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インド人化プログラム、50%完了☆
6月25日、研修を半ば修了

 6月25日、2年間のインド語学・文化研修プログラムを1年間修了した。

 他の駐在員が事務所勤めをする中、この1年間インドを放浪し、語学(ヒンディー語)や文化・風土の理解を深めることに専念してきた。

 「なんだアイツ、暇さえあれば旅行行ってるなぁ」などと思う無かれ。
 全ては、未来ある市場インドを知り尽くさんという思いからなのである。

 そこで、今回の良い機会に、その成果を簡単に纏めた。
 僕は、学者でも研究員でも無いので、主観的な視点から論じている点、予め了解の上、読んで貰いたい。

インドの概要

 今更書くまでも無いが念の為。
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e0074199_13173257.jpg名称 : インド(共和国、連邦、連邦共和国など表記様々)
人口 : 10.7億人(世界第2位)
面積 : 328万㎡(世界第7位)
首都 : デリー(ニューデリーは地域名で都市名ではない)
GDP : 6,912億USD(2005年、世界第10位)
言語 : 23の公用語(ヒンディー語をはじめとする22インド諸語+英語)
通貨 : インドルピー(1ルピー=約2.6円)



 因みに、インドに来るまで、インドの人口はおろか、公用語の数、インド通貨と本邦通貨との為替レートなど、全く知らなかった。かろうじて首都デリーを知っていたくらい。

 カレー、ガンジー、ターバン、、、これ以外に具体的なイメージを持っている日本人がどれくらいいるのだろうか。。。
 ビジネス雑誌がこぞってインドを特集している今、我々のインドに対する認識はどれだけ精緻になったろうか。

語学習得に関して
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 これは、インドの言語マップ。
 概ね、北インドではヒンディー語またはこれでカバー出来る地域が多く、南部に行くと全く異なる言語(テルグ・タミルなど)になっている。幸か不幸か、前バジパイ首相が推し進めたヒンディー語推進政策によって、大都市圏では東西南北関係無くヒンディー語が通じることが多い。

 インドにおける言語は、公用語だけでも23語(英語含む)。
 当社の研修プログラムで、派遣国が決まった後、何語を習得すべきか選定しなければならないなんて、前代未聞じゃなかったろうか。
 兎に角、習得言語をヒンディー語に決定し、1年間勉強した。
 月曜日~金曜日、午前/午後2時間ずつが通常ペース。途中、旅行などでペースを守れなかったが、6~7割方こなしたとして、約4時間×180日×60%=648時間やったことになる。他人と比較出来ないので、如何程の成果が上がったかは述べがたいが感じたことは...

a. 日本語と似ている
 同じアジアの言語ゆえか、はたまた偶然か、文法や発音など、日本語と類似した点がいくつも存在する。
 まず、文法。基本形の語順が日本語と一緒。ヒンディー語も、「主語+目的語+述語」。これは、とても親近感が沸く。
 発音については、厳密に言えば難しい発音もあるのだが、日本語の50音でカバー出来ない音は殆ど無い。

 反面、ラテン系言語を母国語とする人々には、かなり手ごわい言語では無かろうか。


b. ボキャブラリーが多すぎ
 色々な語源が存在するヒンディー語。古くはサンスクリットから、ウルドゥー語などアラビア系言語も語源になっている。これらの言葉が融合することなく、今でもヒンディー語の単語として残存しているので、同じ単語でも言い回しが3通りも4通りも存在することがしばしば。
 これは、ゼロから単語を覚える側からすると、とてもキツい。


c. 都市部以外においては必須
 英語があればどうにでもなるなどと思う無かれ。
 デリーなど大都市を少し離れると、すぐに純粋ヒンディー語圏に入る。街中の殆どのヒトがヒンディー語でコミュニケーションを取る。「使いこなす」というレベルで英語を使うヒトはハッキリ言って見かけない・・・みんな片言レベル。
 こんな環境なので、「これいくら?」「××が欲しい」「△△したい」くらいは喋れないと、相当苦労する局面が出てくるだろう。


宗教の捉え方
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オレンジ:ヒンドゥー :ムスリム 水色:キリスト ピンク:スィク :ほか)

 インドにおける宗教分布は、結構複雑だ。

 どの資料を見ても、「80%がヒンドゥー教徒、13~4%がイスラム教徒(ムスリム)、キリスト教徒・スィク教徒が夫々2%ずつ、以下仏教徒、ジャイナ教徒、ゾロアスター教(拝火教)徒など」と記されているが、これはハッキリ言って現在の状況を正確に表した数字じゃない・・・と思う。
 一番直近の国勢調査は2001年に実施されたが、この中で宗教調査も一応行われたようだ。だが、出てきている数字は、1930年代の調査のものと殆ど変化していない。
 下位カースト者、カースト外ヒンドゥー教徒たちの改宗、ヒンドゥー教徒と異教徒混血によるヒンドゥー教徒減少(混血は原則ヒンドゥー教徒になれない)などを考えると、今の数字が70~80年前と同じなんて有り得ない。

 一般的には、東部の山間部族居住地域、ムンバイ・ゴア地区は、英国支配時代に多くのキリスト教改宗が行われ、インド中央のナグプールでは1956年にアンベードカルによる仏教への集団改宗がなされたので、宗教分布が特異だと記されている。
 また、パンジャブ州はスィク教徒の多い地域だと言われている。

 確かにこれらの情報は正しいのだけれど、主観的には現状はもっと進んでいると思う。
 デリーでは多くのスィク教徒を目にするし、多くの仏跡(ブッダガヤーナーランダーラージギルなど)のあるビハール州にはたくさんの仏教徒がいた。また、地域・州を問わず、日本妙法寺の仏閣が建立されており、そこには多くのインド人仏僧が修行に励んでいた。
 仏教に関して言えば、現在インド仏教を率いているのは佐々井秀嶺なる日本人僧である点付け加えておく。彼や彼の取巻き曰く、彼らの改宗推進運動(指定カースト者を、上位カーストに支配されるだけの生活から解放する)によって、今やインドの仏教徒は1億人いると言う・・・まぁ、流石にこの数字は誇大表現に過ぎるけど、資料の記している数百万人っていう少なさでも無いんじゃないかとも思う。

 日常、異なる宗教にも関わらず、仲良くやっているように見える彼らだが、御互いの宗教を軽視する言動が見られることもある。
 僕らとしては、ふぅんと軽く流すより他に無いのだが。
 でも、爆破テロが起きたからといって、犯罪となんら関わりの無い、街のイスラム教徒たちに危害が及んだりといったことは無く、基本的にはインド人は民族問わず平和な民族ではないかと思う。

宗教やカーストに関する過去の日記:
 インドの交通事情
 カースト カースト カースト
 デリー郊外の農村へ
 インド農村行政の実態
 ヴァラナシでのホームステイ
 インドの祝祭日の考え方
 州境の村の実態
 インドのNGO事情
 ラクナウでアンベードカルについて考える


風土・文化の違い
 これは、僕の過去の旅行記を読んでもらうのが一番良いが、東西南北、気候も違えば食文化も違う。基本的には、水の多く出る州(ヒマラヤ山系の水脈のある北部諸州や大きな川を持つ州など)は豊富な農作物生産能力を背景に裕福で、その逆もまた然り。
 また、インドでは州によってある程度自治が認められているので、州ごとの所得も恐ろしく差があり、州民の生活にもおのずと格差が生じている。
 南に行くと教育水準が高く、北東に向かう程低くなる(一部例外あるが)。


氾濫する間違った情報
 最後になるが、これからインドにいらっしゃる駐在員の方々へ。

  「日本に氾濫する前向きなインド情報は信じないで下さい」

 僕が昨年インドに来ることが決まったとき、アマゾンで「インド」で検索してヒットしたビジネス関連書籍は僅かに数冊だった・・・殆どは、バックパッカーの旅行記みたいな本だった。
 それが今や、検索ヒット数300件弱・・・凄い熱狂振りだ。

 いくつか取り寄せて読んだが、ハッキリ言って「ウソばっか」である。

 想像するに、取材記者が日本から飛行機でブ~ンと飛んできて、数日間でデリー・ムンバイバンガロールハイデラバードあたりを周遊して、日本企業誘致に躍起な政府要人・インド企業家とのインタビューを済ませて帰国・・・こんな感じで書かれた記事じゃなかろうか・・・。
 彼らは、湯はおろか水の出ない一般旅館、1日16時間停電する一般住宅街、都市部から数km離れた極貧農村などに行っただろうか。
 勝手に業務終了して乗客を強制的に降ろす市バス、自分の手数料が入る宿・土産屋にしか行かないオートリクシャーに乗っただろうか。

 最近、人口爆発による労働人口増加を記す記事をよく目にする。
 だが、人口が増えるのは、「労働したくても職の無い人たち」だ(農村に行ったときの日記参照)。

 ITシリコンバレーがあるかと思えば、僕らが自宅にインターネット回線(しかもナローバンド)を引き込むのに1ヶ月かかる現状がある。

 バカ売れする自動車の脇には、1回の給油代金>月収の貧民が道端で寝ている。


 ・・・僕は、生来明るい性格だが、この国を見ていると、明るい話題よりも深刻な課題の方がどうしても目だって見える。
 
 我々世界第2位の経済力を持った国の企業の駐在員がインドで出来ることって何なのか・・・あと1年の滞在期間で答えを探し、成果を出したいを思っている。
by bharat | 2006-06-26 10:30 | 自己紹介など
第68回旅行は、見事な石窟寺院が残るバーダーミ
e0074199_354934.jpg バンガロールの北500km、かつての王都バーダーミ(Badami)がある。


チャールキヤ朝の都
e0074199_424257.jpg あまり、知られていないバーダーミだが、元々は王国の都が置かれていた由緒ある場所。
 6~7世紀、デカン高原一帯を治めたチャルキヤ王朝の都がここバーダーミ。
 地形は特徴的で、市街地の脇にアガスティヤティルター(Agastyatirtha)人造湖、その周囲三方を切り立った崖が囲んでいる。


どうやって行くか??
e0074199_426310.jpg 見どころの多い町バーダーミだが、どうやって行くかが悩みどころ。
 人口2~3万人の町に当然空港は無い。
 町の中心地から数km離れたところに鉄道の駅があるが、特急停車駅では無い。
 残るアクセス手段はバス。
 マイソールバンガロールとの間で、定期的に高速バスが通っている。夫々12時間くらいかかる。・・・そしてバスはオンボロである。
 因みに、僕はハンピからタクシーで入り(約5時間、2,000ルピー(約5,200円))、帰りは高速オンボロバスでバンガロールに帰った(約12時間、357ルピー(約930円))。帰りは安上がりだったが、結構タフ。

 この町の見どころは、大きく分けて3つ。
 「石窟寺院」、「水辺の寺院」、「崖の上の砦・寺院」だ。

石窟寺院

 町の南側の崖の側面を掘って造られた石窟寺院。
 6世紀頃に出来たとされ、南インドの石窟寺院としては最古のもの。
 このスタイルが、その後世界遺産のアジャンタエローラに伝播したと言われている。
 ここにあるのは、全部で4つ。

第1窟
e0074199_6252218.jpg 向かって一番右側のこの石窟は、シヴァ神を祀っている。
e0074199_23582389.jpge0074199_23584128.jpg入口の脇の彫刻は、躍動感のあるナタラジ像(シヴァ神踊りバージョン)、内部にはシヴァ神の長男坊スカンダ(孔雀に乗っているのが特徴)。
e0074199_00371.jpg中には、とぐろを巻いたヘビの彫刻も登場するが、これのナーガ神というれっきとした神様。
e0074199_04632.jpgそして、本堂にはシヴァのリンガ(男根)。


第2窟
e0074199_045786.jpg 第2窟は、ヴィシュヌ神を祀っている。
 勿論、ヴィシュヌ神の彫刻がそこかしこにあるのだが、彼の化身もいくつか登場する。
e0074199_2293574.jpg ヴィシュヌの第3化身のマツヤ(魚)。
 その昔、賢者マヌが川で釣りをしていたところ、その手に自分から乗っかってきた魚が、命乞いをするので、生かしておいてやったところ、みるみるデカくなり、家で飼えないので海に放流した。
 すると、魚はヴィシュヌが姿を変えた仮の姿で、こう忠告した・・・「7日後に大洪水が来るから、あらゆる生き物のつがいと7人の聖仙を大船に乗せろ」と。
 で、案の定、洪水で世界が水没したけど、マヌ一味は助かった。
 ・・・ビックリするほど、ノアの箱舟の話に似てるな・・・なんか関係あるのだろうか・・・?
e0074199_312447.jpg これは、第5化身ヴァラハ(イノシシ)。
 賢者マヌが、水沈した世界を救うべくヴィシュヌに祈ると、彼の鼻の穴からウリ坊が飛び出してきた。巨大化したウリ坊(イノシシ)が、水に飛び込み、牙で沈んだ大地を持ち上げ、世界を救った。

第3窟
e0074199_3504628.jpg ここも、ヴィシュヌ神を祀っている。
e0074199_4275152.jpge0074199_4285145.jpg まず飛び込んでくるのが、この特徴的な彫刻。
 通常、ヴィシュヌはヘビの上に寝そべっているのだが、この彫刻は片ヒザを付いて座っている。
 これは、この格好が、当時の王様の立居振舞いだったらしく、彫刻もその格好にさせたのだそうだ。
e0074199_4473568.jpg この石窟にも、ヴィシュヌ神の化身がいる。
 これは、第6化身のヌルシンハ。関連エピソードはコチラ

第4窟
e0074199_5391369.jpg 他の3つの石窟と同じ外観だが、この寺院だけジャイナ教。
 11~12世紀に作られた。
e0074199_5473594.jpg 中には、衣類を纏わないジャイナ教祖師ティールタンカラの像が。

作成途上の石窟
e0074199_16381085.jpg 第2窟と第3窟の間には、作成途上の石窟がある。
 これは・・・仏像!?
 なんと、仏教信仰も行われていた。



人造湖周辺のヒンドゥー寺院
 アガスティヤティルター(Agastyatirtha)人造湖の周辺にも、見応えのあるヒンドゥー寺院がいくつかある。

ヤッランマ(Yallamma)寺院
e0074199_65449.jpg 湖の西側に位置する寺院。
 11世紀頃の建立。

ブータナータ(Buthanatha)寺院
e0074199_6135044.jpg 同じ名前の寺院が、湖の北側と東側に2つ存在する。
 これは、北側のもの。
e0074199_616238.jpg で、これが東側のもの。
 こっちの方がズッと凝った立地と作り。
e0074199_6321896.jpg この寺院、本堂部分とその先の部分とで、建てられた時代が違うらしい。
 その証拠に、こんな不自然な柱の連続が。
e0074199_6382550.jpg また、この寺院の裏の岩壁には、彫刻の下書きが残っている。
 見っとも無いというか、人間らしいというか・・・他の遺跡でこんなの見たこと無い。
e0074199_6403615.jpg 更に奥には、小~さな祠が。
 中には、結構立派なヴィシュヌ神の彫刻が彫ってある。
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未成年禁止(?)の博物館
e0074199_6525453.jpge0074199_6532296.jpg アガスティヤティルター(Agastyatirtha)人造湖の北側にある博物館。
 何の変哲の無い彫刻などに交じって、スゴいものが陳列されていた。
 なんと、女性の局部のドアップの彫刻。館内写真禁止なので、画像は書物から取ってきたものだが、正にこんな感じだった。
 万物創生を意味する女性器を信仰対象としていたので、こんな彫刻が当時作られたのだと言う。
 ・・・因みに、未成年も入館可。


北要塞地区
 バーダーミは、崖全体が要塞になっており、チャールキヤ朝のあとも、代々この要塞に手を加えて、防御拠点とした。
e0074199_16345121.jpg 前述の石窟の上部にも城壁が残る他、
e0074199_16354236.jpg北側には頑丈な城門や城壁、砲台、寺院などが残っている。

ハヌマーン寺院
e0074199_1643112.jpg 人造湖の東の端から道なき道(石段)を上っていくと、粗末なハヌマーン寺院が。
 ハヌマーン(猿神)だけあって、サルの巣窟と化しており、長居は危険。
上のシヴァラヤ(Upper Shivalaya)寺院
e0074199_16482432.jpg 丘を上りきると、同じ名前の寺院が2つ。
 これは、上にある方。
 柱は無地だが、土台・壁には立派な彫刻が。
 7世紀頃の建立。
下のシヴァラヤ(Lower Shivalaya)寺院
e0074199_16543990.jpg これは、丘を少しだけ下ったところにある。
 小さな作りで、元々は文字通りシヴァ神を祀っていたが、途中からガネーシュ神を祀るようになった。
 ・・・まぁ、親子だからいいのかな?
砲台
e0074199_165833.jpg 恐らく、中世になってから、建てられたもの。
 南インドの群雄割拠を乗切るべく、敵からの防御に最適なこの丘の上に設置したのだろう。




オススメ度(100%個人主観)

   ★★★★☆ ・・・ 寺院あり、要塞あり、面白い博物館あり。

観光所要時間

   3~4時間
by bharat | 2006-06-12 10:30 | インドぶらり旅
第67回旅行② 世界遺産の古都ハンピ
e0074199_4574217.jpge0074199_4575818.jpg 広範囲にわたり、ヴィジャヤナガル王国の遺跡が残っている古都ハンピ。
 観光も長期戦覚悟で。
 ここから後半戦。
 前半の様子はこちら


王宮地区
 遺跡群の中央に位置し、保存状態の良い建物が並ぶ。

プラサンナ・ヴィルパークシャ(Prasanna Virupaksha)寺院
e0074199_4473346.jpg 別名、地下シヴァ(Underground Shiva)寺院。
 文字通り、地表を10mくらい掘り下げた底部に寺院が配されている。
e0074199_4505021.jpg 14世紀頃に建立されたもので、本堂は未完の状態。
e0074199_4521891.jpg その証拠に、壁や柱の殆どは、彫刻が施されていない。
 何故、完成を見ずに終わったのか・・・。
e0074199_4541049.jpg 本堂脇には、丁寧な彫刻の入った小さな建物がある。
 これは、本堂の数世紀前に建てられ、礼拝あるいは婚礼に使用されていたとされている。
 建物内部の中央奥部には、高砂席のような台がある。


ロータス・マハル(Lotus Mahal)
e0074199_5375771.jpg 城壁に囲まれたゼナーナ区画(Zenana Enclosure)の中に位置する。
 この中に入るには、別の入場券が必要。
 蓮の宮殿と呼ばれるこの建物は16世紀建立。
 多少の手直しをしたのだろうが、保存状態は良い。
 土台部分はヒンドゥー建築、建屋はイスラム建築になっており、屋根の形状や天井のデザインから「蓮」の名が付いたと思われる。


象舎(Elephant's Stable)
e0074199_6122924.jpg 15世紀建立。
 当時の貴重視されていた象を管理していた建物は、内部こそ装飾が無いものの、屋根は立派なイスラム建築。

e0074199_6315143.jpg 象舎の脇には恐らく後付けと思われる建物があり、中にはガネーシャ像が。



ハジャラ・ラーマ(Hajara Rama)寺院
e0074199_3334963.jpg ラーマチャンドラ(Ramachandra)寺院とも呼ばれる。
 王宮地区の中央に位置する、巨大な寺院。
 1513年、クリシュナデーヴァラーヤ王が建てたとされ、礼拝堂として使われた。
e0074199_3541114.jpg 本堂内部の彫刻が細かく綺麗なのは勿論なのだが、彫り方が少し変わっている。
 対象物の周囲を彫り下げることによって、対象が浮き上がって見える。
e0074199_4222753.jpg 外壁の彫刻も同様の手法。ヒンドゥー神の彫刻が並ぶ。
e0074199_4275495.jpg 彫刻の中には、ヒンドゥー神ヴィシュヌの第9化身としてちゃっかりブッダも。
e0074199_4413357.jpg こちらは、ゾウ・馬に加え、音楽隊が段々に彫られていて、楽しげな雰囲気。
e0074199_4515822.jpg 尚、この日、たまたま映画の撮影をしていた。
 バックダンサーたちが撮影の合間に休んでいた。

マハナヴァミ・ディッバ(Mahanavami Dibba)とその周辺施設
e0074199_526133.jpg 王宮地区の北東に位置する。
 高さ約8m、高砂の面積は35㎡。
 王が、格闘技や舞踏を観覧するのに使用されたと言われる。
 16世紀に建てられた。
e0074199_5283335.jpg なるほど、ここからならあたりを一望出来る。
e0074199_532792.jpg 保存状態があまり良くない周辺の地べたには、こんなものも。
 ターリー(インド大皿料理)を振舞ったのだとか。

プシュカラニ(Pushkarani)
e0074199_5351658.jpg 上の写真奥に見える水路を伝って、最後はこの溜池に。
 しっかりした水道設備があったわけだ。
 この階段井戸と呼ばれる独特の形状は、インド中で散見され、なかでもアーメダバード(Ahmedabad)にあるものが秀逸だ。
e0074199_538117.jpge0074199_5383357.jpg これらの遺跡の脇に、こんなものが。
 観音開きの巨大な石製扉だ。
 良く出来ている。

女王のフロ(Queen's Bath)
e0074199_5413741.jpg 文字通り、時の女王が使用していたフロ。
 フロと言っても、プールのようになっており、プールの周囲には回廊があり、プールにせり出した小部屋には、女王を退屈させない様に、召使いが唄や音楽を流し続けたという。
 水源は、上に記した水路からひいてきた水。



ヴィッタラ(Vittala)寺院
 ハンピの北端に位置するトゥンガバドラー(Thungabadra)川の近くに、地域最大のハイライトが存在する。

e0074199_5533090.jpg クリシュナデーヴァラーヤ王が1513年に建てた。
 未完だったいうが、その丁寧・精緻な彫刻は見応えがある。
e0074199_5592334.jpg 面白いのが、これ。
 一見、装飾の凝った石柱なのだが・・・
e0074199_602012.jpg 裏ケンで叩くと、キンキンカンカンと綺麗な音が出る。
 しかも、全部音程・音色が異なり、そこらじゅうの石柱を叩くだけで、大層な音楽を奏でたような感じになる。
 是非御試しあれ☆
 (但し、現地ガイドを雇って、彼に警備員を説得して貰おう。単独で叩こうとすると、警備員に止められる。)

これも、他に無い一品。
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e0074199_6102533.jpg 京都の祭りに出てくるような、山車がドドォ~ン。
 至るところに彫刻が施され、ガルーダ神がメインになっている。
 今は動かないが、当時は祭りのたびにゴロゴロ走り回っていたらしい(勿論、人力でね)。
 近くのアイスクリームの屋台にも、山車のイラストが。

キングス・バランス(King's Balance)
e0074199_6133597.jpg 見た感じ、ただの門に見えるが、左にあらず。
 門の上からヒモを吊るし、棒を渡し、天秤を作る。
 で、一方に王様が、他方に金銀財宝を吊るしてバランスを取ったんだと。
 ピッタリになったところで、民衆がワァ~っと騒いで盛上げる。
 金銀財宝は、民衆にバラまかれたという。

オマケ
e0074199_6211492.jpgトゥンガバドラー(Thungabadra)川沿いの寺院(名前不明)の脇の風景。
 御参りではなく、水遊びしてた。



オススメ度(100%個人主観)

    ★★★★☆ ・・・ 見どころたくさん、一度行くべし

観光所要時間

    3時間~4時間 ・・・現地ガイドを雇って効率良く周ってもかなり時間要する
by bharat | 2006-06-11 10:30 | インドぶらり旅
第67回旅行① 世界遺産の古都ハンピ

(画像が多いので2部構成とした)

マイソールから深夜バスで10時間、目指すべき場所の最寄駅ホスペット(Hospet)へ。
 ここからタクシーで約15分で、目的地ハンピ(Hampi)へ。

南インドの大国ヴィジャヤナガル

e0074199_6462633.jpg ハンピは、ヴィジャヤナガル(Vijayanagar)王国の都があった場所。
 ヴィジャヤナガル王国は、14~16(17)世紀に南インド一帯を支配した、ヒンドゥー教最大の王国だ。
 1336年に始まり1680年に滅ぶまで、4つの王朝がこの王国の支配者となった。古い順から、サンガマ(Sangama)朝で1336~1486年、サルワ(Saluwa)朝で1486~1503年、トゥルー(Tulu)朝で1503~1569年、アラヴィドゥ(Aravidu)朝で1572~1680年。最後の王朝は首都の場所が違うので、前の3王朝のみをヴィジャヤナガル王国にあてて説明することもある。
 この間、22人の国王が誕生したが、最も偉大な名君と謳われるのは、トゥルー朝2代目のクリシュナ・デーヴァラーヤ(在位1509~29年)。彼は強大な軍隊を持ち、外敵から領民を守っただけでなく、農業推進、商取引も盛んに進めた。文芸にも優れ、テルグ語に加えてサンスクリット語も自在に操った。

ヒンドゥー教徒が賑わう王都
e0074199_714182.jpg
 そんな王国の都だったハンピには、ヒンドゥー教徒が集う寺院群や、盛んな商取引があったことを示すバザールの跡が数多く残る。

ヘーマクータの丘(Hemakuta Hill)
e0074199_21202214.jpg ハンピの寺院群の中央西部にある丘。
 9世紀~14世紀にかけて建てられた寺院の数は、大小30にのぼる。

 この丘から、ふもとにある大きなゴープラム(塔門)建築様式の大寺院が見える。


ヴィルパークシャ(Virupaksha)寺院
e0074199_21263890.jpg 15~16世紀に建立された大きな寺院。
 ヴィルパークシャは、シヴァ神の化身。
 寺院の中には、リンガ(男根)やシヴァ神の乗物の牛ナンディの壁画、置物がそこらじゅうに見られる。
e0074199_21291092.jpg まず、入口のゴープラムをくぐって中に入ると、足元にこんなものが。
 珍しい、3つのアタマを持ったナンディ像。
 地元民曰く、インドで唯一で、縁起物なのだと言う・・・ホントか?
e0074199_21325652.jpg 中に進むと、ゾウがいた。
 ゾウの前に、参拝者の列が出来ており、賽銭と引換えにゾウの鼻でアタマをなでてもらっていた。
e0074199_2137151.jpg 本堂の前には、再び大きなナンディ像が。今度は、体ごと3体の姿。



マスタード・ガネーシュ
e0074199_21541771.jpg ズングリした石像がマスタードの実(Sasivekalu)の形状に似ていることから、この名が付いている。
 2mくらいの距離までしか近づけないのだが、なかなか温かい雰囲気の丸い彫刻だ。
e0074199_21543994.jpg この彫刻、 なかなか洒落っ気があり、前から見るとガネーシュなのだが、後ろに回ると母親のパールヴァティの姿があり、母が息子を後ろから抱きかかえているように見えるのだ。


バザール跡
e0074199_31936.jpg このあたりの至る所に、このような遺跡がある。
 ヴィジャヤナガル王国の盛んな商業政策を示す、貿易の拠点。

クリシュナ(Krishna)寺院
e0074199_3163268.jpg トゥルー朝の名君クリシュナ・デーヴァラーヤ(在位1509~29年)が、1513年に建立したもの。
 オリッサ州のラトナギリから持ってきたものだという。

バダヴィリンガ(Badavilinga)寺院
e0074199_5114972.jpg 黒御影石の一枚岩で出来た巨大なリンガを祀っている寺。
 高さは実に3m。

ラクシュミ・ナラシンハ(Lakshmi Narashimha)寺院
e0074199_5202639.jpg バダヴィリンガ寺院の少し奥には、この巨大石像を祀る寺院。高さ6.7m、これまた1つの岩で出来ている。
 ナラシンハは、ヴィシュヌ神の第6化身。ヒザのバンドは、ヨガ修行のためのものと思われる。

e0074199_5414918.jpg 周りの鉄製柵も、ナラシンハ柄・・・結構凝っている。





ハンピ旅行後半の様子は、コチラ

by bharat | 2006-06-10 10:30 | インドぶらり旅
第66回旅行は、世界一の珍宝を拝めるサラバナベルゴラ
e0074199_5205987.jpg マイソールを北に車で30~40分、何やら大きな建造物が乗っかった小高い丘ヴィンディヤギリが見えてくる(見にくいが、写真左の丘に背の高い人工物が建っている)。

 ジャイナ教(こちら参照)の聖地サラバナベルゴラ(Sravana Belgola)・・・インドの中でも最も行きたかった場所の1つだ。


ジャイナ教の最も聖なる地
 ジャイナ教は、紀元前6世紀、北インドのビハール州において聖人マハーヴィーラによって開かれたと言われている。
 ところが、紀元前3世紀頃、北インドで大飢饉が発生、聖人バドラバーフ率いる一行はこの地に逃れてきた・・・と、ここまでなら、ここが最も聖なる地になる確固たる理由にはならない。
 真偽の程は分らないが、このバドラバーフ一行の中に、マウリヤ王朝のチャンドラグプタ王もいて(彼は不可触賤民階級の出だったと言われている)、この地サラバナベルゴラで非殺生を追求して断食し、そのまま死んだという話があるのだ。
 それ故、サラバナベルゴラは教義を死ぬまで追求した殉教の地、聖地となったのだ。

聖人への遠き道のり
e0074199_4383143.jpg ヴィンディヤギリの丘陵のふもとには、参道のスタート地点が。
 周辺には、土産屋、靴預け場、休憩所などがあり、そこに参拝者がワラワラとたまっている。
e0074199_4384863.jpg 裸足で、歩きにくい階段を昇っていく。
 恐らく、700~800段くらいあると思われるが、炎天下&裸足はかなりシンドイ。


寺院コンプレックス
 丘の頂上部は、寺院群になっている。

オデガル・バスティ(Odegal Basti)
e0074199_4563947.jpg 説明書きには3層構造とあるが、実物は2層しかない。14世紀に建立されたものらしい。
e0074199_5122826.jpg 内部には、黒御影石の坐像が安置されている。

チェンナンナ・バスティ(Chennanna Basti)
e0074199_519894.jpg 16世紀、チェンナンナという人が建てた寺。中には石像が安置されている。
e0074199_5304853.jpg 寺院の脇には灯篭のような石塔が。

世界最大のチ○チ○
e0074199_548244.jpg 寺院群の最奥には、巨大像を囲む建造物が。
 そして、中に進むと、いよいよ聖なる巨大立像が!


 と、いきなりドォ~~ン!!!
e0074199_60266.jpg
 丁度と言うか何と言うか、建物の構造上、視界にまず入ってくるのは、巨大な珍宝。
 呆気にとられる間もなく、中に進む。


 ついに全体を拝める位置に。
e0074199_5592939.jpg
 高さ17.5m、なんと花崗岩の1枚岩で出来ている。981年に作られた。
 モデルになっているのはジャイナ教のティールタンカラ(祖師)の息子バーフバリ・ゴーマテーシュワラ。
 また、この出で立ちにも深いワケが。
 まず、教義の1つ「非所有」を表すため、全裸。
 徳のある証拠として、福耳に長~い腕。
 1箇所で長いこと瞑想してた証として、足には蔦が絡み付いている。


 像の周りには、建築現場の足場のようなものがあり、アタマの上から水やら牛乳やらをかけられるようになっている。下は、赤い液体をかけているところ。
e0074199_6205427.jpg



 巨像の足元には、液体を浴びながら大喜びする教徒たちが。
 ちょっと異様な光景・・・。
e0074199_6292935.jpg




オススメ度(100%個人主観)

   ★★★★★ ・・・ こんなトコロ、世界中どこにもない!?


観光所要時間

  2時間~3時間
by bharat | 2006-06-09 10:30 | インドぶらり旅
第65回旅行は、マイソールと英国の激戦地スリランガパトナム
e0074199_5271394.jpg マイソールから北に15km、マイソール王国と英国が激戦を交えたスリランガパトナムがある。

巨大な城塞都市
 スリランガパトナムは、カウヴェリー(Cauvery)川の本流と支流に挟まれた中州に位置しており、天然の要害の様相を呈している。
 この城塞都市は、マイソール王国(詳細こちら参照)のハイダル・アリー、ティプー・スルタンが造った活動拠点で、城壁に囲まれた内部には、王宮や寺院等の施設が配された。

ダリヤ・ダウラト・バーグ(Dariya Daulat Bagh)
e0074199_3575852.jpg 「海の恵み」を意味するこの建造物は、ティプー・スルタンが1784年に建てたもので、夏季限定の王宮として使用された。

e0074199_4363845.jpg 建物の造りは、
バンガロールのティプー・スルタン宮殿に似ており、風通しの良い構造。
e0074199_4371020.jpg 内部は通常カメラ撮影禁止なのだが、特別に許可を得て撮影。
 内壁は、当時の王族の生活を鮮やかに描いており、塗料の色はそんなに色褪せていない。
 中の小部屋には、当時の王族の衣類や持ち物などが陳列されている。


グンバズ(Gumbaz)
e0074199_5314534.jpg ダリヤ・ダウラト・バーグから東に2km、たくさんの墓石に囲まれたイスラム建築物が現れる。

 グンバズと呼ばれるこの丸いドーム屋根の建物は、ハイダル・アリーが1784年に没した後に、その子ティプー・スルタンが父の死を偲んで建てたものだ。
e0074199_5362698.jpg その後、ハイダル・アリーの妻ファクル・ウン・ニサとティプー・スルタン本人もここに埋葬され、本堂中央に安置されている。

ジャミ・マスジッド(Jami Masjid)
e0074199_543531.jpg これも、城壁内に建てられた施設で、ティプー・スルタンが1787年に建立したものと言われている。


ティプー・スルタン戦没碑
e0074199_545399.jpg ティプー・スルタンが1799年の第4次マイソール戦争で戦死した場所・・・らしい。


英国捕虜の牢(Colonel bailey's dungeon)
e0074199_60522.jpg これは、マイソール王国軍が、捕らえた英国兵たちを監禁した牢獄。

e0074199_682985.jpg 牢獄内部は間仕切りが無く、内壁には多くの突起が。
 これは、捕虜の腕を固定するためのもの。
 その場にいたガイドらしき人が実演してくれた。


ランガナータ・スワーミー寺院(Ranganatha Swamy Temple)
e0074199_6222167.jpg この巨大寺院は、894年に建てられて以降、ホイサラ王朝やマイソール王国によって拡張され、現在の規模になった。
e0074199_6543252.jpg 南インド特有の建築形式であるゴープラム(塔門)をくぐると、ホイサラ様式(こちら参照)の建物が出てくる。
e0074199_745334.jpg 本堂に至る通路の途中には、総金箔貼りのガルーダ(背中に翼を持った神)像と
e0074199_743419.jpgナーガ(蛇)像がどど~んと鎮座する。
e0074199_754314.jpg 本堂の最奥には、蛇の上に横たわるヴィシュヌ神の像が安置されている。
 写真のものは、寺院入口にある小さなレプリカ。
 これは、ここを治めていた名君ティプー・スルタンのために作られたもの。
 彼は、イスラム教徒であったが、宗教に対しては非常に寛容で理解力があり、ヒンドゥー寺院への参拝も希望した。民衆も彼を非常に尊敬していたので、この寺院を参拝したくても出来ない(当時はヒンドゥー教徒以外は入れなかった)君主に対してこのレプリカを入口に置いて、拝んでもらったのだという。
e0074199_7105942.jpg 寺院の外には、木製の山車が置いてあった。
e0074199_7104793.jpg なかなか見事な彫刻が施されたこの物体は、年に1回開催される祭りの際、周囲をゴロゴロ走るのだという。


地元民憩いの大庭園 ヴリンダーバン
e0074199_521652.jpg ヴリンダーバン・ガーデンは、ピクニックを楽しむ地元民で大盛況だった。
e0074199_524733.jpg ダムの堤防沿いに配されたこの公園は、デリーで年に1回だけ公開されるムガル・ガーデンに似た造り。イギリス様式の芝生と噴水を組み合わせた、綺麗なデザインだ。
e0074199_543852.jpg 敷地内にあるホテル・マユーラカヴェリは真っ白で清潔感のある建物。


オススメ度(100%個人主観)

   ★★★☆☆ ・・・ マイソールからの日帰り旅行先にはもってこい

アクセス

   タクシーでマイソールから約30分


by bharat | 2006-06-08 10:30 | インドぶらり旅
第64回旅行は、ホイサラ建築が綺麗に残るソームナートプル
e0074199_5405388.jpg マイソールから東に車で1時間、ソームナートプル(Somnathpur)という小さな村に着く。
 地元のタクシー運転手も迷ったこの村には、特異な姿をしたヒンドゥー寺院が綺麗な形で残っている。


ホイサラ建築様式
 12~13世紀、この一帯を治めたホイサラ王朝は、ヒンドゥー教美術に多大な、そして独特な影響を与えたと言われている。
 その全ての要素は、ホイサラ建築と呼ばれる建築様式で建立されたヒンドゥー寺院に凝縮されており、ここソームナートプルや、ベルール(Belur、マイソールの北西140km)、ハレービード(Halebid、マイソールの北西155km)などでこれを見ることが出来る。

 写真は寺院の説明の部分で記載するが、この建築様式の主な特徴としては...

① 本堂の建つ土台部分が星型にデザインされている。
② 本堂に続く階段の両脇に、小さな御堂がある。
③ 柱は、下部が正方形、中~上部は円形を積上げた形状。
④ 神像を祭る堂の天井も、外部からは小さな円を積上げたようになっている。
⑤ 彫刻がとても精緻だが、頭身バランスはマンガっぽい(5頭身くらい)。

ホイサラ建築の集大成
e0074199_5484883.jpg
 1268年に建立されたこのケサヴァ寺院(Kesava Temple)は、ホイサラ王朝の最盛期に出来たもので、芸術的には集大成と言われている。

e0074199_5214413.jpg 御堂の外壁は、精緻なヒンドゥー彫刻でビッシリ。
 ホイサラ王朝の彫刻だが、その細かさは、カジュラホの寺院や、デリーのアクシャルダーム寺院アーメダバードの階段井戸にも通じるものがある。
e0074199_5392417.jpg

e0074199_5441720.jpg 建物内部の柱は、とても特徴的。
 何層ものレイヤーが重なったデザインは、今まで見たことが無いもの。

e0074199_5505831.jpg 本堂には、古いクリシュナ像が収められている。
e0074199_5512917.jpge0074199_551424.jpg 左右にはクリシュナ像なども安置されている。
 


オススメ度(100%個人主観)

   ★★★★☆ ・・・見応え有り、バンガロールからアクセス良し


by bharat | 2006-06-07 10:30 | インドぶらり旅
第63回旅行は、藩王国の都マイソール
e0074199_5394145.jpg バンガロールのバスターミナルの定期バス(1時間に1本、料金はRs110くらいだったかな)に乗って約2時間半、南西140kmほど行ったところに、マイソールがある。

 人口80万人前後の中規模の都市だが、見どころは多い。



マイソールの歴史

 バンガロールのくだりでも触れた通り、この一帯は、マイソール王国が治めていた。
 マイソールの呼び名自体は、水牛の頭をもった悪魔マヒシャースラに由来し、それをチャームンディー女神が退治したという神話がある。この女神を祀った寺院には今も多くの参拝者が訪れている(詳細後述)。

 16世紀あたりまでは、マイソールは地方豪族の中心都市として栄え、その後ウォデヤール家
が取って代ると、1610年にその都はシュリランガパトナムに移された。その後、支配者がハイダル・アリー、ティプー・スルタン親子に代わってもマイソールが王都になることは無かった。

 現在の街並みの姿になったのは、第4次マイソール戦争(1799年)が終結した後、英国がここを王都と定めてからだ。英国風建築の初期のものは、この時期に建てられたものだ。

 その後1831年の農民大反乱を理由として、マイソールは一時その統治権を藩王から英国政府に譲った。バンガロールに首都機能が移転したのは、このときだ。その後統治権は1881年に戻され、時の藩王が新たに英国建築をベースにした都市計画を実行、競馬場やその周辺の建築群を建てた。
 1930~31年には、英国の著名な建築家E・F・フリッチレイによってラリタ・マハル(後述)が建築され、時の藩王が宮殿として使用した。


行列の出来る女神寺院チャームンデーシュワリー
e0074199_1131244.jpg マイソール市街地を離れ、南東方面に行くと、小高い丘が。
 雇ったオートリキシャーが、歩いた方が早いくらい速度になりながら、丘の道を登ること20分、頂上に到着。後になって調べてみると、標高1,062mもあるそうで、タクシーで行った方が良かったようだ。

e0074199_6174970.jpg 頂上に着くや、目に入ってくるのは、立派なゴープラム形式のヒンドゥー寺院。
 チャームンデーシュワリー(Chamundeshvari)寺院と呼ばれるこの寺院は、先ほど書いたチャームンディー女神を祀った寺院で、17世紀に建立、19世紀前半に改築された建物だ。

e0074199_11112857.jpg 早い時間だと言うのに、寺院入口からは長蛇の列が。
 皆、御参りの為に並んでいた。
 リキシャのおっちゃんに、2時間くらい並べば中に入れるよと言われ、入場を断念。
 周囲をぐるっと散策した。



巨大ナンディー
e0074199_1126527.jpg チャームンデーシュワリー寺院からマイソール市街に戻る道中、丘の中腹あたりからもう一方の道を進むと、眼下に綺麗な緑の平地が見えてくる・・・マイソール競馬場が。
 英国植民地だったインドで、競馬場を見ることはそんなに珍しくない。このマイソール競馬場ほど綺麗じゃないが、デリーにも競馬場があり、たまに賑わっていることがある。耳に赤鉛筆を指したおっちゃん達がいないので、馬券を売り出しているかどうかは定かではない。

e0074199_11272288.jpg さらに進むと、バカでかいナンディーが出現。
 単一の黒い御影石で出来たこのナンディーは、全長7.5m、全高5mと超巨大。インド全土でも有数のデカさを誇る。因みに、飼い主のシヴァはどこにもいない・・・基本的には放し飼いなのか。

e0074199_1130553.jpg 司祭にこのナンディーの興りを聞くと、「ある日突然、地盤の一部が隆起し、ナンディーの形になった」んだそうだ。
 ほ、ほぉ~...それは凄いって、そんな訳無いのに。実際は1659年に設置されたものらしい。



藩王の宮殿

 英国の支配下、統治権を認められた藩王のための宮殿が、現在も綺麗に残っている。

ラリタ・マハル(Lalitha Mahal)
e0074199_1156193.jpg 前述した通り、1930~31年に建てられた藩王の離宮。
 現在もホテルとして現役で機能しており、宿泊費は$150~200ととても高い。


アンバー・ヴィラス宮殿(Amba Vilas Palace)
e0074199_4153075.jpg 市街地の南東部に位置する城壁に囲まれた宮殿・城郭設備の一部を構成する、巨大な宮殿。
 通称マハラジャ宮殿。
 1897年、ウォデヤール家によって建設され、一度火事で焼失するが、1912年にイギリス建築家設計により再建築された。
e0074199_4434445.jpg 内部へは、靴を脱がねばならず、カメラ撮影も禁止。結構、警備が厳しい。外部からは写真撮影オッケイなのだが、警備員に見られると預けさせられるので、この3枚の写真はコッソリ撮ったもの。
 それでも、入口のチケット売場でめざとくカメラを発見された。その場で交渉して、20ルピー払って入れてもらった。
e0074199_452153.jpg 内部には、使用当初の装飾品やインテリアが所狭しと陳列されていて、なかなか充実している。
 当日は、物凄い人の入りだったのだが、インド人と僕とでは、ジックリ見たいものが違うみたいだ。おぉ、これは!と思って陳列物を凝視していると、後ろから早く行けとばかりに詰めてくる。。。と、今度はサクサク進みたいところでは、インド人たちが群がって何かを見ていたり。


聖ジョセフ聖堂
e0074199_6135024.jpg 聖フィロメナ教会とも。
 今も礼拝者が多く出入りする教会。インド人のキリスト教徒が意外に多いことに驚いた。


香油の名産地
 ここマイソールは、香油の名産地。
 代表格は、サンダルウッド・オイル。サンダルウッドは、日本では白檀(ビャクダン)の名で知られている香木で、インド原産ともジャワ原産とも言われている。落着いた香りを放ち、茶道・香道でも使用される。
 香木には他に、沈香(ジンコウ)と呼ばれる沈丁花に菌が生育したものがある。ベトナム、カンボジア、インドネシアで取れ、樹齢や自然条件など諸条件が整わないと取れないという。中でも、ベトナムの一部でしか取れないものは、伽羅(キャラ)と言って、昔から大変珍重された。今でも金より重量単価が高い。

e0074199_529228.jpg 香木に関しては、日本でも歴史的に繋がりが深い。
 一番古い記録は、595年の推古天皇治世期に、淡路島に漂着した香木が朝廷に献上されたとされ、この時期に伝説の香木「蘭奢待(ランジャタイ)」が日本に渡来したとされている(右画像)。
 また、8世紀中頃に渡来した鑑真は、経典とともに多くの香木(沈香)を持って来た。目的は、精神統一を助ける、今で言うリラクゼーション効果を狙ったものと思われる。
 8世紀末からの平安時代には、香は貴族の間のエチケットになる。香を焚いてその薫りを楽しんだことから、「薫物(たきもの)」と呼ばれた。家々で独自の香を練り合わせたり、デートのときの勝負服に薫りを付けたり、ラブレターを香で炙ったりしたことが、源氏物語や枕草子に書かれている。
e0074199_631680.jpge0074199_63511.jpge0074199_625532.jpg その後、鎌倉時代・室町時代・安土桃山時代に入って武士が台頭すると、トレンドは薫物から香木をそのまま楽しむことに移っていく。このときの流行は専ら沈香で、特に時の権力者は沈香の王様「蘭奢待(ランジャタイ)」を欲したと言う。足利8代将軍義政(銀閣寺を建てた人ね)、織田信長については、この一部を切り取ったという記録が残されている。
 江戸時代になると、香道が確立。
 明治天皇も蘭奢待の一部を切取ったという。
 

e0074199_610658.jpg さて、話をマイソールの名産品に戻すと。。。
 オートリクシャーのおっちゃんに、良い香油屋さんが無いかと尋ねると、何の変哲も無いコーラ屋さんへ。
 ところがこの店、奥に進むと、従業員部屋みたいな場所が香油調合に使われており、色々な香油を量り売りしてくれるのだ。筋肉疲労に効くサンダルウッドと、皮膚の荒れに効くというブラックジャスミンの2種を購入。小さな小瓶で、夫々5,000ルピー(約13,000円)くらいした・・・結構高かったが、雰囲気的にはホンモノっぽかったな。




オススメ度(100%個人主観)

   ★★★☆☆ ・・・御当地物が少ないインドにあって、香油は土産に良い♪


by bharat | 2006-06-06 10:30 | インドぶらり旅
第62回旅行は、インドブームの火付け役バンガロール
 今回は、カルナタカ(Karnataka)州を周遊。
 インド南西部に位置するこの州は、州都バンガロール(Bangalore)を中心とする州内南部と、州内北部で全く様子が異なる、興味深い地域だ。

 まずは、州都バンガロールから。

マイソール王国の英雄ティプー・スルタン

 バンガロールが歴史上脚光を浴びるようになったのは、そう昔ではない。

 1537年に、地方領主であったケンペイ・ガウダがこの標高900mの高原に城郭を築いたのが始まり。

e0074199_1725328.jpg その後バンガロールは、南西140kmに位置するマイソール(Mysore)王国の支配地となり、同国の王ティプー・スルタン(Tipu Sultan、1750生~99没、在位1782~99)が18世紀末にバンガロールの大整備を行った。

 このマイソール王国は、ハイダル・アリーとその子ティプー・スルタンの親子2代に亘る英雄譚が有名で、特に計4回にも亘ってイギリス東インド会社と戦ったマイソール戦争が際立っている。
 前の2回(第1次 1767~69、第2次 1780~84)はハイダル・アリー在位時に、後の2回(第3次 1790~92、第4次 1799)は、ティプー・スルタン在位時に行われたが、ティプー・スルタンは王子在位を含めると、全4回の戦争に参加している。

 ハイダル・アリーが権謀術数で乱世を潜り抜けたタイプだったのに対し、息子のティプー・スルタンは理想を掲げてイギリスと戦うタイプだった。
 父が一介の傭兵から王になったのに対して、ティプーは生まれながらの王であり、若くして帝王学を学び、敬虔なイスラム教徒、インドの複数の言葉、ペルシャ語、アラビア語も堪能だったという。イギリスに屈しない、また旧態依然としたムガル帝国に固執しない、中央アジアや欧州との独自の外交政策を軸としたアイディアを持っていた。
 イギリスとの宥和政策を採ることは考えず、近隣諸国がイギリスの軍門に下る中、徹底抗戦を完遂、フランスやトルコからの援軍を望めないことになり、近隣の大国ハイデラバードもイギリスに下ると四面楚歌状態となり、1799年の第4次マイソール戦争で玉砕、陣没する。

 彼が、今尚、父以上にフリーダム・ファイターとしてインド人から崇拝されるのは、上記の様な潔い生き様故と思われる。

e0074199_19533517.jpge0074199_19534542.jpg この親子の生き方、日本の真田昌幸・幸村父子と似ていないだろうか。1代で、武田家の家臣から大名にのし上がった策士昌幸と、徳川家に寡兵で挑んで「真田日本一の兵なり」と讃えられて戦死した幸村。何処の国にも、似た歴史が存在するものなのかも知れない。

 さて、話を戻すと、マイソール王国は19世紀に入り、マイソール藩王国として残存、元の支配者であったウォデヤール家が代々の藩王を務めた。彼らの行政手腕は高く、インド独立後も最後の藩王がそのまま最初の州知事になったほどだ。
 その後、言語をベースに州境が変更され、1956年にマイソール州、1972年にカルナタカ州となった。この関係で、現在もこの州の2/3はカンナダ語を話し、ウルドゥー語(10%)、テルグ語(7.4%)と続く。



市内の様子
e0074199_2032172.jpg 空港に着くと、プリペイド・タクシーでバンガロール市街へ向かう。空港と市街は10km弱離れているのだ。
e0074199_2052073.jpg 市内は活気付いており、英語の看板も多い。子供向けの施設などもあった。
 日本のTVなどに出てくるシリコンバレーは、この市街地から20~30km離れたところにあるのだが、だからといって市街地が寂れているという訳ではない。



市内の見どころ

 上述したように、ここバンガロールは、歴史上は、マイソール王国の防衛線上の一都市に過ぎなかったので、観光すべきところは少ない。

ティプー・スルタン宮殿(Tipu Sultan's Palace)
e0074199_21181253.jpg この木、石、モルタルで造られた宮殿は、1781年にハイダル・アリーが建設を始め、10年後にティプー・スルタンが完成させた。
 茶色と黄色の色鮮やかなコントラストは、最近復元されたもののようで、当初からこのような配色だったかどうかは分らない。
e0074199_21182520.jpg 因みに、10分くらいで見終わってしまうこの建物、入場料がRs100-(約260円)とベラボウに高い(例によってインド人ならRs5-で見られる)。
 これだけカネを取ってれば、綺麗に色も塗れる訳だ。



ヴェンカタラマン寺院(Venkataraman Mandir)
e0074199_21274833.jpge0074199_2127289.jpg ティプー・スルタン宮殿の隣にあるのが、この寺院。造りは、南インドに典型なドラヴィダ様式(本堂は低層かつ小さく、これを壁で囲んでその入口の塔門(ゴープラム)を巨大に飾る建築様式)になっており、色も鮮やかだ。
 18世紀に、ハイダル・アリーがこの地方を支配する前のウォデヤール家が建てたもの。



ウシ寺(Bull Temple)
e0074199_21332241.jpg 文字通り、ウシを祀った寺。
 シヴァ神の乗物ナンディを祀っているのだが、どうみても脇にあるシヴァ神を祀った寺院(後述)よりも目立っている。
 入口には、鳥居ならぬツノ・・・地面からニョキッと生えている。
e0074199_213626100.jpg この寺院も、ドラヴィダ様式で、16世紀にバンガロールの地方領主だったケンペイ・ガウダが建てたものと言われている。
 本堂入口には、ナンディをセンターに、色々な神様の派手な彫刻が。
e0074199_21374073.jpg 本堂に入ると、突き当りにドドォ~ンと巨大ナンディが!
 御影石の一枚岩から彫られたというこのナンディ、僧侶との比較でも分かる通り、相当デカい。
 そして、何故かメンタマグリグリ。
 回廊型になっていて、ナンディの周囲を歩いて周ることが出来る。



e0074199_2150256.jpg あ、そうそう、忘れてましたが、隣の敷地にはナンディの御主人様、シヴァ神の寺院もあります・・・冴えないですが。



ラールバーグ(Lalbagh)
e0074199_21515716.jpg そのまま、訳すと「赤い庭園」。
 赤いダリアが有名みたいなので、それが庭園名の由来なのかも知れない。
 因みに、このダリア、メキシコ原産(今でもメキシコ国花)で、18世紀にスウェーデン植物学者ダールさんがヨーロッパでの繁殖に成功、彼の名を採ってダリアになった。ナポレオン皇帝妃ジョセフィーヌがこよなく愛したこの花は、ヨーロッパ中で大流行した。

e0074199_2232169.jpg インドには・・・やはりイギリスやオランダ経由で入ってきたのだろうか。
 この花、和名はなんとテンジクボタン(天竺牡丹)。

 だが、行ってみての印象は、緑が綺麗な巨大な庭園・・・赤いダリアは見なかったような気が・・・。
 しかも・・・それだけ(緑が綺麗なだけ)で何も見るもの無し。


e0074199_4322030.jpg 切り株の化石も仰々しく飾られているが、別に、ね...。
e0074199_4342425.jpg 面白かったのは、公園内の動物の置物の目が、全てどんぐりまなこだったこと。
 ライオン、ウシ、ゾウと、みんな揃って何故かビックリ顔なのだ。
 
e0074199_4345175.jpg
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e0074199_1034421.jpg これは、インドを象徴する絵。
 ゴミ箱が目の前にあるのに、みんな下にゴミを棄ててしまう。このあたりのマナーは、日本も酷いと思うが、こちらインドも御世辞にも良いとは言えない。清掃を生業とするカースト者が存在するから、上位カースト者は別にゴミを自分で処理する必要が無い・・・という歴史的原因の一端と見るのは多少大袈裟かな。


ウェンカテーシュワラ寺院
e0074199_4411296.jpg 市の中心にある、何の変哲も無い寺院。18世紀頃の建築らしい。

e0074199_4444821.jpg と、寺院の中から大音響の打楽器音が。
 結婚セレモニーが丁度始まったところで、これから花婿が花嫁を迎えに行くようだ。訳も分からず、群衆の中に交じると、1人が祝い菓子のようなものをくれた。
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ヴィダーナ・サウダ(Vidhana Soudha)
e0074199_4571158.jpg 市西部の官庁街で一際目立つのが、この横長の建物。
 1954年に建てられたこの建物は、州政府および州議会の庁舎として機能している。
e0074199_4573563.jpg長い建物の中央部分には、インド国旗が掲揚され、天井にはアショカピラーが。なかなか存在感のある立派なデザインだ。


高等裁判所
e0074199_50342.jpg ヴィダーナ・サウダの真向かいにあるのが、この真っ赤な建物。
 高等裁判所として機能している。


バンガロール宮殿(Bangalore Palace)
e0074199_55535.jpg この東京ネズミーランドにある様な建物は、英国植民地時代だった1880年に建てられた、ウィンザー城のレプリカ(ミニチュア?)。とはいっても、だだっ広い敷地内に堂々と建っており、雰囲気がある。

e0074199_5185879.jpg 何か催事をした直後だったようで、色んな大道具が散乱していた。
 ここは、写真撮影禁止のようで、この写真を撮った直後、守衛数人が笛を吹きながら、凄い形相でBダッシュしてきたので、早々に退散した・・・。



オマケ
e0074199_5242653.jpg デリーの友人に聞いて、「播磨」なる日本食レストランに行ってみた。
 ・・・美味い。
 ・・・そして安い。

 デリーではありつけない、上レベルの牛肉を食わせてくれた。
 ここバンガロールは、イスラム教徒の人口が多いので、牛肉が流通しているのかな?




オススメ度(100%個人主観)

   ★★★☆☆ ・・・ シリコンバレーとしてではなく歴史的視点から一度観ておくべし


所要観光時間

   3時間
by bharat | 2006-06-05 10:30 | インドぶらり旅
デリー19 ロディー・ガーデン
e0074199_11353420.jpg フマユーン廟の西、競馬場の向かいに、ロディー王朝の廟が並ぶ庭園、その名もロディー・ガーデンがある。


ロディー王朝とは?
 5代続いたインドの奴隷王朝の最終王朝で、1451~1526年の75年北インドを支配した。
 元々は、サイイド王朝期のパンジャーブ地方の一太守であったバハロール・ロディーが1451年に同王朝を倒して国を興した。以降、第2代シカンダール・ロディー(治世1489~1517年)、第3代イブラーヒーム・ロディー(治世1517~1526年)と続いたが、1526年、当時カブールの君主だったバーブルにパーニーパットの戦いで破れ、滅んだ。このバーブルが、ムガル帝国初代皇帝だ。


入場無料☆
 ・・・廟と付くと、何でもカネを取られそうだが、ここは無料
 地元民も、気軽に散策に来ているし、外国人が犬の散歩などを楽しんでいる光景も見られた。

 中の庭園は、いくつかのグンバッド(Gumbad:元々「ドーム」という意味のペルシャ語で、転じてドーム形状の屋根を持つ建築物そのものを指すようになった)、小庭園などで構成されている。

バラ・グンバッド(Bara Gumbad)
e0074199_1059137.jpg この廟は、保存状態が比較的良くて、壁の装飾もちゃんと残っているのだが、残念ながら具体的に誰の廟(墓)なのか、判明していない。説明書きの掲示でも、「ロディー朝の重要な位の人物」としか記されていない。
 このローディ王朝期の建築は、正方形の土台に丸いドーム屋根、もしくは八角形の土台に丸いドーム屋根の2タイプ存在するが、これは見ての通り前者のタイプ。

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シーシュ・グンバッド(Shish Gumbad)
e0074199_11301284.jpg これまた、誰の廟なのか不明。説明書きには、ロディー王朝の第2代シカンダール・ロディー(治世1489~1517年)の時期のものらしいと書かれていた。
e0074199_11315828.jpg 廟の中には、棺が数個並んでいる。
 フマユーン廟のくだりでも書いたが、棺桶の上に突起が付いているのが男性を埋葬したもの、何も付いていないのが女性を埋葬したもの。



シカンダール・ロディー廟(Shikandar Lodi Tomb)
e0074199_113714100.jpg 庭園の奥の方にある。
 ロディー王朝の第2代シカンダール・ロディー(治世1489~1517年)の墓。
 上述の2つの建物と異なり、土台部分が八角形なのが特徴的。
e0074199_11384456.jpg 廟の周囲は、ゴツい壁で囲まれている。



ロディー王は盆栽が趣味

 ・・・では無いと思うが、庭園内には盆栽小庭園がある。

e0074199_11422566.jpg ここに造った主旨がよく分かりません...。



24種類
e0074199_11442021.jpg この庭園には、24種類の鳥が飛来・居住している・・・らしい。
 野鳥観察に興味のある方は、是非。



by bharat | 2006-06-03 10:30 | デリー市内あれこれ