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【州別観光事務所3】アーンドラプラデーシュ・ハウス
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 デリー門のすぐそば、Ashok Roadにあるこの事務所。
 アーンドラ・プラデーシュ(Andhra Pradesh)州の出張事務所になっており、観光情報や風土料理を出す食堂などを備えている。

e0074199_20415270.jpg 建物内には、観光をアピールする看板がいくつかあるが、

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 一際目を惹いたのはコレ。
 サイババの家と思われ、ハッキリ言って何のアピールなのか分からない・・・サイババの住む州アーンドラ・プラデーシュ♪ とでも言いたいのだろうか・・・?


 さて、アーンドラ・プラデーシュ州についてだが、州都ハイデラバードを旅行した際に詳しく記したので、そちらを参照して欲しい。


 今回ここを訪れたのは、ここが美味しい御当地料理を出すとインド人の友達に聞いたから。

e0074199_20474751.jpg その食堂、様子はこんな感じ。
 地元のヒトだか職員だか分からないが、結構な賑わいを見せている。
 昼のメニューは、Veg(肉ナシ)・Non-Veg(鶏/羊/魚)から選ぶ。
 料金は全部Rs60-(約180円)/人。
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e0074199_20534581.jpg これが結構美味い。
 食器などは決して綺麗ではないし、店員は殆ど英語NGだが、味はマル。
 アーンドラ・プラデーシュ特有の激辛な味付けがちゃんとされている。

 因みに、ボーイがカレーを持ってグルグル徘徊しており、断らないとワンコ蕎麦のようにガンガン皿にカレーを盛ってくるので注意。

by bharat | 2007-04-27 10:30 | デリー市内あれこれ
【州別観光事務所2】アンダマンニコバル・ハウス
 デリーの大使館が居並ぶチャナキャプリ(Chanakyapuri)地区。
 この一角に、知る人ぞ知る州の観光事務所がひっそりと佇んでいる。
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 中に入っても、職員は全くやる気ゼロ。
 何を話しても電話に夢中。
 仕方なく、受付に無造作に置いてあった観光パンフレットを貰って退散した。

e0074199_17224637.jpg このアンダマン・ニコバル諸島(Andaman & Nicobar Islands)は、れっきとしたインドの州の1つだ。
 だが位置が特徴的で、東経93℃はバングラデシュより東でミャンマーと同じくらい、北緯7℃(ニコバル諸島の南端)はインド大陸の最南端のコモリン岬よりも南になる。
 島の数は572にのぼり、その殆どは有人島。無人島は僅か30余。
 地図を見ると、この諸島だけベンガル湾の遥か南東にポッツ~ンとある感じだ。

 インド大陸に住んでいるインド人たちからすると、この諸島は殆ど気にしていないようで、自領と思っていない節すらある。
 笑えない笑い話にこんなのがある。
 スマトラ島沖の大津波でアンダマン・ニコバル諸島の島民が多数亡くなった。
 インド人の多くは、その報をニュースで聞いて、初めてこの諸島に住んでいる人間がいることを知ったという・・・。

 そんなアンダマン・ニコバル諸島。
 ニコバル諸島には軍事施設がある(らしい)ので、インド人・外国人共に特別な許可無しには入島出来ない。
 一方、アンダマン諸島については、入島可。
 リゾート観光施設として開発を進めている様子。
 綺麗な海を見ながらノンビリしたり、ダイビングを楽しんだり出来るようだ。
 南アンダマン地区のポート・ブレア(Port Blair)というところには飛行場があり、大陸側との空路が確保されている。
 Jetair、Air Deccanなどの便が毎日出ている。

 宗教分布は、ヒンドゥー教67%、キリスト教24%、イスラム教8%、そのほか1%。
 言語は、ベンガル語・タミル語・ヒンディー語が夫々20%前後で、部族語も9%ほど使われている。

 歴史を紐解くと、先住民が住んでいたこの一帯を17世紀にマラタ朝が征服。
 その後、19世紀以降は英国植民地となり、その地域特性上、流刑地として機能した。

 20世紀の第2次世界大戦期には、日本軍がここを占領。
 大戦後、インド独立と同時にインドの一部となった。

 インド北東諸州と同様、インドの中央部からは軽視され続け、先住民族の保護も適正になされていないようで、残すところあと数十人という危機的状況に陥っている民族もいる。


 ・・・一度行って見たい場所の1つである・・・。


<後日談>
 その後、念願叶って行くことが出来た。
 その様子はコチラ
by bharat | 2007-04-26 10:30 | デリー市内あれこれ
B級グルメ6 シャバレ
 しばらく、このカテゴリの存在を忘れていた。
 2005年11月以来の「インドB級グルメ」。

6. シャバレ
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 元々は、チベットなどから来ている料理らしいが、インドでも食べられる。
 恐らく北部出身の人たちが作っているものと思われる。

 簡単に説明するとすれば、「中身がギョーザのミートパイ」。
 外皮はサクサクに揚げてあり、中身は豚肉ミンチとタマネギ(香草も少し入っているかも)。
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 一個20~30ルピー(60~90円)で、とても美味しい。
by bharat | 2007-04-25 10:30 | インドB級グルメ
Hotel (11) The Oberoi Grand Hotel Kolkata
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<名称>
 オベロイ・グランド・ホテル・コルカタ The Oberoi Grand Hotel Kolkata

<住所>
 15, Jawaharlal Nehru Road, Kolkata 700 013 INDIA

<電話番号>
 +91-33-2249-2323

<宿泊料金>
 USD180~ / 日
 ※オフシーズン時。通常はUSD300前後。

<特徴>
e0074199_148149.jpg コルカタ市の中心部にあるこのホテル。
 広い敷地に、4~5階建と贅沢な空間の使い方をしている。

 建物は古いのだろうが古臭さはなく、荘厳な内装に、清潔感たっぷりなトロピカルな中庭・プール。バンヤンジュの木々が、他のOberoiホテルには無い独特な雰囲気を醸し出している。

 部屋も少々こじんまりとしているが、とても落着く。
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by bharat | 2007-04-24 10:30 | ホテル情報
いよいよ来ました このシーズンが・・・
 何がって、暑さの話。

 インドの夏は、過酷だ。
 2月に短い冬が終わりを告げると、インド(特にデリーくらいの緯度の一帯)は夏モードに切替わる。
 特に4月からは、気温上昇速度が一気に全開。
 私の住むデリーは、連日40℃台を叩き出している。

 参考までに、MSNのサイトでデリーの週間の天気予報を見てみたら、
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  23日(月) 40℃
  24日(火) 41℃
  25日(水) 41℃
  26日(木) 40℃
  27日(金) 41℃
  28日(土) 41℃
  29日(日) 42℃

 全部40℃オーバー・・・地図マッカッカ。

 こう暑いと、毎日の日程も、少々抑え気味にせざるを得ない。
 営業周りなどで、1日中外出したりすると、グッタリする。
 勿論、外にずっといる訳ではないが、40℃(外、日陰殆ど無し)→20℃(屋内、冷房ガンガン)を何回も何回も繰り返すと、体がおかしくなってくる。
 
 
 この時期、週末のゴルフやテニスなども、12時近くの時間帯になるとかなり危険。
 脱水症や熱中症に可能性が高く、水分補給や日陰で休憩するなどの工夫が必要。


 この時期、観光名所のアグラヴァラナシなどは、連日45℃前後。
 私が、老後に個人旅行でこの辺に来ようと思っても、50℃以上になってて観光どころではなくなっているのではなかろうか・・・。


 恐るべしインドの暑さ、なんとかすべし温暖化・・・
by bharat | 2007-04-23 10:30 | ふと思うこと
デリー33 階段井戸(Gandhak ki Baoli)
 デリー市内の観光場所は比較的中央部・北部に固まっているが、南に全く無いという訳でもない。
 世界遺産のクトゥブ・ミナールが好例だが、その他にもいくつかある。

 この階段井戸もそんな隠れた遺跡の一つ。

e0074199_3375754.jpg クトゥブ・ミナールの南方に広がるメローリ(Mehrauli)集落。
 まず目印となるのは、このアダム・カーン(Adham Khan)廟。アダム・カーンは、ムガル皇帝アクバルの乳母を務めたマハム・アンガ(Maham Anga)の息子で、アクバル皇帝軍の将軍にまでなった人物だ。しかしのちにアクバルの不信を買い、アクバルのこれまた乳母のジジ・アンガ(Ji Ji Anga)の夫のアタガ・カーン(Ataga Khan)によってアグラ城から突き落とされて謀殺されてしまう。そののち、アダムの母マハム・アンガが亡くなった際、アクバルはこの廟を造り、2人の霊を鎮めた(1562年)。
 全くどうでも良い話だが、乳母は英訳すると2種類ある。乳をあげる乳母はWet Nurse、子育てだけする乳母はDry Nurseという。



e0074199_333155.jpg さて、話が脱線したが、このアダム・カーン廟の脇の細い道を入る。
 車1台がやっと通れるくらいのこの側道を進み、何気なく道の左側を見ると、鉄柵が見えてくる。
 外側からは全く遺跡の雰囲気は無いのだが、近づくと・・・
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e0074199_4192690.jpg 5層建の階段井戸が忽然と姿を現す。
 今は干上がっているこの階段井戸、歴史は古く奴隷王朝期にまで遡る(13世紀)。
 同王朝の第3代のイルトゥトミシュ(Iltutmish)王の治世期に、住民の生活用水の摂取手段として掘られたとされている。



e0074199_4195089.jpg 使用目的が一般生活用ということで、建造物の造りは実にサッパリしている、というか何の装飾も無い。
 王族が水を神聖視した水を祀るということで、精緻な彫刻をそこら中に施したアーメダバードの階段井戸とは、明らかに別物だ。


 名称の由来Gandhakは、サルファー(Sulphur)の現地語。
 硫黄のニオイがしたことから、これが井戸の名前となったようだ。

 
by bharat | 2007-04-19 10:30 | デリー市内あれこれ
ホテル (10) Park Plaza Royal Palms Mumbai
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<名称>
 パーク・パレス・ロイヤル・パームス Park Plaza Royal Palms

<住所>
 169, Aarey Milk Colony, Goregaon, Mumbai 400065

<電話番号>
 +91-222-8795000

<宿泊料金>
 USD300前後 / 日

<特徴>
 インドの航空国内線某社の機内誌に掲載されていたホテル。
 ムンバイと記載されていたので、てっきり市街地にあると思ったのだが、これが随分市街から離れている。

 やっとのことで着いたが、内容は良かった。
 まだまだ敷地内のあちこちに建築現場が散見されるほど新しい。

e0074199_5483443.jpg 廊下は広く、
e0074199_551220.jpg 部屋の中身も空間を贅沢に使い、
e0074199_5494684.jpg ベッド周りもお洒落な感じ。
e0074199_5515862.jpg バスルームは、バスタブとシャワーが分かれており、ゆっくりフロに入りたい日本人には使い易い。



 ・・・内容は申し分無いのだが、如何せん立地が良くない・・・時間に余裕があるときに使いたい。
by bharat | 2007-04-18 10:30 | ホテル情報
ホテル (9) Galle Face Hotel Colombo
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<名称>
 ゴール・フェース・ホテル Galle Face Hotel

<住所>
 2, Galle road, Colombo 3, Sri Lanka

<電話番号>
 +941-12541010~16

<宿泊料金>
 USD60~210 / 日

<特徴>
e0074199_4554499.jpg コロンボ市内にあるホテル。
 創業1864年の老舗。
 当時はこんな雰囲気だった。


e0074199_519167.jpg 旅行本に、昭和天皇が宿泊した歴史のあるホテルと書いてあった(実際ホテルの壁の宿泊者履歴にも名が刻まれていた)ので、ここを選んだのだが・・・


e0074199_502331.jpg これは、昭和天皇が泊まったコモンウェールズ・スウィートルーム。
 何をしたらいいか分からないくらい広くて何も無いリビングルームに、
e0074199_52716.jpg お湯の出ないバスルームに、
e0074199_522577.jpg オンボロのベッド。


 創業当時の雰囲気そのままの味のあるホテル・・・とはとても言えないメンテナンス。
 加えて、スタッフのサービスが御世辞にも良いとは言えない。
 お湯の出ないバスを直してくれと内線電話で頼んでも30分誰も来ないし、責任者を呼んでも来ない・・・後から知ったのだが、地元の旅行代理店は決してこのホテルを薦めないのだそうだ。

e0074199_5223724.jpg 但し、このホテルの新館にあたるリージェンシー・ホテル(The Regency Hotel)は別。
 最近出来たようで、入口も別、部屋も綺麗で、スタッフの対応もとても良い。
e0074199_523350.jpg 部屋からは、海が見える。
e0074199_5241018.jpg 朝食を出すレストランの脇には、喫茶コーナーと昔使用した車や食器を展示する一角。


 泊まるなら、断然リージェンシー・ホテルの方が良い。
by bharat | 2007-04-17 10:30 | ホテル情報
デリー32 ハウズカス遺跡
 デリーの南、骨董品や高級ブティックの店舗が並ぶハウズカス(Hauz Khas)。

 その最奥に、今は現地民の憩いの場となっている、遺跡群がある。

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ロイヤル・ファミリーの水瓶
 この一帯の歴史は、意外に古く、ムガル帝国期よりも前、13世紀に遡る。
 この時期、デリーはスルタン(君主の意)が王を名乗り、スルタン王朝期の真っ只中だった。
 因みに、スルタン王朝は、1206年に始まる奴隷王朝(この時期に建てられたのがデリーにある世界遺産クトゥブ・ミナール)、ハルジ王朝、トゥグラク王朝、サイイド王朝、ロディー王朝(今もデリーに現存するロディー・ガーデンはコチラ)の5王朝を指す。

e0074199_13424559.jpg ハルジ朝、アラウッディーン・ハルジ(Alauddin Khilji)の治世期、彼は1284年にこの地に都市を形成し、その周辺に城砦を巡らせた。
 今は、総合スポーツ施設となっているシリフォート(Siri Fort)も、1303年、文字通りSiriという地名に建てられた城砦だった。
 このシリフォートの住民のために作られた水瓶は、当時ハウズ・イ・アライ(Hauz-i-Alai、アラウッディーンの池)と呼ばれた。

 ハルジ王朝期の将軍ギャースウッディーン・トゥグラク(Gyasuddin Tughlaq)が建てたトゥグラク王朝期には、この溜池にてを入れ直し、ハウズカス(Hauz Khas、王族の池)と改称した。


庭園の中の様子
e0074199_1547143.jpg 入口部には、小さいが重厚な印象の門がある。
e0074199_15493025.jpg 中は、芝生を敷いた庭園になっており、霊廟が点在している。
e0074199_1551068.jpg 霊廟の屋根の内壁には、コーランと思しきイスラム文字と、
e0074199_1617026.jpg 墓をひっぺがした跡がある。
 ・・・いつ、何の目的でひっぺがしたのだろうか・・・?


e0074199_162135100.jpg 小さな霊廟が乱立しているが・・・
e0074199_16222236.jpg 中にはこんな立派なものもある。
 特に明記されていないのだが、恐らくトゥグラク王朝のフィローズ・シャー・トゥグラク(Firuz Shah Tughlaq)の廟と推測される。
e0074199_16244788.jpg 中には棺が安置されている。
 何故、この棺だけ無事に残っているのか・・・?


 この遺跡群は、増改築されながら、奴隷王朝期からロディー王朝期の長きに亘って使用されていた。
 恐らく、貯水湖に近いということで利用価値が高かったのだろうし、各王朝ともイスラム系だったので、生活習慣上・宗教上使用することが出来たのだろう。
 この立派な建物は、ロディー王長期の1354年になって建てられたもの。
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 マドラサ(Madrasa)と呼ばれる、学校施設として機能していたと言われている。
 因みに、このマドラサという名称は、今現在も使用されており、インドで生まれ育つイスラム教徒たちは、マドラサで教育を受ける。教育内容は、国語・算数に始まりイスラム特有の教育にまで及ぶ。

 


by bharat | 2007-04-14 10:30 | デリー市内あれこれ
File No.009 ニャース
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 デリーの骨董品屋にあった。

 鉄製・・・ブロンズかな?
 用途は不明だが、小物入れだと思われる。
 メッシュ状になっているので、あまり実用性は無い。

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 なんとも形容し難い生物が上に寝そべっている。
 「ニャース」というネーミングは、眺めていて思いついただけ。
 大意は無い。

 これを作った意図は一体なんだったのだろうか?

 永遠にナゾである・・・。
by bharat | 2007-04-02 10:30 | インドのいやげもの