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【州別観光事務所1】シッキム・ハウス

 ここ首都デリーには、インド各州の出先事務所があり、この事務所が観光誘致などを行っている。これらの事務所は、「×××・ハウス」という名で呼ばれている。
 事務所には、観光資料が置いてあったり、州の特産品販売所、州ゆかりの食べ物を出すレストランがあったりする。

 今回、行ったのは大使館街付近にある、シッキム・ハウス。
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シッキム州って?

 西ベンガル州の北に位置し、東南をブータン、西をネパール、北を中国チベット自治区に接する。
 域内で話される言語は、ネパール語。

 今日現在、入域には事前許可が必要だが、他の北東諸州と比較すると、許可がおり易いようだ。


 元々この地域は、アッサム・ビルマ(現ミャンマー)・チベット等チベット仏教信者が逃げ集まった場所だ。
 17世紀には、チベット仏教王国として確立した体制が敷かれた。
 一時期は、北は現中国チベット自治区、西はネパール、南はダージリン地方、東はブータンに至る広大な版図を有していた。

 19世紀に入って、英国東インド会社の影響力が強大化すると、1835年シッキム王はダージリン地方を割譲して東インド会社の庇護下に入った。1861年、同地域は英国の保護領となった。
 この出来事は、チベットやシッキム内から猛烈な反発を誘発。特にチベットは、シッキムを属国と見做しており、チベットはシッキムを奪還すべくたびたび進軍するようになる。シッキムはチベットvs英国の戦場となっていく。
 加えてこの頃、チベットとビルマの領有については、英国と清(中国)との間で揉めており、1886年締結の条約では、英国がビルマを、清がチベットを支配下に置くことが決まった。
 翌1887年、チベットはシッキム国境に検問所を配するが、これが国境の緊張を助長、1888年、英国軍は同地域に侵攻を開始する。ルントゥルの戦いで、チベット軍は大敗し、英国―清間で再度チベットに関する条約締結され、英国はシッキムに対する領有権を確固たるものとした。

 1947年のインド独立以降1975年までは、シッキムは独立した王のいる国だったが、1975年の国民投票でインドに併合されることが圧倒的大差で承認され、以降インドの一州となる。

 また、歴史的背景から、現在でも隣国ブータンと密接な関係を持っており、現在でも一般民衆から王族に至るまで姻戚関係を持つケースが多い。


レストラン・土産屋

 建物内部、ロビーの奥にはレストランがある。
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 値段は安くて、なかなか美味しい料理を出してくれる。
 シッキム料理だけではなく、チベット料理、中華料理とのミックスといった感じ。
 しゃぶしゃぶ鍋を使った肉・野菜の料理もなかなか美味。
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 土産屋もあったが、壁掛け・テーブル・絨毯がメイン。
 モノはそこそこだが、値段は御世辞にも安いとは言えなかった・・・早々に退散した。



 大使館街(Chanakyapri)やインド門付近には、この手の州の出先事務所があるのだが、全てこんな感じなのだろうか?
 時間があるときに、色々回ってみるとしよう。
by bharat | 2006-03-07 10:53 | デリー市内あれこれ