タグ:インドの実態 ( 50 ) タグの人気記事
第92回旅行は、宗教ミックス地帯ハジョ
 アッサム州都グワハティから車で1時間少々(西に約50km)行ったところに、ハジョという小さな集落がある。

全インド的に有名な希少シルク産地
e0074199_14203788.jpg 正確にはハジョではないが、ハジョの近くにあるスアルクチ(Sualkuchi)は黄金色をしたシルク、ムガ・シルク(Muga Silk)を産する場所として有名だ。
 このシルクは、メクラチュドール(Meklachudor)と呼ばれる女性の婚礼衣裳に使われるのだという。


ヒンドゥー教&イスラム教&仏教の聖地
 グワハティからこのハジョに足を伸ばしたのは、ここが3つの宗教の聖地だという興味深い特徴を持っていたから。

 ヒンドゥー教徒にとっては、ここがパーンダヴァ(Pandava)が隠遁生活を送った場所だと信じている。パーンダヴァとは、インドの大叙事詩『マハーバーラタ』に出てくる主役の5人の王子のことで、名前は夫々ユディシュティラ、ビーマ、アルジュナ、ナクラ、サハデーヴァという。
 彼らは、従兄弟のドゥリヨーダナの策略によって財産・土地を奪われ、12年間に亘る放浪生活を余儀無くされる。その後の失地回復運動が『マハーバーラタ』の中心的主題となっている。

 仏教徒にとっては、ここが仏陀入滅(死ぬこと、ニルヴァーナ)の地だとされている。
 (一般的には、クシナガルというウッタル・プラデシュ州の北東の地で入滅したと言われている。)

 イスラム教徒にとっては、ここはギャースウッディーン・アウリア(Ghiasuddin Aulia)がイスラム教巡礼の地と定めた場所とされている。


ハイグリバ・マーダバ(Hayagriba Madhaba)寺院
e0074199_1542818.jpg
e0074199_15141095.jpg 元々は6世紀にまで遡ることが出来るという古い寺院。
 一度破壊され、1583年にラグデブナラヤン(Raghudebbarayan)王によって再建された姿が現在まで残っている。
 敷地内の溜池には、亀や魚が大量にいて、エサをやると寄って来る。
e0074199_15171721.jpg 壁面の彫刻は、痛みこそあるがなかなか立派なものが残っている。
e0074199_15172772.jpg


 本堂には、ヴィシュヌ神が祀られている。
e0074199_15185741.jpg



 また、この寺院は仏陀も信仰対象になっており、ヒンドゥー教徒のみならず仏教徒も数多く参拝に訪れると言う。


鉄椀?
e0074199_15562865.jpg 上述したパーンダヴァ5人兄弟の次兄ビーマが隠遁生活の際に使用したという、鉄の椀。
 細かい説明も無いが、大切そうに安置されている。



ポア・メッカ
e0074199_15471796.jpg 時間が無くて上まで登れなかったが、1657年に建てられた。
 ムガル帝国第4代シャージャハーン(タージマハルを建てた王様)の子スジャウッディン・マハメッド・シャー(Sujauddin Mahammed Shah)の命によってギャースウッディーン・アウリアがこの地にモスクを造り、以降ここがイスラム教徒たちの心の拠り所となった。
 その後、ここにはギャースウッディーン・アウリアの霊廟が安置された。
e0074199_15514015.jpg ハジョにはおくつかのモスクがあり、今でもイスラム教徒たちが数多く住んでいることが分かる。



隠れた名産品
e0074199_15585498.jpg 集落の中心街で、やたらと目にした真鍮細工の店。
 各寺院・モスクなどで使用する用具を作成する需要から、真鍮細工がこkのあたりの名産品になったみたいだ。




オススメ度(100%個人主観)

     ★★☆☆☆

所要観光時間

     2時間
by bharat | 2007-05-17 10:30 | インドぶらり旅
水が無い・・・
 5月8日、インドのTIMES OF INDIA紙に、面白い記事が載った。


     「Water shortage will be a thing of the past by 2010」


 水不足問題を、2010年までに解決するという訳だ・・・。
 どうやって??というのが率直な感想である。

 この記事を読み進めていくと、Delhi Jal Board(デリー水委員会とでも訳そうか、Jalはヒンディー語で水のこと)のコメントを指していることだと分かる。
 彼らがデリーの昨今の深刻な水不足事情(詳細は後述する)の責任を担っている機関であるらしい。

 コメントによれば、デリーの1,600万人の人口および非公式住民60万人全てに対して、手動ポンプ、公共水道(水力発電からの供給)、井戸を使った供給網を整備。加えて、これらのネットワークを敷けない場所についてもタンク車を使って供給する体制を敷き、全ての住民を水不足から解放するとしている。
 現行使用している4つの水処理施設に、新たに排水リサイクル機能を付与することにより、供給能力を増強するのだという。
 また、市内の上下水道設備の強化も行い、供給元・供給ルート双方をてこ入れすることによって、来る2010年コモンウェーエルズ大会(英国連邦府傘下の各国による陸上競技大会で、2010年デリーで開催されることが決定している)にも対応するとのこと。

 なにやら、現にここに住んでいる立場からすると、非常に実現困難な、雲をも掴む印象を受けてしまう。
 というのも、今住んでいる自宅でも、断水が頻発しているからだ。


 現在私が住んでいる地域は、日本人を含む多くの外国人が数多く居住する、治安・衛生ともに安心出来る地域の一つだ。
 家などは特別立派な造りでも無いのだが、たいそうな家賃を払わねばならない。差詰め、家賃=安心料といった感じだ(家賃をケチろうものなら、治安・衛生面が即座に不安に晒されるような地域がたくさんあるのだ)。

e0074199_16265192.jpg で、この家の水がしょっちゅう止まる。
 貯水タンクは地下にバカデカいのが1つ、3軒(1~3階の各住人)共有のデカいのが1つ、我が家用のタンクが地上と屋上に1つずつと、受容れキャパは十分過ぎるほど。
 なのに、市からの水の供給量がとても少ない。
 地下タンクへは、毎日決まった時間(午前1回、午後1回)に、直結した水道管から供給があることになっている。まず、これが頻繁に滞る。
 数日に1回しか来ない水を3軒でいっせいに使用するので、水はすぐになくなってしまう。
e0074199_16274954.jpg
 こうなると、最終手段は、民間会社に頼んでタンク車を派遣してもらい、取敢えず我が家用のタンクだけを満たしてしのぐしかない。
 3,000Lで1,000ルピー(約3,000円)弱・・・意外と安いと御思いだろうが、月の水道代200~500ルピー(約600~1,500円)と比較するとベラボウに高い。


 出張や旅行などで、暫らく自宅を離れて、夜遅く帰宅。
 汗でドロドロの体を早くフロ・・・はムリなのでシャワーで洗い流そうと蛇口をひねたら、シーン・・・・・なんてことが今年結構あった。

 これは、肉体的にも精神的にも物凄いダメージを受ける。



 あまり過剰な期待をせずに2010年を心待ちにしようかなぁ。
by bharat | 2007-05-08 10:30 | インド生活
いよいよ来ました このシーズンが・・・
 何がって、暑さの話。

 インドの夏は、過酷だ。
 2月に短い冬が終わりを告げると、インド(特にデリーくらいの緯度の一帯)は夏モードに切替わる。
 特に4月からは、気温上昇速度が一気に全開。
 私の住むデリーは、連日40℃台を叩き出している。

 参考までに、MSNのサイトでデリーの週間の天気予報を見てみたら、
e0074199_1821849.jpg

  23日(月) 40℃
  24日(火) 41℃
  25日(水) 41℃
  26日(木) 40℃
  27日(金) 41℃
  28日(土) 41℃
  29日(日) 42℃

 全部40℃オーバー・・・地図マッカッカ。

 こう暑いと、毎日の日程も、少々抑え気味にせざるを得ない。
 営業周りなどで、1日中外出したりすると、グッタリする。
 勿論、外にずっといる訳ではないが、40℃(外、日陰殆ど無し)→20℃(屋内、冷房ガンガン)を何回も何回も繰り返すと、体がおかしくなってくる。
 
 
 この時期、週末のゴルフやテニスなども、12時近くの時間帯になるとかなり危険。
 脱水症や熱中症に可能性が高く、水分補給や日陰で休憩するなどの工夫が必要。


 この時期、観光名所のアグラヴァラナシなどは、連日45℃前後。
 私が、老後に個人旅行でこの辺に来ようと思っても、50℃以上になってて観光どころではなくなっているのではなかろうか・・・。


 恐るべしインドの暑さ、なんとかすべし温暖化・・・
by bharat | 2007-04-23 10:30 | ふと思うこと
いつも、ホッとした頃に・・・デリー近郊で爆破事件発生
 昨年7月のムンバイでの列車爆破事件から数ヶ月。
 大規模な爆破事件も無く、1月26日の共和国記念日のパレードも平和裏に終わったのだが・・・。

2007年2月18日深夜、デリー近郊で列車爆破
e0074199_19491551.jpg
 デリーから西方パキスタンのラホールに向けて、アターリー・エクスプレス(Attari Exp.)がデリーを出発したのは、2月18日夜。

2月18日
 22:50 Attari Exp.デリーを出発(16両編成)
 23:54 第4および5車両で不審物が爆破。両客車とも炎上。
 23:57 列車が緊急停止
       後ろ5車両(1~5)を切り離し、列車はAttariへ再出発。
2月19日
 02:50 第6~16車両のみ、Attariに到着


 しかし、爆発炎上した車両を置いて、すぐに再出発するというのが驚き。
 現場検証とか、他に不審物が無いかとか、しないのだろうか・・・?
 (恐らく、その場で調べたのだろうが、日本なら全面運休にするだろう。)

e0074199_19492554.jpg 塗装が剥がれた黒焦げの車両を見ると、爆破炎上直後の阿鼻叫喚の世界が容易に頭に浮かぶ・・・。
 この事故で亡くなった方は、現時点で67名、負傷者60余名という大惨事になってしまった。
 死亡者の棺は、デリーとアターリーの間にあるパーニーパットに並べられた。



 しかし、この手の事件はなかなか根絶されない。
 今回は、恐らく3月3~4日のホーリー祭を睨んでの犯行、またインド―パキスタンを繋ぐ列車を狙っている点に、非常に陰惨なメッセージ性があるように思える。

 長距離列車は、インド人たちの足であり、あらゆる階層の人が乗り合う交通手段だ。
 これは、客車のグレードが7~8種類くらいに分かれていることからも明らかだ。
 その様な交通手段に、完璧なセキュリティ対策を講じることは実質的には不可能と思われ、残念ながら今後も警備とテロリストとの鬩ぎ合いは続くのだろう。
by bharat | 2007-02-19 10:30 | ふと思うこと
デリー31 アーユルヴェーダ病院
e0074199_1548315.jpg
 南デリー、South Extensionの一角にあるこの建物。
 インド医学アーユルヴェーダ(Ayurveda)に基づいた診療・治療を行う病院である。

 一般的に、日本でアーユルヴェーダというと、女性の美容目的のエステの様なイメージが強いようだ。
 どこのリゾートホテルにも、仰向けに寝て額にオイルを垂らしている写真が出ている。
 ただ、これはシロダーラ(不眠・頭痛を無くし、集中力を増進させる治療法)というほんの一例に過ぎない。

 ヒンディー語(サンスクリット語)で、生命(アーユス)に関する知識(ヴェーダ)が示す通り、アーユルヴェーダはとても幅広い学問で、生命哲学とも言うことが出来る。
 その歴史は、4000~5000年前まで遡ることが出来るという。
 対症療法というよりは、病気そのものから体を守る、予防の概念が強く、この点は漢方医学にも似ている。
 

e0074199_16272958.jpg この病院は、見た感じ普通の病院と大差無い。
 待合室があって、奥に診察室が2つ。
 待合室には、患者が沢山。
e0074199_162879.jpg
 これは、大変珍しい番号札(正直、インドに来て初めて見た)。
 皆、順番を守って、診察を待っていた。


 30~45分くらい待つなぁと思い、病院の並びのコーヒーショップで時間を潰す。
 喫茶してから病院に戻ると、ちょうど順番が。

e0074199_16322658.jpg 診察室に入る。
 中は、田舎の市役所の一室みたいな感じで、机・椅子が一揃い、簡単なベッドが脇に置いてある。
 医者と思われる人も、白衣を着るでも無く、街行くオッッチャンと全く変わらぬ服装。

 基本スタイルは、問診&脈診。
 後日知ったが、舌診というのもあるそうだ。

 因みに、私が診てもらったのは、たまに発生する下痢とじんましん。
 診察結果は、「食べすぎに気を付けて、大量の刺激物を食べないように」・・・えぇ、御尤もですね。


e0074199_16374565.jpg 処方箋を書いて貰い、裏手の薬局へ。
 係の人が手際良く錠剤やらカプセルやらペーストやらを処方してくれる。
e0074199_1639636.jpg で、出て来たのがこんな薬。
 錠剤がメチャでかい・・・子供はまず飲み込めないくらいの大きさ。
 そして、ペーストがまた、メチャメチャ苦い・・・味は正露丸をもう少しキツくした感じ。



 じんわりとした効き目しか無い一方、副作用の心配が無いということで、今でも服用しているが、やはり効き目はあまり実感出来ない。
 食いすぎれば下痢するし、辛いものを大量摂取すればじんましんが出る。

 ・・・インド医学、奥深し。
by bharat | 2007-02-18 10:30 | デリー市内あれこれ
橋梁崩落事故・・・他人事では無い
 12月2日(土)朝、ビハール(Bihar)州のバーガルプール(Bhagalpur)というところで、橋梁の崩落事故が発生。
 杜撰な管理体制・設備の老朽化等が原因だが、その因果関係よりも、日頃オンボロ橋をよく見ている者にとっては、「やっぱり崩れるんだ・・・」と、かなりヒヤッとしたものを感じた。

概要
e0074199_18233871.jpg
 上図が今回の事故の概要。
 まず、前提条件として、この橋梁は築150年と大変古いため、代替の橋が最近完成。
 古い方の橋は、取崩工事の最中だった。

 12月2日の7:25、橋の下をくぐる格好で、3071列車がバーガルプール駅に到着。
 このとき、列車の8両目以降は駅からはみ出て、第8車両が橋の真下に来る状態。

 この直後7:26、橋梁の取崩工事をしていた作業者が異常を察知、駅関係者に電車の出発を中止する様警告した。

 そして7:28、駅関係者が警告を無視して、電車を出したところ・・・

e0074199_18312181.jpg


 第8車両の真上に、橋が一気に崩落。
 35名が死亡、100名以上が負傷した。


道路インフラの老朽化と近代化する移動手段

 事件そのものが衝撃的なのは言うまでも無いが、この写真を見て驚いたのが、橋が殆ど煉瓦と漆喰だけで出来ていたらしいこと。
 これでは、崩れるに決まっている。
 当初馬車・自転車・軽量な自動車くらいしかしていなかった橋の上には、過積載の貨物トラックが往来し、その下を鉄道列車がガタガタ振動しながら行き交う。
 こんな環境で、橋が持ち応えられる訳が無い・・・のだが、こんな風景、実にインド中で見かけたりするのだ。

 インドに来て約1年半、だんだん感覚が麻痺してきたが、出張・旅行で陸路を使うときは要注意だな・・・やっぱり。
by bharat | 2006-12-10 10:30 | ふと思うこと
指定カースト者による暴動勃発

 去る11月30日、マハラシュトラ州のムンバイ近郊で、暴動が発生した。

事件の概要
e0074199_15341693.jpg
 地元報道では、11月30日にダリット(最下部カーストの人々、以前は不可触賤民と総称されたことも)の者たちが、ムンバイとプネーを結ぶ特急列車「Deccan Queen」に放火。
 この事件で、少なくとも2人が死亡、警察官45人を含む60人が負傷する大惨事となった。

 放火犯の動機は・・・
 放火事件より遡る事3日の11月27日、マハラシュトラ州プネーに程近いカーンプールというところで、ダリットカーストの少年が投石されて死亡した。その上、村にあった下位カースト者の生きる希望ともいえるアンベードカル(下位カーストの出ながら、インドの初代法務大臣になった。詳細はラクナウ旅行記で書いたので御参照)の像の首を切落とすという悪質ぶり。
 これに怒ったダリットカーストの人々が、列車に火を放ったというわけだ。

 その後、この事件がTVや新聞で取上げるや否や、インド各地で同様の暴動が勃発。
 車やバスがボコボコに破壊されるなど、被害が大規模化。

 マハラシュトラ州首相が外遊の予定をキャンセルし、事態収拾すべくインドに緊急帰国する異常事態となった。


事件から浮かび上がってくるもの

 この事件が大規模化してしまった背景を知る上で、意味深いコメントがある。
 ダリットの人権運動家の1人が、「ダリットカースト者は、カーンプールでの事件1つに怒って暴動を起こしたのでは無い。バンダラ村一家惨殺事件での政府の対応の酷さが直接の原因だ。」とコメントしたのだ。

 要するに、未だ頻発する理由無き下位カースト者への差別・弾圧に対して、しかるべき対応をしない政府に対する怒りが、暴動を起こしたというのだ。
 ・・・我々の理解を超えた根深さがここに垣間見える。

 また、下位カースト者に対する生活保障の遅れも、彼らの怒りや不満の温床になっていると言える。
 新聞の調査結果によると、教育の提供はここ最近だいぶ下位カースト者にも普及してきたようなのだが、生活基盤の向上はなされず、「学校に行かせてもらったは良いが、ちっとも生活は良くならねぇぢゃねぇか!」ということらしい。

(TIMES OF INDIAより)
1995年から2003年にかけての改善%
          ダリット   上位カースト
<教育面>
初頭教育     14       14
中等教育     60       45
高等教育    106       42

<生活面>
電気        44       55
飲料水       48       70
下水        23       42
住居        42       57

 確かに、教育に関しては、私も実感する局面があった。
 以前、インドの大学に言っていたときに、成績発表がカースト別だった・・・これは、下位カースト者には一定の優遇措置が取られるためのもの(詳細こちら)。
 また、十分とは言えないものの、村にも学校があり、金銭負担力の無い人も授業を受けられる受皿はある(詳細はこちら)。

だが、生活基盤となると、かなり劣悪な生活環境で暮らしている下位カースト者が多い印象を受ける。下位カースト者のみが居住するアラハバードの村に行ったことがあったが、悲惨な状況だったのを記憶している。



 北米・中南米では、スポーツなどで財をなす所謂「アメリカン・ドリーム」というのがある。
 が、ここインドでは、そんなに色々なスポーツがある訳でも無いし、全員が全員ボリウッド映画界に入れる訳ではない・・・。
 長い宗教史の中で、当然の如く虐げられてきた人々が、瞬時に這い上がれる方法というのは、ここインドには無いということか。
by bharat | 2006-12-02 10:30 | ふと思うこと
デリー24 鉄道博物館
e0074199_1684133.jpg 各国大使館が並ぶ、デリー市内のチャナキャプリ(Chanakyapuri)地区。
 その一角、ブータン大使館の隣にあるのが、鉄道博物館(National Rail Museum)だ。


インドの鉄道
 中の様子は後述するとして、まずはインドの鉄道について少々。

 インドの鉄道は、総延長63,000km、世界第4位の長さだ。
 その大部分は、イギリス植民地時代に敷設された「遺産」で、軌道(Rail)や貨車もイギリスの面影を色濃く残している。

 この「遺産」、インフラが脆弱なインドにおいて、かなり立派な役割を果たしていると言えるのだが、マイナス面が無くはない。

 まず、当たり前だが老朽化。
 これだけ敷設面積が広範なので、取替も容易ではない。
 
 それから、スペック。
 宮殿列車のくだりでも書いたが、当時のイギリスのインド分割統治のせいで、各地域でレールの幅がなんと4種類も混在している。広軌(1,676mm)・狭軌(1,000mm)・ナローゲージ(762mm・610mm)が入り乱れて走っているのだ。当然電車の幅もこれに拠っている。

 運行管理も頭の痛いテーマだ。
 殆どの路線が客貨両用になっており、また単線区間も多く、特急列車でも平均時速50kmそこそこという有様。
 加えて、自然災害等によって、長距離特急列車で3~4時間、貨物列車で半日遅れることがしばしばある。
 日本の9倍という国土をカバーするにはあまりにしんどい環境だ。


 最近でこそ、飛行機の国内線で移動する旅客が増えたが、低所得層にはまだまだ買えるチケットではない。
 彼らは、恐ろしく安い自由席券を購入し、何十時間もかけて電車で長距離移動するのだ。


100歳以上の列車がズラリ

 博物館の敷地内には、昔の列車がたくさん展示してある。
 1900年代初頭のものが多く、なんと100歳以上ということになる。
 外装を綺麗に塗っていることもあり、今でも走り出しそうな感じだ。
e0074199_20114234.jpge0074199_20112879.jpg
e0074199_2012873.jpge0074199_20122240.jpg



 インドの列車の特徴が良く見れたのがこの車両。
e0074199_20134661.jpg
e0074199_20163845.jpg 車両の前面についている障害物避けが、鉄板状ではなく、鉄格子状になっている。
 まぁ、インドでは殆ど雪が降らないから、これで用足りると言うことか・・・。
 あと、連結器の形状が日本のそれとは違う。これはイギリスに見られる方式でフックをネジの要領でグルグル回すと対象物に引っ掛け固定できる仕組。
e0074199_20165579.jpg 一方、日本式は、「C」の字をした連結器同士を軽く押合い、ガッチャンとはめ込む仕組だ。


 これも面白い特徴を持った列車。
e0074199_20234381.jpg
e0074199_2024532.jpg パッと見、普通のカワイイ配色の蒸気機関車なのだが、下の車輪部分が何か・・・変。
 !!・・・外側の車輪の内側にデッカイ歯車がたくさん。
 実はこの列車、高山仕様で、斜度のキツい坂を登るためにギアを持っているのだ。
 浦安ネズミーランドのカリブの海賊のボートみたいな仕組だな。


 ここからの3車両は立看板付だったので、詳しく。
e0074199_20292046.jpg
 こちらは1930年製。
 製造は、バルカン・ファウンダリー(Vulcan Foundry Ltd.)となっている。
 同社は、イギリスのランカシャー地方の会社で、元々は車両ではなく橋梁や踏切の鉄製部品を製造する会社で、1832年設立(当初はCharles Tayler and Company)。
 1835年より国内用のみならず、フランス・オーストリア・ロシアへの輸出を手掛け、1852年には世界で初めてインドに蒸気機関車を輸出した。
 その後も、積極的な技術革新でディーゼル機関・電気機関を製造。
 吸収合併によって様々な名称に変わったが、最終的に2002年に製造所は閉じられた。

 因みにこのバルカン・ファウンダリー社、日本にも深い関係がある。
 明治時代初期、外国船来航等で、蒸気機関の存在を知りその開発・導入に躍起になっていた日本は、1871年(明治4年)公式には初めて外国製機関車を輸入した。
 この「1号機関車」こそが、バルカン・ファウンダリー社製だったのだ。



e0074199_20403799.jpg
 これは1907年製。
 製造は、ノース・ブリティッシュ・ロコモーティブ社(NBL:North British Locomotive Company)。
 NBL社は、1903年にイギリスのグラスコーに拠点を構える3社(Sharp Stewart社・Neilson & Co.社・Dubs & Company社)の合併によって出来た会社で、当時ヨーロッパ随一の規模を誇った。
 製造する蒸気機関車は国内のみならず、遠くはマレーシアへも輸出・使用された。
 ところが同社は、蒸気機関からディーゼル機関への技術革新に失敗、1950年代からドイツ企業MANと手を組むこととなる。
 最終的に、NBL社は1962年4月19日に破産、鉄道界からその姿を消す。



e0074199_6275323.jpg
 これも、1907年製。
 製造は、ナスミス・ウィルソン・アンド・パトリクロフト社(Nasmyth Wilson & Patricroft Ltd.)。
 この会社はジェームス・ナスミス(James Nasmyth)によって1836年に建てられた。
 彼は、「ナスミス・ハンマー」なる工具を発明するなど、技師としての才を見せた。
 合併・統合を繰返し、一時期はイギリス植民地のインド・ニュージーランドにも機関車を輸出したが、1940年に会社を閉じた。


隅っこには、世界遺産も
e0074199_6284391.jpg
e0074199_6301138.jpge0074199_6303545.jpg
e0074199_753180.jpge0074199_76252.jpg
 敷地の一番奥の目立たないところに、ちょっと変な形の小さな蒸気機関車と客車がポッツ~ンと置いてある。
 なんとこれ、ユネスコ世界遺産の1つ「ダージリン・ヒマラヤ鉄道」の機関車と客車なのだ。
 機関車には、製造会社シャープ・スチュワート(Sharp Stewart & Co.)の文字が。
 型式はB-777、1889~1952年の製造だそうだ。
 客車は、恐ろしく小さい・・・何人乗りなのかな。
 外側には、ダージリン・ヒマラヤ鉄道のロゴ。

 ・・・うぅむ、実物を見ると、是非乗りに行きたくなるなぁ。


その他
e0074199_7423153.jpg あと、興味深かったのがこれ。
 『機関車トーマス』などでよく登場する転車台(Turn Table)。
e0074199_743398.jpg
 一見普通なのだが、上述したように線路幅が異なるため、複数の幅に対応するようにレールが配置されているのだ。
 こんなの、インドだけぢゃなかろうか?



 ・・・無造作に列車が置いてあると言えばそれまでなのだが、展示車のバラエティが豊富な上に、インドの鉄道の歴史そのものがユニークなので、なかなか楽しい。
by bharat | 2006-11-30 10:30 | デリー市内あれこれ
インドのTシャツ 16
 今回は、正規のNikeショップで入手した一品。

16. クリケットボール

e0074199_7182638.jpg


 文字通り、前面ドアップで、クリケットボール。

e0074199_7225461.jpg


 日本にも数多くのNikeショップがあるが、このデザインは無い筈。
 ・・・というか、あっても売れないだろう。


 インドでは、スポーツ人気の殆どをこのクリケットが持っていっている。
 半日~数日かかるこのゲームの結果に、インド人たちは一喜一憂するのである。
 特に、インド-パキスタン戦などは、皆大変な熱気で応援する。
 平和的な環境を築き始めてはいるものの、インド人のパキスタンへの対抗意識は相当に強いものがあり、クリケットのインド-パキスタン戦の試合結果如何で、やたら機嫌が良かったり、無性に不機嫌だったりするのだ。

 そんなクリケット大国インドでは、有名選手は国民的英雄。
 反面、ボール職人は、その行為が「獣の革剥ぎ」であるとしてとても低いカーストの人たちの業務とされている(以前メーラトを訪れた際、職人の集落を見た)。
 球を打つヒトと作るヒトでは、扱いが天国と地獄の差なのである。


 そんなインド人のココロの拠り所であるクリケットだが、最近元気が無い。
 目下、世界ランキングは6位まで降下・・・クリケット王国の復権が待たれる。
by bharat | 2006-11-25 10:30 | インドのTシャツ
デリー27 国立博物館
 去る11月下旬某日、デリーの国立博物館を見て来た。
 インドを訪問した御客様のたっての希望で、スケジュールの合間を縫っての観覧。

時間が必要・・・
e0074199_21403526.jpg 1949年8月15日に出来た国立博物館(開館当初は今と違う場所にあった)は、現在では展示点数206,000点以上、全3階の展示スペースは、とても広い。
 そりゃあ、ルーブルとかとは比較にならないけど、かと言って、1~2時間で周れるもんでもない。

 因みに、入館料は150ルピー(約390円)、カメラ持込料は300ルピー(約780円)。
 日本語の音声ガイドホンは、タダで貸してくれる(但し、貸出時にデポジットを取られる)。

どう分類したものか・・・
e0074199_21434498.jpg インドの歴史そのものを分類することは、極めて困難。
 なにせ、歴史・宗教・民族が入替わり立代わりしているのだから。
 この博物館も、分類にはかなり苦労している様子。
e0074199_2149394.jpg
ヒンドゥー彫刻、仏教彫刻が1階に陳列されているが、中でも目を惹いたのは、インダス文明のコーナー。紀元前2500~2300年に栄えたモヘンジョダロ、ハラッパなどの文明都市の様子やそこから発掘された品が数多く並ぶ。
 このコーナーの充実ぶりは、結構なもの。


海軍関連
e0074199_2158204.jpg 2階に上がると、海軍の資料コーナーがある。
 戦艦の模型などはさして珍しくも無いのだが、こんな軍旗の展示がある。
 左隅にインドの国旗を配したイングランドの旗などは、歴史を感じるデザインだ。


土産屋
e0074199_2205960.jpg 国立博物館だけあって、土産屋はなかなか充実している。
 置物、衣類、書籍など様々なものが売られており、程度も悪くない。
e0074199_2223721.jpg これはチェスセット。
 インドでは、チェスセットがよく売られているが、駒は大体木製かガラス製。
 これは、駒が真鍮細工・・・真鍮細工自体はよくあるが、チェス駒になっているのはあまり無い気がする。
e0074199_222505.jpg これは、ただの容器。
 でも・・・なんだろ?このデザイン。


アジアにおける宗教伝播を感じる
e0074199_2275919.jpg 大昔の韓国・中国を含むアジア全体の仏教彫刻・絵画を展示するスペースもある。
 このあたりになると、日本に入ってきている仏教関連作品とかなり類似点が見られる。


ヨーロッパの遺産
e0074199_22103237.jpg 16世紀以降の列強支配により、この時期の絵画等は、キリスト教関連のものが多い。
 この絵などは、素人目にはヨーロッパにあってもおかしくない感じがする。
 当時のポルトガル人・オランダ人・イギリス人たちは、絵画を持込んだのだろうか?それとも絵師を連れてきてインドで内作させてのだろうか?


なんだ?こりゃ
 一番の不思議ワールドが繰広げられていたのが、この中南米コーナー。
e0074199_221418.jpg

なぜ、突然中南米なのかも分からないが、その展示品の愉快さは他の展示品より突出している。
e0074199_22153830.jpge0074199_22154876.jpge0074199_22155912.jpg
e0074199_22161648.jpge0074199_22162855.jpge0074199_22164090.jpg

 祭事に使用されたポットらしいのだが、なんか・・・カワイイ。
 原宿のキディランドあたりに並んでても、イケるんぢゃないかな。



ハウルの動く城
e0074199_22184337.jpg 館の外、敷地の片隅には、「ハウルの動く城」がガラスケースに入れられて大切に展示されている。
 2003年からここに置かれているこの物体、425ものパーツから構成され、重量は2,200kgにもなる。
 18~19世紀に、南インドのタミル・ナドゥ州で祭事用の山車として使われ、ヴィシュヌ神やラーマ神、クリシュナ神らの彫刻が木目細かに彫られている。
 宗教的な祭事で山車を使用するというのは、南インドではよくある例だ。
 世界遺産に指定されているハンピでも、デザイン・材質ともに全く異なるが山車が残っている。



 ・・・あまりに駆け足で観たので、これくらいしか書けない・・・。
 今度は、ジックリ観て回りたいな・・・。
by bharat | 2006-11-24 10:30 | デリー市内あれこれ