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第106回旅行は、インド西部の商業都市スーラト
e0074199_142943.jpg 久々に新たな場所を訪れた。



e0074199_221757.jpg ムンバイを海外船沿いを電車を北上、グジャラート屈指の商業都市のスーラトに到着する。

 インド西岸の港町であったこの都市は、昔よりヒンドゥーやパールシー(ゾロアスター教徒)の商人たちが集まり栄えたが、大航海時代後の16~18世紀に欧州列強からも狙われることとなり、インド国内の王朝であるマラタ、ムガル、海外からはポルトガル、オランダ、英国の熾烈な争奪戦の舞台となった。
 その結果、インド人商人たちが退去したムンバイが現代インドのNo.1商業都市となっているのはなんとも皮肉だ。

 さりとて、今のスーラトがさびれているといったことはなく、地理的には、グジャラート州の工業地帯とムンバイ経済圏の双方の恩恵を受けて、現在もなお商業発展している。


e0074199_223316.jpg 史跡は少ない。
 地元の高名な導師の修行道場を覗き、
e0074199_224762.jpg 立派なヒンドゥー寺院のある小学校を見学。


e0074199_2252539.jpg ちょっと面白かったのがコレ。
 こんなところに、「JAPAN」マーケット・・・?

 日本製品が置いてあるのか??
e0074199_2321213.jpg 「JAPAN」と銘打った店舗もあるのだが、中に入って確認しても日本とはなんら関係ナシ。
 なんでも地元の人たち曰く、家電製品等の部品屋がたくさん入っているこのマーケットは、日本・韓国・中国等の部品が多く、「JAPAN」という名前を付したのだそうな・・・結局日本とは殆ど関係無いってことみたい。




オススメ度(100%個人主観)

   ★☆☆☆☆  ・・・ 特に見るものナシ


観光所要時間

   2時間
by bharat | 2008-09-06 10:30 | インドぶらり旅
第105回旅行は、紀元前2500年の町ロータール
 ジャイナ教の聖地パリタナから車で北東方面へ。
 3時間ほどで、ロータール(Lothal)に到着。

インダス文明期の貿易拠点
 このロータールは、1954年に発見された。
 翌1955年から1962年までの本格発掘により、全貌が明らかになった。
 現在のパキスタンにあるハラッパ、モヘンジョダロと同時期に栄えた場所とされている。
 この3箇所は、紀元前2500年から紀元前1800年頃に隆盛したインダス文明の拠点であった。
 特に、このロータールは、貿易拠点として栄えたらしくその痕跡も残っている(後述)。尚、この地は、紀元前1900年頃に放棄され廃墟化し、僅かに残った住民も紀元前1700年には全く居なくなったと言われている。


港湾跡(The Dock)
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 ロータールが貿易拠点であったことを示すのがこの遺跡だ。
 216m x 37mのドック施設に、絶え間無く船が往来していたと思われる。
 今は完全に干上がってしまっているが、当時はこのあたりまで海岸線がきていた。
 確かに、砂を舐めたら塩の味がした。


アクロポリス(Acropolis)
e0074199_2272155.jpg この建物は、上述した港湾を往来する船舶や貿易物資の管理業務などを行う政務舎であったと言われている。
e0074199_227886.jpg 紀元前2500年という時代にも、水道設備があったことが確認出来る。
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住宅街(Lower Town)
e0074199_2395467.jpg アクロポリスから一段低くなったところには、住宅街が広がっている。
 復元作業があまり進んでいない印象を受けるが、最近周辺の土地を収用したとのことで、今後大規模な発掘・復元が進む計画らしい・・・真偽の程は定かではない。



オススメ度(100%個人主観)

    ★★★☆☆ ・・・ モヘンジョダロに行かなくともインダス文明を堪能出来る!?

所要観光時間

    1時間
by bharat | 2007-06-18 10:30 | インドぶらり旅
第104回旅行は、ジャイナ教の聖地パリタナ
e0074199_215081.jpg グジャラート州の中規模都市であるバーヴナガルから車で南西方面に約1.5時間。
 シャトルンジャヤ(Shatrunjaya)山のふもと、パリタナに着く。


ジャイナ教の聖地
 伝説では、シャトルンジャヤは、ジャイナ教の最初の祖師(ティールカンタラ)のアディナータがここを訪れたことに端を発するという。ちなみに、彼はマハーヴィーラとかジナとかいう名でも知られており、彼がジャイナ教を開いて以降総勢24名の祖師が出た。

 時代は大きく飛んで10世紀頃。
 この一帯は、イスラム勢力が支配していた。
 そんな最中、ジャイナ教徒たちはこの山の地形を巧妙に活かして崇拝の拠り所となる寺院を建てていった。即ち、幾重にも重なる山の尾根の間に壮麗な寺院を建てたのだ。
 その寺院は現在も尚建築中のものがあり、その総数は800とも900とも言われている。

e0074199_1203153.jpg 山のふもとには、入口ゲートのような建造物と、その脇に受付事務所がある。
 観光地ではなく巡礼地なので、観光自体には費用は発生しないが、写真撮影許可費用として費用がかかる(たしか50ルピー(約150円)くらいだった)。
e0074199_1282284.jpg 寺院群の最上部まで階段4,000段もあるということで、受付事務所付近には旅籠が待機している。
 6月はオフシーズンということもあり、御客は稀。
 すぐに、旅籠屋のオッサンたちが集まってきた。
 結局、1人500ルピー(約1,500円)で妥結。


e0074199_1435746.jpg 旅籠で一路頂上を目指すのだが、これがまたとても乗り心地が悪い。
 棒切れに四角い台座をぶらさげているだけなので、びらさげている紐がヒザやら背中やらにこすれて痛い・・・。
e0074199_1391134.jpg その上。。。
 想像はしていたが、人足がよく休憩を取るのである・・・。
e0074199_1394141.jpg 早く行くよう促すと、タコの出来た肩を見せて、こんなに頑張ってるんだからもうちょっと休ませてよ、とせがんでくる・・・。
 いつ着くんだ、頂上に。

e0074199_118423.jpg 因みに、このような人足4人タイプの旅籠もあったようだが、これもまた乗り心地悪そうである。


              先の見えない歩道を延々進む・・・。
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e0074199_141681.jpg 何十回と人足の休憩をはさんで、漸く頂上部に到着。
 入口門の珍妙な石像たちに出迎えられる。

 実にふもとを出発してから2時間半経過していた。


 頂上の高台からは、全方位に広がる寺院群を一望。
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 中でも、一際目立っているのがこのアーディシュワラ(Adishwara)寺院。
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e0074199_1464042.jpg ベースは10世紀頃の建立だが、その後増改築を繰返し、16世紀頃に完成されたという。
 今もって、多くの信徒が礼拝に訪れており、このときも行列が出来ていた。


 他にも、荘厳な寺院が数え切れないくらい建っていて、目が回りそうである。
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e0074199_1532248.jpg 驚くのは、信徒の寄付が絶え間無く続いたおり、未だに寺院が新造され続けていることだ。
 10年・20年後に再訪したら、また新しい寺院が誕生しているに違いない。

 


オススメ度(100%個人主観)

   ★★★★★ ・・・ 信仰心の成せる業を目の当たりに出来る

所要観光時間

   5時間
by bharat | 2007-06-17 10:30 | インドぶらり旅
第103回旅行は、精巧な木造建築が残るバーヴナガル
e0074199_11152677.jpg グジャラート州の中心都市アーメダバードの南方約270km。
 州の東部の内海であるカンベイ湾に程近いところにある静かな中規模都市が、バーヴナガルだ。
 ムンバイからのフライトが毎日出ており、アクセスは簡単。


牛にも種類があった!?
 この人口60万人弱の街の歴史は、さほど古くない。
 当時この一帯を治めていた王バーヴシンジ・ゴーヒル(Bhavsinhji Gohil、生1703~没1764)が街として整備したのが始まり。彼はこの地を海上輸送を想定に含めた貿易拠点として考えていた。というのも、17世紀後半からの列強進入により海上航行がかなり活発になっており、港の多かったグジャラート州には、アフリカ沿岸部・シンガポール・ペルシャ湾岸との貿易が頻繁に行われていたのだ。
 このバーヴナガルからは、インドで取れた綿が輸出された。
 また、この一帯はマハートマー・ガンディーの政策により、1930年代より塩田の設置がなされた。

e0074199_13544575.jpg 市のほぼ中心に位置する丘の上にあるタクテーシュワル寺院(Takhteshwar Temple、1893年建立)からは、街の奥方に海(カンベイ湾)を見ることが出来、当時この街が交易都市として機能していたことも納得出来る。


 市街を車で流すと気づくことが2つ。

 まず、牛の雰囲気が微妙に他の地域と違う。
 よく見ると、角の形状がちょっと違うのだ。

e0074199_14293549.jpg これがインドでよく見る牛の角。
e0074199_1484021.jpg これがバーヴナガルの牛の角。
 角が太く、とても勇敢な印象を受ける。
e0074199_1455356.jpg 例えるなら、黒田長政の兜のような感じ。


 もう1つは、装飾の凝った木造建築があること。
 市街地に入ると、縦長の建物の柱や上層階部分のベランダなどに、木造の柵が見受けられる。
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 ラージャスターン州の砂岩で造ったハヴェリ(邸宅)建築を木で模したようにも見える(例えばジャイサルメールのハヴェリはコチラ)。
e0074199_1538125.jpg 最近建築されたもので木造のものは殆ど無くなったようだが、それでもデザインは踏襲されており、石・漆喰造りの建物でも概観は似ていたりする。


オススメ度(100%個人主観)
 
    ★★★☆☆ ・・・ ここだけでは物足りないが、パリタナ等と一緒に周りたい


所要観光時間

    1.5~2時間
by bharat | 2007-06-16 10:30 | インドぶらり旅
第102回旅行は、世界遺産モスクのあるチャンパーネル
e0074199_1332163.jpg ヴァドーダラ(バローダ)を北東に約50km(車で1時間くらい)。
 パーヴァガル(Pavagadh)の山とチャンパーネル(Champaner)に到着する。


インドで一番若い世界遺産

 パーヴァガルの山およびチャンパーネルのモスク群は、2004年にユネスコによって世界文化遺産指定を受けた、インドで一番若い世界遺産だ(2007年6月現在)。

 この一帯の歴史は8世紀にまで遡る事が出来る。この土地の王ヴァンラジ・チャヴダ(Vanraj Chavda)が親友であり臣下のチャンパ(Champa)将軍の名を土地に付けた。
 その後、ラージプート民族(ラージャスターン系の戦闘民族)がここを支配下とした際に、軍事拠点として後背のパーヴァガルに要塞を築いた。
 この要塞は、1484年にムハマド・ベガダ(Mahmud Begada)というスルタン王朝の王によって征服され、次いで1535年にはムガル帝国の第2代皇帝フマユーン(彼の霊廟はデリーにあり、世界遺産に指定されている)によって平定された。



パーヴァガル山のカーリー寺院
e0074199_994441.jpg パーヴァガルとチャンパーネルは隣接する山と平地で、前者パーヴァガルの山頂にはカーリー女神を祀った寺院およびジャイナ教寺院がある。
 毎日、相当数の参拝者がおり、特に週末ともなると、すごい数の教徒たちがここを訪れる。


e0074199_9103860.jpg 山へのアクセスは、徒歩あるいはロープウェー。
 徒歩だと片道30~45分かかるが、ロープウェーなら約5分で行ける。
 料金は、片道だと55ルピー(165円)、往復で87ルピー(261円)。
 中流層の人達にしか払えないくらいの料金設定だ。
e0074199_8515652.jpg にも関わらず、結構な行列が出来ていた。


e0074199_8532420.jpg ロープウェー降場からカーリー寺院までは、露店街を通りぬけて約5分ほど歩かねばならない。
 山頂にも関わらず、この露店街が結構盛況を呈している。
e0074199_8555326.jpg 華やかな装飾を施した牛や、
e0074199_856349.jpg カーリー女神(正確にはドゥルガー女神)の乗り物であるトラのぬいぐるみなどに出くわす。


e0074199_905690.jpg 露店街を抜けると、少し開けたところに出る。
 ここには、人造湖を取り囲むように小さなヒンドゥー寺院が建っているほか、ジャイナ教寺院も残っている。
e0074199_914973.jpg 歴史的背景は分からないのだが、この場所はジャイナ教徒たちにとっても、由緒ある場所であるらしい。
 しかし、このジャイナ教彫刻の痛み具合が半端ではない・・・そこらじゅうにカーリー寺院礼拝者と思しき人達の落書きがされている(ジャイナ教徒が自分の寺院にこんな事をするとはまず考えにくい)。

e0074199_943539.jpg さて目当てのカーリー寺院なのだが、このような長蛇の列が出来ており、しかも非ヒンドゥー教徒が中に入れるかは不明だったので(聞く人によって答えがマチマチ・・・インドでは御馴染みにパターンだが)、本堂突入は断念。


e0074199_983483.jpg この山頂部分だが、ヒンドゥー寺院よりもジャイナ教寺院の方が数は多い。
 人造湖周辺のほかにも、いくつかジャイナ教寺院や建物跡があった。
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e0074199_9125340.jpg 帰りもロープウェー。
 乗り場で、男子グループと女子グループに夫々声をかけられる。
 彼らはグジャラーティー語を話すのだが、ヒンディー語が強烈に訛ったような言語なので、かろうじてヒンディー語で会話が出来た。
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 ガイジンに会うのがたいそう珍しいらしく、国籍やら住んでいる場所やら色々聞かれた。
 で、御決まりの写真撮影。


e0074199_9153445.jpg ロープウェーを降り、出口方面を進むと、さっきの男子グループが待ち受けてて、人形劇を一緒に観ていかないかと誘ってきた。
 よく見ると、広場にイスと簡単な舞台がある。
 10ルピー(30円)で、シュールな人形劇を観劇。



モスク群
 平地のチャンパーネルには、上述したスルタン王朝期に建造されたモスクが綺麗に残っている。

ジャミ・マスジッド(Jami Masjid)
e0074199_1311599.jpg 一番目立つところにあるのが、このモスク。
 中央のモスクを取囲む壁は殆ど崩れていない。
e0074199_1374678.jpg 内側に通じる大きな門。
 彫刻が細かく、かつ痛んでいない。
e0074199_234897.jpg モスクは、2本対称の尖塔が特徴的。
 高さは30mあり、いずれも欠けることなくそびえ立っている。


 モスクの外壁は、砂岩を彫った細かい彫刻がビッシリ。
 内部には、四角-十角形-円形への続く丸いドームがあり、彫刻が細かい7つのミラブ(Mihrab、礼拝する方向に柔らかにくり貫いたデザインの出窓状の空間)がある。
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e0074199_2101570.jpg あと目立つのが、この柱。
 なんと、172本もあるらしい。
 建築上、必ずしもこんなに必要ではなかったと思うが、何か宗教的な意味合いでもあるのか・・・?
 こんなポップな壁面もいくつか見ることが出来る。
 妥協の無い左右対称を追求するイスラム建築にあって、この自由なデザイン配置はちょっと珍しい。
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ケヴダ・マスジッド(Kevda Masjid)
e0074199_227358.jpg ジャミ・マスジッドからちょっと離れてあるのが、このモスク。
 これも、1458~1511年のスルタン王朝ムハマド・ベガダ治世期に建てられた。
 目下、修復作業の真っ只中だった。
e0074199_2274882.jpg モスクは、ジャミ・マスジッド同様、2本の尖塔が入り口に狭い間隔で立っているタイプ。


 特徴的なのは、もしろモスクの前に建っている建造物。
 セノタプ(Cenotaph)と呼ばれ、要は霊廟にあたるものらしい。


ナギーナ・マスジッド(Nagina Masjid)
e0074199_381317.jpg ケヴダ・マスジッドの脇を歩いて進む。
 灼熱の気候の中、15分ほど歩く。
 すると・・・
e0074199_2535885.jpg こんなモスクが見えてくる。
 これも、前述の2つのモスクと同時期に建築されたものだ。
e0074199_3114059.jpg 建築様式は、ケヴダ・マスジッドと酷似しており、モスクとセノタプの1セット形式。
 ただ、残念ながらここのもすくの尖塔は途中からポッキリ折れてしまっている。


e0074199_3125389.jpg しかし、それを補って余りあるのが、このセノタプの完成度と保存状態の良さ。

 一族の繁栄等を意味する、1つの幹から幾重にも広がる木々のデザインは、実に見事な彫刻だ。
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オススメ度(100%個人主観)

   ★★★☆☆ ・・・ 通好みな隠れ歴史スポット

所要観光時間

   3時間
by bharat | 2007-06-14 10:30 | インドぶらり旅
第101回旅行は、マハラジャの街ヴァドーダラ(バローダ)
 グジャラートの中心都市アーメダバードの南東100kmにある街ヴァドーダラ(Vadodara)が今回の目的地。
 バローダ(Badora)とも言われている。

工業都市であり文化都市であり
e0074199_2241180.jpg 人口約150万人のこの街には、大学・研究機関や巨大インド企業などが多数あり、空港の外見もちょっと知的な印象(?)を受ける。


e0074199_2262854.jpg 人造湖には、巨大シヴァ像。
 ヒンドゥー教徒が大半を占める地域である。


e0074199_2291565.jpg 現在も藩王(マハラジャ)の末裔が住んでいるというこの地域は、昔と今が混在した斬新なデザインの建物が多い。
 これは、裁判所(上が新、下が旧)。
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e0074199_22111576.jpg このバローダ博物館(Baroda Museum)も、この地域にしても珍しいデザインをしている。
 ケーララ州でよく見る、木造建物風だ。

 余談だが、建物外観は立派、展示物もなかなか良いのだが、職員の対応が最悪だった。
 州立なので致し方無いというところか。



マハラジャの生活を振返る
 先程書いたように、ここには未だにマハラジャ(の末裔)が住んでいる。
 それが、このラクシュミ・ヴィラス(Laxmi Vilas)宮殿だ。
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 ときの藩王サヤジ・ラオ・ガイクワド(Sayaji Rao Gaekwad)が、1878年から1890年にかけて建てた宮殿で、今も彼の末裔たちが2階と3階に住んでいる。
 まずこの外観が凄い。

 向かって右がヒンドゥー教寺院(Mandir)建築、中央右がシク教寺院(Gurudwala)建築、中央左がキリスト教会(Church)建築、左がイスラム教礼拝堂(mosque)建築に則っており、全宗教のテイストを盛込んだ建物になっている。
 建物の全長は155mもある。
 総部屋数は、186部屋。
 窓の数が6,000を超え、天井のドームのガラスはベルギーから持ってきたもの。
 建材は、100%石。
 様々な色の砂岩と大理石を使っており、インド製およびイタリア製だ。



e0074199_2225613.jpg 外壁の彫り物はとても細かく、精緻な出来栄え。
e0074199_22371853.jpg 中庭には、イタリア建築の噴水があり、彫像は全てヴェニスから持ってきたもの。
 この反対側には、マハラジャの武器コレクションがあり、日本刀もある。
e0074199_2239028.jpg エレファント・ホール(Elephant Hall)と呼ばれる広間には、文字通り像の彫刻を壁に施してある。
 白大理石に金をあしらった内壁はキラキラ光っていた。
e0074199_22461159.jpg このダルバー・ホール(Darbar Hall)には、1,000脚の椅子を収容することが可能で、晩餐会などに使用されたという。
 広さは、28.5m x 13.5m x 15m。
e0074199_22491340.jpg 広間に入ることを許されなかった女性たちは、この出窓のようなところから会の様子を見ていたという。
e0074199_22503684.jpg ステンドグラスはドイツ製だが、モチーフは「ラーマーヤナ」などのヒンドゥー神話になっており、興味深い。
建物向かって中央の出入口は「王様の出入口」と呼ばれており、細かな彫刻を施した壁に、3色の大理石を使った床が特徴的。
 因みに黒大理石はマハラシュトラ州から、白大理石はラージャスターン州から、黄大理石はイタリアから持ってきたもの。
e0074199_22542831.jpg モザイクの壁画も見事。



e0074199_22564436.jpg このラクシュミ・ヴィラス宮殿に程近い場所に小さな博物館がある。
 マハラジャ・ファテーシン(Maharaja Fatesingh)博物館だ。

 内容は、要はマハラジャの所有物をダーっと並べているだけなのだが、ヨーロッパの絵画から、日本の九谷焼・有田焼・伊万里焼などもあり、実に世界中から贅沢品を収集していたのだなと感心してしまう。



オススメ度(100%個人主観)

     ★★★☆☆ ・・・ 「生きた」マハラジャ宮殿が圧巻

所要観光時間

     3時間
by bharat | 2007-06-13 10:30 | インドぶらり旅
ホテル (3) Holiday Village Resort
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<名称>
ホリデー・ヴィレッジ・レゾート(Holiday Village Resort)

<住所>
Survey No.110(Paiki), NH8/A Extension
Anjar-Galpadar Road, Gandhidham, Gujarat

<電話番号>
02836-246444

<特徴>
e0074199_22144650.jpg 以前、グジャラート州の港町カンドラに行った際、泊まったのがここ。
 客室は、一番上の写真にある大きな建物と、その手前の中庭を取囲むバンガローの2種類で構成されている。
e0074199_22163582.jpg 今回利用したのは、バンガロータイプの方。
 外観は悪くない・・・。
e0074199_22173436.jpg 中には、ベッドが2つ。
 御世辞にも高級なベッドとは言えない・・・むしろダバ(国道沿いの運転手休憩所みたいなとこね)に置いてあるのに近いかも。
 でも、寝心地はしっかりしている。
e0074199_2219186.jpg 部屋全体の雰囲気作りは、良い感じ。
e0074199_22204745.jpg 風呂も綺麗。
 ・・・が、御湯が出ないぞ!!!
 なんとな~く、ぬるい水が出るのだが、冬シャワー浴びたら絶対風邪を発症する温度。
 うぅむ、問題だ。
e0074199_22233267.jpg 因みに、建物群の至る所で建築が進められていた。
 まだ、完成形では無いらしい。
 完成した頃には、御湯がちゃんと出るようになってるかしら・・・?

 因みにこのホテル、☆☆☆(三ツ星)だそうです。

 
by bharat | 2006-12-15 10:30 | ホテル情報
第77回旅行は、インド第3の港カンドラ
 西をパキスタン、南西をアラビア海に接するグジャラート州。
 この州の港の1つが、今回訪れたカンドラ(Kandla)だ。

インド第3の港
e0074199_5515921.jpg ここカンドラは、バイザックチェンナイに次ぐ取扱量を誇る、インド第3位の港。
 因みに、第4位コルカタ(ハルディア)、第5位ムンバイと続く。

e0074199_5585470.jpg カンドラ港の主要な取扱品目は、石炭類。
 バイザック港は鉄鉱石、ハルディア・ムンバイはコンテナと、各港によって、取扱品目の割合が極端に異なっている。
 但し、勿論ここカンドラでも、コンテナや鉄鋼製品なども捌いている。


取扱量の詳細
2005年度の各港の取扱量(単位 千トン):
港湾名       輸入/輸出/接続          合計
バイザック     25495/25150/5156       55801
チェンナイ     27199/20049/0          47248
カンドラ       34780/10176/951        45907
ムンバイ      22684/11956/9773       44190
ハルディア    25005/14173/2           42216
JNPT         18444/15251/1957      37746
ニューマンガロール 16519/17932/0       34451
パラディープ    11424/1685/0           33109
モルムガオ      6074/25614/0           31688
ツチコリン     13374/3765/0           17139
コチン          10844/3094/0         13938
コルカタ       4131/2190/4485        10806
エノール        8631/537/0            9168

総計        227640/173443/22324      423407


オススメ度(100%個人主観)

   ★☆☆☆☆ ・・・ 港湾地区に入るには事前に許可が必要

観光所要時間

   1時間
by bharat | 2006-11-01 10:30 | インドぶらり旅
第3回旅行は、グジャラートの中心都市アーメダバード
研修旅行で、アーメダバードの旅へ

 当社には、観光旅行でなく研修目的の旅行であることを前提条件に、僕のような各国派遣員に、一定の日数に限って、会社経費で旅行することを承認する制度がある。
 今回は、同制度を使って行った旅行で、事前学習した上、旅行の道中も文化教室の先生が英語で細かく説明をしてくれたので、とっても内容の濃い旅行だった。

 というわけで、第3回旅行記。


アーメダバードってどこ?
 今回の旅は、1泊2日だったのだが、まず旅立つ前にアーメダバードがどんなところかを調べてみた。

アーメダバード(Ahmedabad)
 インド最西部に位置するグジャラート(Gujarat)州の中心都市。
 人口450万人。
 グジャラート州は西をパキスタン、南西をアラビア海と接していて、歴史的には4000年前にハラッパ文明が発祥した地域でもある(但し現存する著名な遺跡は殆どパキスタンにある)。
 仏教文化が広まった同地域に、10世紀以降、ムガル帝国等のイスラム勢力が侵入、現在のヒンドゥー教・イスラム教混在の原型となった。

 最近の出来事としては、あまり宜しくないニュースが多い。
 2001年1月26日、同地域をM7.9の地震が直撃、アーメダバードを中心に30,000人以上の死者が出た。また、2002年以降、イスラム教徒とヒンドゥー教徒との間で相次いでテロ行為・暴動が発生、同年中に1,000人以上の死者を出す大惨事となった。

 現在のアーメダバード及び周辺地域は平穏(とゆぅか平和的な騒々しさ)、雑然とした雰囲気の中にも、歴史的文化的背景から様々な興味深い建築物がたくさんあった。
 また同地域一帯は一大工業地帯にもなっているそうな。
 (アグラみたいな空気の汚さは感じなかったけど。)



圧巻!階段井戸   日本の井戸とは違うぞ!

 1日目は、飛行機でアーメダバード入りして、マイクロバスで周辺地域を回った。

アダラジ・バブ
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 アーメダバード至近のアダラジ(Adalaj)にある階段井戸(Vav)を観光。
 日本のような井戸では無く、水の湧き出る場所に向かって階段をつくり、その周囲を神殿みたいに彫った一種の建物みたいになってる。壁面には大掛かりな彫刻を模してある。
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 慢性的に降雨量の少ない同地域で、水は貴重視され、それが宗教崇拝と結びついて、神殿のような建築物になったんだそうな。
 この傾向はヒンディー文化からイスラム文化に変わっても続いて、やがて上級貴族や上位
カースト者の集う場所となっていった。
 このアダラジ・バブは、15世紀前後に建築されたもので、その後同地域がイスラム勢力に侵略された際も、地中に埋没していたため然したる被害を受けずに綺麗に残ったらしい。
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モデラの太陽寺院
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 お次は、アーメダバードに程近いモデラ(Modhera)にある太陽寺院(Sun Temple)へ。
 このヒンドゥー寺院には、階段井戸が併設されており、とても大規模な宗教施設だったことが分かる。
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 お堂の中の太陽神を祀ってある場所は、春と秋の決まった日(春分・秋分だったかな)に朝日を浴びるように設計されており、建築は実に巧妙かつ精巧。
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 11世紀に建築されてものとされ、その後侵攻してきたイスラム勢力によって、多くの彫刻の顔が削り取られてしまっている。所謂、廃仏毀釈ってやつですな。


ラニキ バブ 
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 こちらは、アーメダバードの北北西約100kmに位置するパタン(Patan)の階段井戸(Raniki Vav)。
 パタンは、イスラム勢力に征服されるまで長くヒンドゥー教の中心地であり、この井戸は残存する数少ないヒンドゥー建築物となっている。前述のアダラジ・バブ同様に、ヒンドゥー彫刻が取水地点に向かう通路の壁面に施されていた。ブラフマー、ヴィシュヌ、シヴァの三大神はじめヒンドゥー教に登場する数々の神が壁面に彫られており、その中にブッダの彫刻も見受けられる。仏教自体がヒンドゥー教の一宗派であるというヒンドゥー教の宗教観を如実に表していて興味深い。
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 また、同地域はPatora手織物でも有名で、半年~1年かけて作られるサリー(インドの女性用衣類)は数十万円もするという。


グジャラート料理 
 アーメダバードに戻り、グジャラート料理を食す。
 同地域の料理の特徴は、殆ど全ての料理について砂糖での味付けがベースになっている点で、野菜炒めや御飯が甘いのはもとより、カレーの類まで甘い。
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 ・・・・ホテル泊・・・・


 公営観光協会によるアーメダバード市内観光ツアーに参加。その後、マイクロバスにてSabarmat Ashramに移動・観光、飛行機にてDelhiに戻る。

アーメダバードの興り
 アーメダバードは、アーメド=シャー(Ahmed Shah)王が同地を通りかかった際にウサギが犬(キツネ)を追いかける勇敢な様を見て気に入り、1411年に市街を建設したのが始まりとされている。

アーメダバードの町並み
 表通りは、小さな商店が立並び、また数多くの牛が闊歩し、雑然としている。
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 裏通りは、小さな住宅が長屋状に連なり、その中にヒンドゥー寺院(マンディル)、イスラム寺院(モスク)、ジャイナ教寺院がひっそりと配置されており、今も生活の中心になっているようだ。
 住宅は、それぞれヒンディー文化時代、イスラム文化時代、イギリス植民地時代に建てられた見栄えの違うものが混在していて、日本では見られない多様性を感じる。

スワミ・ナラヤン寺院(Swami Narayan Temple)
 1850年に建てられたヒンドゥー寺院で、今も毎朝多くの教徒が参拝を行っている。
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ハシー・シン寺院(Hathee Singh Temple) 
 ジャイナ教寺院。ジャイナ教は、ヒンドゥー教の一宗派に位置付けられ、「非暴力」「不殺生」の考えを究極的に追求する考えを持っている。教徒たちは、この考えを対人間のみならず全ての生物に対して実践することを旨としており、その徹底ぶりは我々には理解し難いものがある。歩く際には虫を殺さない様ほうきで掃きながら進み、虫が誤って口に入って死ぬことの無い様白い布で口を覆っている。また、口内に繁殖する雑菌を殺さぬ様歯磨きもしない。

ガンジーの修道場(Sabarmat Ashram) 
 グジャラート州生まれのマハトマ=ガンディーが、イギリス・アフリカを経て、1915年よりインド独立の活動拠点とした場所。人種差別・身分差別撤廃の考えを実践すべく、このAshram(修道場)に、Untouchable(不可触民:最低カーストの更に下の層)の入居を許し、製糸業を営んで、彼らの自活を促した。また、1930年の「Salt March:塩の行進」(イギリス政府の塩税に対する反対運動)は、このAshramを出発点としており、その活動に関する写真や書面も数多く保管されていた。



 ガンジーの活動については、またいろいろ調べて別の機会に書こうかな。



オススメ度(100%個人主観)

 ★★★★☆
by bharat | 2005-08-10 13:59 | インドぶらり旅