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インドの激安自動車の全貌が明らかに!②
 1月15日に、インドの28万円カーについて触れたが、同僚がデリーのモーターショー(Auto Expo 2008 Delhi)に行って、更に詳細が判明。

1.名称とスペック
 車の名称は、Nano。
 内外装別に、価格帯を細かく分けるようだ。

【名称】 Tata Nano
【価格】 Rs.100,000- (約28万円)
      ローン購入の場合、
      3年なら月々Rs.3,200-(約9,000円)
      5年なら月々Rs.2,200-(約6,000円)
【寸法】 全長3,100mm x 全幅1,500mm x 全高1,600mm
      参考までに、日本の軽自動車の寸法は、
      全長3,400mm x 全幅1,480mm x 全高2,000mm
【排気】 623cc 33馬力 2気筒
【駆動】 4速マニュアル
【定員】 5名
【燃費】 20km/L (燃料タンク容量は30L)
【速度】 最高105km/h
【規制】 欧州環境規制Euro4に対応
      (因みにインドでこの基準はまだ強制されていない)
      クラッシャブルゾーン確保
      前席シートベルト

2.発売時期

 2008年9月より予約受付


3.外観
(1)Base Grade
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 スチールホイール、樹脂バンパーの安っぽさは否めないが、見栄えはハッキリ言って普通。
 28万円でよくここまで仕上げたと感心してしまう。

(2)高級Grade
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 ホイール、バンパーがグレードアップし、高級感が増している。
 価格がいくらになるかは不明だが、見栄えが良い。


4.内装
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 内装は、シンプルというか・・・貧相。
 致し方の無いところか。

 座席の薄さがとても気になるが、それが幸いしているのか、現行のインドの大衆車の代名詞であるスズキ自動車の「マルチ800」と比べて車内空間は20%も広いんだとか。

 計器類は最小限に止められ、ステアリング部分およびアクセル/ブレーキ/クラッチ部分を除いてインパネは左右対称に設計されている。
 将来的に、左ハンドル国への輸出も考えているのか!?


番外. インド勢の飽くなき野望
 更に驚くべきことに、インド2輪大手のBajaj Autoの「コンセプトカー」も展示されていた。
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 こちらも外観上は全く通常の車と遜色無い。

 来年くらいの発売になるのだろうか・・・?
 インドの若者へのマーケティングに定評のあるBajaj。
 恐らく、この車もかなりインドの若者層を食っていくことだろう。
by bharat | 2008-01-21 10:30 | ふと思うこと
インドの激安自動車の全貌が明らかに!
 インド、いや世界の自動車業界で密かな話題となっていたタタ・モーターズの「ワンラックカー(1 lakh car = Rs100,000 Car)」が1月10日、発表された。

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 見た目は、ベンツのAクラスをギュッと詰めた感じで、そんなに貧相なイメージは受けない。
 が、内外装のムダの削ぎ落としは、我々の感覚を遥かに超えるもの。

 現地新聞記事等によれば。。。

排気量 : 736cc(他紙には600cc、660ccとも)
気筒 : 3
馬力 : 33馬力(原付の50ccより遥かに低い)
最高速度 : 90km(他紙には70kmとも)
パワーステアリング : なし
パワーウィンドー : なし
サイドミラー : 運転席側のみ
ワイパー : 前面に1本のみ
速度計 : アナログ
タコメーター : なし

e0074199_1034143.jpg 上の数字がどれくらいスゴいかというと、スバルが1968年に発表したスバル360ヤングSSが36馬力だったと言えばイメージがつくだろうか。
 要するに、日本の40年前のスペックと同等ということである。


 コストを抑えるために、金属ボルト等を極力使わず、プラスティック部品や接着を多用したとも書いてある・・・剛性や衝突耐性は大丈夫なのか・・・?


 因みに、これをインド側では「新しい哲学"不足の精神"が生み出した勝利」・「ガンジー精神を載せたエンジニアリング」とアピールしているらしい。


 この車、果たしてインド自動車業界の救世主となるのか?
 はたまた、交通渋滞の主役となるのか?
by bharat | 2008-01-15 10:30 | ふと思うこと
インド人化完了☆  <インド滞在の総括レポート2-⑥>

 インドは、周辺国と人類学的、文化的、物理的な影響を与えあってきた。

 それは、書物などで読むだけではなく、実際に周辺国を旅してみて実感したことだ。

 人類学的・民族的には南インドとモルディヴ・スリランカとの関係が深いし、北東インドとネパール・ブータンと繋がりがある。
 文化的には、インド発祥の仏教が周辺国に伝播した跡を色々なところで目にすることが出来た。ブータン、スリランカ、タイなどがその例だ。
 ヒンドゥー教と共通項でくくれるのはネパールである。


<インド周辺>
(1) スリランカ---(訪問箇所:12)
e0074199_1775969.jpg インドの南東に位置する島国。
 概況はコチラ。 
 (旅行記)コロンボアヌラーダプラミヒンタレーポロンナルワシーギリヤダンブッラキャンディウトワトゥナマータラゴールキャラニヤスリジャヤワルダナプラコッテ


(2) ブータン---(訪問箇所:3)
e0074199_1792336.jpg インドの北東にある国。
 概況についてはコチラ
 近々、現在の王政から立憲君主制に切替ることが決まっており、良くも悪くも現在のブータンの姿は急速に変わっていく可能性がある。
 (旅行記)パロティンプータクツァン


(3) タイ---(訪問箇所:1)
e0074199_17104210.jpg インドの東方に位置する東南アジア地域のタイ。
 ここも、インドの影響を色濃く受ける国の1つだ。
 (旅行記)バンコック(バンコク)


(4) ネパール---(訪問箇所:4)
e0074199_175458.jpg インド北方に位置するネパール。
 概況については、コチラ
 (旅行記)カトマンズ(カトマンドゥ)パタンバクタプルカトマンズ周辺地域


(5) モルディヴ---(訪問箇所:1)
e0074199_17124555.jpg モルジブとも。
 インドの南西にある小さな島国。
 概況については、コチラ
 (旅行記)マーレ

by bharat | 2008-01-07 10:30 | ふと思うこと
インド人化完了☆  <インド滞在の総括レポート2-⑤>

<北東インド>
(22) アッサム州---(訪問箇所:2)
e0074199_1656992.jpg 面積7.8万k㎡、人口2,700万人。
 州都はグワハティ(約7km離れたディスプールと表記されることも)。
 農地が豊富で、州人口の3分の1が第1次産業に従事している。同州で産出される茶葉は、アッサムティーとして世界的に愛飲されている。
 特に日本人はこの味が濃く色の良く出るアッサムティーを好み(ミルクティーに向いている)、イギリス人がダージリンティーを好むのとは対照的な嗜好だ。
 農業以外では、石油を産する地域なのでこれに関連する産業が盛ん。
 教育産業も活発で、理工系で世界最高峰とも言われるIIT(Indian Institute of Technology)の一部が州都グワハティにある。
 また、自然保護地域があり、絶滅危機種のインドサイの保護区などがある・・・グワハティを訪れたときも、「Rino City(=サイの町)」という看板を良く目にした。
 (旅行記)グワハティハジョ


(23) ナガランド州---(訪問箇所:2)
e0074199_16572061.jpg 面積1.6万k㎡、人口200万人。州都はコヒマ。
 非常に特徴的な州で、州の約9割が指定部族民で、16の主要な部族が地域に散らばっている。中には首狩り族だった部族もおり、非常に伝統的な生活スタイルを採っていた。その後、英国支配が強まった際に、近代的な生活様式へのシフトを強要され、今では9割以上の州民がキリスト教徒である。
 食生活は、中央インドとは全く異なり、鶏肉・豚肉は勿論牛肉も食べるし、犬や虫も食べる。
 私が訪れたときも、ビーフジャーキーが出た。
 州民の見た目も、中国系のルックスで、周囲の田園風景と一緒になると、日本の田舎に来たような錯覚に陥る。
 歴史的に日本と繋がりがあり、第2次大戦中に日本帝国軍が進駐してきたことがある。私が訪れたときも、「ジェネラル・サトー(第31師団長:佐藤陸軍中将)を知っている」という州民に会った。
 ディマプールコヒマ


(24) シッキム州
 面積0.7万k㎡、人口54万人。
 州都はガントク。
 地理的に大きな特徴を持つ州で、西をネパール、北を中国チベット地区、東をブータンに接している。
 歴史的にはブータンに酷似した歴史を辿っており、隣国との領土争いを繰り返していた。
 1835年に、英国政府がダージリン地域への支配強化を行った際、シッキム地方も管轄下に入った。
 その後、1947年のインド独立に際して、ネルーが条件付でシッキムを属国とし(外交・防衛に関しては英国に権利を残した)、1975年に正式にインドの州に組入れた。
 主要産業は農業だが、観光業にも注力し始めている。

(25) メガラヤ州
 面積2.2万k㎡、人口232万人、州都はシロン。
 南をバングラデシュ、北~東部をアッサム州に接する。
 指定カースト者が州民の86%を占める。
 手付かずの自然が多く残っており、鉱物資源が比較的豊富。
 また、気候特性上非常に降雨量が多く、チェッラプンジ(Cherrapunji)は年間降雨量のギネス記録を持っている。1974年の年間降雨量は実に24,555mm---屋久島の歴代最大年間降雨量が6,300mmと聞けばチェッラプンジの降雨量の凄さが分かるだろうか。

(26) アルナーチャル・プラデーシュ州
 面積8.4万k㎡、人口109万人、州都はイタナガル。
 インドの最北東部に位置し、西をブータン、北~東部を中国チベット地区に接している。
 同地域の自治独立、中国と英領インドとの領有問題などを経て、1987年にインド政府が州を設置、現在に至る。
 インド中央政府にとって同州は、基幹産業に乏しく収益性のある地域ではないが、中国との国境ということで非常に注目されている。
 最近大きく問題視された事件としては、こんなのがある。
 同州の役人が中国に入って研修・視察を行う際に、インド政府が中国政府に対してビザの申請を行ったが、中国政府は「アルナーチャル・プラデーシュ州の人間は中国の同胞なので、ビザは不要」としてビザ発給を断った、というもの。
 外国人が同州に入る際にも、入域許可が必要で、これがなかなか降りないという。降りても、そこらじゅうが写真禁止区域で、私の知人などは何気なく景色をパチリとやったところ、警官に取押えられ留置場に入れられそうになった。なんでも写真を撮った中に橋梁があり、これが軍事機密漏洩に繋がる、というものだったそうだ。
 非常にピリピリした地域だ。

(27) ミゾラム州
 面積2万k㎡、人口89万人。
 州都はアイザワル。
 インド東部に位置し、バングラデシュよりも東に位置している。
 前述のナガランド州のナガ族同様、ミゾ族(ミゾラムの主要民族)も前近代的・迷信的な自然信仰を背景に、生贄や首狩りといった風習を持っていた。その後、英国による近代教育によって、州民の殆どはキリスト教を信仰するようになり、英国文化の影響を強く受けた独自の文化を育んだいった。
 その恩恵を活かす形で、現在も基幹産業の農業に次いで盛んなのは、英語を活かしたIT産業等であり、州民の識字率は実に88%を超える(インド内ではケララ州に次ぎ第2位)。

(28) マニプール州
 面積2.2万k㎡、人口217万人。
 州都はインパール。
 インド東部に位置し、東をミャンマーに接する。
 上述のミゾラム州同様に、英国支配の影響を強く受けた地域で、州内の3分の1がキリスト教徒である。
 主要産業は農業。
 前述のナガランド州のくだりでも触れたが、第2次世界大戦時、非常に日本と関わりの強かった地域だ。
 「インパール作戦」と聞けばピンと来る人もいるだろうか。
 大日本帝国最大の愚策と言われた作戦(作戦の詳細内容はコチラで記した)の到達目的地がインパールだった・・・。

(29) トリプラ州
 面積1万k㎡、人口319万人。
 州都はアガルタラ。
 北部~西部~南部をぐるっとバングラデシュに囲まれるような地理的立地。
 現バングラデシュが東パキスタンとして英国から独立をした際、大量のヒンドゥー教徒が棲家を追われてこの地域に流入してきた。
 その関係で、州内の人口構成も80%以上がヒンドゥー教徒、主要言語はベンガル語となっている。

<そのほか連邦直轄領>
(30) アンダマン・ニコバル諸島---(訪問箇所:1)
 ポート・ブレア


(31) ダードラー・ナガルハヴェリ


(32) チャンディーガル


(33) ダマン・ディーウ


(34) ポンディシェリ


(35) ラクシャディープ
 ※ 私は行けなかったが、コチラに詳細記事があります。




  レポート2-⑥に続く。
by bharat | 2008-01-06 10:30 | ふと思うこと
インド人化完了☆  <インド滞在の総括レポート2-④>
<南インド>
(18) アーンドラ・プラデシュ州---(訪問箇所:2)
e0074199_12595535.jpg 面積27.5万k㎡、人口7,700万人。
 インドの南東部に位置するこの州は、多様な顔を持つ。
 産業別人口比率が27%(第1次)、15%(第2次)、58%(第3次)となっており、農業が盛んな一方で、州都のハイデラバード近郊にはシリコンバレーが形成され、急速な経済発展を実現している。
 また、内陸には山岳・高原地帯を持ちながら、長い海岸線を活用しての漁業も行われており、漁獲高はインド全州で第2位だ。主要港のバイザック(ヴィシャカパトナム)は、インドの主要港の1つで、貿易港・軍港として栄えている。
 民族的には、州の名前の通りアンドラ族という民族が大半を占めており、州民の大半はヒンドゥー教徒だが、州都のハイデラバードはこの限りではなくイスラム教徒の比率がとても高い。
 エイズ感染者比率がインドで1番高いという不名誉な数字も持っている。
 (旅行記)ハイデラバードバイザック


(19) カルナタカ州---(訪問箇所:7)
e0074199_1313165.jpg 面積19万k㎡、人口5,300万人。
 アーンドラ・プラデシュ州の西側に位置する。
 州都バンガロールのシリコンバレーはあまりにも有名で、第3次産業人口は62%に上る。
 同地には海外企業も数多く進出しており、日系ではトヨタ自動車が進出している。
 あまり知られていないが歴史的にも興味深い地域で、イギリス支配に叛旗を翻した藩王が活躍したマイソールや、中世の交易都市遺跡ハンピ、巨大な全裸の石像が立つジャイナ教の聖地サラバナベルゴラなど、観光スポットが実に多い。
 が、残念ながら内陸に行くほど道路インフラが脆弱で、短期間で効率良く旅するには難しい。

 (旅行記)バンガロールマイソールソームナートプルスリランガパトナムサラバナベルゴラハンピバーダーミ


(20) タミルナドゥ州---(訪問箇所:9)
e0074199_1353133.jpg 面積13万k㎡、人口6,300万人。
 州都はチェンナイで、商業都市・貿易都市として栄えている。
 自動車産業が盛んで、HM(ヒンダスタン・モーターズ)、フォード、現代、マヒンドラルノー、アショクレイランド(トラック/バス)が進出しており、しばしば「インドのデトロイト」と呼ばれている。
 最近は、ホテル・外食産業の伸びが著しい。
 一方で、保守的・排他的な側面もある。
 タミル民族は自分の文化・言語に大変な愛着を持っており、インド独立時に公用語をヒンディー語に統一しようと試みた際、タミル語圏からの猛反発で公用語を複数設けることにしたというエピソードがある。また、インド映画の中でもタミル映画は一線を画しており、デリーやムンバイを意識した都市派の映画が増えているトレンドの中、タミルでは未だに昔ながらの映画がタミル語で製作され続けている。我々日本人がもっともよく知るインド映画の1つ「踊るマハラジャ」もタミル映画である。
 飲酒・喫煙に対しても保守的な雰囲気が残っており、和食・洋食レストランへのアルコール許可手続が遅々として進まないという話を良く聞く。
 (旅行記)コモリン岬(カニヤクマリ)ラーメシュワラムマドゥライトリチータンジャブールチダムバラムマハーバリプラムカーンチープラムチェンナイ


(21) ケーララ州---(訪問箇所:6)
e0074199_1372523.jpg 面積3.8万k㎡、人口3,200万人。
 インド西側南端の州。
 日系進出企業が殆ど無いので、日本人には知名度が低いが、インド随一の「豊かさ」を誇る州である。識字率はインドでは驚異の90%超え。この数字が意味するところは女性にも教育の場が与えられているということだ。州予算の多くを教育費に割いており、知識層が率先して州の教育水準向上を推進している。
 乳児死亡率もインドで1番低く、医療レベルの高さが伺える。
 沿岸部の漁業、内陸部の農業(米、天然ゴムなど)は勿論のこと、水郷遅滞をハウスボートでのんびり下るバックウォーター観光が流行っており、観光収入は州の財源として大いに役立っている。インド人富裕層や欧州人が数多くこの観光旅行を目指してこの州にやってくる。
 (旅行記)コチ(コーチン)トリスールグルヴァユールアレッピートリヴァンドラム





   レポート2-⑤に続く。
by bharat | 2008-01-05 10:30 | ふと思うこと
インド人化完了☆  <インド滞在の総括レポート2-③>
<中央インド>
(12) マディヤ・プラデーシュ州---(訪問箇所:10)
e0074199_1105184.jpg 面積31万k㎡、人口6,000万人。
 後述のチャッティスガル州が2000年に分離した。
 インドの中心に位置し、鉱物資源に比較的恵まれているので、工業が発達している。インドールには、早くからブリジストンが進出、タイヤ生産工場を持っているし、ボーパールにも化学メーカーが多数進出している。
 その一方で、グワリオール、マーンドゥなどの中世の城塞遺跡、官能的な彫刻のあるカジュラホ、仏跡サーンチーなど、歴史的観光スポットも充実している。
 (旅行記)カジュラホグワリオールジャンシーオルチャボーパールライセンサーンチーウッジャインインドールマーンドゥ


(13) チャッティスガル州
 2000年、マディヤ・プラデーシュ州から分離して成立。
 近代化が遅れ、慢性的な水不足に悩まされ、ナクサライト(地域解放戦線)の活動など、州の発展を阻む要因も多いが、発電所が多く配置され、電力事業が州を支えている。
 また、アルミの一大産地としても今後の発展が見込まれる。
 地理的に山間部族が多く、州の人口の4割以上が指定カースト者である。


(14) ジャールカンド州
 面積8万k㎡、人口2,700万人。
 2000年に、ビハール州から独立して成立した州。
 インド全体の4割の鉱物資源を産出する特性を持ち、南東にあるジャムシェドプールはタタの本拠地である。
 産業別比率は、第1次:24%、第2次:35%、第3次:41%。


<東インド>
(15) ビハール州---(訪問箇所:4)
e0074199_1121862.jpg 面積9.4万k㎡、人口8,300万人。
 かつて仏教隆盛の中心となり歴史的にはインドで最も文化的だった州は、今や治安が悪く貧しい州の代名詞になっている。
 識字率は50%を切り、指定カースト者の割合は48%と高い。
 工業は殆ど根付いておらず、第2次産業比率は僅か3%で、完全に農業に依存している。が、最近はこれが思わぬ追い風になりつつあり、バイオエタノール燃料への活用が出来ないか、中央政府の支援による本格検討が始まっている。
 (旅行記)ナーランダーラージギルブッダガヤー(ボードガヤー)ガヤー


(16) オリッサ州---(訪問箇所:7)
e0074199_1133363.jpg 面積15.5万k㎡、人口3,600万人。
 鉱業が盛んで、ニッケルやクロムの採掘量がインドでNo.1である。
 海岸線が長く漁業も盛んで、内陸部では農業も栄えている。
 これだけ列挙すると大成功している州のように聞こえるが、州内GDPなどは決して右肩上がりということにはなっていない。農業も漁業も天候に左右され易く不安定で、旱魃やサイクロンの被害等に悩まされている。
 観光場所は多く、ヒンドゥー寺院が数百もあるブバネシュワル、自然信仰の跡を残すプリーやコナーラクなど見所は多い。
 (旅行記)ブバネシュワルダウリコナーラクピプリプリーウダヤギリ・カンダギリ石窟ラトナギリ、ウダヤギリ、ラリトギリ石窟


(17) 西ベンガル州---(訪問箇所:5)
e0074199_1144837.jpg 面積8.8万k㎡、人口8,000万人。
 東をバングラデシュと接するということで、イスラム教徒の比率が多い(25%)。
 州都はコルカタで人口は1,300万人。インドの東の玄関口となっているが、その発展スピードはムンバイやデリーより遅れを取っているイメージを受ける。
 昔から共産党が長期政権を握るこの州は、労働問題が起きるということで外資系企業から敬遠されてきたが、それが産業の近代化を遅らせてきた一因ともなっているようだ。但し、現在は三菱化学はじめ多くの外資企業が進出を始めており、州政府も誘致に積極的だ。
 また、南北に長いこの州は、北部の丘陵地域も含んでおり、世界的に有名な紅茶を産するダージリンも西ベンガル州にある。
 (旅行記)コルカタシリグリダージリングームカリンポン




  レポート2-④に続く。
by bharat | 2008-01-04 10:30 | ふと思うこと
インド人化完了☆  <インド滞在の総括レポート2-②>
<西インド>
(8) ラージャスターン州---(訪問箇所:10)
e0074199_1824388.jpg 面積34万k㎡、人口5650万人。
 西をパキスタンに接する。多くの地域は砂漠・土漠となっており水不足が慢性化している。タール砂漠やサム砂丘があるのもこの州だ。ラージプート民族というヒンドゥー戦闘民族が小国の王を名乗り、覇権を争った地であり、州内に様々な特徴的な建築物などが残っている。
 大理石、砂岩石などの石切が盛んで、これに関連してセメント事業も活発。
 砂漠の町ツアーなどの観光業も盛んで、デリーに程近いジャイプールは、一大観光名所だ。
 (旅行記)ジャイプールジャイサルメールジョードプルランタンボールチットールガルウダイプールケオラデオ・ガナニムラナタタルプールアルワール


(9) グジャラート州---(訪問箇所:7)
e0074199_18275293.jpg 面積20万k㎡、人口5000万人。
 インドの西端に位置し、近年は強力な州首相の手腕のもとで港湾の近代化、外資メーカー企業の誘致が進んでいる。
 自動車関連産業、エンジニアリング産業は内陸部で活発化し、化学産業は沿岸部に大コンビナートを形成し始めている。州民の気質が温和で、労働争議が少ないのも、外資企業進出の御後押しになっているようだ。
 一方、グジャラートの出身地ということで、保守的な要素も併せ持っており、インド全土では唯一酒の販売・摂取が禁止されている地域である。グローバル化に伴い、外国人のパスポート掲示を条件に隠れたところでの飲酒を認めるという弾力措置は採られているが、酒飲みの人には辛い州である。
 (旅行記)アーメダバードカンドラヴァドーダラ(バローダ)チャンパーネルバーヴナガルパリタナロータール


(10) マハラシュトラ州---(訪問箇所:9)
e0074199_1849581.jpg 面積30万k㎡、人口1億人。
 インド随一の商業都市であるムンバイを州都とする。
 産業別分布は、第3次:67%、第2次:20%、第1次:13%となっており、約9割が農業以外に従事しているということになる。
 インドの株式市場Sensexがムンバイにあり、金融の中心地でもある。少し内陸に行ったプネーは産学IT都市として発展している。
 史跡にも恵まれており、観光場所としても栄えている。
 (旅行記)アウランガバードアジャンタ石窟群エローラ石窟群ムンバイエレファンタナグプールラームテークロナウラと周辺石窟群プネー

(11) ゴア州
 面積3,700k㎡、人口135万人、1日あればぐるっと観光出来る小さな州である。
 西側の海岸地帯ということで、中東や欧州からの客を見込んだビーチリゾートホテルがある。
 また、中小規模の造船所が立ち並ぶ面も併せ持っている。
 キリスト教徒の人口比が27%というのも特徴的。





 レポート2-③に続く。
by bharat | 2008-01-03 10:30 | ふと思うこと
インド人化完了☆  <インド滞在の総括レポート2-①>
2. インド各地を訪れて感じたこと

 先のレポートで述べた3要素、すなわちインドの「地理」・「歴史」・「文化および宗教」を理解して、初めて市内や国内・周辺国の各所を旅したときにその地域のことを深く理解することが出来る。

 インド滞在の2年の間、私は出来るだけ自分の目で確認しながらインドの実態に関する知見を深めようと試みた。
 毎週末の殆どを、インド国内および周辺国の旅行に充てた。
 周遊箇所は、最終的にインド国内105箇所、周辺国21箇所に及んだ。

<インド首都圏・北インド>
(1) デリー州---(訪問箇所:1)
e0074199_15483722.jpg 面積1,483k㎡で伊豆半島や静岡市とほぼ同じくらいの大きさ。
 人口は約1,400万人。
 言わずと知れたインドの首都がある場所である。
 よくインドの首都を「ニューデリー」と記載している資料を目にするが、厳密に言えばこれは正しくない。ニューデリーは、飽く迄デリーの中の特定の地区を指す名称であって、総称ではない。デリーは、ニューデリー地区・オールドデリー地区・デリーカントンメント地区に大別されている。
 使用される言語は、ヒンディー語・パンジャビ語・ウルドゥー語など(後者2言語はヒンディー語に似ている)で、英語人口が多いのも特徴的。
 宗教人口はシーク教徒が4%と多い。市内でよくターバンの人たちを見かけるのもうなずける。
 政治的中心地で、大統領官邸、国会議事堂はじめ、各省庁の事務所がある。
 商業的にも中心地で、電力やガス、水道の各インフラの本部(公社)などが配置されている。
 産業別では、第1次:1%、第2次:9%、第3次:90%となっており、圧倒的に非製造業が発展している。
 テレビ普及率は85%、電力普及率は99%、電話普及率は53%。
 (旅行記)デリー


(2) ウッタル・プラデーシュ州---(訪問箇所:10)
e0074199_15504446.jpg デリーの東側を接する大きな州で、面積は約24万k㎡、人口1.7億人。
 インド全土でもっとも人口の多い州の1つで、票田として最も政治に影響力のある州でもある。州都ラクナウは政治都市として栄えているが、州内格差が急速に広がっていることが問題視されている。西部は、デリーの影響を受けて急速に近代化し、本田技研・ヤマハ発動機など日系企業も多く進出する一方、東部は未だ農耕・牧畜型生活様式のままである(産業別では、第1次:35%、第2次:13%、第3次:52%)。テレビ普及率は30%、電力普及率は8%、電話普及率は35%、州内識字率も56%と意外に低く出ているのも、東部の数字が低いことに起因していると推測される。
 ガンジス川の沐浴の映像で登場するヴァラナシも、この州にある。
 (旅行記)アグラメーラトヴァラナシサールナートファテープル・シークリジョーンプルラクナウマトゥラーヴリンダーバンアラハバード


(3) ハリヤナ州---(訪問箇所:3)
e0074199_16232898.jpg デリー西側をぐるりと囲むように立地するこの州は、面積4.4万k㎡、人口約2,100万人。
 1966年に、後述するパンジャブ州から分割されて成立、州都はチャンディーガルでパンジャブ州都を兼ねている。
 デリーに接するグルガオンは、デリーとともに統一地域圏(NCR:National Capital Region)に指定され、急激な発展を遂げている。この近隣に工場を置くスズキ自動車や本田2輪が第2次産業を牽引、州北西部には一大穀倉地帯も広がっており、非常に恵まれた州と言える。
 (旅行記)パーニーパットクルクシェートラスーラジクンド


(4) パンジャブ州---(訪問箇所:1)
e0074199_17303126.jpg 面積5万k㎡、人口2,400万人。
 この州はあらゆる意味で非常に特徴的な州だ。まず、シーク教徒の占める割合が60%と非常に高く、州内のアムリッツァルは彼らの総本山だ。そして、重労働を厭わない彼らの労働気質と、1970年代の緑の革命によって農業が急速に近代化・拡大、現在ではインドの食物庫と言われるほどだ。市中に出回る小麦の70%、米の50%はこの州からだと言われている。
 農業従事者は、州内全人口の約36%に上る。
 (旅行記)アムリッツァル


(5) ジャンムー・カシミール州---(訪問箇所:4)
e0074199_17293759.jpg 面積22万k㎡に人口1,000万人、人口密度は僅か46人/k㎡。
 近年は、紛争地域の代名詞という、あまり良くないイメージがつきまとう地域だが、元々は自然豊かで、インド映画のロケは殆どこの地方で行われていたほど。
 1948年、1965年、2回のインド・パキスタン紛争では、州内の住民が殺しあうという事態になってしまった。元々は、インド・パキスタンの分離独立時に、この一帯を支配していた藩王が、どちらの国の支配下に入るかということが原因だ。約7割の州民がイスラム教徒なのだが、藩王はヒンドゥー教徒。結局藩王はインドの所属になることを決めたのだが、これにパキスタン政府が猛反発、州民を喚起して軍隊、ゲリラ部隊、周辺国入り乱れての紛争になってしまった。その後、パキスタンが勝手に一部領土を中国に割譲する等混乱を極めるが、現在は停戦協定線を決め、一応平穏が保たれている。かつての主要産業だった観光業も、徐々に活発化してきている。
 尚、第3回紛争の主な舞台は、東パキスタン(現バングラデシュ)であり、カシミールとはあまり関係ない。
e0074199_1710161.jpg 現在も、州の産業構造は大幅な変化は無く、農業と観光業が主体。なかでも、良質な羊毛でつくるパシュミナ製品や、高度な技術を誇るカシミール絨毯、精緻な彫刻が魅力のくるみ製家具など、クラフトマンシップを駆使した産業はインドの中にあって非常に特徴的。余談だが、インドで大変盛んなクリケットで使用されるバットは、一流品は殆どこのカシミール産である。
 尚、観光箇所としては、首都スリナガルの周辺で景色を楽しみながら湖畔でゆっくりするか、ラダック・レ-などのヒマラヤ地方などのチベット密教系の異文化を体験するかが有名。
 (旅行記)レーティクセ・ヘミス(ラダック東部)ラマユル・アルチ(ラダック西部)ビマ(ベマ)


(6) ヒマーチャル・プラデーシュ州---(訪問箇所:2)
e0074199_17194048.jpg 面積5.6万k㎡、人口600万人。
 英国庶民地時代より避暑地として栄え、当時、シムラーは夏季の英国本拠地として栄えた。
 今でも、避暑やスキーを謳い文句として観光に力を入れている。
 また、東を中国チベット自治区に面しており、中国のチベット侵攻の際には、チベット王ダライ・ラマは領民たちとヒマラヤを越えてインド領内に庇護を求めてきた。現在も、州内北西部のダラムサラーには、チベット亡命政府が置かれている。
 (旅行記)ダラムサラーシムラー


(7) ウッタラーンチャル(ウッタルカンド)州---(訪問箇所:3)
e0074199_1722914.jpg 面積5.3万k㎡、人口850万人。
 デリーの北東にあり、東側をネパール、北側中国に面している。
 こちらもヒマーチャル・プラデーシュ州同様に、避暑地として観光客を誘致している。
 一方で、聖川ガンジスの源流があり、多くの敬虔なヒンドゥー教徒が集まる巡礼地でもある。その1つであるリシケシュには、ビートルズがヨガを習いに訪れたことがあり、欧米人にも大変人気のある観光スポットになっている。
 (旅行記)ムスーリリシケシュハリドワール



 レポート2-②に続く。
by bharat | 2008-01-02 10:30 | ふと思うこと
インド人化完了☆  <インド滞在の総括レポート1>
 2007年6月25日、僕は日本に帰国した。

 2年間のインド赴任を終えた。
 インドの言語・歴史・地理・文化・宗教観を探求する日々に、一旦ピリオドを打った。

1. 2年間を振り返って
 2005年6月26日に、生まれて初めてインドの地を踏んだ。
 
 生まれてこのかた、インドという国と関わりを持つなど、全く予想だにしていなかった。
 自分として新たなキャリアを築きたいと思っていた矢先、会社の社内公募があったので、迷わず応募した。
 駐在員としてではなく、学習・研究目的でインドへ。
 それは、僕の会社同様にも僕にも大きなチャレンジだったと思う。

 2年(=24ヶ月)という限られた時間を、少しでも有効に使おうと考え、以下のような手順でインドを理解しようと考えた。

(1) インドの地理を把握する 
e0074199_14142560.jpg 世界第7位の国土面積を誇るインドだが、その全貌を把握している人は意外に少ない。
e0074199_1416015.jpg アッサムやナガランドがある北東地域(右上写真)や、殆ど東南アジア各国と同じ場所にあるアンダマン・ニコバル諸島(右写真)、今尚調停ラインの残るカシミール地方(右下写真)など、その多様性はインドという国そのものを体現している。
e0074199_14175678.jpg そもそもインドがいくつの行政区分で構成されているかすら、知らなかった。
 インドには「州」という行政区分と、「連邦直轄領」という行政区分が存在する。
 年々変化を続けているが、現在は29の州と6つの直轄領の合計35の行政区分によって構成されている。

 デリーは、最近まで直轄領だったが、州になった。
 また、デリーおよびその周辺(ウッタル・プラデーシュ州西部・ハリヤナ州南東部)をNCR(National Capital Region)という別称で呼ぶこともある。

 各州の詳細については、後述することにする。

(2) インドの歴史を把握する 
 日本同様、インドもまた数千年の歴史を有し、その記録が残存する世界に稀有な国である。
 その歴史を正確に把握することで、現在のインドの背景を理解しようとした。

 まずてっとり早いのが、書籍やインターネットを通じて情報を収集することだ。
 中学・高校で学ぶ世界史レベルの情報なら、簡単に収集できた。
 ただ、体系的に記載された文献は少なく、特に中世の南北インドの構図や、植民地時代の描写については専門書でも説明不足なものが少なくなく、理解に苦しんだ。
 この2年間で、インドをビジネスの切口から書いた書籍は随分と増えた。
 今でこそ注目を浴びてアマゾンなどで「インド」と検索すると数千件ヒットするが、2005年6月当時は100件前後だったと思う。しかもその殆どがバックパッカー旅行記や難解な宗教書のようなもの。

 インドに着いてからは、大学の先生や友人からの情報収集も随分と行った。
 が、結論から言えば、いずれも正確な情報を得るには不十分だった。
 大学でインド史を勉強する機会もあったが古い情報だったし、インド人の友人たちの情報も結構曖昧だった。
 経済学や神話などには精通している彼らも、自国の歴史のこととなると記憶が曖昧なようだ・・・というか関心自体が薄い気がする。

(3) インドの文化・宗教観への理解を試みる 
 インドという国を少しでも正確に理解する上で、このポイントが最も重要だと考え、実に沢山の本を読み、またインド人たちと議論した。
 インドにおける宗教の多様性と根深さは世界的にも群を抜いており、我々が世界史で習ったカースト制や一般的な宗教分布の数字だけでは、その把握などおぼつかない。
 我々が習ったカーストは、上から順番にバラモン、クシャトリア、ヴァイシャ、スードラの4つだが、これは実は正確ではない。
 この4つの大分類はヴァルナと呼ばれ、その夫々に幾多のカーストが存在している。
 数千年前から存在する階級制度と、現代社会の資本至上主義が織り成す混沌と意外な事実。これは現地の様々な局面で目の当たりにした。

<意外な事実①> 籍を置いた大学の成績発表がカースト別に掲示
 あとになって分かったのだが、これは「留保制度」と呼ばれる下級カースト者への恩恵措置のためにカーストを明かして成績発表しているのだった。
 詳細記事はコチラ。
 カースト カースト カースト(2005年9月1日)

<意外な事実②> マハトマ・ガンジーは、カースト制度擁護者だった
 カースト制度について調べるうち、ガンジーはバラモン階級の出で、インド独立に際してもカースト制度を擁護する立場だったことが分かった。
e0074199_1422867.jpg 我々を含め、外国人が習う世界の歴史では、ガンジーだけが英国と戦ったように記憶しているが、実際にはスバース・チャンドラ・ボース、ビハリ・ボース、バガット・シンらの過激派やカースト制度根絶を訴えたインド初代法務大臣アンベードカルらがインド民衆を引っ張った。ガンジーが殊更に英雄としてPRされたのは、彼が高カースト者から構成される政治政党(国民会議派)に祭り上げられていたことなどによるものだ。そう考えると、現在のインドルピー紙幣が全てガンジーの顔写真となっているのも、何か勘繰ってしまうものがある。
 詳細記事はコチラ。
 カースト カースト カースト(2005年9月1日)
 ラクナウでアンベードカルについて考える(2005年12月20日)

<意外な事実③> カースト差別は厳然として残存している
 インド憲法制定と同時に、不可触賤民(アンタッチャブル)という最下層カースト(正確にはカーストにすら入っていない)への差別は法的に廃絶された。
 また、下層カースト者を票田とする政治政党も数多く現れ、彼らに配慮した政治が行われるようになってきた。法的に下層カースト者を村長に任命する制度や、無償・安価で教育や医療を受けられる仕組み作りも整備されつつある。
 しかし、今尚カースト制度は様々な形でインドに影響を与え続けている。

 ここで気をつけたいのが、我々日本人が歴史上上記のような差別問題から無縁だったと考える人が多いことだ・・・かく言う私も近しいインド人に指摘されるまでその1人だったが。
 日本も、単一民族国家では無いし、少数民族や在日日系外国人への軽視政策を過去行ったことがあることを忘れてはならない。
 それを忘れずに意識してもなお、インドのカースト制度が社会に与える影響は比較にならない程大きいということだ。

e0074199_14233917.jpg 新聞の結婚相手募集欄はカースト別で記載され、 デリーの隣町でもカーストを巡る暴動が起きる。
 閉鎖的な農村部では、下級カースト者がヒンドゥー教から仏教に改宗しても以前の迫害から逃れられない実態がある。


関連記事はコチラ。
メーラトでインド行政の陰を知る(2005年9月18日)
インドの農村行政の実態(2005年10月31日)
ヴァラナシでのホームステイ(2006年1月10日)
州境の村クッティーナ(2006年1月17日)
逃れられぬカースト(2006年11月23日)
指定カースト者による暴動勃発(2006年12月2日)
デリー周辺大暴動の実態(2007年6月5日)

<意外な事実④> ヒンドゥー教が多数を占めるが、独占的ではない
 また、インド=ヒンドゥー教一色と思われがちだが、決してそんなことはない。
 インド政府が直近に行った2001年国勢調査資料(Census of India 2001)によれば、総人口および宗教分布は以下の通りとなっている。

宗教 / 人口 / 割合
全人口  / 10.28億人 / 100%
ヒンドゥー教 / 8.28億人 / 80.5%
イスラム教 / 1.38億人 / 13.4%
キリスト教 / 0.24億人 / 2.3%
シーク教 / 0.19億人 / 1.9%
仏教徒 / 0.8億人 / 0.8%
ジャイナ教 / 0.4億人 / 0.4%
その他 / 0.7億人 / 0.7%

e0074199_13322815.jpg 仏陀(紀元前563~483)が興した仏教は、その後何度も強大な王朝に庇護され、かつ密教的要素の強かった上座部(小乗)仏教から大乗仏教になって一般民衆を大いに取り込んだ。が、その後中世にはすっかり衰え、20世紀に入って前述したアンベードカルが死の直前に改宗する等、近年再び盛上りを見せている。
e0074199_13334258.jpg イスラム教は、人口比率で約13%と言われている。中世~近世期にインドを支配した奴隷王朝やムガル帝国などがイスラム教国家だったこともあり、現在も数多くのイスラム建築の遺構を目にすることが出来るし、未だに街中にモスク(礼拝堂)を確認できる。
e0074199_13391652.jpg また、マジョリティを握っているヒンドゥー教徒が他教徒を圧迫しているということも無い。
 その証拠に、現在のインド首相マンモハン・シン(写真右)はシーク教徒(全人口比1.9%)だし、大統領のカラム(写真左)はイスラム教徒(全人口比13.4%)と、宗教的なマイノリティな教徒たちが政治のトップにいる。
e0074199_1563689.jpg また、インド最大とも言われるタタ財閥のドン、ラタン・タタおよびその一族はゾロアスター教であり、宗教人口的には極めて少数派である。タタをはじめとするゾロアスター教徒たちは、8世紀頃にペルシャ地域から今のムンバイのあたりに移ってきて、商売活動を始めたという。写真のタタ財閥5代目代表(持株会社であるタタ・サンズの会長職)であるラタン・タタ率いるタタ・グループは、構成企業93社、総売上2.4兆円、総従業員数22万人という巨大コングロマリットを形成しており、名実ともにインド商業界のトップである。
 インドの大衆が、宗教の種類を問わず、公正な判断を下している好例といえるのではないだろうか。




 総括レポート②に続く。
by bharat | 2008-01-01 10:30 | ふと思うこと