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第76回旅行は、藩王の旧都アルワール
e0074199_18571762.jpg デリーから、南南西に車で約4時間。
 藩王の王都として栄えたアルワール(Alwar)に到着する。

 アルワール王国は、1771年、から出たラージプートのタクール・プラタプ・シン(Thakur Pratap Singh)が建てた。同名の都をここアルワールに置き、18世紀のインドの軍事戦略上、非常に重要なポジションを担った。
 当時、インド内で、強大な勢力を誇っていたマラタ(Maratha)王朝と戦っていた英国は、このアルワール藩王国を防波堤と位置付け、同盟関係を維持して、様々なサポートを行った。
 このアルワールが皮切りとなってラージャスターンの多くの藩王たちが英国と同盟を結んだが、これらの関係はのちに、英国の成すがままにしか出来ないという不満から崩れてしまう。

 タクール・プラタプ・シンの後、バクタワール・シン(Bakhtawar Singh、治世1791~1815年)、バナイ・シン(Banai Singh、1815~1857年)と良くこの地を治め名君と言われたが、最も有名なのは、ジャイ・シン(Jai Singh)だ。彼は、1902~1932年までこの地を治めたが、過激な性格で(英国とのポロ試合で負けて、馬に火を付けたというエピソードが残っている)、最終的には英国により失脚させられた。

 インド独立の際、この地域は最後まで藩王(Maharaja)らが統一国家形成に難色を示して揉めたが、最終的にラージャスターン州に組込まれ、現在の形になった。


 デリーとジャイプールを繋ぐ大動脈、国道8号線からは随分と南に逸れるが、デリーから155km、ジャイプールから約143kmとほぼ中間地点。
 東西・南北に舗装道路の交流点に位置し、大きな電車の駅もあり(宮殿列車の記事に付記したFairy Queen Trainはデリーとこのアルワールを結ぶ蒸気機関車である)、人口はなんと30万人。



 ・・・でも、その前に。
 忘れそうになったが、市街地に入る前にこんなものがあった。

ジャイ・ヴィラス宮殿(Jay Vilas Palace)
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タタルプールからアルワール市街に向かう途中、遭遇したのが、この建物。
 今は、公共施設の建物として使用されており、観光客が入れるようにはなっていない。
 大通りからは城壁しか見えず、裏の細い路地に回らなければ全貌が見えてこない・・・見逃している人も多いのではないか。
 雨季直後に来れば、手前の沼地も綺麗な水面と化していたのだろう・・・ベストな時期は8月前後かな。



市街部
e0074199_1630997.jpg アルワール市街の様子は、観光地といった様子は全く無く、中規模の商業拠点といった様相。
 道幅も広く、交差点の中央には、時計塔や銅像などが建っていた。
e0074199_16303616.jpg 街からはずれたところにある丘を目指す。
 この丘に、ラージプートの城砦が今も残っているという。


宮殿と周辺施設
 そもそも丘の上の城砦を見に来たのだが、思いがけず広大な宮殿施設が広がっていた。

シティ・パレス
e0074199_19264010.jpg 手間の門をくぐると、いきなり中庭に出てくる。
 この施設は、1793年、バクタワール・シン藩王が建てたもの。
e0074199_1959305.jpg 屋根の腐食や装飾のはがれが見受けられるものの、建物の殆どは残存しており、保存状態は全然悪くない。
 おまけに、公共施設(観光事務所・博物館)として現在も現役で活躍中。

夏の宮殿とバクタワール・シン廟
e0074199_20304943.jpg シティ・パレスの中庭を抜けて、丘の方角を向くと、人造湖(サーガル)を取囲む建物が見えてくる。
 水色と黄色の鮮やかなコントラストが際立つ建物は、宮殿。
 過酷な夏をしのぐ夏の宮殿といったところか。
e0074199_20333515.jpg 向かって宮殿の左側には、丸いドームを持った建物。
 これは、一体の建物を建てたバクタワール・シンの廟だ。



城砦への遠く険しい道

序盤戦
e0074199_2036160.jpg 丘の上にかすかに見える城壁を頼りに、山登り開始。
 道は、一応石畳になっているので、迷子になる心配は無さそうだ。
e0074199_20372917.jpg 歩いてすぐ、道端のあばら家の前に佇むジイサン発見。
 「まだ上までは結構あるぞ。水でも飲んでいかんか?」と壷の水を薦めてくれたが、丁重に御断りした・・・こんなところで急性の下痢になったら、絶対野グ○だもんな。

城門その1
e0074199_20413363.jpg 20分ほど歩くと、城門が。
 日本の城郭と同様、こちらの城砦にも本丸・二の丸などの建築構造が見られる。
 恐らく、これは一番外側の城壁にある門と思われる。

中盤戦
e0074199_20442360.jpg 更に登ること30分。
 遠くに綺麗な城壁が見えてくる。
 ・・・あそこまで行くんか、遠いな。

城門その2
e0074199_20454432.jpg 歩き始めてから1時間弱。
 漸く、最後の城門をくぐる門を突破。
 こんなの、鎧を着込んで攻込んだら、敵に出くわす前に疲れ果てるだろうな。

山頂の寺院
e0074199_20503252.jpg 山頂には、ヒンドゥー寺院が。
 驚くことに、ポツポツ参拝者が。
 こんなところまで、みんな歩いてきたのかな?
 女性や子供もいるが・・・・


 ・・・・と驚いていると・・・・ん??道??
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 Noooooooo!!
 車でここまで来れたんぢゃ無いか!
 一気に疲れが出てきた・・・。

e0074199_20534729.jpge0074199_20535876.jpg こんな廃墟も。
 落書きする内容は、万国共通なのかしら・・・。


バラー・キラー
e0074199_2112738.jpg ヒンディー語で「大きな城砦」を意味するこの施設は、現在は丘全体の治安管理を行う無線基地として使われている。
 といっても、日本のアマチュア無線マニアが嘲笑するくらいの粗末な機材が並ぶ程度。
 職員も2名いたが、とてもヒマそうだった・・・詳細はナオミさんのブログ御参照


e0074199_2135774.jpg 建物が中庭を取囲むスタイルは、前述のシティ・パレスと極めて似ている。
 保存状態はあまり良くないが、気軽に中に入って高層階に昇れる。


 最上階から、丘の逆側を見ると・・・思いもよらぬ絶景が広がる。
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 中央の窪みが単なる扇状地なのか(にしても川は見当たらない)、クレーターのような外圧で出来たものなのかは不明だが、吸込まれるような感覚に陥る。



 ・・・絶景を楽しんだのも束の間、水分補給も出来ないまま、来た道を引返す。
 ふもとで、「バラー・キラー こちらから車で○○分」みたいな看板を出しておいて欲しいものだが・・・。


オススメ度(100%個人主観)

   ★★★☆☆ ・・・ ジャイプールニムラナと組合せると◎かも

観光所要時間

   4~5時間(全て車でまわれば2時間以上短縮可)
by bharat | 2006-10-08 10:30 | インドぶらり旅
第75回旅行は、後進的インドを垣間見れたタタルプール
e0074199_21595848.jpg 今回は、micchaさんナオミさん、Kさんと一緒に日帰り旅行。
 車でギリギリ行ける場所ということで、ラージャスターン州のアルワール(Alwar、詳細は後日更新予定)に行き先を定め、車を出発させた。

 タタルプール(Tatalpur)は、その道すがらに立ち寄った、小さな村だ。


一際目立つ城砦 タタルプール・フォート
e0074199_15204431.jpg 突然この村に立寄ろうと思ったのは、国道を南に進んでいる途中で、小高い丘に立つ立派な城砦が目に入ったからだ。
e0074199_15343743.jpg ふもとの集落を抜けて、城砦への道を登る。
 城壁は、花崗岩の片面を削って出来たもので、構造は粗い。
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 但し、城門は鉄製、内部の建物も煉瓦に漆喰。
 装飾は殆ど無く、軍事色が強い。
 地元民も何時建てられたか細かくは知らない様子だったが、恐らくここを支配下に治めていたアルワールの王様(ラージプート族)あるいはムガル帝国が16~18世紀に造ったものと思われる。


デリー近郊にも残存する旧来のインド
 この集落の文化レベルをちょっと分析。

 まず、道路インフラがしっかりしており、都市部との流通は問題無いと思われる。
 道端の噛みタバコ屋の商品も充実していた。

e0074199_15473877.jpg 自給自足経済でないせいか、比較的皆の服装も裕福そう。
 学校の生徒は制服を着用。
 地元民の普段着も、あまりボロくない。

 家の作りも良く出来ている。
 ドロ造りのものは殆ど見当たらず(アラハバード近郊のドロ住宅を御参照、煉瓦に漆喰、塗装も綺麗。
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e0074199_15481045.jpg 水も潤沢にあり(雨季からだいぶ時間が経過しているのも関わらず)、家畜の保持、農作にも遜色無い感じ。



 だが、驚いたのは、デリーから3時間、アルワールから2時間の立地なのに、とても閉鎖的・旧態依然的な文化だったことだ。

e0074199_1894312.jpg まず、女性が道端を歩く際、顔を見せない。
 サリーの布で顔を隠して歩いている。
 この写真のヒトがクムハール(壷作りカースト、中位~下位くらいのカースト)なのか、ただ家庭の壷を作っていたのかは不明だが、僕らがレンズを向けても、こちらを向くことも無く、顔も隠したままだった・・・積極的な都市部の女性とはかなり様子が違う。


 また、若者の態度も特徴的。
 中学生くらいの男子生徒たちが、我々を面白がって、一緒に丘の上まで付いてきたのだが、やたらと女性陣2名の体を触るのだ。
 こちらが怒ると、今度は少し距離を開けて投石を開始。

 このガイジン拒絶行動とも取れる行動。
 恐らくは、狭い集落社会の中で抑制された性的衝動が、部外者に対して出ているものと思われる。
 集落の中で、男子が女子にセクハラ行為をしようものなら、汚らわしいとして、村八分にされてしまうが、フラッと立寄った部外者になら何をしても村長から罰せられることもあるまい・・・そんな心理なのかも知れない。

 インドには、未だに強烈なムラ社会意識が残っている。
 行政村(行政的に線引きされた村で、選挙の際等はこれが基準となる)・自然村(前者とは全く関係なく、カーストや部族等で歴史的に固まっている集落で、行政とは何の関係も無い)なんていう概念があるのも、その顕著な例だ。


 帰り際、年配のおじさんに、「アイツラ、僕らにこんなふしだらな行為をしてたぞ。」と言ったら、「そうですか、すいません・・・なにぶんガイジンが来るのなんて殆ど初めてなモンデ」と困り顔で話していた。


 ガイジンがインドに上手く浸透していくには、まだまだ時間が必要ということか・・・。
by bharat | 2006-10-07 10:30 | インドぶらり旅
第72回旅行は、知る人ぞ知る城砦の町ニムラナ
 デリーから南東約110km、国道8号線をジャイプール方面に進む。
 ハリヤナ(Haryana)州からラージャスターン(Rajasthan)州に入ってすぐ、右側にこんもりした丘が見えてくる。
 ニムラナ(Nimurana、Neemranaとも)だ。


工業促進の急先鋒
e0074199_693030.jpg デリーの急速な発展に伴って、近郊地域も発展している。その代表格は、デリーの東ウッタル・プラデーシュ州のノイダ(Noida)や西のハリヤナ州のグルガオン(Gurgaon)、マネサール(Manesar)だが、更にその先に位置するこのニムラナも、最近工業化に名乗りを挙げている。
 JETRO(日本貿易振興機構)も、RIICO(Rajasthan state Industrial Development & Investment Corporation Ltd.)と協業して、この地の工業化を進めようとしている。

要塞宮殿ニムラナ
 最近の工業化も、地元の景観を損ねる程ではない。
 丘陵地のふもとには、今ものんびりとした村落があり、動物と村民が渾然一体となって質素な生活をしている。
e0074199_6464033.jpg と、丘陵の中腹に、一際目立つ要塞が。
 この要塞、その名もNeemrana(Nimurana)要塞。
 1464年に建てられた。
 建てたのは、チャウハン(Chauhan)家で、彼らは元々デリー一帯を守るヒンドゥー教の王だったが、プリスヴィラージ・チャウハン(Prithviraj Chauhan)が1192年にイスラム教系の王マフマド・ゴーリ(Mahmud Ghauri)に敗れると、デリーを離れてこのニムラナに落ち延びていた。
 全くの余談だが、この歴史上の出来事にちなんで、インド・パキスタンのミサイルの名が付けられている。インドが1997年、プリトヴィ(Prithvi、大地)と呼ばれる短距離ミサイルをパキスタン国境近くに配備した際、これに対抗してパキスタンはGhauriなるミサイルを配備した。インドのPrithvi(Prithviraj Chauhan)にかけてこれを破ったMuhammad Ghauriの名をつけたのだ。


 その後インド独立後、この要塞(というか宮殿というか)の持ち主のマハラジャ ラジンデル・シン(Rajinder Singh)は、借金対策の一環で宮殿を手放したが、約40年放置されていた。
 復旧作業が始まったのは、1986年(左下が作業前、右下が最近の様子)。
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e0074199_4494133.jpg 要塞へは、ふもとの集落から狭い道を登っていく。
 この入口の標識を見逃さないように。
e0074199_551941.jpg 車で石を埋め込んだ隘路をガタガタと進んでいくと、入口が見えてくる。
e0074199_5542814.jpg 入口を入ると、立派な土産屋さんがある。
e0074199_564780.jpg 店では、地元産のジャム、絵葉書、食器、文房具などを売っている。


e0074199_583619.jpg この要塞、ホテルとして営業中なのだが、まだまだ完全復旧はしていない。
 ロバを使って、資材を搬入し・・・
e0074199_592075.jpg 壁などを地道に修復していた。

e0074199_5112468.jpg 写真の様に、建物も壁を修復した部分と、まだ未修復の分があり、色が違う。



宮殿ホテル ニムラナ
 1991年、かろうじて使用可能だった15室を活用して、ホテル事業が開始された。
 現在は、間取りや内装の異なる46室が宿泊用に使われている。
スイートタイプ(部屋名:グジャラート・マハル)
e0074199_517750.jpg 間取りは狭いが、綺麗なつくりのグジャラート・マハル(Gujaratの間)。
 部屋の中心に、ダブルベッドが1つ。
 その周りに調度品が上品に配されている。
 宿泊費は、3,500ルピー(約9,100円)。
e0074199_5193923.jpg バスルームは、昔の間取りを踏襲しながらも、清潔に仕上げている。
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デラックス・スイートタイプ(部屋名:シーシュ・マハル)
e0074199_5263676.jpg 部屋が広くなるが、内装はちょっと古め。
 ベッドは、ダブルサイズとシングルベッドが1つずつ。
e0074199_5274225.jpg 宿泊費は8,000ルピー(約20,800円)と、ちと高め。


プール
e0074199_5341761.jpge0074199_5343980.jpg 建物群の上の方には、公共スペースがかたまっている。
 これは、プール(とそこに置いてあった置物のゾウ)。
 水浴び・日光浴には十分な大きさ。

健康施設
e0074199_5375585.jpge0074199_538829.jpg プールの近くには、こんな施設も。
 アユルヴェーダ・マッサージ(インド式オイルマッサージ)に、スチームバス、・・・
e0074199_540574.jpge0074199_5401795.jpg サウナやヨガ教室まで。
 全て使いこなせば、随分とリラックス出来そうだなぁ。
 因みに、ヨガ教室は7日間で13,450ルピー(約35,000円)、マッサージ等は1回400~1,600ルピー(約1,000~4,200円)。
 僕は、この方面に詳しくないのだが、相場価格なのだろうか・・・?

レストラン
e0074199_5471896.jpg これも、プールの近くにある。
 宿泊客でなくても、食べられる。
 昼は12:30からオープン、バイキング形式で、600ルピー(約1,600円)。
 味はまぁまぁだった♪




 ・・・ラージャスターンと聞くと、デリーから結構遠い印象を受けるが、ここなら充分日帰りで行ける。都会に毒されてない雰囲気が良い感じだ。


オススメ度(100%個人主観)

   ★★★★☆ ・・・ 都会の行き届いたホテルと違った雰囲気が◎。

観光所要時間

   1~2時間
by bharat | 2006-09-16 20:50 | インドぶらり旅
第22回旅行は、世界自然遺産ケオラデオ・ガナ
 今回は、宮殿列車の旅7番目の目的地バーラトプル(Bharatpur)。

鳥・鳥・鳥
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 ケオラデオ・ガナ(Keoladeo Ghana)国立公園は、インド国内のユネスコ世界自然遺産に指定(1985年)されている公園だ。ランタンボール国立公園とは少々趣向が異なり、この30平方kmの公園には大量の鳥が棲息している。種類にして364の鳥が確認されており、中でも目立つのがツルやサギなどの、クチバシが長くて体の大きい鳥。
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食べられにやってくる!?
 この公園に、鳥が集まる理由は単純、水が豊富だから(今でも時折かんばつに見舞われるらしいが、頻度は少なく、僕が見たときも大きな湖・沼が広がっていた)。周囲が水の乏しい地域にあって、ここは水が豊富で、鳥にとってはここしか立寄るところがない。渡り鳥の格好の越冬地になっている。
 何故、ここだけ水があるのかというと、ここバーラトプルのマハジラジャがこの地に鳥を留めて、食したり狩猟したりしたかったからだと言う。なんとも皮肉。マハラジャは、財力の限りを尽くして、周囲の用水路から水を引っ張ってきて、この場所に湖沼を造ったんだそうだ。

環境対策
 ランタンボール国立公園はガソリン車での園内観光だったが、ここケオラデオはチャリンコ(サイクルリクシャー)。世界遺産に登録されると、その保全対策も厳しく要求されるということか・・・。その影響か知らないが、空気はとても澄んでいて、のどかに観光出来た。


オススメ度(100%個人主観)

   ★★☆☆☆ ・・・トリにあまり造詣が深くないもので。
by bharat | 2005-11-18 11:30 | インドぶらり旅
第21回旅行は、湖上の宮殿都市ウダイプール
e0074199_20211045.jpg 宮殿列車の旅も中盤から終盤に差し掛かる。
 ラージャスターン随一の観光都市で、湖上の宮殿ホテルが世界的に有名なウダイプール(Udaipur)。


ロマンチック・シティ
e0074199_20265355.jpg 前日に観たチットールガルがムガル帝国の侵攻により陥落した際、この地に逃げ延びたウダイ・シン2世が建設した都市が、このウダイプール。彼が都市計画に盛込んだ巨大な人造湖によって、現在においても街の景観は他のラージャスターン州の都市とは大きく異なり、当時のオアシス町をイメージさせる優雅さが漂う。空気もあまり埃っぽくない気がしたな。
e0074199_2027999.jpg この景観・雰囲気から、同地は観光都市として大きく発展し、通称「ロマンチック・シティ」と呼ばれているそうだ。
 あまりにホテルが乱立し、街全体の景観を損ねる心配があったので、現在では人造湖から200m以内にはホテルを建設出来ないという規制があるほどだ・・・とはいえ、抜け道は色々あるようで、最近でもオベロイなどのホテルが湖畔に建設され続けている。


贅沢三昧の王様
e0074199_20382367.jpge0074199_20381126.jpg 湖畔のシティ・パレス・コンプレックスは、ウダイ・シン2世に始まる歴代のマハラナ(ウダイプールの王様は、マハラジャぢゃなくてマハラナと呼ばれる)が建築物を付け加えていって出来た宮殿群だ。各宮殿は、中央部分が庭もしくは吹抜けになっているものが多く、この部分は当時舞踏会・宴会などのホールとして機能していた。これを取巻く建物には大きな窓が付けられ、王や王妃が会の様子を見ることが出来る様になっている。建物の壁面には、豪華な装飾が施されている。

e0074199_20404612.jpge0074199_20403173.jpg 建物内には、当時の歴史的展示物などもある。
 ムガル帝国との戦争時に、自軍に象部隊がいないことを悟られない様、騎馬の顔部に模造の象の鼻を取付けたことを示す展示。
 ・・・ウマにとっちゃ、いい迷惑だったろうな・・・。
 最後のマハラナ(といってもほんの半世紀前のことだけど)の部屋を再現したものなどもあった。


さくらももこワールド
e0074199_20461934.jpge0074199_2046767.jpg このシティパレスで発見したのが、さくらももこ(『ちびまる子ちゃん』描いてる漫画家ね)風の絵画・彫刻の数々。
 まぁ、時代考証からいけば、さくらももこがマハラナ絵画を真似たことになるのか・・・。
 とにかく、ホントにパクッたんぢゃないかと思うほど、タッチが似てる!


世界一美しいホテル
e0074199_20472469.jpge0074199_2047812.jpg ここにある、レーク・パレス・ホテル(Lake Palace Hotel)は、世界で最も豪華なホテルに位置付けられている。
 巨大なピチョーラー湖に浮かぶ幻想的な外観と、宮殿建築の内装により、非常に雰囲気が良い。
 因みに、ホテルへのアクセスは湖岸からの渡し船のみ・・・セーラー服の全く似合わないインド人船頭が丁寧に対応してくれた。
※我々ツアー客は、宿泊せず昼食(バイキング)のみ。一度、泊まってみたいなぁああ。


他にも見所アリ
e0074199_20502248.jpge0074199_205096.jpg 湖畔だけが注目されているウダイプールだが、それ以外にも見所がある。
 残念ながら、名称を忘れてしまったんだけど、王族の住んでいた宮殿を観光した。
 庭園がメインになっていて、噴水や溜池など水をふんだんに使った贅沢な造りの庭園がとてもキレイ。


オススメ度(100%個人主観)

    ★★★★☆
by bharat | 2005-11-17 10:00 | インドぶらり旅
第20回旅行は、激戦の要塞都市チットールガル
 宮殿列車の旅5番目の目的地はチットールガル(Chittorgarh)。
 州内の他の都市と比べて、知名度などイマイチだが・・・。

ウダイ・シン2世 敗北の地チットールガル
 チットールガルは、単にチットール(Chittor)とも呼ばれる。他のラージャスターン州の都市同様、城塞都市の形態を採っている。他勢力の度重なる侵略により、3度陥落した歴史を持っており、当地を支配していたラージプート民族はそのたびに集団自殺(男性は敵陣に斬りこみ憤死し、女性は城塞内にて焼身自殺する)を行ったという。3度目に陥落した際の王はウダイ・シン2世と言い、彼はここから敗走し、その敗走先をウダイプール(Udaipur)と名づけ、王国を建てた。


やれば出来る!?
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e0074199_166697.jpg チットールガル城塞の内側には数多くの建築物が残るが、一際目立つのがこの塔である。時の王ラーナ・クンバが、戦勝記念として1458~68年に建てたもので、高さ37mの9階建構造である。建物内外にヒンドゥー教彫刻を施したものとしてはインドで最も高い建築物とされている。また、上層階が中央部よりも広がっている点が、当時の建築技術水準の高さを立証している。
e0074199_1662145.jpg なんだ、こんな立派な塔も造れるのか・・・。
 現在のレンガに漆喰をベタ塗りしただけの住宅建築より、遥かに精巧な造りで、正直ビックリ。・・・ムガル建築(=イスラム様式)が精巧なのは、タージマハルなどを観て納得したが、同勢力に対立するラージプートたちにも発達した建築技術があるとは思っていなかった・・・。



オススメ度(100%個人主観)

   ★★★★☆

by bharat | 2005-11-16 12:10 | インドぶらり旅
第19回旅行は、トラの保護を行う国立公園ランタンボール
 宮殿列車の旅4番目の目的地。
 サワイ・マドプール(Sawai Madhopur)という駅を降りて、30分かけて専用トラックでランタンボール(Ranthambhore)国立公園に移動。

ランタンボール国立公園
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e0074199_23542870.jpg 約1300平方kmの敷地内に、トラをはじめ様々な動植物が生息している。日中活動しないトラを何とか見ようと、早朝から専用トラックで敷地内を回ったが結局トラには遭遇しなかった。
 同敷地は、かつてはマハラジャの狩猟地であった為、現在も彼らが建設した建物が廃墟となって残存している。


インドの国立公園および野生動物保護区について
 インドには、広大な国土の中に88箇所の国立公園・490箇所の野生動物保護区が設けられていて、公私種々団体が生態系保護や絶滅危機種の救済活動が実施されている。インド政府もこれらの政策について積極的で、ユネスコ世界遺産登録を行っている。2005年現在、カジランガ(Kaziranga)国立公園、ケオラデオ・ガナ(Keoladeo Ghana)国立公園、マナス(Manas)野生動物保護区、スンデルバン(Sunderbans)国立公園、ナンダ・デヴィ(Nanda Devi)国立公園の5つが自然遺産に登録されている。また同政府は、トラの保護に関しては特に注力しており、19991年以降、世界最大の野生動物保護団体WWF、英国海外開発庁との共同取組みで、Tiger Conservation Program(TCP)を実施している。このTCPの中心となっているのが、今回視察したランタンボール国立公園だ。

オススメ度(100%個人主観)

  ★☆☆☆☆  ・・・トラを見れなかったから。
by bharat | 2005-11-15 23:47 | インドぶらり旅
第18回旅行は、紺碧の街ジョードプル
 今回は、宮殿列車の旅3番目の目的地であるジョードプル。

ジョードプルの興りについて
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 ジョードプルは、ラージプート藩王ラーオ・ジョーダによって、1549年に建てられた都市で、他のラージャスターン州の都市同様、城塞都市の形態を成している。現在は城壁の外側にも街並みが続くが、当時はこの全長10数kmの壁の内側に全ての市街機能を収納し、発展した。中でも、アヘン、ビャクダン、ナツメヤシ、銅などの東西交易ルートの要衝として栄えた。
 また、旧市街の壁は青色に塗られており、通称「Blue City」と呼ばれている(居住するバラモン・カースト者が階級色である青を壁に塗ったのが事の発端だが、その後青色塗料が虫除けに効くとされ、町全体が青色に塗られるようになったという)。

 余談だが、ラージャスターンには、街並みの壁が統一色になっている都市が多い。
 壁の塗装については、都市が住民に義務付けているところとそうでないところがある。例えばジャイプールなどは旧市街の壁をピンクに塗装することが義務付けられているが、このジョードプルは特に青色に塗装することが義務付けられている訳ではない。


ヒン・ムス・エイ折衷

e0074199_1621312.jpg 城壁内の北端の小高い丘に建つ、一際目立つ真っ白い廟が、ジャスワント・ターダだ。
 これは、19世紀末、マハラジャ ジャスワント・シン2世によって建設された。時代を反映するかの様に、中央の角ばった塔や屋根はヒンドゥー建築様式あるいはムスリム(イスラム)建築様式で、左右対称に作られた小さな出窓のようなスペースは、英国建築様式に則ってデザインされている点が特徴的である。
e0074199_16212451.jpg 3形態折衷の見事な建築・・・インドの宗教建築物で、よくこの手の複数建築様式で出来たものを観るが、どれも実に見事に調和したデザインで、とても美術センスを感じる。 
 廟周囲には人造湖があり、当時のマハラジャたちが、同地域で貴重なる水を大量に使って権力誇示したことが分かる。


現役のマハラジャ宮殿

e0074199_16215221.jpg 外部の城壁に囲まれた地域の丁度中央くらいに、更に城壁に囲まれた「本丸」のような場所がある。
 これが、メヘランガル城。ラーオ・ジョーダ藩王が1459年に築き始めた城塞で、大きな大地の上に高さ20~30mの城壁を張り巡らせた戦闘色の強い建築物である。城塞中心部に行くまでに、7つの門をくぐる必要があり、その門のいくつかには、砲弾の痕が残存している。
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 城塞中心部は、大小の宮殿が庭園で繋がれており、宮殿内の各部屋は貴金属・宝石等で装飾されている。
 尚、同Fortは、ジャイプールと同様、現在もマハラジャの私有物であり、運営等はこのマハラジャが行っている。


e0074199_16245915.jpge0074199_16244321.jpg 敷地内の至るところで、色んな人が、当時の生活の再現などの見世物を行っていた・・・9mもあるターバンの巻き方講座から、水タバコのたしなみ方まで。



オススメ度(100%個人主観)

   ★★★☆☆
by bharat | 2005-11-14 16:18 | インドぶらり旅
第17回旅行は、月の砂漠 ジャイサルメール
 宮殿列車の旅第2の目的地は、ジャイサルメール。

ゴールデン・シティ

e0074199_63548.jpg ジャイサルメールは、ラージャスターン州の西端に位置する(パキスタンとの国境まで約50km)小さな町で、人口は5万人前後しかない。同町は、タール砂漠の中に位置する立地から、かつては東欧~インド~中央アジアを結ぶ貿易路の重要拠点で、ラクダ隊商が数多く存在する大きな貿易都市だったらしい。当時の貿易によってもたらされた富によって建てられた大邸宅(ハヴェリ)は、今でも見ることが出来る(後述)。イギリスのインド進出による海路による貿易の発達、またパキスタンとの分離独立を経て、ジャイサルメールはその機能を急速に失い、現在の町の主収入は専ら観光業からもたらされるものなんだそうだ。
 尚、このジャイサルメールは、黄色い砂岩で出来た街並みから、「Golden City」と呼ばれている。


城塞都市ジャイサルメール

e0074199_695169.jpg ジャイサルメールの城塞の中には、現在も約5,000人が住んでいるという。この要塞は、1156年ジャイサラ王がトリクタ丘陵の頂上に建設したもの。城壁に囲まれた内側は、それだけで一つの都市機能を満たしており、住居は勿論のこと、レストラン、ホテル、民芸品屋、郵便局、寺院などが揃っている。
e0074199_6122525.jpg 遺産登録も出来そうなくらい綺麗な装飾を施した城塞本体であっても、住民が通常の生活を営んでおり、この城塞が今も住民の生活に極めて密接であることを証している。



ジャイナ教寺院
e0074199_619516.jpg 城壁内の一角にある寺院で、ジャイサルメール城塞建設と同時期にあたる12世紀~13世紀に建てられたものである。城塞同様に、現在もジャイナ教徒が数多く礼拝している。



ハヴェリ
e0074199_6193037.jpg ハヴェリとは、大邸宅のこと。貿易商人が建てた多層階建ての邸宅で、黄色い砂岩で出来ているため太陽に反射して非常に美しく見えること、また外壁の装飾が細かく美術的にも洗練されている点などが特徴的である。



ラクダで砂漠を闊歩
e0074199_6253476.jpg 城塞の見学を午後早々に切上げて、列車に戻ってしばし休息。
 夕方、バスに乗り込んで、サム砂丘という場所へ。着くと、ラクダ小隊が待機していた。
e0074199_6383886.jpg ラクダの背中に乗るが、ヒトコブラクダなので、なんとも居心地が悪い・・・。おまけに、砂丘のアップダウンに差し掛かると、前後に落っこちそうになる。ヒンディー映画とかで、山賊がラクダに乗って猛然と走り回るシーンを見るが、とてもそんな芸当が出来る乗り物ぢゃないと思った。

 

オススメ度(100%個人主観)

   ★★★★☆

所要観光時間

   4~6時間
by bharat | 2005-11-13 23:25 | インドぶらり旅
第4回旅行② ジャイプールふたたび
 ここからしばらくは、宮殿列車の旅で周遊した場所を日程順に書いていくことにする。

デリー・カントンメント

 出発駅は、デリー・カントンメント駅。
 通常の特急列車が出入りするニューデリー駅ではない。

 この「カントンメント(Cantonment)」という言葉、僕にはあまり馴染みの無い言葉だったのだが、駐屯基地という意味らしい。
 英国軍がインドを直轄下に置いた際、大都市に駐屯軍を常駐させ、そこをカントンメントとした。それが今でも地名として残っており、デリー・カントンメントは勿論、ヴァラナシ・カントンメントやアグラ・カントンメントなどもある。

 デリーは、1911年にコルカタから遷都された際、大きく3つの区画に分けられた。
 1つはニューデリー地区。現在のデリーの中央に位置し、20世紀以降のイギリス主体による都市計画のもと整備された場所だ。官公庁街・大使館街・オフィス街・高級住宅街などを複数車線の道路が結び、街路樹が植えられている。ロータリーがブロックごとにあり、ヨーロッパの道路をイメージさせる。
 2つ目は、デリー地区。通称オールドデリーと呼ばれる。ムガル帝国期に築かれた街並みを引継ぎながら今に至るこの地域は、デリーの北部~北東部に位置している。街路は往々にして幅が狭く、立並ぶ家々も古いものが多い。低所得層の居住地も多く、一部では夜間の治安が不安視されるような場所(売春宿街)もある。しかし、軽工業の流通問屋街などがひしめき合う一角も存在し、まさに「ゴッタ煮」の様相を呈している。
 最後に、カントンメント地区。元来、イギリスの兵営地区だった場所。デリーの南西に位置する。ハッキリ言ってあまり行ったことが無く、正直言うと今回の旅行で初めてデリー・カントンメント駅の存在を知ったくらい。

最初の目的地は、ジャイプール

e0074199_1521322.jpg 旅行初日、デリー・カントンメント駅を夜に出発。翌朝目が覚めると、列車はすでにジャイプールに到着していた。列車内で朝食を済ませ、外へ。駅改札で、象が御出迎え。

 ジャイプールへは8月にも行ったことがあり、そのときの様子はコチラを見て欲しい。
 今回行ったのは、風の宮殿(Hawa Mahal)、天文台(Jantar Mantal)、シティパレス(City Palace)、アンベール城(Amber Fort)。

 ほんの数ヶ月で様子が変わる筈も無く、8月に観た内容と相違無かったのだが、唯一状況が変わっていたのは、アンベール城(Amber Fort)。
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 元々、この城へのアクセスはジープか象であり、前回旅行時はジープで城塞入口まで行った。今回の旅行では、象で行く予定だったのだが、旅行当日の10日前に象が調教師を蹴り殺すという事件があり、象での移動は一時的に禁止されていた。で、今回もジープで移動。
 因みに、写真は、アンベール城周辺で休業中の象を撮ったもの。たくさんの象がヒマそうに水浴びなどしていた。
by bharat | 2005-11-12 23:35 | インドぶらり旅