<   2007年 01月 ( 11 )   > この月の画像一覧
インド周辺 第14回旅行は、タイの首都バンコク(バンコック)
e0074199_22132836.jpg タイの首都バンコク(Bangkok)。
 ASEAN国の発展の象徴とも言われるこの都市には、高層ビルや大規模なショッピングセンターなどの近代化の恩恵がそこかしこで見られる一方で、昔からの仏教寺院も数多く残っており、非常に興味深い街並みを形成している。



街並み
e0074199_22185790.jpg 市内の街並みには、日本で見かける御馴染みのものが沢山。
e0074199_22193845.jpg 車の多くは、日本ブランド。現地工場の在るトヨタ・ホンダが目立ったが、日産の車も数多く見られた。
 因みに、日産はインド市場への正式参入を行っておらず、インドでは殆ど見ない(近々、南インドに進出予定)。
 コンビニエンスストアもあちこちにあった。実際に見たのは、セブンイレブンとファミリーマート。
e0074199_22264280.jpg 道端の本屋には、日本のマンガ雑誌のタイ語版。
 写真は、キャプテン翼。
e0074199_22294692.jpg 食材も豊富にあり(自給率は200%とも250%とも)、インドではまず有り得ないこんなモノも食べられる。


    「牛丼に卵(生or半熟)」


e0074199_23112582.jpge0074199_23114078.jpg 東急や伊勢丹といった日系百貨店もある。
 伊勢丹の前には、金色の仏陀像と・・・
e0074199_083816.jpge0074199_09427.jpg ガネーシャ像。
 双方の神様とも、タイ仏教の中では仏教の世界に居るらしく、敬虔な仏教徒である現地の人々は分け隔てなく礼拝していた。


e0074199_23454113.jpg 地下鉄も、街中を縦横に繋ぎ、バンコク市民の足として機能している。
 駅構内の構造、改札機などが、インドのデリー地下鉄のそれと非常に良く似ている。
e0074199_23461128.jpg プラットホームと線路との間は、ガラスで仕切られている、東京の南北線に似たタイプ。
e0074199_0313043.jpg 町の足は、経済の発展とともにタクシーに移りつつあるが、ピカピカに反射するほど磨かれたオートシクシャーも数多く走っている。
 その多くが、インドのメーカーバジャージ(Bajaj Auto)製だという。



 バンコクの空港は、最近開港したスワナプーム(Suvarnabhumi)空港。
 空港名は現地の言葉で「黄金の地」の意で、現国王が命名したもの。
 綺麗なのは勿論なのだが、恐ろしく広い。
 建物は大きなH型をしており、中央部分に土産屋・ブランドショップが立ち並ぶ。

 建物内部で一際目を引くのは、これ。
e0074199_143327.jpg
 これは、紛れもなくヒンドゥー教の2大叙事詩の1つ『マハーバーラタ』の神話「乳海攪拌(ニュウカイカクハン)」の一場面だ。
 その昔、天の神インドラはドゥルヴァーラ仙から呪いをかけられ、神々は勢力を失ってしまった。
 インドラがヴィシュヌ神に相談すると、自分(第4化身の大亀クールマ)に大マンダラ山を乗せ、大蛇ヴァースキ(蛇神ナーガの王)を絡ませて、乳海を攪拌し、その中から出てくる不老不死の霊薬アムリタを手に入れるよう指示した。
 指示通り、神々(インドラチーム)がヴァーズキの尾っぽの部分、魔神たち(阿修羅チーム)が頭の部分を持ち、綱引きを行った。(因みにこのチーム編成はインドラチーム・阿修羅チームとも54人ずつ、合計すると108。仏教界の煩悩の数と何やら関係がありそうである・・・。)
 ベーゴマの要領で山がグルグルと回転すると、海が洗濯機の中の水のような状態になった。この中から聖牛スラビ、酒の女神、聖樹、天女アプサラス、ヴィシュヌ神の奥さんラクシュミが出てきた。最後にダヌヴァンタリという医学の神様が霊薬アムリタを持って現れた。これを巡って神々と魔神たちは再び争奪戦を展開。最終的に霊薬アムリタは神々の手に渡り、神々はそれを飲むことが出来、その勢力を盛り返したという・・・。
e0074199_1402544.jpg

 因みにこの話には後日談がある。
 このとき魔神の中のラーフというヤツがこっそり霊薬アムリタを飲んだ。それを見ていた太陽神スーリヤと月神チャンドラがヴィシュヌに密告。
 ただちに、ヴィシュヌは手に持っていた武器チャクラ(円盤の周囲に刃物が付いていてクルクル回る)でラーフの首を切断した。その結果、ラーフは首から上だけが不死となった。
 ラーフ(の頭部)はこの恨みをずっと忘れることは無く、今でも密告者の太陽神スーリヤと月神チャンドラを襲うという・・・それが日食と月食という訳だ。




街中に佇む仏教寺院
 限られた時間ではあったが、市内に残る仏教寺院を観て周った。

ワット・ホゥアランポーン(wathualumpong)寺院
e0074199_23594739.jpg
e0074199_0182126.jpg バンコク南部を東西に走るラーマ9通りに面して建っている。
 地下鉄のサムヤン(Sam Yan)駅の真上にある。
 駐車場から本堂に向かうと、一列に並ぶ小さな社が目に入ってくる。
 中央の社にはブッダ。その脇にはガネーシャ。
e0074199_0221794.jpg 本堂の造りは、実に絢爛豪華。
 屋根の隅々には孔雀を配し、中央上部にはストゥーパ、その下には大きな国鳥ガルーダ。
e0074199_0271777.jpg 金色の立派なストゥーパ。


ワット・トリミット(Wat Trimit)寺院
e0074199_0485038.jpg
e0074199_0503638.jpge0074199_051679.jpg ホゥアランポーン(wathualumpong)駅の近くの狭い路地にヒッソリと建っている。
 地図上に、デカデカと「The Golden Buddha」と書いてあるのだが、実際の仏像は意外に小さい。
 ナーガ(蛇)の上に座っている。
 その横には、ガルーダや死神などの神様オールスター像も。



オススメ度(100%個人主観)

    ★★★★☆ ・・・ 仏教施設の観光と共に、食も楽しみたい。

観光所要時間

    4~6時間
by bharat | 2007-01-25 10:30 | インド周辺国ぶらり旅
タイ ~多分にヒンドゥーな仏教国~
 今回初めてタイに行った。

 ASEAN諸国の中にあって、日本との結びつきが特別に強いイメージがあるこの国。
 今回訪れたのは、首都のバンコク(Bangkok、旅行記はコチラ)だけだったが、色々と勉強になった。


国の概要
e0074199_15574411.jpg名称 : タイ王国
面積 : 51万4,000km2
人口 : 6,242万人(2005年現在)
首都 : バンコク(Bangkok)
人種 : タイ族(85%)・中国系(10%)・マレー族/山岳民族など(5%)
言語 : タイ語
時差 : 日本時間 - 2時間
国教 : 上座部(小乗)仏教
      人口比率的には仏教(95%)、イスラム教(4%)、キリスト教/ヒンドゥー教/スィク教など(1%)
通貨 : バーツ (1バーツ≒3円)
産業 : 第1次産業従事者40% GDPに占める割合10%
       輸出産業としては天然ゴム産業
      第2次産業従事者15% GDPに占める割合35%
       輸出産業としてはコンピュータ・自動車関連
貿易 : (輸出) 米国、日本、中国、シンガポール、香港
      (輸入) 日本、中国、米国、マレーシア、UAE

e0074199_185975.jpg体制 : 立憲君主制
      国王はラーマ9世
      (正式名プーミポン・アトゥンヤデート)
      1946年6月に即位したのでなんと在位61年!!
政府 : スラユット・チュラーノン暫定首相
      昨年のクーデターについては、
      「国の歴史」で後述する
e0074199_16233218.jpg国旗 : 一番幅広の紺色は王室、
      白色は仏教、
      赤色は国家 を示している
国章 : 仏教国なのにガルーダ
      (ヒンドゥー神話に登場する聖なる鳥)
国樹 : ラーチャプルック
国花 : ゴールデンシャワー


国の歴史
 タイが所謂「国家」としてその歴史をスタートさせたのは、1238年にタイ族のイントラチットがスコータイ(Sukhothai)王朝を建てた時点だと言われている。

 これ以前は、マレー族やモン族が局地的な都市文化を形成していたのみで、カンボジアのアンコール発祥のクメール王朝もタイ地域一帯を支配したが、タイ独自の国家があった訳ではない。

 スコータイ王朝は、クメールの影響力が弱まってきた13世紀にタイ一帯を掌握、統一国家を作り上げました。第3代のラームカムヘーン王の治世期にその版図は急拡大、内政面でも上座部仏教をスリランカから輸入したこと、統一文字の制定、貿易拡大など大きく発展した。しかし、この名君の死後、国は急速に力を失い、アユタヤ王朝に吸収されてしまった(1438年滅亡)。

e0074199_19465050.jpg アユタヤ王朝は、文字通り首都をアユタヤに置いた王朝で、ウートーン王が1351年建国した。正式に即位後、王はラーマーティボーディ-と名を変えた。
 同王朝は、周辺各国との知れるな生存競争を約400年に亘って生き抜いたが、そのベースには、建国者ラーマーティボーディ-の巧みな国内統一政策が根幹を成していた。
 彼は、タイの中世の基本法典となった三印法典を制定した。この法典は、スリランカから取入れた上座部仏教(小乗仏教)を基軸に、タイに固有の習慣、ダルマシャーストゥラ(インドにおける倫理・道徳・価値観・法律・社会制度を記した書物で、特にマヌ法典が有名)を組み合わせて出来たもの。

 同国は、海路の重要拠点としても機能し、中国・インドなど近隣国は勿論のこと、ヨーロッパの国々や日本とも貿易を行っていた。
 日本とは、1425年から1570年までに合計68隻の琉球船が往来していたとの記録が残っているし、時の室町幕府が朱印船貿易を行っていたとの記録も当時の日タイ貿易の事実を裏付けている。
 また、この関係は江戸時代になっても途絶えること無く継続し、江戸時代初期の記録では幕府公認の交易船56隻が日本―タイを往復していたとある。当時、沢山の鉱石を産出した日本からは、銅が主たる貿易品だった。

e0074199_2028140.jpg また、このアユタヤ期に、忘れてはならないのが、山田長政(1590~1630)だ。
 彼は、17世紀初頭にアユタヤの日本人町に移り、日本人傭兵部隊で活躍した。時のアユタヤ王ソンタムから厚い信頼を受け、南部の王国の知事にまでなった。最後は、アユタヤの追う継承問題に巻き込まれて毒殺された。
 象にまたがって戦う姿が、日本史の教科書にも掲載されていたと記憶している。

 だが、この山田長政は、歴史的捏造とする説がある。
 まず、肝心のアユタヤ王朝側の文献に、山田長政やこれに相当する現地語の名前が登場する文献が無いこと。
 加えて、日本での論拠となる文献も実に信頼性が低いこと。
 大東亜共栄圏構想下の時代に、日本と東南アジアを友好的に連想させる話を丸ごと作り上げてしまったというのが捏造説支持者の論。
 果たして真相は如何に。

 話はタイから少し逸れたが、山田長政が活躍した(であろう)アユタヤ王朝は、1767年にビルマに侵略されて滅亡した。

 
e0074199_20274423.jpg ビルマ軍にビクつくアユタヤの暗君エーカタットを見限って、中国系タイ人のタークシンが独自勢力を形成し、ビルマ軍を撃退、自らトンブリーに王朝を建てた(1767年)。
 彼は、右腕のチャオプラヤー・マハーカサット・スック将軍らとともに失地回復・版図拡大を行っていたが、自分に王家の血が入っていないことを過剰に気にする余り、精神異常を来たしてしまう(一説には、円滑な王位禅譲を狙って、狂乱した振りをしたとも言われている)。
 1782年、タークシンはチャオプラヤー・マハーカサット・スック将軍によって処刑され、トンブリー王朝は滅亡した。

 チャオプラヤー・マハーカサット・スックは、バンコクに遷都し、ラーマ1世を名乗った。
 チャクリー王朝と呼ばれるこの王朝は、ラーマ7世の治世期に絶対君主制から立憲君主制に移行、1946年から現在に至るまでラーマ9世が治めている。
 同君は、名君としてタイの中で絶対的な支持を集めており、国全体の求心力として機能している。
 2006年の軍事クーデターの後、軍部が同君にひざまづいて状況報告を行ったシーンは実に象徴的だった。
 このクーデターの経緯は、外務省HPより引用するに以下の通りである。
 ・・・2006年2月、首相批判の高まりを受け、タクシン首相は下院を解散。4月、主要野党ボイコットのまま下院総選挙が行われたが、後に司法当局は選挙を違憲・無効と判じた。9月、陸軍を中心とするクーデターによりタクシン政権が倒れた後、スラユット枢密院顧問官が暫定首相に就任。暫定政権の下、新憲法草案の起草が進められている。

 昨年末の爆破事件もあり、昨年はタイにとって不穏な出来事が続いた年といえる。
 首都バンコクは2007年早々に平穏を取戻しており、何ら治安の悪化を感じる要素は無かったが、注意するに越したことはないということなのだろう。


今尚垣間見られるヒンドゥー的要素

 国民の殆どが仏教徒であるタイだが、ヒンドゥー教の影響が色濃く見られる。

・ まず、国鳥が、ヒンドゥー神話に登場するガルーダである
・ 仏教寺院に何食わぬ顔をしてヒンドゥー神ガネーシュがいたりする
・ ブッダがナーガ(蛇、ヒンドゥー神話にしばしば聖なる動物として登場する)と一緒にいる場合がある。
・ インドの2大叙事詩の1つ『マハーバーラタ』の話がそのままタイでも流布されている

 これは、恐らく古くはヒンドゥー教(まだバラモン教と言っていた時代)を進行したクメール王朝の影響、更にはアユタヤのラーマーティボーディ-王が定めた王国の基本法典にインドの要素が盛り込まれていたことなどに因るのだろう。
 そもそも、タイ国王の呼称「ラーマ」だって、インドの神様の名前だ・・・何か関係あるのだろうか・・・?


 →第95回旅行記「バンコク」
by bharat | 2007-01-24 10:30 | インド周辺国ぶらり旅
第79回旅行は、歴史ある新興都市プネー
e0074199_733577.jpg ムンバイから南東に約150km、高速道路を使って丘陵を越えると、一際大きな高原都市が出現する。
 プネー(Pune)だ。


昔の激戦地は、今や一大産学都市
 ここプネーは、日本で言うところのつくば市のような都市だ。
 標高500mの丘陵特有の涼しい気候、インド最大の産業都市ムンバイから距離が近いことなどの要素があったので、大学や産業が数多く位置しており、都市全体が産学一体となって発展している。
 人口は約400万人で、インド全土のトップ10に入る多さ。

e0074199_7543151.jpg そんなこの都市には、今でも至るところに城壁が残っている。
 プネーは、17世紀に興ったマラーター王国の拠点だった。ムガル帝国が第5代シャー・ジャハーンの治世期にその影響力を弱めるや、南インドの諸勢力は抵抗を開始、その筆頭勢力がシヴァージー率いるマラーター族だった。彼は1599年にプネーの太守を努め、その後同地を本拠として勢力を拡大、1674年にはライガール(Raigarh)で正式に王を名乗った。
 その後、1680年にシヴァージーが没すると、第6代皇帝アウグランゼーブ率いるムガル帝国は南征を開始、この一帯はマラーターvsムガルの一大戦地となった。
 劣勢だったマラーター国は、この頃その実質支配者を王からバラモン階級宰相(ペーシュワー)に代え(この頃からマラーター同盟と名を変える)、ムガルのアウグランゼーブ帝の没後、勢力を盛り返しに掛かる。
e0074199_6354853.jpg 他方、アウグランゼーブ亡き後のムガル帝国は、諸侯の離反、ペルシャ・アフガン勢力に侵攻され、デリーも陥落する有様。ムガル帝国は、一部領土の譲渡を約束に、マラーター同盟に援軍を請うた。こうして、ムガル・マラーター連合vsアフガン勢力アフマド・シャーの戦いが1761年に起こった(パーニーパットの戦い)。
 結果は、ムガル・マラーター連合の大敗。その後、マラーター同盟は当時支配力を強めていた英国の傘下に入った。

 話が長くなったが、このような歴史の影響で、街中には今でもマラータ王国・同盟時代の要塞や城壁が残り、初代王のシヴァージーも今尚厚く信仰されているのだ。



歴史ある城塞・寺院が見どころ
 このような歴史のあるプネーは、宗教色と軍事色が織り交ざった街並みが特徴的。

シャニワール・ワーダー(Shaniwar Wada)
e0074199_6361413.jpg
e0074199_6363288.jpg 上に述べたペーシュワーの第2代バージー・ラーオが1736年に建てたもの。
 ヒンディー語で「土曜日の宮殿」という名だが、宮殿というよりは要塞の体を成している。
 城壁の前は広い庭園になっており、シヴァージーの像が立っている。


パールヴァティ・ヒル(Parvati Hill)
e0074199_6423038.jpg 市の南西のはずれの小高い丘。
 微妙な傾斜が疲れを倍増させる階段をひたすら登ると、寺院群が見えてくる。
e0074199_643448.jpg 中心のパールヴァティ寺院の入口で靴を脱いで門をくぐると・・・
e0074199_6453143.jpg 立派な本堂が目に入ってくる。
 建設は18世紀中頃と言われ、勿論パールヴァティ(シヴァ神の奥さん)
の名が示す通りヒンドゥー寺院なのだが、形状はどこかイスラム建築っぽい・・・ハイデラバードのチャールミナールに似ている。
e0074199_6532065.jpg
本尊の中には、パールヴァティもいるが、旦那のシヴァのリンガ(男根)の像もある。
 ・・・が、何故か顔が。
 なんぢゃこれは。
e0074199_65715.jpg 本堂脇の壁画には、シヴァ一家の絵があるのだが、シヴァの容貌が一般的な姿ではなく、マラーターの王シヴァージー似になっている。
 王の神格化ということか。


ダガダシェートガナパティ寺院(Dagadushethganapati Mandir)
e0074199_765887.jpg
e0074199_772128.jpg 舌を噛みそうなくらい長い名前だが、要はガネーシャ寺院。
 全インド的に有名なガネーシャ寺院で、ガネーシャ祭りの頃には参拝者でゴッタ返すらしい。
e0074199_7122626.jpg カメラ禁止だが、本堂には巨大で純白のガネーシュ像が鎮座している。


ウィシュワスト・ダット寺院(Wishwast Datt Mandir)
e0074199_7154823.jpg 由緒ある寺院っぽいのだが、御覧の通り大改築の真っ最中だった。
e0074199_7165166.jpg 中の神様は、そのままだった・・・退避させずに改築しちゃうのだろうか・・・?


その他の寺院
e0074199_7184212.jpg この他にも、沢山のヒンドゥー寺院が街の中に実によく溶け込んでいる。
e0074199_72486.jpg そんな街の一角の金物屋の前で、店のオジサンが何やらカンカンと金物食器を叩いている・・・板金?
e0074199_726555.jpg !!・・・ヒンディー語を彫っていた。
 結婚祝いに、新郎新婦の名前・日にちを彫っているのだそうだ。
 日本でたまに貰う、引き出物みたいなものか・・・但し、これはあげるのではなく、自分達で使うもののようだが。


 
オススメ度(100%個人主観)

    ★★☆☆☆ ・・・ 観光地というより避暑地


観光所要時間

    約3時間
by bharat | 2007-01-15 10:30 | インドぶらり旅
デリー28 日本妙法寺
e0074199_14462047.jpg デリーの東、ノイダ(Noida、Utttal Pradesh州)に向かう道沿い。
 ちょうどフマユーン廟の裏手にあたるこの場所に、大きな仏塔(ストゥーパ)があることを御存知だろうか。


日本妙法寺デリー道場
e0074199_1328793.jpg
 日本妙法寺については、ラージギル旅行記でも書いたが、日蓮宗の一派で、インドを含む世界各国に道場を配している。

 ここデリーにも、道場を造っているという話は聞いていたが、こんなところにあるとは知らなかった。

 現在のところ、形になりつつあるのは、このストゥーパくらいで、あとは土木職人たちの仮住まいと、住職の仮住まいがその脇に立っているくらいだ。


e0074199_13294767.jpg ここで現場を管轄する、田中上人に会って、色々話を聞くことが出来た。
 同上人は、若いころに他の宗派からこの妙法寺に入り、妻帯を持たず、世界中を周っているという。
 1980年くらいから、ずっとインドに居るのだという。


e0074199_13335893.jpg このデリー道場の建設は、2004年後半から開始したのだという。
 土地取得の際には、いろいろインド側の対応に振り回されながらも、この場所を得て、ボランティアの手を借りながら、ゆっくりとだが着実にストゥーパの建設を行っている。
 完成すれば、高さ31m、内部にはブッダの遺骨、外壁四方に異なる4つ(誕生・瞑想・説法・涅槃)の仏像を配する真っ白い立派なものに仕上がる。


e0074199_13365126.jpg 既に、ストゥーパの先端部分は、クレーンで吊り上げて設置済。
 今は、周囲を塗装している段階で、完成時期は2007年11月頃。
 私は、6月頃に日本に帰国するので、残念ながら完成を直に観ることは出来ない・・・。


e0074199_13402130.jpg ストゥーパの下部は、ちょっとした倉庫になっており、上述した4体の仏像が、設置のときを待っていた。
 日本の道場から寄贈されたものだという。


e0074199_1341226.jpg 建設に使っている工具や資材は、恐ろしく原始的で古いものだった。


e0074199_13441595.jpg この日も、現場作業員が何人かいて、ノンビリ作業を行っていた・・・あと11ヶ月、こんな調整で、ノンビリ完成に漕ぎ着けるのだろう。





e0074199_13452831.jpg 妙法寺とは全然関係無いが、田中上人になついていた仔犬が可愛かったので、写真に収めた。

by bharat | 2007-01-08 10:30 | デリー市内あれこれ
File No.006 強欲ブッダのシール
e0074199_1545481.jpg

 ナグプールで開かれた、ブッダ生誕2550周年・アンベードカル没後50周年の記念式典の会場で購入したもの。

 ブッダとインド仏教再興の師アンベードカルを並べて、「アンベードカル万歳」というメッセージが入ったシールである。

 ここまではまぁ理解出来るのだが、この2枚目のシールはスゴい。

e0074199_15472152.jpg


 なんと、この2人が金まみれなのだ。
 およそ正反対の生活をしていたであろう2人が・・・このメッセージ性はどう理解すれば良いのだろうか・・・。
 恐らく、商売繁盛や金運上昇なんてことを神様にお祈りするということだと思うが、それにしても訳が分からない。

 インド仏教、奥深し・・・。
by bharat | 2007-01-07 10:30 | インドのいやげもの
File No.005 ジャガンナートの御堂
e0074199_15313068.jpg


 いい加減クドいが、これまたジャガンナート神グッズ。

 御堂に入っており、扉を開けると・・・ジャジャ~ン!!
e0074199_1536351.jpg


 ・・・ってまぁ、これだけなんですが・・・。
by bharat | 2007-01-06 10:30 | インドのいやげもの
File No.004 ジャガンナート3兄弟像(小)
e0074199_1516166.jpg


 これまたジャガンナート。
 オリッサ州プリーで購入。

 手のひらに乗るくらい小さいのだが、色付けがとても丁寧で、値段もちょっと高い(500ルピーくらいだったと思う)。この木目細かさは、なかなかインドには無いと驚いた。

 この手の土産物は、結構出来栄えに違いがある。
 店主は、ジャガンナートグッズをあれやこれや薦めてくるのだが、こちらにもコダワリというものがある。
 店の前に、同じ商品をドバーっと広げて貰って、町行く地元民がガヤガヤ集まる中、じっくり吟味して買った。 

 評点は、秀逸な色付けをしている点が「インドっぽさ」の減点対象に、一方で「希少価値」は高いと判断した。
by bharat | 2007-01-05 10:30 | インドのいやげもの
File No.003 ジャガンナート3兄弟像(中)
e0074199_1555078.jpg


 これまた、オリッサ州の地母神ジャガンナートの像。
 彼の聖地プリーで購入した。
 File No.2の像のついでに買ってしまった感じ。
 さして特徴は無い。




by bharat | 2007-01-04 10:30 | インドのいやげもの
File No.002 ジャガンナート3兄弟像(大)
e0074199_14543641.jpg


 オリッサ州プリーを旅したときに、露店で購入したもの。
 結構値が張ったが、一目ぼれで買ってしまった。
 ムチャクチャかさばる上に、木製なのでとても重たい・・・。

 帰路、空港のX線検査で、検査官に「見せろ」を言われ、開梱したら、大爆笑された。
 インド人でも、こんなデカいのは買わないと。




by bharat | 2007-01-03 10:30 | インドのいやげもの
File No.001 ジャガンナート絵画
 2005年11月にデリー市内で開催された、IITFなる博覧会で入手した一品。

e0074199_15143198.jpg


 幅は両手いっぱいにひろげたくらいで、かなり大きめ。
 絵は、布の上に描いてあり、それを額に収めたもの。
 IITFのオリッサ州の館で入手した。

 詳細は、以前書いたIITFの記事を見ていただきたいが、彼らは兎に角インドの神様の中で異彩を放っている。
 なんといっても、この風貌だ。先頃、日本を訪れた際に、キャラもののメッカである原宿キディランドに行ったが、この中に鎮座していても可笑しくない。
 こげぱん、アフロ犬、リラックマ、あおくび大根と並べて陳列ほしいな。
e0074199_1661545.jpge0074199_1662664.jpge0074199_166378.jpge0074199_1912230.jpge0074199_1671020.jpg

by bharat | 2007-01-02 10:30 | インドのいやげもの