<   2006年 01月 ( 11 )   > この月の画像一覧
第33回旅行は、中世の宮殿都市オルチャ
 グワリオールを車で南下すること約3時間。
 忽然と川に挟まれた綺麗な城壁が見えてくる・・・オルチャだ。
 人口1万人に満たないらしいが、数々の宮殿・寺院は実に見事だった。
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ラージプートの王都
e0074199_21173184.jpg 今は、こじんまりとした町が残るだけだが、元々ここはラージプートの王国の都が置かれていたところで、ムガル帝国の第4代皇帝ジャハーンギールの治世期(17世紀前半)には、多いに栄えた。
 このときのオルチャの王ビール・シン・デオととの関係は非常に良好で、ビール・シン・デオは、ジャハーンギールをもてなす為の専用の宮殿を造った。


ジャハーンギール・パレス
e0074199_2118398.jpg 上述の通り、オルチャ王ビール・シン・デオがムガル皇帝ジャハーンギールをもてなす為に建てたもの。
 因みに、オルチャがムガル帝国と上手く付き合っていたのは、このジャハーンギールの治世期数十年間だけで、その前のアクバルの治世時に一度滅亡寸前まで攻め立てられた。
 第5代シャージャハーン帝に変わると、またオルチャは侵略対象に逆戻りし、結局第6代アウグランゼーブ帝によって攻略されてしまった。


ラージャ・パレス
e0074199_21292638.jpg 時の王ラドラ・プラタプが1531年に建築開始し、16世紀後半にマドルカール・シャー王が完成させた宮殿。

e0074199_21294735.jpg 5階建部分と4階建部分が混合した巨大な建物で、1階部分の集会所らしき部屋の天井には、今も鮮やかな絵画が残っている。絵のモチーフは、おおむねヴィシュヌ神、ラーマ神、クリシュナ神。



ラーム・ラージャ寺院
e0074199_1301882.jpg 村の中心の交差点を、パレスと逆方向に進んだ突き当りにある大きな寺院。
 寺院の前には、露店もたくさん出ていて、活況を呈していた。



記念碑群
e0074199_131467.jpg パレスの東側の一角に、16~18世紀の王の記念碑(といっても立派な建物だが)がニョキニョキ建っている。

e0074199_1313035.jpg 新しい建物だけあって、壊れずに残っているものが多い。
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オススメ度(100%個人主観)

    ★★★★★ ・・・ 実に雰囲気良し

所要観光時間

    4時間
by bharat | 2006-01-31 10:30 | インドぶらり旅
第32回旅行は、印ジャンヌダルクの地ジャンシー
 今回は、グワリオールオルチャの間にひっそりとある、小さな城塞都市ジャンシー。
 見所は少ないが、インド独立の「ジャンヌダルク」誕生・激戦の地として有名だ。

第1次インド独立戦争の中心地
 インド人の意識の中で、1857年のセポイの大反乱に端を発するインド独立の動きを「第1次インド独立戦争期」、チャンドラ・ボーズやガンジーらが1940年代に行ったそれを「第2次インド独立戦争期」と考えていることは、こちらで少し触れた通りだが、この第1時独立戦争期に一大激戦地となったのが、ここジャーンシーだ。

 セポイの大反乱から遡ること4年、1853年、ジャーンシー藩王が死亡し、その跡継ぎが立たない状態になると、イギリスがこの場所をイギリスに明け渡す様求めてきた。
 当時、イギリスのインド支配は極めて一方的な体制となっており、藩王国に男子の跡継ぎが立たな場合は、イギリスがその王国を併合出来るということを法的に勝手に認めていた。ジャーンシーもこれに倣いイギリスの傘下に入る様強要されたのだ。
 藩王の妃ラクシュミー・バーイーは、これに強く反発し、1857年にメーラトでセポイの大反乱が起こるとこれに呼応する形で、イギリス軍に対し抵抗を行った。彼女は、ジャーンシー城を拠点にイギリス軍と戦い、最終的にはグワリオールに逃れて、そこで戦死した。彼女をインド独立運動のヒロインとして尊敬するインド人は今でも多く、国内各地に多くの像が建てられている。

ジャーンシー城(Jhansi Fort)
e0074199_153384.jpg バングラの丘の上に建つこの城は、1613年にブンデラ王国(その王都はオルチャ)の藩王ビル・シン・ジュ・デオが建てたもの。
 城郭から周囲を見ると、ジャーンシーを一望することが出来る。
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e0074199_1545592.jpg また、城郭内には、ガネーシュを祀った寺院とシヴァを祀った寺院がある。



ラーニー・マハル(Rani Mahal)
e0074199_1565420.jpg ラクシュミー・バーイーの宮殿。
 だが、周囲の道を車がせわしなく行き交い、雰囲気は良くない。
 建物自体も、あまり装飾が無く、恐らく近年修復されたものと推測される。




オススメ度(100%個人主観)

    ★☆☆☆☆

所要観光時間

    1.5時間
by bharat | 2006-01-30 10:30 | インドぶらり旅
第31回旅行は、歴史深き城塞都市グワリオール
e0074199_17561670.jpg 今回は、車を使っての旅行。
 濃霧が気になるこの季節、遅延・欠航が続発する飛行機・電車を避けたいと思い、車での移動で行ける旅行先を探してみた。
 アグラまで、デリーから車で約3時間半。もうちょっと南に足を伸ばせないかと思って、今回の旅行先をグワリオールに決めた。




何度も主を替えたグワリオール城
e0074199_18235933.jpg 街に入って、圧倒的にその存在感を示しているのは、丘の上に建つ巨大なグワリオール城(Gwalior Fort)だ。城壁が丘全体をぐるっと取巻いており、この点においてはラージャスターン州の城郭などと大差無いのだが、ここグワリオールの地形はこの城の建つ丘だけが盛り上がっており、とても目立つのだ。
e0074199_144714.jpg グワリオールという地名に関しては、5~6世紀、スーラジ・セーンというラージプートの王がこの丘で狩猟をした際、グワリパという聖人の勧めで溜池に誘導され、喉の渇きを満たしたという話が残っている。この溜池は今でも綺麗に残っている。
 この城に関する最も古い記述は525年で、丘の上に寺院があったと書かれている。10~12世紀に、ラージプート勢力の支配下に入り、後述のサーフ・バフー寺院はこの時期の建立だ。
 14世紀のトーマラ族というラージプート勢力のとき、大いに栄え、現在のグワリオール城の形はこの勢力のマン・シンという王が築いたものだ。同王は、良君としても知られ、音楽にも造詣深く、インド歴史上有名な音楽家のタンセーンは、この時代に音楽を学び、のちにムガル皇帝アクバルに仕えた。
 16世紀にはロディ王朝の支配下に、その後ムガル帝国に支配された。同帝国皇帝のアクバルは、この城を城郭ではなく、牢獄として使用した。
 1751年には、マラーター王朝シンディア家の支配下に入るが、時期は折りしもインド第1次独立戦争期(1857年セポイの反乱からの数年間)。この時期には、イギリスや隣国ジャーンシーの支配下に入ったが、1886年には、再びシンディア家の手に戻る。以降、同家の下で、グワリオールはインド独立まで、藩王国として続いた。

 現在も城郭の保存状態は良好で、城郭内部の建物群も大変綺麗に残っている。


マン・シン・パレス(マン寺院)
e0074199_729014.jpg 城郭内で、一際目立つのが、この宮殿。
 拝観料は強気の250ルピー(約650円)、ツアーガイドもベテランである。
 建物は、ラージプートのマン・シンの治世期の1486~1516年に建てられたと言われる。
e0074199_10421390.jpg 黄色く輝く砂岩とそこにはめ込まれたターコイス色のタイル模様とのコントラストはじつに鮮やかで、ラージャスターンで良く見る城郭とは、明らかに色彩のセンスが異なる。
e0074199_1114399.jpg 外壁の装飾もかなり凝っていて、ヒンドゥー教の聖なる動物の彫刻が丁寧に掘られている。
 トラ・・・シヴァ神の腰巻きや、ドゥルガー神の乗物にもなっており、神聖視されている。
e0074199_112544.jpg 象・・・ガネーシュ神が象の頭を持っていること、インドラ神の乗物であること等から、神聖視されている。
e0074199_1110793.jpg 水鳥・・・アヒルは梵天(ブラフマー神)の乗物、白鳥はサラスワティー神の乗物として神聖視されている。

e0074199_11113734.jpg ワニ・・・ガンガー神、ヤムナー神などのナルマダ・デヴィ(川の神様)が乗る動物としてしばしば描かれ、神聖視されている。
 インコ・・・神聖視されている訳ではないが、インドの彫刻に良く登場する。カジュラホなどの秀麗な女性彫刻にもインコを手にする女性が描かれている。
e0074199_2142126.jpg 建物内部は、シンプルな構造になっており、中庭状の空間を屋根付きの回廊が取巻く格好になっている。
e0074199_2143882.jpg 中庭部分は、踊りを鑑賞したり、裁判事を行ったりするのに使用されてらしいが、その内壁の装飾及び、王・王妃の観覧席(裁判のときには裁判長席?)の作りも実に丁寧で、保存状態もとても良い。
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サス・バフー(Sasu Bahu)寺院
 崖の切り立ったところに、2つのヒンドゥー寺院が建っている。
 サスは「義理の母親」、バフーは「義理の娘」の意味で、夫々の命で建てさせた寺院が隣接して建っているのだ。
 ヒンドゥー教には、大きく分けて「ヴィシュヌ派」と「シヴァ派」の2つがあり、インドの二大叙事詩『ラーマーヤナ』『マハーバーラタ』では双方の神が特徴的に描かれている。もともとこの神々は、ブラフマーとともに、ヒンドゥーの3大神のポジションを分かち合っている。世界を創造するブラフマー、それを維持・運営するヴィシュヌ、破壊・再生するシヴァという役割分担だ。あるインド人は、"GOD"の文字は、「Generate=創造」「Operate=維持・運営」「Destroy=破壊・再生」の頭文字を取ったものだと言っていた・・・なんちゅう自己中心的な持論だ・・・。

 ヴィシュヌ神は、「温和」「慈愛」の神で、もともと単一の神格しか無かったが、他の神を己の化身として位置付けて、どんどんその派閥を拡大していった。
 中でも、クリシュナ神とラーマ神を取込んだことで、数の上では後述のシヴァ派を大きく上回ることとなった。仏教の始祖ブッダも、ヴィシュヌ神の第9化身というから、なんとも寛容というか強引というか・・・。
 現在、このヴィシュヌ派の信者のうち敬虔な者達は、白いUの字の印を額に付けている。
 また、ヴィシュヌ神を祀る寺院のてっぺんには、丸い車輪上の物体が配されている。これは、ヴィシュヌ神の武器である円盤を指している。

 シヴァ神は、前述したように破壊・再生の神として知られる。神話の中ではしばしば魔神を退治する武勇伝が登場し、そのパワーが強調されている。リンガ(男根)崇拝はその際たるもので、シヴァ神を祀る寺院の本堂には、しばしばリンガが収められ、これに手を合わせたり触ったりして礼拝する信者の姿を目にする。また、シヴァ神は、信奉者には暑い恩寵を授けるという一面も数多く見られ、このメリハリが魅力の1つのようだ。
 姿はというと、苦行僧のような格好をし、全身は灰で塗りたくられ、首には蛇を巻きつけ、手にはトライデント(三叉戟)と斧、腰にはトラの毛皮といった感じ。額には第3の眼があり、これが開くとき世界が破滅すると言われている(関連記載はこちら)。
 シヴァ派の信奉者は、白・黄・白の横3本線に赤い点1つの紋様を額に塗っている。
 シヴァ神を祀る寺院のてっぺんには、トライデントを意味するフォークの先端部分状の物体がのっかっている。
e0074199_8173229.jpg さて、話をこのサス・バフー寺院に戻すと、仲の良いサス(義理の母親)とバフー(義理の娘)でも信仰する神様は違ったようで、義母はヴィシュヌ神を、義理の娘はシヴァ神を信仰していたため、至近距離に2つの寺院を建てたという訳だ。
 ヴィシュヌ寺院の方が大きく、保存状態も良い。建築は11世紀というから、結構古い。天井部分の崩落を防ぐために、内部に武骨な補強柱が近年入れられた。

e0074199_13464088.jpg 入口の門の上部には、ヒンドゥー三主神(ブラフマー、ヴィシュヌ、シヴァ)と夫々の奥さん(順にサラスワティ、ラクシュミー、パールヴァティ)の彫刻が綺麗に残っている。
 本堂には、大きなヴィシュヌが祀られている。
e0074199_13493589.jpg 敷地奥には、バフー(義理の娘)寺院。
 外壁の彫刻が殆ど壊れてしまっていて、近年の補修の跡が目立つが、これは切り立った崖に建っている為の風化のせいなのか、あるいはイスラム勢力による破壊の為なのか。

テリ・カ・マンディル(Teli Ka Mandir : テリの寺)
e0074199_135473.jpg 9世紀頃建築されたとされるこの寺院は、この地域には極めて珍しい、南インドの建築様式。ピラミッド状のシカラ(高塔)が特徴的なこの寺院は、元々南インドのガンゴラ・タルという地方から嫁いで来た妃が建てたものとされ、その所以でこのような名称("タルの寺院"が訛った)・形状になったようだ。
e0074199_1405248.jpg 敷地内には、偶然発掘されたジャイナ教の像が並べられているが、この寺院とは全く関係は無い。

城壁に全裸の像が・・・
e0074199_146113.jpg 城壁の一角を成す崖に、突然数十メートルに亘ってジャイナ教彫刻が出現する。15世紀頃に彫られたものとされている。

夜は見事にライトアップ
e0074199_14311830.jpg このグワリオール城、夜間は見事にライトアップされ、「音と光のショー」が行われる。
 城郭内の建物に光を当てながら、音声(ヒンドゥー語・英語両方アリ)で歴史を振り返る、音声ドラマ形式になっている。


サヒジャマ・マスジッド(Sahijama Masjid)
e0074199_14155324.jpg グワリオール城の門を出てすぐの場所には、イスラムの礼拝堂がある。

ジャイ・ヴィラース宮殿(Jai Vilas Palace)
e0074199_14195092.jpg かつてのシンディア家の建物で宮殿として使われていた。電気の配線やらが建物内部に引き込まれていて、やけに生活感が残っているなと思っていたら、まだマハラジャが住居として使用しているとのこと。
 内部には博物館が併設されているみたいだが、当日(月曜日)は定休日の為中には入れなかった。

移動遊園地・見本市
e0074199_14253275.jpg 偶然、グワリオール市内に移動遊園地・見本市が開催されており、敷地内は大変活気付いていた。

e0074199_1426177.jpg しかし、こちらのエンターテイメント性の低さを物語るように、アトラクションは特徴的なものは皆無(殆ど観覧車やコーヒーカップのようなもの)、ハリボテのオバケ屋敷も如何にも寒々しい・・・。







オススメ度(100%個人主観)

    ★★★★★ ・・・街の雰囲気がとても気に入った
by bharat | 2006-01-27 10:30 | インドぶらり旅
第31回旅行は、聖川合流の地アラハバード
 今回は、ウッタル・プラデーシュ州東部の都市アラハバードに行ってきた。
 メーラトへの旅行同様、日本の政府系の研究所のインド駐在研究員の方(Nさん)の調査に同行させて貰う形での旅行となった。

北インド随一の文教都市・・・だった
e0074199_373980.jpg 元々、この都市はプラヨーグ(祭り・儀礼の場)という意味の名前で呼ばれていた。紀元前10世紀頃から人間の集落が形成されていたと言われており、宗教・学問発展の中心地の1つであったようだ。中国の僧玄奘も、643年にこの地を訪れたとある。
 12世紀に入ると、この地域一帯はアフガン系イスラム勢力のゴール王朝の占領下となる。次いで、ムガル帝国勢力下に入り、第3代皇帝アクバル治世期の1583年にこの地に城郭を建設、翌1584年にはこの地がアラハバード(アッラーの場所)というイスラム教コテコテの名前になった。その後、マラーター王朝、東インド会社の支配下となる。
 20世紀に入ると、アラハバードはインド現代政治の中心政党である国民会議派の活動拠点として機能した。ガンディー、ネルーらが会議を重ねた場所(詳細後述)なども残されている。
 尚、現在はインドの急激な発展からちょっと置いていかれた雰囲気を醸し出しており、アラハバード大学のステータスなども低下の一途らしい。

「水」で異なる近郊の村の様子
 アラハバードの地形はちょっと特異で、市の東端と南端をヤムナー川に接している。東側には橋が2本かかっており、最近出来た新しい綺麗な橋(通行有料、日本のODA枠で出来たもので建設者は韓国橋梁会社だったみたい・・・ノンリコースだったのね)は結構立派な造り。
e0074199_12484294.jpg 東端に架かっている橋を渡り、村に向かう。道中思ったのは、ヤムナー川のすぐ近くにも関わらず、カラカラに乾燥していること・・・地学的にこのあたりは砂岩質で、雨が降ってもすぐに地下に吸い込まれてしまい、地表近くには水分が残らない。真夏には1~2ヶ月全く水が無い時期もある。農業には不適で、石切などを生業としている人が少なくない。
e0074199_3504099.jpg 1つ目の村は、4つの自然村から構成される行政村(インドでは、自然と出来た無数の村や集落をいくつか束ねて行政村とし、選挙や地方自治体などはこの行政村を単位として動いている)。連邦首相農道事業(PMGSY:詳細はこちら)として道路の敷設工事の真っ最中だった。

e0074199_442959.jpgまた、その道路の脇には学校が。中を覗いてみると、休日なので生徒はいなかったが女性教員が数名いた。この学校は公立校のようで、彼女らは政府から給料を貰っているのだという。
e0074199_492970.jpgまた、この校舎は教室として使用する他、乳幼児の健康管理を行う保健室としても使っており、天井から吊るされたヒモに秤を取付け、体重測定などを定期的に実施するのだと言う。


e0074199_5105975.jpg 村の家々は、雨で簡単に落ちてしまいそうな漆喰塗りの壁に藁葺の屋根という、極めて粗末な作り。
e0074199_5112476.jpgその中に突如現れた綺麗な(といってもデリー市内では見かけない様な貧相さだが)家が1軒。なんでも、インディラ住宅事業(IAY:詳細はこちら)で建てられたのだそうだ。このIAYの理念はとても尊敬出来るのだが、どの村の誰の住宅をどのように建てるかは、かなり不透明なプロセスで決定されることが多いらしく、課題の多い事業みたいだ。


e0074199_128142.jpg 村には、政府が設置した井戸は無く(あったのかも知れないが)、村人が使用している主要な大きな井戸は、彼らが自分で掘って作った井戸だった。飲料水、生活用水(洗濯など)として使用しているというその水は、恐ろしく汚かったが、村人は「綺麗なので飲んでも全然大丈夫」と言っていた・・・雨季などの菌が繁殖し易い時期に村全体が伝染病に感染する可能性を危惧した。


e0074199_122183.jpg 次の村に移動しようと歩いていると、思いも寄らぬものを発見。

 太陽発電装置!

 なんでも、購入すると2,000ルピー(約5,200円)くらいするものを、政府の援助た何かで貸与されたのだと言う。粗末な家の屋根に放り出されたその装置は、子供が夜間勉強する為の照明にではなく、真昼間うたた寝しながら聞くラジオの電源に使用されていた・・・どう使用するかは個人の自由だがもう少し建設的に使って欲しいな。

 最近のTVで、インド国産企業で南インドの貧しい村に発電装置を販売・設置している企業の特集を見た。日本でもこういった事業に積極的に参画する動きは無いのだろうか・・・何かと言うと、ODA絡みの大規模事業ばかりがニュースになるが、こういうのもインド政府の補助を貰いながら出来るんぢゃないかな?




e0074199_12244926.jpg 次の村(集落)は、人口の9割以上が指定カースト民(元不可触賤民:詳細はこちら)というところ。牛、鶏などに囲まれてベッドを屋外に放り出してみんなのんびり過していた。水の入手方法は、電動ポンプ。

e0074199_12384834.jpg 集落からちょっと離れて、村長の家が。
 カラフルな母屋に、離れが2軒。離れにはトラクターが置かれており、かなり他の村民とは生活水準が異なる感じだ。全ての建物の入口には鉄格子のシャッターがはめられていた・・・周りの人たちを信用してないのかしら?


e0074199_710663.jpg 次の村に移動。
 道が陥没していて、車が通行不能だったんで、途中から歩いて移動する。


e0074199_728766.jpg 道の両脇には、小麦・菜種畑が広がっていた。ちょうど収穫期前にあたるらしく、青々と茂っていた。
 と、畑の中心から、何故か頭に枯れ木を乗せた女性たちが大行進・・・これは一体・・・?

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 この村で政府が行った公共事業の数々を見せてもらった。
e0074199_752995.jpg まず、囲いだけ作ったトイレ・・・当然これでは用を足せません。

e0074199_7524170.jpg 続いては、予定より舗装範囲が少なく完成した道路。予算のお金や資材が横流しされたのではと村人たちは疑っているらしかった。


e0074199_873943.jpg 市内に戻り、ホテルに帰ってきた。
 ラーム・クリシュナ・ホテル・・・値段は500ルピー(約1,300円)くらいと手頃で、改装直後なのか部屋も綺麗だった。お湯は出たり出なかったりだけど、ちゃんと桶で湯をくれるので大丈夫。部屋は少々埃っぽいが、虫は出ない。併設のレストランも、野菜しか出ないが味はそこそこ。






e0074199_124221100.jpg 翌日・・・。
 現地調査員が増えたので、5人(運転手を除いて)乗れる車をホテルで手配したところ、インドの誇るNo.1国産車アンバサダーAmbassadorが到着・・・前のベンチシートに並んで座れってことね。しかし、この車の製造年を知りたいもんだ。
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e0074199_12542867.jpg この日の村は、市の北部にあたり、川の水の恩恵を充分に受けている地域だった。
 立派な用水路が村中にひかれており、周辺の田畑に水を注いでいた。

e0074199_12555676.jpg 小麦や菜種が茂り、それを脱穀する店もあった。店主に話を聞くと、脱穀機などは日本製だと言う。


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店主 「"オカサ"ってメーカーのだよ。」

僕 「"オカサ"?」

店主 「あぁ、日本の西の方みたいだ。」

 ・・・! オオサカね。しかも、メーカー名ぢゃなくて、場所の名前だっつの。
e0074199_12563173.jpg 機械を見せてもらったら、なんとヤンマーディーゼルのものだった。




 アラハバード市街は、サンガム(詳細後述)など水と密接に関係した文化・生活が根付いているが、少し都市部を離れると、水が豊富にあって裕福な生活をしている村と、水が乏しく貧しい生活を余儀無くされている村とが混在している。
 作物の収穫期を過ぎた3~5月には、もと顕著な違いを目のあたりにしたに違いない。



市内観光も・・・
 アラハバードの市内も半日ばかり観光。

アナンド・バワン(Anand Bhawan)
e0074199_13464335.jpg ヒンディー語で「喜びの家」と名づけられたこの家は、インド初代首相ジャワハルラール・ネルーの生家。現在は、家の内部が博物館に改装されていて、当時の部屋の様子を再現している。ネルーの執務室や、国民会議派の議員たちが会合を行った部屋などが観られる。
e0074199_3402576.jpgマハトマ・ガンディーが宿泊したゲストルームやインディラ・ガンディーの部屋もある(2人の部屋は内側から繋がっており、ガンジーのロリコン説を裏付ける1つの状況証拠になってるんだとか)。



サンガム
e0074199_3415798.jpg アラハバードは、ヒンドゥー教の聖地の1つで巡礼地にもなっている。
 インド神話で、不老不死を得るために神族と魔族(アスラ/阿修羅)が協力したという話がある。彼らは、飲むと不老不死になるアムリタ(甘露)を作る為に、乳海を攪拌したのだが、結局その乳海から得たアムリタを飲んだのは神族だけだった。
 この乳海の霊液がインドの4箇所に零れ落ちたと伝えられており、そのうちの1箇所がアラハバードとされている(他は、ハリドワール、ウッジャイン、ナースィク)。これら4箇所を「4大聖地」と呼んでいることがある(※)。

※この呼び方は結構曖昧で以下の様な区分もある。
「4大神領」
バドリナート、ジャガンナート、ラーメーシュワラム、ドゥワールカー
「7聖都」
ヴァラナシハリドワール、カーンチープラム、アヨーディヤー、マトゥラー、ウッジャイン、ドゥワールカー
「3聖地」
ガヤー、アラハバード、ヴァラナシ

e0074199_621751.jpg この「サンガム」は合流というヒンディー語で、文字通りガンジス(ガンガー)川とヤムナー川とサワスワティ川(聖川だが架空の存在とされている)が合流する場所を意味する。毎年、1月~2月にマーング・メーラーと呼ばれる御祭りが行われ、12年に1度は特に大規模な御祭りクーンブ・メーラーが行われる。
 今回訪れたときはちょうどこの時期にあたり、しかも6年に1度の"準"クーンブ・メーラーだったので、かなりの盛況だった。巡礼者はまだまだこれから集まってくる雰囲気だったが、彼らが滞在するテントの数が半端無かった。


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 また、巡礼者が多く集まるということで、被災者募金の仮事務所も設置されていた・・・小銃を持った軍人にハリボテの動物たちのミスマッチがなんともシュール・・・。


e0074199_62214.jpg 聖なる川とくれば、早速沐浴♪
 頼んでも無いのに、勝手に御祈りしてきて金をボッタくる胡散臭い輩がウヨウヨいてうっとうしかったけど、彼らを無視しながらおもむろに川の中へ・・・。
 3つの聖川にちなんで、3回牛乳を川に捧げて、川からあがる。



Fort
e0074199_6415234.jpg ムガル皇帝アクバルが1583年に建てた城塞。
 現在、観光ではなく軍用施設として使用されているので、内部の隅々まで見ることは出来ない。



アラハバード大学(Allahabad Univ.)
e0074199_7264564.jpg この大学の農学部には、随分と前から日本人が関係していて、現在も日本の農学博士のもと、有機農薬栽培などの試みが実践されている。







オススメ度(100%個人主観)

   ★★★☆☆
by bharat | 2006-01-23 10:36 | インドぶらり旅
デリー7 Auto Expo 2006
e0074199_1132286.jpg 去る1月12日(木)~17日(火)、デリー北部の展示場Pragati Maidenで、自動車・バイクの一大展覧会が開催された・・・その名もオートエキスポ2006。
 この場所、どこかで・・・てIITFやってた場所だ!
 なるほど・・・ここはデリーの「幕張メッセ」なんだな。



1999年からか・・・
e0074199_07484.jpg これが入場券、会場案内(冊子とCD-ROMセットで150ルピー(約390円)。
 第8回と書いてある・・・まだたったの8回目??年1回開催として、1999年に第1回が開催されたということか・・・恐ろしく歴史が浅いな。


 入場は、企業関係者と一般観覧者の2種に分かれており、今回は知人に譲ってもらった企業関係者チケットで入場(買うと500ルピー(約1,300円)もするらしい)した。
 企業関係者と一般観覧者とで入場時間が分かれているので、会場内はスーツを着たビジネスマンが多かった・・・僕のような普段着の冷やかしみたいのも結構いたけど。

e0074199_11471611.jpg なぁんか、展示の雰囲気が前回と変わって無いな~と思ったら、それもその筈、IITFの展示が一部そのまんま残ってた・・・片付けんかい・・・。来年までこのまんまだったりして。



急速な車社会化を体感
 手狭な展示ブースながらも、館内は大小の企業がひしめき合っていた。
 2輪~4輪メーカーに始まり、商用車、部品メーカー、レプリカメーカーまで・・・想像以上のバラエティにちょっとビックリ。

 以下、観た場所を順繰りに。



本田技研
e0074199_11564891.jpg いきなり、BAR HONDAのF-1レプリカがドド~ンと鎮座。インドでは、昨今F-1人気が急上昇しており(ナライン・カルシケヤンというインド人がJordanチームのF-1パイロットになったことが大きな要因になっている)、これはかなりのインパクト。

 その奥に、アコードとシティの2車種が展示されていた。これら2車種は既にインド市場に投入されている車種で、現地生産体制も整備されていて、販売価格もトヨタより遥かに安く出来ている。
e0074199_125491.jpg その横には・・・新型シビックが。ほっほ~、これも投入間近ってことか。そういえば、最近読んだインドの車雑誌に試乗レビュー書いてあったな。まぁ、デザインが無難なので、販売価格によってはそこそこ売れるだろうな・・・。
 しかし、なんでこのインドで中型セダンしか売ろうとしないのかな?フィットとか絶対バカ売れすると思うんだけど。小型(軽よりちょい大きいタイプね)車を投入して、マルチスズキのスイフトやヒュンダイ(現代自動車)のGETZとかの購入者層を食いに行かないのかなぁ。



フォード(Ford)
e0074199_12135383.jpg お~!これは新Mustung GT♪♪
 原点回帰のFordの力作をインドで見れるとは。1960~70年代のマスタングを髣髴とさせるこのダサカッコ良さ、個人的にはかなり気に入っている。金があれば即買いしたいな~。
e0074199_1214496.jpg しかし、内装は若干手抜き気味・・・最近のアメ車のインパネって、シンプル過ぎというか中途半端というか・・・ここまで手抜くなら、木目調にするとか、メーターを白黒のモノトーンにするとか、とことんダサくして欲しいな。
e0074199_1216256.jpg ま、アメ車全般大好きなので、この仕上がりでも充分◎ですが。



マヒンドラ・アンド・マヒンドラ(Mahindra & Mahindra)
 インドの自動車業界第4位、業界内シェア約8%。創業1945年、純インド財閥マヒンドラ・グループの中核を成す企業で、毎年増収増益、総従業員数は約12,000人。
 ジープ、SUV、小型商用車を街中で良く見かけるが、軍用車両や農業車両(トラクター等)も数多く生産している。グループ自体は、IT分野にも野心的な姿勢を見せており、British Telecomとの合弁、Mahindra British Telecomを設立して頑張っている。

e0074199_1421431.jpg ブースは、SUVの主力車種の「Scorpio」の様々なバージョンを展示。
 Scorpioは、ごく一般的なSUV型4駆(2駆も一部あり)で、そのスリムで嫌味の無いルックスで販売台数を伸ばし、デリー市内でも良く目にする車だ。2609ccディーゼルエンジンを装備し、大きさは、L4475 x W1750 x H1916mm、使いまわしの良い大きさ(長さがもうちょっと欲しい気がするが)。
e0074199_1423163.jpg3列目のオプショナル・シートのアレンジが横向きになっているのは、軍用ジープの名残!?

e0074199_1425014.jpg ピックアップタイプ("Scorpio Lifestyle")は、ボディカラーも内装の作りも、ポップに仕上がっており、なかなかのもの。車高をちょっと上げてフットステップを配し、フロントスポイラー、グリルは特別仕様のものを装備する。僕はマリンスポーツはやらないが、こんなので荷台に板積んで、湘南・九十九里を走らせたら雰囲気出るんじゃないかな~。




e0074199_926953.jpg 興味深いのは、小型商用車のオート3輪の2車種。
 1台目は、Hy-Alfaという車名。
 ミゼットのような形で、うしろは荷台になっている。だが、排気量は340cc、結構重たいものも難なく運べそう。

e0074199_9503826.jpg 2台目は、Bijlee。
 Bijleeはヒンディー語で「電気」の意味で、文字通り電気自動車である。
 座席は全てベンチシートで、後ろは向かい合わせになっている。乗員数は9名(運転手含む)。最高速度は35km/h。1回のフル充電で80~160km移動出来る。
 だが性能云々よりもこのルックス!
 こんなのが愛☆地球博の会場内に走ってたら楽しかったのに・・・。
 京都市内観光とかこんなのでしてみたいな~。
 屋久島とかのレンタカーも、この車種だけにしちゃうとか。



三菱自動車
e0074199_9524229.jpg ここから別の館。
 スズキの2輪の展示ブースの向かい側にあったのは、三菱自動車。
 ・・・が、展示されていたのは、ランサー1車種。EvolutionやCediaなどのバージョンは見られるものの、1車種って・・・展示出さない方が良かったんじゃ・・・。
 もはや何の変哲も無くなってしまったランエボ8代目(9代目だっけ?)を中央に配する展示・・・何年この展示方法を続ける気なのだろうか。
 EK WagonやColtなんか、デリーやムンバイなんかで走らせたら面白いし、Grandisだって使い勝手が良くて、充分トヨタのInnovaを食えると思うが・・・南西アジアでの販売路が無いのかな・・・勿体無い。
 i(アイ:最近日本市場に投入の新車種)が軌道に乗ったら、インドでの販売戦略も状況が変わるのかも。



スコダ(Skoda)
e0074199_10211713.jpg 日本では殆ど馴染みの無いこの社名。インドではそれなりに名が売れている。武骨な作りながら、やけに曲線美を強調する日本車よりはインド人ウケするのではないかとも思う。まぁ、コストパフォーマンスが良い訳でも無く、内装にも気配りが足りないのでグングン売れるという要素も乏しいのだが。

e0074199_1031165.jpg 軍事オタクかWRC(World Rally Championships)オタクの人なら知っていると思うが、スコダはチェコスロバキアの会社。元々は軍事企業で、戦車などを製造する企業だった。その後、第2次大戦で同国がドイツに併合されると、同国の戦車はドイツの戦車を作るようになった。軽戦車の名作として名高い25t戦車や35t戦車はその好例で、「t」はチェコの頭文字を取ったものだ。

e0074199_10584379.jpg 第2次大戦後、軍事企業が自動車メーカーとして再スタートする例は多く(日本のスバルもそうですね)、スコダもこれに倣った。現在は、独自には生き残れずVolksWagenグループ傘下だが、WRCには積極的に参戦した歴史を持ち、最近はフォビアやオクタビアなどの車種で参戦。欧州戦のみの参戦と寂しいが、近々全戦復帰するみたいだ。



タタ・モーターズ(TATA Motors)
e0074199_11285241.jpg インド最大財閥TATAグループの一角を成す企業。乗用車から大型商用車、軍事車両まで製造する、大企業だ。1945年設立、従業員数は3万人弱。インドにおける商用車販売シェアは59%のダントツ1位で、世界的に見ても第6位。インド国内は勿論、海外進出にも野心的で、現在マレーシア、バングラデシュ、ケニア、南アフリカ、エジプトに生産工場を持ち、ここから欧州、豪州、東南アジア、中東、アフリカ等約70ヶ国へ輸出している。
e0074199_11314087.jpg 展示車種は、バラエティに富んでいたが、やはり目立ったのは大型車。


e0074199_11294168.jpg



スズキ自動車(Maruti Suzuki)
e0074199_11485834.jpg インドにおける知名度No.1の自動車メーカーで、正式名称はマルチ・ウドゥヨグ(Maruti Udyog)。日本のスズキとの合弁で、1982年に設立された。業界内では後発だったにも関わらず、現在は乗用車販売シェア約45%を誇る。

e0074199_11505565.jpg 1983年に市場投入された「マルチ800」は未だに現役で、展示ブースにも堂々鎮座していた。最近は、日本でも御馴染みの「スイフト(SWIFT)」を投入し、なかなかの販売を記録しているとか。
 やはり、広告への資金投入もハンパなく、展示ブース面積は実に広大。スイフトのみ10台以上を展示する専門展示ブースも設けていた・・・ジュニアWRCカーのレプリカも。



その他の自動車
e0074199_1139999.jpg 意外な車が・・・アルファロメオのコンセプトカー。
 ほぼ市販者の形をしているが、車種名の掲示が無かったので、多分コンセプト・カーだと思われる。インド人の若者がドァ~ッと群がっていた・・・スーパーカー人気は普遍なのだろうか・・・。

e0074199_114013.jpg 僕は1960~70年代の車が好きなのだが、マンガ「サーキットの狼」などでも分かるとおり、日本中がスーパーカーに熱狂していた(そうだ)。ロータスヨーロッパ、ポルシェカレラ、ランボルギーニなどなど。インドでも、ここ数年~10年そこそこで、そんなムードになるのかも知れない。






 2輪は詳しくないので、以下2輪メーカーの説明はかなり雑になるが・・・。


ヒーロー・ホンダ(HERO HONDA)
e0074199_1152549.jpg 本田技研26%、ヒーローグループ26%の株式資本で構成される、日印合弁企業。従業員役7,500人、業界内シェアは約50%を誇る。昨年度販売台数262万台は驚異的・・・日本の何倍だこれ。



スズキe0074199_1158956.jpg スズキは、2輪では独資でインドに進出している。ごくごく最近進出してきたので、これから勝負をかけるといったところか。4輪での知名度が効果テキメンで、展示ブースには黒山の人だかりが。



バジャジ・オート(Bajaj Auto)
e0074199_1223474.jpg 1936年設立の老舗で、同名財閥の一角。ヒーローホンダに奪われるまでインド国内シェアNo.1だった。2輪のほか、オート3輪の製造もメイン業務として行っており、東南アジアへの販売も行っている。2輪については、日本の川崎重工業と業務提携関係にあり、これにより大型バイク(Ninjaなど)の生産ラインを追加することが出来、商品ラインアップも充実してきた。現社長のラフル・バジャジ(Rahul Bajaj)が社長に就任してから急激に販売業績を伸ばしており、辣腕社長との名が高い。


 このほかにも興味深い展示がいくつか。



サン・ルーフ
e0074199_12262131.jpg ウェバスト(Webasto)という自動車関連品製造企業。ドイツを本拠とする企業で、創業は1901年。現地では早くからメルセデス・ベンツのカーヒーターなどを製造していたようだ。現在は、アメリカのミシガン州に多くの機能を移し、製品ラインアップとしては、カーヒーターのほか写真(ちょっと分かりにくいが)のサンルーフ、インパネなども手掛けている。



カー・デザイン
e0074199_112866.jpg ディリップ・チャブリア・デザインという聞いたことも無いカー・デザイン会社。Dilip Chhabriaなる社長さんが率いる会社でインド本拠。社長さんはGMのデザインセンター出身とのこと。ロールスロイスやポルシェのカスタマイズなどの実績があるみたい。



えせパーキン
e0074199_1191870.jpg これは、パーキン・セブンではない。チンカラ(Chinkara)という車模型販売会社の展示物だ。ちゃんと動くらしい。自社製品と胸を張るが、どうみてもパーキン・セブンのパクりでは・・・。




オマケ
e0074199_125379.jpg 展示会場内を歩いていて発見した・・・住居??
 普通に生活しているようでした・・・。




by bharat | 2006-01-18 10:30 | デリー市内あれこれ
第29回旅行は、州境の村クッティーナ
 デリーからNH8(National Highway 8号線)でジャイプール方面へ車を走らせること約2時間、シャージャーンプールという町に着く。
 ここを右に折れて数分、クッティーナという村の集落が見えてきた。
e0074199_6123071.jpg


訪問目的
e0074199_2184623.jpg 今回ここを訪れたのは、NGO視察が目的(詳しくはコチラ)。
 だが、NGOの担当者の話もそこそこに、村の中を散策。



貧乏要素ナシ
e0074199_2193669.jpg まず、気になったのは、道路の舗装状況がとても良いこと。インド村の貧富の差は、道路インフラの優劣によって決まると言っても過言ではない。畜産品や農作物をコンスタントに都市部に売りに行くための道路、雨季に陸の孤島にならないための道路、休閑期に出稼ぎに行くための道路・・・村民にとって道路はとても大事なのだ。
 次に、電気インフラ。電話線がそこかしこに見えたし、店頭には照明が、民家からはテレビの音が漏れ聞こえてきていた。1日何時間電気が来ているかは知らないが、一般民家にも電力供給がなされ、また村民も高い電力費を負担出来ている(まさか全村民が盗電している訳では無いだろうから)・・・生活水準はとても高い印象を受けた。
 水の供給状況もとても良い様で、丁度菜種の刈入直前ということもあったが、周辺はとても良い色に染まっていた。


実態を聞いてみた
e0074199_2253569.jpg 村のキーマン(村長では無かったと思う)に色々聞いてみた。
 村の人口は3~4,000人くらいで、多くの村民は軍人もしくは農民。軍人は州兵として働き、農民は菜種・小麦の栽培を行っている。
 人口構成は、約10%がブラフミン(バラモン)、約60%がクシャットゥリ(クシャトリア)のラージプートというサブカースト、残り10%がバイシャ、残りの20%前後をシュードゥラ(スードラ)、指定カースト、ムスリム(イスラム教徒)が構成している。
e0074199_2263698.jpg 村民の平均収入は、月収で最低5,000ルピー(約13,000円)。年収に換算すると、60,000ルピー(約156,000円)。インドの村民の平均年収が12,000ルピーと言われているから、クッティーナの村の経済水準は相当高いと言える。まぁ、インドでは軍人の収入は一応に高いと言われており、彼らがこの村の平均収入を吊り上げているものと推測される。
 村の中には、学校もちゃんとあった(但し写真は閉鎖中の校舎)。
 集落の中と小高い丘の上にはヒンドゥー寺院が。




オススメ度(100%個人主観)

   ★☆☆☆☆ ・・・観光地では無いので。
by bharat | 2006-01-17 10:30 | インドぶらり旅
インドのNGO事情

 1月初旬、日本から知人の知人のNGO視察団が来た。
 欧米や日本を中心に貧困撲滅の運動を行い、民間企業・NGO協働型の活動を実践している。
 その視察団と行動を共にし、デリーやデリー近郊のNGOの様子を知る機会を得た。

NGO大国インド

 御存知の通り、インドは社会主義独立国家としてその現代歴史をスタートしたが、その官主導の国家体制が破綻を来たすにつれ、民間レベルから警鐘を鳴らす、あるいは独自の活動を始める動きが活発になってきた。
 内容も実に多種多様で、ストリートチルドレン・孤児の保護・育成・社会復帰を支援するもの、農業技術の指導を行うもの、地震・津波等自然災害の復旧活動を行うものなど、挙げればキリが無い。
 団体の数は際限無く増えているとされ、総数は数百万、毎年数万ずつ増えているという報告もある。
 しかもたかがNGOと侮るなかれ、インドのNGOは日本のそれとは活動規模・動かすカネも比較にならない。というのも、日本のNGOは無償で国際支援活動を行う団体のイメージが強いが、インドのNGOは民間非営利団体全般を指すので、ゼニ儲けしない民間団体は全てNGOという呼称で呼ぶことが出来る。資金源も、インド国内の個人寄付や企業単位の寄付はもとより、インド内務省の定める外国貢献規制法(1976年制定:Foreign Contribution Regulation Act)に基づく諸登録を経れば、外国からの送金も受けられる。


あまりに異なる活動事情

 今回、訪問したのは、上述視察団と同行した3団体。
 それと、当社が資金援助を行っている1団体。

サラーム・バーラク・トラスト(Salaam Baalak Trust)
e0074199_18121298.jpg 1990年に設立された団体で、主として、家庭内暴力や経済的事情で家を出ることを余儀無くされた子供たちの家庭復帰を支援する活動を行っている。
 資本規模は約1,000万ルピー(約2,600万円)、従業員数は70名余り、保護している子供の数は数十~数百人規模(常時変動している)。
 本拠の事務所をオールド・デリーに置き、デリー駅敷地内にも施設を保有している。

e0074199_181147100.jpg まずは、デリー駅の施設を見に行った。
e0074199_18134661.jpg ここは、子供に対するカウンセリングを中心に様々なケアを行う場所に使われていた。
e0074199_18133242.jpg
 階段の踊り場ではゲームに興じる子供たち、建物内の一角には粗末な教室(といっても区切られていない)、バルコニーには医務室、事務所の一角には子供のカウンセリングの記録室があった。
e0074199_2184640.jpg 続いて、本部事務所。
 ここには、管理系(総務・経理等)の機能が終結している他、厨房や食堂、教室、寝室などがある。コールセンターもある。因みに、「食堂、教室、寝室」と言ったが、「食堂 兼 教室 兼 寝室」である。当日はこの部屋で、昼食を御馳走になった・・・味はなかなか♪

e0074199_21105451.jpg 訪問当日も、家出してきた子供が1人、事務所に来ていた。オールドデリー付近で途方に暮れているところを保護されたとのこと。実際にこうして保護される例はそんなには無いが、コールセンターへの通報は、1週間に10~20件あるのだそうだ。
e0074199_21124465.jpg



PRAYAS
e0074199_034626.jpg 1988年に設立された団体で、デリー市内に100数箇所の支所を持つ巨大な団体。年間約9,200万ルピー(約2.4億円)を動かしている。
e0074199_0344994.jpgスポンサーも個人寄付に頼らず、政府系補助やコカ・コーラやタージ・ホテルグループなど大企業からの資金援助も受けている。
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一番下の写真2枚は、アーンスト・アンド・ヤング(世界規模のコンサルティング・ファーム)が建てた学校。
e0074199_036252.jpge0074199_0354413.jpg

e0074199_0375534.jpg 活動も実に多岐に亘り、子供の保護、初等~高等教育、技術訓練、就職斡旋などを行っているという。
e0074199_0374313.jpg また、AIDS撲滅を目的とする性教育も実践しているといい、とかくこの手のテーマを避ける傾向のあるインドでは進歩的だと感じた。
 上述のSBTの手法が、子供たちの心のカウンセリングを優先的に行って、早く家庭に戻る様促しているのと異なり、このPRAYASは、子供たちを完全に囲い込み(巣立つまで、敷地外には出られないのだという)、自立出来るまで面倒を見るという方策を採っている。夫々特徴があって、興味深い。



HPPI(Humana People to People India)
e0074199_0565287.jpg 1998年に設立された、比較的歴史の浅い団体。主活動をラージャスターン州やジャールカンド州など大都市から少し離れた場所で行っている。クッティーナというデリーとジャイプールの間にある小さな村でも活動を行っており、今回はここの状況を聞いてきた。この団体は、団体名から察しの付く通り、人権保護の観点から弱者救済の行動を採っていて、ユニセフ、ユネスコ、国連エイズ計画などがスポンサリングしている。2004年には、大規模なエイズ撲滅キャンペーンを行ったというレポートもあった。

 
 
SOS Children's Village of India
e0074199_116251.jpge0074199_1161058.jpg
 最後は、当社が一部資金援助している団体。
e0074199_1171696.jpge0074199_117280.jpg 写真は、当社拠出金により完成した、コンピュータールーム、図書館、音楽室の様子とその記念式典の様子。

e0074199_118654.jpge0074199_1175472.jpg この団体は、1964年に設立され、災害などによって両親を無くした子供たちを保護・育成・自立させることを目的としている。
e0074199_1193562.jpg 興味深い点は、Villageの名の示す通り、子供たちと擬似家族で1つのコミュニティを形成し、子供を自立させていく点だ。子供たちは、年齢・宗教に関係なく、10人程度にグループになり、擬似の母親が付く。このユニットで子供は活動し、親(擬似)や兄弟(擬似)の愛情を受けながら育っていく。集落の中には、擬似家族1世帯が住める住居が団地形式で配置され、その徒歩圏内に、図書館・コンピュータールーム・音楽室などの共有施設がある。
 個人的な思いとしては、拠出した資金に対しての出来上がりについては、少々不満が残ったが(たったこれだけのPC?たったこれだけの蔵書?などなど)、まぁ僕が決めた事では無いし、ちゃんと形のあるものが出来たのだから良しと考えるか・・・。



気になったこと
 いくつかの団体を見て感じたことは・・・「自分の団体以外の団体の活動についてどう思っているか?」ということ。
 どの団体も、崇高な目的を掲げ、頭が下がる思いだが、どの団体も「他の目的を一にする△△団体と連携を採っています」とか、「□□団体とは、相互補完的な活動をしています」とはコメントしていない。ある団体などは、他の団体より何が優れているかを強調した上で、寄付を求めてきた。これでは、折角の慈悲心・愛護心も台無し・・・。
 こんなときくらいは、インド人持ち前の競争心はちょっと控えて貰って、協調体制で連帯感を持って活動してもらいたいものだ。


by bharat | 2006-01-16 10:53 | ふと思うこと
巨大インド地図で四半期の整理♪

 2005年12月末で、インドに来てちょうど半年が経った。
 インドに来た経緯でも書いたが、任期は2年と明確に決まっているので、泣いても笑ってももう4半期が経過したことになる。

 半年間で何処に行ったのか、整理してみた。

巨大インド地図
e0074199_14383758.jpg
 これは本屋やストリートチルドレンなどから入手出来る100ルピー(約260円)程度のペラペラの紙の地図を額縁屋さんに加工して貰ったもの。
 サイズが100x70センチと大きいので、それなりに映える。




e0074199_14453247.jpg これに、画鋲でプスプスと旅行した場所にピン押ししている。
 周遊した場所は、旅行記からも分かるように29箇所(旅行記を纏めたり、行先の重複があるので、多少の誤差はあるが)。
 ・・・結構回れた方かな。







第1回 : アグラ(ウッタルプラデーシュ州)
 →タージマハルはユネスコ世界遺産として全世界的に有名。まぁ、一見の価値はあったな。

第2回 : アーメダバード(グジャラート州)
 →ヒンドゥー建築とイスラム建築のせめぎ合い・融合が見られ、良かった。

第3回 : ジャイプール(ラージャスターン州)
 →アグラと並んで、デリーからの日帰り観光地の王道。秀逸なラージプート建築がいくつかある。

第4回 : デラ・ドゥーン、ムスーリ(ウッタラーンチャル州)
 →英国植民時代からの"正統"避暑地。ボ~っとしたい人には良かったのかしら。

第5回 : リシケシュ、ハリドワール(ウッタラーンチャル州)
 →綺麗なガンガー(ガンジス川)で、初沐浴した場所。雰囲気良し。

第6回 : メーラト(ウッタル・プラデーシュ州)
 →村の実態が垣間見られ、その後の滞在生活の意識を変えてくれた場所。

第7回 : アムリッツァル、アタリ(パンジャブ州)
 →スィク教の総本山。キンピカのスィク寺院は物凄いインパクトで、スィク教徒の裕福さを象徴しているようだった。

第8回 : ダラム・サラ、マクロード・ガンジ(ヒマーチャル・プラデーシュ州)
 →チベット亡命政府の本拠地。インドじゃないような日本の田舎のような雰囲気が特徴的。

第9回 : アウランガバード(マハラシュトラ州)
 →石窟群への玄関口というだけでなく、この都市の中にも見所がたくさんあった。

第10回 : アジャンタ(マハラシュトラ州)
 →ユネスコ世界遺産指定の石窟寺院群。見所多いが、全て仏教寺院なので、少々飽きる。

第11回 : エローラ(マハラシュトラ州)
 →ユネスコ世界遺産指定の石窟寺院群。仏・ヒンドゥー・ジャイナが混在していて、飽きない。

第12回 : ヴァラナシ(ウッタル・プラデーシュ州)
 →ヒンドゥーの聖地であり、観光地としても有名。御来光&沐浴は良い経験になった。

第13回 : サールナート(ウッタル・プラデーシュ州)
 →仏教の聖地。インド人仏教僧の善行を聞けた。

第14回 : フマユーン廟(デリー)
 →先生から詳細説明を受けたので、非常に勉強になった。

第15回 : カジュラホ(マッディヤ・プラデーシュ州)
 →S☆Xを描写した彫刻群で、ユネスコ世界遺産。珍しい建物だったなぁ。

第16回 : ジャイプール(ラージャスターン州)
 →2度目の訪問。飼育員殺傷事件発生により、観光用の象が使用禁止になっていた。

第17回 : ジャイサルメール(ラージャスターン州)
 →ゴールデンシティ。旅行した中で、最も気に入っている場所の1つ。

第18回 : ジョードプル(ラージャスターン州)
 →ブルーシティ。丘から見下ろした街並みは絶景♪

第19回 : ランタンボール国立公園(サワイ・マドプール、ラージャスターン州)
 →残念ながらトラ見られず。

第20回 : チットールガル(ラージャスターン州)
 →勝利の塔が見事。

第21回 : ウダイプール(ラージャスターン州)
 →湖上に浮かぶシティ・パレス・ホテルは美しいの一言。水が潤沢にある時期に行くべし。

第22回 : ケオラデオ・ガナ国立公園(バーラトプル、ラージャスターン州)
 →園内のサイクルリクシャーを見て、インドでも環境対策が講じられている場所もあるのかと少々感心。

第23回 : ファテープル・シークリ(ウッタル・プラデーシュ州)
 →ムガルの旧帝都。僕のお気に入りの1つ。

第24回 : アグラ(ウッタルプラデーシュ州)
 →2回目の訪問。特に目新しい発見は無し。

第25回 : ハイデラバード(アーンドラ・プラデーシュ州)
 →厳しい日程繰りが祟って完全な消化不良に終わった。もう1回行く必要あり。

第26回 : ジョーンプル(ウッタルプラデーシュ州)
 →ヴァラナシからの日帰り旅行先。特徴的なものは無し。

第27回 : ラクナウ(ウッタルプラデーシュ州)
 →アンベードカル記念公園がある。お気に入りの場所の1つ。

第28回 : マトゥラー(ウッタルプラデーシュ州)
 →ヴァラナシ同様、日本人が持つ一般的なインドの街のイメージ。

第29回 : ヴリンダーバン(ウッタルプラデーシュ州)
 →街は貧しく清潔感は無いが、数あるヒンドゥー寺院は一度見みる価値アリ。



 こうして振り返ると、南インドに全く行っていない。
 日程繰りも難しいし、金銭的にも嵩むので仕方が無いのだが、2006年は南インドを積極的に回ろうかなぁ。
 あと、行くシーズンが限られるヒマラヤ地方(ラダック、レーなど)や、入州許可の取付が必要な東部諸州にも行ってみたいな・・・全く異なる文化だろうから。
by bharat | 2006-01-13 14:31 | インドぶらり旅
第28回旅行は、クリシュナ・カルトの村ヴリンダーバン
 クリシュナ神生誕の地マトゥラーから10km、クリシュナが幼少期を過したとされる村、ヴリンダーバンがある。
 寂しい街並みとは裏腹に、多くのヒンドゥー寺院があり、なかなか見応えがあった。


クリシュナに染まった村
 インドTシャツでも触れたが、ヒンドゥー神の中でも、クリシュナの人気はシヴァと並んで際立っている。特に、イスコン(ISKCON:International Society for Krishna Consciousness/クリシュナ意識国際協会)なるクリシュナ神普及活動を行う世界規模の団体まであるのがスゴい。因みに、調べてみたら、なんとこの団体、日本にもある!
 このISKCONを含め、何故クリシュナが数あるヒンドゥー神の中で人気が際立つのか?
 諸説あるようなのだが、「イケメンでナンパな牧童」説と「西インドの歴史上の英雄」説などが複合してスーパー神様クリシュナが誕生、全ての支持者を取り込んだようだ。
 前者は、マトゥラーで生まれたクリシュナが、地元の暴君を退治し神格化したというもの。顔はカッコ良く、当時のナンパグッズだった笛(今で言うBMW3シリーズみたいなもんか)がとても上手かったので、遊女や踊り子たちにモテまくったみたいだ。
 後者は、正反対のカタい内容。ヤーダヴァ族という民族の指導者として辣腕を発揮し、民心掌握に「信愛(バガヴァット)」を旨とする教え(宗教)を説いて、名声を得た名君だったとする説。この「信愛(バガヴァット)」は、ヒンドゥー教の基本的な教えにも組込まれている。
 ・・・話はクドくなったが、これらのクリシュナ像が全て1つに纏まったので、色んな支持層を取り込んで、確固たる地位を確立出来たようだ。

 ヴリンダーバンは、みんなクリシュナ大好きといった雰囲気の漂う村だ。
 とても貧しい街並み・村人(殆どの人が靴を履いていなかった)は、近代化から取り残された過疎の典型イメージを醸成する。それに反して、立派な寺院が密集するように立っている。

 変わった雰囲気の村だ・・・。


小集落に際立つ寺院の数々

 人口数万人そこそこの村に、保存状態の良いヒンドゥー寺院がたくさん建っていた。
 現在もヒンドゥー教徒が礼拝しているという事実が、これら寺院が異教徒の破壊を免れたことを示している(ヒンドゥー教徒は、一度異教徒に破壊された寺院は死んだ寺院として礼拝しない。カジュラホが好例で、同地の有名なヒンドゥー寺院のうち、生きた寺院は1つしか無い。)。現在も礼拝に使われており、かつ外国人観光客が少ないということで、全ての寺院は入場無料(だったと思う)。

ランガジー(Rangaji)寺院
e0074199_4543052.jpg 1851年に建てられたヒンドゥー寺院・・・なのだが何か形が変だ。
 外壁及び正門は、ラージャスターン州の城郭都市のような体裁でとても武骨な印象を受ける。
e0074199_4552868.jpg 門をくぐって中に入ると、今度は巨大な塔門(ゴープラム)が出現する。
 ゴープラムは、南インドの寺院に固有のもので、末広がり形状に神様の彫刻をビッシリ施した塔状の門。
 北インドでこれを見たのは初めてだ。
e0074199_4555833.jpg 階段井戸状の溜池もあった。


ゴーヴィンド・デーヴ(Govind Dev)寺院
e0074199_5104011.jpg 小高い丘の上に建つ、赤砂岩で出来た寺院。周りの好天にとても良く映えていた。1590年建築らしいが、そもそもは更に上層に4階分あったらしい。ムガル第6代皇帝アウグランゼーブのヒンドゥー弾圧政策の中で破壊された。ということで、現在この寺院は廃墟化しており、礼拝用としては機能していない。


カーリー寺院
e0074199_5151359.jpg 名も無い寺院だが、門構えはとても綺麗。シヴァ神の奥さんのカーリー女神を祀っていたらしいが、現在は閉じて観光・礼拝に使われていないとのことだった。
 何故、クリシュナ信仰の中心地に、唐突にカーリー女神の寺院が建ったのかは良く分からない。一般にカーリー信仰は、インド東沿岸部のベンガルあたりでメジャーなのに。カーリーは、ドゥルガーと同様、破壊の神シヴァの奥さんパールヴァティ女神の化身だ。だがドゥルガー、カーリーに化けるにつれ、女神というかヤマンバみたいな凶暴なキャラに変化する。カーリー女神の怒りを鎮めるために、山羊などを生贄に差出すという祭りが未だにある。

ニディワン(Nidhiwan)寺院
e0074199_5323648.jpg 閉鎖したカーリー寺院の奥にヒッソリと入口が見えるのが、この寺院。
 門をくぐると、巨大な庭園が姿を現す。
 サルに気をつけながら、ヒンドゥー僧に中を案内して貰った。


e0074199_5394454.jpg 足裏が痛いが、庭園内も裸足で歩かねばならない。
 庭園内の1つの社は、クリシュナが寝泊りしたと伝えられる建物。賽銭をせがまれ、「クリシュナ万歳」斉唱を強要された・・・僕はヒンドゥー教徒ではないのだが。
e0074199_540453.jpg 続いては、クリシュナが夜な夜な笛を吹きながら、遊女・踊り子たちと踊ったとされる野外ダンスホール。巨大なチェス盤みたいになっていた。

 「案内有難う」とソソクサと寺院を出ようとしたら、ヒンドゥー僧にガイド料をせがまれた。50ルピー(約130円)あげると、「クリシュナ神にたったのこれだけですか!?」と来た。
 毎度のことだが、こういうときは勝手な理屈で無理矢理説得する・・・「ホントウは200ルピーあげるつもりでした。でも、僕は仏教徒なので、半分払えば充分だと思いました。加えて、あなたのガイドは半分しか理解出来ませんでした。だから、半分の半分で50ルピーしか払いません」と、ガァーッて言ったら、悲しそうに引き下がってくれた。


ボンケ・ビハリ(Bonke Bihari)寺院
e0074199_5483111.jpg 狭い路地を行った先に見えてくる立派な門構えの寺院。
 清掃時間で門は閉まっていたが、門が開くのを待つヒンドゥー教徒らで寺院前はゴッタ返していた。


ラーダー・バッラブ(Radha Ballabh)寺院
e0074199_552224.jpg 1626年に建築された寺院だが、少し前に閉鎖された。
 宮大工みたいな人たちが解体だか清掃だか作業をしていた。


マダン・モハン(Madan Mohan)寺院
e0074199_5561831.jpg 砂岩質の外壁と背の高い塔が特徴的な寺院。内部には、特に目新しいものは無かった。


大迫力のイスコン
e0074199_651180.jpg 集落に固まって建っていた寺院を概ね見終わって、最後にイスコン寺院を見に行くことに。
 デリーでのド派手なイメージがあったので、なんとなく今回は予想はしていたが、予想以上にスゴかった。
e0074199_6101186.jpg 外部は全て眩しい純白に統一されており、各寺院は階段で繋がっている。
 入口を入って左の御堂は、吹き抜け構造になっており、中央に黄金茶室みたいな社が天井に届かんばかりに配置されている。
e0074199_6185840.jpg 右の御堂はというと、広いホールを中央に配置した構造で、その奥にヒンドゥー神の像が安置されている。
 みんな、御祈りをしたり、ホールで雑談したり、思い思いに過していた。

 この御堂の内壁に描かれた絵の1つがとっても気になった。
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 ・・・真ん中のキャラだけ、とてもウイている・・・。
 これ、オリッサ州の神様のジャガンナートなのだが、同地方の自然信仰(ジャガンナートは木)とヒンドゥー教が融合した際、このジャガンナートはクリシュナ神の化身という整理をされた。で、クリシュナ神としてこのイスコン寺院にも描かれているのだが、ハッキリ言ってメチャクチャ不自然な構図だ・・・2頭身化した奇面組の連中が周りの連中と一緒にいるみたいな感じ。



オススメ度(100%個人主観)

   ★★★★☆ ・・・デリーからも近く、たくさんの寺院を見られる。

所要観光時間

   2~3時間
by bharat | 2006-01-12 10:30 | インドぶらり旅
第27回旅行は、クリシュナ生誕の地マトゥラー
 今回の旅行先は、マトゥラー(Mathura)。
 デリーからアグラに車で向かうと、途中の道路標識に名前が出てくる。
 ヒンドゥー神クリシュナゆかりの地らしいのだが・・・。

宗教紛争の中心地
 現在、インド人の誰に聞いても「クリシュナの生誕地」という認識がされているマトゥラーだが、意外にも宗教都市としての歴史は、仏教とジャイナ教に始まる。
 紀元前4~2世紀頃、マウリヤ朝の宗教政策の庇護下、多くの仏教寺院やジャイナ教寺院が建てられたと言われており、少なくとも中国の僧玄奘(629~642年にインドに滞在、仏教の修行に勤め、のちに『大唐西域記』を記した)がマトゥラーを634年に訪れたときには、僧院が20、仏教僧が2,000人いたとされている。
 同地がクシャーナ王朝支配下になった紀元後2世紀も、引続き仏教が栄えたが、その後、グプタ王朝期に入ると、ヒンドゥー教が隆盛を見せる。中でも、ヴィシュヌ神の信仰が特に篤かったが、同地域が半農半牧の生活様式であったため、ヴィシュヌ神の化身でありしばしば牧童の姿で描かれるクリシュナ神がこの地域の圧倒的支持を得ることとなった。
 このクリシュナ神が、このマトゥラーで生まれたとされている(因みに第29回旅行のヴリンダーバンもクリシュナゆかりの地である)。

 こうして、ヒンドゥー教によって、この地域から仏教はほぼ完全に姿を消したが、そののち今度はヒンドゥー教が駆逐される。
 アフガン系イスラム王朝のガズニ朝の君主マフムードによって、この地域一帯はイスラムに塗り替えられた。

 その後16世紀に入り、再び商人・農民の間で、マトゥラーはクリシュナ神の生誕地であるとして、クリシュナ信仰が盛んになる。この時期、クリシュナ神を祀るケーサオ・デーオ寺院などが建立されたが、1500年にローディー王朝(イスラム系奴隷王朝)によって破壊され、再建築されたのち1669年に今度はムガル王朝(これまたイスラム系)によって破壊された。こうして、イスラム王朝によるヒンドゥー弾圧政策によってこの地は破壊され、その後イスラム寺院が建設された。

 このイスラム寺院と、その後1960年建てられた新生ケーサオ・デーオ寺院は隣接するように建っているが、近年のある宗教紛争がきっかけで、今現在、ここには極めて厳重な警戒態勢が敷かれている。
 1990年代初頭、時の政権政党インド人民党(BJP)は、イスラム原理主義勢力を牽制する意味で、イスラム対ヒンドゥーの対立構造を助長し、その1つとしてアヨーディヤー(デリーの東約630kmに位置するウッタル・プラデーシュ州の一都市)の寺院を槍玉に上げた。同地に現在存在するイスラム教モスクは、以前ヒンドゥー神ラームの生誕地を祀った寺院があった場所であり、ヒンドゥー教徒に同地を返せというのがBJPの見解だった。
 1992年12月16日、ついに物理的衝突が発生・・・ヒンドゥー至上主義者が同モスクを破壊した。
 これに端を発し、宗教紛争がインド全土に飛び火、近隣諸国にも影響を及ぼす一大事になってしまった。1994年に、最高裁判所がアヨーディヤーの土地の所有権について裁定をしない旨決定し(要はお蔵入り)、時間とともに平静を取り戻しつつあるが、2002年にもアヨーディヤーで巡礼を終えたヒンドゥー教徒を乗せた列車に、イスラム教徒が放火し、多数の焼死者を出すという事件も発生しており、お互いの中ではまだ何かくすぶっている感じだ。
 ・・・と、話をマトゥラーに戻すと、上記アヨーディヤーの宗教紛争の経緯とマトゥラーの歴史が似ている(昔ヒンドゥー寺院のあった場所にモスクが建っている)ので、今でもマトゥラーの寺院の警備はとても厳しいのだ。

 実は、今現在の土地がどの教徒のものなのか、という問題はインドでは結構多い。
 上述のアヨーディヤーは、ヒンドゥー教が興る前に仏教が盛んだったため、寺院建立地の所有権紛争には仏教も絡んでいる。
 また、仏教ゆかりの地ブッダガヤーでも、大菩提寺の所有権をめぐって、ヒンドゥー教徒と仏教徒が争っている。現在は、1949年に制定された大菩提寺管理法に基づいてヒンドゥー教徒が管理しているが、インド仏教のリーダー佐々井秀嶺(インド仏教のリーダーはなんと日本人なのだ)率いる大菩提会による返還運動が行われている。


プチ・ヴァラナシ
e0074199_3392263.jpg マトゥラーの街並みはというと、狭い道筋をヒト・牛・犬・サイクルリクシャーが絶えず行き交い、雑然としている。
 また、街の東側をヒンドゥー教の聖なる川ヤムナーに接しており、ヴィシュラム・ガート(Vishram Ghat)をはじめとして20余りの沐浴場がある。
e0074199_3385712.jpg ・・・そう、ここはプチ・ヴァラナシなのだ。ひと気がちょっと少なくて、活気が足りないことを覗けば、地形も雰囲気もヴァラナシにとても似ている。


クリシュナ生誕寺院
e0074199_3444090.jpg 入口の門で、サイフ以外の一切合財を一時預かり所に預ける様指示され、中へ。中の様子は一切撮影できなかったが、外見はこんな感じ。内部はちょっとした寺院群になっており、通路で互いの建物を行き来できるようになっている。通路にはクリシュナ神はじめヒンドゥー教グッズを販売する店が並ぶ。因みに観覧には靴を脱ぐ必要があり、冬の時期はかなり足が冷え、ツラい・・・。


ホントウの(?)クリシュナ生誕寺院
e0074199_3531724.jpg 参拝を終え、靴をはいていると、1人のオジサンが寄ってきた。
 彼が言うには、今僕が見たのはホントウのクリシュナ生誕寺院では無いと言う。そういえば、関連書籍にもクリシュナ生誕地には諸説あると書いてあったな。
e0074199_3533159.jpg 案内して貰った場所は、政府関係の保護政策が全く採られていないため、写真撮影もOK。


その他の「ゆかり」
e0074199_4175063.jpg 寺院の近くにあるのは、クリシュナがおしめを替えたとされる池(人口の溜池)。今は、水が干からびている。溜池というよりは、アーメダバードで見た階段井戸と同様の形状をしていた。
e0074199_4153222.jpg 続いては、クリシュナの父母が監禁されていたとされる牢獄の跡。
 クリシュナの父ヴァースデーヴァと母デーヴァキーは、デーヴァキーの従兄のカンサ王によって監禁されていた。カンサ王が、デーヴァキーの産む8人目の子供によって自分が殺されるとの予言を聞き、デーヴァキーが子供を産む度にその子供を取り上げ殺していったのだ。ところが、8人目の子供(クリシュナ)が産まれたとき、牢獄の番人の目を盗んで、ヴァースデーヴァとデーヴァキーの従者は赤子を連れてヤムナー川へ。
e0074199_4162950.jpg 川の流れは激しかったが、ナーガと呼ばれる大蛇に守られるように無事川を渡って対岸の村へ。従者は、村で偶然見つけた赤子を連れて再び牢獄に戻った。カンサ王はこの赤子を8人目の子供だと思い、殺す。難を逃れたクリシュナは、やがて成長し、ついにはカンサ王を倒した。


ヴィシュラム・ガート
e0074199_4294460.jpg 数あるガートの中でも一際大規模で、寺院も建っている。
 ここは、上述の話でクリシュナがカンサ王を倒した後、休息した場所と伝えられている。
 この寺で御参りをした際、聖水を頂戴したので、何の気なしに飲んだのだが、これがなんとヤムナー川の水だった・・・この後数日間、激しい下痢になったのは言うまでも無い。
e0074199_4303231.jpg このガートにあった渡し舟を使って、対岸に移動・・・。



ネズミーランド!?
e0074199_4503855.jpg ヤムナーの対岸に見えるのは・・・・東京ネズミーランドのお城!?

 対岸に着いて、小さな集落を通って徒歩約15分。

 それは、真新しいヒンドゥー寺院だった。
e0074199_4511277.jpg 特定の神を祭ってある訳ではないみたいだ。入口の門にはヌルシンハ(ヴィシュヌ神の化身の1つ。頭が獅子、体が人間)、中にはブラフマー、シヴァ、ハヌマーンなど色々な神様が祀ってあった。
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e0074199_4525718.jpg 中には、良く分からないものも・・・なんで頭から火噴いてるんだろう??
 ・・・うぅむ、しかしこの寺院、何故外見だけ妙にヨーロッパ調なのだろうか・・・分からん。


カンサ城
e0074199_456249.jpg 再び渡し舟に乗って元来たガートに戻る。
 途中、大きな城が見えてきた・・・カンサ城だ。
 ガート側から回って見に行ってみたのだが、廃墟になっていて、特に見るものは無かった。
 驚くことに、建物の一部は、今も住居として使用されているようだった。



オススメ度(100%個人主観)

   ★★★☆☆ ・・・アグラよりもディープ故、短期観光客には向かないかも。

所要観光時間

   2~3時間
by bharat | 2006-01-11 10:30 | インドぶらり旅