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Hotel (17) ITC Grand Maratha Sheraton Mumbai
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<名称>
 グランド・マラタ・シェラトン ITC Grand Maratha Sheraton Mumbai

<住所>
 Sahar Mumbai, Maharashtra 400099 INDIA

<電話番号>
 +91 22 28303030

<宿泊料金>
 Rs13,000~15,000-(約39,000~45,000円) / 日

<特徴>
e0074199_11142288.jpg ムンバイにある、5つ星ホテルの1つ。
 空港から近く(車で10~15分)、利便性が良い。

 部屋は、インドの高級ホテルにある、落ち着いた雰囲気。
e0074199_11152556.jpg これといって問題は無いのだが、昨今のインドのホテル事情を反映して、観光シーズンの宿泊料金が恐ろしく高い・・・。
 当分解消されることは無いと思うこの問題・・・インドで電気・水を気にせずに1万円そこそこで宿泊出来るホテルが登場するのは、当分先になりそうである・・・。


 
by bharat | 2007-09-19 10:30 | ホテル情報
ホテル (10) Park Plaza Royal Palms Mumbai
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<名称>
 パーク・パレス・ロイヤル・パームス Park Plaza Royal Palms

<住所>
 169, Aarey Milk Colony, Goregaon, Mumbai 400065

<電話番号>
 +91-222-8795000

<宿泊料金>
 USD300前後 / 日

<特徴>
 インドの航空国内線某社の機内誌に掲載されていたホテル。
 ムンバイと記載されていたので、てっきり市街地にあると思ったのだが、これが随分市街から離れている。

 やっとのことで着いたが、内容は良かった。
 まだまだ敷地内のあちこちに建築現場が散見されるほど新しい。

e0074199_5483443.jpg 廊下は広く、
e0074199_551220.jpg 部屋の中身も空間を贅沢に使い、
e0074199_5494684.jpg ベッド周りもお洒落な感じ。
e0074199_5515862.jpg バスルームは、バスタブとシャワーが分かれており、ゆっくりフロに入りたい日本人には使い易い。



 ・・・内容は申し分無いのだが、如何せん立地が良くない・・・時間に余裕があるときに使いたい。
by bharat | 2007-04-18 10:30 | ホテル情報
第79回旅行は、歴史ある新興都市プネー
e0074199_733577.jpg ムンバイから南東に約150km、高速道路を使って丘陵を越えると、一際大きな高原都市が出現する。
 プネー(Pune)だ。


昔の激戦地は、今や一大産学都市
 ここプネーは、日本で言うところのつくば市のような都市だ。
 標高500mの丘陵特有の涼しい気候、インド最大の産業都市ムンバイから距離が近いことなどの要素があったので、大学や産業が数多く位置しており、都市全体が産学一体となって発展している。
 人口は約400万人で、インド全土のトップ10に入る多さ。

e0074199_7543151.jpg そんなこの都市には、今でも至るところに城壁が残っている。
 プネーは、17世紀に興ったマラーター王国の拠点だった。ムガル帝国が第5代シャー・ジャハーンの治世期にその影響力を弱めるや、南インドの諸勢力は抵抗を開始、その筆頭勢力がシヴァージー率いるマラーター族だった。彼は1599年にプネーの太守を努め、その後同地を本拠として勢力を拡大、1674年にはライガール(Raigarh)で正式に王を名乗った。
 その後、1680年にシヴァージーが没すると、第6代皇帝アウグランゼーブ率いるムガル帝国は南征を開始、この一帯はマラーターvsムガルの一大戦地となった。
 劣勢だったマラーター国は、この頃その実質支配者を王からバラモン階級宰相(ペーシュワー)に代え(この頃からマラーター同盟と名を変える)、ムガルのアウグランゼーブ帝の没後、勢力を盛り返しに掛かる。
e0074199_6354853.jpg 他方、アウグランゼーブ亡き後のムガル帝国は、諸侯の離反、ペルシャ・アフガン勢力に侵攻され、デリーも陥落する有様。ムガル帝国は、一部領土の譲渡を約束に、マラーター同盟に援軍を請うた。こうして、ムガル・マラーター連合vsアフガン勢力アフマド・シャーの戦いが1761年に起こった(パーニーパットの戦い)。
 結果は、ムガル・マラーター連合の大敗。その後、マラーター同盟は当時支配力を強めていた英国の傘下に入った。

 話が長くなったが、このような歴史の影響で、街中には今でもマラータ王国・同盟時代の要塞や城壁が残り、初代王のシヴァージーも今尚厚く信仰されているのだ。



歴史ある城塞・寺院が見どころ
 このような歴史のあるプネーは、宗教色と軍事色が織り交ざった街並みが特徴的。

シャニワール・ワーダー(Shaniwar Wada)
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e0074199_6363288.jpg 上に述べたペーシュワーの第2代バージー・ラーオが1736年に建てたもの。
 ヒンディー語で「土曜日の宮殿」という名だが、宮殿というよりは要塞の体を成している。
 城壁の前は広い庭園になっており、シヴァージーの像が立っている。


パールヴァティ・ヒル(Parvati Hill)
e0074199_6423038.jpg 市の南西のはずれの小高い丘。
 微妙な傾斜が疲れを倍増させる階段をひたすら登ると、寺院群が見えてくる。
e0074199_643448.jpg 中心のパールヴァティ寺院の入口で靴を脱いで門をくぐると・・・
e0074199_6453143.jpg 立派な本堂が目に入ってくる。
 建設は18世紀中頃と言われ、勿論パールヴァティ(シヴァ神の奥さん)
の名が示す通りヒンドゥー寺院なのだが、形状はどこかイスラム建築っぽい・・・ハイデラバードのチャールミナールに似ている。
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本尊の中には、パールヴァティもいるが、旦那のシヴァのリンガ(男根)の像もある。
 ・・・が、何故か顔が。
 なんぢゃこれは。
e0074199_65715.jpg 本堂脇の壁画には、シヴァ一家の絵があるのだが、シヴァの容貌が一般的な姿ではなく、マラーターの王シヴァージー似になっている。
 王の神格化ということか。


ダガダシェートガナパティ寺院(Dagadushethganapati Mandir)
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e0074199_772128.jpg 舌を噛みそうなくらい長い名前だが、要はガネーシャ寺院。
 全インド的に有名なガネーシャ寺院で、ガネーシャ祭りの頃には参拝者でゴッタ返すらしい。
e0074199_7122626.jpg カメラ禁止だが、本堂には巨大で純白のガネーシュ像が鎮座している。


ウィシュワスト・ダット寺院(Wishwast Datt Mandir)
e0074199_7154823.jpg 由緒ある寺院っぽいのだが、御覧の通り大改築の真っ最中だった。
e0074199_7165166.jpg 中の神様は、そのままだった・・・退避させずに改築しちゃうのだろうか・・・?


その他の寺院
e0074199_7184212.jpg この他にも、沢山のヒンドゥー寺院が街の中に実によく溶け込んでいる。
e0074199_72486.jpg そんな街の一角の金物屋の前で、店のオジサンが何やらカンカンと金物食器を叩いている・・・板金?
e0074199_726555.jpg !!・・・ヒンディー語を彫っていた。
 結婚祝いに、新郎新婦の名前・日にちを彫っているのだそうだ。
 日本でたまに貰う、引き出物みたいなものか・・・但し、これはあげるのではなく、自分達で使うもののようだが。


 
オススメ度(100%個人主観)

    ★★☆☆☆ ・・・ 観光地というより避暑地


観光所要時間

    約3時間
by bharat | 2007-01-15 10:30 | インドぶらり旅
File No.006 強欲ブッダのシール
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 ナグプールで開かれた、ブッダ生誕2550周年・アンベードカル没後50周年の記念式典の会場で購入したもの。

 ブッダとインド仏教再興の師アンベードカルを並べて、「アンベードカル万歳」というメッセージが入ったシールである。

 ここまではまぁ理解出来るのだが、この2枚目のシールはスゴい。

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 なんと、この2人が金まみれなのだ。
 およそ正反対の生活をしていたであろう2人が・・・このメッセージ性はどう理解すれば良いのだろうか・・・。
 恐らく、商売繁盛や金運上昇なんてことを神様にお祈りするということだと思うが、それにしても訳が分からない。

 インド仏教、奥深し・・・。
by bharat | 2007-01-07 10:30 | インドのいやげもの
ホテル (4) Le Royal Meridien Mumbai
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<名称>
 ル・メリディアン Le Royal Meridien Mumbai

<住所>
 Sahar Airport Road, Andheri (E), Mumbai 400 099

<電話番号>
 +91-22-2838-0000

<宿泊料金>
 USD200~350くらい

<特徴>
e0074199_20204465.jpg ムンバイの空港から車で約15分、5つ星ホテルが5軒並ぶ一角にある。
 空港からのアクセスを考えた場合、ホテルハイアット・リージェンシー・ホテル、マラタ・シェラトン・ホテル、リラ・ホテルを含む5つのホテルが候補に挙がるが、私の個人的オススメはこのメリディアン。
e0074199_20214523.jpg 敷地面積もちょっと狭め、天井も廊下幅もそんなに広くないが、サービス・レストラン・部屋の雰囲気などが良い。


e0074199_20221782.jpg これは、たまたま部屋がいっぱいで、1つ上のグレードで宿泊できたときの部屋の様子。
 ゴシック調な仕上がりで、欧州的な印象。
e0074199_20234710.jpg 風呂には・・・!
 DASH村の村長!!
 しかも、子供が3人も。


e0074199_20243249.jpg 朝飯の種類・味もとても良かった。
 インドに来て以来、ちゃんとしたワッフルを出すレストラン、初めて。

 あと、中華レストランもあって、多少味が濃い気がするが、結構イケる。
 あっさり味の変り種アイスクリーム/シャーベットがオススメ。

by bharat | 2006-12-16 10:30 | ホテル情報
指定カースト者による暴動勃発

 去る11月30日、マハラシュトラ州のムンバイ近郊で、暴動が発生した。

事件の概要
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 地元報道では、11月30日にダリット(最下部カーストの人々、以前は不可触賤民と総称されたことも)の者たちが、ムンバイとプネーを結ぶ特急列車「Deccan Queen」に放火。
 この事件で、少なくとも2人が死亡、警察官45人を含む60人が負傷する大惨事となった。

 放火犯の動機は・・・
 放火事件より遡る事3日の11月27日、マハラシュトラ州プネーに程近いカーンプールというところで、ダリットカーストの少年が投石されて死亡した。その上、村にあった下位カースト者の生きる希望ともいえるアンベードカル(下位カーストの出ながら、インドの初代法務大臣になった。詳細はラクナウ旅行記で書いたので御参照)の像の首を切落とすという悪質ぶり。
 これに怒ったダリットカーストの人々が、列車に火を放ったというわけだ。

 その後、この事件がTVや新聞で取上げるや否や、インド各地で同様の暴動が勃発。
 車やバスがボコボコに破壊されるなど、被害が大規模化。

 マハラシュトラ州首相が外遊の予定をキャンセルし、事態収拾すべくインドに緊急帰国する異常事態となった。


事件から浮かび上がってくるもの

 この事件が大規模化してしまった背景を知る上で、意味深いコメントがある。
 ダリットの人権運動家の1人が、「ダリットカースト者は、カーンプールでの事件1つに怒って暴動を起こしたのでは無い。バンダラ村一家惨殺事件での政府の対応の酷さが直接の原因だ。」とコメントしたのだ。

 要するに、未だ頻発する理由無き下位カースト者への差別・弾圧に対して、しかるべき対応をしない政府に対する怒りが、暴動を起こしたというのだ。
 ・・・我々の理解を超えた根深さがここに垣間見える。

 また、下位カースト者に対する生活保障の遅れも、彼らの怒りや不満の温床になっていると言える。
 新聞の調査結果によると、教育の提供はここ最近だいぶ下位カースト者にも普及してきたようなのだが、生活基盤の向上はなされず、「学校に行かせてもらったは良いが、ちっとも生活は良くならねぇぢゃねぇか!」ということらしい。

(TIMES OF INDIAより)
1995年から2003年にかけての改善%
          ダリット   上位カースト
<教育面>
初頭教育     14       14
中等教育     60       45
高等教育    106       42

<生活面>
電気        44       55
飲料水       48       70
下水        23       42
住居        42       57

 確かに、教育に関しては、私も実感する局面があった。
 以前、インドの大学に言っていたときに、成績発表がカースト別だった・・・これは、下位カースト者には一定の優遇措置が取られるためのもの(詳細こちら)。
 また、十分とは言えないものの、村にも学校があり、金銭負担力の無い人も授業を受けられる受皿はある(詳細はこちら)。

だが、生活基盤となると、かなり劣悪な生活環境で暮らしている下位カースト者が多い印象を受ける。下位カースト者のみが居住するアラハバードの村に行ったことがあったが、悲惨な状況だったのを記憶している。



 北米・中南米では、スポーツなどで財をなす所謂「アメリカン・ドリーム」というのがある。
 が、ここインドでは、そんなに色々なスポーツがある訳でも無いし、全員が全員ボリウッド映画界に入れる訳ではない・・・。
 長い宗教史の中で、当然の如く虐げられてきた人々が、瞬時に這い上がれる方法というのは、ここインドには無いということか。
by bharat | 2006-12-02 10:30 | ふと思うこと
逃れられぬカースト
 去る9月、ある事件に決着が付いた・・・と報道された。

 陰惨な強姦殺人事件について、犯人が賠償金を支払い、決着したというのだ。
 が、その中身は決着どころか、旧態依然としたインドを示すものだった。
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事件概要

 事件は、ナグプールに程近いバンダラ(Bhandara)という村落で起きた。

 バイヤラル・ボトマンゲ(Bhaiyyalal Bhotomange)とその妻スレカ(Surekha)、その親戚ガジビエ(Gajbhiye)は、マハール(Mahar)カーストの小作農。
 マハールカーストは、かつて不可触賤民と呼ばれた最低カーストの1つで、インド初代法務大臣アンベードカルはこのカーストの出である。
 もっとも、「カースト」といっても、彼らはアンベードカル同様に、ヒンドゥー教から仏教に改宗していたので、表面上はヒンドゥー教のカーストとは関係なくなっていたのだが。

 そんなボトマンゲ夫婦とガジビエが、地主から一方的に耕作地を減らされたのが1996年。
 理由は、上位カースト農民が使用するトラクターの為の道路を作るというものだった。
 更に、最近になって、水路を作るというので、更に農地を潰すことが決定。
 ここに至って、ボトマンゲ夫婦とガジビエは抗議行動を開始。

 すると、地主側もこの弾圧行動を開始。
 9月3日、15名の暴漢がガジビエを襲撃。ガジビエがスレカと肉体的関係にあるとして、その破廉恥行動を諌めるというのが彼らの言い分だった。
 暴行を受けたガジビエは、警察に駆込み、すぐに12名が逮捕された。

 9月29日、解放された12名は、その夜痛飲。
 酔った勢いで、ガジビエに復讐すべしという雰囲気になり、ガジビエの自宅に急行した。
 暴漢たちの目的は、ガジビエと彼の家族を殺すことだったのだが、当日ガジビエ一家は不在。
 その足で、ボトマンゲの自宅を襲撃した。

 ボトマンゲの家には夫婦のほか、23歳の長男ローシャン(Roshan)、21歳の次男スディル(Sudhir)、長女のプリアンカ(Priyanka)が一緒に暮らしていた。長男は盲目、次男は学卒、プリアンカに至っては学業優秀で近い将来軍隊に入って家庭の生計を助ける予定だったという。

 襲撃当時、バイヤラル・ボトマンゲは家を出ており、家主以外の4名が家に居た。
 12名の暴漢は、この4名を家の外に引っ張り出し、まずスレカとプリアンカを襲撃。
 衣類を剥ぎ取った上、自転車のチェーンや斧で全身を殴打した上、入替り立代りレイプし続けた。2名はその過程で死亡してしまった。
 次男スディルが、携帯電話で警察に通報を試みるが、暴漢に見つかり、リンチされて死亡した。
 長男ローシャンも殴打され続け、死亡した。

 騒ぎを聞いたバイヤラルは、この状況を、ただ物陰で見守ることしか出来なかったという。

 これだけの騒ぎになっていたのも関わらず、村民は誰一人として助けたり、警察に通報したりしていない。
 なぜなら、この村落に最下級のマハールカーストはボドマンゲ家とガジビエ家しかなく、その他彼らより上位カーストの村民たちは皆見てみぬふりをしていたのだ。

 ガジビエが隙を見て、警察に駆込んだのが18:15。
 警察の一団が、現場に駆けつけたのは20:30。
 しかし、彼らはただのパトロール係で、事件の記録は出来ないとして、そのまま警察署に帰ってしまい、記録もされなかった。

 翌朝、茫然自失のバイヤラルが警察に赴き、惨状を訴えたが、警察の対応は驚くべきものだった。
 「事件の記録がされていない。おまえは虚偽を話しているに違いない。」
 結局、翌日に4体の惨殺死体が近隣の野原で発見されたことで、警察は重い腰を上げて、事件の検証に動き出した。

 だが、この検証も上位カースト者が作った出来レース。
 犯行に使われた武器はことごとく隠蔽され、警察側の医者も「女性2人への性的暴行は無かった」との診断書を纏める始末。

 スレカの親戚がこの判断を不服として、地元の農業家の連盟(VJAS)を通じて抗議、現場検証をやり直すよう要請。
 これに警察は渋々対応し、2~3回目の現場検証を行ったが、形式的なものに終始した。
 
 この強姦殺人事件で、最終的に38名の容疑者が逮捕された。
 が、VJASコメントでは、主犯格は政治的な立場を利用して、警察に圧力をかけ、未だに捕まっていないのだという。

 被害者への保障も、酷いものだ。
 マハラシュトラ州が一方的に保障金額を決定、たった1人残されたバイヤラルに、45万ルピー(約117万円)が支払われた。
 一家4人の命が117万円とは・・・。

 但し、法律家筋の見解でも、現行の法律(残虐行為予防法 Prevention of Atrocities Act 1989)に照らせば、最大で1人20万ルピー(約52万円)しか賠償金はおりないのだという。
 インドの所得水準を考えて、この金額は妥当なのか・・・。


 因みに、私が先般行ったナグプールでの仏教記念式典は、そんな事件の直後に行われた。
 企画側は、事件について触れないようにし、仏教徒の暴動が起きない様(冒頭にも触れたが、被害者はヒンドゥー教から仏教に改宗したインド人なのである)、細心の注意を払っていたのだという。


この事件で考えること

 この事件について知ったとき、2つの事実に驚き、またインドの闇の部分が見えた気がした。

① カースト制にはびこる上位者の下位者への弾圧は厳然として残っている
 今回の事件では、村落にただ2家庭のみ存在する最下層カーストが被害にあった。
 そして、被害現場に居合わせた周囲の村民たちは、だんまりを決め込んでいた。
 大都市から少し離れた(日頃のアクセスが可能なくらい近い)村落でさえも、先進国から大都市に流入する新しい文化に対しては未だ閉鎖的で、数千年来の慣習に基づいた行動・思考をしているということか・・・。

② ヒンドゥー教徒から異教に改宗しても、カースト弾圧から逃れられない事実がある
 私が強い関心を寄せているインドの政治家アンベードカル(彼についてはラクナウ旅行記で詳しく書いたので御参照)。
 彼は、ヒンドゥー教の生活様式の根幹を成すカースト制について、ヒンドゥー教徒であり続ける限りこれを廃止することは出来ないと判断、死の直前に仏教に改宗した。

 今回、被害にあった最下級のマハールカーストのボトマンゲ家は、恐らく上位カーストからの弾圧から逃れるために仏教に改宗したのだろう。
 だが、農民が農地から簡単に離れられる訳はないし、金銭的余裕のない者が見知らぬ土地に移動するのも極めて困難だろう。
 結局、先祖代々育った土地でヒンドゥー教を捨てても、カースト差別を負の遺産として引き継かざるを得ないのが実情なのか・・・。



 日頃、デリーで生活していると、カースト差別、宗教差別、貧困などを目の当たりにすることは殆ど無い。
 インド全人口の1%に過ぎないこの都市にいて、インドを理解している気になる錯覚・・・地域格差が大きな国においては気をつけなければならないと、実感した。

 
by bharat | 2006-11-23 10:30 | ふと思うこと
第78回旅行は、避暑地ロナウラと周辺石窟群
e0074199_16104660.jpg インド西部のマハラシュトラ州。
 ムンバイから、プネーへ続く高速道路を車で流すと、ロナウラ(Lonavala)なる地名が出てくる。


避暑地として
e0074199_547231.jpg 人口数万人に過ぎないここロナウラは、ムンバイの避暑地として知られている。
 標高約700mは、年中程良い気温を与え、ムンバイ-プネーハイウェイ沿いには、リゾート施設が並ぶ。
 写真は、MTDCカルラリゾート。
e0074199_558739.jpg ここロナウラの名物は、チッキ(Chikki)という砂糖でナッツ等を固めた御菓子。
 そこら中に、土産屋がある。


カルラ石窟寺院
e0074199_6112942.jpg ロナウラから数km離れたところに、石窟寺院(群)が数箇所残っている。
 その1つがこのカルラ(Karla)石窟寺院だ。
e0074199_6134047.jpg ムンバイ-プネーハイウェイをムンバイからプネーに進んで、このゲートを左折。
 途中の駐車場に車を停めて、急な石段をひたすら登る。


 と、眼前に巨大な岩肌に人工的にくり貫いた構造物が出現する。
 向かって右側には、保存状態の良い寺院跡がある。
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e0074199_6454079.jpge0074199_6465686.jpg 入口の左右には、象とブッダの彫刻が彫られている。
 ブッダ本人が彫られているので、大乗仏教期に出来た寺院だと分かる。
 紀元前80年に造られたものとのこと。
 正面の彫刻の上部には、木製の馬蹄状の窓が残っている。
 灯り取りのために施されたもので、アジャンタ石窟寺院群にも類似したものがある。
e0074199_4573347.jpg 中は、奥行40m、高さ14m。
 最奥には、巨大なストゥーパ(仏塔)がある。
e0074199_4543874.jpg 周りの石柱を良く見ると、ストゥーパと並んでアショカ石柱(Ashok Pillar)が彫られている。
 アショカ石柱は、マウリヤ朝のアショカ国王が国章のライオンとともに法勅を刻んだもので、当時勢力下の地域に建てられた。
 だが、アショカ王は紀元前232年に没しており、この寺院の建設時期とはズレている・・・はて・・・?



バージャ石窟寺院群
e0074199_64918.jpg ムンバイ-プネーハイウェイをムンバイからプネーに進んで、今度は右折。
 中々開かない踏切を越え、小高い丘を登ると、バージャ(Bhaja)石窟寺院群にたどり着く。

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e0074199_6112515.jpg 中央に位置するこの寺院が第12窟と言われているが、周囲を見渡しても第1窟~第11窟がどれなのか分からない。
 構造は、先述のカルラ石窟寺院と似ているが、こちらの方が古く、紀元前2~3世紀に出来たものだという。
e0074199_6205377.jpg 大きな第12窟の他には、こんな場所が。
e0074199_6231114.jpg 無数のストゥーパが所狭しと置かれている。
 ・・・ここに仮置きした後、石窟に安置するためのものだっただろうか?
e0074199_6252531.jpg 見逃してしまいそうなくらい奥には、壁面に彫刻が施された石窟がある。
 このような彫刻が残っているのは、バージャではこの石窟だけ。

e0074199_6311927.jpg また、この石窟のある丘の更に向こうには、ヴィサプール城(Visapur Fort)とローハガード城(Lohagad Fort)が向かい合う丘に築かれている。
 かつて、ヒンドゥー教勢力とイスラム教勢力が対峙し激戦を繰り広げた歴史があると、地元民が言っていたが、いつの時代のことなのかは不明。


オススメ度(100%個人主観)

   ★★☆☆☆ ・・・ アジャンタ石窟寺院群に行く時間が無いヒトは良いかも

観光所要時間

   3~4時間
by bharat | 2006-11-18 10:30 | インドぶらり旅
ブラピ&アンジー ムンバイに現る
 皆さん、現在インドにアンジェリーナ・ジョリーとブラッド・ピットがインドに滞在しているのを御存知だろうか?

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 現在、2人(+アンジーの養子2人)は『A Mighty Heart』の撮影のため、ムンバイを訪れており、11月12日には空き時間を利用して、家族でムンバイ散策をした。

 余談だが、『A Mighty Heart』は、イスラム抗争を追っていたWall Street Journal紙のダニエル・パール記者の人生(2002年パキスタンで死亡)を描いた映画で、アンジーはパール夫人マリアンを演じ、ブラピは映画のプロデューサーを務める。
 映画の舞台となるカラチ(パキスタン)に似ているということで、ムンバイに近いプネーがロケ地に選ばれた。


 新聞には、瞬く間に人だかりが出来たとあるが、インド人たちが2人にキャーキャー言っていたというのは俄かには信じ難い。
 デリーの映画館では、ヒンディー映画上映館が満員御礼でも、ハリウッド映画上映館は閑古鳥というのが、珍しくない。
 加えて、芸能誌もヒンディー映画俳優の記事がメインで、ハリウッド俳優のゴシップネタはあまり取上げられていない。

 まぁ、少なくとも日本ほど大騒ぎになっていないことは、確かだろうな。


 ・・・以上、たわいも無い話でした。
by bharat | 2006-11-13 10:30 | ふと思うこと
第74回旅行は、ラーマ神ゆかりの地ラームテーク
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 ナグプールから北に40km、小高い丘にヒッソリと残る寺院群がある。
 ラームテーク(Ramtek)だ。


ヒンドゥー神話ゆかりの地
 人口2万人、標高345mのこの小さな村は、ヒンドゥー教徒にとっては、意味のある場所だ。
 神話『ラーマーヤナ』で、ラーマ王子が聖仙アガスティヤ(関連記事こちら)を訪れるくだりで、ラーマは伴侶シータとともにこの丘で一時期を過ごしたとされている。
 ラーマの丘を意味するRamgiriが、のちに現在の地名Ramtekとなった。

古寺院&絶景
e0074199_694763.jpge0074199_69588.jpg 大小27もあると言われるこの丘のヒンドゥー寺院は、14~15世紀に建てられたもの。
 丘を登ってまず目にする木製の城門も、ボロボロになっていた。

ラクシャマン・スワミ寺院
e0074199_613530.jpg 複数の御堂が内部で繋がっている建築様式。
 砲弾状の尖塔シカラを最奥部に持つこの複合建築は、中世のヒンドゥー建築に特徴的で、特に東~中央インドに数多く残っている。中でもプリーのジャガンナート寺院が代表格だ。

プラバラームチャンドラ・スワミ寺院
e0074199_617596.jpg これも、ラクシュマン・スワミ寺院と同様の建築様式。
 奥には、展望台の様な空間があり、下の景色を一望できる(本記事一番最初の画像がそれ)。
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 また、城門方向を見ると、全ての寺院を視界に入れることが出来、迫力がある。

ヴァラハ
e0074199_6244690.jpg ラーマ神がヴィシュヌ神第1化身なら、こちらのイノシシは第5化身。
 化身兄弟ということで、祀られているようだ。


アンバラ湖(Ambala Tank)
 丘のふもとの降りると見えてくる、人造湖。
 湖畔に小振りなヒンドゥー寺院が複数立ち並ぶ、とても雰囲気の良い集落だ。
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e0074199_6311990.jpg 一部水没している寺院もあったが、乾季には水がひいて使用可能な状態になるのだろう。
e0074199_631439.jpg 面白いことに、ここの寺院は、殆どがシヴァ神を祀っている。
 写真は、シヴァ神の乗物ナンディ像。

e0074199_6325126.jpg 当日は、ヒンドゥー教の祭日だったので、集落は実にノンビリした感じ。
 リクシャーを洗う人や・・・
e0074199_634128.jpg 車を洗う人たちが結構いた。



オススメ度(100%個人主観)

   ★★★☆☆ ・・・ 情緒溢れる集落の雰囲気は、期待以上

観光所要時間

   1時間30分
by bharat | 2006-10-03 10:30 | インドぶらり旅