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ヴァラナシでのホームステイ

 昨月(2005年12月)、2~3週間ヴァラナシにホームステイしてきた。
 理由は1つ、集中的にヒンディー語を学ぶには、デリーを離れて、英語の無い環境に行った方が良いと思ったからだ。

 通学先のJNU(ネルー大学:Jawaharlal Nehru University)が1年2セメスター制を敷いており、丁度12月はセメスターの間の休講期にあたる。これ幸いと、ヴァラナシ行きを決めた。

先生の家に寄宿
e0074199_394128.jpg 今回、僕がヴァラナシでの学習先・寄宿先に選んだのは、デリーでの補習先でもある、Bhasha Bharati。ヴァラナシには本校があり、数々の旅行誌にも掲載されている。学習方法や先生の質など賛否両論あるようだが、僕はその即効性のある学習方法を大変気に入っており、今回も迷うことなく同校を選択した。
 デリーの先生が便宜を図ってくれ、僕には元々先生が使用していた部屋を使わせてくれた。日本の寮制学校の施設から見れば粗末かも知れないが、ベッドと机があり、シャワー・トイレも付いているので、充分な設備だ。因みに、通常の寄宿生は漆喰剥き出しの壁に囲まれた、小さな明り取りしかない部屋で、フロ・トイレも共同だ・・・それでもヴァラナシのゲストハウスに比べれば格段に良い環境だが。

e0074199_8194029.jpg 授業は、8:00~11:00と16:00~19:00の合計6時間。
 デリーの先生がうまくヴァラナシの先生に引き継いでくれたようで、僕の怠け癖を知り尽くしていた・・・宿題を出してもコイツはやらないだろうとの読みから、授業をメインにして部屋で1人過す時間を極端に少なくしたようだ。
e0074199_8203779.jpg 授業の合間は、部屋で読書したり、外をブラついたり。
 部屋にいる間は、なるべく先生一家とのコミュニケーションを取ることが出来る様、部屋のドアを開け放しておいた。
 日中はほぼ毎日停電するので、部屋の入口にイスをもっていって、日の光で本を読み耽る・・・。たまに、部屋の中に鳥が飛んで入ってきたりする。鳴き声を聞きながら、のぉんびり時間を過ごす。

ヴァラナシの生活環境
 ヴァラナシは、デリーほど公害がひどくない。街の汚れはすさまじいの一言に尽きる(詳細はこちら)が、光化学スモッグのような状態にはなっていない。 
 気候も、この時期はデリーほど寒くなることもなく、比較的過ごし易いと言える。

 僕が滞在してみて気付いた問題点は、2点。

 まず、電力事情が劣悪なこと。
 今回、パソコンを持って行ったのだが、しょっちゅう充電切れになってしまった。というのも、コンセントから電気が来るのは、毎日早朝~8時くらいまでと、夜間~深夜のそれぞれ数時間だけ。他の時間帯は殆ど毎日停電状態だった。先生曰く、計画停電と突発性の停電が合わさって、かなりの時間、停電になるのだと。幸い、先生の家は大きな発電機を設置しているので、部屋の最小限の照明は確保されるのだが、大半のコンセントは使用不可、湯沸かし器なども使えなくなってしまう。
 デリー日本人会主催の忘年会に着ていったシェルワーニーは、実はここの先生に譲っていただいたのだが、この服のドライクリーニングをクリーニング屋に頼んだときも、停電のせいで危うく間に合わないところだった。なんでも、その店があった場所一帯は、約24時間の間停電になっていて、クリーニングの機械を動かせなかったのだそうだ。

e0074199_847029.jpg 2点目は、僕個人の嗜好の問題なのだが、食べ物の問題。
 僕は、基本的にインドの料理全般が好きで、デリーで生活しているときは基本的にインドの料理を食べている。前回ヴァラナシに行ったときも、食生活については特に問題無く過ごしていた。
 が、今回2~3週間という期間滞在し続けて実感したのは、延々と毎日ベジタリアン料理を食い続けると、心身ともに衰弱するということ。肉を食わないと体に力に入らないし、気分的にもかなり滅入ってくる(飽きる)。ホテルのレストランなどに行けば、ノンベジ(Non-Veg:要は肉・魚・卵など野菜以外のもの)料理にもありつけるのだろうが、今回はホームステイということで、食事は全て先生の家で済ませた。彼ら一家は敬虔なヒンドゥー教徒なので、野菜しか口にしない。で、食卓に並ぶのも、当然野菜・野菜・野菜・・・。
 デリーに戻ってきてから、数日間、肉をドカ食いしたのは言うまでも無い・・・。


季節によって顔を変えるガンガー
e0074199_8591912.jpg 今回も、ガンガー(ガンジス川)から朝日を見ようと思い、早朝、ガート(沐浴場)に行ってみた。
 船に乗り、川にロウソクを浮かべて御祈りし、船上魚売りを無視しつつ、日の出を待った。
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e0074199_901871.jpg 日の光で周りを眺めてみてビックリ・・・9月に見たときと川の様子が全く違うのだ。
 水がすっかり少なくなり、川幅もほっそりして、流れもゆっくり。対岸の砂洲の面積が何倍にもなっていた。弱々しい印象は受けないが、リシケシュやハリドワールで見た激流を思い出せないほど穏やかな雰囲気を醸し出していた。

e0074199_903896.jpg ガートの下に剥き出しになった砂地では、水牛の大群が水浴びしていた。彼らは、雨季~秋の間、どこにいたのだろうか。



垣間見られるカースト意識
e0074199_4194625.jpg 先生一家は、皆敬虔なヒンドゥー教徒だ。
 家の中に、祭壇が設けれており、毎日の御供え物は勿論のこと、子供の成長なども祈願したりする。

 家系は、ブラーミン(バラモン)階級に属し、その中のサラスワットという最上位のカースト(サブカースト)に属している。先生も家族も、日々これを強く意識しており、「我々はヒンドゥー教に基づく生活様式の中で最も重要な位置にいる」と言っていた。

e0074199_4201390.jpg この言動について、反進歩的だとか、差別主義的と決めつけるのも難しい。というのも、彼らなりの一途な宗教心によって、救われている人たちがいることも事実だからだ。彼らの家には、多くの使用人が出入りし、職を得ているし、その中のある老人などは、失明する恐れのある病になったが、先生一家が一切を負担して、手術・療養し、今でも元気に働いている。また、先生一家のあげた収益を元手に私立小学校を設立し、タダ同然の学費で初等教育を施している。

 これらの事業活動・慈善活動については、評価出来る点もある。
 が、彼らの宗教に根ざした上下意識は、日常生活の中では、どうしても我々非ヒンドゥー教徒から見ると、差別的に映る。

 例えば、生活空間。
 先生の家は、4階建てだが、彼らの生活空間は4階にあり、他の階は教室・事務所・ゲストルームで構成されている。この、彼らの居住する4階に、上がることの出来ない人たちがいる。
 ある日、僕が3階の部屋でドアを開け放して読書していると、街のおっちゃんが階段を上がってきた。

 おっちゃん 「こんにちは、ここの生徒さんですか?」

 ぼく 「そうですよ。何か用ですか?」

 おっちゃん 「先生に聞きたいことがあるんだけど、今いますかね?」

 ぼく 「いますよ。一緒にあがりましょう、付いてきて下さい」

 ・・・と、僕が階段を上がろうとしたとき、思いがけない言葉が。

 おっちゃん 「あ、上から下の私に声を掛けるよう、頼んできてください。」

 ぼく 「???」

 おっちゃん 「私のカーストでは、上の階に上がることは出来ませんので・・・」

 ・・・かなりショッキングな一言だった。このあと、彼らは普通に4階と3階で会話をしていたが・・・。


 次に驚いたのは、食事。
 滞在した2~3週間の間、女性の家族と食卓を共にしたことは一度も無かった。殆どは大きな食卓に僕1人、たま~に先生(男性)と一緒に。食事の間、女性はひたすら厨房で料理しており、御代わりを盛り付けたりするだけ。
 日本の一家団欒の絵は、ここには微塵も無い。


 最後、極めつけは使用人との距離感。
 先生の家に出入りしている使用人のうち、若い男性が1人いるのだが、彼は先生とも友達のように接しており、溶け込んでいる。仕事は雑用で、日々のお使いやお客さんの出迎えなどをしている。
 ある日、彼が家にいたときに丁度昼食となった。先生が「一緒に食って行けよ」というので、使用人クンは快くOKした。

 ・・・が、彼が食事をしたのは、食堂の隣の厨房の隅で、しかも地べた。これって、「一緒に食う」って言うのかな・・・。


 また、あるとき、夜みんなでTVを見ようと居間に集まった。先生が使用人クンに「お前もあがってTV見ていけよ」と言うので、彼も上がって見ることに。

 ・・・が、僕を含め、先生一家が皆ソファに座っている中、彼は1人裸足になって地べたに座った・・・僕1人何故かとても気まずい雰囲気を感じた。


 インドの政治家アンベードカルがカースト制廃絶を訴えた際、「使用する側と使用される側の双方に責任がある」と言ったという。
 成る程、お互い、無意識の中でカーストに根ざした差別的行動を取っているんだろうな・・・。
 
 良く、日本人は、インドをはじめとするアジアに駐在中、使用人を雇った際、彼らにナメられるという。どう接して良いか分からないからだ。僕も現在、掃除・洗濯を御願いしている使用人がいるが、やはりナメられいるのだろうか・・・。

 世界に稀有なフラット構造に生きている日本人にとって、この感覚を理解するのはなかなか難しい・・・。


by bharat | 2006-01-10 02:30 | ふと思うこと
インドの農村行政の実態

 ちょっと前に、日本の政府系の研究所のインド駐在研究員のNさんに同行させてもらい、デリー近郊の農村を見る機会があった(詳細は第6回旅行参照)。
 そのNさんより、インドの農村行政について詳しく聞く機会があったので、今回はその内容について少し書こうと思う。


インドの農村開発行政

 1947年の独立以降のインド経済の歴史は、初代首相ネルーの社会主義政策からスタートしている。
 彼は、重工業を中心とする近代工業の育成に注力し、国営・公営企業の成長を重視した。当時独立した他の発展途上国の先んじて5カ年計画を導入、経済安定成長を目指した。独立当初の大混乱期にあって、ネルーの打出した諸政策は奏功したが、1960年代に入ってそのツケがまわってくることとなる。
 企業の新規参入を避け、厳しい輸入統制などで、一部の国営・公営企業への権限集中が賄賂などの腐敗を蔓延させ、また地方における農産業の停滞をもたらした。

 だが、現在に至るまでインド政府が全く農業行政に手を付けなかった訳ではない。
 1960年までは、前述した農産業停滞からの脱却を図った制度的な改革を随時実行、農地面積拡大・国内自給率向上を目標とした。
 1960年代後半からは、農地面積の拡大が限界に達したとして、耕作作物の品種改良など技術重視の戦略に転換した(「緑の革命」)。小麦と米を中心に導入されたこの政策は、結果的には小麦革命を実施した州(パンジャーブ州やハリヤナ州など)で大成功した。
 1970年代に食料完全自給を達成すると、今度は政策の主眼は農村の貧困緩和に移行していく。


貧困緩和事業の内容とその実態

 現在、インド政府が打出している主要な政策は以下の通り。

農村自営促進事業(SGSY)
(内容)農村における自助グループ育成を行う。
(実態)農民への認知度は極めて低い。

農村雇用事業(SGRY)
(内容)村内における公共事業(用水路・村内道路の敷設、公民館・学校の建設など)を通じて、農村部の雇用創出を行う。
(実態)認知はある程度されているものの、政府補助金の使途を巡る不正が多々発生。e0074199_3581226.jpge0074199_3582574.jpg







連邦首相農道事業(PMGSY)
(内容)バジパイ政権以降実施されている政策で、比較的大規模なもの。幹線道路・主要都市と村とを結ぶ農道の整備事業。
(実態)認知はある程度されている。しかし、小さな農村では実行されないこと、村内労働力が有効活用されないこと(政府系の建設会社が請負うケースが多いため)などが問題視されている。
 
インディラ住宅事業(IAY)
(内容)指定カースト民・山間部族などの貧困層に住宅資材などを無償・安価で提供するもの。
(実態)貧困層の定義が曖昧(一般的には約12,000ルピー/年と言われている)なため、あるいは提供先の決定権がパーンチャヤット(村議会)と群開発室にあるため、腐敗の温床になっている。


 また、上記のほか、政府は、農民の生活負担軽減のため、保健所や学校の設置なども行っているが、この辺の実態については第6回旅行参照。


 これらの実態について、大規模な訴えを上層部に起こすことは極めて稀だという。
 各農村には、様々なカースト民がいるので、村全体の連帯感はとても希薄で、それが故に大規模な運動は発生しないとのことだ。


農村の過酷な環境

 政府の諸政策の恩恵をなかなか受けられない環境に加えて、インフラ環境や生活環境、自然環境が更に農民を苦しめている。
 Nさんが調査した村々では、電気はごく一部の住宅にしか届いておらず、上下水道設備が無いためトイレも無い。飲料水の清潔性にも多くの問題がある。用水路の有無は村によるが、乾湿の差が激しいので、作物栽培が出来る時期は制限されてしまう。
 (時期によってこんなに環境が変わる)
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 都市部とのアクセスが悪いので教育水準も自然と低迷。
 村内労働者の所得は25~40ルピー(約65~100円)/日、1年のうち約4ヶ月は仕事が無い状態だという。e0074199_4432792.jpg
 農民の金銭的拠り所は、もっぱら出稼ぎ者の仕送りで、一部の農村では年間収入の2/3を仕送りに頼っている状況もあるようだ。




村のための事業とは・・・

 Nさんの調査結果(経過報告)を聞かせて貰い、第6回旅行に引続いてインドの村の実態について理解を深めることが出来た。

 我々日系企業がこの地で貢献出来ることって一体・・・悩みは尽きない。
by bharat | 2005-10-31 15:01 | ふと思うこと
第8回旅行  メーラトでインド行政の陰を知る
 今回は、一風変わった趣向。

 日本の政府系の研究所のインド駐在研究員の方(Nさん)と知合う機会があって、そのNさんがデリー郊外に調査に行くというのを聞いて、無理を言って同行させて頂いた。
 因みに、官庁の方も1名加わり、総勢3名(+運転手さん1名)で旅だった。


インドならではの調査目的

 Nさんの調査目的は、インドの政府が打出す諸政策が、都市部以外の農村などで、どれだけ浸透しているかを知るため。
 インドの国土の広大さ、政治の腐敗、言語・文化の相違など、様々な要因が重なり、中央政府の政策が末端に届くのは非常に難しく、それ故その実態を詳細に調べ、原因究明を行うというものだ。

 インドならではの、ちょっと考えさせられる議題だ・・・。


デリー郊外の街 メーラト

 向かった先は、デリーから北東に70kmほど行った、メーラト(Meerut)という小さな街。
 小さな、といっても人口は100万人を超える。

 この街は、1857年のセポイ(シパーヒー:インド人兵士)の反乱が起こった場所。
 奇しくも、最近インドで公開された映画『マンガル・パンデイ』がまさにこれを扱ったもので、インド人の英国軍兵士マンガル・パンデイが、英国軍のインド人に対する対応に業を煮やして反乱するという内容だ。最終的な反乱のきっかけは、使用する新型銃の銃弾の包みが牛・豚の脂で出来ていることを知って。牛はヒンドゥー教徒に神聖視されており、豚はイスラム教徒に忌み嫌われており、これらで出来た銃弾の包みを歯で破って弾込めするというのは、とても耐えられるものではかなったということだ。
 結局、反乱自体は小規模なものに終わり、マンガル・パンデイは絞首刑に処せられるが、その後、この反英活動はインド国内の藩王たちに広まり、ひいては大規模な独立運動に発展していく。

 ・・・で、話をメーラトに戻すと、セポイの反乱の地であるのも関わらず、記念碑らしきものや目だった像も無い。
 過去は過去ということか・・・。


強烈な実態

 デリーを出発して国道を走ること約2時間半、街の中心部に到着。
 街に着く少し前からドシャ降りで(結局この雨は丸2日間続いたが・・)、そのせいで道路はドロが洗い流されて手抜き工事のアスファルトがむき出しになりガタガタ。まるで、ラクダにでも乗っているような感じだった。
 今回の調査に協力してくれる、メーラト大学の教授を大学でピックアップし、いざ調査へ。
 

 まず、教育面の充実具合を調べるため、周辺の小学校を視察することに。

 インドの小学校は、政府の政策により、学費タダで受講できる公立校があり、建前上はカーストの上下や貧富に関わらず、みんな学校に行けるようになっている。
 しかし、公立校の教員はレベルが一様に低く、また彼らのモチベーションも無いので、いい加減な内容で授業がなされるケースが少なくなく、また勝手に休講になるなど、満足の行く教育現場になっていないとのこと。
 加えて、教材費や筆記用具購入費、制服購入費は実費であるため、貧しい家庭の子はやはり通学出来ないという。
 金を工面出来る家庭は、もっぱらプライベートスクールに子供を通わせるのが常識で、要は政府が公立小学校関係に費やしている支出は殆ど役に立っていないことになる。

 
 当日も、土曜日午前中には授業があるはずなのに、公立校は閉まっていた・・・勝手に休講した様子だ。

 プライベートスクールは空いているというので、急遽そちらを見させて貰うことに。

 ドロでグチャグチャになって前庭を通って、校舎へ。
 だが、校舎と言える代物はどこにも無く、レンガでコの字型に囲った壁に粗末な屋根をかぶせただけ。
 当然、照明は無く、ボロボロの黒板が1つ。立派な机とイスが余計に空しく映える。
 制服はあるらしいのだが、買う余裕のある子だけ着ていた。

 写真を撮ってもいいかと聞くと、2つ返事でOKしてくれた。
 別に整列しなくても良かったんだけど・・・。
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 学費は、月に200~300ルピー(約500~800円)だが、周辺住民の平均年収が10,000ルピー(約26,000円)前後なので、ギリギリの出費なのだという。

 このあと、イスラム教徒の学校も視察したが、状況は同様だった。



 次に福利厚生面をチェックするため、周辺の病院を視察することに。

 インドでは、貧しい人でも診療・治療を受けられる様、各地域ごとに公立の病院を設立。
 薄価で、診察を受け、薬を貰い、場合によっては入院治療を受けられる体制を採っている。

 が、それも建前の話で、実際は、病院関係者が政府補助金を着服し、薬剤を横流しして金を作り、正しい形で末端に恩恵が届くことは殆ど無いという。

 公立の病院前に行ったのだが、門は閉まったまま。
 人の気配は全く無かった・・・。
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 なんともやりきれない実態だが、Nさんは全てを悟ったように、

   「これでも良くなったんです。
    20年前は、政府が100の金を投じても
    末端には10~15しか届かないと言われていたんですが、
    今は25くらいが末端に届いていると言いますから
    ・・・ちょっとずつ良くなってきているんです。」

と言った。

 インドに来て2ヶ月そこそこの僕には、そこまで悟れない状況だったなぁ。



国民的スポーツなのに・・・

 農村部を走っていると(走るといっても実際は道がデコボコだから時速10kmくらいだと思うが・・・)、周りの風景はどことなく日本の田舎をホウフツとさせる。
 なんでもこのあたりは稲作が盛んなんだそうで、道端の田んぼの稲がふくらんで頭を垂れている様子が、日本のそれとカブッた。

 途中、部落を通過している途中、家の前で、男の人がミシンで丸いものを縫っているのを見た。

 僕が、

   「あれ?何してるんですか」

と聞くと、Nさんが

   「何でしょうね。降りて聞いてみましょう。」

と言い、車を降りて男の人に直接聞いてみることになった。
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 聞くと、クリケットのボールを作っているんだと言う。
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 クリケットは、野球の原型となった球技で、ルールはさておき、要は球を棒で打つ競技だ。
 インドでは、一番人気のスポーツで、クリケット選手は映画俳優と並んで大人気だ。

 その国民的スポーツの球は、動物の皮で出来ている為、つまりケガレている為、指定カーストの人が製造に従事しているのだ。

 話をしてくれた人も、指定カースト者だった。
 (このくだりについては、カテゴリ「ふと思うこと」の「カースト カースト カースト」を読んでみて下さい)

 うぅむ、国民的スポーツなのに、ボール作りはケガレ扱いか・・・複雑だな。


何にも知らない村長さん

 その後、3つの部落を訪問、各部落の村長さん・前村長さんにインタビューした。

 部落の様子
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 インドの村長さんは、選挙で選任されるんだが、リザーブシステムという仕組みによって、一定の頻度・枠で、指定カースト者が選任されることになっている。
 指定カースト者が差別されることなく政治に参加出来る様、中央政府が便宜を図ったものだが、実態はと言うと・・・・

 1人目は、指定カースト者の女性の前村長さん。
 因みに、その部落はジャートと呼ばれるヒンドゥー・カースト者と指定カースト者の混在する部落だった。

  「こんにちは、あなたはハリジャン(神の子:指定カーストの総称)ですね?」

    「はい・・・。」

  「あなたは、前期、村の政治を司っていましね?」

    「はい・・・。」

  「あなたは、政府の基本政策○○を知っていますか?」

    「いいえ。」

  「聞いたこと無いですか?」

    「無いです。知りません。」

  「では、他の政策△△を知ってますか?」

    「いいえ。政治のことは良く分からないんです。」

  「そうですか。今の政権についてどう思いますか?」

    「とても良いと思います。何の問題も無いです。」


 2人目は、隣の部落の現職女性村長さん(指定カースト者)。
 その部落も、1つ目の部落とカースト構成は同じ。
 で、インタビューしたが、答えが、1人目とま~ったく同じ。
 加えて、2人目の女性は、読み書きが出来ず、政府から届く書類を理解する事も出来ないと言う。秘書と呼ばれる政府役人が派遣されて、村長にサインの仕方だけ教えて、あとの実務はその秘書が取り仕切るんだと。

 Nさん曰く、

  「結局、この制度は有名無実化しているんです。
   村長は、何も分からず秘書やダンナの言いなりになっているだけです。
   一部、しっかり政府方針を理解して、発言・行動する指定カーストの
   女性村長もいますが、ごく少数です。」

だと・・・農村部の教育に問題があるだけに、なかなかすぐには解決しない問題かもな。


 で、3人目。
 男性の現職村長さん。
 ヒンドゥーカースト者で、ヒンディー語の読み書きも出来そうな感じ。
 中央政府の政策については、少し内容を知っている様子。
 でも詳しくは分からないらしく、

  「内容は詳しく知らないが、中央政府は良くやってくれている。」

と訳の分からない持論を展開していた。

 ここでも、Nさんがバッサリ。

  「ヒンドゥーカースト者の村長は、政府と癒着しているケースが多いです。
   政党の中には、彼ら農村部の人たちを支持母体としているものもあり、
   そういった政党が支持を得たいがために村長たちと癒着するんです。」

なるほど・・・奥が深いな。

 余談だが、この部落の入り口に、ヘンテコな像が立っていた。
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 指定カースト者にも関わらず、その明晰な頭脳を見出され、一流教育を受けたのち、ついにはインドの憲法創立に関わった、アンベートカルの像だった。
 彼は、インド独立時に、カースト制度廃止を声高に訴え、その条項を憲法に入れることに成功する。しかし、有名無実化した実態を更に改善しようと試みるうち、彼自身の宗教心(彼はヒンドゥー教徒だった)との葛藤に行き着き、遂には仏教に改宗する。
 アンベートカルその人の話については、もっと勉強して別の機会に書こうと思うが、この中央政府によって建立された像をめぐって、つい最近部落のヒンドゥー・カースト者と指定カースト者との間で小競り合いがあったという。前者が像を取り壊そうとし、後者がこれを止めに入って、衝突したみたいだ。
 説明してくれたメーラト大学の教授が、ボソッと「こんな像、いらないのに。」とつぶやいたのが何とも意味深だった。勿論、彼はヒンドゥー・カースト者だ。


 2つ目の部落で、指定カースト者の住民と話すことが出来た。
 住居は、レンガすら買えず、土で出来ていた。土砂降りのせいで、カベはところどころ崩れ始めていた。
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 70歳くらいに見えた男性は、聞くとまだ50歳だと言う。
 最近病気になったが、近くの公立病院は機能していないし、私営の医者は高いので、本当に深刻な病状にならない限りは病院には行かないと言う。

 また部落の様子で気になったのは、車はおろかバイクすら殆ど見かけないこと、キレイな井戸がやけに目立っていたこと。前者は経済力が無いのと道路インフラ未整備なため、後者は政府政策により設置された「インディア Mark-Ⅱ」。
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 全て見終わって、Nさんに、

  「農村部を見ると、中央政府がやっていることは
   ムダになっているように見えるんですが・・・」

と聞くと、

  「おっしゃる通りです。
   結局、教育の行き届いていない地域の人々に
   政治に無理矢理参加させること自体
   ムリなんです。
   彼らが自活する方向に後押しする政策が
   必要なんですよ。
   例えば、何にも難しい事は考えず、
   部落から街に伸びる道路を舗装する。
   そうすれば、彼らは勝手にそこを行き来して
   牛乳や手工芸品を街に売りに行くようになります。
   それがインドの政府には分からないみたいなんですよねぇ。」


 ・・・その通りだなと思った。
 「何かしてあげる」んぢゃなくて、「何か出来るようにする」ことが大事なんだな、きっと。


 今回の旅行は、いろいろ考えさせられたな。



オススメ度(100%個人主観)

  ★★★★☆
by bharat | 2005-09-18 10:30 | インドぶらり旅
カースト カースト カースト

インドを語る上で、避けて通れない話題 「カースト」 。
インドに来て約3ヶ月、日々の生活に垣間見られる「カースト」の名残について思うこと・・・


カーストとは?

 ヒンドゥー教の基本概念である、「輪廻転生」「浄・不浄」の概念から生まれた社会構造。
 ヒンドゥー教では、現世で、ダルマ(戒律)を遵守して生きた人間は来世でより良い環境に生まれ変わることが出来るとしていて、現世社会をたくさんの階層に区切って自分のポジションを明確化した。
 これが、カーストで、我々が世界史で勉強したのは、有名な4区分、「バラモン(ブラーミン):僧侶」「クシャトリア(クシャットゥリ):戦士」「バイシャ(ヴァイシャ):商人」「スードラ(シュードゥラ):農民」。上のカーストに行くほど、「浄」つまり清らかでケガレていないことになり、スードラの下には「不可触賎民:untouchable」と言われる人たちがいて、最もケガレていると見做されている。

 上記身分区分は正確にはヴァルナと言われていて、これを細分化したものがカースト。
 カーストの種類は3000くらいあると言われているけど、インド人も正確な数字を知らないみたい。
 語源は意外にもポルトガル語。もともとインドでジャーティと言っていたんだけど、16世紀にインドに進出したポルトガルがこの言葉を母国語カスタ(階級)にあてて、それがなまってカーストになった。

 各カースト(本当はヴァルナだが、カーストで統一して書きます)は、相容れない社会構造を確立して、1947年のインド独立時にカースト廃止、49年に不可触賎民撤廃が制定されたにも関わらず、その名残はず~っと残存し、今でもインド人のマインドはこの概念が前提になっているようだ(このへんは後述します)。
 因みに、49年以降、不可触賎民を指定カースト、上の4つのカーストをヒンドゥーカーストと言うことにしている。




それって、身分区別を助長しただけじゃ・・・?

 インド独立以降も、法でカースト撤廃が決められたのちも、何千年も続いた考え方が突然変わる訳は無いし、何より全人口の8割以上が信仰するヒンドゥー教の基本概念がバックにあるんだから、急に一元構造の社会になる訳が無い。
 何より、就いている職業でカーストが分かってしまうし(例えば清掃屋さん、アイロン屋さん、屍体処理員、皮革製品作業員などは低カーストの人たちしかしない)、自分の苗字でカーストが分かってしまうんだから、「この人は、自分より上の人だ/下の人だ」と言う感覚は全然無くなって行かない。

 また、中途半端なことに、指定カーストの人たちのために、政府はリザーブシステムというのを作った。
 これは、指定カーストの人たちが、今まで高カーストの人たちしか付けなかった職(政治家・教員など)に就ける様、また教育レベルの高い学校に行ける様、一定の枠を設けて優先的に就職・通学出来る様にした。
 ただ、これって、指定カースト出身者からすると「私は指定カースト出身です」って言ってるようなものだし、ヒンドゥーカースト出身者からすると「あいつは能力も無いのに指定カースト枠の恩恵で自分と同じポジションに来やがった」ということになるわけで、返ってカーストの上下を思いっきりビジュアル化しているだけな気がするんだよね。


インドでのガンジー人気はイマイチ!?
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 インド独立運動に貢献し、日本でも御馴染みの、マハトマ・ガンジー。
 
 彼は、インド独立に際してカースト制度のあり方についても当然考えていたんだが、その行動が故に、インドでは驚くほど人気が無い。

 彼は、アフリカでの体験などをもとに、インドがイギリスの手を離れ、カースト制度の弊害を捨て去り、真の独立国家となることを目指して活動を展開した。ガンジーの伝記ぢゃないから、活動内容の詳細には触れないよ。

 その後、カーストの上下に関係無くイギリスからの独立運動が各地で激化するが、だんだん独立をスムーズに行う為に、政治力・金銭力のある人たちの協力が不可欠であることが分かってくる。彼らの大半は、バラモン・クシャトリア出身だったので、結局ガンジーは最終段階では、声高にカースト制度廃止を叫ばなくなっていった。

 この政治的融和が、インド人にはとても弱腰に映るらしく、「ガンジーがもっと強硬に進めていたら、今の社会構造ももっと違っていたのに」という感想を持つインド人がとても多い。

 彼が行った、不可触賎民への就職斡旋などは評価に値するが、結局上位カーストの反発を考慮してストレートにカースト廃止を言えなかった彼は、不可触賎民を「神の子=ハリジャン」(※K-1の山本キッドぢゃ無いよ)と呼び直し、差別は無くしたいが、区別はするという格好を採った。
 元不可触賎民の中には、この「神の子」の表現がモノ凄い皮肉に聞こえるらしく、そう呼ばれるのをとてもイヤがる人もいる。


 反面、日本では余り馴染みが無いが、スバス・チャンドラ・ボースやバガット・シンなど、過激な反英運動を行った人たちの人気が非常に高く、バガット・シンについては何度も映画化されている。数年前に1回イギリス人が作った映画「ガンジー」がキレイに纏まっているので話題になったのと比べると、やはり歴然の差だ。ボースについては、最近のマンガかわぐちかいじ作「ジパング」に登場しているね。マンガの中で出てくる彼はかなり気骨のある人物に描かれている。

ボース
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バガット・シン(のDVD)
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こんなところにもカーストが・・・

 こちら首都デリーでは、みんな雑多な社会で生活しているから、一見カースト社会から脱却しているようにも見えるが、さにあらず。


 前にも書いた通り、僕は現在JNU(ジャワハルラール・ネルー大学)で1年間だけ学生をしているんだけど、この入学申請手続などにも、カーストの縛りがロコツに出てくる。

 まず、入学申請のフォーム。
 僕は外国人用の用紙を貰ったから気づかなかったんだけど、インド人用の用紙にはカーストを書く欄が設けられていて、それに記入しなければならない。なんでもそれを書かないと、指定カーストかどうか判断出来ず、大学側が特別措置を採れないからだと言う。大学が指定カースト者に対して採らねばならない特別措置とは、一定の枠内で優先的に入学させる、学生寮に優先的に入寮させる、などなど。
 そんなことをするから、入学後、遅かれ早かれ、生徒の間でも誰がどのカーストなのか分かっちゃう。

 成績発表のやり方も結構強烈だ。
 学校が始まってすぐに、クラスに時間割を確認しようと、学部の掲示板を見たら、まだ前学期の成績発表が貼ってあった。
 どんな風なのかなぁと目を通したら・・・名前のあとに、なんとカースト名が記されてる!!
 よ~く見ると、カーストごとに別の紙になってる・・・。
 あとから周りの連中に聞いたら(彼らはヒンドゥーカーストだったが)、「当たり前ぢゃない、なんで同じ紙に並んで書かれなきゃならないの?」とバッサリ。
 習慣化されていて、何の違和感も感じていないようだった。


 首都の一流大学でさえ、こんななんだから、農村部はもっと凄いんだろうな・・・

 (その後農村に行く機会があった。詳しくはこちら)
by bharat | 2005-09-01 15:04 | ふと思うこと