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ギネスに載ったインドの食材とは??

 皆さん、最近日本のコンビニでこんな商品を見かけたことは無いだろうか?

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 「暴君ハバネロ」よりも辛いという触込みの、このジョロキア。
 実は、インド産唐辛子である。

 一般的に、ナガ・ジョロキアとかブート・ジョロキアと呼ばれるこの唐辛子は、文字通りナガランド(関連旅行記はコチラ)原産といわれている。
 因みに、「ブート」はヒンディー語でお化けという意味・・・化け物のような辛さということなのか。

 このブート・ジョロキアは、その辛さが世界一ということで2007年2月にギネスに登録された。実際にギネスに登録されたのは、ナガランドの隣州アッサム(関連旅行記はコチラ)で採取されたもの。
 ギネス記録時のサンプルの辛さを示すスコビル値は、1,001,304。
 これがどれだけ凄いかというと、タバスコグリーンソースで600~1200スコビル、ハバネロで100,000~350,000スコビル、催涙スプレーは2,000,000スコビル・・・ハバネロの約3~10倍の辛さで催涙スプレーに迫る辛さということである。
 ちなみに、測定値の元となるカプサイシンの100%値は16,000,000。

 過日、この唐辛子を試す機会があったのだが、ほんの爪の先くらいを舌の上に乗せただけで、火傷の様な症状が出て、それからは水を飲もうが他の食べ物で誤魔化そうが激痛で涙が止まらなかった(症状は実に1~2時間も続いた)。
 このお菓子はそんなに辛くはない。

 ブート・ジョロキアの活用方法。
 辛いお菓子に使うだけではない・・・というか正確には食用以外の活用方法のほうが広いのではと思われる。
 唐辛子の主成分であるカプサイシンは、鎮痛薬としての活用が研究されている。
 唐辛子から採取されるカプサイシンの量は、当然その多寡を示すスコビル値が大きい程多くなる。
 スコビル値の高い唐辛子からの方が効率的にカプサイシンを採取出来る訳だ。

 医薬業界の方、一度ブート・ジョロキアを検討しては如何?
by bharat | 2007-10-15 10:30 | インドB級グルメ
File No.010 アオ族の胸像
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 ナガランド州の玄関都市ディマプールの土産物屋で購入したもの。

 木製。

 ナガランド州には16の部族がいるが、そのうちの1つアオ族の胸像だ。
 アオ族は、へスタイルが特徴的で、みんなダイゴロウのように横一直線にハサミを入れたヘアスタイルだ。
 (但し、これは昔の話で、今の人々は普通の髪型をしている)


 あまり、売れセンの商品ではないらしく、店のオバチャンに「何のためにこんなの買うの?」と聞かれた。
 あなたの店の売りモンでしょが・・・何のために仕入れたの?と聞き返したくなったが止めておいた。
by bharat | 2007-05-21 10:30 | インドのいやげもの
第94回旅行は、大日本帝国軍激戦の地コヒマ
 インド東部ナガランド州の玄関口であるディマプールから、東に約80km。
 州都のコヒマに到着する。
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悪路に次ぐ悪路
e0074199_17194536.jpg ディマプールから僅か80kmしか離れていないのだが、兎に角道の状態が悪い。
e0074199_17191879.jpg 標高差約2,000mを一気に上る山道の殆どは未舗装で、軟らかい土壌と多雨が災いして至るところに地すべり・土砂崩れの跡が見られる。
e0074199_21594655.jpg にも関わらず、この国道がアッサム州~ナガランド州~マニプール州を繋ぐ一番マシな物流ルートになので、大型車が多い。
 これらが行き違うたびに渋滞が発生する。
e0074199_17222064.jpg 本格的な雨季はまだだが、それでも一部区間では土砂崩れによる通行止めが発生。
e0074199_1723023.jpg マニプール州のナンバープレートを付けた大型トラックが、何時開通するとも分からないまま、待ちぼうけを食らっていた。


史上最も無謀な作戦「インパール作戦」
 この一帯(ナガランド州~マニプール州)は、第2次大戦期の大日本帝国軍の勢力圏の西端にあたり、ビルマから兵力を西に進めてインド独立を目指す勢力と合流して戦局を打開するという「インパール作戦」の舞台になった場所だ(因みにインパールはマニプール州の州都)。

 インパール作戦は、ビルマ戦線を任された軍団長牟田口廉也が行った作戦。
 1944年、完全に米軍に主導権を握られた東南アジア戦線に一石を投じるべく、ビルマから陸路でインドに入り、英国からの独立を目指すインド勢力と同調して窮状打開を図ろうというのが狙いだった。
 このとき問題となったのが物資補給だったが、牟田口軍団長は3週間以内にコヒマ・インパールを陥落させるので、兵站の心配は無用と譲らなかった。軍団長の上には軍司令官がいるのだが、そのポジションには盧溝橋事件の際に牟田口の上司だった河辺がおり、彼の親心・上司心から左程検証もせずに作戦は承認されてしまった。
 当時、陸軍学校では、兵站は軽視される風潮にあり、専門家が軍組織内で主たるポジションにいなかったというのも悲劇の要因となった。

 現場を任された佐藤幸徳(コウトク)第31師団(「烈」)長は、当初よりこの作戦の実効性を疑問視。
 再三上官の牟田口に再考を上申したが甲斐無く、逆に「ジンギスカン作戦(現地で牛を大量調達し、物資輸送に使用。現地到着後にこれらを食料とするというもの。因みに現地の状況を全く調査せずに考えられた)」なる荒唐無稽な作戦を逆提案される有様だった。

 1944年3月、作戦は実行に移された。
 川の水量は想像を遥かに超え、陸路も予想以上に険しかった。
 牛の大半は川に流されあるいは崖から転落、輸送トラックも陸路を通れず分解したパーツを兵士たちが徒歩で運搬する羽目にあった。

 同年3月下旬、佐藤率いる第31師団「烈」は、コヒマ周辺到着。
 4月中旬にはギャリソン・ヒル(後述)を押さえ、コヒマを占領下とするが、その後戦局は急変。
 米国からふんだんな空中補給を受けた新鋭英国軍が大反撃に転じたのだった。

 弾薬・食料が底を付く環境下、牟田口から佐藤へは「4月29日の天皇誕生日までにインパール攻略されたし」との打電が入るのみだった・・・。
 結局、東京で盛大な式典が行われた4月29日、コヒマ周辺では飢餓が発生し始めていた。

 5月末には、ナガランド地域一帯に雨季到来。
 飢餓に加えて、マラリア・赤痢が大量発生、兵士たちは英国軍と戦闘する前からバタバタ倒れていった。
 佐藤は牟田口に対し再三物資補給を上申するも、「敢闘すべし」と断られ続ける。
 (因みに5月16日、東条英機首相兼参謀総長は、昭和天皇に「作戦につき不安なき状況にて既定方針を貫徹する」との上奏がなされている。)

 この間の佐藤師団長-牟田口司令官の遣取りは、当時の環境では考えられなかった。
 佐藤は、事細かに上官に意見している。
 これは当時完全なタブーとされていたが、佐藤は非常に自尊心が高く強情であったということと、大変部下思いであったということが彼をそのような行動に駆り立てたのだろう。
 「現状を知らない者に的確な判断は出来ない。場合によっては独断での撤退も有り得る」などかなり強烈なコメントを牟田口に残している。

 6月1日、佐藤師団長は独断でコヒマ撤退を決める。
 一気にビルマまで撤退した佐藤は、作戦途中で牟田口に解任された。

e0074199_15121221.jpg インパール~ビルマの山道には、無数の日本兵士の餓死者・自殺者が積もるように倒れ、その山道は「白骨街道」と呼ばれた。


 尚、作戦の中止が東条から天皇に上奏されたのは、7月1日だった・・・。


 終戦後、米国が牟田口を尋問した際、牟田口は4月下旬にインパール作戦が失敗だったことに気付いたと認めている。


 佐藤は、自らの手記に、「大本営・総軍・方面軍・軍のバカの4乗がインパールの悲劇を招来した」と辛らつに軍幹部を批判している。
 が、彼に軍の責任を糾弾するチャンスは訪れなかった・・・軍幹部がそれを恐れて軍法会議扱いにしなかったのだ。
 佐藤が閑職を転々とされた一方、総軍・方面軍・軍の幹部は次々に要職に付いていった・・・。



ギャリソン・ヒル(Garrison Hill)
 当時英国軍が駐屯地としていた丘。

M-3 戦車
e0074199_14172168.jpg 日本軍の列師団が撃破した英国戦車。
 今でも柵に囲まれて保存されている。
 案内してくれた人が、「日本軍は勇猛果敢に戦ったと聞いている。それを忘れないために今でもこうして大切に保存している」と言っていた。
 第2次大戦下、複雑な環境におかれたナガランドだが、総じて親日的な感情を持っているようだ。


英国軍兵士墓地
e0074199_14215231.jpg 丘の上、当時テニスコートがあった邸宅が日英激突の地となった。
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 その場所に大きな戦没者碑が建てられ、英国軍英国人兵士や英国軍インド人兵士の墓標が所狭しと並んでいる。
 無縁仏や10代で戦死した者の墓標も珍しくない・・・痛ましい限りだ。
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e0074199_14262054.jpg この墓地全体が、英国連邦府の機関によって維持・運営されているので、全て英国軍兵士の鎮魂のためのもの。
 日本軍を感じる要素は殆ど無いが、この小さな苗木が唯一日本軍の痕跡を示すもの。
 当時ここには、大きな桜の木が植わっており、その上から烈師団の兵士が英国軍兵士たちを狙撃したという。


ナガランド民俗村(Nagaland Heritage Village)
e0074199_1442058.jpg ハリウッドのパクリのような看板が目印。
 文字がいくつか取れちゃっているのは、御愛嬌。
e0074199_1442483.jpg 入口付近には、竹を使って建てられた公民館がある。
 ナガランドでは大量にとれる竹を建材としてPRしている。
あとは、ナガランドに住む16の部族の家のレプリカが並んでいる。
 最後の写真は、鳥の彫り物をした木管楽器。
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e0074199_1551692.jpg 酋長の家には、人間の首を貯め置く場所もある。


 行ったときにはなんか寂れた雰囲気を感じたが、毎年12月にはホーンビル祭り(Hornbill Festival)が開催され、全部族が民族衣裳をまとい、舞踊を披露する。
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e0074199_15145381.jpg ちなみにホーンビルというのは、ナガランド州のジャングル遅滞に棲息するくちばしがとても大きい鳥のこと。
 デリーナガランド・ハウスにも大きなレプリカが置いてあったな。


ディモリ・コブ
e0074199_1429446.jpg ちょっとしたリゾート施設で、ちょっとした集会場に、ちょっとした会食場所がある。

教会
e0074199_14323672.jpg ナガランドの人々は、その殆どがキリスト教徒(ナガランドの歴史についてはディマプール旅行記でふれた)。
 街にある宗教施設は教会のみ(本当はヒンドゥー寺院もあるのかも知れないが、旅行中1回も見なかった)。


ナガランドの食事
 ナガランドの食事は、米食中心。
 唐辛子は使うが、そのほかの香辛料は使用しない(要はカレーではない)。
 日本人の舌に馴染み易いものばかりだ。
 ヒンドゥー教徒ではないので、牛も食べる。
 写真はビーフジャーキー。
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 また、米から酒を造って飲む習慣がある。
 出されたのは、味の薄い濁り酒と米で造ったワイン。
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コーディネーター
 今回、旅をコーディネートしてくれたのは、ナガランド・ハウスに勤務する私の友人の弟とその御友達たち。
 車での案内や夕食、ホテル手配など、何から何まで世話になった。
 ・・・しかし、日本人ぽいなぁ。
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オススメ度(100%個人主観)

    ★★★★★ ・・・ インドの東端で日本を感じる

所要観光時間

    2~3時間 ・・・ 史跡は少ない、長期滞在型か!?
by bharat | 2007-05-20 10:30 | インドぶらり旅
第93回旅行は、ナガランド州の商業都市ディマプール
 この2枚の写真。
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 日本のものと間違えそうになるが、実はインドで撮ったもの。
 インドの東の最果て、ナガランドで撮ったものだ。

 デリーで開催された州別博覧会IITFで初めて関心を持ったナガランド州。
 第93回~94回は、ナガランド旅行記(第94回はコチラ)。


ナガランド州の歴史
 この州は、インドの東端に位置し、ミャンマーと国境を接している。
 ここには、現在16の部族が共存しており、インド中央政府ともうまく折合いをつけながら平穏が保たれているが、この平和な状態が訪れたのは、ここ10年くらいのことだ。
 かつてこのあたりの山間部族は首狩族として周辺地域とは明らかに異なる生活習慣をもっていた。戦争によって捉えた捕虜の首をはね、五穀豊穣の生贄として捧げるという、一種の自然崇拝を行っていたのだ。
 その後、英国の占領政策によって、その殆どがキリスト教に改宗させられた。


 第2次世界大戦期に入ると、この一帯は英国軍と日本軍の支配領域のボーダーラインとなる。
 日本軍の「インパール作戦」(当時占領下にあったビルマから西になだれ込み、インドの反英勢力と合流し戦局の打開を図ろうとしたもので、結局は大失敗におわった)により、日本軍はナガランド一帯にも侵攻。当時のナガランドを纏めるピゾ(のちのナガ民族評議会(NNC)議長)は、日本軍の後押しを受けたチャンドラ・ボース自由インド政府軍と協調路線を執った。

 日本軍は敗退したが、ピゾはチャンドラ・ボースから「インドが英国占領から解放された際にはナガランドの自治を認める」との約束をしていた。
 チャンドラ・ボース亡き後のインド独立の中心人物マハートマー・ガンディーに対し、NNCはナガランド独立を持ちかけるが相手にされず、ナガランドは1947年8月14日(インド独立の前日)、ナガランドの独立を一方的に宣した。


 インドのナガランド平定政策が本格化する中、東パキスタン(現在のバングラデシュ)の後押しを受けたナガランドは態度をますます硬化させ、1956年にはナガランドはまたも一方的に連邦政府の樹立・独自の憲法制定を宣言する。
 しかし、当の東パキスタンがインドの助力によってバングラデシュとして独立すると、後ろ盾を失ったNNCは急速に力を失う。各部族間で温度差があったものの、最終的に1975年、インド憲法の受入をして独立を完全に断念した(シロン協定)。


e0074199_18374666.jpg 最後まで独立を諦めない急進派は、ナガランド民族社会主義評議会(NSCN:National Socialist Council of Nagaland)などを組織。
 ミャンマーにいるナガ族の領域までも含んだナガリム(Nagalim)建国を求める過激な思想まで出てきた。
 だが、組織内の抗争によって徐々に勢いを失ったNSCNは、1997年インド政府と停戦協定締結、以降ナガランド州には平穏が戻った。


観光に力を入れているというものの・・・
e0074199_110892.jpg ナガランド州も他の州と同様に、観光客の誘致に力を入れているようだ。
 デリーでも、州別物産街などでナガランドの店舗を見かけることがある。
 また、ナガランド州観光事務所に行けば、観光地図を貰うことも出来る。
e0074199_115511.jpg がしかし、ガイジン観光客がナガランド州に気軽に足を運ぶには、まだまだ多くのハードルがある。
 まず、手続面。
 ガイジンは、ナガランド州に入るには事前に州政府の許可証(入域許可証)を取付ける必要がある。
 手続自体は、左程面倒くさくないのだが、申請から許可証発行まで結構時間がかかる・・・私の場合は1ヶ月くらいかかった・・・書類を受取ったのは旅行出発前日だった。
 次に、物理的なアクセス難。
 ナガランド州には、空港・鉄道駅が1つしかない。
 州の西端に位置するディマプールがそれなのだが、空路は近隣空港(アッサム州グワハティと西ベンガル州コルカタ)から小さなプロペラ飛行機が飛んでいるのみ。
 あとは、舗装率の高くない山間道路しかないのだ。


 ナガランド州が観光客で賑わう日は、まだまだ遠そうだ。


初体験! たった1人のための飛行機
 今回の私のアクセスルート。

 往路:デリー(5:30)→(Indigo便)→(7:50)グワハティ(9:45)→(Alliance Air便)→(10:35)ディマプール

 復路:ディマプール(12:25)→(Alliance Air便)→(14:25)コルカタ(19:10)→(Indigo便)→(21:00)デリー

 Indigoは、数年前に業界に入ってきた新鋭航空会社。
 早朝・夜間ダイヤによる空港使用料金節約、ニッチ路線展開による過当競争回避、ネット予約体制、全席エコノミー、機内食ナシ(サンドイッチ(75ルピー)・缶飲料(25ルピー)等は別途機内で購入可)と徹底した低コスト戦略で、今まで金銭的に飛行機に乗れなかった人たちも客層に取込んでいる。
 Alliance Airは、Indian Airの子会社で、ニッチ路線を受け持っている。元国営会社がコストカット目的で子会社化したということもあり、サービスは国内でも最低レベルだ。


 で、グワハティから乗ったAlliance AirのCD7751便。
 空港でチェックインした際、定刻通り出発する旨聞かされていたのだが、いつになっても掲示板に便名が出てこない。
 ようやく、構内アナウンスで便名を呼ばれ、セキュリティチェック。

 ゲート前で暫らく待っていると、軍人(グワハティ空港は軍港なので、軍人が警備・案内をやっていたりするのだ)がニコニコしながらやってきて、「ディマプールに行くのって、あなた?」と聞いてきた。
 そうですが・・・と答えると、全く予期せぬ答えが。

 「今日の乗客、あなただけだから☆」

 !!! なんと・・・恐るべき赤字路線だったのか。
 
e0074199_12581429.jpg ゲートから、10~20人の軍人が、色々話しかけながら、飛行機まで同道してくれる。
 ・・・はたから見たら、政治犯の移送みたいなんだろうな。

 彼らとても良い人たちで、離陸するときまでずっと手を振って送り出してくれた。
e0074199_12595768.jpg 当然、機内は関係者以外乗ってません。
 ・・・ガラ~ン。
e0074199_1333859.jpg 最前列は、変なシートアレンジ。
 いざ、好きな座席に座って、キャビンアテンダントの緊急時対応のインストラクションを受ける。
 客は私しかいないのだが、絶対にこちらを見ないキャビンアテンダント・・・誰も居ない機内後方を見ていた・・・誰に対して説明してるんでしょうか?
e0074199_1363979.jpg 殆どカラの機体は、発車してからものの数秒で離陸。

 45分のフライトだったが、一応機内食もサーブされる。
e0074199_1381536.jpg 定刻より少し遅れて、旅行客が1人もいないディマプール空港に到着。


見どころ① カチャリ王朝の遺跡
 ディマプールの見どころの1つは、中世にここを統治していたカチャリ族の遺跡。
 ディマプールの都市名も、この民族の言葉「ディ(川)」+「マ(大きな)」+「プール(町)」から来ている。川は、この一帯を流れるダンシリ(Dhansiri)川を指している。
 カチャリ族について、詳しいことはあまり分かっていないが、現在のアッサム州・ナガランド州・マニプール州あたりにいた民族のようだ。
e0074199_13282653.jpg 入口の城壁は後付けだろうか。
 入場料などは特に無く、あっさり入れる。

 中はだだっ広い野原になっており、奥方に遺跡が点在している。
 一部の資料では、男根を模した彫刻物との説明がある。
 タントリズムのような信仰があったのだろうか?
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e0074199_13485886.jpg 遺跡とは全く関係無いが、敷地内の池では、男の子たちが素手で魚を獲っていた。


見どころ② 土曜市場
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 この土曜市場が興味深かった。
 ナガランドの人たちは、その食生活が特徴的なことでも有名で、生きとし生けるもの全てを食の対象としている。
 売られる食材は実にバラエティに富んでおり、野菜など普通の食材のほかに、

e0074199_13532110.jpg カエルに・・・
e0074199_13533931.jpg 芋虫に・・・
e0074199_1354586.jpg 犬・・・。

 朝一番でここに来れば、レパードなどの珍食材なども売りに出ているのだそうだ。
 

オススメ度(100%個人主観)

    ★★★★★ ・・・ インドぢゃないインド(?)を体感出来る場所

所要観光時間

    1~2時間
by bharat | 2007-05-19 10:30 | インドぶらり旅
Hotel (13) Hotel Japfu Nagaland
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<名称>
 ホテル・ジャプフー Hotel Japfu

<住所>
 PR Hill, Kohima, Nagaland 797 001 INDIA

<電話番号>
 +91-370-224-3439

<宿泊料金>
 Rs1,4000-(約4,200円) / 日

<特徴>
e0074199_1542855.jpg ナガランド州の州都コヒマにあるホテル。
 州として観光客誘致を始めたばかりのこの州には、3つ星ホテルがここ1軒しかない。

 部屋は綺麗だが、湿気が溜まっている。
 コヒマの標高が高いので、仕方無いといえばそれまでなのだが・・・。
e0074199_15493330.jpg バスルームも綺麗。
 御湯もちゃんと出る。
 が、シャワー空間と洗面をしきる段差が無いので、シャワーを浴びるとバスルーム中水浸しになる。
e0074199_15452974.jpg ナガランドの御当地料理も食べられる。
 ほかにもインド料理・中華料理をサーブ出来るらしい。

by bharat | 2007-05-18 10:30 | ホテル情報
【州別観光事務所4】ナガランド・ハウス
 サフダルジャン廟に程近い、Aurangzeb Road 29番地。
 ナガランド州の観光事務所が佇むように建っている。
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インド東部最果ての州ナガランド
e0074199_1412010.jpg 余程インドについて知見のある人しか、この州名を知らないと思われる。
 ナガランド州は、東をミャンマーに接するインドで最も東側にある州の1つで、いわゆる北東諸州の1つだ。


e0074199_1414255.jpg この州の存在について、私はIITFを通じて知っていた。
 インドの中でも、とりわけ特徴的な性格をもつこの州を、いつか訪れてみたいと思っていた。



 縁在ってこのナガランド・ハウスの方にも大いなる助力を貰い、円滑にナガランド州への入域許可を貰うことが出来たので、先日同州に行くことが出来た(そのときの様子は近々書こうと思う)。
by bharat | 2007-05-15 10:30 | デリー市内あれこれ