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第40回旅行は、オリッサの玄関口 ブバネシュワル
 今回から第46回までは、オリッサ(Orissa)州。
 州都であり、空の玄関口であるブバネシュワル(Bhubaneswar)から。

オリッサ州について
 オリッサ州は、かつてカリンガ(Kalinga)王国が栄えた地域だ。
 あまりこの王国については、記録が残っていないらしいのだが、今のインド東部~インドネシアに至る海域を支配する一大国家であったようだ。皮肉にも、この王国が大きく歴史に登場するのは、紀元前260年にマウリヤ朝のアショーカ王が征服したときだ。
 アショーカ王が仏教に改宗したことから、以降、同地域は仏教が広く民衆に支持されるようになった。その後、紀元前1世紀頃からは、ジャイナ教が広まり、ついで7世紀頃からはときのケーサーリー王朝によってヒンドゥー教が広まった。ガンガ王朝(10世紀頃)になってヒンドゥー教は大きく栄え、この隆盛はムガル帝国がオリッサに侵攻する16世紀まで続いた。

 もっとも、「かつて」文化的に栄えたと言っただけで、現在も多いに栄えている訳ではない。
 デリーやムンバイの人々は、ときとしてビハール州やオリッサ州を後進的な州の代名詞のように言う。
 この行為自体は決して褒められたものではないが、一方で事実でもある。
 オリッサ州のGDPは他州に比べると低いし、山間部族が州内人口の4分の1を占めることから、カースト差別による虐げや教育水準の低さなどは確かに存在する。

 この現象の大きな要因は、州の産業構造にあるように思える。
 主要産業は、州内の豊富な鉱脈を活かし重工業では鉄鉱業が盛ん。ダイヤやトパーズなどの宝石も産出する。だが、これらの恩恵を享受するのは一部の富裕層もしくは外資だけで、その多くはインドの都市部あるいは最寄のパラディープ(Paradip)港から海外に輸出される。
 地元民は、安い賃金で鉱山で働いたり、儲けの少ない軽工業(金銀細工・テキスタイル)で生計を立てている。


ブバネシュワル・カタックについて
 オリッサ州都ブバネシュワルとこれに隣接する都市カタックは、元々双子都市というべきか、極めて似た2つの都市構造をしていた。その後、双方の都市が飽和状態(双方とも100万人弱の人口規模)になり、その周辺に都市機能が拡大していった。

 カタックは、その水に恵まれた地域特性(南北を大きな川・東をベンガル湾に接している)が逆に災いし、大規模な堤防工事を施さねば水害を被る危険性が高いという調査結果が出たことにより、州都は双子都市のもう片方のブバネシュワルに移された(1948年)。

 以降、ブバネシュワルはオリッサの州都となった。



ヒンドゥー寺院群
e0074199_5165169.jpg ブバネシュワルという都市名は、「ブワン(三界)」と「イーシュワル(神)」の複合語、つまりシヴァ神を意味している。ここには、ヒンドゥー教が大きく栄えた上述の7~16世紀に、たくさんのヒンドゥー寺院が今も残っている。その数は、残っているものだけでも、数百と言われている。
 人口は、100万人に欠ける中規模の都市だが、商店街や住宅街の中に残存する寺院を見ると、数百年前の寺院が今も住民の生活の中に溶け込んでいることを実感出来る。


パワシュワメーシュワル寺院(Parashwameshwar Mandir)
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e0074199_644956.jpg 650年頃に建てられた寺院で、シヴァ神を祀っている。
 寺院の外にもシヴァリンガ(男根)が祀ってあるし、本堂にもコブラが巻き付いているリンガが。
e0074199_6132860.jpg 寺院の外側の彫刻は、1,300年経過しているとは思えない位、良く残っている。
 ヒンドゥー神の彫刻だけでなく、当時の生活も描かれている。
 これは、王族の権力の象徴だった象の行進。
e0074199_6255435.jpg これは、ヒンドゥー神の彫刻なのだが、しょっと珍しい。
 全員女性(女神)なのだ。
 一番手前のガネーシュ女神は、かなり滑稽な感じだが・・・。

ムクテーシュワル寺院(Mukteshwar Mandir)
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e0074199_6362669.jpge0074199_6371987.jpge0074199_6381315.jpg
e0074199_6393418.jpg この寺院は、10世紀頃の建立。
 小ぶりだが、全体構造と彫刻が特徴的。
 まず、寺院の入口に、立派な門がある。これはトラナ(塔門)という、インドの仏教建築様式の影響を反映したもの。また、寺院壁面の深い彫刻は、仏教やジャイナ教の影響を受けている。
e0074199_639442.jpg 裏手の貯水池から通じる給水口には、厳重に鍵がかけられていて、年に1回の祭りのときにしか解放されず、しかも高額の御布施を投じて買わなければならないのだという。

シッデシュワル寺院(Siddheshwar Mandir)
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e0074199_148382.jpge0074199_1485280.jpg 10~12世紀頃の建立で、ふっくらとしたオレンジ色のガネーシャ像が特徴的。

ケダル・ゴウリ寺院(Kedar Gouri Mandir)
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e0074199_1412164.jpg シヴァ神を祀ったこの寺院には、異教徒は入ることが出来ない。

ヴァイタール寺院(Vaital Mandir)
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e0074199_14133413.jpg 8世紀に建てられたこの寺院では、ヒンドゥー教の中の、タントリズム(性交を通じて神との一体化を実現しようとする最古の信仰様式)が強調されている。
 3人のタントリ神を祀っているので、屋根に3つの頭頂部がある。
e0074199_14135385.jpg カテゴリー的には、カジュラホの寺院群と同じということか。

リンガラージ寺院(Lingaraj Mandir)
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e0074199_14412343.jpg 11世紀の建立。
 リンガの名が示す通り、シヴァ神を祀っている。
 無数の寺院が敷地内にコンプレックスを形成しており、興味深い構造だが
残念ながら異教徒は外からしか見ることが出来ない(ソニア・ガンジーも泣く泣く外から拝んだという)。
e0074199_14164250.jpg 2月のシヴラトリ祭、4月の山車祭り、6月の結婚祭では、辺り一帯が多いに盛上がる。
 本堂のリンガは2つに割れているが、これは13~14世紀のイスラム勢力によるヒンドゥー教弾圧によるもの。

マナンタバシュデーブ寺院
e0074199_14145981.jpg 後述するビンドゥ・サーガル(人造湖)沿いにある寺院。
 ヴィシュヌ神を祀っている。
 ヒンドゥー教徒以外、入ることが出来ない。

ラージャラーニ寺院(Rajarani Mandir)
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e0074199_14201213.jpg 11世紀建立。
 痛みが激しかったが、1905年に大規模な修復工事がなされた。
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パスカレシュワル寺院(Paskareshwar Mandir)
e0074199_14214416.jpg 11世紀建立。
 パスカレは、太陽神を意味するが、本堂には、シヴァリンガを祀っている。

メゲシュワル寺院(Megeshwar Mandir)
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e0074199_14234978.jpg この寺院も11世紀の建立。
 ここの最高司祭は、女性。
 15歳のときより、60年間この寺を守っているのだという。

ブランメシュワル寺院(Brahmeshwar Mandir)
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e0074199_1427317.jpg 11世紀建立。
 パンチャヤタナという、5つの正方形状の建物が、ちょうどサイコロの5の面のような構図で建っている建築形式。
 シヴァ神を祀っている(司祭がシヴァ神の三叉戟を持ってきて見せてくれた)。


その他
ビンドゥ・サーガル(Bindu Sagar)
e0074199_14285537.jpg 人造湖。
 ヒンドゥー教徒たちが沐浴する一方、日々の洗濯などもここを活用しているようだ。

部族博物館(Tribal Museum)
e0074199_1430918.jpg 州立の博物館。
 デリーに住んでいると、Tribalという言葉自体日頃耳にしないが、ここオリッサ州では今も山岳部族などが多数いる。
 州内には、62の部族がおり(なんとアフリカ系までいるという)、これはインド各州の中で3番目に多い数字だと言う。
e0074199_14415246.jpg 部族カーストに属する者は、ここブバネシュワル市内だけでも、約800,000人もいるという。

オリッサ近代美術画廊(Orissa Modern Art Gallery)
e0074199_14304720.jpg 近代美術だが、ヒンドゥー教をモチーフにした絵画・彫刻もあり、そのデザインの奇抜性は見ていて楽しい。
 因みに、とても小さな画廊なので、ものの5分くらいで見終わってしまう。
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オススメ度(100%個人主観)

   ★★★★☆ ・・・ 沢山のヒンドゥー寺院を落着いて観光出来る

観光所要時間

   約6~8時間
by bharat | 2006-02-21 10:30 | インドぶらり旅
第39回旅行は、ヒンドゥー教徒の聖地ガヤー
 仏教徒の聖地ブッダガヤー(ボードガヤー)に程近く、ヒンドゥー教徒の聖地ガヤー(Gaya)がある。
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e0074199_210597.jpg ここガヤーは、ヒンドゥー3大聖地と呼ばれており、ヴァラナシアラハバードと並んで、ヒンドゥー教徒たちが最も訪れたいと心を寄せる場所だ。
 ヴァラナシはガンジス川い沿った古都、アラハバードは3聖川(ガンジス川・ヤムナー川・サラスワティー川)の合流地点、ここガヤーにはガンジス川の支流が流れている。
 ガヤーは、先祖供養の地として有名で、ここで御参りすることで、地獄に行った祖先を天界に、天界にいる祖先を不死にし、参詣者自身も解脱に至ることが出来る。

 

ヴィシュヌパド寺院(Vishnupad Mandir)
e0074199_222710.jpg マディヤ・プラデーシュ州のインドールの女王アハーリヤー・バーイーが18世紀後半に建立したもの。
 比較的新しい寺院だが、ここには先祖供養をするべくインド中のヒンドゥー教徒が集まる。
 異教徒は入れないが、塀の外から立派なシカラ(砲弾のような形状の屋根)が見える。


ブラフマジュニの仏跡・ヒンドゥー寺院
e0074199_3112486.jpg 町のはずれに、小高い丘とその上に何か見える。
e0074199_315517.jpg 何百段という階段を炎天下の中登って行くと・・・
e0074199_3211912.jpg 黄金色の仏陀像が安置されている。
 こんな重たいもの、どうやってここまで持ってきたんだろうか。
e0074199_3214867.jpg 仏像の更に奥、崖っぷちには仏足石が置いてある。
 ここから周りの町・集落を一望出来る。
e0074199_3463688.jpg 更に階段を登ると、オレンジ色に塗り固めた洞穴が。
 穴の両端が空いており、参拝者たちが次々にここを這いつくばりながらくぐっていた・・・何の御利益があるのかな?
e0074199_3565147.jpg 丘の頂きには、小ぶりなヒンドゥー寺院がある。


オススメ度(100%個人主観)

   ★★★☆☆

観光所要時間

   3~4時間
by bharat | 2006-02-20 10:30 | インドぶらり旅
第35回旅行は、クルクシェートラ
 デリーから国道1号線を北に進み、パーニーパットを越えていくと、クリシュナ像のある交差点が。
 クリシュナゆかりの小さな町クルクシェートラへの入口だ。
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インド神話の地
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 クルクシェートラは「クル族の土地」の意。
 バガヴァト・ギータという神話の中では、この地でクル族同士の内紛が発生、大戦争になったとされている。
 その片方のパーンダヴァ軍のアルジュンが、同族に刃を向けることを逡巡するのを、クリシュナが馬車の上から諭すというのが神話の内容。



シェイク・チッリー廟(Sheikh Chilli's Tomb)
e0074199_304540.jpg シェイク・チッリーは16世紀の人物で、ムガル帝国の王子ダラ・シコー(第5代シャー・ジャハーン帝の長子だが、弟アウグランゼーブに殺害され、皇帝にはなれなかった)の指南役。
 赤砂岩の城壁に囲まれた建物で、奥部の上には白大理石のドーム状の廟が配されている。
 廟は、タージ・マハルに象徴されるムガル期の廟同様、大きな丸みを帯びた屋根が特徴的。
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シヴァ寺院・スィク寺院
e0074199_4191066.jpg 上記のシェイク・チッリー廟のすぐ近くにある寺院。
 手前にスィク寺院、並んでシヴァ寺院が併設されている不思議な建物。
 汚い溜池には、立派なシヴァ神の像がある。

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シュリ・クリシュナ博物館
e0074199_4425197.jpg クリシュナに纏わる、絵画・彫刻が2階建ての建物内を埋め尽くしている。


 館内は写真撮影禁止なので、売店で購入した絵画の写真をスキャンした。


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 まずこれは、クリシュナがジャガンナートの格好となって、色々な神の顔を出現させている絵・・・なんか全日本プロレスのチャンピオンカーニバルのポスターみたいだな。

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 これは、叙事詩『マハーバーラタ』の中の1シーンを描いたもの。馬車に乗るアルジュナを行者のクリシュナが諭す有名なシーンだが、馬車も周りの兵隊も描き方がちゃっちくて笑える。

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 これまた『マハーバーラタ』から。アルジュナ属するバラタ族軍に対するクル族軍の武将ビシュマの死の床のシーン。彼の父はクル族の王プラティーバ(シャンタヌ)、母はガンガー神。



 とにかく館内の様子が雑然・混沌としていて、滑稽。展示物に唯一共通するのは、「クリシュナ」であることのみ。あとは何でもアリの絵画・彫刻の数々☆




パノラマ・アンド・サイエンスセンター
e0074199_5291422.jpg 館名は立派だが、中身は実にしょうも無い。
 科学の原理をちゃっちい装置で展示。
 パノラマシアターがベニヤで仕切られた館内の一角で上映されていたが、これも酷い内容だった。
 ・・・うぅむ、誰が何の理由でこんな館を作ったのか・・・。




ブラフマサローヴァル溜池
e0074199_5401326.jpg 敬虔なヒンドゥー教徒たちが巡礼に集まるという、聖なる池。
 途方も無く大きい長方形の人造湖の中には、橋が架かっており、中央の島のような陸地には寺院・公園がある。
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オススメ度(100%個人主観)

    ★★★☆☆ ・・・ クリシュナの面白博物館が良かったので
by bharat | 2006-02-06 10:27 | インドぶらり旅
第31回旅行は、歴史深き城塞都市グワリオール
e0074199_17561670.jpg 今回は、車を使っての旅行。
 濃霧が気になるこの季節、遅延・欠航が続発する飛行機・電車を避けたいと思い、車での移動で行ける旅行先を探してみた。
 アグラまで、デリーから車で約3時間半。もうちょっと南に足を伸ばせないかと思って、今回の旅行先をグワリオールに決めた。




何度も主を替えたグワリオール城
e0074199_18235933.jpg 街に入って、圧倒的にその存在感を示しているのは、丘の上に建つ巨大なグワリオール城(Gwalior Fort)だ。城壁が丘全体をぐるっと取巻いており、この点においてはラージャスターン州の城郭などと大差無いのだが、ここグワリオールの地形はこの城の建つ丘だけが盛り上がっており、とても目立つのだ。
e0074199_144714.jpg グワリオールという地名に関しては、5~6世紀、スーラジ・セーンというラージプートの王がこの丘で狩猟をした際、グワリパという聖人の勧めで溜池に誘導され、喉の渇きを満たしたという話が残っている。この溜池は今でも綺麗に残っている。
 この城に関する最も古い記述は525年で、丘の上に寺院があったと書かれている。10~12世紀に、ラージプート勢力の支配下に入り、後述のサーフ・バフー寺院はこの時期の建立だ。
 14世紀のトーマラ族というラージプート勢力のとき、大いに栄え、現在のグワリオール城の形はこの勢力のマン・シンという王が築いたものだ。同王は、良君としても知られ、音楽にも造詣深く、インド歴史上有名な音楽家のタンセーンは、この時代に音楽を学び、のちにムガル皇帝アクバルに仕えた。
 16世紀にはロディ王朝の支配下に、その後ムガル帝国に支配された。同帝国皇帝のアクバルは、この城を城郭ではなく、牢獄として使用した。
 1751年には、マラーター王朝シンディア家の支配下に入るが、時期は折りしもインド第1次独立戦争期(1857年セポイの反乱からの数年間)。この時期には、イギリスや隣国ジャーンシーの支配下に入ったが、1886年には、再びシンディア家の手に戻る。以降、同家の下で、グワリオールはインド独立まで、藩王国として続いた。

 現在も城郭の保存状態は良好で、城郭内部の建物群も大変綺麗に残っている。


マン・シン・パレス(マン寺院)
e0074199_729014.jpg 城郭内で、一際目立つのが、この宮殿。
 拝観料は強気の250ルピー(約650円)、ツアーガイドもベテランである。
 建物は、ラージプートのマン・シンの治世期の1486~1516年に建てられたと言われる。
e0074199_10421390.jpg 黄色く輝く砂岩とそこにはめ込まれたターコイス色のタイル模様とのコントラストはじつに鮮やかで、ラージャスターンで良く見る城郭とは、明らかに色彩のセンスが異なる。
e0074199_1114399.jpg 外壁の装飾もかなり凝っていて、ヒンドゥー教の聖なる動物の彫刻が丁寧に掘られている。
 トラ・・・シヴァ神の腰巻きや、ドゥルガー神の乗物にもなっており、神聖視されている。
e0074199_112544.jpg 象・・・ガネーシュ神が象の頭を持っていること、インドラ神の乗物であること等から、神聖視されている。
e0074199_1110793.jpg 水鳥・・・アヒルは梵天(ブラフマー神)の乗物、白鳥はサラスワティー神の乗物として神聖視されている。

e0074199_11113734.jpg ワニ・・・ガンガー神、ヤムナー神などのナルマダ・デヴィ(川の神様)が乗る動物としてしばしば描かれ、神聖視されている。
 インコ・・・神聖視されている訳ではないが、インドの彫刻に良く登場する。カジュラホなどの秀麗な女性彫刻にもインコを手にする女性が描かれている。
e0074199_2142126.jpg 建物内部は、シンプルな構造になっており、中庭状の空間を屋根付きの回廊が取巻く格好になっている。
e0074199_2143882.jpg 中庭部分は、踊りを鑑賞したり、裁判事を行ったりするのに使用されてらしいが、その内壁の装飾及び、王・王妃の観覧席(裁判のときには裁判長席?)の作りも実に丁寧で、保存状態もとても良い。
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サス・バフー(Sasu Bahu)寺院
 崖の切り立ったところに、2つのヒンドゥー寺院が建っている。
 サスは「義理の母親」、バフーは「義理の娘」の意味で、夫々の命で建てさせた寺院が隣接して建っているのだ。
 ヒンドゥー教には、大きく分けて「ヴィシュヌ派」と「シヴァ派」の2つがあり、インドの二大叙事詩『ラーマーヤナ』『マハーバーラタ』では双方の神が特徴的に描かれている。もともとこの神々は、ブラフマーとともに、ヒンドゥーの3大神のポジションを分かち合っている。世界を創造するブラフマー、それを維持・運営するヴィシュヌ、破壊・再生するシヴァという役割分担だ。あるインド人は、"GOD"の文字は、「Generate=創造」「Operate=維持・運営」「Destroy=破壊・再生」の頭文字を取ったものだと言っていた・・・なんちゅう自己中心的な持論だ・・・。

 ヴィシュヌ神は、「温和」「慈愛」の神で、もともと単一の神格しか無かったが、他の神を己の化身として位置付けて、どんどんその派閥を拡大していった。
 中でも、クリシュナ神とラーマ神を取込んだことで、数の上では後述のシヴァ派を大きく上回ることとなった。仏教の始祖ブッダも、ヴィシュヌ神の第9化身というから、なんとも寛容というか強引というか・・・。
 現在、このヴィシュヌ派の信者のうち敬虔な者達は、白いUの字の印を額に付けている。
 また、ヴィシュヌ神を祀る寺院のてっぺんには、丸い車輪上の物体が配されている。これは、ヴィシュヌ神の武器である円盤を指している。

 シヴァ神は、前述したように破壊・再生の神として知られる。神話の中ではしばしば魔神を退治する武勇伝が登場し、そのパワーが強調されている。リンガ(男根)崇拝はその際たるもので、シヴァ神を祀る寺院の本堂には、しばしばリンガが収められ、これに手を合わせたり触ったりして礼拝する信者の姿を目にする。また、シヴァ神は、信奉者には暑い恩寵を授けるという一面も数多く見られ、このメリハリが魅力の1つのようだ。
 姿はというと、苦行僧のような格好をし、全身は灰で塗りたくられ、首には蛇を巻きつけ、手にはトライデント(三叉戟)と斧、腰にはトラの毛皮といった感じ。額には第3の眼があり、これが開くとき世界が破滅すると言われている(関連記載はこちら)。
 シヴァ派の信奉者は、白・黄・白の横3本線に赤い点1つの紋様を額に塗っている。
 シヴァ神を祀る寺院のてっぺんには、トライデントを意味するフォークの先端部分状の物体がのっかっている。
e0074199_8173229.jpg さて、話をこのサス・バフー寺院に戻すと、仲の良いサス(義理の母親)とバフー(義理の娘)でも信仰する神様は違ったようで、義母はヴィシュヌ神を、義理の娘はシヴァ神を信仰していたため、至近距離に2つの寺院を建てたという訳だ。
 ヴィシュヌ寺院の方が大きく、保存状態も良い。建築は11世紀というから、結構古い。天井部分の崩落を防ぐために、内部に武骨な補強柱が近年入れられた。

e0074199_13464088.jpg 入口の門の上部には、ヒンドゥー三主神(ブラフマー、ヴィシュヌ、シヴァ)と夫々の奥さん(順にサラスワティ、ラクシュミー、パールヴァティ)の彫刻が綺麗に残っている。
 本堂には、大きなヴィシュヌが祀られている。
e0074199_13493589.jpg 敷地奥には、バフー(義理の娘)寺院。
 外壁の彫刻が殆ど壊れてしまっていて、近年の補修の跡が目立つが、これは切り立った崖に建っている為の風化のせいなのか、あるいはイスラム勢力による破壊の為なのか。

テリ・カ・マンディル(Teli Ka Mandir : テリの寺)
e0074199_135473.jpg 9世紀頃建築されたとされるこの寺院は、この地域には極めて珍しい、南インドの建築様式。ピラミッド状のシカラ(高塔)が特徴的なこの寺院は、元々南インドのガンゴラ・タルという地方から嫁いで来た妃が建てたものとされ、その所以でこのような名称("タルの寺院"が訛った)・形状になったようだ。
e0074199_1405248.jpg 敷地内には、偶然発掘されたジャイナ教の像が並べられているが、この寺院とは全く関係は無い。

城壁に全裸の像が・・・
e0074199_146113.jpg 城壁の一角を成す崖に、突然数十メートルに亘ってジャイナ教彫刻が出現する。15世紀頃に彫られたものとされている。

夜は見事にライトアップ
e0074199_14311830.jpg このグワリオール城、夜間は見事にライトアップされ、「音と光のショー」が行われる。
 城郭内の建物に光を当てながら、音声(ヒンドゥー語・英語両方アリ)で歴史を振り返る、音声ドラマ形式になっている。


サヒジャマ・マスジッド(Sahijama Masjid)
e0074199_14155324.jpg グワリオール城の門を出てすぐの場所には、イスラムの礼拝堂がある。

ジャイ・ヴィラース宮殿(Jai Vilas Palace)
e0074199_14195092.jpg かつてのシンディア家の建物で宮殿として使われていた。電気の配線やらが建物内部に引き込まれていて、やけに生活感が残っているなと思っていたら、まだマハラジャが住居として使用しているとのこと。
 内部には博物館が併設されているみたいだが、当日(月曜日)は定休日の為中には入れなかった。

移動遊園地・見本市
e0074199_14253275.jpg 偶然、グワリオール市内に移動遊園地・見本市が開催されており、敷地内は大変活気付いていた。

e0074199_1426177.jpg しかし、こちらのエンターテイメント性の低さを物語るように、アトラクションは特徴的なものは皆無(殆ど観覧車やコーヒーカップのようなもの)、ハリボテのオバケ屋敷も如何にも寒々しい・・・。







オススメ度(100%個人主観)

    ★★★★★ ・・・街の雰囲気がとても気に入った
by bharat | 2006-01-27 10:30 | インドぶらり旅
第31回旅行は、聖川合流の地アラハバード
 今回は、ウッタル・プラデーシュ州東部の都市アラハバードに行ってきた。
 メーラトへの旅行同様、日本の政府系の研究所のインド駐在研究員の方(Nさん)の調査に同行させて貰う形での旅行となった。

北インド随一の文教都市・・・だった
e0074199_373980.jpg 元々、この都市はプラヨーグ(祭り・儀礼の場)という意味の名前で呼ばれていた。紀元前10世紀頃から人間の集落が形成されていたと言われており、宗教・学問発展の中心地の1つであったようだ。中国の僧玄奘も、643年にこの地を訪れたとある。
 12世紀に入ると、この地域一帯はアフガン系イスラム勢力のゴール王朝の占領下となる。次いで、ムガル帝国勢力下に入り、第3代皇帝アクバル治世期の1583年にこの地に城郭を建設、翌1584年にはこの地がアラハバード(アッラーの場所)というイスラム教コテコテの名前になった。その後、マラーター王朝、東インド会社の支配下となる。
 20世紀に入ると、アラハバードはインド現代政治の中心政党である国民会議派の活動拠点として機能した。ガンディー、ネルーらが会議を重ねた場所(詳細後述)なども残されている。
 尚、現在はインドの急激な発展からちょっと置いていかれた雰囲気を醸し出しており、アラハバード大学のステータスなども低下の一途らしい。

「水」で異なる近郊の村の様子
 アラハバードの地形はちょっと特異で、市の東端と南端をヤムナー川に接している。東側には橋が2本かかっており、最近出来た新しい綺麗な橋(通行有料、日本のODA枠で出来たもので建設者は韓国橋梁会社だったみたい・・・ノンリコースだったのね)は結構立派な造り。
e0074199_12484294.jpg 東端に架かっている橋を渡り、村に向かう。道中思ったのは、ヤムナー川のすぐ近くにも関わらず、カラカラに乾燥していること・・・地学的にこのあたりは砂岩質で、雨が降ってもすぐに地下に吸い込まれてしまい、地表近くには水分が残らない。真夏には1~2ヶ月全く水が無い時期もある。農業には不適で、石切などを生業としている人が少なくない。
e0074199_3504099.jpg 1つ目の村は、4つの自然村から構成される行政村(インドでは、自然と出来た無数の村や集落をいくつか束ねて行政村とし、選挙や地方自治体などはこの行政村を単位として動いている)。連邦首相農道事業(PMGSY:詳細はこちら)として道路の敷設工事の真っ最中だった。

e0074199_442959.jpgまた、その道路の脇には学校が。中を覗いてみると、休日なので生徒はいなかったが女性教員が数名いた。この学校は公立校のようで、彼女らは政府から給料を貰っているのだという。
e0074199_492970.jpgまた、この校舎は教室として使用する他、乳幼児の健康管理を行う保健室としても使っており、天井から吊るされたヒモに秤を取付け、体重測定などを定期的に実施するのだと言う。


e0074199_5105975.jpg 村の家々は、雨で簡単に落ちてしまいそうな漆喰塗りの壁に藁葺の屋根という、極めて粗末な作り。
e0074199_5112476.jpgその中に突如現れた綺麗な(といってもデリー市内では見かけない様な貧相さだが)家が1軒。なんでも、インディラ住宅事業(IAY:詳細はこちら)で建てられたのだそうだ。このIAYの理念はとても尊敬出来るのだが、どの村の誰の住宅をどのように建てるかは、かなり不透明なプロセスで決定されることが多いらしく、課題の多い事業みたいだ。


e0074199_128142.jpg 村には、政府が設置した井戸は無く(あったのかも知れないが)、村人が使用している主要な大きな井戸は、彼らが自分で掘って作った井戸だった。飲料水、生活用水(洗濯など)として使用しているというその水は、恐ろしく汚かったが、村人は「綺麗なので飲んでも全然大丈夫」と言っていた・・・雨季などの菌が繁殖し易い時期に村全体が伝染病に感染する可能性を危惧した。


e0074199_122183.jpg 次の村に移動しようと歩いていると、思いも寄らぬものを発見。

 太陽発電装置!

 なんでも、購入すると2,000ルピー(約5,200円)くらいするものを、政府の援助た何かで貸与されたのだと言う。粗末な家の屋根に放り出されたその装置は、子供が夜間勉強する為の照明にではなく、真昼間うたた寝しながら聞くラジオの電源に使用されていた・・・どう使用するかは個人の自由だがもう少し建設的に使って欲しいな。

 最近のTVで、インド国産企業で南インドの貧しい村に発電装置を販売・設置している企業の特集を見た。日本でもこういった事業に積極的に参画する動きは無いのだろうか・・・何かと言うと、ODA絡みの大規模事業ばかりがニュースになるが、こういうのもインド政府の補助を貰いながら出来るんぢゃないかな?




e0074199_12244926.jpg 次の村(集落)は、人口の9割以上が指定カースト民(元不可触賤民:詳細はこちら)というところ。牛、鶏などに囲まれてベッドを屋外に放り出してみんなのんびり過していた。水の入手方法は、電動ポンプ。

e0074199_12384834.jpg 集落からちょっと離れて、村長の家が。
 カラフルな母屋に、離れが2軒。離れにはトラクターが置かれており、かなり他の村民とは生活水準が異なる感じだ。全ての建物の入口には鉄格子のシャッターがはめられていた・・・周りの人たちを信用してないのかしら?


e0074199_710663.jpg 次の村に移動。
 道が陥没していて、車が通行不能だったんで、途中から歩いて移動する。


e0074199_728766.jpg 道の両脇には、小麦・菜種畑が広がっていた。ちょうど収穫期前にあたるらしく、青々と茂っていた。
 と、畑の中心から、何故か頭に枯れ木を乗せた女性たちが大行進・・・これは一体・・・?

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 この村で政府が行った公共事業の数々を見せてもらった。
e0074199_752995.jpg まず、囲いだけ作ったトイレ・・・当然これでは用を足せません。

e0074199_7524170.jpg 続いては、予定より舗装範囲が少なく完成した道路。予算のお金や資材が横流しされたのではと村人たちは疑っているらしかった。


e0074199_873943.jpg 市内に戻り、ホテルに帰ってきた。
 ラーム・クリシュナ・ホテル・・・値段は500ルピー(約1,300円)くらいと手頃で、改装直後なのか部屋も綺麗だった。お湯は出たり出なかったりだけど、ちゃんと桶で湯をくれるので大丈夫。部屋は少々埃っぽいが、虫は出ない。併設のレストランも、野菜しか出ないが味はそこそこ。






e0074199_124221100.jpg 翌日・・・。
 現地調査員が増えたので、5人(運転手を除いて)乗れる車をホテルで手配したところ、インドの誇るNo.1国産車アンバサダーAmbassadorが到着・・・前のベンチシートに並んで座れってことね。しかし、この車の製造年を知りたいもんだ。
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e0074199_12542867.jpg この日の村は、市の北部にあたり、川の水の恩恵を充分に受けている地域だった。
 立派な用水路が村中にひかれており、周辺の田畑に水を注いでいた。

e0074199_12555676.jpg 小麦や菜種が茂り、それを脱穀する店もあった。店主に話を聞くと、脱穀機などは日本製だと言う。


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店主 「"オカサ"ってメーカーのだよ。」

僕 「"オカサ"?」

店主 「あぁ、日本の西の方みたいだ。」

 ・・・! オオサカね。しかも、メーカー名ぢゃなくて、場所の名前だっつの。
e0074199_12563173.jpg 機械を見せてもらったら、なんとヤンマーディーゼルのものだった。




 アラハバード市街は、サンガム(詳細後述)など水と密接に関係した文化・生活が根付いているが、少し都市部を離れると、水が豊富にあって裕福な生活をしている村と、水が乏しく貧しい生活を余儀無くされている村とが混在している。
 作物の収穫期を過ぎた3~5月には、もと顕著な違いを目のあたりにしたに違いない。



市内観光も・・・
 アラハバードの市内も半日ばかり観光。

アナンド・バワン(Anand Bhawan)
e0074199_13464335.jpg ヒンディー語で「喜びの家」と名づけられたこの家は、インド初代首相ジャワハルラール・ネルーの生家。現在は、家の内部が博物館に改装されていて、当時の部屋の様子を再現している。ネルーの執務室や、国民会議派の議員たちが会合を行った部屋などが観られる。
e0074199_3402576.jpgマハトマ・ガンディーが宿泊したゲストルームやインディラ・ガンディーの部屋もある(2人の部屋は内側から繋がっており、ガンジーのロリコン説を裏付ける1つの状況証拠になってるんだとか)。



サンガム
e0074199_3415798.jpg アラハバードは、ヒンドゥー教の聖地の1つで巡礼地にもなっている。
 インド神話で、不老不死を得るために神族と魔族(アスラ/阿修羅)が協力したという話がある。彼らは、飲むと不老不死になるアムリタ(甘露)を作る為に、乳海を攪拌したのだが、結局その乳海から得たアムリタを飲んだのは神族だけだった。
 この乳海の霊液がインドの4箇所に零れ落ちたと伝えられており、そのうちの1箇所がアラハバードとされている(他は、ハリドワール、ウッジャイン、ナースィク)。これら4箇所を「4大聖地」と呼んでいることがある(※)。

※この呼び方は結構曖昧で以下の様な区分もある。
「4大神領」
バドリナート、ジャガンナート、ラーメーシュワラム、ドゥワールカー
「7聖都」
ヴァラナシハリドワール、カーンチープラム、アヨーディヤー、マトゥラー、ウッジャイン、ドゥワールカー
「3聖地」
ガヤー、アラハバード、ヴァラナシ

e0074199_621751.jpg この「サンガム」は合流というヒンディー語で、文字通りガンジス(ガンガー)川とヤムナー川とサワスワティ川(聖川だが架空の存在とされている)が合流する場所を意味する。毎年、1月~2月にマーング・メーラーと呼ばれる御祭りが行われ、12年に1度は特に大規模な御祭りクーンブ・メーラーが行われる。
 今回訪れたときはちょうどこの時期にあたり、しかも6年に1度の"準"クーンブ・メーラーだったので、かなりの盛況だった。巡礼者はまだまだこれから集まってくる雰囲気だったが、彼らが滞在するテントの数が半端無かった。


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 また、巡礼者が多く集まるということで、被災者募金の仮事務所も設置されていた・・・小銃を持った軍人にハリボテの動物たちのミスマッチがなんともシュール・・・。


e0074199_62214.jpg 聖なる川とくれば、早速沐浴♪
 頼んでも無いのに、勝手に御祈りしてきて金をボッタくる胡散臭い輩がウヨウヨいてうっとうしかったけど、彼らを無視しながらおもむろに川の中へ・・・。
 3つの聖川にちなんで、3回牛乳を川に捧げて、川からあがる。



Fort
e0074199_6415234.jpg ムガル皇帝アクバルが1583年に建てた城塞。
 現在、観光ではなく軍用施設として使用されているので、内部の隅々まで見ることは出来ない。



アラハバード大学(Allahabad Univ.)
e0074199_7264564.jpg この大学の農学部には、随分と前から日本人が関係していて、現在も日本の農学博士のもと、有機農薬栽培などの試みが実践されている。







オススメ度(100%個人主観)

   ★★★☆☆
by bharat | 2006-01-23 10:36 | インドぶらり旅
第28回旅行は、クリシュナ・カルトの村ヴリンダーバン
 クリシュナ神生誕の地マトゥラーから10km、クリシュナが幼少期を過したとされる村、ヴリンダーバンがある。
 寂しい街並みとは裏腹に、多くのヒンドゥー寺院があり、なかなか見応えがあった。


クリシュナに染まった村
 インドTシャツでも触れたが、ヒンドゥー神の中でも、クリシュナの人気はシヴァと並んで際立っている。特に、イスコン(ISKCON:International Society for Krishna Consciousness/クリシュナ意識国際協会)なるクリシュナ神普及活動を行う世界規模の団体まであるのがスゴい。因みに、調べてみたら、なんとこの団体、日本にもある!
 このISKCONを含め、何故クリシュナが数あるヒンドゥー神の中で人気が際立つのか?
 諸説あるようなのだが、「イケメンでナンパな牧童」説と「西インドの歴史上の英雄」説などが複合してスーパー神様クリシュナが誕生、全ての支持者を取り込んだようだ。
 前者は、マトゥラーで生まれたクリシュナが、地元の暴君を退治し神格化したというもの。顔はカッコ良く、当時のナンパグッズだった笛(今で言うBMW3シリーズみたいなもんか)がとても上手かったので、遊女や踊り子たちにモテまくったみたいだ。
 後者は、正反対のカタい内容。ヤーダヴァ族という民族の指導者として辣腕を発揮し、民心掌握に「信愛(バガヴァット)」を旨とする教え(宗教)を説いて、名声を得た名君だったとする説。この「信愛(バガヴァット)」は、ヒンドゥー教の基本的な教えにも組込まれている。
 ・・・話はクドくなったが、これらのクリシュナ像が全て1つに纏まったので、色んな支持層を取り込んで、確固たる地位を確立出来たようだ。

 ヴリンダーバンは、みんなクリシュナ大好きといった雰囲気の漂う村だ。
 とても貧しい街並み・村人(殆どの人が靴を履いていなかった)は、近代化から取り残された過疎の典型イメージを醸成する。それに反して、立派な寺院が密集するように立っている。

 変わった雰囲気の村だ・・・。


小集落に際立つ寺院の数々

 人口数万人そこそこの村に、保存状態の良いヒンドゥー寺院がたくさん建っていた。
 現在もヒンドゥー教徒が礼拝しているという事実が、これら寺院が異教徒の破壊を免れたことを示している(ヒンドゥー教徒は、一度異教徒に破壊された寺院は死んだ寺院として礼拝しない。カジュラホが好例で、同地の有名なヒンドゥー寺院のうち、生きた寺院は1つしか無い。)。現在も礼拝に使われており、かつ外国人観光客が少ないということで、全ての寺院は入場無料(だったと思う)。

ランガジー(Rangaji)寺院
e0074199_4543052.jpg 1851年に建てられたヒンドゥー寺院・・・なのだが何か形が変だ。
 外壁及び正門は、ラージャスターン州の城郭都市のような体裁でとても武骨な印象を受ける。
e0074199_4552868.jpg 門をくぐって中に入ると、今度は巨大な塔門(ゴープラム)が出現する。
 ゴープラムは、南インドの寺院に固有のもので、末広がり形状に神様の彫刻をビッシリ施した塔状の門。
 北インドでこれを見たのは初めてだ。
e0074199_4555833.jpg 階段井戸状の溜池もあった。


ゴーヴィンド・デーヴ(Govind Dev)寺院
e0074199_5104011.jpg 小高い丘の上に建つ、赤砂岩で出来た寺院。周りの好天にとても良く映えていた。1590年建築らしいが、そもそもは更に上層に4階分あったらしい。ムガル第6代皇帝アウグランゼーブのヒンドゥー弾圧政策の中で破壊された。ということで、現在この寺院は廃墟化しており、礼拝用としては機能していない。


カーリー寺院
e0074199_5151359.jpg 名も無い寺院だが、門構えはとても綺麗。シヴァ神の奥さんのカーリー女神を祀っていたらしいが、現在は閉じて観光・礼拝に使われていないとのことだった。
 何故、クリシュナ信仰の中心地に、唐突にカーリー女神の寺院が建ったのかは良く分からない。一般にカーリー信仰は、インド東沿岸部のベンガルあたりでメジャーなのに。カーリーは、ドゥルガーと同様、破壊の神シヴァの奥さんパールヴァティ女神の化身だ。だがドゥルガー、カーリーに化けるにつれ、女神というかヤマンバみたいな凶暴なキャラに変化する。カーリー女神の怒りを鎮めるために、山羊などを生贄に差出すという祭りが未だにある。

ニディワン(Nidhiwan)寺院
e0074199_5323648.jpg 閉鎖したカーリー寺院の奥にヒッソリと入口が見えるのが、この寺院。
 門をくぐると、巨大な庭園が姿を現す。
 サルに気をつけながら、ヒンドゥー僧に中を案内して貰った。


e0074199_5394454.jpg 足裏が痛いが、庭園内も裸足で歩かねばならない。
 庭園内の1つの社は、クリシュナが寝泊りしたと伝えられる建物。賽銭をせがまれ、「クリシュナ万歳」斉唱を強要された・・・僕はヒンドゥー教徒ではないのだが。
e0074199_540453.jpg 続いては、クリシュナが夜な夜な笛を吹きながら、遊女・踊り子たちと踊ったとされる野外ダンスホール。巨大なチェス盤みたいになっていた。

 「案内有難う」とソソクサと寺院を出ようとしたら、ヒンドゥー僧にガイド料をせがまれた。50ルピー(約130円)あげると、「クリシュナ神にたったのこれだけですか!?」と来た。
 毎度のことだが、こういうときは勝手な理屈で無理矢理説得する・・・「ホントウは200ルピーあげるつもりでした。でも、僕は仏教徒なので、半分払えば充分だと思いました。加えて、あなたのガイドは半分しか理解出来ませんでした。だから、半分の半分で50ルピーしか払いません」と、ガァーッて言ったら、悲しそうに引き下がってくれた。


ボンケ・ビハリ(Bonke Bihari)寺院
e0074199_5483111.jpg 狭い路地を行った先に見えてくる立派な門構えの寺院。
 清掃時間で門は閉まっていたが、門が開くのを待つヒンドゥー教徒らで寺院前はゴッタ返していた。


ラーダー・バッラブ(Radha Ballabh)寺院
e0074199_552224.jpg 1626年に建築された寺院だが、少し前に閉鎖された。
 宮大工みたいな人たちが解体だか清掃だか作業をしていた。


マダン・モハン(Madan Mohan)寺院
e0074199_5561831.jpg 砂岩質の外壁と背の高い塔が特徴的な寺院。内部には、特に目新しいものは無かった。


大迫力のイスコン
e0074199_651180.jpg 集落に固まって建っていた寺院を概ね見終わって、最後にイスコン寺院を見に行くことに。
 デリーでのド派手なイメージがあったので、なんとなく今回は予想はしていたが、予想以上にスゴかった。
e0074199_6101186.jpg 外部は全て眩しい純白に統一されており、各寺院は階段で繋がっている。
 入口を入って左の御堂は、吹き抜け構造になっており、中央に黄金茶室みたいな社が天井に届かんばかりに配置されている。
e0074199_6185840.jpg 右の御堂はというと、広いホールを中央に配置した構造で、その奥にヒンドゥー神の像が安置されている。
 みんな、御祈りをしたり、ホールで雑談したり、思い思いに過していた。

 この御堂の内壁に描かれた絵の1つがとっても気になった。
e0074199_62084.jpg

 ・・・真ん中のキャラだけ、とてもウイている・・・。
 これ、オリッサ州の神様のジャガンナートなのだが、同地方の自然信仰(ジャガンナートは木)とヒンドゥー教が融合した際、このジャガンナートはクリシュナ神の化身という整理をされた。で、クリシュナ神としてこのイスコン寺院にも描かれているのだが、ハッキリ言ってメチャクチャ不自然な構図だ・・・2頭身化した奇面組の連中が周りの連中と一緒にいるみたいな感じ。



オススメ度(100%個人主観)

   ★★★★☆ ・・・デリーからも近く、たくさんの寺院を見られる。

所要観光時間

   2~3時間
by bharat | 2006-01-12 10:30 | インドぶらり旅
第27回旅行は、クリシュナ生誕の地マトゥラー
 今回の旅行先は、マトゥラー(Mathura)。
 デリーからアグラに車で向かうと、途中の道路標識に名前が出てくる。
 ヒンドゥー神クリシュナゆかりの地らしいのだが・・・。

宗教紛争の中心地
 現在、インド人の誰に聞いても「クリシュナの生誕地」という認識がされているマトゥラーだが、意外にも宗教都市としての歴史は、仏教とジャイナ教に始まる。
 紀元前4~2世紀頃、マウリヤ朝の宗教政策の庇護下、多くの仏教寺院やジャイナ教寺院が建てられたと言われており、少なくとも中国の僧玄奘(629~642年にインドに滞在、仏教の修行に勤め、のちに『大唐西域記』を記した)がマトゥラーを634年に訪れたときには、僧院が20、仏教僧が2,000人いたとされている。
 同地がクシャーナ王朝支配下になった紀元後2世紀も、引続き仏教が栄えたが、その後、グプタ王朝期に入ると、ヒンドゥー教が隆盛を見せる。中でも、ヴィシュヌ神の信仰が特に篤かったが、同地域が半農半牧の生活様式であったため、ヴィシュヌ神の化身でありしばしば牧童の姿で描かれるクリシュナ神がこの地域の圧倒的支持を得ることとなった。
 このクリシュナ神が、このマトゥラーで生まれたとされている(因みに第29回旅行のヴリンダーバンもクリシュナゆかりの地である)。

 こうして、ヒンドゥー教によって、この地域から仏教はほぼ完全に姿を消したが、そののち今度はヒンドゥー教が駆逐される。
 アフガン系イスラム王朝のガズニ朝の君主マフムードによって、この地域一帯はイスラムに塗り替えられた。

 その後16世紀に入り、再び商人・農民の間で、マトゥラーはクリシュナ神の生誕地であるとして、クリシュナ信仰が盛んになる。この時期、クリシュナ神を祀るケーサオ・デーオ寺院などが建立されたが、1500年にローディー王朝(イスラム系奴隷王朝)によって破壊され、再建築されたのち1669年に今度はムガル王朝(これまたイスラム系)によって破壊された。こうして、イスラム王朝によるヒンドゥー弾圧政策によってこの地は破壊され、その後イスラム寺院が建設された。

 このイスラム寺院と、その後1960年建てられた新生ケーサオ・デーオ寺院は隣接するように建っているが、近年のある宗教紛争がきっかけで、今現在、ここには極めて厳重な警戒態勢が敷かれている。
 1990年代初頭、時の政権政党インド人民党(BJP)は、イスラム原理主義勢力を牽制する意味で、イスラム対ヒンドゥーの対立構造を助長し、その1つとしてアヨーディヤー(デリーの東約630kmに位置するウッタル・プラデーシュ州の一都市)の寺院を槍玉に上げた。同地に現在存在するイスラム教モスクは、以前ヒンドゥー神ラームの生誕地を祀った寺院があった場所であり、ヒンドゥー教徒に同地を返せというのがBJPの見解だった。
 1992年12月16日、ついに物理的衝突が発生・・・ヒンドゥー至上主義者が同モスクを破壊した。
 これに端を発し、宗教紛争がインド全土に飛び火、近隣諸国にも影響を及ぼす一大事になってしまった。1994年に、最高裁判所がアヨーディヤーの土地の所有権について裁定をしない旨決定し(要はお蔵入り)、時間とともに平静を取り戻しつつあるが、2002年にもアヨーディヤーで巡礼を終えたヒンドゥー教徒を乗せた列車に、イスラム教徒が放火し、多数の焼死者を出すという事件も発生しており、お互いの中ではまだ何かくすぶっている感じだ。
 ・・・と、話をマトゥラーに戻すと、上記アヨーディヤーの宗教紛争の経緯とマトゥラーの歴史が似ている(昔ヒンドゥー寺院のあった場所にモスクが建っている)ので、今でもマトゥラーの寺院の警備はとても厳しいのだ。

 実は、今現在の土地がどの教徒のものなのか、という問題はインドでは結構多い。
 上述のアヨーディヤーは、ヒンドゥー教が興る前に仏教が盛んだったため、寺院建立地の所有権紛争には仏教も絡んでいる。
 また、仏教ゆかりの地ブッダガヤーでも、大菩提寺の所有権をめぐって、ヒンドゥー教徒と仏教徒が争っている。現在は、1949年に制定された大菩提寺管理法に基づいてヒンドゥー教徒が管理しているが、インド仏教のリーダー佐々井秀嶺(インド仏教のリーダーはなんと日本人なのだ)率いる大菩提会による返還運動が行われている。


プチ・ヴァラナシ
e0074199_3392263.jpg マトゥラーの街並みはというと、狭い道筋をヒト・牛・犬・サイクルリクシャーが絶えず行き交い、雑然としている。
 また、街の東側をヒンドゥー教の聖なる川ヤムナーに接しており、ヴィシュラム・ガート(Vishram Ghat)をはじめとして20余りの沐浴場がある。
e0074199_3385712.jpg ・・・そう、ここはプチ・ヴァラナシなのだ。ひと気がちょっと少なくて、活気が足りないことを覗けば、地形も雰囲気もヴァラナシにとても似ている。


クリシュナ生誕寺院
e0074199_3444090.jpg 入口の門で、サイフ以外の一切合財を一時預かり所に預ける様指示され、中へ。中の様子は一切撮影できなかったが、外見はこんな感じ。内部はちょっとした寺院群になっており、通路で互いの建物を行き来できるようになっている。通路にはクリシュナ神はじめヒンドゥー教グッズを販売する店が並ぶ。因みに観覧には靴を脱ぐ必要があり、冬の時期はかなり足が冷え、ツラい・・・。


ホントウの(?)クリシュナ生誕寺院
e0074199_3531724.jpg 参拝を終え、靴をはいていると、1人のオジサンが寄ってきた。
 彼が言うには、今僕が見たのはホントウのクリシュナ生誕寺院では無いと言う。そういえば、関連書籍にもクリシュナ生誕地には諸説あると書いてあったな。
e0074199_3533159.jpg 案内して貰った場所は、政府関係の保護政策が全く採られていないため、写真撮影もOK。


その他の「ゆかり」
e0074199_4175063.jpg 寺院の近くにあるのは、クリシュナがおしめを替えたとされる池(人口の溜池)。今は、水が干からびている。溜池というよりは、アーメダバードで見た階段井戸と同様の形状をしていた。
e0074199_4153222.jpg 続いては、クリシュナの父母が監禁されていたとされる牢獄の跡。
 クリシュナの父ヴァースデーヴァと母デーヴァキーは、デーヴァキーの従兄のカンサ王によって監禁されていた。カンサ王が、デーヴァキーの産む8人目の子供によって自分が殺されるとの予言を聞き、デーヴァキーが子供を産む度にその子供を取り上げ殺していったのだ。ところが、8人目の子供(クリシュナ)が産まれたとき、牢獄の番人の目を盗んで、ヴァースデーヴァとデーヴァキーの従者は赤子を連れてヤムナー川へ。
e0074199_4162950.jpg 川の流れは激しかったが、ナーガと呼ばれる大蛇に守られるように無事川を渡って対岸の村へ。従者は、村で偶然見つけた赤子を連れて再び牢獄に戻った。カンサ王はこの赤子を8人目の子供だと思い、殺す。難を逃れたクリシュナは、やがて成長し、ついにはカンサ王を倒した。


ヴィシュラム・ガート
e0074199_4294460.jpg 数あるガートの中でも一際大規模で、寺院も建っている。
 ここは、上述の話でクリシュナがカンサ王を倒した後、休息した場所と伝えられている。
 この寺で御参りをした際、聖水を頂戴したので、何の気なしに飲んだのだが、これがなんとヤムナー川の水だった・・・この後数日間、激しい下痢になったのは言うまでも無い。
e0074199_4303231.jpg このガートにあった渡し舟を使って、対岸に移動・・・。



ネズミーランド!?
e0074199_4503855.jpg ヤムナーの対岸に見えるのは・・・・東京ネズミーランドのお城!?

 対岸に着いて、小さな集落を通って徒歩約15分。

 それは、真新しいヒンドゥー寺院だった。
e0074199_4511277.jpg 特定の神を祭ってある訳ではないみたいだ。入口の門にはヌルシンハ(ヴィシュヌ神の化身の1つ。頭が獅子、体が人間)、中にはブラフマー、シヴァ、ハヌマーンなど色々な神様が祀ってあった。
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e0074199_4525718.jpg 中には、良く分からないものも・・・なんで頭から火噴いてるんだろう??
 ・・・うぅむ、しかしこの寺院、何故外見だけ妙にヨーロッパ調なのだろうか・・・分からん。


カンサ城
e0074199_456249.jpg 再び渡し舟に乗って元来たガートに戻る。
 途中、大きな城が見えてきた・・・カンサ城だ。
 ガート側から回って見に行ってみたのだが、廃墟になっていて、特に見るものは無かった。
 驚くことに、建物の一部は、今も住居として使用されているようだった。



オススメ度(100%個人主観)

   ★★★☆☆ ・・・アグラよりもディープ故、短期観光客には向かないかも。

所要観光時間

   2~3時間
by bharat | 2006-01-11 10:30 | インドぶらり旅
インドのTシャツ 8
8. デザイナーズ風
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e0074199_353159.jpg カジュラホで買ったこのTシャツ。ガラは思いっきりインドだが(シヴァ神:詳細説明はこちら)、なかなかセンスの良い一品。
 絵は真ん中に控えめにプリントされており、生地はインドでは滅多に見ないダークブラウン。生地は、これまたインドの安シャツでは見たことの無いストレッチ地。Paul Smithショップなんかに並んでてもいいような雰囲気がしないでも無い。
by bharat | 2005-12-08 10:01 | インドのTシャツ
インドのTシャツ 5

 そろそろヒーターのいる季節ですが、買い溜めたTシャツをザッと紹介しておくことにします。
 その5は、カジュラホで買ってきたもの。

5. 油絵タッチのガネーシュ
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e0074199_4372997.jpg 何の変哲も無い柄だが、気に入って衝動買いしてしまった。青色の地にオレンジ色のガネーシュが真ん中にポツン。デザインがシンプルで、油絵のような重ね塗り風のタッチでプリントされている。
 ちなみにこのTシャツ、激しく色落ちした・・・1回目の洗濯のとき、一緒に洗ったあらゆるものが真っ青に染まった・・・。

 全くの余談だが、このガネーシュ、象ではない。象の頭をした人間型の神様。インドでは、金運上昇、学業成就の神様として崇められている。彼が何で象の頭になっちゃったかと言うと、以下のようないきさつがあったからだ。
 彼は、シヴァ神とパールヴァティ女神との間に出来た子供。ある日、お袋のパールヴァティの入浴の見張りをしていると、親父のシヴァが中に入れてくれとやってきた。ガネーシュとシヴァとは、お互い顔を覚えていなかった(ガネーシュが小さな頃からシヴァは外出がちだった)。で、中に入ろうとするシヴァと入れまいとするガネーシュはさんざん争った挙句、キレたシヴァがガネーシュの頭をハネてしまった。パールヴァティが、「何てことしたの?アンタの息子なのに!」と言うと、シヴァはたいそう反省して、「それは済まんかった・・・次にここを通りかかった動物の頭をくっつけて生き返らせるよ」と約束。・・・次に通りかかったのが象だったので、その頭をガネーシュに接合して復活させたというわけ。最後のくだりを除けば、何だか火曜サスペンス劇場にでも出てきそうな、有り得ないシチュエーションだが、このシヴァ、さすが破壊神だけあって、とっても暴力的・・・。
by bharat | 2005-12-05 10:12 | インドのTシャツ
第18回旅行は、紺碧の街ジョードプル
 今回は、宮殿列車の旅3番目の目的地であるジョードプル。

ジョードプルの興りについて
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 ジョードプルは、ラージプート藩王ラーオ・ジョーダによって、1549年に建てられた都市で、他のラージャスターン州の都市同様、城塞都市の形態を成している。現在は城壁の外側にも街並みが続くが、当時はこの全長10数kmの壁の内側に全ての市街機能を収納し、発展した。中でも、アヘン、ビャクダン、ナツメヤシ、銅などの東西交易ルートの要衝として栄えた。
 また、旧市街の壁は青色に塗られており、通称「Blue City」と呼ばれている(居住するバラモン・カースト者が階級色である青を壁に塗ったのが事の発端だが、その後青色塗料が虫除けに効くとされ、町全体が青色に塗られるようになったという)。

 余談だが、ラージャスターンには、街並みの壁が統一色になっている都市が多い。
 壁の塗装については、都市が住民に義務付けているところとそうでないところがある。例えばジャイプールなどは旧市街の壁をピンクに塗装することが義務付けられているが、このジョードプルは特に青色に塗装することが義務付けられている訳ではない。


ヒン・ムス・エイ折衷

e0074199_1621312.jpg 城壁内の北端の小高い丘に建つ、一際目立つ真っ白い廟が、ジャスワント・ターダだ。
 これは、19世紀末、マハラジャ ジャスワント・シン2世によって建設された。時代を反映するかの様に、中央の角ばった塔や屋根はヒンドゥー建築様式あるいはムスリム(イスラム)建築様式で、左右対称に作られた小さな出窓のようなスペースは、英国建築様式に則ってデザインされている点が特徴的である。
e0074199_16212451.jpg 3形態折衷の見事な建築・・・インドの宗教建築物で、よくこの手の複数建築様式で出来たものを観るが、どれも実に見事に調和したデザインで、とても美術センスを感じる。 
 廟周囲には人造湖があり、当時のマハラジャたちが、同地域で貴重なる水を大量に使って権力誇示したことが分かる。


現役のマハラジャ宮殿

e0074199_16215221.jpg 外部の城壁に囲まれた地域の丁度中央くらいに、更に城壁に囲まれた「本丸」のような場所がある。
 これが、メヘランガル城。ラーオ・ジョーダ藩王が1459年に築き始めた城塞で、大きな大地の上に高さ20~30mの城壁を張り巡らせた戦闘色の強い建築物である。城塞中心部に行くまでに、7つの門をくぐる必要があり、その門のいくつかには、砲弾の痕が残存している。
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 城塞中心部は、大小の宮殿が庭園で繋がれており、宮殿内の各部屋は貴金属・宝石等で装飾されている。
 尚、同Fortは、ジャイプールと同様、現在もマハラジャの私有物であり、運営等はこのマハラジャが行っている。


e0074199_16245915.jpge0074199_16244321.jpg 敷地内の至るところで、色んな人が、当時の生活の再現などの見世物を行っていた・・・9mもあるターバンの巻き方講座から、水タバコのたしなみ方まで。



オススメ度(100%個人主観)

   ★★★☆☆
by bharat | 2005-11-14 16:18 | インドぶらり旅