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第37回旅行は、仏教徒巡礼の地ラージギル
e0074199_5435425.jpg ナーランダーから、車で小一時間、仏跡の1つラージギル(Rajgir)に到着する。


仏教ゆかりの地
 ラージギルは、ブッダが12年間過ごした場所。
 今でも、仏跡が数多く残る。

霊鷲山(りょうじゅせん)
e0074199_7574180.jpg 山の入口には立派な門が配されており、付近の新しい石碑には「藤井日達導師の道」の記載がある。藤井日達上人(1885~1985)は、日蓮宗系の日本山妙法寺大僧伽(だいさんが)の創始者。かなりストイックな宗派で、修行者は妻帯禁止、檀家も持たず、平和・非暴力を訴えて行脚し、世界各地で仏舎利塔の建立などを行う。彼は、1933年にマハトマ・ガンディーにも会っており、このときガンディーの唱える非暴力に深く感銘を受けたという。
e0074199_6112821.jpg 頂上まで徒歩で登ると、祭壇がある。
 供物や献花でいっぱいだ。
e0074199_6174740.jpg 付近には、日本の御坊さんの集団が御参りに来ていた。
 妙法寺の御坊さんたちなのだろうか・・・?


 山頂で日の出を待つ・・・そして、6時半ごろ・・・

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 御来光!
 紀元前6世紀、ブッダも同じ太陽を見ていたのかと思うと、趣き深いものがある。


e0074199_7453198.jpg 明るくなってから周りを見ると、霊鷲山の名前の由来となった鷲の形をした岩を確認することが出来る。
e0074199_7492838.jpg 山の中腹には、瞑想する石窟も見られる。


日本妙法寺 ラージギル道場
e0074199_5351224.jpg 霊鷲山からは若干離れるが、日本妙法寺の立派な道場がある。
e0074199_5375560.jpg 現在のインド仏教のリーダーである佐々井秀嶺上人(彼についてはナグプール旅行記で少し書いたので御参照)も、この道場の建設を手伝うため、1年間ここに滞在した。



ジャイナ教ゆかりの地
 開祖(第24祖師)マハーヴィーラがこの地で修行を積んだということで、ここラージギルはジャイナ教徒たちにとっても聖地である。

ソン・バンダール(Son Bhandar)石窟寺院
e0074199_425680.jpg 霊鷲山のふもと付近に突如現れるこの寺院。
 3~4世紀に掘られたジャイナ教石窟で、向かって右上に見えるレンガ製の上層階部分はグプタ王朝中~末期(5~7世紀?)に増築された。
e0074199_491515.jpg 彫刻などは随分と痛んでいるが、壁面の彫刻の保存状態は割りと良い。


ジャイナ教博物館
e0074199_545091.jpge0074199_5451641.jpg ジャイナ教徒の「東武ワールドスクウェア」。
 館内には、ジャイナ教徒の生活を表現したミニチュアがギッシリ展示されている。
 教徒の質素な身なりと、絢爛豪華な寺院の造りが特徴的。
e0074199_5464412.jpge0074199_547749.jpg 実に丁寧にメンテナンス・掃除されていた。
 格好から察するに、彼らはジャイナ教徒ではあるまい。
e0074199_445126.jpg 庭には、他の宗教では見られない格好の胸像。
e0074199_4493668.jpg 公園には遊具がたくさん置いてあったが、これは・・・滑り台ならぬ「滑らない台」?


ヒンドゥー教ゆかりの地?
 ヒンドゥー教の2大叙事詩の1つ『マハーバーラタ』には、ここラージギルが ヒンドゥー教徒の王ビンビサーラが収めた王国の都であったと記録されたおり、ここが記録に残るインド最古の王都だったということになっている。
e0074199_814306.jpg 手塚治虫の著『ブッダ』にも、このラージギルについては細かに描かれている(第10~12巻)。
 マガタ王国のビンビサーラ王はブッダを手厚く保護し、政策についても彼に相談していたようだ。あるとき、ビンビサーラ王が予言者から「あなたは41歳のときに息子のアジャタシャトル(アジャセ)に殺されるでしょう」という予言を受ける。このことに悩んだビンビサーラ王はブッダに相談するが、これを見たアジャセ王子はブッダを殺そうと企てる。幸いブッダは一命は取り留めたが、ビンビサーラは激怒しアジャセを幽閉する。その後、アジャセは牢獄を脱出、逆にビンビサーラ王を幽閉、その後しに追いやり、王座に就いた。
 アジャセはその後、父への仕打ちを痛く後悔し、ブッダを師と仰ぎ、仏教に帰依するようになった。
 霊鷲山ふもとには、今でもその牢獄跡が残っている。


ラクシュミー・ナラヤン(Lakshmi Narayan)寺院
e0074199_5492746.jpge0074199_5494634.jpg この地も、他のインドの宗教別人口比率はさして変わらないのか、仏教やジャイナ教の史跡よりも、ヒンドゥー教の史跡の方が断然賑わっている。
 この寺院では、溜池に群がる教徒たちでゴッタ返していた。
 敬虔な僧侶も多いのだろうが、観光客を取合う僧侶たちが目立って少々ガッカリした。一方的に経文を唱えて、布施金をぼったくろうと言うのだ。



オススメ度(100%個人主観)

     ★★★★☆ ・・・ 霊鷲山での御来光は神秘的

観光所要時間

     2~3時間
by bharat | 2006-02-18 10:30 | インドぶらり旅
第36回旅行は、仏教大学ナーランダー
 第36回~第39回は、インド東部に位置するビハール州の4都市。
 今では、インドの後進の代名詞のように言われるこの州は、かつて先進文化の一大発信地だった・・・。

ビハール州について
 インド東部、北をネパールに隣接するこの州は、ブッダの活動拠点だった。
 生まれた場所・入滅(死んだ)場所は、現在のネパールだが、悟りを開いた場所や仏教大学はいずれも、このビハール州にある。
 また、この州は紀元前4世紀からはマウリヤ王朝の支配下だった。名君アショーカ王もこのビハール出身だと言われている。

 その後は、スルタン(奴隷)王朝、ムガル王朝の支配下となり、イスラム色の強い地域となっていく。

 18世紀後半からは英国の植民地となり、1912~36年にはオリッサ州との合併州にされてしまう。が、その後単独の州になり、2000年には南部地域がジャールカンド(Jharkhand)州として分割、現在の形となる。

 現在のこの州の実態を示す数字としては、識字率38.5%(因みにインド平均は65%、南部のケーララ州は90%以上)。女性の識字率はこの数字を更に大きく下回り、経済的発展の一大要因になっている。
 州内GDPは、デリー州・マハラシュトラ州・パンジャーブ州・ハリヤナ州の15,000ルピーに対して5,000ルピーと3分の1しかない。貧困層の率も、デリーの10%前後に対してビハール州は約50%。
e0074199_024760.jpg また、治安面も大きな不安を抱えている。ナクサライト(民族解放戦線)の活動拠点がネパール拠点にあると言われており、土地柄マオイストの活動が活発だとされている。州選挙のたびに、治安が極度に悪化し、選挙結果を巡って暴動が頻発する。ダコイットという盗賊集団が活動していることでも有名。
 州の中央部を横切るガンジス川は雨季のたびに洪水し、農地を荒らし去っていく。「緑の革命」で成功を収めたパンジャーブ州やハリヤナ州の農家当りの農業に対する資産投入額が夫々915ルピー、652ルピーに対し、ビハール州はたった43ルピー。


 この州の前途はまだまだ多難だ。


仏教大学都市 ナーランダー
e0074199_0445598.jpg 中国の僧玄奘が、仏教を学んだという場所が、このナーランダー(Nalanda)。
 玄奘は、632年から5年間ここで仏教を学び、のちに『大唐西域記』を書いた。
 その『大唐西域記』によれば、ナーランダーはブッダのために当時マンゴー園だったこの地を500人の商人が共同買収して寄進した場所だという。
 玄奘がここを訪れたときには、ナーランダーは仏教の修行と研究を行う一大拠点になっており、僧が数千人規模でいたという。


 敷地内には、ストゥーパ(仏塔)、寺院、ヴィハーラ(僧院)が複合的に配置されている。

巨大寺院
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e0074199_134998.jpg 左奥の大きな建物跡で、巨大な寺院だったと言われている。
 当時の想像図はこんな感じ・・・中央に全高31mのストゥーパが特徴的な建物だった・・・らしい。
e0074199_1133389.jpg 寺院の周囲には、無数の小さなストゥーパが安置されている。
e0074199_1143927.jpg 多層建ての寺院跡には、レンガ造りの巨大な階段が残っている。
 各時代ごとに異なる階段が作られている。


僧院群
e0074199_1202730.jpg 複数の巨大寺院の前面には、ヴィハーラ(僧院)が広がる。
 各部屋には、小さな入口から続く瞑想部屋が付いている。
e0074199_1213749.jpg 通路の脇には、水路が巡らされており、1,500年前から清潔な生活環境が整備されていた様子がうかがえる。
e0074199_1231775.jpg 建物や通路は、全てレンガ造りだが、建設時期ごとにレンガの大きさが微妙に異なる。
 何気無く歩いている足元にも、その境目があったりする。



オススメ度(100%個人主観)

    ★★★☆☆ ・・・ ここ単体では物足りなし。他の仏跡と合せて周るべし。

観光所要時間

    1~2時間
by bharat | 2006-02-17 10:30 | インドぶらり旅
デリー 8 武器・兵器博覧会「Defexpo」
 去る1月31日~2月3日、Pragathi Maidenにて「Defexpo」なる博覧会が開催された。
 日本ではまずお目にかかれない珍しい内容だった。
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国防の名の下に

 Defexpo・・・文字通り、国防をテーマに、様々な国や企業からの出展があったのだが、要は武器類がズラッと並んているという趣向。
 以下レベル別に(勝手にレベル分けしました)。


国防Level 1
e0074199_1695635.jpg まずは、一番低いレベル。
 国防というよりは、軍人の身嗜みグッズの1つである刀剣を扱う企業からの出展。
 企業名は、Windlass Steel Crafts、本拠はデラ・ドゥーン(Dehra Dun)
 英国型の剣は、根元から刃先に向かって真っ直ぐになっており、米国型は日本刀のように曲がっているみたいだ。刃面にはきめ細かなデザインが彫られていてとても綺麗だ。


国防Level 2
e0074199_2565420.jpg こちらは、空港やスタジアムの入口などに使用される、金属探知器。
 いくつもの企業が出展していたが、Rushe Safetekなる企業は、写真の携帯型のほか、ゲート型の大型探知機も製造・販売していた。


国防Level 3
e0074199_362168.jpg このレベルから、だいぶクナ臭い雰囲気が出てくる。
 防弾ヘルメットに、防弾チョッキ。
 テイジンの製品も展示されていた・・・これらの製品は国連でも使用されているとのこと。

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e0074199_3315446.jpg こちらは、防弾加工車の被弾後の姿の展示。
 バグダッドで小銃に乱射されてズタボロになったこの車は、無事目的地まで自走し、乗客に怪我も無かったと記されていた。
 ・・・しかし、撃たれ様である。


国防Level 4
e0074199_339526.jpg 見ての通り、鉄砲類もろもろ。
 実際に手に取ることは勿論のこと、具体的な商談をしている姿もチラホラあった。

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国防Level 5
e0074199_3511643.jpg ・・・これは国防というより、攻撃兵器そのもののような気がするが・・・。

e0074199_3551541.jpg 実際に近隣諸国からの攻撃に備えるべく配備されているミサイルBramosや、高性能追尾ミサイル、迎撃ミサイルなどが数多く展示されていた。
 イスラエル、ロシアなどのものが多かった気がする。

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 ・・・しかし、変わった展示会だったなぁ。
 毎年開催して、何か内容が変わるんだろうか?
by bharat | 2006-02-10 10:37 | デリー市内あれこれ
第35回旅行は、クルクシェートラ
 デリーから国道1号線を北に進み、パーニーパットを越えていくと、クリシュナ像のある交差点が。
 クリシュナゆかりの小さな町クルクシェートラへの入口だ。
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インド神話の地
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 クルクシェートラは「クル族の土地」の意。
 バガヴァト・ギータという神話の中では、この地でクル族同士の内紛が発生、大戦争になったとされている。
 その片方のパーンダヴァ軍のアルジュンが、同族に刃を向けることを逡巡するのを、クリシュナが馬車の上から諭すというのが神話の内容。



シェイク・チッリー廟(Sheikh Chilli's Tomb)
e0074199_304540.jpg シェイク・チッリーは16世紀の人物で、ムガル帝国の王子ダラ・シコー(第5代シャー・ジャハーン帝の長子だが、弟アウグランゼーブに殺害され、皇帝にはなれなかった)の指南役。
 赤砂岩の城壁に囲まれた建物で、奥部の上には白大理石のドーム状の廟が配されている。
 廟は、タージ・マハルに象徴されるムガル期の廟同様、大きな丸みを帯びた屋根が特徴的。
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シヴァ寺院・スィク寺院
e0074199_4191066.jpg 上記のシェイク・チッリー廟のすぐ近くにある寺院。
 手前にスィク寺院、並んでシヴァ寺院が併設されている不思議な建物。
 汚い溜池には、立派なシヴァ神の像がある。

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シュリ・クリシュナ博物館
e0074199_4425197.jpg クリシュナに纏わる、絵画・彫刻が2階建ての建物内を埋め尽くしている。


 館内は写真撮影禁止なので、売店で購入した絵画の写真をスキャンした。


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 まずこれは、クリシュナがジャガンナートの格好となって、色々な神の顔を出現させている絵・・・なんか全日本プロレスのチャンピオンカーニバルのポスターみたいだな。

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 これは、叙事詩『マハーバーラタ』の中の1シーンを描いたもの。馬車に乗るアルジュナを行者のクリシュナが諭す有名なシーンだが、馬車も周りの兵隊も描き方がちゃっちくて笑える。

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 これまた『マハーバーラタ』から。アルジュナ属するバラタ族軍に対するクル族軍の武将ビシュマの死の床のシーン。彼の父はクル族の王プラティーバ(シャンタヌ)、母はガンガー神。



 とにかく館内の様子が雑然・混沌としていて、滑稽。展示物に唯一共通するのは、「クリシュナ」であることのみ。あとは何でもアリの絵画・彫刻の数々☆




パノラマ・アンド・サイエンスセンター
e0074199_5291422.jpg 館名は立派だが、中身は実にしょうも無い。
 科学の原理をちゃっちい装置で展示。
 パノラマシアターがベニヤで仕切られた館内の一角で上映されていたが、これも酷い内容だった。
 ・・・うぅむ、誰が何の理由でこんな館を作ったのか・・・。




ブラフマサローヴァル溜池
e0074199_5401326.jpg 敬虔なヒンドゥー教徒たちが巡礼に集まるという、聖なる池。
 途方も無く大きい長方形の人造湖の中には、橋が架かっており、中央の島のような陸地には寺院・公園がある。
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オススメ度(100%個人主観)

    ★★★☆☆ ・・・ クリシュナの面白博物館が良かったので
by bharat | 2006-02-06 10:27 | インドぶらり旅
第34回旅行は、ムガルゆかりの地パーニーパット
 デリーを北に向かう国道1号線を北上、ハリヤナ州都チャンディーガルに向かう途中、何気無く通り過ぎてしまう、何の変哲も無いT字路がある。
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歴史的合戦の名勝

 ここパーニーパットは、歴史上とても重要な場所だ。

ムガル発祥のきっかけ

 16世紀中盤まで続いた奴隷王朝の時代・・・。
 奴隷王朝最後のローディー朝と、アフガニスタンの新興勢力バーブル軍とが1526年、ここで対決した。
 結果はバーブル軍の勝利・・・同年、バーブルは自勢力をムガル帝国を称し、ここに1858年まで続くムガル帝国が誕生する。
 バーブルは、ムガル帝国初代皇帝となった。

 因みに、1530年跡を継いだ2代皇帝がフマユーンだ。
 デリーにフマユーン廟がある。


ムガル隆盛のきっかけ

 その後すぐ、ここは再び戦場となる。

 1556年、ムガル第3代皇帝アクバルが、当時デリーを占拠していたスール朝へームーと戦い、これを破った。これによって、ムガル帝国の北インドでの勢力圏は大きく広がり、その支配力も確実なものとなった。


ムガル滅亡のきっかけ

 三たび、ここは戦場となる。

 18世紀、インドでの支配力を失いつつあったムガル帝国は、アフガニスタンから進入してきた新勢力に抗しきれなくなっていた。
 1776年、アフガニスタンの王アフマド・シャーがインドに攻込むと、第15代ムガル皇帝シャー・アーラム2世は単独での防衛は無理と判断、近隣勢力であったマラーター同盟(※)と共同戦線を張って対抗する。結局、この戦いはアフマド・シャーの勝利に終わるも、痛み分けのような格好になり、アフマド・シャー軍もアフガニスタンに退却する。この間隙を突いて、英国軍が入り込んでくることとなった。

(※)マラーター同盟とは、インド西部から興った勢力で、敬虔なヒンドゥー信仰をベースとし、当時としては珍しく給与制の常備兵隊を抱えて、時期を問わず戦争出来る特性を持っていた。
 この特性は、日本の戦国時代の織田信長が敷いた軍事組織と似ており、半兵半農の軍事組織よりも自由な軍事戦略を採ることが出来た。
 18世紀頃からバラモン階級のペーシュワー宰相が実験を握るようになった。そして、元は配下だった諸侯が自力を付けてきたことから、主従関係は、ペーシュワーを盟主とする同盟関係となった。
 これをマラーター同盟と呼んだ。


今は、漬物の名産地

e0074199_821384.jpg 現在、この町はアチャールという漬物が特産の、静かな町だ。

 町通りにアチャール屋が点在していた。
 ピクルスやマンゴーの漬物が有名だが、チェリーなどの甘露漬のような変わったものもある。

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オススメ度(100%個人的主観)

     ★☆☆☆☆ ・・・ 通り過ぎてしまうくらい何も無い
by bharat | 2006-02-05 10:12 | インドぶらり旅
必殺! ソファ職人!!

 先日、何回掃除しても綺麗にならないソファを、思い切ってリフォームした。
 これが、実に見事というか、独特というか・・・。
 その作業風景をレポート。

日本には無い長尺ソファ

 今の家に住み始めて間もなく、会社の倉庫に眠っていたソファを家に持ってきた。
 広い倉庫にあったときは、特に気付かなかったんだが、家に運んでもらって驚いた。

e0074199_5184860.jpg ・・・日本ではまず見ない、4シーターなのだ。
 長さはゆうに2メートルを越えており、とにかく取り回しが大変。

 まず家への搬入が一大事だった。
 僕の家は、2nd floor(日本で言う3階)なのだが、建物が古いせいか、階段が狭い。ズン胴のソファを、螺旋のような階段で3階まで引き上げるのは相当苦労した。今でも、階段周囲の壁には無数のこすり傷が付いている。


 で、暫くはこのソファを使っていたのだが、どうも中にたまった埃がすごくて、不快指数が下がらないので、当社総務に事情を相談したところ、「リフォームしてはどうですか?」と言われた。
 日本で家具のリフォームというと、僕の世代ではピンと来ないのだが、こちらインドでは家具のリフォームはごく当たり前なのだと言う。手順は次の通り。

①まず、家具屋(ソファ生地屋)で生地を選ぶ。

②店員に家に来てもらい、寸法を計測して貰って、見積を作成して貰う。
  この見積で、大雑把な金額・必要生地量が分かる。

③出張リフォーム部隊の来訪日時を決定する。
 丸1日必要。


e0074199_6591299.jpg とある晴れた日の11時、出張ソファ職人ラムジ氏とその一味たちがやってきた。写真右端のラムジ氏・・・年の頃は30歳中盤くらい、妻子持ち、趣味はクリケット観戦といったところか。部下の2人は若く、まだ駆け出しみたいな風貌。

e0074199_414965.jpgラムジ氏を玄関に招きいれ、靴を脱いでもらう。
 ラムジ氏の足からは、くさやとドリアンをブレンドしたようなかほりが全開だったが、笑顔で話しかけてきたので、こちらも精一杯の笑顔で応じる・・・しかし、すごいかほりだ。

e0074199_4172420.jpg 作業には膨大な場所を必要とするらしく、居間のテレビ以外の殆ど物は矯正撤去を命じられた。空いた床に職人道具をばら撒いてから、作業開始。時計は12時10分前を指していた。


 まずは、本体部分の表面をはがしていく。
 丁寧に、かつ大胆に。引っこ抜いたクギは、そこらじゅうに飛び跳ねていくが、御構い無しだ。Lの字、Uの字になったクギが、とめどなく床に散乱していく。
 作業が波に乗ってきたな~と思っていたら、ラムジ氏が突然召集をかけて、3人で二言三言。
 で、笑顔で俺に向かって、

   「サー、俺たち昼メシ行って来るさ~♪」

 え゛・・・まだ作業始めて1時間も経ってないけど。
 まぁ、今日中にちゃんと終わるなら、自分たちのペースで進めていいけど・・・早めの昼メシ食ってから午後来てくれた方が・・・まぁ深く考えるのは止そう。

e0074199_5292367.jpg 御手伝いさんが、裸足で床のクギを掃除し始めた・・・危ない思いをさせてごめんよ。でも、悪いのは僕ぢゃなくて、ラムジとその一味なんだよ。
 ふと思い出したが、こちらの人たちは、思いも寄らぬ軽装で色んな作業を行う。まず、素手で揚物。グツグツの油の鍋から素手で揚物をひょうひょい取出すのだ・・・Mr.マリックより遥かにハンドパワーである。道路の舗装工事もビックリした。アツアツのアスファルトの上を15ルピーのゴム草履を履いたおじちゃんがならしていく。ならしているそばから、草履がガムみたいにネチャ~っと伸びていた・・・。

e0074199_530821.jpg さて、御手伝いさんのクギ掃除も早々に終わり、僕ら2人が部屋に佇むこと約1時間半。
 満腹の3匹が笑顔で帰ってきた。
 作業再開。


e0074199_5302211.jpg クッションの表面をはがしたあと、本体部分に張り付ける新しい布(黒い合皮)をチョキチョキ切って、張っていく。作業はチンタラやるくせに、手先は実に器用で丁寧。なかなかやるな~、ラムジ部下その1~。


 ちょっと、別の部屋で勉強などしていると、居間の方からズズズっと飲み物をすする音が聞こえてきた・・・。

   ???

 何だろうと思って、居間に戻ると、3人が茶をしばいていた。

   「ラムジ氏、その茶はどこから?」

   「サー、下のヒトに頼んで入れてもらったんでさぁ」

 ふぅん、下のヒト・・・・ってコラァ!
 うちの大家ぢゃないか!
 勝手に頼むなよ・・・・このオッサン。

 しかし・・・昼食後、作業再開から1時間でまた休憩かよ。
 ラムジよ、いつになったら職人芸を披露してくれるんだ?


e0074199_613249.jpg 出番は意外に早く訪れた。
 クッションのウレタンを新しいものに取り替えた後、いよいよソファ職人ラムジ氏が出てきた。
 年季の入ったミシンを器用に操りながら、新しい布でそのクッションにぴったり合うカバーを裁断・縫製していく。この間、彼は物差し・巻尺の類を殆ど使わない・・・自分の手を定規代わりにして、器用に採寸していた。カバーの出来は、恐ろしい程精緻で、ピンと張った状態でクッションを覆っていく。
e0074199_6174141.jpg 全てのクッションに新しいカバーを被せると、本体部分の最終仕上げに入る。Gパン用の裁縫針みたいなのを駆使して、隅々を縫い合わせていく。


 午後8時・・・ついに新生ソファが完成。e0074199_6185535.jpge0074199_619980.jpg




 素晴らしい出来栄えだ☆
 個人的にはかなり満足。


 ここに、総工費数千ルピー、製作時間8時間(うち休憩時間2時間半)の一大スペクタクルが終わったのだった。
by bharat | 2006-02-01 10:11 | ふと思うこと