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第73回旅行は、新仏教の総本山ナグプール
 デリーから、空路で真南に約1時間半。
 「インドのヘソ」のナグプール(Nagpur、ナーグプルとも)に到着。

ネオ・ブッディズム発祥の地
e0074199_5413362.jpg 空港に降立つと、見えてくる空港名「Dr. Ambedkar International Airport」。
 不可触選民の出でありながら、インド初代法相となり、インド憲法にカースト制度廃止を明記させた不屈の政治家アンベードカルの名を採っている(彼の功績についてはラクナウ旅行記で詳しく書いたので御参照)。
 空港内の内装も、彼の絵や彼が推進した仏教のモチーフが描かれており、インドの他の空港とは一風違った雰囲気を醸し出している。


e0074199_615725.jpg ナグプールは、英国植民地時代の中央州の州都が置かれていた場所。
 今でも、当時の柱が市街地にポツンと立っている。

だが、この都市が今特別なポジションにあるのは、1956年以降だ。
 上述のアンベードカルが、カースト制による身分差別からの解放を目指して、1956年、同志30万人とともにこの地で集団改宗を行ったのだ。
 因みに彼は、その直後、同年12月6日に没した。

 その後、仏教に対する彼独自の解釈は、インドにおける新仏教思想(ネオ・ブッディズム)と位置付けられ、時に昔ながらの仏教から非難を浴びる局面もあったが、現在、インドにおける仏教の復活はアンベートカルによる功績が非常に大きい。

 また、彼の死後、インド仏教の先頭に立っている指導者が、日本人僧であることはあまり知られていない。
 佐々井秀嶺というその僧は、日本仏教団体の仕事でインドに来たのが縁で、以来、低カースト者の救済を目的としてインドで活動を展開。
 インド政府もその活動を高く評価し、1988年には、極めて異例とも言える、時の首相ラジーブ・ガンジーからインド国籍とインド名アーリヤ・ナーガルジュナを与えられた。

e0074199_6383312.jpg ナグプールは、そんなインド仏教の本拠地なのである。
 街中の車・オートリクシャー・自転車などは、みな仏教旗をつけて、仏教一色といった雰囲気だ。



そこかしこで仏教式典が・・・
 今年が、アンベードカル没後50周年、そして佛紀2550年(ブッダ生誕年を元年として、今年が2550年目)にあたるため、10月2日の祝日(ガンディー誕生日)を利用して、様々な仏教式典が開催されていた。
 以下は、そのいくつか。

ディークシャ・ブーミ(Deeksha Bhumi)
 ここは、アンベードカルが集団改宗を行った場所。
 巨大な仏塔(ストゥーパ)が目印の公園だ。

e0074199_6475423.jpg ここの式典がインド中で一番盛大だったと思われる。
 来場者は、一部報道では数百万人とも。
 とにかく、凄い人手・・・なかなか仏塔に近づけない。
e0074199_6495545.jpg 漸く敷地内に入ると、仏塔の脇には、アンベードカルとブッダの像が並んで鎮座している。
e0074199_6512497.jpg 仏塔の中に入ると、様々な写真が展示されており、中央部には仏像が。


龍宮寺(Dragon Palace Temple)
e0074199_5154821.jpg Dragon Palace Templeと聞いて余り要領を得ず、何となく立寄ったが、かなりの盛況。
 本堂の脇には大きな石柱に「妙海山 龍宮寺」・・・あ、それでこの英訳なのね。
e0074199_52344.jpg 本堂には、立派な仏像。


菩薩大寺(Mahavihara)
e0074199_512884.jpge0074199_51474.jpg 道端に、看板で漢字で「菩薩大寺」。
 表のシュールな出来栄えの仏陀立像には、真言宗智山派大本山が寄進したとの掲示が。

ナガロカ(Nagaloka)
e0074199_526095.jpg 敷地内に、公園・大学寮などが建つこの場所には、珍しいイスに座った仏陀坐像とその下にアンベードカルの写真が。


勿論ヒンドゥー寺院もある
 ナグプールに多くの仏教徒がいるとはいえ、やはりマジョリティはヒンドゥー教徒。
 ヒンドゥー寺院もたくさんある。
モティバーグ・スリスカンダ・サマジ(Motibagh Sri Skanda Samaj)
e0074199_5373411.jpge0074199_538660.jpg 白とターコイスグリーンの2色の綺麗な配色の寺院群。
 入口には、南インド特有の建築様式ゴープラム(塔門)、内部には小さな本堂が並び、3階建ての大きな礼拝堂がある。

ラームダーム(Ram Dham)
 ラーム神の名前が付いているが、ヒンドゥー神ほぼ総出演のテーマパーク。

e0074199_6241157.jpg ラーム神の冒険譚「ラーマヤナ」を内壁画や人形で表したトンネル。
e0074199_6244453.jpg 出来栄えは、かなりシュール・・・。


e0074199_6292430.jpg これは、シヴァ神の棲むカイラーサ山を象ったもので、中に入れる。
e0074199_6304434.jpg 中には、インド各地の寺院のシヴァ寺院のリンガ(男根)の模型が展示されている。


e0074199_6335549.jpg これは、ちょっと珍しい像。
 普通のガネーシュ像に見えるが、裏を見ると・・・
e0074199_634458.jpg ヤクシャが彫られている。
 ヤクシャは、インド神話に登場する豊穣を司る大地母神で、元々は山の精霊という位置付けだった。
 日本では、夜叉の名で登場する。



 ・・・冒頭にも記したが、2006年が、アンベードカル没後50周年&佛紀2550年にあたる年ということで、インド仏教の盛上がりを体感することが出来た。
 唯一、日本人仏教指導者の佐々井上人を見ることが出来なかったのが残念だったな。


オススメ度(100%個人主観)

   ★★★★☆ ・・・ インドの新仏教を体感

観光所要時間

   5時間 (祭りが無ければ2~3時間で周れる)
by bharat | 2006-10-02 10:30 | インドぶらり旅
インドのTシャツ 11

11. オートリクシャー

 ムンバイ沖に浮かぶ島、エレファンタ島(島の様子は後日旅行記で記す)の露店で見つけた一品。
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 オートリクシャーのスペックを、アメリカンジョーク満載、皮肉たっぷりで書いてある。
 絵のセンスや文言からして、恐らくインド製ではあるまいが、なかなか面白いことが書いてある。
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① 残念ながら風だけは避けられないフロントウィンドー
 実際のところは、結構風除けになる・・・が速度をあげてくると、巻き込みが激しくて、隣同士でも会話が困難になることがしばしば。

② とても礼儀正しく、130デシベルで話しかける運転手
 声の音量は気にならないが、基本的に態度悪い。
 たま~に、愛想の良い運チャンに出会うと、感動する♪

③ ガイジンを乗せたときだけ故障する料金メーター
 実は、地元インド人もボラレているらしい。我々日本人の方が、都度シビアに価格交渉しているのかも!?

④ メッチャ怖いが、平静を装うガイジン乗客
 観光に来るヒトは結構怖がっている。
 日々生活している身としては、とっくに慣れっこなのだが。

⑤ 乗客の頭上のみ雨漏りする防水仕様の屋根
 意外に雨漏りはしない・・・が、雨季のドシャ降りになると、横からバンバン飛沫が飛んでくる。

⑥ 電話番号が記載されている当てずっぽうなナンバープレート
 デリーのリクシャーのナンバーは、ちゃんとしてるっぽいが・・・真相は不明。

⑦ 防音仕様の排気管(叫ぶ乗客を黙らせる=防音)
 確かにウルサイ。なのに遅い。天然ガス仕様でこのうるささって一体全体・・・?

⑧ デカい道路の穴を避けられる、チッチャなタイヤ
 タイヤはチッチャく、サスもヘコヘコなので、ちょっとした段差も的確に拾う。
 ほんとちょっとの移動でもケツが痛くなる。

⑨ 下り坂で高出力を発揮するエンジン
 最近増えたデリーの高架。リクシャーには天敵である。上り坂は、止まりそうなくらい速度が落ちる・・・反面、下り坂は「チキチキマシン猛レース」ばりに車が空中分解するくらいスピードが出る。

⑩ 高電力ヘッドライト(キャンドルライトなみ)
 ガス節約のため、ヘッドライト、ウィンカー、テールライトの電源を切断しているケース多々あり。夜間、拾ったリクシャーがこの仕様だと、周りの車にはねられそうになり、大変危険。



 結構笑えますよね?特に実際にオートリクシャーに乗った経験のある方々。

 因みに、Tシャツの値段は295ルピー(約770円)と結構高め。
 生地はなかなか良く、伸びないし、色落ちしない・・・今のところ。
by bharat | 2006-08-30 10:30 | インドのTシャツ
第70回旅行は、ムンバイ沖に浮かぶ島 エレファンタ
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ムンバイ(ボンベイ)
の半島の東約10km、海上に浮かぶ小さな島がエレファンタ。8平方kmのこの小さな島には、1,600人が暮らしている。


時間が勿体無いぞ・・・
e0074199_616276.jpg 島なので、アクセスは当然船。
 ムンバイのインド門の船着場から、定期船が出ている。
 時間は1時間おきで、朝イチの船は9時。

 ・・・の予定だが、30分以上遅れて漸く出発。
 島には、狭い湾内の波に揺られながら、1時間。



ヒンドゥー石窟寺院
e0074199_410181.jpge0074199_4104114.jpg 島に降りると、長い桟橋状の足場をひたすら歩く。
 4ルピー(約10円)で、トロッコ列車に乗れるが、歩くのと殆ど同じ速度。

e0074199_4202124.jpg 露店が並ぶ石段を100~150段くらい登っていく。
 チケット売場で例によって不公平なガイジン料金250ルピー(約650円)を払う・・・因みにインド人なら10ルピー(約26円)だ。

 いきなり見えてくるのが、第1寺院。
e0074199_4272599.jpg シヴァ神を祀るこの寺院には、壁の至るところにシヴァの巨大な彫刻が。
 その作風は、アジャンタエローラの石窟にクリソツ。
 ・・・保存程度でいくと、エレファンタ島の方が悪い。
 本堂奥には、3つの顔を持つシヴァ「マヘーシュ・ムルティ(Mahesh Murti)」。
e0074199_4372141.jpg 寺院中央には、リンガが祀られている。


e0074199_4403058.jpg 第1寺院の脇にも、小さな寺院があるが、別にたいした事は無い。


近代兵器がなぜここに・・・?
e0074199_4434622.jpg 第1寺院付近にある喫茶店では、犬と猿が休憩中。
e0074199_51666.jpgその喫茶店の脇の石段を進むと・・・「Canon Hill」?
e0074199_4483851.jpg ここから結構歩くが、丘をどんどん進んでいくと、こんなものが。
 随分と近代的に見えるが、最近のものなのか?



 ・・・以上、アッという間に見終えてしまった・・・。
 でも、帰り便が12時発なので、待ちぼうけ。
 おまけに、潮の流れで2時間も海上をフラフラしてた。


オススメ度(100%個人主観)

   ★☆☆☆☆ ・・・ これで世界遺産?という物足りなさ

観光所要時間

   5時間 (船の時間の関係で仕方ない)
by bharat | 2006-08-20 10:30 | インドぶらり旅
第69回旅行は、インド最大の都市ムンバイ
e0074199_6164829.jpg 今まで、実はビジネス目的以外で行ったことが無かったムンバイ。
 今回、半日かけてじっくり周ってきた。


ムンバイの歴史
e0074199_543469.jpge0074199_551731.jpg ムンバイは、元々今の様な地形ではなかった。
 16世紀までは、7つの小さな島で構成される漁村の集落群だった(左の地図の通り)。
 1534年に、この一帯はグジャラートのスルタン(奴隷王朝)から当時積極的な植民政策を採っていた欧州列強の1つポルトガルの手に渡る。ポルトガルは、当時一大貿易港になっていたゴアの補助港として、このムンバイを活用しようとした。ただまだこの頃は、小さな要塞や教会を建てた程度だったという。
 尚、ムンバイ(ボンベイ)の地名の由来は、漁民の信仰していた女神ムンバに由来するとも、ポルトガル語の「良き湾」に由来するとも言われている。
 その後、1661年、ポルトガル王の妹カテリーナとイギリス国王チャールズⅡ世の婚儀に際し、ムンバイは持参材として英国に割譲された。
 1668年には、英国政府から東インド会社に貸与された。東インド会社管轄下のこの時代に、ムンバイは大きく都市機能を発展させる。17世紀の宗教政策等により、ゾロアスター(拝火)教
教徒やグジャラート商人が流入、商館や病院、工場なども増えていった。
 19世紀に入ると、7つの離れた島を繋いで1つの大きな半島にするという大規模な埋立工事が実施された(右の地図のようになった)。こののち、ムンバイは湿地や入り江の多いグジャラート地方の産物の積出港、内陸部デカン高原からの産物の積出港として多いに発展していく。
 現在、人口は1,500万とも1,600万とも言われ、デリーを差置いてインドの最大都市である。



欧州建築の数々

 ムンバイには、ポルトガル・英国の中世建築様式を踏襲した立派な建物がたくさん残っている。

ヴィクトリア・ターミナス(Victoria Terminus)駅
e0074199_0471640.jpg 現在は、インド名チャトラパティ・シヴァジー・ターミナス(Chhatrapati Shivaji Terminus)の名で呼ばれる駅舎。
 現在も、ちゃんと駅舎として使われている。
e0074199_134598.jpg ヴィクトリア・ゴシック建築様式のこの建物は、1888年、建築家フレドリック・ウィリアム・スティーブンス(1848~1900)によってデザインされ、学生や職人たちの協力を得て完成した。
 レンガの重厚な外観、内部には木製の柱、至るところに見られる細かなステンドガラスは、とても上品な雰囲気。
 建物だけじっと見てると、英国にいるような雰囲気になる。
e0074199_116545.jpg 現在、毎日1,000本の列車と200万人の乗客が出入りするこの駅舎は、2004年、ユネスコ世界遺産に指定された。

行政庁舎
e0074199_1455325.jpg 駅舎と同様、フレドリック・ウィリアム・スティーブンスにより1893年に建立。縦に長い構造で、全高約80m。

プリンス・オブ・ウェールズ(Prince of Wales)博物館
e0074199_1351447.jpg スコットランド人建築家ジョージ・ウィテットによって1905年~1937年という歳月をかけて完成した。
 今回は、時間が無かったので外見のみ。中は、3世紀~19世紀の彫刻など、バラエティに富んだ展示物があるという。

インド門(Gateway of India)
e0074199_1514679.jpg プリンス・オブ・ウェールズ博物館同様、ジョージ・ウィテットの手によって1924年に建てられた。
 1911年の英国王ジョージⅤ世とメアリー王妃のインド訪問を記念して作られたのだが、訪問時には完成が間に合わなかった。
 英国の威信を示したこの門は、奇しくもインド独立の際の英国軍の撤退路となる。
 尚、この門の脇から、エレファンタ島への定期船が出ている。

タージ・マハル・ホテル(Taj Mahal Hotel)
e0074199_2101392.jpge0074199_2102938.jpg 1903年に建てられた。
 現在、インド最大の財閥タタの創始者であるゾロアスター教の事業家ジャムシェドジー・タタ(Jamshedji Tata)は、「白人しか入れない」としてワトソンズホテル(今はもう無い)で門前払いを食ったことに怒り悔しがり、英国人の経営するホテルを遥かに凌ぐ巨大ホテルを建設した。
 現在は、隣に背の高い新館もあるが、本館は今も現役。
 四隅の塔がインド建築(ハイデラバード(Hyderabad)のチャルミナールみたい)なのに、真ん中のドームはツルツルぢゃない(欧州建築?)。欧州建築を模倣しながらも、インド建築の主張も入っている、興味深いデザインだ。


由緒正しき会員制の施設
 ここムンバイには、英国統治時代の歴史ある施設が、今も使用されている。
 その殆どは、伝統を重んじ、会員制を採っている。

e0074199_2361795.jpg ロイヤル・ボンベイ・ヨットクラブ(RBYC)は、1846年に出来た団体で、創立実に160年。
 会員制を敷いており、会員とそのお客さんしか入れない。
e0074199_2395947.jpg 当時、こんな感じだった建物は、
e0074199_2464562.jpg 今も、ちゃんとメンテナンスされ、とても落着いた良い雰囲気。
e0074199_2481752.jpg 英国風に、ムードのあるパブも。
e0074199_250244.jpg また、建物の上層階は、ゲストハウスになっていて、会員・ゲストは予約さえすれば、長期/短期問わず宿泊出来る。


 ・・・うぅむ、やはり、名家や金持ちは特権を持っているんだなぁ・・・羨ましい限り。


オススメ度(100%個人主観)

   ★★★☆☆  ・・・ 特権を持った御友達と来るべし


観光所要時間

   1~2時間
by bharat | 2006-08-19 10:30 | インドぶらり旅
第13回旅行は、異なる宗教が共存するエローラ石窟群
 アジャンタ(Ajanta)石窟群を見た翌日、エローラ(Ellora)石窟群を見に行った。
 アジャンタとさして変わらぬのであろうと思っていたが、さにあらず。
 個人的には、エローラのほうが気に入ったのであった。

仏教、ヒンドゥー教、ジャイナ教の合作

 アウランガバード(Aurangabad)から北西に約25km、巨大な駐車場の向う側にエローラ石窟群が見えてくる。
 ここは、アジャンタの地形とは違い、平地と丘陵との境目に石窟を彫っているので、とても見学路が広い。
 チケット売場があるところが、丁度南北に続く石窟群の真ん中にあたり、巨大なカイラーサナータ(Kailasanatha)寺院を目の当たりにすることが出来る。
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 エローラには、全部で34の石窟があるのだが、まず驚くのが3つの宗教の寺院で構成されている点だ。第1窟~第12窟は仏教、第13~第29窟はヒンドゥー教、第30~第34窟がジャイナ教の寺院になっており、よくまぁ仲良く建てたものだと感心してしまう。
 仏教寺院は紀元後600~800年に、ヒンドゥー教寺院は紀元後600~900年に、ジャイナ教寺院は紀元後800~1000年に建てられたとされており、カラチュリ朝、チャールキヤ朝、ラーシュトラクータ朝とエローラ地域を統べる王朝が各宗教寺院の建設を推し進めた。特に、ラーシュトラクータ朝は、一時的にここエローラに都を構えており、エローラの地名も当時の名エーラプラが訛ったものだ。同王朝のクリシュナ1世のときに寺院建設は最盛期を迎え、前述の巨大寺院カーラーサナータが彫られた。


鬱陶しい土産物屋を一蹴!

 駐車場にマイクロバスが着くと、みるみるうちに人だかりが・・・
e0074199_0265720.jpg 周囲を土産物屋に包囲されてしまった。
 が、我々を引率する先生が、

   「この人たちは、私の大事な
    御客さんたちなのよぉおお!
    インド人の恥を晒さないで
    ちょおおおだいいいい!!!」

と絶叫したので、みんな逃げるようにどこかに行ってしまった・・・。


第16窟 カイラーサナータ寺院

e0074199_0401960.jpge0074199_039377.jpg 石窟群中、最大の寺院。紀元後8世紀頃に彫られたヒンドゥー寺院だが、あたかも地上に建設したように見える。幅45m、奥行85m、高さ30mのこの寺院は、巨大な岩石を掘って出来たものだ。なんでも、シヴァ神の住む山カイラーサを再現するために、この手法を採ったとのことで、人力で彫ったとは思えない膨大な作業の賜物だ。彫った岩の量は20万tにもなると推測されている。

e0074199_052828.jpge0074199_0514555.jpg 入口入って正面に大きな像、次いで左に進むと、柱の奥に3人の女神像の彫刻が見える。ガンジス、ヤムナー、サラスヴァティの3つの聖なる川を擬人化したものらしい。

 地面には、水路が。文明レベルの高さを物語る。e0074199_131521.jpg







 中央の建物部分に進めべく、周囲の回廊を回っていくと、外側の壁面に聖典「ラーマーヤナ」や「マハーバーラタ」に登場するシーンを再現した彫刻が続く。e0074199_0555423.jpg







e0074199_10519.jpge0074199_0582098.jpg 中央部の建物上部はこのような造り。壁面には、シヴァ神の頭から水が垂れてガンジス川が出来たと言う寓話が彫られている。

 本堂のような場所には、例によってリンガ(男根)が。e0074199_1153.jpg







 後付けで作られたと言う離れのような場所には、女神中心の礼拝所のようなものが。e0074199_155791.jpg
 







第10窟 ヴィシュワカルマ

 Viswakarmaは、建築の守護神の意味。e0074199_128034.jpge0074199_1273845.jpg
 仏教寺院の塔院(チャイティヤ)タイプで、天井にはアーチ上の骨組みを見ることが出来る。
 最奥部には、ブッダの坐像を彫った仏塔(ストゥーパ)があり、この脇から御経を唱えると建物内部全体に反響する構造になっている。



第32窟

e0074199_1353413.jpge0074199_135178.jpg 2階建てのジャイナ教寺院で、外部の彫刻は綺麗に残っており、また内部の彫刻・壁画も保存状態が良い。彫刻は大変細微。内部人物彫刻は、ジャイナ教らしく皆裸像だ(ジャイナ教では何も身にまとわないことが戒律としてある)。


第29窟

e0074199_1363062.jpge0074199_136635.jpg シヴァ神の彫刻が最もダイナミックかつ自由奔放とされるヒンドゥー寺院。
 片方の壁に悪魔退治をする鬼の形相のシヴァ神がいるかと思えば、反対側には奥さんのパールヴァティ(彼女もまた神だが)と乳繰り合っている壁画もある・・・(本当は、地震に怯えるパールヴァティを諭しているらしいのだが)。



世界遺産は、現地の人の憩いの場所

e0074199_14433.jpge0074199_1444218.jpg 周囲が平原で緑も多く、エローラは現地の人にとっては憩いの場になっているようだった。
 我々が持参した弁当を食べた場所も、ちょっとした木陰で、周りには現地の人と思われる家族が数組いた。
 ごく自然に周りの環境とマッチしていて、かと言ってゴミでちらかっている訳でも無く、とても居て気持ちの良い場所だった。


オススメ度(100%個人主観)

    ★★★★☆
by bharat | 2005-09-30 21:57 | インドぶらり旅
第12回旅行は、仏教寺院が並ぶアジャンタ石窟群
 アウランガバード(Aurangabad)から車で移動すること1~2時間、アジャンタ(Ajanta)に到着。

様々な環境がアジャンタを生んだ

 川がUの字状に曲がった場所の崖に整然と並ぶ、29の石窟。e0074199_9553411.jpg 紀元前2世紀頃から紀元後600頃にかけて彫られたこの世界遺産に指定された仏教石窟は、いろいろな要素が絡んで生まれた。
 まず、この辺りの地域が玄武岩で出来ており、彫るに易く、風化しにくかったこと。
 次に、時の王が仏教の保護に非常に力を入れており、仏教建設物の建築に寛容だったこと。
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 また、強力なパトロンもいた。当時、ローマなどとの貿易が活発化しており、これらに携わる商人たちの多くは仏教(小乗仏教)を信仰していた。彼らは、自らの支出で石窟を掘らせ、その石窟を寄進したという。

 最後に、19世紀になるまで、人目に晒されなかったこと。ここは、森に囲まれていて、周囲に大きな都市も無いので、1819年に狩猟に出たイギリス人が偶然発見するまで、全くその存在を確認されていなかったそうだ。
e0074199_10163218.jpg
 我々も、そのイギリス人が石窟を発見した場所(Viewpoint)から川に向かって下っていき、周りの景色を楽しみながら、石窟にアプローチしていった(徒歩約1.5時間)。


ブッダ ブッダ ブッダ ・・・

e0074199_103837.jpg 東端から順に1、2、3と石窟に番号が付されており(一部順番通りぢゃないものもあるが)、第1窟の東側に昔の切符売場がある。現在の売場は、そこから崖を数百m下った場所に移されている。

 全部で29窟あるのだが、見所のある石窟をダイジェストで紹介する。



第1窟

 紀元後500年頃の建設と言われる。e0074199_10574949.jpge0074199_10572577.jpg 全ての石窟は、僧院(ヴィハーラ)と塔院(チャイティヤ)とに大別され、前者は僧や礼拝者の休息所などに使用され、後者は礼拝所・儀式用の会場として機能したと言われている。
 この第1窟は僧院で、中央のリビングルームのような空間を周囲の寝室が囲む設計。最奥部にはブッダ坐像が安置されている。


第2窟

e0074199_1152996.jpge0074199_1155015.jpg 第1窟と同時期のもの。
 僧院タイプ。ブッダ誕生に関する話が壁面に描かれている。





第4窟

e0074199_1114067.jpge0074199_11143047.jpg 僧院タイプで、石窟群最大の大きさ。最奥部のブッダ像のある祀堂入口の左右には、立像が彫られている。天井を見ると、溶岩の流れをそのまま映した玄武岩を見ることが出来、この石窟が未完成だったことが伺える。


第9窟

e0074199_18561478.jpge0074199_18563546.jpg 塔院(チャイティヤ)タイプで、屋内際奥部には仏塔(ストゥーパ)が設置されており、礼拝堂として機能していたとのこと。壁面・柱面には僧の絵が描かれている。


第10窟

e0074199_1914345.jpge0074199_192027.jpg 石窟群の中で、最も古いものとされ、紀元前2世紀に作られた塔院。第9窟と同様、最奥部に仏塔があるが、第10窟のものの方が大きい。紀元前はまだ大乗仏教が興る前で、この石窟は小乗仏教期に建てられた為、ブッダの姿は直接描かれていない(小乗仏教では、偶像崇拝等が禁止され、その為ブッダを像や絵にして崇めることは無かった)。菩提樹や法輪の姿をブッダと見做して崇拝していたようだ。


第16窟

 僧院タイプ。
 うまく写真に収められなかったのだが、第17窟と並んで最も壁画が見事な石窟と言われる。
 ここで描かれているのは1人の女王で、絵画は「末期の女王」や「死せる王女」などと言われている。ブッダの異母弟ナンダが出家を決意した際、それを聞いたナンダの妻が卒倒するシーンを描写している。


第17窟

e0074199_19141595.jpge0074199_19143236.jpg この石窟の壁画の保存状態が石窟群中最も良いと言われ、顔料に色などもはっきり識別箇所が数多くあった。
 また、ブッダの行動を描いた壁画も綺麗に確認することが出来(上の画像)、シンハラという名の王子の冒険を描いた壁画では、王子の首飾りが今でも金色に光っている(下の画像)。


第19窟

e0074199_19194950.jpge0074199_1920642.jpg 塔院タイプだが、第9~10窟と明らかに異なるのは、ブッダ像がふんだんに登場することだ。これにより、これが大乗仏教期に建てられたものだと分かる。建物入口のブッダの彫刻も綺麗。また最奥部の仏塔への採光のため、建物入口に馬蹄形の窓が施されているのも特徴の一つ。


第26窟

e0074199_19265665.jpge0074199_19271319.jpg
 塔院タイプ。ここでは、入滅する(要は死ぬこと)ブッダ涅槃(ねはん)像が左側に彫られている。横たわるブッダの下には、第1弟子アーナンダー(手塚治虫『ブッダ』にも出てくるね)はじめ多くの弟子が悲しんでいる様子が彫られている。e0074199_19302972.jpg
e0074199_19304585.jpg最奥部には仏塔が設置されている。








 ・・・以上が、アジャンタ石窟群のダイジェスト。
 非常に充実していたが、全て仏教石窟なので、少々「ブッダ疲れ」した・・・。




オススメ度(100%個人主観)

    ★★★☆☆
by bharat | 2005-09-30 00:58 | インドぶらり旅
第11回旅行は、マハラシュトラ州アウランガバード
 今回は、初めてマハラシュトラ州に行ってきた。

 マハラシュトラ州は、西端にある州都ムンバイ(Mumbai)が余りにも有名だが、内陸のデカン高原地帯にも見所のある場所が数多く存在する。
 ムガル皇帝の名がついたアウランガバード(Aurangabad)や、世界遺産に指定されているアジャンタ(Ajanta)エローラ(Ellora)など、数日無いと回りきれないくらい盛り沢山だ。

 カルチャースクールの先生引率の元、少人数ツアーに参加、2泊3日で上記3箇所を周遊してきた。第9回~11回に分けて記すことにする。


世界遺産への移動拠点 アウランガバード
e0074199_327398.jpg マハラシュトラ州都ムンバイから北東に400km弱にあるアウランガバード。
 今回は、ムンバイ経由で、デリーから空路で入った(合計4~5時間くらい)。
 インディアン・エアラインズで行ったんだが、インド国内線の中でも特に評判が宜しくないらしく、あとからインド人の友達に「俺らでもあの会社の飛行機には乗らないよ。」と驚かれた。
 別に機体に然したる問題は無かったと思うが、機内に真っ白な蒸気が絶えず吹き込んできたのが気になったな・・・。
 アウランガバードは、ムガル第6代皇帝の名アウグランゼーブに由来しており、彼が皇帝になる前デカン太守としてここに赴任した際、この地を「アウラングの町」という意のアウランガバードと名付けた(1639年)。
e0074199_3281865.jpge0074199_3284467.jpg 現在でも、ムガル建築物が数多く残存しているほか、織物業でも大変有名な場所で、ヒムロー(Himroo)織り・パイタニー(Paithani)織りという2つの手法で織られる生地・衣類が特産物となっている。
 また、アウランガバードを観光することの無い人たちも、この地を数多く訪れる。それは、この地が世界遺産であるアジャンタ(第7回その2参照)とエローラ(第7回その3参照)へのアクセスにちょうど良く、ホテルも充実していて、移動手段も空路・バス・鉄道と3拍子揃っているからだ。
 我々が宿泊したホテルからも、アジャンタ/エローラ観光案内情報の掲示や、同地域に関する出版物販売がなされていた。



グリシュニスワル寺院(Ghrishneswar Mandir)
 エローラ石窟群に程近い場所にある寺院。
e0074199_3351528.jpge0074199_3354317.jpg ムガル期に建てられたヒンドゥー寺院で、保存状態が大変良く、現在も地元参拝者が数多く訪れ、本堂にあるリンガ(男根)への御参りをしている。
 ヒンドゥー教徒でなくても本堂に入ることは許されるが、男性は上半身半裸にならなければならない。
 本堂では、リンガに御供えをする女性参拝者がいたり、リンガの根元の台座(これはなんと女性生殖器らしいが)に頭をこすり付ける男性参拝者がいたりと、ちょっと異様な雰囲気だった。

 ヒンドゥー文化の禁欲的な側面と、この男根崇拝がどうも直接リンクしないのは僕だけだろうか・・・後日、きちんと納得いくまで調べるとしよう。

リンガ(画像は小さな置物)
e0074199_3353587.jpg



ダウラタバード(Daulatabad)
e0074199_336563.jpg こちらもエローラ石窟群付近にある。
 1338年に建てられたこの城塞都市は、見るからに異様である。
 頂点の高さ200mの場所に要塞を建設し、これを取り巻くように城壁を形成、市街機能を整備する・・・つもりだった。
 というのも、トゥグルク朝のムハンマド・トゥグルクがこの場所への遷都を計画し、当時の都デリーからの移住を強行した。その道中、大量の落伍者が発生、遷都を中止せざるを得なかったのだそうだ。
e0074199_3362491.jpg しかし、この絵、どこかで見たような・・・あ゛、『天空の城ラピュタ』だ。
 そぉいえば、インド生活の長い親友が、「『ラピュタ』にはインドのサンスクリット文字で発音される登場人物が数多く登場しているから、宮崎駿は絶対インドをモデルにしている」と言っていたのを思い出した。



アウグラングゼーブの墓
e0074199_12465199.jpg アウランガバード市街地から車で約30分、小さな集落の中にひっそりとムガル建築の寺院が建っている。こんなところにムガル第6代皇帝の墓があるなんて、誰も思わないだろう。
e0074199_12471760.jpg 親父の第5代皇帝シャー・ジャハーンが、公費の限りを使ってタージ・マハルなどを建設したのに比べ、子のアウグランンブゼーブは質素で敬虔な宗教家であったらしい(反面、他の宗教への弾圧も相当行った)。自分が死ぬ際、自分の墓に公費を使うべきではないとして、皇帝の私費だけで墓を建てる様家臣に命じた。因みに、彼の私費は、自分が写経した経典を販売して得たお金(今で言う印税・著作権益みたいなもんか?)だけで、本当に僅かな金額だったんだそうだ。
 シャー・ジャハーンが、城の敷地内に黄金茶室を作った豊臣秀吉なら、アウグランゼーブは差詰め必要最低限の装備しか持たない駿府城に篭った徳川家康って感じかな?



ブラック・タージマハル
e0074199_22225827.jpg 正式名称は、ビービー・カ・マクバラー廟(Bibi-ka-Maqbara)。 黒くないのだが、本家タージ・マハルが純白の大理石で出来ているのに対して、この廟が青白い石で出来ている為、また、本家より作りが雑な為、こんな呼び方をされている。
e0074199_22402370.jpge0074199_2239575.jpg 17世紀に、アウグランゼーブが亡妃の為に作ったもので、とても小ぶりな印象を受ける。壁面の装飾も、本家が宝石を埋め込んでいるのに対して、この廟はただのプリンティング。かろうじて、正面門の装飾が細かいのが救いか・・・。



大きな池のある寺院 パンチャッキ
e0074199_2255744.jpg パンチャッキ(Panchakki)・・・変な名前だが、水車という意味らしい。大きな池をたたえたイスラム教系施設で、水力で食物を挽く設備で食べ物を作り、巡礼者に与えていたという。併設された公園でくつろぐ人や、池の魚にエサをやる人など、ノンビリした雰囲気だった。



牛のコスプレ
e0074199_22495837.jpg 市内外の家畜が、とてもカラフルなのもこの地の特徴だ。
 所有主が家畜を大事にしている表現方法らしいのだが、牛の角は様々な色に塗られており、頭に装飾された布をかぶったものもいた。



オススメ度(100%個人主観)

    ★★★☆☆


by bharat | 2005-09-29 16:15 | インドぶらり旅