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インド周辺 第13回旅行は、秘境タクツァン
e0074199_624106.jpg ブータンで最も権威ある寺院タクツァン。
 アクセスが恐ろしく不便で、首都ティンプーや国際空港のあるパロに近いにも関わらず、今なお秘境だ。



由緒正しき仏教寺院
 この寺院が、こんな辺鄙な場所にあるにも関わらず、今尚ブータン国民・仏教徒から神聖視されているには、訳がある。
 このタクツァンとは、現地語で「虎の巣」を意味し、その昔ブータンに仏教を伝えたグル・リンポチェが虎に乗ってこの地に飛来したという話が残っているのだ。

e0074199_5251519.jpg 1694年に建てられたが、1998年4月19日に厨房の火の不始末が原因で寺院群の大半が焼失してしまった。
 直後から、復旧工事が始められたが、その際には今まで殆ど整備されていなかった寺院への道が整えられることとなった。
 その殆どはブータンの学生らによってなされ、2000年に完成。
 以後、観光客たちに利便を供することとなった。

道中の様子
e0074199_5385850.jpg 歩道が出来たとはいえ、標高3,200mのこの天空寺院への道程は、かなりキツい。
 まず、1時間ほど緩やかな山道を登り、掘立小屋へ。
 掘立小屋では、トイレ休憩が出来、ガイドと一緒にしばしコーヒーで一服。

e0074199_5433331.jpg ここから暫くは再び緩やかな道が続く。
 このあたりから、立込める霧、経文を書いた旗、鳥居など、霊的な雰囲気がいよいよ増してくる。
e0074199_625268.jpg 路傍には、僧が瞑想を行う小屋があり、丁度このときにも「瞑想中につき、御静かに」との建て看板があった。

 ここからが大変。
 目標の寺院は見えるのだが、目の前には切立った断崖が。
 この高低500mはあろうかという崖を一気に下ってまた登らねばならない。
 これをクリアして、漸く寺院に到着・・・往路約2時間半の行程だ。
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 寺院の中は写真撮影禁止だったので写真は残せなかったが、小さな御堂がいくつも存在する寺院コンプレックスになっている。像は、ブッダのほか、東西南北の方角を夫々の神の像などもある。

 ・・・文章に書くと、どうしても陳腐になってしまうが、筆舌に尽くしがたい聖地だった。


オススメ度(100%個人主観)

    ★★★★★ ・・・ 是非機機会があれば行くべし

観光所要時間

    5~6時間
by bharat | 2006-10-21 10:30 | インド周辺国ぶらり旅
インド周辺 第12回旅行は、ブータンの首都ティンプー
e0074199_2512264.jpg パロから山間の道を約2時間。
 ガードレールの無い、切り立った崖に作られた細い道は、車がすれ違うのがやっと。

 そんなこんなで、ブータンの首都ティンプー(Thimphu)に到着。


首都と言っても・・・
e0074199_3295312.jpg 国王の行政拠点のタシチョ・ゾン(Trashi Chhoe Dzong)がランドマークの首都ティンプー・・・とは言っても、その歴史は約50年と浅く、人口も4万人そこそこ。
 小さな村と言っても良いくらいだが、見どころは結構有り、町の雰囲気ものどかで良い。


メモリアル・チョルテン
e0074199_4411040.jpg 第3代国王ジグミ・ドルジ・ワンチュクの墓。
 彼が1972年に没したあと、1974年に建てられた。
 朝早くに訪れたのだが、地元の礼拝者が沢山来ていた。

ドゥプトプ尼僧院(Drubthob Goemba)
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 市の北部に位置する尼僧だけの寺院。
e0074199_5351540.jpge0074199_5354246.jpg 建物を一部増築していたが、興味深かったのは作業者が皆ブータン人ではなかった(と思われる)ことだ。
 ブータンでの土木工事・家屋建築工事従事者の多くは、バングラデシュやインド北東部からの出稼ぎ者だという。


国立病院
e0074199_784749.jpge0074199_79182.jpg 外見からは全く分らないが、ブータンで一番大規模な病院。
 処方箋を持って、薬を貰いに列を作るのは、万国共通なのだろうか・・・。
 年間ののべ患者数は約3万人、結構な数だ。
e0074199_2305874.jpge0074199_232572.jpg 中には、博物館コーナーもあり、様々な展示が。
 薬は、漢方薬に似たものが多く、草木・木の実・獣の骨・角から作られている。
 体の中身を記した解剖図もあるが、全然実際と違う・・・気孔の概念に近い考え方だと思われる。


国際大学
e0074199_334236.jpg 英名で、National Institute for Zorig Chusum。
 Zorig Chusumは、ブータン語で伝統絵画・工芸の意味。
 この建物群には、様々な訓練教室が入っている。
e0074199_3133349.jpge0074199_3135864.jpg まずは、粘土の人形を作る教室。
 どこか日本的な雰囲気だなぁと思ったら、上野陽子という日本人芸術家の技術指導によるものだった。
e0074199_3332531.jpge0074199_3334433.jpg 木彫り教室では、仏教に関するモチーフ・・・ブッダ、法輪、法螺貝などを彫る練習。
 ブータンでは、建築物の外観を伝統的工法・デザインにするよう規制がなされており、これに関連する技術者は必須だ。
 彼等を継続的に育成するこの教室の役割は、非常に重要と言える。
e0074199_353745.jpge0074199_3532455.jpg 仏教彫刻の教室では、立派な御手本の脇でコツコツと小さな仏像を彫り続ける生徒が。
 ブータンの寺院に収められている大きな仏像が、途方も無い人手・時間をかけて作られているのが分かる。
e0074199_4225928.jpge0074199_4231422.jpg 民族舞踊の教室では、音楽に合せてステップの練習。
 刺繍教室には、日本人留学生の姿が。
 刺繍科を修了するにはなんと4年かかるという。
e0074199_453380.jpge0074199_4532281.jpg 仏教壁画が、石を砕いた塗料で出来ていることが分かる。
 化学系の塗料は使っていないようだ。


 敷地外には、生徒たちが作った作品を売る売店がある。
 出来栄えも、値段も納得のレベル。



民俗博物館(The Folk Heritage Museum)
e0074199_5274723.jpg 現地名で、Phelchey Toenkhyim。
 ここでは、ブータンの昔の生活様式を再現している。
 家の作りや、家庭用具などは、特に目を引くものは無いのだが・・・
e0074199_554899.jpg ビックリするのが、家屋の内外に、チ○コが飾ってあることだ。
 ブータンでは、魔除けの意味で一物を玄関の門に付けたという。
e0074199_6393745.jpg 家の中の祭壇のど真ん中にも、チ○コが。
 家族繁栄の象徴として、信仰の対象になっていたらしい。
 他でも(例えばヒンドゥー教)男根が信仰の対象になっている例はあるが、ここまでリアルなレプリカを作って、祀っているのはあまり知らない。


町の様子
 首都だけあって、街中は栄えている・・・といっても、およそ一国の首都とは思えない小さな規模だ。

e0074199_5124285.jpg 一般に、ブータンのホテル・ゲストハウスでは、ブータン料理がテーブルに並ぶことは無く、御世辞にも美味いとは言えない西洋料理の真似事が出てくる。
 どうせブータンに来たのだから、御当地料理を食さないとということで、来たのがこの店。
 その名も「ブータン・キッチン」。ベタな店名にベタな外観。
e0074199_6145597.jpg 料理は、肉料理に地酒。

e0074199_6273031.jpg ネットカフェでは、随分と昔の型のPCが数台に、プレステーションも数台。
 ・・・これで、御客からいくら取っているのだろうか?

e0074199_634321.jpg こちらは、絨毯屋。
 伝統工芸というよりは、普通の家庭で使う絨毯みたいだ。

e0074199_6415819.jpg 八百屋には、日本でも見慣れた野菜がたくさんある。
 西岡京治氏が、日本からブータンに伝えたものなのだろう(西岡氏についてはパロ旅行記参照)。

e0074199_7175276.jpg 宿泊のホテルがこちら。
 Hotel Pedling
 39室
 ダブルルーム 1,800ヌルタム(約4,500円)
e0074199_7203735.jpg 外観、中身ともに結構立派。

e0074199_5165721.jpg これは、市内の中央郵便局。
 外観は、やはりブータンの伝統的な建物。
e0074199_5194458.jpg 切手販売コーナーで、切手を物色。
 面白いのが、切手のデザイン。
 全然ブータンと関係無いものが殆どなのだ。
 なんでも、ブータンには発達した印刷技術が無く、イギリスにこれを依頼しているらしい。
e0074199_5463279.jpg なので、デザインもイギリス任せ。
 アポロ月面着陸、オリンピック、ディズニー、葛飾北斎など、な~んでもあるのだ。

e0074199_5571043.jpg 市内には、映画館もちゃんとある。
 公開中の映画は・・・!!
 「My Beloved Yak」・・・小鹿物語みたいなストーリーなのか!?


国獣は絶滅危機種
e0074199_694080.jpg 市街から少し離れた丘陵の一角に、ブータンの国獣タキンの保護区がある。
e0074199_6131091.jpg この牛のような、山羊のような動物・・・愛嬌があるというか、ブサイクというか・・・。

 ブータンには、このタキンの誕生秘話みたいな神話が残っている。
 高僧ラマ・ドゥルクパ・クエンレイ(Lama Drukpa Kuenlay、1455~1529)が、彼の門下生から奇蹟を見たいと請われたので、山羊の頭の骨と牛の体の骨をくっつけて蘇生させた。
 これが、タキンのはじまりなんだと・・・無茶苦茶な話だな。


週末マーケットはスプラッタ
e0074199_6411678.jpg 週末には、大きな広場にズラッと露店が並ぶ。
 多くは食料品だが、中には骨董品を並べる一角もある。
e0074199_6541718.jpg !!・・・これは、ヤク肉売場。
 この色、明らかに「血」だよね・・・。
e0074199_6551125.jpg そして、店の前には、肉待ちのワンコたちがいっぱい。
e0074199_656012.jpg 1頭まるごと裁いたのか、店主のそばには、ヤクヘッドとヤクフットがゴロンと置いてあった。
 ・・・なんとも刺激的な光景。



オススメ度(100%個人主観)

   ★★★★☆ ・・・ どこか懐かしい小さな町は一見に値する

観光所要時間

   3~4時間



by bharat | 2006-10-20 10:30 | インド周辺国ぶらり旅
インド周辺 第11回旅行は、ブータンの玄関口 パロ
 ブータンには、国際空港が1つしかない。
 デリーからの直行便で約3時間飛んだところにある、パロ(Paro)だ。

かつての首都・・・?

 ブータンについての記載は、同国が国際連合に加盟した1971年まで、かなり曖昧だった。
 その当時の歴史的に鎖国政策を採っていたし、他国にブータン大使館・領事館の類も無かったので、ブータンに首都すら間違えられて記された世界地図が殆どだったという。

 1950年半ば、ブータンは首都をプナカからティンプーに移したと言われているが、この頃ここパロも冬の都として機能していたらしい。


質素な空港に豪華な飛行機

e0074199_704583.jpg 現在は、空路での唯一のアクセスポイントとなっており、飛んでいるのもDruk Airだけ。
 御覧の通り、山間の狭~い盆地に、粗末な滑走路が1本だけ。

 着陸時には、飛行機の左右の翼を山の斜面にぶつからんばかりに近づけながら、高度を下げていく・・・かなりスリリング。


e0074199_773093.jpg 着陸すると、ブータンの伝統建築に則った、素朴な建物が出迎える。
 いきなり、異国に降立った実感が沸いてくる。
e0074199_775646.jpg 入国手続を行う建物内は、こんな感じ。
 ちなみに、写真には収められなかったが、審査官もブータン民族衣装を着ており、まるでタイムスリップしたかのような、なんとも懐かしい印象を受ける。


 ここで少し、Druk Airについて。
 現在、インド(デリー、コルカタ)、ネパール(カトゥマンドゥ)、バングラデシュ(ダッカ)、ミャンマー(ヤンゴン)、タイ(バンコク)とブータンを空で結ぶこの航空会社は、ブータンの国営企業。

e0074199_7462996.jpg 以前は、BAe-146-100という小型ジェット機2機での運航だった。
 高翼機で眼下を見下ろせるというメリットの他は、積載可能乗客数の少なさ、航続距離の短さ、昔ながらの操縦システムなどデメリットばかりだった。
 総座席数はたった72席で、春と秋の観光シーズンには、毎年旅行代理店が座席の確保に奔走するのが常だった。
e0074199_7471537.jpg この状況がドラスティックに好転したのは、2004年。
 エアバスのA319型を導入したのだ。
 同機は、総座席数114席で、呼び込める観光客数も一気に増えた。
 メンテナンスや乗務員研修は、専らタイ航空におんぶにだっこらしいが、これもじきに自分で出来るようになるのだろう。

 運賃は、往復32,250ルピー(約84,000円)と非常に高額。



街の様子
e0074199_16363374.jpg 街の中心部といっても、非常に小規模。
 1985年に今の街並みになった。
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 大通りが1本あり、この通り沿いあるいは近辺に、小さな商店が立ち並んでいる。
e0074199_332755.jpg昼食を採ったレストランの階下に床屋があったので、取敢えず散髪(?)。
 彼らの技術レベルと価格を知りたかったのだが、あまり参考にならず・・・というのも、バリカンをあてている彼、どうみても生粋のブータン人では無い。
 恐らくインド人かバングラデシュ人だろう・・・出稼ぎなのかな?
 技術レベルは、インドの床屋と同様でした。
 料金50ヌルタム。
 インドの50ルピー札を渡して御会計(ブータンではインド紙幣/貨幣が使える、詳細はこちら)。


e0074199_3403454.jpg ブータンの郷土料理は、とても辛いのが特徴。
 唐辛子は料理に欠かせなく、多くの家で唐辛子をこんな感じに干していた。
e0074199_3424197.jpg そんな家の下では、外国製のオモチャを売る売店も。
 ブータンと言うと、鎖国のイメージが強いが、少しずつこういった輸入品が入ってきているようだ。

e0074199_346595.jpg ブータンもインド同様、いやそれ以上かも知れないくらい、犬が多い。
 が、犬種がちと違う気がする・・・気候が寒いせいか、モコモコした毛の犬が多い。
 どことなく、和犬に似ている。

e0074199_3494740.jpg 町外れには、アーチェリー場。
 ブータンの国技はアーチェリーで、今の国王もアーチェリー好きということで、国の中で最もポピュラーなスポーツとなっている。
e0074199_4563971.jpg 会社員もアフター5で楽しむというこの競技、ムチャクチャ難易度が高い。
 矢を射る場所から的までの距離はゆうに100m以上あり、加えて的はとても小さい。
 20分くらい様子を眺めていたのだが、この間的にささった矢はたった数本・・・随分とストレスのたまるスポーツに思える。



 実際の旅行では、上記市内をザッと観たあと、ティンプー(Thimphu)に移動した。
 最終日に、再度パロに戻って、以下の場所を観て回った。

国立博物館
e0074199_4204992.jpg この建物は、タ・ゾン(Ta Dzong)と呼ばれている。
 物見櫓(ゾンは、櫓・要塞の意味)という意味らしい。
 円柱形の建物は、7階建。
 3階(4階だったかな)に入口があり、ここから追上下の階を観て回ることとなる。

 この建物、立地している丘の下にあるパロ・ゾン(後述)の物見櫓として、機能しており、建設されたのは、17世紀中頃と言われている。


e0074199_4564027.jpg ココが博物館となったのは、1968年。
 3代国王ジグミ・ドルジ・ワンチュク(在位1952~72年)が自国の歴史を再認識・編纂したいと願い造ったのだそうだ。
 当時、ブータンの歴史的な品々は、一般家庭に散在しており、この本格的な収集を行った。
 仏像、仏画、彫刻、壷などの宗教的なもの以外に、儀礼に使う楽器・衣装、ブータンに棲息する動物・昆虫の剥製なども展示されている。


パロ・ゾン
e0074199_552818.jpg パロのランドマークであるこの建物。
 ゾンは、前述したように、城塞の意味だが、そもそもブータンにおけるゾンの存在は、単なる軍事拠点のみならず、仏教を広める宗教拠点、国政を行う政治拠点としての機能をも併せ持つ大変大きな影響力を持つ場所だった。
 現在は、県庁のような機能を持っており、このパロ・ゾンはパロ県庁といったところだ。
 中は、半分行政事務所、半分寺院になっている。
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 ゾンの中のカベにこんな絵が。
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 よく仏教画に登場する絵だが、こんな意味を現している。

 ヒトは、天・人・餓鬼・畜生・地獄の五趣を輪廻すると信じられており、人はこの中の1つの世界に住んでいる。
 大乗仏教期に入り、阿修羅(天の中の闘争を指す世界)が加わり、六道というようになった。

 絵の中では、円が全ての世界を現し、これを死神が司っている(審判している)。

 円の一番中心には、3つの欲望を象徴する動物(鳥・蛇・猪)、その周りに天と地獄、その周りの6分割された大きな枠には、六道が描かれ、一番外側に人間の生の営み全体が描かれている。


ダショー西岡の墓(ストゥーパ)
e0074199_654736.jpg 小高い丘に建てられた、文字通り西岡氏の墓。

 ブータンの歴史において、日本人が非常に大きな役割を果たしたという事実を知っている日本人はどれくらいいるだろうか。
 ・・・少なくとも、私はついブータンに行くちょっと前まで知らなかった。

 ダショー西岡こと西岡京治は、JICA職員として1964年にブータンに派遣された。
 当初2年の任期予定でブータンに入った彼は、同国の悲惨な生活実態を見て驚いた。
 殆ど獲れない農作物、栄養不足等に起因する低い平均寿命(当時40歳そこそこだった言われている)・・・。
 日本から種子を持込み、農業機械を輸入し、地元民に根気強く農業指導を行った彼は、結局28年をブータンの発展に費やし、1992年没した。
 国王は、彼の功績を多いに讃え、ダショー(騎士の称号:外国人では彼しか貰っていない)の称号を与え、彼の葬儀は国葬とされた。


オマケ

 市街にある、「Made in Bhutan」という店で、土産物を物色。

 王様コスプレしてみた・・・なかなかの風格!?
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オススメ度(100%個人主観)

  ★★★★☆

観光所要時間

  5~6時間
by bharat | 2006-10-19 10:30 | インド周辺国ぶらり旅
☆SHANGRI-LA☆  ~ブータン~
 先般、短期間ながら、インド隣国のブータンに行って来た。

 個人的には、インド以上に情報が少ない国だが、インドに来てからというもの、いつか行って見たい気になる国の1つだった。


国の概要
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名称 : ブータン王国
面積 : 38,394k㎡
      地図の通り20の県で構成されている
首都 : ティンプー(Thimpu)
人口 : 699,000人(2001年国勢調査による)
      国外からの労働者も多数おり、実際のところはもう少し多い?
国旗 : 中央の雷龍は、ブータンの地元の通称Druk Yul(雷龍の国)からきたもの。
      上部の黄色は、国家の権威を表現している。
      下部のオレンジ色は、仏教への信仰心や精神的な強さを表現している。
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国章 :
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国教 : 仏教(チベット仏教を国境とするのはブータンのみ)
言語 : ゾンカ語(チベット語と似ている)
時差 : 日本時間 - 3時間
標高 : 海抜180m~7,550m
国樹 : イトスギ  国花 : ブルーポピー  国獣 : タキン  国鳥 : ワタリガラス
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通貨 : Ngurtrum(ヌルタム)
      インドルピーと1:1連動制。現地ではインドルピー紙幣/貨幣がそのまま使用可。
貿易 : 輸出 インド(95%)・バングラデシュ(5%)
      輸入 インド(75%)・シンガポール(13%)
産業 : 水力発電事業(インドに電力を輸出)
      観光事業(ここ数年来 本格化)
      農業

歴史

 宗教的観点からは古いが、政治的・国際的にはまだまだ若い国ブータン。

 この地に仏教が本格的に入ってきたのは、7~8世紀と言われている。
 ブータン仏教の開祖グル(導師)・リンポチェという高僧が、大乗仏教をこの地に伝えたとされ、ブータンにおいては、彼の像は仏陀と並列で並べられるほどステータスが高い。


 国としてのスタートは、チベットの宗教派閥争いに敗れた僧ガワン・ナムゲルが1616年に建国。
 17~19世紀、この一帯は山間部族が小王国を建て、合従連衡を繰り返していたが、イギリスの圧力が増すに従い、ある勢力は降伏し、ある勢力は抗戦した。現在のインド・ブータン国境近辺の地域では、ブータン・イギリス間の領有を巡る小競合いが激化。
 1773年にクチビハール、1826年にアッサムが相次いでイギリス支配下になってしまうと、焦点はドゥアールに集中。この領有をめぐり、1864年に戦争が勃発した(ドゥアール戦争)。
 この戦争に敗れたブータンは、イギリスから金を受取る代わりに領土の所有を諦めざるを得ないこととなった。
 
e0074199_5105844.jpg 領国内の族長レベルの争いに終止符が打たれたのは1907年。
 ワンチュク家のウゲンが強大な軍隊を形成して他勢力を一掃、領国内の統一を果たした。
 以降、現在まで2代ジグミ・ワンチュク(治世1910~52)、3代ジグミ・ドルジ・ワンチュク(1952~72)、4代ジグミ・シンゲ・ワンチュク(1972~)と世襲君主制を採っている。
 一時期、政治のトップに首相を据えたこともあったが、1964年の首相暗殺、クーデター未遂など政情不安を招いた為、国王親政に戻った。

e0074199_5114415.jpg 尚、第4代国王ジグミ・シンゲ・ワンチュクは、2008年の立憲君主制への移行を宣言しており、議会政治強化・国王定年制などドラスティックに国の制度を変えるようだ。


 ・・・しかし、たった4代で、顔と頭身バランスが随分と近代化している気がする。
 現国王は、なかなかのイケメンである・・・初代~3代と、ベッピンさんの王妃を娶ったのだろうか。



 国際的には、1910年にイギリス保護下、1949年にはインド保護下に入るなど、小国ゆえの外交政策も、1971年に国連に加盟して、世界の檜舞台にあがる。
 以降、インド・バングラデシュを皮切りに世界各国との国交を樹立を行い、1986年には日本とも樹立、本年2006年はちょうど20周年の節目の年にあたる。

 国内政策については、かなり変わっている。
 特に現国王は、過激な近代化や外部文化の過度の流入を嫌い、伝統的工法による建物の建築のルール化、伝統的服装の強制、世界的な国の判断基準となっているGNPに代わるGNH(Gross National Happiness : 「国民総幸福量」 )の提唱等を実施。
 アイデンティティの醸成、国王への敬服が促進された一方で、国内にいた異民族が流出(=難民化)せざるを得ない環境となり、特にネパール系の人々12万人が一度に難民化し、国際問題に発展した一幕も。


シャングリラ(地上の楽園・桃源郷)の由来について

 今回、ブータンの地に降立って、まず驚いたのが、ヨーロッパ人観光客の多さ。
 9割以上はヨーロッパ人、それも御年配の方ばかりだった。

 どうもブータンは、ヨーロッパでは「シャングリラ(地上の楽園・桃源郷)」のイメージが強いらしく、老後の旅の人気ランキングが高いようだ。
 「ブータン=シャングリラ」が定着したのは、1933年英国人作家ジェームス・ヒルトン(James Hilton)が書いた『失われた地平線』(原題"Lost Horizon")によるところが大きい。因みに、同書は、日本でも1959年増野正衛によって訳され、新潮社から出版されている。
 ヒルトンは同作品において、この世の楽園シャングリラに迷込んでしまうガイジン4人の様子を描いている。
 場所は、小説によると、「バンコクの北西」で「インド・カシミールの東」だという・・・小説の中で描かれる様子から察するに、今のブータンあるいはチベットを連想していたと言われている。
 この本を原作として映画化もなされている、しかも2度。

 中国は、2002年5月5日、雲南省の最北西部、迪慶チベット族自治州の州都である中甸が、その行政地域がシャングリラであるとして、県名を本当にシャングリラ(香格里拉)に変更してしまった。
 また、デリーにも昨年出来たが、マレーシア系華僑の郭鶴年(ロバート・クォク)が展開するアジア地区最大のデラックスホテルグループの名前でも有名になっている。

e0074199_5691.jpg 僕は、シャングリラ聞くと、1997年石野卓球・ピエール瀧らの電気グルーヴがリリースしたCDタイトルを連想してしまう・・・。
 ♪夢でキスキ~スキ~ス
         キスキ~スキ~ス
              どこへもどこまでも~♪
 の歌詞をつい口ずさんでしまう。

 彼らは、シャングリラの意味を知って、曲のタイトル付けたんだろうか・・・まぁ、余計な御世話だが。



 → インド周辺 第11回旅行 パロ
 → インド周辺 第12回旅行 ティンプー
 → インド周辺 第13回旅行 タクツァン
by bharat | 2006-10-18 10:30 | インド周辺国ぶらり旅