー教徒にとっての聖地だからだ。
 ヴァラナシは、インドの歴史を語る叙事詩『マハーバーラタ』に記されているカーシー国の都であり、インドの歴史あるいはヒンドゥーの原点の一つである。同市は、紀元前9世紀頃には既に栄えていたと考えられ、その後12世紀までは繁栄し続けた。
 ところが、1192年ムスリム(イスラム)勢力である奴隷王朝のアイバクがヴァラナシを攻撃、以降、同市はたびたびムスリム勢力による破壊を被ることとなる。特に、ムガル帝国の第5代シャー・ジャハーン、第6代アウラングゼーブによる破壊行為で、同市は壊滅状態となった。現在の街並みは、18世紀に入ってから、再建・整備されたものだ。


すわたんたらた~♪

 今回は、特急電車で一路ヴァラナシを目指す。
 直前の座席予約だったんで、一番上のクラス(1st A/C)しか取れなかった。片道約2,400ルピー(≒6000円)はちょっと痛い出費だが致し方無い。
 電車の名前は、スワタンタラター・セナーニー・エクスプレス・・・変な名前。Freedom Fighterという意味らしい。出発時間は、20時40分だったかな。
 思ったより自宅から駅までスムーズに行けたので、30分前くらいに着いてしまった。

e0074199_13565319.jpg 取敢えず、売店で夕食でも買って行こうかな・・・って売店の類が殆ど無い・・・。
 見たことの無いハンバーガー屋が1軒あるだけ。
 仕方なく、この店でチキンバーガー・ポテト・コーラを購入。
 みんな、家から弁当でも持って来てるんだろぉか。



e0074199_13574227.jpg 出発直前にならないと、電車の入線プラット番号がアナウンスされないので、プラットホームに掛かる橋の上でしばし待つ。
 しっかし、凄い人ゴミ・・・しかもみんなモノスゴイ量の荷物を持ってる。・・・こっちの人ってスーツケース手に持たないで、頭に乗せるんだね、結構器用だな。



 出発10分くらい前に、ようやくアナウンスが。

  「スワタンタラター・セナーニー・エクスプレスは、~番ホームに入線します。」

・・・電車の名前が変だった御蔭で、聞き取れた。


彼らの宗教観って・・・

e0074199_13583140.jpg 電車のドア近辺に貼り出された客員名簿を見て、自分の客室番号を確認する。(個人情報保護法なんて完全無視の世界だな・・・)
 客室に入る。
 思ったよりマシというか、値段にしては粗末というべきか・・・。

 客室は最大4名でシェアするのだが、今回は僕を含めて3人だった。1人は英語が堪能なイスラム教徒のインド人の青年と、もう1人は無愛想な御爺さん。

 青年と英語(たまにヒンディー語)で、寝るまでの時間いろいろと話をした。
 インド人が日本人に対して抱く疑問はだいだい同じようで、

  「インドには何しに来たんだ?」
  「お前の信仰する宗教はなんだ?」

は殆どのケースで聞かれる質問だ。今回もやはり聞かれた。

 特に2つ目の質問は、日本人にとってはとても答え難い。
 仏教徒といえば確かに仏教徒なんだが(自分の家の墓は確か浄土真宗だった・・)、イスラム教徒やヒンドゥー教徒の宗教に対する姿勢と比べると余りに浅薄なので、自信を持って言えないのだ。かと言って、初詣や合格祈願・法事などに行ったりするのだから、無宗教という訳でもない。
 だから最近では、

  「自分は、『ソフト・ブッディスト』です」

と言うようにしている。要は、ユルめの信仰心を持った仏教徒というニュアンスである。


 でも、やはりこの宗教を信仰する度合いについては、我々とインド人とでは相当の開きがある気がする。
 敬虔なヒンドゥー教徒である会社同僚は、ダーウィンの進化論を全く信じていないし(人類は神の創造物だと固く信じている)、上述のイスラム教青年もこんなことを言っていた。

 青年 「ハリケーン・キャサリンが何故
      ニューオーリンズを直撃したか分かるかい?」

 僕  「気圧の関係でしょ。」

 青年 「違うよ。あの地域はゲイがたくさん住んでいたからだよ。」

 僕  「???」

 青年 「神を冒涜する行為をした奴らに天罰が下ったんだよ。」

 このコメントの他は、実に理路整然としているのに、宗教に関することとなるとどうやら理屈抜きらしい・・・この辺については、もっと理解を深める必要がありそぉだ。


e0074199_1359442.jpg ・・・そんなこんなで夜も更けて、就寝。
 ふと気づくと、ヴァラナシに着いていたとさ。



うるさい・きたない・くさい

 早速、先生と連絡を取って行き先を聞き出し、駅からサイクルリクシャーで移動。
 ・・・しかし、なんちゅう街だここは。

e0074199_1452371.jpg まず、道が狭い上に、交通量がメチャクチャ多い。
 で、いつも通りみんながオーバーテイクを掛けるから、道路上は無法状態・・・。

e0074199_1405938.jpg その後、先生の家に着いて、屋上から街並みを下ろして納得
 ・・・家が鮨詰め状態で建っている。
 道理で狭苦しい訳だ。


 おまけに、ゴミがやたら散乱してる。
 牛のウ○コは当たり前、食い物のガラやら生ゴミやらがそこら中に散らかってる。

 ・・・エラいとこに来ちゃったな・・・と、このときは思ってた。


清廉・静寂

 日中はサールナート(Sarnath)へ。

 18時頃、先生から夜のプージャー(神への御祈りを行うヒンドゥーの儀式)がガンジス川の畔の沐浴場(ガート:Ghat)で行われるから見てきたらどうかと薦められた。
 早速、てくてくガートの方へ。

e0074199_1463632.jpg 外国人と見ると、ウサン臭い現地人たちが、やたらと勧誘してくる。
 なかには、ロコツに麻薬を薦めてくる輩もいて、ちょっと危険な雰囲気。
 彼らを追い払って、川べりに着くと、祭壇らしき台がいくつか置かれていた。


e0074199_147523.jpg 18時半を回ると、どこからともなくゾロゾロと人が集まってくる・・・。
e0074199_1472356.jpg やがて、祭壇に神官らしき人たちがスタンバりだす。



e0074199_1492816.jpg 儀式スタート。
 民俗的な音楽に合せて、経文のような歌詞を大声で読み上げていく。
 神官は火の灯った燭台や孔雀の羽で作った扇を頭上にかざしたりして祈祷を行う。
e0074199_1494985.jpg 周りの群集も一斉に手を上げて、何か叫んでいる。


 儀式散会後、みんながとても満ち足りた表情で帰路に着く姿が、妙に印象的だったなぁ。


・・・就寝・・・


したのも束の間、朝4時に部屋のドアを叩く音が。

   「ガンジス川の朝日を拝みに行こう!」

と先生。

 要領を得ないまま強制連行され、真っ暗な街並みを川に進む・・・ウ○コ踏んでないだろぉな・・・。

e0074199_14105474.jpg 川に着くと驚いたことに、早くも沐浴をする人がチラホラ。そのすぐ横では、おばちゃんが洗剤で洗濯してる・・・何でもアリなんだな・・・。


 先生が、ふと何かを指差した。
 ・・・ん?長いズタ袋が浮いている。

   「人間の死体です」

と先生。
 ほほぉ・・・ウワサには聞いていたが、本当に流れてるのか。

 よ~く観察していると、川中央の早い流れは上流から下流に向かっているのだが、ガート付近では岸に反射して流れが反対向きになっている。
 死体は、この対流に乗って何周かガート付近をしたあと、本流に入って川下へ消えていった・・・。



 先生の手配した船に乗って、上流へゆっくり漕ぎながら、対岸へ渡ることに。

 しばらくすると、朝日が昇ってきた・・・
 船上の静寂の中で迎える御来光は、なんとも格別。
e0074199_14114622.jpg



 ふとガートの方に目をやると、既にたくさんの人たちでゴッタ返していた。
e0074199_14124876.jpg

 

 対岸の浅瀬に着いて、いよいよ聖地での沐浴。
 パンツ一丁で、川に入る。
 水は・・・全く汚い感じはしない。
 底面の粘土質の土が足にまとわりつくが、ヘドロではない。

 早速、先生と一緒に、朝の御祈り。
e0074199_14144160.jpg

 で、朝稽古(?)。
e0074199_1415272.jpg



 先生の家に帰って、朝ごはん。
 これでやっと8時・・・なんと健康的な朝なんだ。

 街並みはいつも通り汚いんだが、なんだかとても清廉な落着いた気持ちになった。


一応、観光も

e0074199_14164258.jpg このあと、オートシクシャーで街の観光スポットを周遊した。
 道中、乗合でも無いのに、自分の横やら運転手の横やらに入替り立代り人が乗ってきた・・・なんなんでしょうか?



黄金寺院
 正式名称は、ヴィシュワナート寺院(Vishwanath Mandir)。
 中央の塔に金箔が塗布されているので、黄金寺院の通称で呼ばれている。
 ガイドブックに、「ヒンドゥー教徒以外は中に入れない」と書いてあったが、ドサクサに紛れて入れてしまった。
 中は、敬虔なヒンドゥー教徒たちでゴッタ返しており、ギュウギュウ詰めの中、本堂で手を合せて退散。

ドゥルガー寺院
e0074199_14175918.jpg ドゥルガー(Durga)は、シヴァ神の奥さんパールヴァティのことで、怒っている状態のことを言うらしい。
 西ベンガル地方の女神信仰と強い繋がりを持っており、同地方で特にこのドゥルガーやカーリー(これもパールヴァティが怒った状態のこと)が熱烈な信仰対象になっている。
 ドゥルガー・プージャーという祭りでは、彼女の怒りを鎮める為に、動物の生贄を御供えする習慣がある。

トゥルシー・マーナス寺院
e0074199_14204545.jpg 1964年に建てられた新しいヒンドゥー寺院で、ドゥルガー寺院のすぐそばにある。
 中には、叙事詩『ラーマーヤナ』に記されたシーンの絵がたくさん飾られている。


新ヴィシュワナート寺院
e0074199_14212611.jpg ベナレス・ヒンドゥー大学(BHU)キャンパス内にある、新しいヒンドゥー寺院。
 中に入るには靴を脱がねばならないが、旧ヴィシュワナート寺院と違い、ヒンドゥー教徒以外でも気軽に中を見ることが出来る。
 僕が行ったときは、2階で盛大な儀式が行われていた。


ベナレス・ヒンドゥー大学(BHU)
e0074199_14225511.jpg 市街地とは打って変わり、落着いた感じの綺麗なキャンパス。
 校舎も欧風建築で、とても清潔感がある。
 キャンパス内は、緑が多くて、勉学に集中するにはとても良い雰囲気に思える。



美味!B級グルメ
 僕は、日本でもラーメンやらタコ焼きたら、いわゆるB級グルメに目が無いのだが、ここインドでも暇さえあれば、この手の食べ物を物色している。
 ヴァラナシで、美味いものを発見した。

ゴルガッパ
e0074199_14234955.jpg 膨れた揚げ煎に穴を開けて、そこにマサラ汁を流し込む。
 タコ煎のような食感でとても美味い。
 6個で4ルピー(約10円)。


テキ
e0074199_14241852.jpg コロッケ。
 今回はジャガイモコロッケだった。
 上にマサラやらヨーグルトやらをかけて食う。
 1個10ルピー(約25円)。



駅弁を食いつつ、帰路に着く
e0074199_14252613.jpg 夕方、帰りの電車に乗り込む。
 今度の電車は、シヴガンガー・エクスプレス。シヴァ神とガンジスの名を採った列車名だ。
 中の設備は行きの電車より遥かに綺麗。
 今度も3名で客室をシェア。


e0074199_14255123.jpg コーヒー(5ルピー:約13円)と鳥カラ弁当(160ルピー:約400円)で空腹を満たして、就寝・・・。
 明朝、無事デリーに到着した。



 着いた直後の印象がとてもキツかったが、帰るときにはとても居心地の良さを感じていた。
 不思議な街だなぁ。
 また、機会があれば、もうちょっと長い間(数週間)留まっていたい街だと思った。

   (このときは、その後ヴァラナシに長期ホームステイを含めて数回再来するとは思いも因らなかった・・・)
   (ホームステイのときの様子はコチラを御参照)



オススメ度(100%個人主観)

   ★★★★★ ・・・ 多くのガイジンがイメージする「インド」がここに

所要観光時間

   正味2~3時間 (但し、夜のプージャーと早朝の御来光は必見)
by bharat | 2005-10-01 03:33 | インドぶらり旅