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デリー24 鉄道博物館
e0074199_1684133.jpg 各国大使館が並ぶ、デリー市内のチャナキャプリ(Chanakyapuri)地区。
 その一角、ブータン大使館の隣にあるのが、鉄道博物館(National Rail Museum)だ。


インドの鉄道
 中の様子は後述するとして、まずはインドの鉄道について少々。

 インドの鉄道は、総延長63,000km、世界第4位の長さだ。
 その大部分は、イギリス植民地時代に敷設された「遺産」で、軌道(Rail)や貨車もイギリスの面影を色濃く残している。

 この「遺産」、インフラが脆弱なインドにおいて、かなり立派な役割を果たしていると言えるのだが、マイナス面が無くはない。

 まず、当たり前だが老朽化。
 これだけ敷設面積が広範なので、取替も容易ではない。
 
 それから、スペック。
 宮殿列車のくだりでも書いたが、当時のイギリスのインド分割統治のせいで、各地域でレールの幅がなんと4種類も混在している。広軌(1,676mm)・狭軌(1,000mm)・ナローゲージ(762mm・610mm)が入り乱れて走っているのだ。当然電車の幅もこれに拠っている。

 運行管理も頭の痛いテーマだ。
 殆どの路線が客貨両用になっており、また単線区間も多く、特急列車でも平均時速50kmそこそこという有様。
 加えて、自然災害等によって、長距離特急列車で3~4時間、貨物列車で半日遅れることがしばしばある。
 日本の9倍という国土をカバーするにはあまりにしんどい環境だ。


 最近でこそ、飛行機の国内線で移動する旅客が増えたが、低所得層にはまだまだ買えるチケットではない。
 彼らは、恐ろしく安い自由席券を購入し、何十時間もかけて電車で長距離移動するのだ。


100歳以上の列車がズラリ

 博物館の敷地内には、昔の列車がたくさん展示してある。
 1900年代初頭のものが多く、なんと100歳以上ということになる。
 外装を綺麗に塗っていることもあり、今でも走り出しそうな感じだ。
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 インドの列車の特徴が良く見れたのがこの車両。
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e0074199_20163845.jpg 車両の前面についている障害物避けが、鉄板状ではなく、鉄格子状になっている。
 まぁ、インドでは殆ど雪が降らないから、これで用足りると言うことか・・・。
 あと、連結器の形状が日本のそれとは違う。これはイギリスに見られる方式でフックをネジの要領でグルグル回すと対象物に引っ掛け固定できる仕組。
e0074199_20165579.jpg 一方、日本式は、「C」の字をした連結器同士を軽く押合い、ガッチャンとはめ込む仕組だ。


 これも面白い特徴を持った列車。
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e0074199_2024532.jpg パッと見、普通のカワイイ配色の蒸気機関車なのだが、下の車輪部分が何か・・・変。
 !!・・・外側の車輪の内側にデッカイ歯車がたくさん。
 実はこの列車、高山仕様で、斜度のキツい坂を登るためにギアを持っているのだ。
 浦安ネズミーランドのカリブの海賊のボートみたいな仕組だな。


 ここからの3車両は立看板付だったので、詳しく。
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 こちらは1930年製。
 製造は、バルカン・ファウンダリー(Vulcan Foundry Ltd.)となっている。
 同社は、イギリスのランカシャー地方の会社で、元々は車両ではなく橋梁や踏切の鉄製部品を製造する会社で、1832年設立(当初はCharles Tayler and Company)。
 1835年より国内用のみならず、フランス・オーストリア・ロシアへの輸出を手掛け、1852年には世界で初めてインドに蒸気機関車を輸出した。
 その後も、積極的な技術革新でディーゼル機関・電気機関を製造。
 吸収合併によって様々な名称に変わったが、最終的に2002年に製造所は閉じられた。

 因みにこのバルカン・ファウンダリー社、日本にも深い関係がある。
 明治時代初期、外国船来航等で、蒸気機関の存在を知りその開発・導入に躍起になっていた日本は、1871年(明治4年)公式には初めて外国製機関車を輸入した。
 この「1号機関車」こそが、バルカン・ファウンダリー社製だったのだ。



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 これは1907年製。
 製造は、ノース・ブリティッシュ・ロコモーティブ社(NBL:North British Locomotive Company)。
 NBL社は、1903年にイギリスのグラスコーに拠点を構える3社(Sharp Stewart社・Neilson & Co.社・Dubs & Company社)の合併によって出来た会社で、当時ヨーロッパ随一の規模を誇った。
 製造する蒸気機関車は国内のみならず、遠くはマレーシアへも輸出・使用された。
 ところが同社は、蒸気機関からディーゼル機関への技術革新に失敗、1950年代からドイツ企業MANと手を組むこととなる。
 最終的に、NBL社は1962年4月19日に破産、鉄道界からその姿を消す。



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 これも、1907年製。
 製造は、ナスミス・ウィルソン・アンド・パトリクロフト社(Nasmyth Wilson & Patricroft Ltd.)。
 この会社はジェームス・ナスミス(James Nasmyth)によって1836年に建てられた。
 彼は、「ナスミス・ハンマー」なる工具を発明するなど、技師としての才を見せた。
 合併・統合を繰返し、一時期はイギリス植民地のインド・ニュージーランドにも機関車を輸出したが、1940年に会社を閉じた。


隅っこには、世界遺産も
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 敷地の一番奥の目立たないところに、ちょっと変な形の小さな蒸気機関車と客車がポッツ~ンと置いてある。
 なんとこれ、ユネスコ世界遺産の1つ「ダージリン・ヒマラヤ鉄道」の機関車と客車なのだ。
 機関車には、製造会社シャープ・スチュワート(Sharp Stewart & Co.)の文字が。
 型式はB-777、1889~1952年の製造だそうだ。
 客車は、恐ろしく小さい・・・何人乗りなのかな。
 外側には、ダージリン・ヒマラヤ鉄道のロゴ。

 ・・・うぅむ、実物を見ると、是非乗りに行きたくなるなぁ。


その他
e0074199_7423153.jpg あと、興味深かったのがこれ。
 『機関車トーマス』などでよく登場する転車台(Turn Table)。
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 一見普通なのだが、上述したように線路幅が異なるため、複数の幅に対応するようにレールが配置されているのだ。
 こんなの、インドだけぢゃなかろうか?



 ・・・無造作に列車が置いてあると言えばそれまでなのだが、展示車のバラエティが豊富な上に、インドの鉄道の歴史そのものがユニークなので、なかなか楽しい。
by bharat | 2006-11-30 10:30 | デリー市内あれこれ
インドのTシャツ 16
 今回は、正規のNikeショップで入手した一品。

16. クリケットボール

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 文字通り、前面ドアップで、クリケットボール。

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 日本にも数多くのNikeショップがあるが、このデザインは無い筈。
 ・・・というか、あっても売れないだろう。


 インドでは、スポーツ人気の殆どをこのクリケットが持っていっている。
 半日~数日かかるこのゲームの結果に、インド人たちは一喜一憂するのである。
 特に、インド-パキスタン戦などは、皆大変な熱気で応援する。
 平和的な環境を築き始めてはいるものの、インド人のパキスタンへの対抗意識は相当に強いものがあり、クリケットのインド-パキスタン戦の試合結果如何で、やたら機嫌が良かったり、無性に不機嫌だったりするのだ。

 そんなクリケット大国インドでは、有名選手は国民的英雄。
 反面、ボール職人は、その行為が「獣の革剥ぎ」であるとしてとても低いカーストの人たちの業務とされている(以前メーラトを訪れた際、職人の集落を見た)。
 球を打つヒトと作るヒトでは、扱いが天国と地獄の差なのである。


 そんなインド人のココロの拠り所であるクリケットだが、最近元気が無い。
 目下、世界ランキングは6位まで降下・・・クリケット王国の復権が待たれる。
by bharat | 2006-11-25 10:30 | インドのTシャツ
デリー27 国立博物館
 去る11月下旬某日、デリーの国立博物館を見て来た。
 インドを訪問した御客様のたっての希望で、スケジュールの合間を縫っての観覧。

時間が必要・・・
e0074199_21403526.jpg 1949年8月15日に出来た国立博物館(開館当初は今と違う場所にあった)は、現在では展示点数206,000点以上、全3階の展示スペースは、とても広い。
 そりゃあ、ルーブルとかとは比較にならないけど、かと言って、1~2時間で周れるもんでもない。

 因みに、入館料は150ルピー(約390円)、カメラ持込料は300ルピー(約780円)。
 日本語の音声ガイドホンは、タダで貸してくれる(但し、貸出時にデポジットを取られる)。

どう分類したものか・・・
e0074199_21434498.jpg インドの歴史そのものを分類することは、極めて困難。
 なにせ、歴史・宗教・民族が入替わり立代わりしているのだから。
 この博物館も、分類にはかなり苦労している様子。
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ヒンドゥー彫刻、仏教彫刻が1階に陳列されているが、中でも目を惹いたのは、インダス文明のコーナー。紀元前2500~2300年に栄えたモヘンジョダロ、ハラッパなどの文明都市の様子やそこから発掘された品が数多く並ぶ。
 このコーナーの充実ぶりは、結構なもの。


海軍関連
e0074199_2158204.jpg 2階に上がると、海軍の資料コーナーがある。
 戦艦の模型などはさして珍しくも無いのだが、こんな軍旗の展示がある。
 左隅にインドの国旗を配したイングランドの旗などは、歴史を感じるデザインだ。


土産屋
e0074199_2205960.jpg 国立博物館だけあって、土産屋はなかなか充実している。
 置物、衣類、書籍など様々なものが売られており、程度も悪くない。
e0074199_2223721.jpg これはチェスセット。
 インドでは、チェスセットがよく売られているが、駒は大体木製かガラス製。
 これは、駒が真鍮細工・・・真鍮細工自体はよくあるが、チェス駒になっているのはあまり無い気がする。
e0074199_222505.jpg これは、ただの容器。
 でも・・・なんだろ?このデザイン。


アジアにおける宗教伝播を感じる
e0074199_2275919.jpg 大昔の韓国・中国を含むアジア全体の仏教彫刻・絵画を展示するスペースもある。
 このあたりになると、日本に入ってきている仏教関連作品とかなり類似点が見られる。


ヨーロッパの遺産
e0074199_22103237.jpg 16世紀以降の列強支配により、この時期の絵画等は、キリスト教関連のものが多い。
 この絵などは、素人目にはヨーロッパにあってもおかしくない感じがする。
 当時のポルトガル人・オランダ人・イギリス人たちは、絵画を持込んだのだろうか?それとも絵師を連れてきてインドで内作させてのだろうか?


なんだ?こりゃ
 一番の不思議ワールドが繰広げられていたのが、この中南米コーナー。
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なぜ、突然中南米なのかも分からないが、その展示品の愉快さは他の展示品より突出している。
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 祭事に使用されたポットらしいのだが、なんか・・・カワイイ。
 原宿のキディランドあたりに並んでても、イケるんぢゃないかな。



ハウルの動く城
e0074199_22184337.jpg 館の外、敷地の片隅には、「ハウルの動く城」がガラスケースに入れられて大切に展示されている。
 2003年からここに置かれているこの物体、425ものパーツから構成され、重量は2,200kgにもなる。
 18~19世紀に、南インドのタミル・ナドゥ州で祭事用の山車として使われ、ヴィシュヌ神やラーマ神、クリシュナ神らの彫刻が木目細かに彫られている。
 宗教的な祭事で山車を使用するというのは、南インドではよくある例だ。
 世界遺産に指定されているハンピでも、デザイン・材質ともに全く異なるが山車が残っている。



 ・・・あまりに駆け足で観たので、これくらいしか書けない・・・。
 今度は、ジックリ観て回りたいな・・・。
by bharat | 2006-11-24 10:30 | デリー市内あれこれ
逃れられぬカースト
 去る9月、ある事件に決着が付いた・・・と報道された。

 陰惨な強姦殺人事件について、犯人が賠償金を支払い、決着したというのだ。
 が、その中身は決着どころか、旧態依然としたインドを示すものだった。
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事件概要

 事件は、ナグプールに程近いバンダラ(Bhandara)という村落で起きた。

 バイヤラル・ボトマンゲ(Bhaiyyalal Bhotomange)とその妻スレカ(Surekha)、その親戚ガジビエ(Gajbhiye)は、マハール(Mahar)カーストの小作農。
 マハールカーストは、かつて不可触賤民と呼ばれた最低カーストの1つで、インド初代法務大臣アンベードカルはこのカーストの出である。
 もっとも、「カースト」といっても、彼らはアンベードカル同様に、ヒンドゥー教から仏教に改宗していたので、表面上はヒンドゥー教のカーストとは関係なくなっていたのだが。

 そんなボトマンゲ夫婦とガジビエが、地主から一方的に耕作地を減らされたのが1996年。
 理由は、上位カースト農民が使用するトラクターの為の道路を作るというものだった。
 更に、最近になって、水路を作るというので、更に農地を潰すことが決定。
 ここに至って、ボトマンゲ夫婦とガジビエは抗議行動を開始。

 すると、地主側もこの弾圧行動を開始。
 9月3日、15名の暴漢がガジビエを襲撃。ガジビエがスレカと肉体的関係にあるとして、その破廉恥行動を諌めるというのが彼らの言い分だった。
 暴行を受けたガジビエは、警察に駆込み、すぐに12名が逮捕された。

 9月29日、解放された12名は、その夜痛飲。
 酔った勢いで、ガジビエに復讐すべしという雰囲気になり、ガジビエの自宅に急行した。
 暴漢たちの目的は、ガジビエと彼の家族を殺すことだったのだが、当日ガジビエ一家は不在。
 その足で、ボトマンゲの自宅を襲撃した。

 ボトマンゲの家には夫婦のほか、23歳の長男ローシャン(Roshan)、21歳の次男スディル(Sudhir)、長女のプリアンカ(Priyanka)が一緒に暮らしていた。長男は盲目、次男は学卒、プリアンカに至っては学業優秀で近い将来軍隊に入って家庭の生計を助ける予定だったという。

 襲撃当時、バイヤラル・ボトマンゲは家を出ており、家主以外の4名が家に居た。
 12名の暴漢は、この4名を家の外に引っ張り出し、まずスレカとプリアンカを襲撃。
 衣類を剥ぎ取った上、自転車のチェーンや斧で全身を殴打した上、入替り立代りレイプし続けた。2名はその過程で死亡してしまった。
 次男スディルが、携帯電話で警察に通報を試みるが、暴漢に見つかり、リンチされて死亡した。
 長男ローシャンも殴打され続け、死亡した。

 騒ぎを聞いたバイヤラルは、この状況を、ただ物陰で見守ることしか出来なかったという。

 これだけの騒ぎになっていたのも関わらず、村民は誰一人として助けたり、警察に通報したりしていない。
 なぜなら、この村落に最下級のマハールカーストはボドマンゲ家とガジビエ家しかなく、その他彼らより上位カーストの村民たちは皆見てみぬふりをしていたのだ。

 ガジビエが隙を見て、警察に駆込んだのが18:15。
 警察の一団が、現場に駆けつけたのは20:30。
 しかし、彼らはただのパトロール係で、事件の記録は出来ないとして、そのまま警察署に帰ってしまい、記録もされなかった。

 翌朝、茫然自失のバイヤラルが警察に赴き、惨状を訴えたが、警察の対応は驚くべきものだった。
 「事件の記録がされていない。おまえは虚偽を話しているに違いない。」
 結局、翌日に4体の惨殺死体が近隣の野原で発見されたことで、警察は重い腰を上げて、事件の検証に動き出した。

 だが、この検証も上位カースト者が作った出来レース。
 犯行に使われた武器はことごとく隠蔽され、警察側の医者も「女性2人への性的暴行は無かった」との診断書を纏める始末。

 スレカの親戚がこの判断を不服として、地元の農業家の連盟(VJAS)を通じて抗議、現場検証をやり直すよう要請。
 これに警察は渋々対応し、2~3回目の現場検証を行ったが、形式的なものに終始した。
 
 この強姦殺人事件で、最終的に38名の容疑者が逮捕された。
 が、VJASコメントでは、主犯格は政治的な立場を利用して、警察に圧力をかけ、未だに捕まっていないのだという。

 被害者への保障も、酷いものだ。
 マハラシュトラ州が一方的に保障金額を決定、たった1人残されたバイヤラルに、45万ルピー(約117万円)が支払われた。
 一家4人の命が117万円とは・・・。

 但し、法律家筋の見解でも、現行の法律(残虐行為予防法 Prevention of Atrocities Act 1989)に照らせば、最大で1人20万ルピー(約52万円)しか賠償金はおりないのだという。
 インドの所得水準を考えて、この金額は妥当なのか・・・。


 因みに、私が先般行ったナグプールでの仏教記念式典は、そんな事件の直後に行われた。
 企画側は、事件について触れないようにし、仏教徒の暴動が起きない様(冒頭にも触れたが、被害者はヒンドゥー教から仏教に改宗したインド人なのである)、細心の注意を払っていたのだという。


この事件で考えること

 この事件について知ったとき、2つの事実に驚き、またインドの闇の部分が見えた気がした。

① カースト制にはびこる上位者の下位者への弾圧は厳然として残っている
 今回の事件では、村落にただ2家庭のみ存在する最下層カーストが被害にあった。
 そして、被害現場に居合わせた周囲の村民たちは、だんまりを決め込んでいた。
 大都市から少し離れた(日頃のアクセスが可能なくらい近い)村落でさえも、先進国から大都市に流入する新しい文化に対しては未だ閉鎖的で、数千年来の慣習に基づいた行動・思考をしているということか・・・。

② ヒンドゥー教徒から異教に改宗しても、カースト弾圧から逃れられない事実がある
 私が強い関心を寄せているインドの政治家アンベードカル(彼についてはラクナウ旅行記で詳しく書いたので御参照)。
 彼は、ヒンドゥー教の生活様式の根幹を成すカースト制について、ヒンドゥー教徒であり続ける限りこれを廃止することは出来ないと判断、死の直前に仏教に改宗した。

 今回、被害にあった最下級のマハールカーストのボトマンゲ家は、恐らく上位カーストからの弾圧から逃れるために仏教に改宗したのだろう。
 だが、農民が農地から簡単に離れられる訳はないし、金銭的余裕のない者が見知らぬ土地に移動するのも極めて困難だろう。
 結局、先祖代々育った土地でヒンドゥー教を捨てても、カースト差別を負の遺産として引き継かざるを得ないのが実情なのか・・・。



 日頃、デリーで生活していると、カースト差別、宗教差別、貧困などを目の当たりにすることは殆ど無い。
 インド全人口の1%に過ぎないこの都市にいて、インドを理解している気になる錯覚・・・地域格差が大きな国においては気をつけなければならないと、実感した。

 
by bharat | 2006-11-23 10:30 | ふと思うこと
デリー 23 運動会
 11月19日(日)、デリー中の駐在員とその子供たちが日本人学校に集結した。
 年に1回の大運動会だ。

デリーの風物詩
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 毎年11月頃に開催されるこの大会は、デリー日本人学校とデリー日本人会の共催によるもの。
 子供たちの運動会と駐在員の一般参加の運動会を同時開催する、一大イベントである。


みんなマジです・・・
 子供たちは紅白に分かれ、一般の部は4チームに分かれて点数を競う。
 子供たちはともかくとして、一般の部の人たちも本気で競技するので、実に燃える。

 色々な競技をやったのだが、典型としてこのコントラストを見て欲しい。

 子供たちのかわいいインド舞踊と・・・
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 大人の死に物狂いの綱引き。
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 参加者全員、翌日月曜日の出勤に支障を来たす程、筋肉痛になったことは言うまでも無い・・・。

 やはり、日本人が何かにつけ、数ヶ月に1度こうして集まって同じ時間を共有することには、とても意味を感じる。
 インド駐在という一種特殊な環境を笑いながら語り合ったり、そんな立場でも無ければ知合わなかったであろう人たちと協力したり競い合ったり。
 日本にいるとき以上に、日本を感じる瞬間だ。
by bharat | 2006-11-19 10:30 | デリー市内あれこれ
第78回旅行は、避暑地ロナウラと周辺石窟群
e0074199_16104660.jpg インド西部のマハラシュトラ州。
 ムンバイから、プネーへ続く高速道路を車で流すと、ロナウラ(Lonavala)なる地名が出てくる。


避暑地として
e0074199_547231.jpg 人口数万人に過ぎないここロナウラは、ムンバイの避暑地として知られている。
 標高約700mは、年中程良い気温を与え、ムンバイ-プネーハイウェイ沿いには、リゾート施設が並ぶ。
 写真は、MTDCカルラリゾート。
e0074199_558739.jpg ここロナウラの名物は、チッキ(Chikki)という砂糖でナッツ等を固めた御菓子。
 そこら中に、土産屋がある。


カルラ石窟寺院
e0074199_6112942.jpg ロナウラから数km離れたところに、石窟寺院(群)が数箇所残っている。
 その1つがこのカルラ(Karla)石窟寺院だ。
e0074199_6134047.jpg ムンバイ-プネーハイウェイをムンバイからプネーに進んで、このゲートを左折。
 途中の駐車場に車を停めて、急な石段をひたすら登る。


 と、眼前に巨大な岩肌に人工的にくり貫いた構造物が出現する。
 向かって右側には、保存状態の良い寺院跡がある。
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e0074199_6454079.jpge0074199_6465686.jpg 入口の左右には、象とブッダの彫刻が彫られている。
 ブッダ本人が彫られているので、大乗仏教期に出来た寺院だと分かる。
 紀元前80年に造られたものとのこと。
 正面の彫刻の上部には、木製の馬蹄状の窓が残っている。
 灯り取りのために施されたもので、アジャンタ石窟寺院群にも類似したものがある。
e0074199_4573347.jpg 中は、奥行40m、高さ14m。
 最奥には、巨大なストゥーパ(仏塔)がある。
e0074199_4543874.jpg 周りの石柱を良く見ると、ストゥーパと並んでアショカ石柱(Ashok Pillar)が彫られている。
 アショカ石柱は、マウリヤ朝のアショカ国王が国章のライオンとともに法勅を刻んだもので、当時勢力下の地域に建てられた。
 だが、アショカ王は紀元前232年に没しており、この寺院の建設時期とはズレている・・・はて・・・?



バージャ石窟寺院群
e0074199_64918.jpg ムンバイ-プネーハイウェイをムンバイからプネーに進んで、今度は右折。
 中々開かない踏切を越え、小高い丘を登ると、バージャ(Bhaja)石窟寺院群にたどり着く。

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e0074199_6112515.jpg 中央に位置するこの寺院が第12窟と言われているが、周囲を見渡しても第1窟~第11窟がどれなのか分からない。
 構造は、先述のカルラ石窟寺院と似ているが、こちらの方が古く、紀元前2~3世紀に出来たものだという。
e0074199_6205377.jpg 大きな第12窟の他には、こんな場所が。
e0074199_6231114.jpg 無数のストゥーパが所狭しと置かれている。
 ・・・ここに仮置きした後、石窟に安置するためのものだっただろうか?
e0074199_6252531.jpg 見逃してしまいそうなくらい奥には、壁面に彫刻が施された石窟がある。
 このような彫刻が残っているのは、バージャではこの石窟だけ。

e0074199_6311927.jpg また、この石窟のある丘の更に向こうには、ヴィサプール城(Visapur Fort)とローハガード城(Lohagad Fort)が向かい合う丘に築かれている。
 かつて、ヒンドゥー教勢力とイスラム教勢力が対峙し激戦を繰り広げた歴史があると、地元民が言っていたが、いつの時代のことなのかは不明。


オススメ度(100%個人主観)

   ★★☆☆☆ ・・・ アジャンタ石窟寺院群に行く時間が無いヒトは良いかも

観光所要時間

   3~4時間
by bharat | 2006-11-18 10:30 | インドぶらり旅
ブラピ&アンジー ムンバイに現る
 皆さん、現在インドにアンジェリーナ・ジョリーとブラッド・ピットがインドに滞在しているのを御存知だろうか?

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 現在、2人(+アンジーの養子2人)は『A Mighty Heart』の撮影のため、ムンバイを訪れており、11月12日には空き時間を利用して、家族でムンバイ散策をした。

 余談だが、『A Mighty Heart』は、イスラム抗争を追っていたWall Street Journal紙のダニエル・パール記者の人生(2002年パキスタンで死亡)を描いた映画で、アンジーはパール夫人マリアンを演じ、ブラピは映画のプロデューサーを務める。
 映画の舞台となるカラチ(パキスタン)に似ているということで、ムンバイに近いプネーがロケ地に選ばれた。


 新聞には、瞬く間に人だかりが出来たとあるが、インド人たちが2人にキャーキャー言っていたというのは俄かには信じ難い。
 デリーの映画館では、ヒンディー映画上映館が満員御礼でも、ハリウッド映画上映館は閑古鳥というのが、珍しくない。
 加えて、芸能誌もヒンディー映画俳優の記事がメインで、ハリウッド俳優のゴシップネタはあまり取上げられていない。

 まぁ、少なくとも日本ほど大騒ぎになっていないことは、確かだろうな。


 ・・・以上、たわいも無い話でした。
by bharat | 2006-11-13 10:30 | ふと思うこと
第77回旅行は、インド第3の港カンドラ
 西をパキスタン、南西をアラビア海に接するグジャラート州。
 この州の港の1つが、今回訪れたカンドラ(Kandla)だ。

インド第3の港
e0074199_5515921.jpg ここカンドラは、バイザックチェンナイに次ぐ取扱量を誇る、インド第3位の港。
 因みに、第4位コルカタ(ハルディア)、第5位ムンバイと続く。

e0074199_5585470.jpg カンドラ港の主要な取扱品目は、石炭類。
 バイザック港は鉄鉱石、ハルディア・ムンバイはコンテナと、各港によって、取扱品目の割合が極端に異なっている。
 但し、勿論ここカンドラでも、コンテナや鉄鋼製品なども捌いている。


取扱量の詳細
2005年度の各港の取扱量(単位 千トン):
港湾名       輸入/輸出/接続          合計
バイザック     25495/25150/5156       55801
チェンナイ     27199/20049/0          47248
カンドラ       34780/10176/951        45907
ムンバイ      22684/11956/9773       44190
ハルディア    25005/14173/2           42216
JNPT         18444/15251/1957      37746
ニューマンガロール 16519/17932/0       34451
パラディープ    11424/1685/0           33109
モルムガオ      6074/25614/0           31688
ツチコリン     13374/3765/0           17139
コチン          10844/3094/0         13938
コルカタ       4131/2190/4485        10806
エノール        8631/537/0            9168

総計        227640/173443/22324      423407


オススメ度(100%個人主観)

   ★☆☆☆☆ ・・・ 港湾地区に入るには事前に許可が必要

観光所要時間

   1時間
by bharat | 2006-11-01 10:30 | インドぶらり旅