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7月11日 ムンバイで同時爆破事件発生!

 7月11日夕方、ムンバイ市内で同時爆破テロが発生した。
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e0074199_7321244.jpg 帰宅通勤者を満載した列車を狙ったこの事件で、多数の死傷者が発生した。
 ムンバイの地形は海に沿って南北に長い。
 北から南に通勤する人々が利用する列車に設置された爆弾が、18時24分から31分の短時間に7箇所で爆発した。

死者は200名以上、負傷者数百名という大惨事となった・・・。
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 後日、ラシュカール・エ・クァッハル(Lashkar-e-Qahhar)なる組織が犯行声明を出した。ムンバイ国際空港とタージ・マハールの爆破も計画していたらしい。
 ラシュカール・エ・クァッハル自体は無名なのだが、ラシュカル=エ=タイバ(Lashkar-e-Taiba、LeTと略されることも、アル・カイーダとも接触を持つ最も危険なインドのナクサライト組織)の別働部隊とも見方もあるようだ。

 インドには、2種のテロがある。
 イスラム原理主義者らによる無差別テロとナクサライトだ。ナクサライトは、極左思想に基づき、少数部族の自治確立、部族民及び低カースト層の利益擁護を掲げて武力闘争を行う過激派グループの総称で、インドでは、カシミールの分離独立を目指すLeTや、毛沢東主義派(マオリスト)などが有名。
 ナクサライトが厄介なのは、無差別テロと違い、ナクサライトが民族運動に根ざしており徹底殲滅が困難なこと。
 因みに、2005年10月29日のデリー同時爆破テロはLeTの犯行であることが判明した。

 パキスタン大震災以降、イン・パキ間の物資援助ルートの開放によって、パキスタンの不穏分子が多くインドに侵入したと言われる。
 彼が、北インドの独立運動を再燃しようと暗躍しているのだろうか・・・。
 
 インドは1年の後半に祝祭日が多い。
 8月15日の独立記念日、10月2日のガンディー誕生日、10月21日のディワリなどなど。
 このあたりには、あまり出歩かないなどの注意が必要か・・・。
by bharat | 2006-07-17 10:30 | ふと思うこと
インド人化プログラム、50%完了☆
6月25日、研修を半ば修了

 6月25日、2年間のインド語学・文化研修プログラムを1年間修了した。

 他の駐在員が事務所勤めをする中、この1年間インドを放浪し、語学(ヒンディー語)や文化・風土の理解を深めることに専念してきた。

 「なんだアイツ、暇さえあれば旅行行ってるなぁ」などと思う無かれ。
 全ては、未来ある市場インドを知り尽くさんという思いからなのである。

 そこで、今回の良い機会に、その成果を簡単に纏めた。
 僕は、学者でも研究員でも無いので、主観的な視点から論じている点、予め了解の上、読んで貰いたい。

インドの概要

 今更書くまでも無いが念の為。
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e0074199_13173257.jpg名称 : インド(共和国、連邦、連邦共和国など表記様々)
人口 : 10.7億人(世界第2位)
面積 : 328万㎡(世界第7位)
首都 : デリー(ニューデリーは地域名で都市名ではない)
GDP : 6,912億USD(2005年、世界第10位)
言語 : 23の公用語(ヒンディー語をはじめとする22インド諸語+英語)
通貨 : インドルピー(1ルピー=約2.6円)



 因みに、インドに来るまで、インドの人口はおろか、公用語の数、インド通貨と本邦通貨との為替レートなど、全く知らなかった。かろうじて首都デリーを知っていたくらい。

 カレー、ガンジー、ターバン、、、これ以外に具体的なイメージを持っている日本人がどれくらいいるのだろうか。。。
 ビジネス雑誌がこぞってインドを特集している今、我々のインドに対する認識はどれだけ精緻になったろうか。

語学習得に関して
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 これは、インドの言語マップ。
 概ね、北インドではヒンディー語またはこれでカバー出来る地域が多く、南部に行くと全く異なる言語(テルグ・タミルなど)になっている。幸か不幸か、前バジパイ首相が推し進めたヒンディー語推進政策によって、大都市圏では東西南北関係無くヒンディー語が通じることが多い。

 インドにおける言語は、公用語だけでも23語(英語含む)。
 当社の研修プログラムで、派遣国が決まった後、何語を習得すべきか選定しなければならないなんて、前代未聞じゃなかったろうか。
 兎に角、習得言語をヒンディー語に決定し、1年間勉強した。
 月曜日~金曜日、午前/午後2時間ずつが通常ペース。途中、旅行などでペースを守れなかったが、6~7割方こなしたとして、約4時間×180日×60%=648時間やったことになる。他人と比較出来ないので、如何程の成果が上がったかは述べがたいが感じたことは...

a. 日本語と似ている
 同じアジアの言語ゆえか、はたまた偶然か、文法や発音など、日本語と類似した点がいくつも存在する。
 まず、文法。基本形の語順が日本語と一緒。ヒンディー語も、「主語+目的語+述語」。これは、とても親近感が沸く。
 発音については、厳密に言えば難しい発音もあるのだが、日本語の50音でカバー出来ない音は殆ど無い。

 反面、ラテン系言語を母国語とする人々には、かなり手ごわい言語では無かろうか。


b. ボキャブラリーが多すぎ
 色々な語源が存在するヒンディー語。古くはサンスクリットから、ウルドゥー語などアラビア系言語も語源になっている。これらの言葉が融合することなく、今でもヒンディー語の単語として残存しているので、同じ単語でも言い回しが3通りも4通りも存在することがしばしば。
 これは、ゼロから単語を覚える側からすると、とてもキツい。


c. 都市部以外においては必須
 英語があればどうにでもなるなどと思う無かれ。
 デリーなど大都市を少し離れると、すぐに純粋ヒンディー語圏に入る。街中の殆どのヒトがヒンディー語でコミュニケーションを取る。「使いこなす」というレベルで英語を使うヒトはハッキリ言って見かけない・・・みんな片言レベル。
 こんな環境なので、「これいくら?」「××が欲しい」「△△したい」くらいは喋れないと、相当苦労する局面が出てくるだろう。


宗教の捉え方
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オレンジ:ヒンドゥー :ムスリム 水色:キリスト ピンク:スィク :ほか)

 インドにおける宗教分布は、結構複雑だ。

 どの資料を見ても、「80%がヒンドゥー教徒、13~4%がイスラム教徒(ムスリム)、キリスト教徒・スィク教徒が夫々2%ずつ、以下仏教徒、ジャイナ教徒、ゾロアスター教(拝火教)徒など」と記されているが、これはハッキリ言って現在の状況を正確に表した数字じゃない・・・と思う。
 一番直近の国勢調査は2001年に実施されたが、この中で宗教調査も一応行われたようだ。だが、出てきている数字は、1930年代の調査のものと殆ど変化していない。
 下位カースト者、カースト外ヒンドゥー教徒たちの改宗、ヒンドゥー教徒と異教徒混血によるヒンドゥー教徒減少(混血は原則ヒンドゥー教徒になれない)などを考えると、今の数字が70~80年前と同じなんて有り得ない。

 一般的には、東部の山間部族居住地域、ムンバイ・ゴア地区は、英国支配時代に多くのキリスト教改宗が行われ、インド中央のナグプールでは1956年にアンベードカルによる仏教への集団改宗がなされたので、宗教分布が特異だと記されている。
 また、パンジャブ州はスィク教徒の多い地域だと言われている。

 確かにこれらの情報は正しいのだけれど、主観的には現状はもっと進んでいると思う。
 デリーでは多くのスィク教徒を目にするし、多くの仏跡(ブッダガヤーナーランダーラージギルなど)のあるビハール州にはたくさんの仏教徒がいた。また、地域・州を問わず、日本妙法寺の仏閣が建立されており、そこには多くのインド人仏僧が修行に励んでいた。
 仏教に関して言えば、現在インド仏教を率いているのは佐々井秀嶺なる日本人僧である点付け加えておく。彼や彼の取巻き曰く、彼らの改宗推進運動(指定カースト者を、上位カーストに支配されるだけの生活から解放する)によって、今やインドの仏教徒は1億人いると言う・・・まぁ、流石にこの数字は誇大表現に過ぎるけど、資料の記している数百万人っていう少なさでも無いんじゃないかとも思う。

 日常、異なる宗教にも関わらず、仲良くやっているように見える彼らだが、御互いの宗教を軽視する言動が見られることもある。
 僕らとしては、ふぅんと軽く流すより他に無いのだが。
 でも、爆破テロが起きたからといって、犯罪となんら関わりの無い、街のイスラム教徒たちに危害が及んだりといったことは無く、基本的にはインド人は民族問わず平和な民族ではないかと思う。

宗教やカーストに関する過去の日記:
 インドの交通事情
 カースト カースト カースト
 デリー郊外の農村へ
 インド農村行政の実態
 ヴァラナシでのホームステイ
 インドの祝祭日の考え方
 州境の村の実態
 インドのNGO事情
 ラクナウでアンベードカルについて考える


風土・文化の違い
 これは、僕の過去の旅行記を読んでもらうのが一番良いが、東西南北、気候も違えば食文化も違う。基本的には、水の多く出る州(ヒマラヤ山系の水脈のある北部諸州や大きな川を持つ州など)は豊富な農作物生産能力を背景に裕福で、その逆もまた然り。
 また、インドでは州によってある程度自治が認められているので、州ごとの所得も恐ろしく差があり、州民の生活にもおのずと格差が生じている。
 南に行くと教育水準が高く、北東に向かう程低くなる(一部例外あるが)。


氾濫する間違った情報
 最後になるが、これからインドにいらっしゃる駐在員の方々へ。

  「日本に氾濫する前向きなインド情報は信じないで下さい」

 僕が昨年インドに来ることが決まったとき、アマゾンで「インド」で検索してヒットしたビジネス関連書籍は僅かに数冊だった・・・殆どは、バックパッカーの旅行記みたいな本だった。
 それが今や、検索ヒット数300件弱・・・凄い熱狂振りだ。

 いくつか取り寄せて読んだが、ハッキリ言って「ウソばっか」である。

 想像するに、取材記者が日本から飛行機でブ~ンと飛んできて、数日間でデリー・ムンバイバンガロールハイデラバードあたりを周遊して、日本企業誘致に躍起な政府要人・インド企業家とのインタビューを済ませて帰国・・・こんな感じで書かれた記事じゃなかろうか・・・。
 彼らは、湯はおろか水の出ない一般旅館、1日16時間停電する一般住宅街、都市部から数km離れた極貧農村などに行っただろうか。
 勝手に業務終了して乗客を強制的に降ろす市バス、自分の手数料が入る宿・土産屋にしか行かないオートリクシャーに乗っただろうか。

 最近、人口爆発による労働人口増加を記す記事をよく目にする。
 だが、人口が増えるのは、「労働したくても職の無い人たち」だ(農村に行ったときの日記参照)。

 ITシリコンバレーがあるかと思えば、僕らが自宅にインターネット回線(しかもナローバンド)を引き込むのに1ヶ月かかる現状がある。

 バカ売れする自動車の脇には、1回の給油代金>月収の貧民が道端で寝ている。


 ・・・僕は、生来明るい性格だが、この国を見ていると、明るい話題よりも深刻な課題の方がどうしても目だって見える。
 
 我々世界第2位の経済力を持った国の企業の駐在員がインドで出来ることって何なのか・・・あと1年の滞在期間で答えを探し、成果を出したいを思っている。
by bharat | 2006-06-26 10:30 | 自己紹介など
デリー 14 チベット人居住区
 意外と知られていないが、デリー市の北の一角に、チベット人居住地域がある。

 場所は、プラーナーキラーの北側、オートエキスポIITFが開催されたPragathi Maidanの傍。
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 一見すると素通りしてしまいそうだが、この一角だけ、チベット語で書かれた広告の店がポツポツ並んでいる。立派な学校もある。


そこはなんとも不思議な世界・・・

 いきなり目に入ったのは、店の前でビリヤードみたいなテーブルゲームに興じる袈裟姿のチベット僧。木村祐一??
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 大通りから狭い路地を入ると、とてもデリーとは思えないこの風景。
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 ・・・でも、北側に抜けると、いつもと変わらぬ汚い聖川ヤムナーがあったりする。
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e0074199_15575431.jpg 町通りは、どこかひっそりと落着いている。
 本屋にはチベット語の仏教関連書籍が並び、デリーではなかなか見ない梅干なんかを売る食べ物屋もある。
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e0074199_17431041.jpg 民俗手芸品を売る店もチラホラ。
 この店のならびにあったレストラン「TEHOR」では、珍しい牛肉のモモ(チベット餃子)を食わしてくれる。

e0074199_17465128.jpg レストランやホテルなんかも結構あり、ダラムサラー・マクロードガンジを小さくした感じの街並みかな。

e0074199_17503084.jpg 疲れた体にはマッサージ・・・ってことで、偶然見つけたマッサージ屋でマッサージして貰った。
 値段は、300ルピー(約780円)と手頃だが、どの辺がチベット式マッサージなのかは分からなかった・・・ちょっと整体風のマッサージで、痛いけど、マッサージ後は体スッキリ☆






 ちょっと変わったデリーの様子・・・また行こうかな。
by bharat | 2006-03-17 10:14 | デリー市内あれこれ
デリー 10 ガンディーが荼毘に付された地 ラージガート
 レッド・フォートの南東、インド門の北東・・・ヤムナー川の畔に、「RAJGHAT」と書かれた門のある大きな庭園、その傍にはガンディー博物館がある。
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1948年1月30日 ガンディー暗殺さる

 マハートマー・ガンディーは、1948年1月30日、デリーで暗殺された。

 手にかけたのは、ヒンドゥー教徒大連盟(ヒンドゥー・マハーサバー)の青年構成員のゴードセー。ヒンドゥー教徒大連盟は、ヒンドゥー教至上主義を旨としており、ガンディーの成した1947年8月のインド・パキスタン分離独立に強い反感を持っていた。ゴートセーは、この団体に所属するうち、ガンディーに対する反感を強め、最終的には単独の意思で犯行に及んだと言われている。

 1948年1月という時期は、インドにおいてヒンドゥー教徒とムスリム(イスラム教徒)の対立が顕在化していた時期だった。
 1947年8月に確定したインド・パキスタンの国境線をもとに、インドからパキスタンにヒンドゥー教徒が、逆にパキスタンからインドにはムスリムが大量に移動を開始した。その総数1,500万人。
 ところがこの最中、御互いの教徒のイザコザから、50万人にものぼる死者が出た。

 ヒンドゥー教徒の怒りの矛先が、分離独立をすんなり決めてしまったガンディーに向けられたのも、そんな御時世の中だった。


 ガンディーは、暗殺された直後、軍用車両で直ちに搬送された。博物館には、その車両が展示されている。
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 その後、遺体はラージガートにて荼毘に付された。
 今は、四角い石の台座と燭台が置かれている。
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 あまり、パッとしない場所だが、ガンディーファンは是非行ってみては如何。
by bharat | 2006-03-02 12:46 | デリー市内あれこれ
デリー 8 武器・兵器博覧会「Defexpo」
 去る1月31日~2月3日、Pragathi Maidenにて「Defexpo」なる博覧会が開催された。
 日本ではまずお目にかかれない珍しい内容だった。
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国防の名の下に

 Defexpo・・・文字通り、国防をテーマに、様々な国や企業からの出展があったのだが、要は武器類がズラッと並んているという趣向。
 以下レベル別に(勝手にレベル分けしました)。


国防Level 1
e0074199_1695635.jpg まずは、一番低いレベル。
 国防というよりは、軍人の身嗜みグッズの1つである刀剣を扱う企業からの出展。
 企業名は、Windlass Steel Crafts、本拠はデラ・ドゥーン(Dehra Dun)
 英国型の剣は、根元から刃先に向かって真っ直ぐになっており、米国型は日本刀のように曲がっているみたいだ。刃面にはきめ細かなデザインが彫られていてとても綺麗だ。


国防Level 2
e0074199_2565420.jpg こちらは、空港やスタジアムの入口などに使用される、金属探知器。
 いくつもの企業が出展していたが、Rushe Safetekなる企業は、写真の携帯型のほか、ゲート型の大型探知機も製造・販売していた。


国防Level 3
e0074199_362168.jpg このレベルから、だいぶクナ臭い雰囲気が出てくる。
 防弾ヘルメットに、防弾チョッキ。
 テイジンの製品も展示されていた・・・これらの製品は国連でも使用されているとのこと。

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e0074199_3315446.jpg こちらは、防弾加工車の被弾後の姿の展示。
 バグダッドで小銃に乱射されてズタボロになったこの車は、無事目的地まで自走し、乗客に怪我も無かったと記されていた。
 ・・・しかし、撃たれ様である。


国防Level 4
e0074199_339526.jpg 見ての通り、鉄砲類もろもろ。
 実際に手に取ることは勿論のこと、具体的な商談をしている姿もチラホラあった。

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国防Level 5
e0074199_3511643.jpg ・・・これは国防というより、攻撃兵器そのもののような気がするが・・・。

e0074199_3551541.jpg 実際に近隣諸国からの攻撃に備えるべく配備されているミサイルBramosや、高性能追尾ミサイル、迎撃ミサイルなどが数多く展示されていた。
 イスラエル、ロシアなどのものが多かった気がする。

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 ・・・しかし、変わった展示会だったなぁ。
 毎年開催して、何か内容が変わるんだろうか?
by bharat | 2006-02-10 10:37 | デリー市内あれこれ
デリー7 Auto Expo 2006
e0074199_1132286.jpg 去る1月12日(木)~17日(火)、デリー北部の展示場Pragati Maidenで、自動車・バイクの一大展覧会が開催された・・・その名もオートエキスポ2006。
 この場所、どこかで・・・てIITFやってた場所だ!
 なるほど・・・ここはデリーの「幕張メッセ」なんだな。



1999年からか・・・
e0074199_07484.jpg これが入場券、会場案内(冊子とCD-ROMセットで150ルピー(約390円)。
 第8回と書いてある・・・まだたったの8回目??年1回開催として、1999年に第1回が開催されたということか・・・恐ろしく歴史が浅いな。


 入場は、企業関係者と一般観覧者の2種に分かれており、今回は知人に譲ってもらった企業関係者チケットで入場(買うと500ルピー(約1,300円)もするらしい)した。
 企業関係者と一般観覧者とで入場時間が分かれているので、会場内はスーツを着たビジネスマンが多かった・・・僕のような普段着の冷やかしみたいのも結構いたけど。

e0074199_11471611.jpg なぁんか、展示の雰囲気が前回と変わって無いな~と思ったら、それもその筈、IITFの展示が一部そのまんま残ってた・・・片付けんかい・・・。来年までこのまんまだったりして。



急速な車社会化を体感
 手狭な展示ブースながらも、館内は大小の企業がひしめき合っていた。
 2輪~4輪メーカーに始まり、商用車、部品メーカー、レプリカメーカーまで・・・想像以上のバラエティにちょっとビックリ。

 以下、観た場所を順繰りに。



本田技研
e0074199_11564891.jpg いきなり、BAR HONDAのF-1レプリカがドド~ンと鎮座。インドでは、昨今F-1人気が急上昇しており(ナライン・カルシケヤンというインド人がJordanチームのF-1パイロットになったことが大きな要因になっている)、これはかなりのインパクト。

 その奥に、アコードとシティの2車種が展示されていた。これら2車種は既にインド市場に投入されている車種で、現地生産体制も整備されていて、販売価格もトヨタより遥かに安く出来ている。
e0074199_125491.jpg その横には・・・新型シビックが。ほっほ~、これも投入間近ってことか。そういえば、最近読んだインドの車雑誌に試乗レビュー書いてあったな。まぁ、デザインが無難なので、販売価格によってはそこそこ売れるだろうな・・・。
 しかし、なんでこのインドで中型セダンしか売ろうとしないのかな?フィットとか絶対バカ売れすると思うんだけど。小型(軽よりちょい大きいタイプね)車を投入して、マルチスズキのスイフトやヒュンダイ(現代自動車)のGETZとかの購入者層を食いに行かないのかなぁ。



フォード(Ford)
e0074199_12135383.jpg お~!これは新Mustung GT♪♪
 原点回帰のFordの力作をインドで見れるとは。1960~70年代のマスタングを髣髴とさせるこのダサカッコ良さ、個人的にはかなり気に入っている。金があれば即買いしたいな~。
e0074199_1214496.jpg しかし、内装は若干手抜き気味・・・最近のアメ車のインパネって、シンプル過ぎというか中途半端というか・・・ここまで手抜くなら、木目調にするとか、メーターを白黒のモノトーンにするとか、とことんダサくして欲しいな。
e0074199_1216256.jpg ま、アメ車全般大好きなので、この仕上がりでも充分◎ですが。



マヒンドラ・アンド・マヒンドラ(Mahindra & Mahindra)
 インドの自動車業界第4位、業界内シェア約8%。創業1945年、純インド財閥マヒンドラ・グループの中核を成す企業で、毎年増収増益、総従業員数は約12,000人。
 ジープ、SUV、小型商用車を街中で良く見かけるが、軍用車両や農業車両(トラクター等)も数多く生産している。グループ自体は、IT分野にも野心的な姿勢を見せており、British Telecomとの合弁、Mahindra British Telecomを設立して頑張っている。

e0074199_1421431.jpg ブースは、SUVの主力車種の「Scorpio」の様々なバージョンを展示。
 Scorpioは、ごく一般的なSUV型4駆(2駆も一部あり)で、そのスリムで嫌味の無いルックスで販売台数を伸ばし、デリー市内でも良く目にする車だ。2609ccディーゼルエンジンを装備し、大きさは、L4475 x W1750 x H1916mm、使いまわしの良い大きさ(長さがもうちょっと欲しい気がするが)。
e0074199_1423163.jpg3列目のオプショナル・シートのアレンジが横向きになっているのは、軍用ジープの名残!?

e0074199_1425014.jpg ピックアップタイプ("Scorpio Lifestyle")は、ボディカラーも内装の作りも、ポップに仕上がっており、なかなかのもの。車高をちょっと上げてフットステップを配し、フロントスポイラー、グリルは特別仕様のものを装備する。僕はマリンスポーツはやらないが、こんなので荷台に板積んで、湘南・九十九里を走らせたら雰囲気出るんじゃないかな~。




e0074199_926953.jpg 興味深いのは、小型商用車のオート3輪の2車種。
 1台目は、Hy-Alfaという車名。
 ミゼットのような形で、うしろは荷台になっている。だが、排気量は340cc、結構重たいものも難なく運べそう。

e0074199_9503826.jpg 2台目は、Bijlee。
 Bijleeはヒンディー語で「電気」の意味で、文字通り電気自動車である。
 座席は全てベンチシートで、後ろは向かい合わせになっている。乗員数は9名(運転手含む)。最高速度は35km/h。1回のフル充電で80~160km移動出来る。
 だが性能云々よりもこのルックス!
 こんなのが愛☆地球博の会場内に走ってたら楽しかったのに・・・。
 京都市内観光とかこんなのでしてみたいな~。
 屋久島とかのレンタカーも、この車種だけにしちゃうとか。



三菱自動車
e0074199_9524229.jpg ここから別の館。
 スズキの2輪の展示ブースの向かい側にあったのは、三菱自動車。
 ・・・が、展示されていたのは、ランサー1車種。EvolutionやCediaなどのバージョンは見られるものの、1車種って・・・展示出さない方が良かったんじゃ・・・。
 もはや何の変哲も無くなってしまったランエボ8代目(9代目だっけ?)を中央に配する展示・・・何年この展示方法を続ける気なのだろうか。
 EK WagonやColtなんか、デリーやムンバイなんかで走らせたら面白いし、Grandisだって使い勝手が良くて、充分トヨタのInnovaを食えると思うが・・・南西アジアでの販売路が無いのかな・・・勿体無い。
 i(アイ:最近日本市場に投入の新車種)が軌道に乗ったら、インドでの販売戦略も状況が変わるのかも。



スコダ(Skoda)
e0074199_10211713.jpg 日本では殆ど馴染みの無いこの社名。インドではそれなりに名が売れている。武骨な作りながら、やけに曲線美を強調する日本車よりはインド人ウケするのではないかとも思う。まぁ、コストパフォーマンスが良い訳でも無く、内装にも気配りが足りないのでグングン売れるという要素も乏しいのだが。

e0074199_1031165.jpg 軍事オタクかWRC(World Rally Championships)オタクの人なら知っていると思うが、スコダはチェコスロバキアの会社。元々は軍事企業で、戦車などを製造する企業だった。その後、第2次大戦で同国がドイツに併合されると、同国の戦車はドイツの戦車を作るようになった。軽戦車の名作として名高い25t戦車や35t戦車はその好例で、「t」はチェコの頭文字を取ったものだ。

e0074199_10584379.jpg 第2次大戦後、軍事企業が自動車メーカーとして再スタートする例は多く(日本のスバルもそうですね)、スコダもこれに倣った。現在は、独自には生き残れずVolksWagenグループ傘下だが、WRCには積極的に参戦した歴史を持ち、最近はフォビアやオクタビアなどの車種で参戦。欧州戦のみの参戦と寂しいが、近々全戦復帰するみたいだ。



タタ・モーターズ(TATA Motors)
e0074199_11285241.jpg インド最大財閥TATAグループの一角を成す企業。乗用車から大型商用車、軍事車両まで製造する、大企業だ。1945年設立、従業員数は3万人弱。インドにおける商用車販売シェアは59%のダントツ1位で、世界的に見ても第6位。インド国内は勿論、海外進出にも野心的で、現在マレーシア、バングラデシュ、ケニア、南アフリカ、エジプトに生産工場を持ち、ここから欧州、豪州、東南アジア、中東、アフリカ等約70ヶ国へ輸出している。
e0074199_11314087.jpg 展示車種は、バラエティに富んでいたが、やはり目立ったのは大型車。


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スズキ自動車(Maruti Suzuki)
e0074199_11485834.jpg インドにおける知名度No.1の自動車メーカーで、正式名称はマルチ・ウドゥヨグ(Maruti Udyog)。日本のスズキとの合弁で、1982年に設立された。業界内では後発だったにも関わらず、現在は乗用車販売シェア約45%を誇る。

e0074199_11505565.jpg 1983年に市場投入された「マルチ800」は未だに現役で、展示ブースにも堂々鎮座していた。最近は、日本でも御馴染みの「スイフト(SWIFT)」を投入し、なかなかの販売を記録しているとか。
 やはり、広告への資金投入もハンパなく、展示ブース面積は実に広大。スイフトのみ10台以上を展示する専門展示ブースも設けていた・・・ジュニアWRCカーのレプリカも。



その他の自動車
e0074199_1139999.jpg 意外な車が・・・アルファロメオのコンセプトカー。
 ほぼ市販者の形をしているが、車種名の掲示が無かったので、多分コンセプト・カーだと思われる。インド人の若者がドァ~ッと群がっていた・・・スーパーカー人気は普遍なのだろうか・・・。

e0074199_114013.jpg 僕は1960~70年代の車が好きなのだが、マンガ「サーキットの狼」などでも分かるとおり、日本中がスーパーカーに熱狂していた(そうだ)。ロータスヨーロッパ、ポルシェカレラ、ランボルギーニなどなど。インドでも、ここ数年~10年そこそこで、そんなムードになるのかも知れない。






 2輪は詳しくないので、以下2輪メーカーの説明はかなり雑になるが・・・。


ヒーロー・ホンダ(HERO HONDA)
e0074199_1152549.jpg 本田技研26%、ヒーローグループ26%の株式資本で構成される、日印合弁企業。従業員役7,500人、業界内シェアは約50%を誇る。昨年度販売台数262万台は驚異的・・・日本の何倍だこれ。



スズキe0074199_1158956.jpg スズキは、2輪では独資でインドに進出している。ごくごく最近進出してきたので、これから勝負をかけるといったところか。4輪での知名度が効果テキメンで、展示ブースには黒山の人だかりが。



バジャジ・オート(Bajaj Auto)
e0074199_1223474.jpg 1936年設立の老舗で、同名財閥の一角。ヒーローホンダに奪われるまでインド国内シェアNo.1だった。2輪のほか、オート3輪の製造もメイン業務として行っており、東南アジアへの販売も行っている。2輪については、日本の川崎重工業と業務提携関係にあり、これにより大型バイク(Ninjaなど)の生産ラインを追加することが出来、商品ラインアップも充実してきた。現社長のラフル・バジャジ(Rahul Bajaj)が社長に就任してから急激に販売業績を伸ばしており、辣腕社長との名が高い。


 このほかにも興味深い展示がいくつか。



サン・ルーフ
e0074199_12262131.jpg ウェバスト(Webasto)という自動車関連品製造企業。ドイツを本拠とする企業で、創業は1901年。現地では早くからメルセデス・ベンツのカーヒーターなどを製造していたようだ。現在は、アメリカのミシガン州に多くの機能を移し、製品ラインアップとしては、カーヒーターのほか写真(ちょっと分かりにくいが)のサンルーフ、インパネなども手掛けている。



カー・デザイン
e0074199_112866.jpg ディリップ・チャブリア・デザインという聞いたことも無いカー・デザイン会社。Dilip Chhabriaなる社長さんが率いる会社でインド本拠。社長さんはGMのデザインセンター出身とのこと。ロールスロイスやポルシェのカスタマイズなどの実績があるみたい。



えせパーキン
e0074199_1191870.jpg これは、パーキン・セブンではない。チンカラ(Chinkara)という車模型販売会社の展示物だ。ちゃんと動くらしい。自社製品と胸を張るが、どうみてもパーキン・セブンのパクりでは・・・。




オマケ
e0074199_125379.jpg 展示会場内を歩いていて発見した・・・住居??
 普通に生活しているようでした・・・。




by bharat | 2006-01-18 10:30 | デリー市内あれこれ
第29回旅行は、州境の村クッティーナ
 デリーからNH8(National Highway 8号線)でジャイプール方面へ車を走らせること約2時間、シャージャーンプールという町に着く。
 ここを右に折れて数分、クッティーナという村の集落が見えてきた。
e0074199_6123071.jpg


訪問目的
e0074199_2184623.jpg 今回ここを訪れたのは、NGO視察が目的(詳しくはコチラ)。
 だが、NGOの担当者の話もそこそこに、村の中を散策。



貧乏要素ナシ
e0074199_2193669.jpg まず、気になったのは、道路の舗装状況がとても良いこと。インド村の貧富の差は、道路インフラの優劣によって決まると言っても過言ではない。畜産品や農作物をコンスタントに都市部に売りに行くための道路、雨季に陸の孤島にならないための道路、休閑期に出稼ぎに行くための道路・・・村民にとって道路はとても大事なのだ。
 次に、電気インフラ。電話線がそこかしこに見えたし、店頭には照明が、民家からはテレビの音が漏れ聞こえてきていた。1日何時間電気が来ているかは知らないが、一般民家にも電力供給がなされ、また村民も高い電力費を負担出来ている(まさか全村民が盗電している訳では無いだろうから)・・・生活水準はとても高い印象を受けた。
 水の供給状況もとても良い様で、丁度菜種の刈入直前ということもあったが、周辺はとても良い色に染まっていた。


実態を聞いてみた
e0074199_2253569.jpg 村のキーマン(村長では無かったと思う)に色々聞いてみた。
 村の人口は3~4,000人くらいで、多くの村民は軍人もしくは農民。軍人は州兵として働き、農民は菜種・小麦の栽培を行っている。
 人口構成は、約10%がブラフミン(バラモン)、約60%がクシャットゥリ(クシャトリア)のラージプートというサブカースト、残り10%がバイシャ、残りの20%前後をシュードゥラ(スードラ)、指定カースト、ムスリム(イスラム教徒)が構成している。
e0074199_2263698.jpg 村民の平均収入は、月収で最低5,000ルピー(約13,000円)。年収に換算すると、60,000ルピー(約156,000円)。インドの村民の平均年収が12,000ルピーと言われているから、クッティーナの村の経済水準は相当高いと言える。まぁ、インドでは軍人の収入は一応に高いと言われており、彼らがこの村の平均収入を吊り上げているものと推測される。
 村の中には、学校もちゃんとあった(但し写真は閉鎖中の校舎)。
 集落の中と小高い丘の上にはヒンドゥー寺院が。




オススメ度(100%個人主観)

   ★☆☆☆☆ ・・・観光地では無いので。
by bharat | 2006-01-17 10:30 | インドぶらり旅
インドのNGO事情

 1月初旬、日本から知人の知人のNGO視察団が来た。
 欧米や日本を中心に貧困撲滅の運動を行い、民間企業・NGO協働型の活動を実践している。
 その視察団と行動を共にし、デリーやデリー近郊のNGOの様子を知る機会を得た。

NGO大国インド

 御存知の通り、インドは社会主義独立国家としてその現代歴史をスタートしたが、その官主導の国家体制が破綻を来たすにつれ、民間レベルから警鐘を鳴らす、あるいは独自の活動を始める動きが活発になってきた。
 内容も実に多種多様で、ストリートチルドレン・孤児の保護・育成・社会復帰を支援するもの、農業技術の指導を行うもの、地震・津波等自然災害の復旧活動を行うものなど、挙げればキリが無い。
 団体の数は際限無く増えているとされ、総数は数百万、毎年数万ずつ増えているという報告もある。
 しかもたかがNGOと侮るなかれ、インドのNGOは日本のそれとは活動規模・動かすカネも比較にならない。というのも、日本のNGOは無償で国際支援活動を行う団体のイメージが強いが、インドのNGOは民間非営利団体全般を指すので、ゼニ儲けしない民間団体は全てNGOという呼称で呼ぶことが出来る。資金源も、インド国内の個人寄付や企業単位の寄付はもとより、インド内務省の定める外国貢献規制法(1976年制定:Foreign Contribution Regulation Act)に基づく諸登録を経れば、外国からの送金も受けられる。


あまりに異なる活動事情

 今回、訪問したのは、上述視察団と同行した3団体。
 それと、当社が資金援助を行っている1団体。

サラーム・バーラク・トラスト(Salaam Baalak Trust)
e0074199_18121298.jpg 1990年に設立された団体で、主として、家庭内暴力や経済的事情で家を出ることを余儀無くされた子供たちの家庭復帰を支援する活動を行っている。
 資本規模は約1,000万ルピー(約2,600万円)、従業員数は70名余り、保護している子供の数は数十~数百人規模(常時変動している)。
 本拠の事務所をオールド・デリーに置き、デリー駅敷地内にも施設を保有している。

e0074199_181147100.jpg まずは、デリー駅の施設を見に行った。
e0074199_18134661.jpg ここは、子供に対するカウンセリングを中心に様々なケアを行う場所に使われていた。
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 階段の踊り場ではゲームに興じる子供たち、建物内の一角には粗末な教室(といっても区切られていない)、バルコニーには医務室、事務所の一角には子供のカウンセリングの記録室があった。
e0074199_2184640.jpg 続いて、本部事務所。
 ここには、管理系(総務・経理等)の機能が終結している他、厨房や食堂、教室、寝室などがある。コールセンターもある。因みに、「食堂、教室、寝室」と言ったが、「食堂 兼 教室 兼 寝室」である。当日はこの部屋で、昼食を御馳走になった・・・味はなかなか♪

e0074199_21105451.jpg 訪問当日も、家出してきた子供が1人、事務所に来ていた。オールドデリー付近で途方に暮れているところを保護されたとのこと。実際にこうして保護される例はそんなには無いが、コールセンターへの通報は、1週間に10~20件あるのだそうだ。
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PRAYAS
e0074199_034626.jpg 1988年に設立された団体で、デリー市内に100数箇所の支所を持つ巨大な団体。年間約9,200万ルピー(約2.4億円)を動かしている。
e0074199_0344994.jpgスポンサーも個人寄付に頼らず、政府系補助やコカ・コーラやタージ・ホテルグループなど大企業からの資金援助も受けている。
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一番下の写真2枚は、アーンスト・アンド・ヤング(世界規模のコンサルティング・ファーム)が建てた学校。
e0074199_036252.jpge0074199_0354413.jpg

e0074199_0375534.jpg 活動も実に多岐に亘り、子供の保護、初等~高等教育、技術訓練、就職斡旋などを行っているという。
e0074199_0374313.jpg また、AIDS撲滅を目的とする性教育も実践しているといい、とかくこの手のテーマを避ける傾向のあるインドでは進歩的だと感じた。
 上述のSBTの手法が、子供たちの心のカウンセリングを優先的に行って、早く家庭に戻る様促しているのと異なり、このPRAYASは、子供たちを完全に囲い込み(巣立つまで、敷地外には出られないのだという)、自立出来るまで面倒を見るという方策を採っている。夫々特徴があって、興味深い。



HPPI(Humana People to People India)
e0074199_0565287.jpg 1998年に設立された、比較的歴史の浅い団体。主活動をラージャスターン州やジャールカンド州など大都市から少し離れた場所で行っている。クッティーナというデリーとジャイプールの間にある小さな村でも活動を行っており、今回はここの状況を聞いてきた。この団体は、団体名から察しの付く通り、人権保護の観点から弱者救済の行動を採っていて、ユニセフ、ユネスコ、国連エイズ計画などがスポンサリングしている。2004年には、大規模なエイズ撲滅キャンペーンを行ったというレポートもあった。

 
 
SOS Children's Village of India
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 最後は、当社が一部資金援助している団体。
e0074199_1171696.jpge0074199_117280.jpg 写真は、当社拠出金により完成した、コンピュータールーム、図書館、音楽室の様子とその記念式典の様子。

e0074199_118654.jpge0074199_1175472.jpg この団体は、1964年に設立され、災害などによって両親を無くした子供たちを保護・育成・自立させることを目的としている。
e0074199_1193562.jpg 興味深い点は、Villageの名の示す通り、子供たちと擬似家族で1つのコミュニティを形成し、子供を自立させていく点だ。子供たちは、年齢・宗教に関係なく、10人程度にグループになり、擬似の母親が付く。このユニットで子供は活動し、親(擬似)や兄弟(擬似)の愛情を受けながら育っていく。集落の中には、擬似家族1世帯が住める住居が団地形式で配置され、その徒歩圏内に、図書館・コンピュータールーム・音楽室などの共有施設がある。
 個人的な思いとしては、拠出した資金に対しての出来上がりについては、少々不満が残ったが(たったこれだけのPC?たったこれだけの蔵書?などなど)、まぁ僕が決めた事では無いし、ちゃんと形のあるものが出来たのだから良しと考えるか・・・。



気になったこと
 いくつかの団体を見て感じたことは・・・「自分の団体以外の団体の活動についてどう思っているか?」ということ。
 どの団体も、崇高な目的を掲げ、頭が下がる思いだが、どの団体も「他の目的を一にする△△団体と連携を採っています」とか、「□□団体とは、相互補完的な活動をしています」とはコメントしていない。ある団体などは、他の団体より何が優れているかを強調した上で、寄付を求めてきた。これでは、折角の慈悲心・愛護心も台無し・・・。
 こんなときくらいは、インド人持ち前の競争心はちょっと控えて貰って、協調体制で連帯感を持って活動してもらいたいものだ。


by bharat | 2006-01-16 10:53 | ふと思うこと
インドの交通事情
 インドに来てまずビックリしたのが、交通事情だ。
 日本と共通しているのは左側通行という基本ルールが存在することくらいで、見るもの全てが笑えてしまう。

車線無視
 まず、道路に車線が引いてあるが誰も守らない。
従って、3車線道路も常に4~5列の車列が出来る。
このギッシリ詰まった幅いっぱいの列を、トラック、バス、商用車、普通車、軽自動車、オートリクシャー(オート3輪タクシー、以下オート)、自転車、手押し車(アイス屋さんなど)、馬車などが縦横無尽に突っ走る。
(Delhiを離れると、この他にラクダ、象、牛車、ロバも加わる。)

 これらが、牛、取締用の柵などを避けながら走り、speed breaker(減速させるためのbump)の直前に急ブレーキをかけ、ロータリーで各方面に舵を切るもんだから、さながらゲーセンのレーシングゲームのようなスリリングな展開になっている。



佐藤琢磨ばりのオーバーテイク
 左側が走行車線、右側が追越車線という原則は一応浸透しているようで、速度の速い車がクラクション・パッシングを繰り返しながら右へ右へと車線を変更しながら爆走している。
こちらの人たちは、この追越行為を何よりの快感に感じているのか、兎に角前の車を抜きたがる。
対向車線にハミ出そうが、前方の信号が赤だろうが兎に角オーバーテイクを仕掛ける。
おまけに信号待ちの状態でも車幅の狭い2輪やオートが前へ前へと車間を縫ってポジションを上げていく。

 このような事情だから、各車少しでも車幅が狭い方が有利な訳で、オートはサイドミラーを内側に装着しているし、乗用車はサイドミラーをたたんでいる(もしくは最初から付いていない)。
 但し、バスだけは例外で、相手が避けることを前提として減速せずに突進してくる。
 なんでもバスには公営(黄色)と私営(緑色)の2種があり、後者が各ドライバーに実車率ベースの歩合給与制を敷いているとのことで、早く多くの乗客を捕まえたいらしい。

 また、こちらでの赤信号は「止まれ」では無く、「注意しながら進め」。
 対向車線の交通量が余程多いか、警官が立っていない限り、赤信号で停止している車はいない。
 従って、自分が歩行者として道を横断する場合は、あり得ない方向から車が突っ込んでくる可能性があるので、細心の注意が必要だ。


最大積載人数は・・・
 車やオートの最大積載人数が決まっていないのか、たまに、上海雑技団ばりの乗用をしている車、オートを見かける。
 現在の最高記録はマルチスズキのZEN(800ccくらいで日本なら
Max5人乗りか)に11人、オートに8人乗っているのを見た。


ノーヘルOKな人たち
e0074199_15485555.jpg また、インドならではの宗教上の事情もある。
 スィク教徒は殆ど皆ターバンを頭に巻いているが、通常これを人前で取ることは無い。
 なので、バイクに乗るときも彼らはノーヘルで運転することを認められている。
 信号待ちしているバイクの中に、ターバンを巻いて立派な髭をたくわえながら悠然と構えている彼らを見れるのは、ここインドだけだろう。

by bharat | 2005-07-15 03:38 | ふと思うこと
人間的生活へ
居住者登録

 インドの居住先が決まったんで、早速、居住者登録をするべく、当社インド人スタッフと一緒に、Foreign Regional Registration Officeなる役所に行った。

 場所柄、事務所内は結構外国人が多い。

 総合窓口のようなカウンターに係員が2人。
 その2人を取囲むように、登録申請者が密集していた。
 列作ればいいのに。。。。
 順番なんて無いから、申請書を係員に見てもらったモン勝ち。
 当社スタッフは、手慣れた様子で、ヒンディー語で何か喋ったかと思うと、係員は僕の申請書をすぐに手に取ってくれた。
 うぅむ、やはりこういうときにヒンディー語が出来るといいな、と思った。



 必要事項を記入したResistration Report / Residential Permit、パスポート、ビザ、賃貸契約書、大学のAdmission Letterの原本・写しなどを一揃え提出すると、5分くらいでResistration Report / Residential Permitにハンコ・署名がなされ、正式に発行してくれた。
e0074199_236837.jpg


 申請する前は、

      「場合によっては、何時間もかかることがあります。」

て言われてたんで、アッという間に済んでよかったぁ。




生活開始に必要なもの

 ホテルから家に移るにあたって、必要なものをリストアップしてみた。

・ ベッド
・ 布団、シーツ、枕
・ エアコン
・ テーブルとイス
・ 食器
・ 冷蔵庫
・ 電子レンジ
・ 水(ミネラルウォーター)
・ カーテン
・ テレビとテレビ回線契約
・ 電話と電話回線契約、インターネット契約
・ 洗濯機
・ 掃除道具

 まぁ、優先順位の高低はあるけど、こんな感じか。。。
 ・・・結構いっぱいあるな。

 どこで買ったらいいか、当社スタッフに相談したら、いくつかは地下倉庫に在庫があるかもしれないと言う。
 早速、地下室に行ってみた。
 地下室の中は迷路みたいになっていたが、いくつかゲット出来た。

・ ベッドとマットレス(ベッドは立派だけど、マットレスは埃っぽい)
・ テレビ(ソニーだ♪)とテレビ台
・ テーブルとイス(イスはシールがベタベタ貼ってあるけど)
・ 冷蔵庫
・ 電子レンジ(日本製なんで変圧機必要)

 ベッドがあれば取敢えず家に移れるな、よしよし。

 ということで、その日の内にベッドを家に搬入して貰って、新居での生活を開始。

 が・・・・

      「暑くて、ねむれん・・・・」

 家が石とかで出来てるから、昼たっぷりと熱を吸収して、夜になっても室内がモワ~っと暑い。
 天井に扇風機が付いてるけど、回しっぱなしにすると乾燥してノド痛くなりそうだし。
 というわけで、エアコンが家に来るまでの数日間、蒸し風呂状態の部屋で、うなりながら過ごさなきゃならなかった。


 おまけに、カーテンが付いてないから、日中も夜間もプライバシーゼロ。
 落着かないこと、この上ない。


 テレビも立派なSony製のを居間に置いたんだが、契約してないから、全チャンネル砂嵐・・・テレビっ子としてはこれは大変ツラい。




 てなわけで、その週の内に「エアコン」「カーテン」「テレビ回線契約」を大至急頼んだ。




インド人大集結

 エアコン取付、カーテン取付、テレビ回線設定を全~部同じの日の午後2時に頼んだ。
 全部一気にやってくれれば、僕が拘束される時間が短く済むと思ったから。

   午後2時・・・誰も来ない。

     午後3時・・・誰も来ない。

       午後4時・・・誰も来ない。

 あれ?曜日間違えて頼んじゃったかな、と思った午後5時頃になって、ようやく来た。
 しかも、全業者・・・。

      「あのな・・・なんで全員揃って3時間おくれなんだよ。」

 と思ったが、彼らはな~んの気がねも無い様子で、作業に入っていった。


 ところが・・・

 エアコン、カーテン、テレビの3業者が1人ずつ来ると思ってたんだけど、何故か3~4人ずつで来た。明らかに作業してるのは、各業者1名だけで、あとは何か適当に指示出したり、勝手に小便しに行ったり、水をくれだの・・・なんなんでしょう。
 各作業とも居間の窓側での作業だったんで、居間の一角がインド人の大密集地帯に。
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 結局作業は、3時間以上かかり、みんな8時過ぎに帰って行ったとさ。
by bharat | 2005-07-15 02:19 | インド生活