タグ:催事 ( 12 ) タグの人気記事
インドの激安自動車の全貌が明らかに!②
 1月15日に、インドの28万円カーについて触れたが、同僚がデリーのモーターショー(Auto Expo 2008 Delhi)に行って、更に詳細が判明。

1.名称とスペック
 車の名称は、Nano。
 内外装別に、価格帯を細かく分けるようだ。

【名称】 Tata Nano
【価格】 Rs.100,000- (約28万円)
      ローン購入の場合、
      3年なら月々Rs.3,200-(約9,000円)
      5年なら月々Rs.2,200-(約6,000円)
【寸法】 全長3,100mm x 全幅1,500mm x 全高1,600mm
      参考までに、日本の軽自動車の寸法は、
      全長3,400mm x 全幅1,480mm x 全高2,000mm
【排気】 623cc 33馬力 2気筒
【駆動】 4速マニュアル
【定員】 5名
【燃費】 20km/L (燃料タンク容量は30L)
【速度】 最高105km/h
【規制】 欧州環境規制Euro4に対応
      (因みにインドでこの基準はまだ強制されていない)
      クラッシャブルゾーン確保
      前席シートベルト

2.発売時期

 2008年9月より予約受付


3.外観
(1)Base Grade
e0074199_1015324.jpg

e0074199_102836.jpg

 スチールホイール、樹脂バンパーの安っぽさは否めないが、見栄えはハッキリ言って普通。
 28万円でよくここまで仕上げたと感心してしまう。

(2)高級Grade
e0074199_1035598.jpg

e0074199_104333.jpg

 ホイール、バンパーがグレードアップし、高級感が増している。
 価格がいくらになるかは不明だが、見栄えが良い。


4.内装
e0074199_1063524.jpg

e0074199_1064328.jpg


 内装は、シンプルというか・・・貧相。
 致し方の無いところか。

 座席の薄さがとても気になるが、それが幸いしているのか、現行のインドの大衆車の代名詞であるスズキ自動車の「マルチ800」と比べて車内空間は20%も広いんだとか。

 計器類は最小限に止められ、ステアリング部分およびアクセル/ブレーキ/クラッチ部分を除いてインパネは左右対称に設計されている。
 将来的に、左ハンドル国への輸出も考えているのか!?


番外. インド勢の飽くなき野望
 更に驚くべきことに、インド2輪大手のBajaj Autoの「コンセプトカー」も展示されていた。
e0074199_1024270.jpg

 こちらも外観上は全く通常の車と遜色無い。

 来年くらいの発売になるのだろうか・・・?
 インドの若者へのマーケティングに定評のあるBajaj。
 恐らく、この車もかなりインドの若者層を食っていくことだろう。
by bharat | 2008-01-21 10:30 | ふと思うこと
第94回旅行は、大日本帝国軍激戦の地コヒマ
 インド東部ナガランド州の玄関口であるディマプールから、東に約80km。
 州都のコヒマに到着する。
e0074199_172532.jpg



悪路に次ぐ悪路
e0074199_17194536.jpg ディマプールから僅か80kmしか離れていないのだが、兎に角道の状態が悪い。
e0074199_17191879.jpg 標高差約2,000mを一気に上る山道の殆どは未舗装で、軟らかい土壌と多雨が災いして至るところに地すべり・土砂崩れの跡が見られる。
e0074199_21594655.jpg にも関わらず、この国道がアッサム州~ナガランド州~マニプール州を繋ぐ一番マシな物流ルートになので、大型車が多い。
 これらが行き違うたびに渋滞が発生する。
e0074199_17222064.jpg 本格的な雨季はまだだが、それでも一部区間では土砂崩れによる通行止めが発生。
e0074199_1723023.jpg マニプール州のナンバープレートを付けた大型トラックが、何時開通するとも分からないまま、待ちぼうけを食らっていた。


史上最も無謀な作戦「インパール作戦」
 この一帯(ナガランド州~マニプール州)は、第2次大戦期の大日本帝国軍の勢力圏の西端にあたり、ビルマから兵力を西に進めてインド独立を目指す勢力と合流して戦局を打開するという「インパール作戦」の舞台になった場所だ(因みにインパールはマニプール州の州都)。

 インパール作戦は、ビルマ戦線を任された軍団長牟田口廉也が行った作戦。
 1944年、完全に米軍に主導権を握られた東南アジア戦線に一石を投じるべく、ビルマから陸路でインドに入り、英国からの独立を目指すインド勢力と同調して窮状打開を図ろうというのが狙いだった。
 このとき問題となったのが物資補給だったが、牟田口軍団長は3週間以内にコヒマ・インパールを陥落させるので、兵站の心配は無用と譲らなかった。軍団長の上には軍司令官がいるのだが、そのポジションには盧溝橋事件の際に牟田口の上司だった河辺がおり、彼の親心・上司心から左程検証もせずに作戦は承認されてしまった。
 当時、陸軍学校では、兵站は軽視される風潮にあり、専門家が軍組織内で主たるポジションにいなかったというのも悲劇の要因となった。

 現場を任された佐藤幸徳(コウトク)第31師団(「烈」)長は、当初よりこの作戦の実効性を疑問視。
 再三上官の牟田口に再考を上申したが甲斐無く、逆に「ジンギスカン作戦(現地で牛を大量調達し、物資輸送に使用。現地到着後にこれらを食料とするというもの。因みに現地の状況を全く調査せずに考えられた)」なる荒唐無稽な作戦を逆提案される有様だった。

 1944年3月、作戦は実行に移された。
 川の水量は想像を遥かに超え、陸路も予想以上に険しかった。
 牛の大半は川に流されあるいは崖から転落、輸送トラックも陸路を通れず分解したパーツを兵士たちが徒歩で運搬する羽目にあった。

 同年3月下旬、佐藤率いる第31師団「烈」は、コヒマ周辺到着。
 4月中旬にはギャリソン・ヒル(後述)を押さえ、コヒマを占領下とするが、その後戦局は急変。
 米国からふんだんな空中補給を受けた新鋭英国軍が大反撃に転じたのだった。

 弾薬・食料が底を付く環境下、牟田口から佐藤へは「4月29日の天皇誕生日までにインパール攻略されたし」との打電が入るのみだった・・・。
 結局、東京で盛大な式典が行われた4月29日、コヒマ周辺では飢餓が発生し始めていた。

 5月末には、ナガランド地域一帯に雨季到来。
 飢餓に加えて、マラリア・赤痢が大量発生、兵士たちは英国軍と戦闘する前からバタバタ倒れていった。
 佐藤は牟田口に対し再三物資補給を上申するも、「敢闘すべし」と断られ続ける。
 (因みに5月16日、東条英機首相兼参謀総長は、昭和天皇に「作戦につき不安なき状況にて既定方針を貫徹する」との上奏がなされている。)

 この間の佐藤師団長-牟田口司令官の遣取りは、当時の環境では考えられなかった。
 佐藤は、事細かに上官に意見している。
 これは当時完全なタブーとされていたが、佐藤は非常に自尊心が高く強情であったということと、大変部下思いであったということが彼をそのような行動に駆り立てたのだろう。
 「現状を知らない者に的確な判断は出来ない。場合によっては独断での撤退も有り得る」などかなり強烈なコメントを牟田口に残している。

 6月1日、佐藤師団長は独断でコヒマ撤退を決める。
 一気にビルマまで撤退した佐藤は、作戦途中で牟田口に解任された。

e0074199_15121221.jpg インパール~ビルマの山道には、無数の日本兵士の餓死者・自殺者が積もるように倒れ、その山道は「白骨街道」と呼ばれた。


 尚、作戦の中止が東条から天皇に上奏されたのは、7月1日だった・・・。


 終戦後、米国が牟田口を尋問した際、牟田口は4月下旬にインパール作戦が失敗だったことに気付いたと認めている。


 佐藤は、自らの手記に、「大本営・総軍・方面軍・軍のバカの4乗がインパールの悲劇を招来した」と辛らつに軍幹部を批判している。
 が、彼に軍の責任を糾弾するチャンスは訪れなかった・・・軍幹部がそれを恐れて軍法会議扱いにしなかったのだ。
 佐藤が閑職を転々とされた一方、総軍・方面軍・軍の幹部は次々に要職に付いていった・・・。



ギャリソン・ヒル(Garrison Hill)
 当時英国軍が駐屯地としていた丘。

M-3 戦車
e0074199_14172168.jpg 日本軍の列師団が撃破した英国戦車。
 今でも柵に囲まれて保存されている。
 案内してくれた人が、「日本軍は勇猛果敢に戦ったと聞いている。それを忘れないために今でもこうして大切に保存している」と言っていた。
 第2次大戦下、複雑な環境におかれたナガランドだが、総じて親日的な感情を持っているようだ。


英国軍兵士墓地
e0074199_14215231.jpg 丘の上、当時テニスコートがあった邸宅が日英激突の地となった。
e0074199_142512.jpg
 その場所に大きな戦没者碑が建てられ、英国軍英国人兵士や英国軍インド人兵士の墓標が所狭しと並んでいる。
 無縁仏や10代で戦死した者の墓標も珍しくない・・・痛ましい限りだ。
e0074199_1513265.jpge0074199_1514378.jpge0074199_1515257.jpg
e0074199_14262054.jpg この墓地全体が、英国連邦府の機関によって維持・運営されているので、全て英国軍兵士の鎮魂のためのもの。
 日本軍を感じる要素は殆ど無いが、この小さな苗木が唯一日本軍の痕跡を示すもの。
 当時ここには、大きな桜の木が植わっており、その上から烈師団の兵士が英国軍兵士たちを狙撃したという。


ナガランド民俗村(Nagaland Heritage Village)
e0074199_1442058.jpg ハリウッドのパクリのような看板が目印。
 文字がいくつか取れちゃっているのは、御愛嬌。
e0074199_1442483.jpg 入口付近には、竹を使って建てられた公民館がある。
 ナガランドでは大量にとれる竹を建材としてPRしている。
あとは、ナガランドに住む16の部族の家のレプリカが並んでいる。
 最後の写真は、鳥の彫り物をした木管楽器。
e0074199_15298.jpge0074199_1522148.jpge0074199_1523690.jpg
e0074199_152518.jpge0074199_153511.jpge0074199_1531794.jpg
e0074199_1551692.jpg 酋長の家には、人間の首を貯め置く場所もある。


 行ったときにはなんか寂れた雰囲気を感じたが、毎年12月にはホーンビル祭り(Hornbill Festival)が開催され、全部族が民族衣裳をまとい、舞踊を披露する。
e0074199_1513895.jpg

e0074199_15145381.jpg ちなみにホーンビルというのは、ナガランド州のジャングル遅滞に棲息するくちばしがとても大きい鳥のこと。
 デリーナガランド・ハウスにも大きなレプリカが置いてあったな。


ディモリ・コブ
e0074199_1429446.jpg ちょっとしたリゾート施設で、ちょっとした集会場に、ちょっとした会食場所がある。

教会
e0074199_14323672.jpg ナガランドの人々は、その殆どがキリスト教徒(ナガランドの歴史についてはディマプール旅行記でふれた)。
 街にある宗教施設は教会のみ(本当はヒンドゥー寺院もあるのかも知れないが、旅行中1回も見なかった)。


ナガランドの食事
 ナガランドの食事は、米食中心。
 唐辛子は使うが、そのほかの香辛料は使用しない(要はカレーではない)。
 日本人の舌に馴染み易いものばかりだ。
 ヒンドゥー教徒ではないので、牛も食べる。
 写真はビーフジャーキー。
e0074199_15272589.jpge0074199_15273830.jpg
 また、米から酒を造って飲む習慣がある。
 出されたのは、味の薄い濁り酒と米で造ったワイン。
e0074199_1529183.jpge0074199_15292910.jpg


コーディネーター
 今回、旅をコーディネートしてくれたのは、ナガランド・ハウスに勤務する私の友人の弟とその御友達たち。
 車での案内や夕食、ホテル手配など、何から何まで世話になった。
 ・・・しかし、日本人ぽいなぁ。
e0074199_15323310.jpg



オススメ度(100%個人主観)

    ★★★★★ ・・・ インドの東端で日本を感じる

所要観光時間

    2~3時間 ・・・ 史跡は少ない、長期滞在型か!?
by bharat | 2007-05-20 10:30 | インドぶらり旅
デリー29 IETF
e0074199_7215847.jpg 2月13日(火)~16日(金)、北デリーのPragati Maidenで大規模な展示会が開催された。
 この場所は、いわばインドの幕張メッセとも言えるところで、この場所でDEFEXPO(防衛省主催の軍備・国防に関する展示会)オートエキスポIITF(物産展示会)などが開催されている。

 今回の会は、IETF(International Engineering & Technology Fair)。邦名、インド国際産業&技術フェア。



日本パビリオン
e0074199_20133179.jpg
e0074199_206466.jpg 2007年は、日印交流年。
 今回の展示会では、日本企業のみを集めたパビリオンが設置された。
 館内には、インドに進出している、あるいは関心のある日本企業などが所狭しと展示ブースを構えていた。
 初めて見る企業も多かった。
 ・・・しかし、製造業の隣に非製造業があったりと、業種別に展示していないので、とても周りづらいな・・・。
e0074199_20242496.jpge0074199_20244810.jpg 館の中で、一際人を集めていたのが、HONDAのブース。みんな、ASIMOのショーが御目当てなのだ。
e0074199_20363930.jpge0074199_2037897.jpg 現地の小学校生たちが目を輝かせてショーに見入っていた。この日のASIMOは、クリケットバットを持って登場、英語とヒンディー語を話す。その様子に観客たちが歓喜していた。



 日本パビリオン以外の館を見る時間が無かったのが心残りだったが、日印交流年の好調な滑り出しを実感できた。
by bharat | 2007-02-13 10:30 | デリー市内あれこれ
デリー26 日本人会 忘年会(今年は主催側)
 12月10日(日)18時、毎年恒例の「デリー日本人会 忘年会」が開催された。

 昨年の忘年会にも出席したが、これは一観客として。

 今年は、輪番制で当社が総括役(宴会部長と呼んでいる)となったため、約2~3ヶ月前からの諸々の準備を行うこととなった。
 加えて、当会の総合司会を仰せつかり、またこれは自由意志だが、余興にも参加させてもらったので、実に盛り沢山、思い出タップリの会になった☆


みんなのボランティアで支えられている
 現在200~300社いるであろう、デリー及びデリー近郊進出企業の駐在者及びその御家族が対象のこの忘年会。
 出席者はもちろん、裏方さんもこの中から選ばれる。

 会全体の流れを宴会部長が取纏める・・・といっても大したことは無い。

e0074199_2016338.jpg 本当に大変なのは、大道具さん、音響・照明さん、クイズ担当さん、福引担当さんたちなのだ。
 今回、総合司会をやらせてもらい、この方々と一緒に準備期間~本番と御付き合いさせて頂いたが、本当に頭が下がる思いだった。
 実作業者のうち、インド人たちも当然交じっているのだが、ハッキリ言って、このエンターテイメント途上国(ボリウッドトップスターのコンサートですら、このレベル)においては、彼らはまだ我々の要求する水準まで達していない。
e0074199_20165420.jpg
 なので、結局、道具の搬出入や音響・照明などは、日本人がやらざるを得ない。

 この方々の御蔭で、日本の宴会さながらの細かい演出が成功している。
 観る立場から、観てもらう立場に回って、改めて実感した。


でも、ちゃんと楽しみました☆

 当日は、朝8時入りして、通しのリハ。
 18時開始なので、10時間もあると思っていたが、これが結構時間がかかる。
 細かな設定を当事者間で確認しながら、結局リハが終了したのは16時過ぎ。

e0074199_20275020.jpg 皆さん、殆ど休む間も無く18時に本番スタート!

 総合司会といっても、会の間、ずっと出突っ張りという訳ではない。
 余興、クイズ大会、福引大会と、イベントの間は、舞台袖で休めるので、あまり疲れない。

 で、考えたのが、

   ・・・何か楽しいことがしたい!・・・

e0074199_20351832.jpg さすがに総合司会が、四六時中冗談を言ってる訳にも行かないので、ある余興団体の責任者の方に御願いして、飛入り参加させてもらうことにした。

 詳細は、ナオミさんのブログを参照して欲しいが、兎に角楽しい内容に仕上がっていた。

 私はというと、グラサンをして、気志團のダンスを少々。
 今まで気付かなかったが、坊主頭にヒゲ+グラサンは、かなり迫力が出る。


 で、そのあとの福引大会でも、賞品を頂きました。
 ラッキーラッキー☆


 何度か台詞を噛みながらも、乗り切って、21時30分頃、無事に閉会。


 怪我も無く、ブーイングも無く、終われて一安心。
 当事者の方々、本当に御疲れ様でした。
by bharat | 2006-12-11 10:30 | デリー市内あれこれ
デリー 23 運動会
 11月19日(日)、デリー中の駐在員とその子供たちが日本人学校に集結した。
 年に1回の大運動会だ。

デリーの風物詩
e0074199_6535096.jpg
 毎年11月頃に開催されるこの大会は、デリー日本人学校とデリー日本人会の共催によるもの。
 子供たちの運動会と駐在員の一般参加の運動会を同時開催する、一大イベントである。


みんなマジです・・・
 子供たちは紅白に分かれ、一般の部は4チームに分かれて点数を競う。
 子供たちはともかくとして、一般の部の人たちも本気で競技するので、実に燃える。

 色々な競技をやったのだが、典型としてこのコントラストを見て欲しい。

 子供たちのかわいいインド舞踊と・・・
e0074199_741023.jpg


 大人の死に物狂いの綱引き。
e0074199_733994.jpg

 参加者全員、翌日月曜日の出勤に支障を来たす程、筋肉痛になったことは言うまでも無い・・・。

 やはり、日本人が何かにつけ、数ヶ月に1度こうして集まって同じ時間を共有することには、とても意味を感じる。
 インド駐在という一種特殊な環境を笑いながら語り合ったり、そんな立場でも無ければ知合わなかったであろう人たちと協力したり競い合ったり。
 日本にいるとき以上に、日本を感じる瞬間だ。
by bharat | 2006-11-19 10:30 | デリー市内あれこれ
第62回旅行は、デリー郊外のスーラジクンド
 デリーの南20kmにある、巨大な溜池跡スーラジクンド(Surajkund)。
 年に1回の催事で盛り上がる、デリー近郊の知られざる名所だ。

ラージプートの貯水池
 このあたり一帯は、デリー市内とは異なり、小さな丘が目立ち、低木がまばらに生えている。
 ここを10~11世紀に統治していたラージプート(戦闘民族)のスーラジパルがこの地に溜池を作り、今日に至っている。
 何も催事が無いときは、ピクニック・スポットになっている。

インドの各州の民工芸品が大終結
 ここスーラジクンドで毎年2月に開催されるのが、Surajkund Crafts Mela。
e0074199_1844355.jpg


 インドの各州から民芸品や工芸品を集め、展示・販売する一大イベント。
 これだけ聞くと、デリー北部にある、State Emporiumとさして変わらない感じがするが、このCrafts Melaは、各州の折り紙付きの職人が集まってくるっ点が特徴的だ。
 なんでも、国(州?)公認の賞を受賞した職人・工房しかこのイベントには招待されないようで、この点で、ある程度品質が保証されていると言える。特に、模造・偽造が横行しているこの国にあって、これは、素人目には分かり易い判断材料だ。

e0074199_15303091.jpg メインエントランスは、なかなか味のある造り。
 インドの伝統的な骨董細工である真鍮の動物の置物をイメージしているようだ。
 エントランス脇にもいくつか立派な置物があったが、警備員の物置きと化していた・・・。

e0074199_15305052.jpg


e0074199_1533522.jpg 中に入ると、凹凸の激しい敷地内に、たくさんの露店があり、思い思いに物を陳列、販売していた。
 飲食店コーナーも充実しており、各州の食べ物を食べることが出来る。

e0074199_15345280.jpg これはオリッサの名物であるパラソル。


e0074199_1543157.jpg こちらは、身体障害者が作成するハガキ・封筒。売上は、彼らの施設運営資金に充てられる。


e0074199_1537746.jpg 敷地内では、各州の催すアトラクションや踊りなども。
 ミッキーマウスはいないが、インド神話のキャラクターが敷地内を闊歩し、民俗舞踊を披露するところもあった。
e0074199_15372935.jpg


e0074199_15494361.jpg このイベントでは、毎年スポットライトを当てる州があるようで、今年はマハラシュトラ州だった。敷地内には、ムンバイに程近いエレファンタ島の壁画のレプリカが展示されていた。「マヘーシュムルティ」は、3つの顔を持つシヴァ神の壁画で、世界の創造・維持・再生を3つの顔で表現しているという。
 いずれホンモノも観てみたいな。



戦利品
 ここで買ってきたものをいくつか。



e0074199_164285.jpg ポップな時計は、どこの州の商品か不明。
 2~300ルピー(約520~780円)だったと思う。

e0074199_1642026.jpg これは、マディヤ・プラデーシュ州ボーパールの絵本作家の書いた絵。
 1,000ルピー(約2,600円)前後だったろうか。

e0074199_162338.jpge0074199_1624643.jpg これは、ビハール州(ビハール州への旅の様子はこちら)の作家が作成した絵画。
 版画と思われる。
 数千ルピーしたが、気に入ったので購入してしまった。







 来年も2月にあるそうなので、行ってみようかな。
by bharat | 2006-04-10 10:30 | インドぶらり旅
デリー 8 武器・兵器博覧会「Defexpo」
 去る1月31日~2月3日、Pragathi Maidenにて「Defexpo」なる博覧会が開催された。
 日本ではまずお目にかかれない珍しい内容だった。
e0074199_1413914.jpg



国防の名の下に

 Defexpo・・・文字通り、国防をテーマに、様々な国や企業からの出展があったのだが、要は武器類がズラッと並んているという趣向。
 以下レベル別に(勝手にレベル分けしました)。


国防Level 1
e0074199_1695635.jpg まずは、一番低いレベル。
 国防というよりは、軍人の身嗜みグッズの1つである刀剣を扱う企業からの出展。
 企業名は、Windlass Steel Crafts、本拠はデラ・ドゥーン(Dehra Dun)
 英国型の剣は、根元から刃先に向かって真っ直ぐになっており、米国型は日本刀のように曲がっているみたいだ。刃面にはきめ細かなデザインが彫られていてとても綺麗だ。


国防Level 2
e0074199_2565420.jpg こちらは、空港やスタジアムの入口などに使用される、金属探知器。
 いくつもの企業が出展していたが、Rushe Safetekなる企業は、写真の携帯型のほか、ゲート型の大型探知機も製造・販売していた。


国防Level 3
e0074199_362168.jpg このレベルから、だいぶクナ臭い雰囲気が出てくる。
 防弾ヘルメットに、防弾チョッキ。
 テイジンの製品も展示されていた・・・これらの製品は国連でも使用されているとのこと。

e0074199_3221115.jpg

e0074199_3315446.jpg こちらは、防弾加工車の被弾後の姿の展示。
 バグダッドで小銃に乱射されてズタボロになったこの車は、無事目的地まで自走し、乗客に怪我も無かったと記されていた。
 ・・・しかし、撃たれ様である。


国防Level 4
e0074199_339526.jpg 見ての通り、鉄砲類もろもろ。
 実際に手に取ることは勿論のこと、具体的な商談をしている姿もチラホラあった。

e0074199_3452754.jpg


国防Level 5
e0074199_3511643.jpg ・・・これは国防というより、攻撃兵器そのもののような気がするが・・・。

e0074199_3551541.jpg 実際に近隣諸国からの攻撃に備えるべく配備されているミサイルBramosや、高性能追尾ミサイル、迎撃ミサイルなどが数多く展示されていた。
 イスラエル、ロシアなどのものが多かった気がする。

e0074199_356246.jpg





 ・・・しかし、変わった展示会だったなぁ。
 毎年開催して、何か内容が変わるんだろうか?
by bharat | 2006-02-10 10:37 | デリー市内あれこれ
デリー7 Auto Expo 2006
e0074199_1132286.jpg 去る1月12日(木)~17日(火)、デリー北部の展示場Pragati Maidenで、自動車・バイクの一大展覧会が開催された・・・その名もオートエキスポ2006。
 この場所、どこかで・・・てIITFやってた場所だ!
 なるほど・・・ここはデリーの「幕張メッセ」なんだな。



1999年からか・・・
e0074199_07484.jpg これが入場券、会場案内(冊子とCD-ROMセットで150ルピー(約390円)。
 第8回と書いてある・・・まだたったの8回目??年1回開催として、1999年に第1回が開催されたということか・・・恐ろしく歴史が浅いな。


 入場は、企業関係者と一般観覧者の2種に分かれており、今回は知人に譲ってもらった企業関係者チケットで入場(買うと500ルピー(約1,300円)もするらしい)した。
 企業関係者と一般観覧者とで入場時間が分かれているので、会場内はスーツを着たビジネスマンが多かった・・・僕のような普段着の冷やかしみたいのも結構いたけど。

e0074199_11471611.jpg なぁんか、展示の雰囲気が前回と変わって無いな~と思ったら、それもその筈、IITFの展示が一部そのまんま残ってた・・・片付けんかい・・・。来年までこのまんまだったりして。



急速な車社会化を体感
 手狭な展示ブースながらも、館内は大小の企業がひしめき合っていた。
 2輪~4輪メーカーに始まり、商用車、部品メーカー、レプリカメーカーまで・・・想像以上のバラエティにちょっとビックリ。

 以下、観た場所を順繰りに。



本田技研
e0074199_11564891.jpg いきなり、BAR HONDAのF-1レプリカがドド~ンと鎮座。インドでは、昨今F-1人気が急上昇しており(ナライン・カルシケヤンというインド人がJordanチームのF-1パイロットになったことが大きな要因になっている)、これはかなりのインパクト。

 その奥に、アコードとシティの2車種が展示されていた。これら2車種は既にインド市場に投入されている車種で、現地生産体制も整備されていて、販売価格もトヨタより遥かに安く出来ている。
e0074199_125491.jpg その横には・・・新型シビックが。ほっほ~、これも投入間近ってことか。そういえば、最近読んだインドの車雑誌に試乗レビュー書いてあったな。まぁ、デザインが無難なので、販売価格によってはそこそこ売れるだろうな・・・。
 しかし、なんでこのインドで中型セダンしか売ろうとしないのかな?フィットとか絶対バカ売れすると思うんだけど。小型(軽よりちょい大きいタイプね)車を投入して、マルチスズキのスイフトやヒュンダイ(現代自動車)のGETZとかの購入者層を食いに行かないのかなぁ。



フォード(Ford)
e0074199_12135383.jpg お~!これは新Mustung GT♪♪
 原点回帰のFordの力作をインドで見れるとは。1960~70年代のマスタングを髣髴とさせるこのダサカッコ良さ、個人的にはかなり気に入っている。金があれば即買いしたいな~。
e0074199_1214496.jpg しかし、内装は若干手抜き気味・・・最近のアメ車のインパネって、シンプル過ぎというか中途半端というか・・・ここまで手抜くなら、木目調にするとか、メーターを白黒のモノトーンにするとか、とことんダサくして欲しいな。
e0074199_1216256.jpg ま、アメ車全般大好きなので、この仕上がりでも充分◎ですが。



マヒンドラ・アンド・マヒンドラ(Mahindra & Mahindra)
 インドの自動車業界第4位、業界内シェア約8%。創業1945年、純インド財閥マヒンドラ・グループの中核を成す企業で、毎年増収増益、総従業員数は約12,000人。
 ジープ、SUV、小型商用車を街中で良く見かけるが、軍用車両や農業車両(トラクター等)も数多く生産している。グループ自体は、IT分野にも野心的な姿勢を見せており、British Telecomとの合弁、Mahindra British Telecomを設立して頑張っている。

e0074199_1421431.jpg ブースは、SUVの主力車種の「Scorpio」の様々なバージョンを展示。
 Scorpioは、ごく一般的なSUV型4駆(2駆も一部あり)で、そのスリムで嫌味の無いルックスで販売台数を伸ばし、デリー市内でも良く目にする車だ。2609ccディーゼルエンジンを装備し、大きさは、L4475 x W1750 x H1916mm、使いまわしの良い大きさ(長さがもうちょっと欲しい気がするが)。
e0074199_1423163.jpg3列目のオプショナル・シートのアレンジが横向きになっているのは、軍用ジープの名残!?

e0074199_1425014.jpg ピックアップタイプ("Scorpio Lifestyle")は、ボディカラーも内装の作りも、ポップに仕上がっており、なかなかのもの。車高をちょっと上げてフットステップを配し、フロントスポイラー、グリルは特別仕様のものを装備する。僕はマリンスポーツはやらないが、こんなので荷台に板積んで、湘南・九十九里を走らせたら雰囲気出るんじゃないかな~。




e0074199_926953.jpg 興味深いのは、小型商用車のオート3輪の2車種。
 1台目は、Hy-Alfaという車名。
 ミゼットのような形で、うしろは荷台になっている。だが、排気量は340cc、結構重たいものも難なく運べそう。

e0074199_9503826.jpg 2台目は、Bijlee。
 Bijleeはヒンディー語で「電気」の意味で、文字通り電気自動車である。
 座席は全てベンチシートで、後ろは向かい合わせになっている。乗員数は9名(運転手含む)。最高速度は35km/h。1回のフル充電で80~160km移動出来る。
 だが性能云々よりもこのルックス!
 こんなのが愛☆地球博の会場内に走ってたら楽しかったのに・・・。
 京都市内観光とかこんなのでしてみたいな~。
 屋久島とかのレンタカーも、この車種だけにしちゃうとか。



三菱自動車
e0074199_9524229.jpg ここから別の館。
 スズキの2輪の展示ブースの向かい側にあったのは、三菱自動車。
 ・・・が、展示されていたのは、ランサー1車種。EvolutionやCediaなどのバージョンは見られるものの、1車種って・・・展示出さない方が良かったんじゃ・・・。
 もはや何の変哲も無くなってしまったランエボ8代目(9代目だっけ?)を中央に配する展示・・・何年この展示方法を続ける気なのだろうか。
 EK WagonやColtなんか、デリーやムンバイなんかで走らせたら面白いし、Grandisだって使い勝手が良くて、充分トヨタのInnovaを食えると思うが・・・南西アジアでの販売路が無いのかな・・・勿体無い。
 i(アイ:最近日本市場に投入の新車種)が軌道に乗ったら、インドでの販売戦略も状況が変わるのかも。



スコダ(Skoda)
e0074199_10211713.jpg 日本では殆ど馴染みの無いこの社名。インドではそれなりに名が売れている。武骨な作りながら、やけに曲線美を強調する日本車よりはインド人ウケするのではないかとも思う。まぁ、コストパフォーマンスが良い訳でも無く、内装にも気配りが足りないのでグングン売れるという要素も乏しいのだが。

e0074199_1031165.jpg 軍事オタクかWRC(World Rally Championships)オタクの人なら知っていると思うが、スコダはチェコスロバキアの会社。元々は軍事企業で、戦車などを製造する企業だった。その後、第2次大戦で同国がドイツに併合されると、同国の戦車はドイツの戦車を作るようになった。軽戦車の名作として名高い25t戦車や35t戦車はその好例で、「t」はチェコの頭文字を取ったものだ。

e0074199_10584379.jpg 第2次大戦後、軍事企業が自動車メーカーとして再スタートする例は多く(日本のスバルもそうですね)、スコダもこれに倣った。現在は、独自には生き残れずVolksWagenグループ傘下だが、WRCには積極的に参戦した歴史を持ち、最近はフォビアやオクタビアなどの車種で参戦。欧州戦のみの参戦と寂しいが、近々全戦復帰するみたいだ。



タタ・モーターズ(TATA Motors)
e0074199_11285241.jpg インド最大財閥TATAグループの一角を成す企業。乗用車から大型商用車、軍事車両まで製造する、大企業だ。1945年設立、従業員数は3万人弱。インドにおける商用車販売シェアは59%のダントツ1位で、世界的に見ても第6位。インド国内は勿論、海外進出にも野心的で、現在マレーシア、バングラデシュ、ケニア、南アフリカ、エジプトに生産工場を持ち、ここから欧州、豪州、東南アジア、中東、アフリカ等約70ヶ国へ輸出している。
e0074199_11314087.jpg 展示車種は、バラエティに富んでいたが、やはり目立ったのは大型車。


e0074199_11294168.jpg



スズキ自動車(Maruti Suzuki)
e0074199_11485834.jpg インドにおける知名度No.1の自動車メーカーで、正式名称はマルチ・ウドゥヨグ(Maruti Udyog)。日本のスズキとの合弁で、1982年に設立された。業界内では後発だったにも関わらず、現在は乗用車販売シェア約45%を誇る。

e0074199_11505565.jpg 1983年に市場投入された「マルチ800」は未だに現役で、展示ブースにも堂々鎮座していた。最近は、日本でも御馴染みの「スイフト(SWIFT)」を投入し、なかなかの販売を記録しているとか。
 やはり、広告への資金投入もハンパなく、展示ブース面積は実に広大。スイフトのみ10台以上を展示する専門展示ブースも設けていた・・・ジュニアWRCカーのレプリカも。



その他の自動車
e0074199_1139999.jpg 意外な車が・・・アルファロメオのコンセプトカー。
 ほぼ市販者の形をしているが、車種名の掲示が無かったので、多分コンセプト・カーだと思われる。インド人の若者がドァ~ッと群がっていた・・・スーパーカー人気は普遍なのだろうか・・・。

e0074199_114013.jpg 僕は1960~70年代の車が好きなのだが、マンガ「サーキットの狼」などでも分かるとおり、日本中がスーパーカーに熱狂していた(そうだ)。ロータスヨーロッパ、ポルシェカレラ、ランボルギーニなどなど。インドでも、ここ数年~10年そこそこで、そんなムードになるのかも知れない。






 2輪は詳しくないので、以下2輪メーカーの説明はかなり雑になるが・・・。


ヒーロー・ホンダ(HERO HONDA)
e0074199_1152549.jpg 本田技研26%、ヒーローグループ26%の株式資本で構成される、日印合弁企業。従業員役7,500人、業界内シェアは約50%を誇る。昨年度販売台数262万台は驚異的・・・日本の何倍だこれ。



スズキe0074199_1158956.jpg スズキは、2輪では独資でインドに進出している。ごくごく最近進出してきたので、これから勝負をかけるといったところか。4輪での知名度が効果テキメンで、展示ブースには黒山の人だかりが。



バジャジ・オート(Bajaj Auto)
e0074199_1223474.jpg 1936年設立の老舗で、同名財閥の一角。ヒーローホンダに奪われるまでインド国内シェアNo.1だった。2輪のほか、オート3輪の製造もメイン業務として行っており、東南アジアへの販売も行っている。2輪については、日本の川崎重工業と業務提携関係にあり、これにより大型バイク(Ninjaなど)の生産ラインを追加することが出来、商品ラインアップも充実してきた。現社長のラフル・バジャジ(Rahul Bajaj)が社長に就任してから急激に販売業績を伸ばしており、辣腕社長との名が高い。


 このほかにも興味深い展示がいくつか。



サン・ルーフ
e0074199_12262131.jpg ウェバスト(Webasto)という自動車関連品製造企業。ドイツを本拠とする企業で、創業は1901年。現地では早くからメルセデス・ベンツのカーヒーターなどを製造していたようだ。現在は、アメリカのミシガン州に多くの機能を移し、製品ラインアップとしては、カーヒーターのほか写真(ちょっと分かりにくいが)のサンルーフ、インパネなども手掛けている。



カー・デザイン
e0074199_112866.jpg ディリップ・チャブリア・デザインという聞いたことも無いカー・デザイン会社。Dilip Chhabriaなる社長さんが率いる会社でインド本拠。社長さんはGMのデザインセンター出身とのこと。ロールスロイスやポルシェのカスタマイズなどの実績があるみたい。



えせパーキン
e0074199_1191870.jpg これは、パーキン・セブンではない。チンカラ(Chinkara)という車模型販売会社の展示物だ。ちゃんと動くらしい。自社製品と胸を張るが、どうみてもパーキン・セブンのパクりでは・・・。




オマケ
e0074199_125379.jpg 展示会場内を歩いていて発見した・・・住居??
 普通に生活しているようでした・・・。




by bharat | 2006-01-18 10:30 | デリー市内あれこれ
デリー6 日本人だけの大忘年会
 去る12月18日(日)、デリーのTaj Hotelにてデリー日本人会主催の大忘年会があった。
 私は、ヴァラナシで語学集中特訓中だったのだが、その日だけデリーにトンボ帰りして参加した。

デリーにこんなに日本人いたのか・・・
e0074199_12275154.jpg
 参加費用は700ルピー(約1,800円)に、1枚200ルピー(約500円)福引券を2枚以上要購入というシステム。最低1,100ルピーで参加出来る。駐在員たちには難なく払える金額(日本での費用に比べればとても安い)だが、留学生たちにはキツい金額といえる。案の定、留学生と思われる参加者は数名だった。
 会場のTaj Hotelに着いてビックリ。ホテル付近は日本車で埋め尽くされ、会場には最終的になんと473名の日本人が大集結した。・・・デリーにこんなにいっぱい日本人がいたとは・・・。何とも壮観。



インド衣装で参加
 当日のパーティのドレスコードは特に指定なし。日曜日ということもあり、皆さん思い思いの服装で参加していた。
 当社駐在員の方々は、スーツ、ジャケット、レザージャケット、普段着など多様。

e0074199_13425747.jpg そんな中、私はインド服で参加。
 シェルワーニーという、ロングジャケットを着ていった。
 これは、もともとインド民族衣装の正装中の正装で、インド初代首相ネルーは好んでこれを着用していた。歴史的には、既に大航海時代には、正装としてヨーロッパにも認知されていたらしい。というのも、『大航海時代』という文字通り大航海時代をも題材にしたTVゲームなどに、インド民族衣装としてちゃっかり登場しているからだ。

e0074199_13432454.jpg 因みに、履いているパンツは普通のパジャマ(クルタパジャマの下)、ナグラーというインド靴である。



仮装大賞?
e0074199_13244921.jpg 当日は、ナオミさん、micchaさん、TENTさんもバッチリ正装・・・というか仮装(コスプレ)してきていた。ナオミさんに至っては、写真のポーズ練習までしてきたらしい。確かにキマッている。
 因みに、服装が100%インドだったのは、我々4人のほかはごく僅か。年に一度の会だから、みんなもっと思い思いの格好をしてきたらよいのに、と思った。



盛り沢山の内容
 歌やコントなどの余興と、福引大会で、会全体の印象はとても良かった。普段はとってもマジメなのであろう人たちが、恥じらいながら演技しているのも初々しかった(年少者の私が言うのは甚だ僭越だが)。恐らく、あんなこと、あまりしたことないのだろうな・・・。因みに私は、その手の活動(?)はとても好きで、マイ全身タイツ(全身銀色)を持っていた。何遍も着てボロボロになったんで、今は使い物にならないが。結婚式2次会の司会やクイズなども何回もやった。Powerpointの使い方やプレゼンなどは、これで勉強したようなものだ。


e0074199_1336454.jpg 福引大会では、なんと当社駐在員の方が見事2等賞を獲得!「スズキのSWIFTを1年間無料で乗り回せる権」・・・でもこの方、日本への帰任が決まっているのですが・・・。



e0074199_13435036.jpg 余興の中で、ド肝を抜いたのは、インドで作成したというお神輿。とても素晴らしい出来栄えで、見ていて日本を思い出させてくれた。

 閉会は、勿論3本締め。



 インドに来て、四六時中日本人と群れるのはあまり好きで無いが、たまにこういう趣向の会があるのはとても良い事だと思う。来年もまた出席したい。
by bharat | 2005-12-30 12:12 | デリー市内あれこれ
デリー5 シャールク・カーンをこの目で見たい!
 12月24日クリスマスイブ、デリーに最初で最後とも言われる、一大イベントが開催された。
 その名は、「Temptation 2005」・・・いろんな意味で凄かった。

企画の内容に膨らむ期待!
e0074199_15344375.jpg
 今年の暮れから、ちょくちょく新聞紙の広告が出ていたらしく、これはその中の1つ。ボリウッド映画界のトップスターたちが、一同に会し、一大コンサートをやるという趣向。主催者は新聞紙「TIMES OF INDIA」、全国障害者雇用促進センター(NCPEDP)もスポンサリング。シャールク・カーン、ラニ・ムカルジーらを筆頭にそうそうたるメンバーが出るということで、naomiさんとその御友達と一緒に行くことにした。
 因みに、チケット料金は、S席5,000ルピー(約12,500円)、A席2,000ルピー(約5,000円)、B席1,000ルピー(約2,500円)。で、迷わずS席を購入。


 僕は、そんなにボリウッド映画に詳しい訳ではないのだが、それでも広告に踊っている名前は分かった・・・否が応にも期待が膨らんだ。
 紅白歌合戦やレコード大賞のような雰囲気か、はたまた日本でやるコンサートのように弾けるのか!


こ、これはあまりにもヒドい・・・

 当日のコンサート開始時間は、「1:00 PM sharp」と書かれていたので、何時に会場入りしたらよいか迷った。座席指定ではないので、早めに行って並ぼうと思い、11時30分ごろ会場入り・・・これでも日本のコンサートの感覚からすると遅いけど。


11:30
 焦りつつ、車が駐車場へ入っていくが・・・ガラガラ・・・あれ?
 今回のコンサートでは、S席購入者にしか駐車場使用権が無いので、それで駐車場が透いてるんだな、と思い、いざ会場へ・・・。
 厳重なセキュリティチェックを経て(大き目のバッグはNG、カメラは勿論、携帯電話もNG、なんとサイフもNG)、会場内に進む。

12:30
 ガラ~ン。何人来るのか分からないが、500~1,000人程度しかいない・・・。
 開始まで30分でこの状況か・・・恐るべし。
 おまけに、舞台上では音響・照明・スクリーンの最終リハをやっている始末。
 とても不安になる・・・。

13:00
 開始時間の13時00分になっても、客は半分以下の入り、舞台ではリハが続く・・・。
 まさかとは思ったが、sharpには始まらないようだ・・・。

13:15
 客の方は、だいぶ入ってきた(って既に定時をまわっているが)。
 されど、舞台に動きなし。

13:30
 入場者は、およそ5,000人くらいにはなった。
 依然、舞台に動きなし。
 スクリーンにたまに映るシャールク・カーンの姿にA席あたりから黄色い声援が飛ぶ。

13:45
 入場者は、およそ7~8,000人くらいにはなったろうか・・・。
 依然、舞台に動きなし。
 観客も、声を出すのに疲れだし、ただのザワつきだけが会場を包みだす・・。

14:00
 ようやく、そして唐突にスタート!!

 ボリウッドスターたちが、変わる変わる音楽にあわせてダンスを披露していく。
 テンポの悪い選曲ばかりで、イマイチ乗れないのだが、周りのインド人は座席に座ったまま、演歌風の手拍子をシャンシャンと送り始める・・・。みんな、コンサートの見方知らないのかな・・・立って体を動かしながら見ないのかなぁ。

e0074199_321472.jpg

 そのうち、主役格のシャールク・カーンが登場。演歌歌手ばりの衣装に振付けで、威風堂々(?)と1曲披露。
 彼の登場で、会場は大混乱に・・・イスに立ってキャーキャー騒ぐ若者と、それを必死に座らせようとする年輩者で、観客席は微妙な空気に・・・。

 その後、シャールク・カーンは、本コンサートの司会もこなすという体で、進行していく。これがまた、非常にトロい・・・観客の1人をステージに呼んでは、内容の無い会話・心のこもってない賛辞を送り、一緒に1フレーズくらい踊って、直筆サインボードを持たせて退散させる。これを2~3曲終わるごとにやり続ける・・・いい加減にしてくれと思った。
 また、途中、ダンスではなく、歌手による純粋な歌の披露もあった。一部声援を集めた歌手もいたが、大半に関しては観客ウケが悪く、シャールク・カーンが舞台上に居るときとは打って変わって、シ~~ンと静まり返る。ゲンキンな観客と企画者のアレンジミスで会場は得も言われぬ雰囲気に包まれていく。

17:00
 もういい加減終わらないかなと思っていたら、ダンスミュージックに合せて出演者全員がアフロのズラをかぶって登場。何の変哲も無いバスケットボールとブサイクなクマのヌイグルミを観客席に投げ入れて、終演・・・。

 心神耗弱状態で会場を後にした・・・。
 サバサバした表情で帰路に着くインド人たちがとても印象的だった・・・。


エンターテイメント途上国
e0074199_3354271.jpg
 翌日の新聞をチェックしようと思い、いろいろ見たが、関連記事が掲載されていたのは、TIMES OF INDIAのみ。同紙は、本コンサートのメインスポンサーだから当然か・・・。案の定、紙面には美辞麗句のオンパレード。誇大表現は言うに及ばず、あることないこと書き並べていた。

 今回の総括、というか問題点。

1.一大イベントにしては、事前PRやチケット販売体制があまりに未整備
 今回のイベントに関する事前広告は、専ら上記新聞の広告。存在自体知らなかった人もたくさんいた筈。もっと事前広報を集中的にやっていれば、2~3倍の観客を集められたと思われる。
 更に、新聞広告上にチケット販売場所が明記されておらず、数日前までどこでチケットを買うのか分からない状況だった。結局、ショッピングモールの一角の粗末な仮説コーナーで、細々と販売しているのを発見したnaomiさんが、慌ててチケットを購入した。しかも、5,000ルピーという現地人にとっては破格の値段にも関わらず、チケット販売は現金のみ受付。こんな金額を普段から持ち歩いているインド人がどれだけいるのだろうか・・・。また、現金の貯まりまくった仮説コーナーのセキュリティ管理もほぼゼロ。
 こちらには、チケットぴあみたいな企業は皆無なのか・・・。

2.最低レベルの会場施設
 会場となった、インディラ・ガンディー・スタジアムは、世界陸上大会(室内競技)や政府関係の集会などが開催される多目的屋内施設。
 が、施設は相当に古いようで、トイレが少ないことに始まり、窓カーテンが無く暗転出来ない、天井からものを吊るす事が出来ずカメラ・照明は全て地上から、と大規模コンサートには向かない要素ばかり。音響もかなり悪かった。
 加えて、即席アリーナ席は謝恩会のパイプイスみたいなものを使用、アリーナ席の前にドド~ンと陣取る関係者席など、観客を無視した会場作りにも嫌悪感を覚えた。

3.ピントのずれた企画
 これだけの出演者、3時間という豊富な時間にも関わらず、その殆どはシャールク・カーンと観客との無意味な会話に費やされた。観客はその遣り取りを観て笑ったりしていたが、デパートのトークショーを観に5,000ルピーも払ったんじゃないと怒りを覚えた。
 また、メインのダンスもかなりつまらなかった。当たり前だが、全部口パクでおまけに本人が歌ってない場合が殆どのボリウッド、自然と実に臨場感の無い雰囲気になる。凄く見づらい位置からビデオクリップを見ている感じがして、盛り上がれない。
 場繋ぎ的に出てくる歌手たちの殆どが、観客の冷めた目線の集中攻撃を浴びていた。彼らが出てくる度に、会場全体のテンションが下がり、これまた盛り上がれない雰囲気を醸成していた。


 今、インド映画界は、西洋映画の影響を受けた内容のものが次々と出てきている。
 コンサートやショーなどの「生」のイベントにも、西洋や日本のノウハウを取入れて貰い、より良いイベント作りをして欲しいと切に願う。
 我を忘れて盛り上がれるイベントをインドで味わう日は、まだまだ遠そうだ。
by bharat | 2005-12-26 15:28 | デリー市内あれこれ