タグ:世界遺産 ( 32 ) タグの人気記事
デリー 11 市内にそびえ立つ世界遺産 クトゥブ・ミナール
 デリーには、2つの世界遺産がある。
 1つはフマユーン廟、もう1つが今回行ったクトゥブ・ミナールだ。

e0074199_7294916.jpg




奴隷王朝の遺産群

 この塔及び周辺の建物は、12世紀後半、奴隷王朝のクトゥブッディーン・アイバクによって建てられた。
 彼自身の死により、建設は一時中断するものの、彼の娘婿アルタミシュによって引継がれた。
 その後、数世紀に亘って、色々な建物が増改築された。

クトゥブ・ミナール
e0074199_19243846.jpg クトゥブの尖塔(ミナール)。
 高さ73.5mの5層建で、第1層の直径は14.32m、最高層の直径は2.75m。中には370段余りの螺旋階段が配されている。
 その高さのあまり、1368年と1503年に落雷に遭い、大きな被害を受けたようだ。

 以前は中の螺旋階段を上って最上部から周りの景色を見ることが出来たらしいのだが、小児の転落死亡事故が発生してからは閉鎖されてしまった。現在は、最上部に置かれたカメラの映像を下から確認することしか出来ない(10ルピー≒26円)。
e0074199_19364990.jpg



アライ・ダルワザー(Alai Darwaza)
e0074199_19431447.jpg 1311年、アラウッディン・カルジーによって造られた、この建物群の正門。
 馬蹄状の天井部分にも細かな彫刻が施されているのが特徴的。
 また、蓮の花をあしらった彫刻が見られ、以降のムガル建築に見られる純イスラム(対称性を追求し、幾何学模様がメイン)とヒンドゥー建築(蓮の花をあしらった彫刻が多い)との融合の一端を伺うことが出来る。



イマム・ザミン廟(Imam Zamin's Tomb)
e0074199_19543955.jpg イマム・ザミンは、ローディー王朝期に、タルキスタン(現トルコ)からやってきた識者。1539年没したイマム・ザミンがここに埋葬されている。



クワットゥル・イスラム・マスジッド(Quwwaulislam Masjid)
e0074199_3502147.jpg 12世紀後半、クトゥブッディーン・アイバクが建てたモスクで、中庭は実に43m×32mもある。
 建物部分は痛みが激しい。

e0074199_4285157.jpg 中庭にニョキッっと立っている鉄柱が1本。
 4世紀に造られた寺院の一部であったが、この場所に移築された。
 高さは7mで、鉄製。
 純度がとても高いので、あまり酸化せず、今でもさほど錆びていない。



アラウッディン・カルジー廟と学校施設
e0074199_4374587.jpg アラウッディン・カルジーの廟と、イスラム教育のための学校施設(マドラサ:Madrasa)。



アライ・ミナール(Alai Minar)
e0074199_4445043.jpg アラウッディン・カルジーが13~14世紀に建てたもの・・・というか途中まで建てたもの。
 直径がクトゥブ・ミナールの倍くらいあることから、恐らく高さも150mくらいにする予定だったと思われるが、戦争勃発によりそれどころでは無くなり、結局24.5mで建設は止まってしまった。





  奴隷王朝期の遺跡で、これだけ大規模で保存状態が良いものはあまり見たことが無いので、個人的には気に入ったな。
by bharat | 2006-03-03 10:30 | デリー市内あれこれ
第42回旅行は、世界遺産の太陽寺院(コナーラク)
 ブバネシュワルから南東に約70km。
 世界遺産の太陽寺院のあるコナーラクに到着。

太陽寺院(Surya Temple)
e0074199_581024.jpg
e0074199_524344.jpge0074199_525564.jpg 13世紀に建てられたこの壮大な寺院(1,200人が16年かけて作られた)。
 ときの王朝東ガンガ朝のナラシンハデーヴァ1世がイスラム勢力への勝利を機に建てたといわれる。
 文字通り、太陽神スーリヤを祀るこの寺院は、元々はもっと大規模な構造物だった。
 前面にはダンスホールを配し、その後ろには7頭の馬に挽かれた24つの車輪の馬車を模した寺院という構造。その寺院も、今残る高さ38mの屋根のあるオーディエンスホール(集会所)のさらに後部には倍近くの屋根をもつ本堂があったという。17世紀、海賊の巣窟と化していた(当時は、この寺院のすぐ近くに海岸線があった)この寺院の本堂が崩落した。今でも、残る建造物は不安定で、補強建築が施されている。


ダンスホール
e0074199_5373936.jpg 5mの台座の上に建てられたダンスホール。
 ちょうどこの高さが海抜0m・・・日の出/日の入の際には陽光が真横からこのホールに差し込むのだそうだ。
e0074199_538073.jpg


集会所
e0074199_5531956.jpg この建物は、下の方の保存状態が良い。
 車輪とその周囲には、細かい彫刻が綺麗に残っている。
e0074199_5534387.jpg 車輪は、女性の生活を示しており、8本のスポークが3時間ずつ仕切っている。
 女性の艶かしい曲線美は、カジュラホの彫刻に似ている。



スーリヤナラヤン寺院
e0074199_6414283.jpg 敷地内、最奥に位置するこの寺院。
 煉瓦製の建物は9世紀頃の建立とされている。


マヤデヴィ寺院
e0074199_6432861.jpg ナラシンハデーヴァ1世の父親が、建てたものと言われる。



オススメ度(100%個人主観)

     ★★★★☆

観光所要時間

     2時間
by bharat | 2006-02-23 10:30 | インドぶらり旅
第38回旅行は、ブッダガヤー(ボードガヤー)
 仏教の祖ブッダが悟りを開いたとされる地が、ここブッダガヤー(ボードガヤー、Bodhgaya)。
 インドだけでなく、各国の仏教寺院が立ち並ぶ独特の街並みを形成している。
 日本の寺院やゲストハウス等もあり、日本人観光客を見かける事も珍しくない。

悟りの地
e0074199_4192727.jpg ホテルの受付にも仏陀像があるくらい、仏教に染まった場所、ブッダガヤー。
 ここは、ゴータマ・シッダールタが35歳のとき、悟りを開き、ブッダ(悟りを開いた人)となった場所だ。彼が瞑想した樹は、菩提樹と呼ばれるようになった。



世界遺産 大菩提寺
e0074199_15274489.jpg

e0074199_4403693.jpg このユネスコ世界文化遺産に指定されている巨大な寺院は、アショカ王が紀元前3世紀に建てた仏教寺院が原型だと言う。
 その後、紀元後2世紀、11世紀、19世紀に手を加えられて今の姿になった。
e0074199_444628.jpg 入口から垣間見れる金色のブッダ。
 本堂に入ると、多くの参拝者に囲まれた大きなブッダ坐像を拝むことが出来る。
 定期的にガラスが開けられ、掃除されている。
e0074199_4475725.jpg 寺院の外周には、菩提樹があり、一般参拝者、袈裟を着たアジア人の僧たちがしきりに祈っていた。
 因みにこの菩提樹、分け木してスリランカのアヌラーダプラの渡ったものを再度分け木してブッダガヤーに持ち帰ったものだそうだ(元々ブッダガヤーにあった菩提樹は枯れてしまった)。
e0074199_4493810.jpg 





各国の仏教寺院
 この街並みを特徴的なものにしているのが、各国の仏教寺院だ。
 通りに、全く雰囲気の異なる仏閣が並ぶ様は、ここならではだろう。
ブータン
e0074199_6282166.jpg チベット仏教が特徴の寺院。
e0074199_75562.jpg 極彩色の壁・天井が綺麗だ。
 後日、ブータンを旅して、このような建築物・仏像を沢山を見ることが出来た。
(詳しくはブータンパロティンプータクツァン参照)

中国
e0074199_79387.jpg こちらは、中国の寺院。
 外見こそ地味だが・・・
e0074199_713402.jpg 本堂の中の3連仏像は実に豪華。

日本
e0074199_7174621.jpg 勿論、日本の寺院もある。
 敷地もかなりのもので、敷地内には鐘、仏塔(ストゥーパ)などが配されている。
 本堂には上品な仏像、庭園には巨大仏陀坐像がある。
e0074199_7305684.jpg
e0074199_7311612.jpg

タイ
e0074199_750761.jpg ド派手な三角屋根が特徴のタイの寺院。
 中の仏像や壁画も派手。
 後日、タイに訪れた際に、同様の配色の寺院を観た(こちらバンコク旅行記参照)。
e0074199_8174327.jpge0074199_817579.jpg

ネパール
e0074199_8185179.jpg こちらはネパール寺院。
 ブータンと同様、チベット仏教色が特徴的。
e0074199_8193093.jpg 他の寺院と空気が異なり、僧たちが経をあげており、厳かな雰囲気。



スジャータの家
e0074199_23564847.jpg 市の中心を少し離れたところにある。
 スジャータは、悟りの境地を発見出来ないシッダールタ(ブッダは悟りを開いてからの名前)に乳粥を施した女性。
 シッダールタはその21日後、菩提樹の下で悟りを開き、ブッダとなる。
e0074199_016128.jpg スジャータ・・・どこかで聞いた名前だと思ったら、コーヒーミルクのブランド名だ。
 めいらくグループのこの商品のキャッチコピーは褐色の恋人。
 こんなところで、インドの史跡と日本の商品がリンクするとは。



スジャータ寺院
e0074199_0235167.jpg 村落にあるスジャータ寺院には、スジャータがブッダに乳粥を差出す場面を再現した像を見ることが出来る。



ドゥンゲシュワリ石窟寺院
e0074199_0423665.jpg シッダールタがブッダガヤーで悟りを開く前に、苦行を行った場所だと言われている。
 平原に突然現れる岩山のふもとには、観光バスやタクシーなどが大挙していた。
e0074199_0444492.jpg 階段を登って行くと、岩をくり貫いた御堂が出てくる。
 中では、護摩を焚いており、外にまで煙がもうもうと垂れ込めていた。
e0074199_048355.jpg 余談だが、駐車場と御堂を繋ぐ通路・階段には、乞食がたくさんいた。
 喜捨を求めているのだが、果たして彼らは仏教徒なのだろうか・・・?



オススメ度(100%個人主観)

    ★★★★☆

観光所要時間

    5~6時間
by bharat | 2006-02-19 10:30 | インドぶらり旅
第2回旅行② アグラ再訪
e0074199_6491765.jpg 宮殿列車の旅、最後(9番目)の目的地は、アグラのタージ・マハル。
 僕個人としては、ここを観光するのは2回目。
 1回目訪問時の様子は、コチラを見て欲しい。

 今回は、前回観光時からの追加・補足など・・。


本堂の中を激写!
 タージ・マハルの本堂およびその周辺は、カメラ等での撮影は原則禁止。
 特に、本堂内には多くの警備員がいて、カメラを見るや否や、フエを吹きながら「警察に突き出すぞ」と脅す始末・・・職務を全うするのは分かるが、客相手にそんなにキツくあたらなくても・・・。

 で、今回は、何とか本堂の様子をカメラに収めたいと思い、方々に御願いし、撮らせてもらった。
 大きな大理石をくりぬいて造った棺の囲いは、象牙細工の要領で石を加工したものだが、象牙と違って細かな加工はとても難しく、2度と同じものを造ることは出来ない程だという。
e0074199_651328.jpg

 シャージャハーンとその后ムムタースの棺の中に、2人の遺体は存在しない。
 飽く迄展示用ということだが、良く出来ている。
 ちなみにこの2つの棺が、タージ・マハルの中の全ての建築物で唯一シンメトリック(対称)でないものだということだ。
e0074199_6515053.jpg



進化した保全対策

 建築物の保全に対する対策は、以前訪れたときよりも更に強化されていた。

e0074199_6574156.jpg まず、履物。
 クツのまま入れる様、クツカバーを配布していた。これを装着すれば、クツを脱がないでも本堂に入ることが出来る。・・・が、何故か、左右の礼拝堂には上がることは出来ない(本堂以外の守衛は、全く主旨を理解していないようだった)。うぅむ、何とも片手落ちな対策。

 駐車場からタージ・マハルまでの移動に使われる、電気自動車も新調されていた。リキシャーと合せて、グリーンを基調としたデザインの車は、見た目にも爽やか♪
e0074199_658135.jpg
e0074199_658219.jpg



オススメ度(100%個人主観)

   ★★★☆☆ ・・・前回観光時と同様
by bharat | 2005-11-22 05:58 | インドぶらり旅
第23回旅行は、ムガルの帝都ファテープル・シークリ
 宮殿列車の旅も終盤、8番目の目的地へ。
 列車は、ラージャスターン州から東隣のウッタル・プラデーシュ州に移り、ファテープル・シークリ(Fatehpur Sikri)という場所に到着。

一時は帝都、すぐに廃墟・・・
e0074199_537354.jpg
 「ファテープル・シークリ」という舌を噛みそうな名前のこの土地は、ウッタルプラーデシュ州の西端に位置する小さな街。現在の人口は約3万人ほどだが、かつてはムガル帝国の都があった場所で、第3代皇帝アクバルが建設した。
 アクバルは、1562年にジャイプールのマハラジャの王女マリアム・ザマーニーと結婚したんだが、世継ぎ(男の子)がなかなか出来ず悩んでいた。そこで、ファテープル・シークリに住んでいたスーフィー(イスラム神秘主義)のサリーム・チシュティという聖者に相談したところ、「すぐ生まれるよ」との予言を受ける。実際その直後に、世継ぎ(のちの4代皇帝ジャハーン・ギール)が生まれ、喜んだアクバルは1569年にこの土地に都を移すことを決定、1577年からここを帝都とした。アクバルの統治期には大いに栄えたと言われるが、砂漠地帯であった為に慢性的な水不足が解消されず、1588年にはラホール(現パキスタン)に遷都されてしまった。

大奥はさぞかし・・・
e0074199_6114944.jpg アクバル帝は、宗教信仰に非常に寛容で、イスラム教・ヒンドゥー教・キリスト教・仏教等全ての宗教信仰を許した。彼の妻は5,000人いたと言われるが、彼女らの信仰宗教は千差万別だった。・・・って、皇帝はそれで良いかも知れないが、大奥はさぞかしスゴい事になっていたに違いない・・・。(画像はイメージね)


建物群の詳細
e0074199_5393095.jpge0074199_5391573.jpg ディワニ・カース(Diwani Khas)という謁見室は、外形こそ正方形で地味だが、内部には華の模様をした石柱がありここから建物の四隅に橋が渡してある。アクバルは、この通路を行き来して様々な宗教学者と日夜議論をしたとされている。
e0074199_5413067.jpge0074199_5411592.jpg ジャマ・マスジッド(Jama Masjid)というモスク(イスラム廟)は、メッカのモスクを真似たも
のとされ、イスラム色の強い建築物。中には礼拝堂があり、観光客と礼拝者が入り混じって、ゴッタ返していた。


 尚、このファテープル・シークリは、1986年ユネスコ世界遺産(文化遺産)に指定されている。近く(40~50km)にアグラ(Agra)のタージ・マハル(Taj Mahal)があるため、あまり目立たないが、こちらも見応えタップリだ。

オススメ度(100%個人主観)

  ★★★★☆ ・・・個人的にはタージ・マハルより好き。
by bharat | 2005-11-21 05:06 | インドぶらり旅
第22回旅行は、世界自然遺産ケオラデオ・ガナ
 今回は、宮殿列車の旅7番目の目的地バーラトプル(Bharatpur)。

鳥・鳥・鳥
e0074199_16153685.jpg
 ケオラデオ・ガナ(Keoladeo Ghana)国立公園は、インド国内のユネスコ世界自然遺産に指定(1985年)されている公園だ。ランタンボール国立公園とは少々趣向が異なり、この30平方kmの公園には大量の鳥が棲息している。種類にして364の鳥が確認されており、中でも目立つのがツルやサギなどの、クチバシが長くて体の大きい鳥。
e0074199_1616847.jpg


食べられにやってくる!?
 この公園に、鳥が集まる理由は単純、水が豊富だから(今でも時折かんばつに見舞われるらしいが、頻度は少なく、僕が見たときも大きな湖・沼が広がっていた)。周囲が水の乏しい地域にあって、ここは水が豊富で、鳥にとってはここしか立寄るところがない。渡り鳥の格好の越冬地になっている。
 何故、ここだけ水があるのかというと、ここバーラトプルのマハジラジャがこの地に鳥を留めて、食したり狩猟したりしたかったからだと言う。なんとも皮肉。マハラジャは、財力の限りを尽くして、周囲の用水路から水を引っ張ってきて、この場所に湖沼を造ったんだそうだ。

環境対策
 ランタンボール国立公園はガソリン車での園内観光だったが、ここケオラデオはチャリンコ(サイクルリクシャー)。世界遺産に登録されると、その保全対策も厳しく要求されるということか・・・。その影響か知らないが、空気はとても澄んでいて、のどかに観光出来た。


オススメ度(100%個人主観)

   ★★☆☆☆ ・・・トリにあまり造詣が深くないもので。
by bharat | 2005-11-18 11:30 | インドぶらり旅
第16回旅行は、ヒンドゥーの「性」地 カジュラホ
 今回は、カジュラホ(Khajuraho)に行って来た。
e0074199_0135472.jpg

 世界中に、ユネスコ認定の世界遺産は数あれど、こんな遺跡はここだけぢゃなかろうか・・・。
 ヒンドゥー教寺院群の彫刻の中に、数々の男女接合(要はS☆X)像があることで有名な場所だ。

 思い立ったが吉日、ということで、出発前日に旅行代理店と電話で連絡を取りつつ、航空券・宿・現地ガイドの予約を済ませ、前日夜に航空券とホテルチェックイン用のバウチャーを受取った。
 話はソレるが、インドの航空国内線の金額は驚くくらい高い。オーストラリアも確かそうだったが、国内産業保護のせいなのか、平気で往復10,000ルピー(約26,000円)を超える。今回も、往復で11,000ルピー余り・・・イタい出費だな・・・やっぱり移動は電車かバスに限るな。

カジュラホの概要

 ヴァラナシ経由で、カジュラホ空港へ向かう。e0074199_0235382.jpg
 飛行機の窓から下を見るが、何にも無いゾ・・・。

 カジュラホは、マッディヤ・プラデーシュ(Madhiya Pradesh)州の東部にある小さな村で、人口はわずか7,000人余り。デリーからは、南東の方角にあたる。
 村の名前は、「ナツメヤシ(カジュラ)」、「村(ホー)」に由来しており、今でもナツメヤシの木が生えている。
 村の主産業は、観光と農業。小麦、菜の花、グリーンピースの栽培を細々とやって生計を立てている農民が多いという。遺跡の観光で生計を立てられる人はごく一部のようで(政府公認ガイドになる必要があり、試験にパスしなくてはならない)、僕を案内してくれた人が誇らしげに語っていた。

 数々の遺跡が建造されたのは、この地がかつてチャンデーラ王朝の都だったから。e0074199_0422372.jpg 9世紀~14世紀にかけて繁栄した同王朝のもとで、数々の寺院が建てられた。特徴的なのは、同王朝がヒンドゥー教のみならずすべての宗教崇拝に対してとても寛容だったことだ。当時の建築物では無いが、後世(19世紀)にこのチャンデーラ王朝の宗教に対する姿勢を示す為に建てられた寺院が今でも残っている。一番左の円柱形の屋根がヒンドゥー教、中央の方柱形の屋根が仏教、右のドーム形の屋根がイスラム教の寺院を模している。
 チャンデーラ王朝庇護の下建設された寺院は85あったとされるが、イスラム勢力による廃仏毀釈および経年劣化(この地域一帯は花崗岩質だが、寺院はここから約35km離れたケンガワで採れる砂岩で作られた。だから彫刻し易いが、風化もし易かった)によって、今は20余りが現存するのみとなっている。


S☆X S☆X S☆X

 村の遺跡は大きく分けて、3つのエリアに分かれている。
 西エリアは、庭園状の敷地の中にヒンドゥー寺院群がある。
 東エリアは、3つのジャイナ教寺院が。
 南エリアは隣村ジャートカラ村にあり、2つのヒンドゥー寺院がある。

1.西エリア

 入場券を買って庭園内へ。
 例によって2重価格制で、インド人は10ルピー(約25円)、ガイジンは250ルピー(約630円)。
 庭園内には多くの寺院があるが、全てヒンドゥー教寺院だ。

 全ての寺院は、盛り土の上に建てられており、この一帯が湖だったことを示している。現在は庭園南側のシヴ・サーガル湖と北東のプレム・サーガル湖に僅かな水が残っているだけだ。

 現在、実際ヒンドゥー教徒が参拝する寺院は、この庭園内には無い。一旦イスラム勢力によって破壊された寺院には崇拝の価値が無いとされ、その宗教的観点から価値が残っているのは庭園に隣接するマタンゲーシュワラ(Matangesvara)寺院だけだ(同寺院については西エリアの最後に書く)。


ラクシュマナ(Lakshmana)寺院

 庭園入口から奥に向かって、左手前にあり、ヴィシュヌ神を祀る寺院。
e0074199_1164982.jpg

 930~950年に建てられたもので、外部の建築のところどころに日々の生活、特に性の営みの様子が彫られている。
e0074199_175251.jpge0074199_172464.jpg
 ヒゲを生やした王と王妃とのS☆Xには付き人が。
 人間のS☆Xを覗き見する象(右端の象だけ右を向いている)。
e0074199_184911.jpge0074199_182555.jpg 足のトゲを取る女性の尿を受ける人の像。
 丈の短いサリーを着る女性の彫刻は、当時のサリーが超ミニだったことを示している。現在の丈が長いのはイスラム勢力による影響だと言われている。



外部の彫刻下段には、戦い、戦勝祝いの様子に交じって、やはりS☆X(なんとウマを犯そうとしているものもある)の像がある。e0074199_1204175.jpge0074199_1202818.jpg



ヴァラハ(Varaha)寺院
e0074199_1151564.jpg 寺院といっても、約5m四方の敷地に一匹の巨大なイノシシがいるだけ。
 だが、このイノシシ(ヴァラハといって、ヴィシュヌ神の化身)の体に細かい像が彫られていて、結構芸が細かい。
 前述のルクシュマナ寺院より若干古く、900~925年の建設と言われている。



カンダリヤ・マハーデヴァ(Kandhariya Mahadeva)寺院
e0074199_1461295.jpge0074199_1455767.jpg 1025~1050年に建設されたこの寺院は、チャンデーラ王朝の寺院建築の絶頂を示す最高傑作と言われる。正面から奥に向かって屋根が段々高くなり、最奥部の高さは約31mにもなる。また、壁面の彫刻は3段構成になっていて、よく写真やウェブで御目にかかるものは多分この寺院のものだろう。
e0074199_1502040.jpge0074199_1504053.jpg 因みに、ヒンドゥー寺院の屋根は、シヴァ神の住んでいるとされるヒマラヤ山系のカイラーサ山を模したものだ。
 内部の本堂には、例によってリンガ(男根)が祀られている。



ジャガダンビ(Nagadambi)寺院
e0074199_242465.jpg 11世紀初めに建設された寺院で、シヴァ神→パールヴァティ神→ジャガダンビ神と祀る神を変えているのだが、本堂に祀られているのは今もパールヴァティ神だ。
e0074199_24922.jpg 外壁の彫刻はかなりディテールが凝っており、芸術というか素人目にはただの「エロ彫刻」にしか見えない・・・。イスラム教徒にも到底理解されなかったらしく、廃仏毀釈の跡が強烈に残っている。



チトラグプタ(Chitragupta)寺院
e0074199_2104917.jpg 庭園奥の寺院群の一番右にある寺院で、作りは前述のジャガダンビ寺院のパクリっぽいが、本堂に祀ってあるのが太陽神スーリヤという点で特徴的。
e0074199_210336.jpg
 イスラム勢力による破壊と経年劣化により、入口部の殆どはごく最近になって修復されたもの。


ヴィシュワナータ(Visvanatha)寺院
e0074199_2114729.jpg 1002年、時の王ダンガデーヴァによって建てられた。
e0074199_2162448.jpge0074199_216315.jpg 女性の彫刻がバラエティに富んでいて、外壁には様々な格好の女性像、また様々な体位のS☆X像がある。



ナンディー(Nandi)寺院
e0074199_2201019.jpg 寺院というか、ヴィシュワナータ寺院の一部みたいな感じ。
 シヴァ神の乗り物の牛ナンディーがドカンと鎮座している。



マタンゲーシュワラ寺院
e0074199_2324592.jpg 西エリアの中で唯一現在もヒンドゥー教徒が礼拝する、「生きた」寺院。
e0074199_234843.jpge0074199_2335625.jpg 900~925年の建設とされ、シヴァ神を祀っている。
 本堂には、巨大なシヴァリンガ(男根)が祀られており、お祈りをしてくれる教徒も傍に座っていた。寺院の外では、行者と警官が何やら痴話話。




2.東エリア

 このエリアで中心となるのは、3つのジャイナ教寺院。
 うち1つは、現在もジャイナ教徒が引切り無しに参拝に来ていた。

e0074199_2454999.jpg ジャイナ教は、紀元前5世紀頃、ヴァルダマーナが開いた宗教で徹底した不殺生を旨とする。神はおらず、24代続く「祖師」が宗教のトップにいる。教徒の中に商人が多く、彼らの財力によって寺院は豪華に装飾され、あるいは良く保存されている。
 ジャイナ教寺院の本堂に祀られている坐像などが、仏教寺院の仏像と酷似しているが、見分ける点はいくつかある。ジャイナ教の祖師はイヤリングをして座布団に座っているが、ブッダはイヤリングをせず蓮の花に座っている。



アディナート(Adinath)寺院
e0074199_2531851.jpge0074199_253416.jpg ジャイナ教寺院には、S☆Xしている像は無い(残念ながら・・・)。
 しかし、同じ王朝庇護の下、同時期に建てられているので、彫刻のタッチはとても似ている。
 それどころか、壁面にはヒンドゥー教の神の彫刻も見られる。
 この寺院の壁面には、ゴーケシュアラと言われる頭が牛で体が人間のシヴァ神の化身(方向・方角を司る神)の彫刻が見られる。
 また、バーラトナッテムと言うインド舞踊の様々なポーズをとる女性像が見られる。



パルスワナータ(Parsvanatha)寺院
e0074199_256786.jpg 23代祖師パルスワナータを祀った寺院。
e0074199_323711.jpge0074199_322581.jpg 1817年にヒンドゥー教寺院からジャイナ教寺院に変わった為、多くの彫刻はヒンドゥーの神のものだ。シヴァ神の彫刻が数多く見られ、シヴァとその妻パールヴァティが並ぶ横で化粧をする女性の像があったり、シヴァの左に死神(ヒゲが生え、右手に骸骨、左手にハゲタカがとまっている)の彫刻があったり、結構バラエティに富んでいる。

 
 
シャンティナータ(Shantinath)寺院
e0074199_37458.jpge0074199_365130.jpg 全高5mの第16代祖師シャンティナータを祀る寺院。
 現在もジャイナ教徒が多く参拝しており、祈祷を行う教徒が大勢いた。また、同寺院の正面には宿坊があり、参拝者が滞在出来るようになっている。



3.南エリア

 厳密には、ここはカジュラホ村ではなく、隣のジャットカラ村にある。
 舗装されていない細い道を進むと、ポツンポツンとヒンドゥー寺院が見えてきた。

ドゥラデオ(Duladeo)寺院
e0074199_3103774.jpg 1100年頃建てられたヒンドゥー寺院。
e0074199_316491.jpge0074199_3155268.jpg チャンデーラ王朝後期のもので、宙を舞うように踊る女性像や、様々な体位のS☆X像が見られる。



チャットゥルブージャ(Chaturbhuja)寺院
e0074199_318523.jpge0074199_319522.jpg 1100年頃建てられた寺院で、本堂に全長4mの巨大なヴィシュヌ神を祀る。
e0074199_3261684.jpge0074199_326354.jpg 前述のドゥラデオ寺院から約1km南に離れたこの寺院では、ヴィシュヌ神にまつわる面白い彫刻を見ることが出来る。
 ヴィシュヌ神の化身の奥さん(もはや訳が分からないが)のナルシンガは、頭がライオンで体が人間の女性。
 半分男性で半分女性の両性具有の彫刻は、アルダナリーシュワルと呼ばれている。



夜も寺院を堪能
e0074199_3373015.jpge0074199_3371858.jpg 日中見た寺院は、夜キレイにライトアップされる。
 毎夜開催される「ライト・アンド・サウンド・ショー」はガイジン価格250ルピー(約630円)で、英語版は19:00~20:00、ヒンディー語版は20:45~21:45。寺院が建設された当時の歴史を音声でドラマ仕立てで追いながら、ライトアップされる寺院を堪能する形式だ。1時間はちょっと引っ張りすぎだけど、なかなかキレイでよかった。



村の風景
 今回ガイドをしてくれたジュガル・ティワリさんは、政府公認のガイドで日本語も堪能。
 南エリアの寺院群のあるジャットカラ村の出身で、カーストはバラモン(ブラフマン)。
 この地域でガイドやドライバーをするのは上位カースト者が多いようで、ドライバーもバラモンだった。
e0074199_402670.jpge0074199_401530.jpg 空いた時間にジャットカラ村を少し案内して貰った。
 以前見た村(詳細は第6回旅行参照)とは違い、土壁の家は少なく、レンガの壁、しっくい壁が多い。ヒンドゥー・カースト者の割合が結構多いとのことだ。ただそれでも貧しい格好の子供は結構多く、飛行機機内で貰ったキャンディを配ると、たくさんの子供が寄ってきた。

 ジュガルさん曰く、カジュラホが世界遺産に登録されてから、色んな規制があったり(寺院の周囲の敷地の強制整理や政府公認ガイドによる観光業独占など)、環境汚染(西エリアにあるシヴ・サーガル湖は近年著しく汚染された)などの問題が発生しているが、それでも空港新設、特急用線路引込によって観光客が増えることで得られる金銭的メリットの方が遥かに大きいとのこと。
e0074199_405057.jpg 中央集権が進み、村から都市部に出稼ぎに行く傾向が強まる中で、自分の生まれた村で働き続けることが出来てとても嬉しいのだそうだ。

 インドでは、都市部と村部との間の格差拡大が問題視されているが、観光地として機能している村はまだマシということか・・・。



オマケ
 シヴ・サーガル湖近辺にあった、土産屋「Chandela Enporium」は結構オモロかった。
e0074199_3593846.jpge0074199_3592518.jpg 時間潰しにはもってこいで、物色中、飲み物もバンバン出してくれる。
 値段は高くて、値引きもしないので、何も買わなかったけど。
 画像は、気に入ったライオン像と2階の在庫部屋。



オススメ度(100%個人主観)

     ★★★★★ ・・・ ロコツな性描写を、飽く迄芸術と言い張るギャップを楽しむ

観光所要時間

     5~6時間 (全エリア合計)



by bharat | 2005-10-26 00:10 | インドぶらり旅
デリー1 フマユーン廟
 インドに来て4ヶ月弱、旅行に明け暮れる余り、デリー市内の名所を回っていたなかったなと思い、平日の空いた時間にフマユーン廟(Humayun's Tomb)に行ってきた。
 アーメダバード(Ahmedabad)アジャンタ(Ajanta)エローラ(Ellora)への旅行を引率してくれた先生が、今回のフマユーン廟見学でも、詳細な説明を交えて同所を案内してくれた。


フマユーン廟

概要
e0074199_21132993.jpg ムガル帝国第2代皇帝フマユーンの墓。
 16世紀に建設された建物で、タージ・マハルなどのムガル建築物の御手本となった建物の一つだ。
 このデリーにあるフマユーン廟と、マッディヤ・プラデーシュ(Madhya Pradesh)州のマーンドゥー(Mandu)にあるホーシャング廟(Hoshang's Tomb)が、タージ・マハルの設計の素になったと言われ、中央のドーム状の屋根を持つ建物や、庭園を4x4の正方形に区画する手法など、様々な類似点が見られる。


西部勢力の影響
e0074199_21165391.jpg 入場料(現地人10ルピー:約25円、ガイジン250ルピー:約650円)を払って中に入ると、正面後方に本堂の屋根が見える。
 右側には、見慣れない形(イスラム建築の門は通常側面はまっすぐ上に伸び、頭頂部にかけてカーブして、頂点で角度のある交わりがもっているが、この門はローマ系ビザンチン帝国の様式を採用しており、段々の形をしている)の門があり・・・
e0074199_21183718.jpg くぐった先には、円形(正確には正多角形)の建築物がある。
e0074199_2121045.jpg この建築物はじめムガル帝国時の建築物に特徴的なのは、イスラム系建築(ムガルはコテコテのイスラムですから)とヒンドゥー教寺院の流れを汲む建築がミックスされている点。
 例えば、壁面から天井にかけてスーっとすぼんでいくイスラムテイストに、ピラー(軒下のでっぱりのこと、装飾が施されていることが殆どで、ヒンドゥー寺院の多くはこれが付いている)があったりする。
e0074199_21221495.jpg また、内側の壁面には、蓮の花の装飾が施されており、これはヒンドゥー教の流れを汲むモチーフだ。
e0074199_21233655.jpg また、同じく内側壁面の柱部にあるポット状のデザインも、ヒンディー建築の派生ではないかと言われている(むかしむかし、ヒンドゥー教徒の家では、娘が結婚すると家の柱や隅に水瓶を置いてそれを周囲に知らせた。
 その後、ヒンディー建築物の柱部に水瓶のデザインを模したものが出始めた)。
e0074199_2124171.jpg 因みに、建物内部にはいくつかの棺が納められており(フマユーン帝のものではない)、フタの形で男性・女性を区別することが出来る。フタにデッパリの付いているものが男性、付いていないのが女性のもの。


とことんシンメトリー


e0074199_21253694.jpg イスラム建築で、最も顕著な特徴の一つが、対称性を追求していることだ。
 外部の門をくぐると、廟を囲む内壁が見えるのだが、門の中心が一直線上にあるのがよく分かる。
e0074199_21262564.jpg で、またその内壁をくぐると真正面に廟が見えてくる。因みにここまでの作りは、タージ・マハルもま~ったく一緒。違うのは、タージ・マハルが殆ど白色大理石で出来ているのに対して、フマユーン廟が赤色砂岩・白色砂岩・黄色大理石で出来ている点。
e0074199_21265541.jpg 廟の中央には、棺が。
 これが中央に配置されている証拠に、棺から一番外の門まで一直線に見ることが出来る。
e0074199_21271835.jpg また、廟を斜め45度から見ると、見事に左右対称・・・ここまで拘るとはスゴイな。
 設計図を見てみたいもんだ。
 余談だが、当時の設計者たちはこの廟を建築した後、腕を切断されたり処刑されたりしたそうだ。その者達の墓もちゃんとある。タージ・マハル設計の際も同様の措置が採られたそうだ。


インド人の美術センスへの影響!?

 こういった世界遺産やそれに準ずるインドの建築物の多くは、ムガル帝国が持ち込んだイスラム建築とヒンディー建築のミックス系になっていて、特にクドいくらいの対称性追求は圧巻というほか無い。
 このあたりの影響が今でもインド人の中に染み付いているのかいないのか、インド人の美的センスはこの対象性を追求しているものが多い。
 インド人の子供に、食事用に大きなお盆を1つ、同じ大きさの2つの小さな椀を与えると、殆どの子供がお盆を中央に置き、左右それぞれに椀を1つずつ置くのだそうだ。
 また、インド人に生け花を教えている先生の話では、インド人に「まずは好きなように花を生けてみなさい」と言うと、殆どが左右対称に花をアレンジするのだという。
 そぉいえば、僕が部屋の掃除を御願いしているメイドさんも、ソファの上に置いてある2つのクッションを必ず右端に1個、左端に1個というように置き直していた。

 ここの国では、非対称性の美は理解されにくいものなのか・・・?


オススメ度(100%個人主観)

    ★★★☆☆
by bharat | 2005-10-20 10:30 | デリー市内あれこれ
第13回旅行は、異なる宗教が共存するエローラ石窟群
 アジャンタ(Ajanta)石窟群を見た翌日、エローラ(Ellora)石窟群を見に行った。
 アジャンタとさして変わらぬのであろうと思っていたが、さにあらず。
 個人的には、エローラのほうが気に入ったのであった。

仏教、ヒンドゥー教、ジャイナ教の合作

 アウランガバード(Aurangabad)から北西に約25km、巨大な駐車場の向う側にエローラ石窟群が見えてくる。
 ここは、アジャンタの地形とは違い、平地と丘陵との境目に石窟を彫っているので、とても見学路が広い。
 チケット売場があるところが、丁度南北に続く石窟群の真ん中にあたり、巨大なカイラーサナータ(Kailasanatha)寺院を目の当たりにすることが出来る。
e0074199_0262050.jpg

 エローラには、全部で34の石窟があるのだが、まず驚くのが3つの宗教の寺院で構成されている点だ。第1窟~第12窟は仏教、第13~第29窟はヒンドゥー教、第30~第34窟がジャイナ教の寺院になっており、よくまぁ仲良く建てたものだと感心してしまう。
 仏教寺院は紀元後600~800年に、ヒンドゥー教寺院は紀元後600~900年に、ジャイナ教寺院は紀元後800~1000年に建てられたとされており、カラチュリ朝、チャールキヤ朝、ラーシュトラクータ朝とエローラ地域を統べる王朝が各宗教寺院の建設を推し進めた。特に、ラーシュトラクータ朝は、一時的にここエローラに都を構えており、エローラの地名も当時の名エーラプラが訛ったものだ。同王朝のクリシュナ1世のときに寺院建設は最盛期を迎え、前述の巨大寺院カーラーサナータが彫られた。


鬱陶しい土産物屋を一蹴!

 駐車場にマイクロバスが着くと、みるみるうちに人だかりが・・・
e0074199_0265720.jpg 周囲を土産物屋に包囲されてしまった。
 が、我々を引率する先生が、

   「この人たちは、私の大事な
    御客さんたちなのよぉおお!
    インド人の恥を晒さないで
    ちょおおおだいいいい!!!」

と絶叫したので、みんな逃げるようにどこかに行ってしまった・・・。


第16窟 カイラーサナータ寺院

e0074199_0401960.jpge0074199_039377.jpg 石窟群中、最大の寺院。紀元後8世紀頃に彫られたヒンドゥー寺院だが、あたかも地上に建設したように見える。幅45m、奥行85m、高さ30mのこの寺院は、巨大な岩石を掘って出来たものだ。なんでも、シヴァ神の住む山カイラーサを再現するために、この手法を採ったとのことで、人力で彫ったとは思えない膨大な作業の賜物だ。彫った岩の量は20万tにもなると推測されている。

e0074199_052828.jpge0074199_0514555.jpg 入口入って正面に大きな像、次いで左に進むと、柱の奥に3人の女神像の彫刻が見える。ガンジス、ヤムナー、サラスヴァティの3つの聖なる川を擬人化したものらしい。

 地面には、水路が。文明レベルの高さを物語る。e0074199_131521.jpg







 中央の建物部分に進めべく、周囲の回廊を回っていくと、外側の壁面に聖典「ラーマーヤナ」や「マハーバーラタ」に登場するシーンを再現した彫刻が続く。e0074199_0555423.jpg







e0074199_10519.jpge0074199_0582098.jpg 中央部の建物上部はこのような造り。壁面には、シヴァ神の頭から水が垂れてガンジス川が出来たと言う寓話が彫られている。

 本堂のような場所には、例によってリンガ(男根)が。e0074199_1153.jpg







 後付けで作られたと言う離れのような場所には、女神中心の礼拝所のようなものが。e0074199_155791.jpg
 







第10窟 ヴィシュワカルマ

 Viswakarmaは、建築の守護神の意味。e0074199_128034.jpge0074199_1273845.jpg
 仏教寺院の塔院(チャイティヤ)タイプで、天井にはアーチ上の骨組みを見ることが出来る。
 最奥部には、ブッダの坐像を彫った仏塔(ストゥーパ)があり、この脇から御経を唱えると建物内部全体に反響する構造になっている。



第32窟

e0074199_1353413.jpge0074199_135178.jpg 2階建てのジャイナ教寺院で、外部の彫刻は綺麗に残っており、また内部の彫刻・壁画も保存状態が良い。彫刻は大変細微。内部人物彫刻は、ジャイナ教らしく皆裸像だ(ジャイナ教では何も身にまとわないことが戒律としてある)。


第29窟

e0074199_1363062.jpge0074199_136635.jpg シヴァ神の彫刻が最もダイナミックかつ自由奔放とされるヒンドゥー寺院。
 片方の壁に悪魔退治をする鬼の形相のシヴァ神がいるかと思えば、反対側には奥さんのパールヴァティ(彼女もまた神だが)と乳繰り合っている壁画もある・・・(本当は、地震に怯えるパールヴァティを諭しているらしいのだが)。



世界遺産は、現地の人の憩いの場所

e0074199_14433.jpge0074199_1444218.jpg 周囲が平原で緑も多く、エローラは現地の人にとっては憩いの場になっているようだった。
 我々が持参した弁当を食べた場所も、ちょっとした木陰で、周りには現地の人と思われる家族が数組いた。
 ごく自然に周りの環境とマッチしていて、かと言ってゴミでちらかっている訳でも無く、とても居て気持ちの良い場所だった。


オススメ度(100%個人主観)

    ★★★★☆
by bharat | 2005-09-30 21:57 | インドぶらり旅
第12回旅行は、仏教寺院が並ぶアジャンタ石窟群
 アウランガバード(Aurangabad)から車で移動すること1~2時間、アジャンタ(Ajanta)に到着。

様々な環境がアジャンタを生んだ

 川がUの字状に曲がった場所の崖に整然と並ぶ、29の石窟。e0074199_9553411.jpg 紀元前2世紀頃から紀元後600頃にかけて彫られたこの世界遺産に指定された仏教石窟は、いろいろな要素が絡んで生まれた。
 まず、この辺りの地域が玄武岩で出来ており、彫るに易く、風化しにくかったこと。
 次に、時の王が仏教の保護に非常に力を入れており、仏教建設物の建築に寛容だったこと。
e0074199_10153273.jpg
 また、強力なパトロンもいた。当時、ローマなどとの貿易が活発化しており、これらに携わる商人たちの多くは仏教(小乗仏教)を信仰していた。彼らは、自らの支出で石窟を掘らせ、その石窟を寄進したという。

 最後に、19世紀になるまで、人目に晒されなかったこと。ここは、森に囲まれていて、周囲に大きな都市も無いので、1819年に狩猟に出たイギリス人が偶然発見するまで、全くその存在を確認されていなかったそうだ。
e0074199_10163218.jpg
 我々も、そのイギリス人が石窟を発見した場所(Viewpoint)から川に向かって下っていき、周りの景色を楽しみながら、石窟にアプローチしていった(徒歩約1.5時間)。


ブッダ ブッダ ブッダ ・・・

e0074199_103837.jpg 東端から順に1、2、3と石窟に番号が付されており(一部順番通りぢゃないものもあるが)、第1窟の東側に昔の切符売場がある。現在の売場は、そこから崖を数百m下った場所に移されている。

 全部で29窟あるのだが、見所のある石窟をダイジェストで紹介する。



第1窟

 紀元後500年頃の建設と言われる。e0074199_10574949.jpge0074199_10572577.jpg 全ての石窟は、僧院(ヴィハーラ)と塔院(チャイティヤ)とに大別され、前者は僧や礼拝者の休息所などに使用され、後者は礼拝所・儀式用の会場として機能したと言われている。
 この第1窟は僧院で、中央のリビングルームのような空間を周囲の寝室が囲む設計。最奥部にはブッダ坐像が安置されている。


第2窟

e0074199_1152996.jpge0074199_1155015.jpg 第1窟と同時期のもの。
 僧院タイプ。ブッダ誕生に関する話が壁面に描かれている。





第4窟

e0074199_1114067.jpge0074199_11143047.jpg 僧院タイプで、石窟群最大の大きさ。最奥部のブッダ像のある祀堂入口の左右には、立像が彫られている。天井を見ると、溶岩の流れをそのまま映した玄武岩を見ることが出来、この石窟が未完成だったことが伺える。


第9窟

e0074199_18561478.jpge0074199_18563546.jpg 塔院(チャイティヤ)タイプで、屋内際奥部には仏塔(ストゥーパ)が設置されており、礼拝堂として機能していたとのこと。壁面・柱面には僧の絵が描かれている。


第10窟

e0074199_1914345.jpge0074199_192027.jpg 石窟群の中で、最も古いものとされ、紀元前2世紀に作られた塔院。第9窟と同様、最奥部に仏塔があるが、第10窟のものの方が大きい。紀元前はまだ大乗仏教が興る前で、この石窟は小乗仏教期に建てられた為、ブッダの姿は直接描かれていない(小乗仏教では、偶像崇拝等が禁止され、その為ブッダを像や絵にして崇めることは無かった)。菩提樹や法輪の姿をブッダと見做して崇拝していたようだ。


第16窟

 僧院タイプ。
 うまく写真に収められなかったのだが、第17窟と並んで最も壁画が見事な石窟と言われる。
 ここで描かれているのは1人の女王で、絵画は「末期の女王」や「死せる王女」などと言われている。ブッダの異母弟ナンダが出家を決意した際、それを聞いたナンダの妻が卒倒するシーンを描写している。


第17窟

e0074199_19141595.jpge0074199_19143236.jpg この石窟の壁画の保存状態が石窟群中最も良いと言われ、顔料に色などもはっきり識別箇所が数多くあった。
 また、ブッダの行動を描いた壁画も綺麗に確認することが出来(上の画像)、シンハラという名の王子の冒険を描いた壁画では、王子の首飾りが今でも金色に光っている(下の画像)。


第19窟

e0074199_19194950.jpge0074199_1920642.jpg 塔院タイプだが、第9~10窟と明らかに異なるのは、ブッダ像がふんだんに登場することだ。これにより、これが大乗仏教期に建てられたものだと分かる。建物入口のブッダの彫刻も綺麗。また最奥部の仏塔への採光のため、建物入口に馬蹄形の窓が施されているのも特徴の一つ。


第26窟

e0074199_19265665.jpge0074199_19271319.jpg
 塔院タイプ。ここでは、入滅する(要は死ぬこと)ブッダ涅槃(ねはん)像が左側に彫られている。横たわるブッダの下には、第1弟子アーナンダー(手塚治虫『ブッダ』にも出てくるね)はじめ多くの弟子が悲しんでいる様子が彫られている。e0074199_19302972.jpg
e0074199_19304585.jpg最奥部には仏塔が設置されている。








 ・・・以上が、アジャンタ石窟群のダイジェスト。
 非常に充実していたが、全て仏教石窟なので、少々「ブッダ疲れ」した・・・。




オススメ度(100%個人主観)

    ★★★☆☆
by bharat | 2005-09-30 00:58 | インドぶらり旅