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デリー6 日本人だけの大忘年会
 去る12月18日(日)、デリーのTaj Hotelにてデリー日本人会主催の大忘年会があった。
 私は、ヴァラナシで語学集中特訓中だったのだが、その日だけデリーにトンボ帰りして参加した。

デリーにこんなに日本人いたのか・・・
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 参加費用は700ルピー(約1,800円)に、1枚200ルピー(約500円)福引券を2枚以上要購入というシステム。最低1,100ルピーで参加出来る。駐在員たちには難なく払える金額(日本での費用に比べればとても安い)だが、留学生たちにはキツい金額といえる。案の定、留学生と思われる参加者は数名だった。
 会場のTaj Hotelに着いてビックリ。ホテル付近は日本車で埋め尽くされ、会場には最終的になんと473名の日本人が大集結した。・・・デリーにこんなにいっぱい日本人がいたとは・・・。何とも壮観。



インド衣装で参加
 当日のパーティのドレスコードは特に指定なし。日曜日ということもあり、皆さん思い思いの服装で参加していた。
 当社駐在員の方々は、スーツ、ジャケット、レザージャケット、普段着など多様。

e0074199_13425747.jpg そんな中、私はインド服で参加。
 シェルワーニーという、ロングジャケットを着ていった。
 これは、もともとインド民族衣装の正装中の正装で、インド初代首相ネルーは好んでこれを着用していた。歴史的には、既に大航海時代には、正装としてヨーロッパにも認知されていたらしい。というのも、『大航海時代』という文字通り大航海時代をも題材にしたTVゲームなどに、インド民族衣装としてちゃっかり登場しているからだ。

e0074199_13432454.jpg 因みに、履いているパンツは普通のパジャマ(クルタパジャマの下)、ナグラーというインド靴である。



仮装大賞?
e0074199_13244921.jpg 当日は、ナオミさん、micchaさん、TENTさんもバッチリ正装・・・というか仮装(コスプレ)してきていた。ナオミさんに至っては、写真のポーズ練習までしてきたらしい。確かにキマッている。
 因みに、服装が100%インドだったのは、我々4人のほかはごく僅か。年に一度の会だから、みんなもっと思い思いの格好をしてきたらよいのに、と思った。



盛り沢山の内容
 歌やコントなどの余興と、福引大会で、会全体の印象はとても良かった。普段はとってもマジメなのであろう人たちが、恥じらいながら演技しているのも初々しかった(年少者の私が言うのは甚だ僭越だが)。恐らく、あんなこと、あまりしたことないのだろうな・・・。因みに私は、その手の活動(?)はとても好きで、マイ全身タイツ(全身銀色)を持っていた。何遍も着てボロボロになったんで、今は使い物にならないが。結婚式2次会の司会やクイズなども何回もやった。Powerpointの使い方やプレゼンなどは、これで勉強したようなものだ。


e0074199_1336454.jpg 福引大会では、なんと当社駐在員の方が見事2等賞を獲得!「スズキのSWIFTを1年間無料で乗り回せる権」・・・でもこの方、日本への帰任が決まっているのですが・・・。



e0074199_13435036.jpg 余興の中で、ド肝を抜いたのは、インドで作成したというお神輿。とても素晴らしい出来栄えで、見ていて日本を思い出させてくれた。

 閉会は、勿論3本締め。



 インドに来て、四六時中日本人と群れるのはあまり好きで無いが、たまにこういう趣向の会があるのはとても良い事だと思う。来年もまた出席したい。
by bharat | 2005-12-30 12:12 | デリー市内あれこれ
テロに対する日本企業の対応

 インドに来る前、インドとはテロとは無縁の国だと思っていたが、最近キナ臭い事件がポツポツ発生している。

引き金は昨今の印パ協調路線
 今年の10月8日、パキスタン北部で発生した巨大地震は、記憶に新しいことろだが、インド人にとっては、その被害よりもインドが積極的にパキスタンに援助物資を提供したことが大きなニュースだったようだ。インドではシン政権になってから、急速にパキスタンとの関係改善が進んでおり、今回の支援をイチ早く決定することによって更にアピールが出来たようだ。
 印パの緊張を実感したインド人たちにとっては、今回の積極支援について、「緊張の本格的な終焉」として基本的には賞賛している人が多い。我々インドでこれからビジネスを拡大して行こうと思っている立場からしても、前向きな出来事で大変良いと思う。

 ところが、これが負の副産物を生み出している。
 国境の警備が手薄になったのを良いことに、過激派がインドに流入、あるいはインドに潜んでいた過激派を動かし、テロを誘発している。


早い沈静化を望むばかり・・・
 10月29日のデリー同時多発テロはとてもショッキングだった。爆破場所の1つだったサロジニ・ナガール市場の上空の不自然な真っ黒い雲を見たときの何とも言えない気分はまだ覚えている。
 このときには、日本でも大きくニュース・新聞等で報道されたようで、親族・知人から安否を気遣う連絡が一斉に来た。とても有難かったが、彼らの口調から察するに、また日本のマスコミが右習えで大袈裟に報道したんだろうなぁという、恐ろしいほどの心配ぶりだった。

 だが、最近は、そんな安否を気遣う連絡は来なくなった。
 別に気遣ってくれということを言いたいのでない。

 ただ、10月29日以降、日本をはじめ世界のメディアがインドでのテロについてあまり報道していないんだなぁと思っただけだ。
 というのも、あれ以降も、小規模のテロやテロと思われる事件がポツポツ起きているからだ。

 10月29日 デリー市内3箇所で同時爆破テロ、死者65人
 11月 2日 カシミール地方スリナガルで爆破テロ、死者9人
 11月14日 カシミール地方で銃撃戦発生、現地人4名死亡、日本人ジャーナリスト負傷
 11月16日 カシミール地方で車爆発、4名死亡

 で、更に12月28日、今度は南のバンガロール(カルナータカ州)で発砲事件が発生。国際学術会議に出席していたインド人研究者1人が死亡、4人が負傷した。犯人は特定されていないが、イスラム系過激派組織による犯行と推測されている。


弱気になるな!日本企業
 正直、日本がデリーの同時爆破テロ以降の事件を大きく取り上げないことについては、ホッとしている。
 ただでさえ、インドへの進出について慎重な日本企業が、ますます慎重になってしまいそうで・・・。

 日常生活で目にするものの多くは、インド国産以外だと欧米のもの、もしくは最近は韓国企業のものが特に目立つ。
 道行く車も現代(Hyundai)の車が多くなってきたように思うし、街の家電屋に並ぶのは概ねLGやサムスン(三星)などで、高級ショッピングモールにでも行かない限り日本製品は見ない。

 TVのCMも、日本企業のCMなんて殆ど見たこと無い(ヒーローホンダやマルチスズキは、インド合弁なので別と解釈して)。HyundaiやLG、サムスンは、バンバン広告を打っているのに。
 街中の看板も同じ状況。

 ・・・見ていて非常に口惜しい。
 早く、言葉(ヒンディー語)を習得して、当社はじめ日本企業をインド人にたくさん広告したいと思う。逆に、日本の中に出来上がってしまったインドの負のイメージを少しでも変えて行きたいなと思う。



 ・・・取り留めない内容になってしまったが、2006年に向けての些細な決意である。
by bharat | 2005-12-29 10:07 | ふと思うこと
デリー5 シャールク・カーンをこの目で見たい!
 12月24日クリスマスイブ、デリーに最初で最後とも言われる、一大イベントが開催された。
 その名は、「Temptation 2005」・・・いろんな意味で凄かった。

企画の内容に膨らむ期待!
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 今年の暮れから、ちょくちょく新聞紙の広告が出ていたらしく、これはその中の1つ。ボリウッド映画界のトップスターたちが、一同に会し、一大コンサートをやるという趣向。主催者は新聞紙「TIMES OF INDIA」、全国障害者雇用促進センター(NCPEDP)もスポンサリング。シャールク・カーン、ラニ・ムカルジーらを筆頭にそうそうたるメンバーが出るということで、naomiさんとその御友達と一緒に行くことにした。
 因みに、チケット料金は、S席5,000ルピー(約12,500円)、A席2,000ルピー(約5,000円)、B席1,000ルピー(約2,500円)。で、迷わずS席を購入。


 僕は、そんなにボリウッド映画に詳しい訳ではないのだが、それでも広告に踊っている名前は分かった・・・否が応にも期待が膨らんだ。
 紅白歌合戦やレコード大賞のような雰囲気か、はたまた日本でやるコンサートのように弾けるのか!


こ、これはあまりにもヒドい・・・

 当日のコンサート開始時間は、「1:00 PM sharp」と書かれていたので、何時に会場入りしたらよいか迷った。座席指定ではないので、早めに行って並ぼうと思い、11時30分ごろ会場入り・・・これでも日本のコンサートの感覚からすると遅いけど。


11:30
 焦りつつ、車が駐車場へ入っていくが・・・ガラガラ・・・あれ?
 今回のコンサートでは、S席購入者にしか駐車場使用権が無いので、それで駐車場が透いてるんだな、と思い、いざ会場へ・・・。
 厳重なセキュリティチェックを経て(大き目のバッグはNG、カメラは勿論、携帯電話もNG、なんとサイフもNG)、会場内に進む。

12:30
 ガラ~ン。何人来るのか分からないが、500~1,000人程度しかいない・・・。
 開始まで30分でこの状況か・・・恐るべし。
 おまけに、舞台上では音響・照明・スクリーンの最終リハをやっている始末。
 とても不安になる・・・。

13:00
 開始時間の13時00分になっても、客は半分以下の入り、舞台ではリハが続く・・・。
 まさかとは思ったが、sharpには始まらないようだ・・・。

13:15
 客の方は、だいぶ入ってきた(って既に定時をまわっているが)。
 されど、舞台に動きなし。

13:30
 入場者は、およそ5,000人くらいにはなった。
 依然、舞台に動きなし。
 スクリーンにたまに映るシャールク・カーンの姿にA席あたりから黄色い声援が飛ぶ。

13:45
 入場者は、およそ7~8,000人くらいにはなったろうか・・・。
 依然、舞台に動きなし。
 観客も、声を出すのに疲れだし、ただのザワつきだけが会場を包みだす・・。

14:00
 ようやく、そして唐突にスタート!!

 ボリウッドスターたちが、変わる変わる音楽にあわせてダンスを披露していく。
 テンポの悪い選曲ばかりで、イマイチ乗れないのだが、周りのインド人は座席に座ったまま、演歌風の手拍子をシャンシャンと送り始める・・・。みんな、コンサートの見方知らないのかな・・・立って体を動かしながら見ないのかなぁ。

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 そのうち、主役格のシャールク・カーンが登場。演歌歌手ばりの衣装に振付けで、威風堂々(?)と1曲披露。
 彼の登場で、会場は大混乱に・・・イスに立ってキャーキャー騒ぐ若者と、それを必死に座らせようとする年輩者で、観客席は微妙な空気に・・・。

 その後、シャールク・カーンは、本コンサートの司会もこなすという体で、進行していく。これがまた、非常にトロい・・・観客の1人をステージに呼んでは、内容の無い会話・心のこもってない賛辞を送り、一緒に1フレーズくらい踊って、直筆サインボードを持たせて退散させる。これを2~3曲終わるごとにやり続ける・・・いい加減にしてくれと思った。
 また、途中、ダンスではなく、歌手による純粋な歌の披露もあった。一部声援を集めた歌手もいたが、大半に関しては観客ウケが悪く、シャールク・カーンが舞台上に居るときとは打って変わって、シ~~ンと静まり返る。ゲンキンな観客と企画者のアレンジミスで会場は得も言われぬ雰囲気に包まれていく。

17:00
 もういい加減終わらないかなと思っていたら、ダンスミュージックに合せて出演者全員がアフロのズラをかぶって登場。何の変哲も無いバスケットボールとブサイクなクマのヌイグルミを観客席に投げ入れて、終演・・・。

 心神耗弱状態で会場を後にした・・・。
 サバサバした表情で帰路に着くインド人たちがとても印象的だった・・・。


エンターテイメント途上国
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 翌日の新聞をチェックしようと思い、いろいろ見たが、関連記事が掲載されていたのは、TIMES OF INDIAのみ。同紙は、本コンサートのメインスポンサーだから当然か・・・。案の定、紙面には美辞麗句のオンパレード。誇大表現は言うに及ばず、あることないこと書き並べていた。

 今回の総括、というか問題点。

1.一大イベントにしては、事前PRやチケット販売体制があまりに未整備
 今回のイベントに関する事前広告は、専ら上記新聞の広告。存在自体知らなかった人もたくさんいた筈。もっと事前広報を集中的にやっていれば、2~3倍の観客を集められたと思われる。
 更に、新聞広告上にチケット販売場所が明記されておらず、数日前までどこでチケットを買うのか分からない状況だった。結局、ショッピングモールの一角の粗末な仮説コーナーで、細々と販売しているのを発見したnaomiさんが、慌ててチケットを購入した。しかも、5,000ルピーという現地人にとっては破格の値段にも関わらず、チケット販売は現金のみ受付。こんな金額を普段から持ち歩いているインド人がどれだけいるのだろうか・・・。また、現金の貯まりまくった仮説コーナーのセキュリティ管理もほぼゼロ。
 こちらには、チケットぴあみたいな企業は皆無なのか・・・。

2.最低レベルの会場施設
 会場となった、インディラ・ガンディー・スタジアムは、世界陸上大会(室内競技)や政府関係の集会などが開催される多目的屋内施設。
 が、施設は相当に古いようで、トイレが少ないことに始まり、窓カーテンが無く暗転出来ない、天井からものを吊るす事が出来ずカメラ・照明は全て地上から、と大規模コンサートには向かない要素ばかり。音響もかなり悪かった。
 加えて、即席アリーナ席は謝恩会のパイプイスみたいなものを使用、アリーナ席の前にドド~ンと陣取る関係者席など、観客を無視した会場作りにも嫌悪感を覚えた。

3.ピントのずれた企画
 これだけの出演者、3時間という豊富な時間にも関わらず、その殆どはシャールク・カーンと観客との無意味な会話に費やされた。観客はその遣り取りを観て笑ったりしていたが、デパートのトークショーを観に5,000ルピーも払ったんじゃないと怒りを覚えた。
 また、メインのダンスもかなりつまらなかった。当たり前だが、全部口パクでおまけに本人が歌ってない場合が殆どのボリウッド、自然と実に臨場感の無い雰囲気になる。凄く見づらい位置からビデオクリップを見ている感じがして、盛り上がれない。
 場繋ぎ的に出てくる歌手たちの殆どが、観客の冷めた目線の集中攻撃を浴びていた。彼らが出てくる度に、会場全体のテンションが下がり、これまた盛り上がれない雰囲気を醸成していた。


 今、インド映画界は、西洋映画の影響を受けた内容のものが次々と出てきている。
 コンサートやショーなどの「生」のイベントにも、西洋や日本のノウハウを取入れて貰い、より良いイベント作りをして欲しいと切に願う。
 我を忘れて盛り上がれるイベントをインドで味わう日は、まだまだ遠そうだ。
by bharat | 2005-12-26 15:28 | デリー市内あれこれ
オートリクシャーの課金の実態
 当社駐在員は、通常、会社から与えられた運転者さん・車で、日々の移動を行っている。
 別に大層な待遇という訳ではなく、インドの交通事情を考えると、安全管理上その方が低リスクだからだ。

 ちなみに、現在私は「学生」の身であるので、日々の移動手段は、徒歩・サイクルリクシャー・オートリクシャー・タクシーなどである。他社駐在員の御友達の車に乗せてもらうこともよくある。

 今回は、その中の「オートリクシャー」のはなし。

政府vsドライバーの構図
 現在、デリー市内を走り回るオートリクシャーの数は、約50,000台とも言われている。貨物運搬用もしくはプライベート用を除き、全ての車体はCNG(天然ガス)仕様となっており、黄色と緑のツートンカラーがトレードマークだ。製造メーカーはバジャージ(BAJAJ・・・日本のKawasakiと技術提携関係にある)で、同社はインドのみならず東南アジアにも多くのリクシャーを輸出しているインドの有力企業だ。
 上記車体規制に加えて、2002年、政府命令により、指定の運賃メーター取付、制服(上下灰色)着用を義務付け、彼らの行動の無法化に歯止めをかけた・・・筈だった。
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 ところが、実際は合法的にルールを実践しているドライバーは殆どいない。制服についてはパッと見た目で分かるので、警察の目を気にして着ているドライバーが多い気がするが、メーター通りの運賃で走ってくれるドライバーなんか殆どいないのが実情だ。
 僕は、こちらにきて約半年が経過したが、恐らく150~200回くらいオートリクシャーに乗ったと思う。うち、メーター表示運賃で乗せたもらったのは、せいぜい10~20回くらい。

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 この議題について、最近の新聞紙に記事が載っていた。「政府に無理矢理、新型車・制服・運賃メーターを押付けられたお返しに、法外な運賃を乗客に押付けている」と書かれていた。


ボラれないために・・・
e0074199_234614.jpge0074199_2334545.jpg こちらがその運賃メーターのいつくかである。
 意外と色んな機種が出ている。
 メーカーも様々で、製造場所もデリー、バンガロール、プネーなど分散している。
e0074199_2471551.jpge0074199_247299.jpg 当たり前だが、どの機種も課金ルールは一緒。
 0.9kmまでは8ルピー(約20円)一律で、以降0.1km(100m)ごとに0.35ルピー(約1円弱)ずつ加算されていく。
e0074199_2475912.jpge0074199_248134.jpg この計算でいくと、デリー北部にある日航ホテルから、Ring Road沿いのマーケット街(サロジニマーケットやサウス・エクステンションなど)くらいで、40ルピー前後で行けることになる。
 ところが、実際は乗る前に口頭で運賃交渉(だいたいメーター表示で行く様依頼しても、機械が壊れていると言われる)し、50~60ルピーで手を打たなければならない。
 たかだが数十円と思うかもしれないが、通常料金の1.5倍と考えると、かなりのボッタくりである。
 観光街から拾うと、さらにフッかけて来る。
 自分の移動する距離を計算して、だいたいの目安を立てて交渉しないとボッタくられるので注意が必要だ。

 あと、数台でタムロって客待ちしているリクシャーより、空車で走っているのを捕まえた方が安いレートで乗れることが多い。まぁ、空車がバンバン走っているかどうかは、時間帯と場所によるのだが・・・。

 究極にオイシイのは、「タダでの助手席乗り」。
 たまに、空車がいなくて途方に暮れていると、実車リクシャーのオッチャンが「どこまでなの?」と声を掛けてくれることがある。自分の行きたい場所が、既に乗せている乗客の依頼場所への通り道だったりすると、「乗せてくよ、乗んな!」となる。
 オッチャンの左隣に座り、オッチャンの左肩後ろから右手を回して右端のバーを掴む。・・・で目的地まで相乗り。だいたいがタダもしくは、心づけに小銭を渡して目的地まで行けてしまう。
 まぁ、狙ってやれる芸当では無いが、とてもオトクである。


 乗車の都度、いくらで乗れるかリクシャーのオッチャンと激しく運賃交渉・・・個人的にはとても好きだ。
by bharat | 2005-12-22 10:12 | ふと思うこと
第26回旅行は、英印激突の地ラクナウ
 以前、電車でデリーからヴァラナシに行った際、途中駅にラクナウ(Lucknow)があることを知った。高校時代、世界史を勉強していて、何となく記憶にあったんで、いつか時間を作って行こうと思っていた。
 今回、丸1日使って観て回った。


150年前の英印大激突の地

e0074199_201771.jpg ラクナウという名前、どこかで聞いたことあるなと思ってたら、世界史だった。僕のイメージは、英領インドにおけるイギリスの拠点の1つで、1857年のインド大反乱(セポイの反乱をはじめとするインド諸地域の反乱)で大きな戦いが行われた場所、である(詳細は後述)。

e0074199_2023848.jpg インド人には、ラクナウはウッタル・プラデーシュ州の州都で、汚職まみれの政治、北インド随一の公害発生地というイメージしか無いみたいだった。恐ろしく派手な門構えの州知事邸、分不相応に広大な敷地に颯爽と建つ役人の家々、正しい数値かどうか疑わしい有害物質の数値ボードなどなど・・・。
 街並みについては、道は綺麗に整備されていて、悪い印象は持たなかったけどな。


 さて、話は戻ってラクナウの歴史。

 元々、この地域はムガル帝国の支配下にあり、アワドと呼ばれていた。アワド太守は当然ムガル帝国の一配下に過ぎないが、18世紀に入ってムガル王朝が衰退し始めると、ときのアワド太守サーダド・ハーンは独立を目指すようになる。
 ところが、時代はイギリスの東インド会社がインドでの支配権をほぼ全土に広げつつあった頃(1757年のプラッシーの戦いで、インド植民化のライバルであったフランスを破っている)。アワド太守軍は、1764年にこの東インド会社軍と対決、手痛い敗北を喫した挙句、イギリスの監督下におかれてしまう。
 このような状況下にあっても、アワド太守は王国建設を諦めることなく、1775年遷都(当時の都ファイザーバードから立地の良いラクナウにシフトした)、1800年英国駐在官官邸(総督代理公邸とも言われる、イギリスとの懐柔政策の一環)などを経て、1819年にムガル帝国からの独立を宣してアワド王国を建てた。
 1856年、無能なアワド王ワーシド・アリ・シャーをイギリスがコルカタに追放、アワド王国は滅亡する。これが翌1857年のインド大反乱に発展、ラクナウの反乱軍は1858年に鎮圧されるも、前述の英国駐在官官邸などは壊滅的な打撃を被った。

e0074199_21494957.jpg 現在のラクナウは、インドにおける政治の実質権力を握るウッタル・プラデーシュ州の州都ということもあり、政治色が強い。立派な議事堂に、ゴージャスな政府関係者官邸、整備された道路インフラなど、とても洗練された印象を受ける。
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中世・近代・現代

e0074199_2120895.jpg この街での見所は、数は少ないが、色んな時代の建物があって面白い。
 タクシーを借り切って回った(750ルピー、約2000円)。写真は、運転手のラーケスさんと愛車のヒュンダイ・サントロ(何故か政府関係のナンバープレートをつけており、どこに駐車しても御咎め無しだった!)。

バラー・イマームバラ(Bara Imambara)
e0074199_2121935.jpg 文字通り訳すと、「バラー=大きい」「イマーム=指導者」「バラ=御堂」ってな感じ。旅行関連書籍などでは、イマーム記念大堂とか書いてあるが、意味不明である・・・。1784年、アサフ・ウドゥ・ダウラーの命によって建てられた御堂とその周辺建物群。設計者はキタヤトゥッラー。
e0074199_21393123.jpg 3階建ての巨大な丸屋根のホール・・・高さ16m、長さ47.71mは世界最大(らしい)。写真は、全体像とモスク。


チョーター・イマームバラ(Chota Imambara)
e0074199_21532915.jpg  文字通り訳すと、「チョーターー=小さい」「イマーム=指導者」「バラ=御堂」ってな感じ。正式名称をフサイナーバード・イマームバラというらしいが、上記のバラー・イマームバラと比較して小さいことからこのように呼ばれている。
e0074199_23595898.jpg 中央の建物のドームには金箔が貼られ、内部もたくさんのシャンデリアや金製の装飾品、宗教儀式用品などが展示されている。



英国駐在官官邸(総督代理公邸) 跡
e0074199_0154725.jpg 前述した通り、1800年に建てられた屋敷群。住居施設のほか、カンファレンス・ホールやダンス・ホールなどもあったようで、さすがイギリス軍の重要拠点ラクナウの施設だけある。

e0074199_0271361.jpg 1857年、インド軍がここを包囲し、持久戦に突入。立て篭もったイギリス軍及びその関係者3,000人は3ヶ月間援軍を待ち続けた。その後、援軍が到着するも、すぐには戦いは終わらず、戦死者・病死者・餓死者が大量発生する阿鼻叫喚の様相となった。この戦いで全体の3分の2にあたる2,000人が死亡した。
 残念なことに、当時の屋内を再現した博物館は定休日(毎週月曜日)のため観られなかった。


 この官邸の入口にあった説明板を見ていて、大変興味深いなと思ったことが1つ。
 それは、この1857年のムーブメントについて、繰り返し「First independence war」つまり第1次独立戦争という表現がなされていることだ。僕らの感覚(欧米人も恐らくそうだが)では、インドの独立とこれに及ぶムーブメントは、1939年のイギリス-ドイツ開戦による反戦運動から始まって1947年の独立に至るまでのせいぜい10年間くらいではないだろうか。我々の知る運動家(政治家)ガンディー、ネルー、ボースらはこの頃に活躍した人たちだ。インド人にとっては、このムーブメントは第2次独立戦争と意識されているようだ。
 ・・・なかなか興味深い歴史観の違いだ。



アンベードカル記念公園
e0074199_048386.jpg 文字通りアンベードカル(フルネーム : ビームラーオ・ラームジー・アンベードカル)の功績を讃える意味で建てられた公園。市の中心部からはちょっと北西に離れたところにある。
 彼の活動については、以前メーラトというところに行った際に見かけた彼の像がキッカケで、色々関連書籍を読み漁った。
e0074199_119828.jpg 指定カースト(不可触賤民)出身であり、インド独立運動と同時期に、インドからカースト制をなくそうと尽力した政治家だ。彼は、ガンディーの採ったカースト制の枠組みの中で低カースト/指定カーストへの差別をなくすという甘い柔和策に真っ向から反対し、カースト制自体の破壊を唱えた。殆どの人は、ガンディーはカースト制に反対したと思っていないだろうか。かくいう僕もそうだった。実際はその反対・・・ガンディーは、最高カースト位ブラーミンのガッチガチのカースト制擁護論者だ。
e0074199_254358.jpg ガンディーとアンベードカルとの対立が最高潮に達したのは、1932年。イギリスがインドで高まる独立機運に対して団結力を削ぐ政策を打ち出す・・・職業や宗教のカテゴリーごとに代表者を選出して議会(国会や州議会)に参加させると言い出した。このカテゴリーがクセモノで、イスラム教徒・キリスト教徒を個別のカテゴリーにすることにOKを出したガンディーは、指定カースト(不可触賤民)は個別カテゴリーじゃなくて同じヒンドゥー教徒でしょという判断。これに対し、アンベードカルは、「社会の中で動物以下に見做されながら都合の良いときだけ同じカテゴリー扱いはないだろう」と猛反発。ガンディーはヒンドゥー社会から最下層者が抜けることに危機感を覚え、1人ハンガーストライキを敢行(今でもヒンドゥー至上主義者からは「死の断食」と賞賛されている)。結局餓死寸前までいって、アンベードカルが折れた。
 その後アンベードカルは結局、自身がヒンドゥー教徒である限り、これと渾然一体たるカースト概念のみを分離/破棄することはムリと断念、1956年に仏教に改宗してしまった。そしてその直後この世を去る。改宗を行った場所であるナグプールは、今なおインド仏教の一大活動拠点となっている。

 現在、彼の仏教思想(ネオ・ブッディズムと言われる)の継承者と言われているのは、なんと日本人僧の佐々井秀嶺。1968年にインドに渡って以降、下位カースト者・指定カースト者への仏教改宗支援活動、仏教施設の所有権闘争など、インドの仏教徒の顔になっている。
 一方、政治家としてアンベードカルの遺志を継いでいるのが、女性政治家マヤワティだ。大衆社会党(略称BSP)の女性党員であり、前ウッタル・プラデーシュ州知事でもある。ここまでは、女性首相が歴史的に存在するインドにあってはさして珍しくないが、彼女は指定カースト者なのだ。BSPの支持基盤は勿論指定カースト者。1997年の知事就任時には、この記念公園を訪問したそうだ。

 この広大な公園には、中央の建築物を除いて何も無い。アンベードカルの活動を記した石碑を読む人は僕以外に1人もおらず、高カースト家庭に属する思われる綺麗な制服を着た子供たちの修学旅行地、あるいは、これまた高カースト家庭に属すると思われる若者たちのデートスポットと化していた・・・皮肉な活用のされ方だ。



議事堂
e0074199_275561.jpg 州議会が開催される議事堂で、市の中心部にある。当然、中に入ることは出来ない。



迎賓館
e0074199_245378.jpg タクシーの運転手は、「サハラ」と言っていた。内容を聞くと、どうやら迎賓館のようだった。立派な門の下には神様の像が(ヴィシュヌ神かな、でも女神のような気も・・・)。
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オマケ

原宿系
e0074199_2105084.jpg こちらは、州知事邸の通りに並んでいたグッズショップの1つ。現在の政権政党である社会主義党(略称SP)と州知事ナラヤム・シン・ヤーダヴに関連するグッズがズラッと並ぶ。訳も分からず、思わず色々買ってしまった・・・。
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チキン
e0074199_2322846.jpg ここラクナウはチキン料理、なかでもカバブが名物。タクシー運転手ラーケスさんイチオシの定食屋へ。
e0074199_240345.jpg 店の外も中も結構混雑していた。手早く、カバブ(ハンバーグ風)・ビリヤーニ(炊込みゴハン)・チキン丸焼き・ロマリーロティ(生地のうっすーいロティ)を頼む。とっても美味。しかもリーズナブルな価格(1品20ルピー前後)。
e0074199_2402274.jpg 地元ではちょっと有名な店のようで、店内にはシャー・ルク・カーンやアミターブ・バッチャンら有名芸能人と店主との2ショット写真がたくさん飾ってあった。この辺の感覚は、日本のラーメン屋と変わらないな。



チカン
e0074199_2404879.jpg チキンの他に有名なのが、チキンならぬチカン。太い糸での刺繍(ハンドメイド)が特徴的なシャツ・クルタ・サーリーなどの衣類品が名産品だ。
 目ざとく卸売り店を見つけ、無理矢理小売して貰った。シャツ1枚100~1000ルピー(約250~2500円)。素人目には、なかなか良い出来だと思う。



オススメ度(100%個人主観)

   ★★★★☆



by bharat | 2005-12-20 10:30 | インドぶらり旅
第25回旅行は、ヴァラナシ郊外の町ジョーンプル
 ヒンディー語の集中特訓で、3週間ヴァラナシに行ってきた。
 前回行ったときに市内はあらかた観て回っていたので、今回はちょっと足を伸ばして近くの町を観る事にした。

ジョーンプル(Jaunpur)
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 この街を前々から知っていた訳では無い。
 10月に発生したデリーでの同時爆破テロに先立つこと約3ヶ月前、その試験爆破(誤爆説も)とも取れる小規模な爆発が鉄道列車車両内で発生した。乗客7名が死亡するこの事故が発生したのが、このジョーンプル近郊だった。
 その後、Lonely Planetなどの旅行ガイドブックに記載があったことに気付き、我が家の巨大インド地図を見ていて、「ヴァラナシのすぐ近くなのか・・・」とおぼろげに憶えていたので、今回急に行こうと思った。
 実際、ヴァラナシ在住の人に聞いても、サールナートの次に近い中規模の街だと言うことだった・・・口を揃えて「何も無い街だよ」とも言ってたが。

 タクシーを半日借りて移動することにしたが、タクシーの運転手も「何でそんなとこ行くの?」といった様子だった。
 タクシーに揺られること2時間弱、ジョーンプルに入る。

 旧市街地らしき場所にひっそりと立つ古い城(Fort)を観た。

オールド・シャーヒー(Old Shahi)城
e0074199_444516.jpg 13~14世紀、スルタン王朝の1つであるトゥグラク王朝期の建設と言われている。
 この頃の北インドは、イスラム王朝が支配を開始した時期で、奴隷王朝~ハルジー王朝~トゥグラク王朝~サイイド王朝~ローディー王朝と全てデリーを都としていた。デリーの東部のこの辺りは、彼らの王朝と各小国とも衝突が頻発した地域だった。
e0074199_624456.jpg この城も、素朴な造りながら、平地側には高い城壁、背後は切り立った崖になっており、非常に考慮して造られた感がある。敷地内にはモスクや兵舎らしき建物跡が今も残存している。

 ローディー王朝がこの地域の支配権を確実なものにしたのは、1479年のジョーンプル制圧だ(当時同地を本拠としていたシャルキー王国を滅亡させた)。ローディー王朝は、他の4スルタン王朝(トルコ系)と違いアフガン系で、アフガン人傭兵を巧みに起用し、特徴的かつ大きな軍事力を誇ったと言われる。
e0074199_63950.jpg ローディー王朝の初代バフロール・ローディー王から王位を継承した2代スィカンダル・ローディーは、無謀な版図拡大をやめ、国内事情の安定化を図った。中国でいうところの「度量衡」や日本でいうところの「楽市楽座」などの諸政策を展開、国力強化を実現した。また、アーグラ(Agra)の都市機能を大々的に強化している。
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 第3代イブラヒム・ローディーの代になると、周囲との衝突が始まる。1526年、パーニーパットの戦いで、中央アジア出身のバーブルとの全面戦争となり、君主イブラヒムが戦死する大敗北を喫する。勝利したバーブルは、デリーとアーグラを支配下とし、ムガル帝国を建国する。
e0074199_642751.jpg ムガル帝国期以外の城郭を見るのは珍しかったが、保存状態があまり良くないのが残念だった・・・。


悪路が物語る・・・
e0074199_611664.jpg もう一つ気になったのが、ヴァラナシからの道路の状態。ところどころ凸凹なので、たかだが50km余りの距離なのに移動に2時間弱もかかる。
 最近のビジネス誌がこぞってインドを取り上げて美辞麗句を並べ立てているが、その殆どは英語堪能なIT技術者と「市場規模」に注目している。「市場」と目されている殆どの人々は、自動車で時速25km/hでしか移動出来ない道路の先にいる町や村に住んでいるという現実・・・日本の雑誌記者はどう捉えているのだろうか・・・。
 インド国内の隅々の道が5年~10年で先進国なみになるとは思えない・・・我々ガイシ企業にとって最も頭の痛い「ビジネス阻害要因」だ。



オススメ度(100%個人主観)

   ★☆☆☆☆ ・・・ヴァラナシにずっと居て、おヒマなら


所要観光時間

   30分

by bharat | 2005-12-15 10:30 | インドぶらり旅
第24回旅行は、IT都市ハイデラバード
 今回は、初の南インド。
 アーンドラ・プラデーシュ(Andhra Pradesh)州の州都ハイデラバード(Hyderabad)を駆け足で観て来た。

 デリーで開催されたIITFで、どんなところなのか多少は知っていたが、なかなか特徴のある都市だった。

どんなところ?
e0074199_3504077.jpg ハイデラバードは、インド南部に位置するアーンドラ・プラデーシュ州の州都で、政治・商業の中心都市。人口450万人余り。
 このアーンドラ・プラデーシュ州は、インドのほぼ中央に位置し、東側はベンガル湾に接する。デカン高原に位置する地理特性上、州都ハイデラバード及びその周辺は岩肌や低木が目立つ。16世紀より、イスラム勢力(クトゥブ・シャーヒー王朝)によって支配さていたこの地域の中心都市はゴルコンダ城(Golconda Fort)だったが、水不足から都市機能を今のハイデラバードのある平地部にシフトした。その後、ムガル帝国によって同地域は侵略され、以降は同帝国から派遣された総督が統治するという支配形態を採る。いずれにせよ、この一帯は数百年の長きに亘り、イスラム勢力の統治下にあり続けたことになり、現在も多くのイスラム教徒が住んで
いる。
 アーンドラ・プラデーシュ州は、識字率・州内所得ともにインドの平均を下回るが、現在の州首相ナイドゥによるIT推進政策により、州内のIT関連産業が急速に伸長している。その一つの成果として、IIT(インド情報技術大学)の1校がハイデラバードにあり、IBM、オラクル、マイクロソフト、サティヤムなどは同大学内にIT校を設けており、産学共同での取組みが進んでいる。


市内観光

 市内を観て回ったが、如何せん時間が足りなかった。
 正味1日しか使えなかったので、あまり観れなかった。

クトゥブ・シャーヒー廟
e0074199_4154912.jpg 市の西部、後述のゴールコンダ城のすぐ近くにある墓群。クトゥブ・シャーヒー王朝の8人の
王のうち7人がこの地に埋葬されている。 このクトゥブ・シャーヒー王朝は、ムガル帝国と激しい戦いを行うが、結局ムガル第6代皇帝アウグランゼーブは、この地の武力制圧を諦め、降伏させる方策を採った。
e0074199_4161527.jpg クトゥブ・シャーヒー王朝とムガル帝国は双方ともイスラム教を信仰する国家。但し、前者はイスラム神秘主義、後者は純正イスラム教(現在のスンニ派)だ。イスラム神秘主義は、インドのイスラム教の大きな特徴の一つで、イスラム教本来の聖典『コーラン』には存在しない概念だ。元々のイスラム教ほど戒律が厳しくなく、神の存在も比較的絶対的でない。この柔軟性が、インドにおけるヒンドゥー教からイスラム神秘主義への改宗を大きく後押ししたと言われている。
e0074199_4275218.jpg この神秘主義を信仰したクトゥブ・シャーヒー王朝の建築物には、純イスラム建築(タージ・マハルなど)とは若干異なる点が存在する。例えば、棺の形も純イスラム建築と比して非常に簡素な作りで何段にも箱を積み上げた形になっている。


ゴールコンダ城
e0074199_4303987.jpg 13世紀に建設され始めて以降、最後はムガル帝国の侵攻をも何度も防いだ堅城。
 ムガル皇帝アウグランゼーブは、この城の攻略に実に8ヶ月も要したと言われ、結局独力での攻略を諦め、敵軍の裏切りをきっかけに落城させた。
e0074199_430250.jpg 高さ120mの花崗岩質の丘の上に建設されており、巨岩と人口の城壁を組合せ、また隘路を螺旋状に施した、防衛に適した構造をしている。城壁は全長11kmに亘って城郭を囲んでおり、城郭内部から再奥の城壁の様子が見え、物音が聞こえるような構造になっている。
e0074199_4382985.jpg 各城門には、象による城門破壊を防ぐトゲ状の突起が施され、天井部には穴が空いていて、ここから敵兵に煮えたぎる油を垂らしたという。
e0074199_431352.jpg また、長期戦に備えての各種設備も充実していた。
 兵士・住民の居住設備は勿論、水道設備も整備され、今でも水道管の通っていた跡を確認することが出来る。
e0074199_4362197.jpg また、城壁内部の兵士駐屯場所には、こんなものも。兵士たちの力比べに使われたものだという。






e0074199_4501314.jpg 巨岩の上で、しばし瞑想(?)。





チャールミナール
e0074199_4462457.jpg Char(=4つ)+Minar(=尖塔)の名が示す通り、周囲を塔が囲む構造になっている建築物。Hyderabad中心部にあり、市のランドマークになっている。1591年、大流行した疫病の終息を祈願して作られた建物で、建物内部にあるモスクは、今だイスラム教徒礼拝場所となっている。
 ・・・時間が無くて、建物内部に入れなかった、残念。




 1日使って、ハイデラバード郊外のダム湖を観に行った。

ナガルジュナ・サーガールとナガルジュナ・コンダ 
e0074199_4504212.jpg ナガルジュナ・サーガールは、ハイデラバードの南東約150kmに位置する人造湖で、インド最大規模のもの。約50年前、灌漑・発電のために建設されたダムによって生まれたこの人造湖の中に浮かぶ島がナガルジュナ・コンダだ。この島にある博物館には、ダム工事の際に発掘された仏教史跡の遺構が保存されている。この地はインド大乗仏教を大成した哲学者ナガルジュナが活動した場所であり、彼の名がそのまま地名となった。
e0074199_4522839.jpg 島へ行くには、2つの交通手段が・・・どちらにするか考えるまでも無く、船で。
e0074199_510362.jpg ん?? なんか浮かんでる!?
e0074199_454127.jpg ・・・と思ったら、やけに老け込んだ一寸法師が。安~い手漕ぎ渡し舟らしい。
 何か、佐渡島のタライ舟に似てるな・・・。




違う住民・違う言葉
e0074199_4564498.jpg 今まで、北インドを中心に旅してたが、今回のハイデラバードは他の都市と全く違う印象を持った。まず、イスラム人が多い点。男性は白いイスラム服に白い帽子、女性は目以外を黒い布で覆った服装・・・何かアジアにいる気がしない。心なしか、街の雰囲気もヒッソリしている。
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e0074199_555129.jpg そして、この地域では殆どヒンディー語が通じない・・・テルグ語圏なのだ。テルグ語は、南部インドの言語で、ヨーロッパ大陸の影響を受けて発達したアーリヤ族系のヒンディー語などとは、文字も発声も全く異なり、インド大陸先住民であるドラヴィダ族系の言語だ。町の人たちは、ヒンディー語も英語もカタコトだった。



 今度は、もうちょっと時間を取って、今度はIT企業街も観てみたいな。


オススメ度(100%個人主観)

  ★★☆☆☆ ・・・まだ全部を観てない気がするので。
by bharat | 2005-12-14 10:30 | インドぶらり旅
インドのテニス熱 2

日本U-14選手団来印

e0074199_17235683.jpg デリーで開催のUnder14アジア選手権大会(インドのテニス熱1参照)に出場すべく、日本からジュニア選手団が11月20日(日)、デリー入りした。
 構成は、男子選手3名、女子選手3名、コーチ1名の計7名。他にも私費で来印した選手団もあったようだが、日本テニス協会が音頭をとったのはこの団体のみである。男子選手は、日本の14歳以下の1位、2位、5位の選手で、順に斉藤秀クン、喜多元明クン、金城充クン(上写真の左から)。
e0074199_17522269.jpg女子選手も、同クラスの1位、2位、5位の選手で、順に石津幸恵サン、美濃越舞サン、大塚弥生サンの3名(下写真の左から)。コーチは、藤井道雄サン(日本テニス協会 強化システム委員長、上写真右)だ。この藤井サンは、元プロテニスプレーヤーで、今から30~40年前に活躍し、デ杯(Davis Cup:毎年開催される国別対抗のテニス大会)にも出場している。同時期には、石黒修(俳優石黒賢の父)選手などがいる。


大器の素質!?

e0074199_1756335.jpg 日本テニス協会の会員の1人が、当社の元社員ということで、僕は急遽「有事の際の相談窓口」をすることになった。
 といって、インドに来て5ヶ月少々、足(クルマ)も無いので、何が手伝えるかなというのが実態だった。せめて、日本食屋を紹介したり、時間があるときに応援に行ったりは出来るなと思い、彼らがデリーに滞在した間、一緒に会食したり、応援(上写真:試合の様子)に行ったりした。



e0074199_17534213.jpg 初めての会食で、ビックリしたことは、全員とても社交的で礼儀正しいことだ。テニスやゴルフなど個人競技の場合、非常に利己的で無作法なジュニア選手をよく目にするが、今回の選手たちは、全くの逆。すぐに打ち解けることが出来た。
 テニスを通じて知り合った僕の友達(インドの先輩と言うべきか)のmicchaさん、ナオミさんらにも協力を得て、テニス交流会や食事会などで、選手たちを激励した。

e0074199_17542058.jpg 大会中には、選手・コーチしか入れない場所(中写真)に入れて貰ったり、大会で使用中のコートで練習試合(下写真)もさせて貰ったり(結果は報告するまでも無いが・・・)。

 試合だけでなく、僕ら大人との日常コミュニケーションも難なくこなしてしまう平成生まれたち・・・何とも頼もしい限り。



外国との接点
e0074199_1739268.jpg 彼らだって、まだ駆け出しなので、海外遠征を頻繁に行っている訳では無い筈だ。にも関わらず、試行錯誤しながら、外国人選手たちとコミュニケーションを取り、会場での練習で知り合ったインド人とダブルスを組む大塚サンや、タイ人選手たちと仲良く集合写真を撮る様子が、とても印象的だった。
 小学校2~5年をアメリカで過した僕にとっては、当時の現地人とのもどかしいコミュニケーションを思い出して、なんかとても見ていて微笑ましかった。
 空き時間に彼らと行った買物では、喜多クンが「世界中の選手とアドレス交換する」ために小さなアドレス帳を買っていた。13~14歳で、大した心意気だと思う。



オマケ
e0074199_1862375.jpg 男子選手を連れて、日本ではあまり見られない、彼らにはちょっぴり刺激的なところに行ってきた。INAマーケットというデリー市内にある大きな市場で、平たく言うと「生肉・鮮魚店」と「トサツ場」と合わせたような場所だ。鶏を絞めたり、羊の頭が並ぶ店を一通り回って、面白いリアクションを見せてくれた。
e0074199_1871276.jpg 勿論、普通の土産も欲しかろうと思い、近くのスーパーで御菓子や紅茶、レトルトカレーなどを物色。

 限られた時間ではあったが、出来る限りのサポートは出来たかな? と思う。

 あ、そうそう、忘れるところだったが、肝心のかれらの戦績は以下の通り。

 ・ 男子シングルス ベスト4
 ・ 女子シングルス 準優勝
 ・ 女子ダブルス 準優勝


 早く彼らにビッグになってもらって、買ってあげたインド菓子の何倍もの御返しをして欲しいものだ(神戸牛でもタラフク食わせて欲しい!!)。
by bharat | 2005-12-13 12:00 | ふと思うこと
インドのテニス熱 1
 僕は、スポーツをするのも観るのもとても好きだが(特にテニスはプレイするのも観戦するのも大っ好きである)、インドに来て思うこと・・・それはインド人の多くが運動嫌い・もしくは運動オンチだということだ。

少ない国技・偏った教育

 国技の定義は難しいが、取敢えず「その国を代表する運動競技」ということが出来ると思う。その数はアメリカがズバ抜けて多い(野球・バスケ・アメフト・アイスホッケーなど)と思うが、日本だってかなりある。相撲、柔道、剣道、空手はもとより、今では野球・サッカー・テニス・ラグビーだって国技と呼んでも良いと思う。
 ところが、インドには驚くほどスポーツのバラエティが無い。
 いの一番に来るのがクリケット。野球の原型になったというこのスポーツは、見ていてもまぁ面白いのだが、とにかく試合時間が長い。長い試合になると、数日かかる。道理で野球が発案された訳だ。
 で、次に来るのは・・・・ホッケー、カバディ、テニスなど。以上。実に寂しい。ガッチリした体格に、激しい競争心、おまけに東西様々な文化が流入してくる特性などを考えれば、もっと色んなスポーツが盛んになっていてもおかしくないのに・・・。学校でも体育の授業は殆どの場合、任意科目もしくは実施されないという。


突如吹いたテニス熱

e0074199_351642.jpg そんな中、最近インドスポーツ界を賑わしている女性選手がいる。
 サニア・ミルザという新鋭の女子テニス選手だ。現在18歳(19歳になったのかな)のミルザは、現在のWTAランキングこそ30位代だが、来年早々にはトップ10入りするとの声もある。キレイな容姿と、非常に攻撃的なプレイスタイルが、多くのインド人を惹きつけ、今やインドでの人気はかなりのもの。ガソリンや食品などのテレビCMに出まくっている。

 このミルザ、インドの大多数を占めるヒンドゥー教徒ではなく、イスラム教徒である。その関係で、なかなか興味深い出来事が彼女の周りで起こっている。当のイスラム教徒は、彼女の服装について、「非常に破廉恥」だとして憤慨しているとか。顔意外を黒い布で覆ってプレイしろとか、そもそも外出して公衆の前に出るべきではないとかボロクソに言われている。一方、インド国民の大多数を占めるヒンドゥー教徒などからは、宗教の相違もなんのその、大人気を博している。教義が厳しいのも考え物だが、時代に合わせて柔軟に出来ないものだろうか・・・。いずれにせよ、ミルザは、テニスの上位選手とイスラム教義の双方と戦いながら、プレイしているのだ。


アジア・オセアニアのレベルアップ

 ミルザの活躍、および経済界全体のインドへの注目もあってか、最近インドのテニス界が盛り上がり始めている。
 今までは、インドといえば、1月に行われるチェンナイ・オープンくらいが目玉で、あとはパッとしなかったのだが、最近はジュニアの大会の誘致などにも積極的だ。
 もともと、アジアはテニスの大会や選手育成などについて層が薄い。特に近年、ATP(男子プロ)とWTA(女子プロ)の規定が変更され、選手は多くの大会に出場しないと上位に上がりにくいようになってしまった。その結果、地続きで回りやすい欧州や大会の多いアメリカなど、特定の地域に拠点を置いてその周りを効率良く転戦する選手が殆どになった。アジアはよっぽどの獲得賞金・ランキングポイントの掛かった大会でない限り、上位選手が寄ってくれなくなってしまった。こうなると悪循環で、人気の上位選手の来ない大会に観客が集まる筈も無く、スポンサーも金を出さなくなる。現在の日本なども惨憺たる状況だ。80年代、セイコースーパーテニスにはレンドル、エドバーグ、アガシ、松岡が出ていたし(90年代に閉会した)、東レパンパシフィックテニスにも伊達はじめトップ10の女子選手がズラッと来日した時代があった(今はトップ20から数人来るくらい)。だから、現在、アジアから輩出される上位選手は男女問わず大変貴重で、彼らを軸としてその下のジュニア選手を盛り上げていく仕組み作りがとても大事だ。
 今年、オーストラリアが牽引役となって(アジア・オセアニアの枠では、オーストラリアの地力が突出している。世界4大大会の1つ全豪オープンが毎年1月にメルボルンで開催され、ラフター、ヒューイットなど上位選手を時代時代で輩出している)、アジア・オセアニア全体規模でのジュニア大会を数多く開催しようと動きが始まった。その1つが、先月11月にここデリーで開催された、Under14アジア選手権大会だ。大会1週間に先立ち、全豪オープンWork Shopも1週間開催され、合計2週間の大イベントだった。
 日本からも、男女ジュニアプロが来日。何かの縁で、彼らと知り合う機会を得ることが出来た。彼らとの交流については、後ほど「インドのテニス熱2」で書こうと思う。
by bharat | 2005-12-12 10:19 | ふと思うこと
B級グルメ6 ミスティ・ドイ

 デリー市内のどこのマーケットでも見かける、「MOTHER DAIRY」ブランド。
 インドに根を張る一大乳関連品会社で、牛乳やチーズ、ヨーグルト、アイスクリームなどの製造販売は元より、これらの自宅配送なども行っている。

 今回は、そんな製品ラインアップから見つけた掘出し物。

ミスティ・ドイ
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e0074199_23314468.jpg こちらのヨーグルト(Curdと総称している)は、往々にして甘味が全く無く、カレーの付合せや、ラヒタ(ヨーグルトに玉葱などを混ぜたインド料理)に使われる。甘味のあるヨーグルトを食べたければ、糖分タップリに欧米の輸入物を食べるしかない。
 このミスティ・ドイは、程良い糖分調整と弾力性で、ヨーグルトとプリンを合わせた様な食感。とても美味。値段も1個6ルピーと手頃(インド人消費者にとってはちょっと高く映るかも知れないが)。同じブランドの毒々しいアイスクリームを食べるなら、こちらの方が健康的(な気がする)。
by bharat | 2005-12-09 11:15 | インドB級グルメ