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第102回旅行は、世界遺産モスクのあるチャンパーネル
e0074199_1332163.jpg ヴァドーダラ(バローダ)を北東に約50km(車で1時間くらい)。
 パーヴァガル(Pavagadh)の山とチャンパーネル(Champaner)に到着する。


インドで一番若い世界遺産

 パーヴァガルの山およびチャンパーネルのモスク群は、2004年にユネスコによって世界文化遺産指定を受けた、インドで一番若い世界遺産だ(2007年6月現在)。

 この一帯の歴史は8世紀にまで遡る事が出来る。この土地の王ヴァンラジ・チャヴダ(Vanraj Chavda)が親友であり臣下のチャンパ(Champa)将軍の名を土地に付けた。
 その後、ラージプート民族(ラージャスターン系の戦闘民族)がここを支配下とした際に、軍事拠点として後背のパーヴァガルに要塞を築いた。
 この要塞は、1484年にムハマド・ベガダ(Mahmud Begada)というスルタン王朝の王によって征服され、次いで1535年にはムガル帝国の第2代皇帝フマユーン(彼の霊廟はデリーにあり、世界遺産に指定されている)によって平定された。



パーヴァガル山のカーリー寺院
e0074199_994441.jpg パーヴァガルとチャンパーネルは隣接する山と平地で、前者パーヴァガルの山頂にはカーリー女神を祀った寺院およびジャイナ教寺院がある。
 毎日、相当数の参拝者がおり、特に週末ともなると、すごい数の教徒たちがここを訪れる。


e0074199_9103860.jpg 山へのアクセスは、徒歩あるいはロープウェー。
 徒歩だと片道30~45分かかるが、ロープウェーなら約5分で行ける。
 料金は、片道だと55ルピー(165円)、往復で87ルピー(261円)。
 中流層の人達にしか払えないくらいの料金設定だ。
e0074199_8515652.jpg にも関わらず、結構な行列が出来ていた。


e0074199_8532420.jpg ロープウェー降場からカーリー寺院までは、露店街を通りぬけて約5分ほど歩かねばならない。
 山頂にも関わらず、この露店街が結構盛況を呈している。
e0074199_8555326.jpg 華やかな装飾を施した牛や、
e0074199_856349.jpg カーリー女神(正確にはドゥルガー女神)の乗り物であるトラのぬいぐるみなどに出くわす。


e0074199_905690.jpg 露店街を抜けると、少し開けたところに出る。
 ここには、人造湖を取り囲むように小さなヒンドゥー寺院が建っているほか、ジャイナ教寺院も残っている。
e0074199_914973.jpg 歴史的背景は分からないのだが、この場所はジャイナ教徒たちにとっても、由緒ある場所であるらしい。
 しかし、このジャイナ教彫刻の痛み具合が半端ではない・・・そこらじゅうにカーリー寺院礼拝者と思しき人達の落書きがされている(ジャイナ教徒が自分の寺院にこんな事をするとはまず考えにくい)。

e0074199_943539.jpg さて目当てのカーリー寺院なのだが、このような長蛇の列が出来ており、しかも非ヒンドゥー教徒が中に入れるかは不明だったので(聞く人によって答えがマチマチ・・・インドでは御馴染みにパターンだが)、本堂突入は断念。


e0074199_983483.jpg この山頂部分だが、ヒンドゥー寺院よりもジャイナ教寺院の方が数は多い。
 人造湖周辺のほかにも、いくつかジャイナ教寺院や建物跡があった。
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e0074199_9125340.jpg 帰りもロープウェー。
 乗り場で、男子グループと女子グループに夫々声をかけられる。
 彼らはグジャラーティー語を話すのだが、ヒンディー語が強烈に訛ったような言語なので、かろうじてヒンディー語で会話が出来た。
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 ガイジンに会うのがたいそう珍しいらしく、国籍やら住んでいる場所やら色々聞かれた。
 で、御決まりの写真撮影。


e0074199_9153445.jpg ロープウェーを降り、出口方面を進むと、さっきの男子グループが待ち受けてて、人形劇を一緒に観ていかないかと誘ってきた。
 よく見ると、広場にイスと簡単な舞台がある。
 10ルピー(30円)で、シュールな人形劇を観劇。



モスク群
 平地のチャンパーネルには、上述したスルタン王朝期に建造されたモスクが綺麗に残っている。

ジャミ・マスジッド(Jami Masjid)
e0074199_1311599.jpg 一番目立つところにあるのが、このモスク。
 中央のモスクを取囲む壁は殆ど崩れていない。
e0074199_1374678.jpg 内側に通じる大きな門。
 彫刻が細かく、かつ痛んでいない。
e0074199_234897.jpg モスクは、2本対称の尖塔が特徴的。
 高さは30mあり、いずれも欠けることなくそびえ立っている。


 モスクの外壁は、砂岩を彫った細かい彫刻がビッシリ。
 内部には、四角-十角形-円形への続く丸いドームがあり、彫刻が細かい7つのミラブ(Mihrab、礼拝する方向に柔らかにくり貫いたデザインの出窓状の空間)がある。
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e0074199_2101570.jpg あと目立つのが、この柱。
 なんと、172本もあるらしい。
 建築上、必ずしもこんなに必要ではなかったと思うが、何か宗教的な意味合いでもあるのか・・・?
 こんなポップな壁面もいくつか見ることが出来る。
 妥協の無い左右対称を追求するイスラム建築にあって、この自由なデザイン配置はちょっと珍しい。
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ケヴダ・マスジッド(Kevda Masjid)
e0074199_227358.jpg ジャミ・マスジッドからちょっと離れてあるのが、このモスク。
 これも、1458~1511年のスルタン王朝ムハマド・ベガダ治世期に建てられた。
 目下、修復作業の真っ只中だった。
e0074199_2274882.jpg モスクは、ジャミ・マスジッド同様、2本の尖塔が入り口に狭い間隔で立っているタイプ。


 特徴的なのは、もしろモスクの前に建っている建造物。
 セノタプ(Cenotaph)と呼ばれ、要は霊廟にあたるものらしい。


ナギーナ・マスジッド(Nagina Masjid)
e0074199_381317.jpg ケヴダ・マスジッドの脇を歩いて進む。
 灼熱の気候の中、15分ほど歩く。
 すると・・・
e0074199_2535885.jpg こんなモスクが見えてくる。
 これも、前述の2つのモスクと同時期に建築されたものだ。
e0074199_3114059.jpg 建築様式は、ケヴダ・マスジッドと酷似しており、モスクとセノタプの1セット形式。
 ただ、残念ながらここのもすくの尖塔は途中からポッキリ折れてしまっている。


e0074199_3125389.jpg しかし、それを補って余りあるのが、このセノタプの完成度と保存状態の良さ。

 一族の繁栄等を意味する、1つの幹から幾重にも広がる木々のデザインは、実に見事な彫刻だ。
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オススメ度(100%個人主観)

   ★★★☆☆ ・・・ 通好みな隠れ歴史スポット

所要観光時間

   3時間
by bharat | 2007-06-14 10:30 | インドぶらり旅
第82回旅行は、紅茶の名産地ダージリン
 インドの代名詞のように語られる、ダージリンティー。
 このブランド名は、勿論、産地の地名ダージリンから取ったものだ。

 ということで今回は、ダージリン。


世界的紅茶の名産地

 もともと、この辺りの地域はインドというより、ネパールなどヒマラヤ系やブータン・シッキムなどのチベット系の勢力がその版図をたびたび塗り替えていた場所だった。
 18世紀、ここダージリンはネパールのグルカ族に、隣の尾根にあるカリンポンはブータンの支配下になっていた。

 英国が東インド会社をインドに設立し支配力を強めると、その拠点であるコルカタに程近いダージリンは夏季の避暑地として機能するようになる。
 19世紀当時、ダージリンにあった僧院ドージェ・リンからDarjeelingの名を取り、英国風建築物を建て、斜面には紅茶を栽培していった。
 やがて、高地の涼しい気温・高い湿度とダージリンの土壌が上質の紅茶を産することが分かると、ダージリンティーは山岳鉄道(詳細後述)を使って、英国本土に持ち帰られ、大いに愛飲されるようになった。


シリグリからダージリンへ
e0074199_2051040.jpg 当初、22時00分コルカタ発の夜行列車でニュー・ジャイパイグリ駅まで行き(翌朝8時00分着)、そこからユネスコ世界文化遺産のダージリン・ヒマラヤ鉄道に8時間ほど乗って、ダージリンを目指そうと考えていたのだが、5月は折りしも観光シーズン真っ只中。
 コルカタからの夜行列車をキャンセル待ちしていたがキャンセルが出ず、コルカタで足止めを食うハメに・・・。
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 仕方無く同地で1泊し、翌朝のフライトでダージリン最寄の空港であるバグドグラ(Bagdogra)に飛んだ。
 同空港は、離発着する機の殆どが戦闘機という軍事色の強い空港で、民間機が戦闘機が離発着する間を申し訳無さそうに移動する。
 この空港からダージリンまでは、ジープタクシーをチャーターして直行もしくはシリグリ経由でダージリンを目指す・・・移動時間にして3時間くらい。
e0074199_2075323.jpg 尾根伝いに敷かれた山間道路をくれくれと車が登るのだが、すぐその脇をオモチャみたいな線路が走っている。
 幅わずか61cmのこの線路こそがダージリン・ヒマラヤ鉄道で、DNAの二重螺旋のように自動車道と幾度も交差しながらダージリンまで伸びていた。
e0074199_21544587.jpg 状況説明があとになったが、シリグリからチャーターしたジープは、乗客は私と旅仲間の会社同僚の2名と運転手1名・・・なのだが、運転手の奥さんと子供と友達らしき人も同乗しており、総勢6名と乗客よりも運転手の身内の方が多いという人数構成。
 そして、運転手の自宅が道中にあったので、ここで強制的に小休止を取る。
e0074199_20122991.jpg そして夕方頃、前方で汽笛の音が聞こえた。
 朝9時にニュー・ジャイパイグリ駅を出発した列車がまだこんなところに・・・。
 予定通り、この列車に乗って移動してたら、暇を持て余していたかも。




e0074199_21535116.jpg ダージリンに着いた頃には、とっぷり日も暮れていた。
 何はともあれ、無事ホテルにチェックイン。
 ホテルから外を見ると、派出所の近辺でなにやらもめていたが・・・なんだったのだろう?
e0074199_21591425.jpg ホテルから細い方の道を進むと、ちょっとした商店街が立ち並び、結構時間潰しになる。
 中でも、この骨董品屋は商品のセンスが良くすぐに気に入った。
 店名の示す通り、店主は隣の山のカリンポン出身だった。



e0074199_2224099.jpg ホテルの建物の1階部分にはチベット料理屋のデヴェカス(Devekas)。
 ここのトゥクパ(ラーメンみたいなもの)とモモ(ギョウザみたいなもの)が美味かった。



必見&必乗! ヒマラヤ鉄道!
 翌朝、早起きして行ったグーム近くのターガー・ヒルから御来光を拝むことが出来ず(詳しくはコチラ)、ホテルに戻って朝食。
e0074199_22374950.jpg この間、ホテルの人にこのようなチケットを手配してきてもらう。
 これが、前日の夕方見たダージリン・ヒマラヤ鉄道のジョイライド(Joyride)のチケット。
 ジョイライドとは、要は観光客用に8時間の長時間ではなく、ちょっとだけ鉄道を楽しんでもらおうというもの。
 区間はダージリン~グーム~ダージリンで約2時間、料金は240ルピー(約720円)/人。
e0074199_2242264.jpg 朝10時00分に出発するということで、ちょっと早めに駅に向かう。
e0074199_22443032.jpg 英国が作った鉄道だけあって、駅名の看板はイギリスの地下鉄の看板ソックリ。
e0074199_22524018.jpg 手動のターンテーブル(方向転換器)も、この列車の小ささならでは。



 駅のホームには、ちっちゃな客車が3台スタンバイ済。
 内装は結構立派。
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 甲高い汽笛音を響かせながら、蒸気機関車がホームに入線してきた。
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 午前10時過ぎ、定刻を少し遅れて4両編成の小さな列車がダージリン駅を出発。
e0074199_2259154.jpg 時速10kmにも満たないこの列車、脇の車にどんどん抜かれる。
 列車は、そんなことを御構い無しに、自分のペースでゆっくり走り続ける。
e0074199_231192.jpg あまりにゆくりなので、こんな風に前輪の様子を確かめながら機関士が併走する事だって出来る。


 10時45分頃、登り勾配をグルッと1周して小高い丘バタシア・ループ(Batasia Loop)に到着。
 ここで、カメラを持った沢山の観光客に出迎えられ、列車は5~10分ほど小休止。
 皆、列車を撮ったり、機関部分を覗き込んだりしていた。
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 この間、機関士たちは大忙し。
 なにせ齢100歳以上の機関なので、今の数十分の走行でジョイントというジョイントがゆるむらしく、そこらじゅうトンカチで矯正するのだ。
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 バタシア・ループを出発すると、列車はグーム市街地に入る。
 このあたりは、脇の住宅や店と線路の間隔が恐ろしく狭く・・・
e0074199_23125669.jpg こんな感じや・・・
e0074199_23131763.jpg こんな感じに、列車がスレスレを走り抜けていく。
 浅草の花やしきのジェットコースターみたいな雰囲気。



e0074199_23173838.jpg 11時過ぎ、列車は軽やかに汽笛を鳴らして、グーム駅に到着。
 このあと、列車は再びダージリンに戻るのだが、僕はここで待たせてあった車に乗込み、カリンポンに向かった。





チベット仏教僧院の数々
 土地柄、ダージリンにはチベット仏教(密教)の影響が色濃く残っており、僧院(ゴンパ)も数多く残っている。
 代表的なものを観て周った。

ドゥルック・ダンガク・ゴンパ(Druk Sangak Gompa)
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e0074199_22195482.jpg 歴史的に重要な、ということは無いのだが、1992年にダライ・ラマ(チベットの王様)が献納した巨大寺院。
 御覧の通り、アップでは全体が入らないくらいデカい。
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ブティア・ブスティ・ゴンパ(Bhutia Busty Gompa)
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e0074199_22241267.jpg 市街から少し北方にはずれた丘に建っているゴンパ。
 敷地入口から本堂まで、周囲を木に囲まれており、ちょっと見つけにくい。
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e0074199_22274628.jpg 周囲は完全な住宅街。
 住宅街といっても、丘にへばりつくように家が建ててあり、家々が密集しているという感じではない。
e0074199_22284942.jpg 下の側溝が下水道、その上部に心許無く通っているパイプが上水道と思われる。
 こんな細いんぢゃ、しょっちゅう水がつまったりするのだろう。




やはりこれを語らずには・・・
e0074199_23271285.jpg 最後になったが、紅茶畑のハッピーバレー(Happy Valley)。
 丘にびっしりと植わった茶とうっすらとかかった霧がなんとも情緒ある風景を生み出している。
e0074199_23275431.jpg ハッピーバレー・カフェでは、オバチャン(年齢を聞いたら還暦を超えていた、40そこそこにしか見えない)が美味い紅茶・緑茶を入れてくれる。
 なんでも名物オバチャンのようで、日本の芸能人もTV番組で何人かここでお茶を飲んだようである。




オススメ度(100%個人主観)

    ★★★★☆ ・・・ ここぞ真の避暑地♪

所要観光時間

    4時間
by bharat | 2007-05-03 10:30 | インドぶらり旅
インド周辺 第18回旅行は、カトマンズ周辺地域
 カトマンズ盆地で、カトマンズパタンバクタプル以外にもいくつか見所がある。
 それを纏めて、今回の旅行記とした。

ボダナート(Bouddhanath)
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e0074199_20445597.jpg カトマンズ市の北東部に位置している、巨大なストゥーパ(仏塔)。
 (※上の航空写真は、購入した絵葉書より。)
 町通りからちょっと入ったところにあるので、車で流していると気付かないが、お祈り用のロウソクを売っているコーナーを中に入ると・・・
e0074199_20461827.jpg いきなり真っ白いストゥーパが出現する。
e0074199_20494689.jpg このババロアみたいな純白ストゥーパは高さ36m、南アジアでは最大の大きさだ。
 スリランカにも同様に白色のストゥーパはあったが、ここまで大きなものは無かったし、ましてや首都地域では無かった。
 更に特徴的なのは、上部に目が書いてあること・・・これが神聖というよりコミカルな印象を与えている。
e0074199_20534930.jpg 夕方の時間は、地元の参拝者でゴッタ返す。
 皆、時計回りに御参りするので、我々もこの流れに乗って移動することになる。
 気に入った土産物屋を通過してしまっても、後戻りは出来ない・・・もう1周しなければ。
e0074199_20552761.jpg ふとTシャツに目を移すと・・・!!
 デリーのチベット人居住区で購入したTシャツと全く同じデザインのものを発見!
 ネパール・インドの流通網、恐るべし。



パシュパティナート(Pashpatinath、Pashupati)
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e0074199_217163.jpg シヴァ神を祀る寺院が集まるこの地域は、ネパールのみならず、近隣国のヒンドゥー教徒も参拝に訪れるという、ヒンドゥーの聖地だ。
 一番大きな寺院は異教徒立入禁止だが、外見だけでも見がいがある。
e0074199_2110621.jpge0074199_2195417.jpg 周囲には、小さなシヴァ寺院も多数ある。
e0074199_2111185.jpg 川沿いに立地しているこの集落。
 川っぺりで何やらモクモク煙が立ち昇っているが・・・
e0074199_21121589.jpg 実はこれ、死体を焼いている。
 ここで荼毘に付しているのだ。



キルティプル(Kirtipur)
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e0074199_21152088.jpg カトマンズ市街地を南西に行き、丘陵を車で約45分進むと、キルティプルという小さな村落に到着する。
 現地語で「名誉の町」というこの村落の見所は、バーグ・バイラヴ(Bagh Bhairav)寺院だけだが、なかなか立派な造りだ。
 シヴァ神を祀っているということだが、本堂入口にはカーリー女神がおり、
e0074199_21214455.jpg やはりバクタプルで目撃したのと同様、生贄(ヤギ)をお供えしていた。
 生き血をすする野良犬に、ニッコリ笑う地元の子供たち・・・すごい絵だ。


e0074199_21203590.jpg 朝市が開かれているところですら、妙に歴史を感じる。

e0074199_2121611.jpg 帰り際、真新しい仏教寺院を発見。
 中には、本堂のほか、宿坊などもあった。



オススメ度(100%個人主観)

     ★★★★☆ ・・・ ヒンドゥー教・仏教の隆盛を体感出来る

所要観光時間

     3時間
by bharat | 2007-03-06 10:30 | インド周辺国ぶらり旅
インド周辺 第17回旅行は、ネパール第3の王都バクタプル
e0074199_7195276.jpg マッラ王朝期に栄えた「第3の都」バクタプル(Bhaktapur)。
 カトマンズ盆地から東へ12km、車で約45分ほど行ったところにある。


ヒンドゥーの神が護る町
 6.88k㎡のこの都市は、9世紀頃に形成され、マッラ王朝期に王都となった。
 15世紀、Yaksha Malla王の治世期に、現在の形になった。
 同じく王都となった他の2都市(カトマンズパタン)と比べて特徴的なのは、町全体が勾配の上にあること、木造多層階建ての建物が多いことだ。

喧騒と静けさと・・・
 ここに到着したのは10時頃だったと思うが、当日は3月3日のホーリー(ヒンドゥー正月)前日祭。
 一見静かな通りも、カラーパウダーや水風船の飛び交う戦場と化していた。
 結局、水はかなり浴びたが、奇跡的にカラーパウダーは食らわずに済んだ。
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ヒンドゥー教だが・・・
e0074199_147557.jpge0074199_1473888.jpg この一帯に建てられている建物の多くに、性交している彫刻が多く見られる。
 ヒンドゥー・タントリズム(ヒンドゥー密教)と呼ばれるこの宗教理念は、多くの宗教が己の欲望を抑制することによって精神的な高みに至るとする中で対極をいっており、つまり物質的や性的な欲望を解放することによって、神と一体化することが出来るとしている。
 この理念は、インドでも古代~中世のイスラム勢力が本格的に入ってくる前まではごく一般的に流布されていた(世界遺産に指定されている中央インドのカジュラホの性交渉を象った彫刻は有名)。

 ここネパールのヒンドゥー教も恐らくこの考えがベースになっていると推測され、かつイスラム勢力による性的描写の弾圧・毀釈がなかったので、今も当たり前のように残存しているのだと思われる。



生贄
e0074199_1628266.jpg インドの多くの地域で見られなくなったが、ここネパールでは未だにヤギを神(主にカーリー女神)に生贄として捧げている。
 こんなスプラッタな光景がそこかしこで見られた(首をはねて寺院を周って、首を神前に捧げ、体から内臓を取出す)。
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町並み
 坂を登ると、急に広けた広場に出る。
 ダルバール・スクウェアだ。

王宮コンプレックス
e0074199_15151977.jpg 金色の入口門、
e0074199_1515506.jpg レンガ造りに木製の門扉、
e0074199_1543085.jpg ナーガを祀った溜池、
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などで構成される大きな建物群。
 入口門と建物の一部は、修復作業中だった。


ニャタポール(Nyatapol)寺院
e0074199_1436572.jpg これは、ダルバール・スクウェアのランドマークになっている、高さ30m以上の5重の塔。
 ブパティンドラ・マッラ(Bhupatindra Malla)王が1708年に建立した。
 階段両脇の像は、力の序列を示している。
 1番下から人間、象、獅子、グリフォン、神の順で、夫々1階層下のものより10倍の力があると言う。
 神は人間の1万倍力があるということか。
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e0074199_1552394.jpge0074199_1553419.jpg 他の大理石造りのヒンドゥー寺院も、階段が同様にデザインされたものがいくつかあった。
 ニャタポール寺院を模倣したものだろうか。



ヒンドゥー彫刻 
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e0074199_14175399.jpge0074199_14185516.jpg 名も無い建物の前にも、このような彫刻が並んでいる。
 これは、学校施設(?)の前に安置されていたヒンドゥー教の神々(カーリー女神、ヌルシンハ神、ハヌマーン神、シヴァ神)。


パシュパティナート(Pashpatinath)寺院
e0074199_1510244.jpg 大きな屋根を持つこの寺院は、震災の影響で崩壊の危機に晒された。
 現在、ドイツの援助を得て内部に石・鉄骨の補強材が入っている。
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バイラヴナート(Bhairavnath)寺院
e0074199_1558348.jpge0074199_15584995.jpg バイラヴ(シヴァ)神を祀った寺院。
 元々平屋建てだったが、1718年にブパティンドラ・マッラ(Bhupatindra Malla)王によって増築された。


司祭の館
e0074199_1665898.jpg 高名な司祭が住んでいたという館。
e0074199_1674193.jpg とても尊敬する気になれない、ちっぽけな人形が窓側に突っ立っている・・・。
 御存命中は、こんな風貌では無かったと思うが。



孔雀の館
e0074199_1695452.jpg 寺院と交じり合う一般住宅の中に、一際彫刻の美しい家がある。
 孔雀の館と呼ばれるこの館には、木造の木目細かな孔雀の装飾があり観光場所の1つになっている。
 向かい側の土産屋さんの2階からよく見える。



オススメ度(100%個人主観)

    ★★★☆☆

観光所要時間

    1.5~2時間
by bharat | 2007-03-05 10:30 | インド周辺国ぶらり旅
インド周辺 第16回旅行は、カトマンズ郊外の古都パタン
e0074199_333423.jpg カトマンズの王宮跡ダルバール・スクウェアから車で南へ約20分、マッラ王朝期の3つの王都のうちの1つ、パタンに到着する。



マッラ王朝期の都
 マッラ王朝期の15世紀、3人の王子が夫々独立国家を建てたが、そのうちの1つの都がここパタンに置かれた。
 都市としての歴史は、3都市の中で最も古く、既に紀元後299年にラリトプルという名で都市が形成されていた。
 カトマンズにあるものと同じ名称のダルバール・スクウェア等があり、規模はやや小さいものの、綺麗な寺院が数多く残っている。市の中心には主としてヒンドゥー教寺院があるが、パタン市は仏教の中心地で、仏教寺院も市のはずれに点在している。インドにある仏跡ブッダガヤーの大菩提寺(マハーボディ寺院)を模した寺院も、ここパタンにある。

パタン博物館
e0074199_493981.jpg レンガ造りに、大きなひさし、巨大な狛犬が特徴的な建物は、博物館。
 1997年に出来たが、以前は王宮の一部だった。
 当日は早朝だったため、まだ開館しておらず、中は見れなかった・・・。
 毎日10:30に開くらしい。


クリシュナ寺院(Krishna Temple)
e0074199_4124999.jpge0074199_4123696.jpg チケット売場から広場に入って、奥手の左方にある。
 寺院の名のわりには、節操無く色々な神様を祀っている。
 まず、寺院の前の柱には、ヴィシュヌ神の乗物の鳥ガルーダ。
 本堂の2階にはクリシュナ神、その他の階ではシヴァ神、ブッダを祀っている。
 訳の分らないルームシェアリングである。


黄金寺院(Golden Temple)
e0074199_611718.jpge0074199_6114084.jpg 広場から少し離れたところにある。
 ヒンドゥー教ではなく仏教寺院だ。
 12世紀の建立とされている。
e0074199_6141294.jpge0074199_6143414.jpg 門をくぐって中に入ると、受付があり25ルピー払って本堂へ。
 中には、細かな細工を施した本堂がある。
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その他の寺院
e0074199_644529.jpge0074199_6452892.jpg



御祭りモードの街中
e0074199_6471733.jpg ふと遠くを仰ぎ見ると、ヒマラヤ山系がクッキリ見え、とても穏やかな感じ・・・
 だが、当日はホーリー前日祭。
 インドほど全員を巻き込んで、ということでも無いが、子供たちは大盛上がり。
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e0074199_7104840.jpg 石野卓球ならぬ、石の卓球に興じる子供も。



オススメ度(100%個人主観)

   ★★★☆☆

所要観光時間

   1.5時間
by bharat | 2007-03-04 10:30 | インド周辺国ぶらり旅
インド周辺 第15回旅行は、ネパールの首都カトマンズ(カトマンドゥ)
e0074199_18565686.jpg ネパールの東部、国内唯一と言っていい広範な平地(といっても盆地だが)を蓄えるのが、首都カトマンズだ。
 標高は1,300m、人口は100万人以上。


王宮都市
 カトマンズは、都市の名でもあり、その一帯に広がる大きな盆地の名でもある。
 現在、カトマンズ盆地全部を対象として、ユネスコ世界文化遺産に指定されている(2003年危機遺産に指定)。
 ネパールの歴史のくだりでも書いたが、古代~中世において、ネパールを治めるとはつまり実質的にこのカトマンズ盆地を支配下に置くということだった。
 代々の支配者がこの地を統治し、15世紀中頃にマッラ王朝が3つに分裂すると各々の首都カトマンズ(市としての)、パタン、バクタプルは競い合って立派な王都を形成し、それが現在でも見事に残存している。

 市街地周辺の遺跡については、別途第99回旅行記「カトマンス周辺ほか」にまわすとして、ここでは、巨大な王宮跡について記すことにする。

ダルバール広場(Durbar Square)
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 これが全貌(現地で入手したパンフレットの地図)。
 大小入れて見所が43もある。
 小さなものを端折っても、20弱は観るべきところがあり、かなり見応えのある観光スポットになっている。

 以下、観た順番に・・・。

①バサンタプル・ダルバール(Basantapur Durbar、地図上の43)
e0074199_5301833.jpg ガンガ通り(Ganga Path)から入っていくとまず右手に見えてくるのがこの建物。
 1770年に、ネパールの王Prithvi Narayanが建てた建物は、外見は4つの屋根だが中は9階建て。
e0074199_5362937.jpg その目の前にある広場Basantapur Dabaliでは、骨董品のノミ市が開催されていた。
e0074199_5394154.jpg 周囲の店もいくつか骨董品を扱っていて、なかにはこんな御面屋さんも。

②ガッディ・バイタク(Gaddi Baithak、26)
e0074199_1965897.jpg 他の寺院群から明らかに浮いた存在のこの建物は1908年に建てられた。
 イギリス植民地時代に、年に1回の山車祭の際に、イギリス人たちはこの洋風建築からその喧騒を眺めていたのだという。

③クマリ館(Kumari-ghar、25)
e0074199_19132891.jpg 1757年、ジャヤ・プラカシュ・マッラ王によって建てられたこの館には、ネパールの生き神クマリが住んでいる。
 クマリは、ネパールの神タレジュ(Taleju)の化身とされ、少女の中から選ばれる。
 少女は生き神として崇められ、国王も彼女の前では跪くという。
e0074199_1913543.jpg クマリの少女は、初潮を迎えると通常の人間に戻り、また新たな少女がクマリとなる。
 館の門をくぐると、中庭からクマリの部屋が見え、呼ぶと顔を出してくれることがあるという。

④トリロキャ・モハン・ナラヤン(Trilokya Mohan Narayan、24)
e0074199_662414.jpg 1690年に建てられたこの建物は、ヴィシュヌ神を祀っている。

⑤カスタマンダプ(Kasthamandap、18)
e0074199_6141712.jpg 12世紀に建てられたこの巨大な建物は、1本の木から作られたという。
e0074199_6162867.jpg ガラーンとした内部の一角には、シヴァ神が祀られている。

⑥アショク・ヴィナヤク(Ashok Vinayak、16)
e0074199_6215922.jpg カスタマンダプの前にある、小さな祠。
 地元民には、マル・ガネーシュ(Maru Ganesh)の名で通っているこの祠には、ガネーシュ神が祀られている。

⑦サンテネシュワル寺院(Santeneshwar Temple、地図の左端)
e0074199_6295355.jpge0074199_6305558.jpg 広場の端にあるこの小さな寺院には、シヴァ神(シヴァリンガ=シヴァの男根)が祀られている。

⑧マジュ・デガ(Maju Dega、13)
e0074199_6342862.jpg 17世紀後半に建てられたこの建物は、そんなに大きくないが、9段のステップの上に建っているので、存在感がある。

⑨シヴァ・パールバティ寺院(Shiva Parbati Temple、11)
e0074199_6384176.jpg 寺院というより、普通の家かホテルの様なそっけない建物。
e0074199_14494563.jpg 開放された窓からは・・・!!
 シヴァとパールバティ夫婦が下界を眺めている。
 なんというシュールな造り・・・。

⑩スウィート・バイラヴ(Sweet Bhairav、28)
e0074199_15173863.jpg 囲いがあって良く見えないが、シヴァの巨大な像が安置されている。
 年に1回(9月~10月)の祭りの際に、御開帳される。

⑪宮殿・モハンチョウク・ハヌマーン像(Royal Palace・Mohan Chowk・Hanuman Statue、30)
e0074199_1521537.jpg この広場の中心部に当たるのが、この宮殿。
 バサンタプル・ダルバールと内部で繋がっており、大きな複合建築物を形成している。
e0074199_15254792.jpg これに繋がるモハン・チョウクの出入口は立派な造り。
e0074199_15265654.jpg この建物群の前に立っているのがコレ。
 色んなものを被っていてよく分からないが、ハヌマーン像。
 ヒンドゥー神話「ラーマーヤナ」に登場する猿神だ(ラーマーヤナについてはコチラ参照)。

 この1672年にPratap Malla王によって建てられたハヌマーン像が、そのままこの王宮跡の名称である「Hahuman Dhoka Durbar Square」になっている。

⑫タレジュ寺院(Taleju Temple、38)
e0074199_15364877.jpge0074199_1537125.jpg ネパールの神の名前を拝するこの寺院は、高さ36.6mの荘厳な造り。
 1564年に、Mahendra Malla王によって建てられた。
 毎年10月に開催される祭りでは、この寺院で神に対する生贄として、羊の頭部を108つ供える。

⑬カル・バイラヴとその周辺(Kal Bhairav、33)
e0074199_1542233.jpg このド派手な石像(というか壁画?)は、シヴァ神を彫ったもの。
 昔、広場の北のはずれにあったものを、Pratap Malla王が現在の位置に移した。
 たくさんの参拝者がやってきては、祈りを捧げる。
 この石像の右奥にある、8角形の屋根をした寺院はチヤシン・デガ(Chyasin Dega、7)で、クリシュナ神を祀っている。
 Pratap Malla王が亡くなった2人の王妃を偲んで1649年に建てたものだ。
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 石像の左側にあるのは、ジャガンナート寺院(Jagannath Temple、31)で、1563年にMahendra Malla王によって建てられた。
 しかし、インドのプリー(Puri)にある本家本元のジャガンナート寺院とは随分違った雰囲気だ。

⑭コチリンゲシュワル・マハデヴ寺院(Kotilingeshwor Mahadev Temple、5)
e0074199_15562871.jpg 突然石造りの、違和感タップリのこの寺院は、シヴァ神を祀っている。
e0074199_15571798.jpg 中には、笑っちゃいけないけど笑ってしまうデザインの黄金のシヴァリンガ(シヴァ神の男根)。
 男根に衣装を着せて、顔を付けるこのセンスって・・・恐るべし。

⑮マヘンドレシュワル寺院(Mahendreswor Temple、1)
e0074199_1605287.jpg その名が示すとおり、Mahendra Malla王が1562年に建てたもの。
 淡い色使いが鮮やかな印象を与えるこの寺院には、シヴァ神が祀られており、シヴァの乗物の牛ナンディも見られる。

⑯タラニ・デヴィ寺院(Tarani Devi Temple、39)
e0074199_17331658.jpg (記憶がちょと曖昧だが)広場のはずれにある寺院。
e0074199_17332935.jpg これといった特徴は無いが、壁に書かれた落書き(?)が面白かったので。


意外な一面・・・
e0074199_17372022.jpg ヒマラヤを頂く土地からはあまり想像出来ないが、カトマンズの水道事情は良くなく、このように街中の井戸・水道に列を作る光景が珍しくない。
 上水道設備の整備が遅れているのだろうか・・・?



オススメ度(100%個人主観)

    ★★★★☆ ・・・ インドと全く違う雰囲気のヒンドゥー寺院

所要観光時間

    2.5~3時間
by bharat | 2007-03-03 10:30 | インド周辺国ぶらり旅
デリー24 鉄道博物館
e0074199_1684133.jpg 各国大使館が並ぶ、デリー市内のチャナキャプリ(Chanakyapuri)地区。
 その一角、ブータン大使館の隣にあるのが、鉄道博物館(National Rail Museum)だ。


インドの鉄道
 中の様子は後述するとして、まずはインドの鉄道について少々。

 インドの鉄道は、総延長63,000km、世界第4位の長さだ。
 その大部分は、イギリス植民地時代に敷設された「遺産」で、軌道(Rail)や貨車もイギリスの面影を色濃く残している。

 この「遺産」、インフラが脆弱なインドにおいて、かなり立派な役割を果たしていると言えるのだが、マイナス面が無くはない。

 まず、当たり前だが老朽化。
 これだけ敷設面積が広範なので、取替も容易ではない。
 
 それから、スペック。
 宮殿列車のくだりでも書いたが、当時のイギリスのインド分割統治のせいで、各地域でレールの幅がなんと4種類も混在している。広軌(1,676mm)・狭軌(1,000mm)・ナローゲージ(762mm・610mm)が入り乱れて走っているのだ。当然電車の幅もこれに拠っている。

 運行管理も頭の痛いテーマだ。
 殆どの路線が客貨両用になっており、また単線区間も多く、特急列車でも平均時速50kmそこそこという有様。
 加えて、自然災害等によって、長距離特急列車で3~4時間、貨物列車で半日遅れることがしばしばある。
 日本の9倍という国土をカバーするにはあまりにしんどい環境だ。


 最近でこそ、飛行機の国内線で移動する旅客が増えたが、低所得層にはまだまだ買えるチケットではない。
 彼らは、恐ろしく安い自由席券を購入し、何十時間もかけて電車で長距離移動するのだ。


100歳以上の列車がズラリ

 博物館の敷地内には、昔の列車がたくさん展示してある。
 1900年代初頭のものが多く、なんと100歳以上ということになる。
 外装を綺麗に塗っていることもあり、今でも走り出しそうな感じだ。
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 インドの列車の特徴が良く見れたのがこの車両。
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e0074199_20163845.jpg 車両の前面についている障害物避けが、鉄板状ではなく、鉄格子状になっている。
 まぁ、インドでは殆ど雪が降らないから、これで用足りると言うことか・・・。
 あと、連結器の形状が日本のそれとは違う。これはイギリスに見られる方式でフックをネジの要領でグルグル回すと対象物に引っ掛け固定できる仕組。
e0074199_20165579.jpg 一方、日本式は、「C」の字をした連結器同士を軽く押合い、ガッチャンとはめ込む仕組だ。


 これも面白い特徴を持った列車。
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e0074199_2024532.jpg パッと見、普通のカワイイ配色の蒸気機関車なのだが、下の車輪部分が何か・・・変。
 !!・・・外側の車輪の内側にデッカイ歯車がたくさん。
 実はこの列車、高山仕様で、斜度のキツい坂を登るためにギアを持っているのだ。
 浦安ネズミーランドのカリブの海賊のボートみたいな仕組だな。


 ここからの3車両は立看板付だったので、詳しく。
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 こちらは1930年製。
 製造は、バルカン・ファウンダリー(Vulcan Foundry Ltd.)となっている。
 同社は、イギリスのランカシャー地方の会社で、元々は車両ではなく橋梁や踏切の鉄製部品を製造する会社で、1832年設立(当初はCharles Tayler and Company)。
 1835年より国内用のみならず、フランス・オーストリア・ロシアへの輸出を手掛け、1852年には世界で初めてインドに蒸気機関車を輸出した。
 その後も、積極的な技術革新でディーゼル機関・電気機関を製造。
 吸収合併によって様々な名称に変わったが、最終的に2002年に製造所は閉じられた。

 因みにこのバルカン・ファウンダリー社、日本にも深い関係がある。
 明治時代初期、外国船来航等で、蒸気機関の存在を知りその開発・導入に躍起になっていた日本は、1871年(明治4年)公式には初めて外国製機関車を輸入した。
 この「1号機関車」こそが、バルカン・ファウンダリー社製だったのだ。



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 これは1907年製。
 製造は、ノース・ブリティッシュ・ロコモーティブ社(NBL:North British Locomotive Company)。
 NBL社は、1903年にイギリスのグラスコーに拠点を構える3社(Sharp Stewart社・Neilson & Co.社・Dubs & Company社)の合併によって出来た会社で、当時ヨーロッパ随一の規模を誇った。
 製造する蒸気機関車は国内のみならず、遠くはマレーシアへも輸出・使用された。
 ところが同社は、蒸気機関からディーゼル機関への技術革新に失敗、1950年代からドイツ企業MANと手を組むこととなる。
 最終的に、NBL社は1962年4月19日に破産、鉄道界からその姿を消す。



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 これも、1907年製。
 製造は、ナスミス・ウィルソン・アンド・パトリクロフト社(Nasmyth Wilson & Patricroft Ltd.)。
 この会社はジェームス・ナスミス(James Nasmyth)によって1836年に建てられた。
 彼は、「ナスミス・ハンマー」なる工具を発明するなど、技師としての才を見せた。
 合併・統合を繰返し、一時期はイギリス植民地のインド・ニュージーランドにも機関車を輸出したが、1940年に会社を閉じた。


隅っこには、世界遺産も
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 敷地の一番奥の目立たないところに、ちょっと変な形の小さな蒸気機関車と客車がポッツ~ンと置いてある。
 なんとこれ、ユネスコ世界遺産の1つ「ダージリン・ヒマラヤ鉄道」の機関車と客車なのだ。
 機関車には、製造会社シャープ・スチュワート(Sharp Stewart & Co.)の文字が。
 型式はB-777、1889~1952年の製造だそうだ。
 客車は、恐ろしく小さい・・・何人乗りなのかな。
 外側には、ダージリン・ヒマラヤ鉄道のロゴ。

 ・・・うぅむ、実物を見ると、是非乗りに行きたくなるなぁ。


その他
e0074199_7423153.jpg あと、興味深かったのがこれ。
 『機関車トーマス』などでよく登場する転車台(Turn Table)。
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 一見普通なのだが、上述したように線路幅が異なるため、複数の幅に対応するようにレールが配置されているのだ。
 こんなの、インドだけぢゃなかろうか?



 ・・・無造作に列車が置いてあると言えばそれまでなのだが、展示車のバラエティが豊富な上に、インドの鉄道の歴史そのものがユニークなので、なかなか楽しい。
by bharat | 2006-11-30 10:30 | デリー市内あれこれ
史跡の保存・復興・管理

 インドを旅していて、ふと思ったことがある。

   「史跡って、誰がどうやって保存しているのだろうか?」



 ちょっと調べてみたら、どうやらインド全土でASIなる機関が統一的に活動しているらしい。
 ASIはArchaeological Survey of India、考古学調査研究所。
 インド政府管下の政府系組織で、観光文化省(Ministry of Tourism and Culture)の文化局(Department of Culture)に属している。
 主たる活動は、遺跡発掘および保存、これに係るノウハウの蓄積・教育、書籍発行など。
 その歴史はウィリアム・ジョーンズ卿が1784年にコルカタで古物収集家の集団Asiatic Societyを組織したのが前身だと言われる。この集団が、19世紀始めにタージ・マハルファテープル・シークリなどは、この頃からちょこちょこ修復されていたようだ。

 画像は、修復保存作業のBeforeとAfter。

 こんなボロい建物が・・・
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 こんなに綺麗に復活!!
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 ただ、全部の建物がこのようなリフォームをされるとは限らない・・・というより、そうでない場合が圧倒的に多いのでは、と思う。

 別に、懐古主義ではないが、何千年という歴史を持つ国は世界中にそう存在しない・・・ASIにはもっと頑張ってもらって、インドの史跡の保存をジャンジャンやっていって欲しい。
by bharat | 2006-09-16 10:45 | インドぶらり旅
第70回旅行は、ムンバイ沖に浮かぶ島 エレファンタ
e0074199_6183512.jpg 
ムンバイ(ボンベイ)
の半島の東約10km、海上に浮かぶ小さな島がエレファンタ。8平方kmのこの小さな島には、1,600人が暮らしている。


時間が勿体無いぞ・・・
e0074199_616276.jpg 島なので、アクセスは当然船。
 ムンバイのインド門の船着場から、定期船が出ている。
 時間は1時間おきで、朝イチの船は9時。

 ・・・の予定だが、30分以上遅れて漸く出発。
 島には、狭い湾内の波に揺られながら、1時間。



ヒンドゥー石窟寺院
e0074199_410181.jpge0074199_4104114.jpg 島に降りると、長い桟橋状の足場をひたすら歩く。
 4ルピー(約10円)で、トロッコ列車に乗れるが、歩くのと殆ど同じ速度。

e0074199_4202124.jpg 露店が並ぶ石段を100~150段くらい登っていく。
 チケット売場で例によって不公平なガイジン料金250ルピー(約650円)を払う・・・因みにインド人なら10ルピー(約26円)だ。

 いきなり見えてくるのが、第1寺院。
e0074199_4272599.jpg シヴァ神を祀るこの寺院には、壁の至るところにシヴァの巨大な彫刻が。
 その作風は、アジャンタエローラの石窟にクリソツ。
 ・・・保存程度でいくと、エレファンタ島の方が悪い。
 本堂奥には、3つの顔を持つシヴァ「マヘーシュ・ムルティ(Mahesh Murti)」。
e0074199_4372141.jpg 寺院中央には、リンガが祀られている。


e0074199_4403058.jpg 第1寺院の脇にも、小さな寺院があるが、別にたいした事は無い。


近代兵器がなぜここに・・・?
e0074199_4434622.jpg 第1寺院付近にある喫茶店では、犬と猿が休憩中。
e0074199_51666.jpgその喫茶店の脇の石段を進むと・・・「Canon Hill」?
e0074199_4483851.jpg ここから結構歩くが、丘をどんどん進んでいくと、こんなものが。
 随分と近代的に見えるが、最近のものなのか?



 ・・・以上、アッという間に見終えてしまった・・・。
 でも、帰り便が12時発なので、待ちぼうけ。
 おまけに、潮の流れで2時間も海上をフラフラしてた。


オススメ度(100%個人主観)

   ★☆☆☆☆ ・・・ これで世界遺産?という物足りなさ

観光所要時間

   5時間 (船の時間の関係で仕方ない)
by bharat | 2006-08-20 10:30 | インドぶらり旅
第69回旅行は、インド最大の都市ムンバイ
e0074199_6164829.jpg 今まで、実はビジネス目的以外で行ったことが無かったムンバイ。
 今回、半日かけてじっくり周ってきた。


ムンバイの歴史
e0074199_543469.jpge0074199_551731.jpg ムンバイは、元々今の様な地形ではなかった。
 16世紀までは、7つの小さな島で構成される漁村の集落群だった(左の地図の通り)。
 1534年に、この一帯はグジャラートのスルタン(奴隷王朝)から当時積極的な植民政策を採っていた欧州列強の1つポルトガルの手に渡る。ポルトガルは、当時一大貿易港になっていたゴアの補助港として、このムンバイを活用しようとした。ただまだこの頃は、小さな要塞や教会を建てた程度だったという。
 尚、ムンバイ(ボンベイ)の地名の由来は、漁民の信仰していた女神ムンバに由来するとも、ポルトガル語の「良き湾」に由来するとも言われている。
 その後、1661年、ポルトガル王の妹カテリーナとイギリス国王チャールズⅡ世の婚儀に際し、ムンバイは持参材として英国に割譲された。
 1668年には、英国政府から東インド会社に貸与された。東インド会社管轄下のこの時代に、ムンバイは大きく都市機能を発展させる。17世紀の宗教政策等により、ゾロアスター(拝火)教
教徒やグジャラート商人が流入、商館や病院、工場なども増えていった。
 19世紀に入ると、7つの離れた島を繋いで1つの大きな半島にするという大規模な埋立工事が実施された(右の地図のようになった)。こののち、ムンバイは湿地や入り江の多いグジャラート地方の産物の積出港、内陸部デカン高原からの産物の積出港として多いに発展していく。
 現在、人口は1,500万とも1,600万とも言われ、デリーを差置いてインドの最大都市である。



欧州建築の数々

 ムンバイには、ポルトガル・英国の中世建築様式を踏襲した立派な建物がたくさん残っている。

ヴィクトリア・ターミナス(Victoria Terminus)駅
e0074199_0471640.jpg 現在は、インド名チャトラパティ・シヴァジー・ターミナス(Chhatrapati Shivaji Terminus)の名で呼ばれる駅舎。
 現在も、ちゃんと駅舎として使われている。
e0074199_134598.jpg ヴィクトリア・ゴシック建築様式のこの建物は、1888年、建築家フレドリック・ウィリアム・スティーブンス(1848~1900)によってデザインされ、学生や職人たちの協力を得て完成した。
 レンガの重厚な外観、内部には木製の柱、至るところに見られる細かなステンドガラスは、とても上品な雰囲気。
 建物だけじっと見てると、英国にいるような雰囲気になる。
e0074199_116545.jpg 現在、毎日1,000本の列車と200万人の乗客が出入りするこの駅舎は、2004年、ユネスコ世界遺産に指定された。

行政庁舎
e0074199_1455325.jpg 駅舎と同様、フレドリック・ウィリアム・スティーブンスにより1893年に建立。縦に長い構造で、全高約80m。

プリンス・オブ・ウェールズ(Prince of Wales)博物館
e0074199_1351447.jpg スコットランド人建築家ジョージ・ウィテットによって1905年~1937年という歳月をかけて完成した。
 今回は、時間が無かったので外見のみ。中は、3世紀~19世紀の彫刻など、バラエティに富んだ展示物があるという。

インド門(Gateway of India)
e0074199_1514679.jpg プリンス・オブ・ウェールズ博物館同様、ジョージ・ウィテットの手によって1924年に建てられた。
 1911年の英国王ジョージⅤ世とメアリー王妃のインド訪問を記念して作られたのだが、訪問時には完成が間に合わなかった。
 英国の威信を示したこの門は、奇しくもインド独立の際の英国軍の撤退路となる。
 尚、この門の脇から、エレファンタ島への定期船が出ている。

タージ・マハル・ホテル(Taj Mahal Hotel)
e0074199_2101392.jpge0074199_2102938.jpg 1903年に建てられた。
 現在、インド最大の財閥タタの創始者であるゾロアスター教の事業家ジャムシェドジー・タタ(Jamshedji Tata)は、「白人しか入れない」としてワトソンズホテル(今はもう無い)で門前払いを食ったことに怒り悔しがり、英国人の経営するホテルを遥かに凌ぐ巨大ホテルを建設した。
 現在は、隣に背の高い新館もあるが、本館は今も現役。
 四隅の塔がインド建築(ハイデラバード(Hyderabad)のチャルミナールみたい)なのに、真ん中のドームはツルツルぢゃない(欧州建築?)。欧州建築を模倣しながらも、インド建築の主張も入っている、興味深いデザインだ。


由緒正しき会員制の施設
 ここムンバイには、英国統治時代の歴史ある施設が、今も使用されている。
 その殆どは、伝統を重んじ、会員制を採っている。

e0074199_2361795.jpg ロイヤル・ボンベイ・ヨットクラブ(RBYC)は、1846年に出来た団体で、創立実に160年。
 会員制を敷いており、会員とそのお客さんしか入れない。
e0074199_2395947.jpg 当時、こんな感じだった建物は、
e0074199_2464562.jpg 今も、ちゃんとメンテナンスされ、とても落着いた良い雰囲気。
e0074199_2481752.jpg 英国風に、ムードのあるパブも。
e0074199_250244.jpg また、建物の上層階は、ゲストハウスになっていて、会員・ゲストは予約さえすれば、長期/短期問わず宿泊出来る。


 ・・・うぅむ、やはり、名家や金持ちは特権を持っているんだなぁ・・・羨ましい限り。


オススメ度(100%個人主観)

   ★★★☆☆  ・・・ 特権を持った御友達と来るべし


観光所要時間

   1~2時間
by bharat | 2006-08-19 10:30 | インドぶらり旅