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第78回旅行は、避暑地ロナウラと周辺石窟群
e0074199_16104660.jpg インド西部のマハラシュトラ州。
 ムンバイから、プネーへ続く高速道路を車で流すと、ロナウラ(Lonavala)なる地名が出てくる。


避暑地として
e0074199_547231.jpg 人口数万人に過ぎないここロナウラは、ムンバイの避暑地として知られている。
 標高約700mは、年中程良い気温を与え、ムンバイ-プネーハイウェイ沿いには、リゾート施設が並ぶ。
 写真は、MTDCカルラリゾート。
e0074199_558739.jpg ここロナウラの名物は、チッキ(Chikki)という砂糖でナッツ等を固めた御菓子。
 そこら中に、土産屋がある。


カルラ石窟寺院
e0074199_6112942.jpg ロナウラから数km離れたところに、石窟寺院(群)が数箇所残っている。
 その1つがこのカルラ(Karla)石窟寺院だ。
e0074199_6134047.jpg ムンバイ-プネーハイウェイをムンバイからプネーに進んで、このゲートを左折。
 途中の駐車場に車を停めて、急な石段をひたすら登る。


 と、眼前に巨大な岩肌に人工的にくり貫いた構造物が出現する。
 向かって右側には、保存状態の良い寺院跡がある。
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e0074199_6454079.jpge0074199_6465686.jpg 入口の左右には、象とブッダの彫刻が彫られている。
 ブッダ本人が彫られているので、大乗仏教期に出来た寺院だと分かる。
 紀元前80年に造られたものとのこと。
 正面の彫刻の上部には、木製の馬蹄状の窓が残っている。
 灯り取りのために施されたもので、アジャンタ石窟寺院群にも類似したものがある。
e0074199_4573347.jpg 中は、奥行40m、高さ14m。
 最奥には、巨大なストゥーパ(仏塔)がある。
e0074199_4543874.jpg 周りの石柱を良く見ると、ストゥーパと並んでアショカ石柱(Ashok Pillar)が彫られている。
 アショカ石柱は、マウリヤ朝のアショカ国王が国章のライオンとともに法勅を刻んだもので、当時勢力下の地域に建てられた。
 だが、アショカ王は紀元前232年に没しており、この寺院の建設時期とはズレている・・・はて・・・?



バージャ石窟寺院群
e0074199_64918.jpg ムンバイ-プネーハイウェイをムンバイからプネーに進んで、今度は右折。
 中々開かない踏切を越え、小高い丘を登ると、バージャ(Bhaja)石窟寺院群にたどり着く。

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e0074199_6112515.jpg 中央に位置するこの寺院が第12窟と言われているが、周囲を見渡しても第1窟~第11窟がどれなのか分からない。
 構造は、先述のカルラ石窟寺院と似ているが、こちらの方が古く、紀元前2~3世紀に出来たものだという。
e0074199_6205377.jpg 大きな第12窟の他には、こんな場所が。
e0074199_6231114.jpg 無数のストゥーパが所狭しと置かれている。
 ・・・ここに仮置きした後、石窟に安置するためのものだっただろうか?
e0074199_6252531.jpg 見逃してしまいそうなくらい奥には、壁面に彫刻が施された石窟がある。
 このような彫刻が残っているのは、バージャではこの石窟だけ。

e0074199_6311927.jpg また、この石窟のある丘の更に向こうには、ヴィサプール城(Visapur Fort)とローハガード城(Lohagad Fort)が向かい合う丘に築かれている。
 かつて、ヒンドゥー教勢力とイスラム教勢力が対峙し激戦を繰り広げた歴史があると、地元民が言っていたが、いつの時代のことなのかは不明。


オススメ度(100%個人主観)

   ★★☆☆☆ ・・・ アジャンタ石窟寺院群に行く時間が無いヒトは良いかも

観光所要時間

   3~4時間
by bharat | 2006-11-18 10:30 | インドぶらり旅
第77回旅行は、インド第3の港カンドラ
 西をパキスタン、南西をアラビア海に接するグジャラート州。
 この州の港の1つが、今回訪れたカンドラ(Kandla)だ。

インド第3の港
e0074199_5515921.jpg ここカンドラは、バイザックチェンナイに次ぐ取扱量を誇る、インド第3位の港。
 因みに、第4位コルカタ(ハルディア)、第5位ムンバイと続く。

e0074199_5585470.jpg カンドラ港の主要な取扱品目は、石炭類。
 バイザック港は鉄鉱石、ハルディア・ムンバイはコンテナと、各港によって、取扱品目の割合が極端に異なっている。
 但し、勿論ここカンドラでも、コンテナや鉄鋼製品なども捌いている。


取扱量の詳細
2005年度の各港の取扱量(単位 千トン):
港湾名       輸入/輸出/接続          合計
バイザック     25495/25150/5156       55801
チェンナイ     27199/20049/0          47248
カンドラ       34780/10176/951        45907
ムンバイ      22684/11956/9773       44190
ハルディア    25005/14173/2           42216
JNPT         18444/15251/1957      37746
ニューマンガロール 16519/17932/0       34451
パラディープ    11424/1685/0           33109
モルムガオ      6074/25614/0           31688
ツチコリン     13374/3765/0           17139
コチン          10844/3094/0         13938
コルカタ       4131/2190/4485        10806
エノール        8631/537/0            9168

総計        227640/173443/22324      423407


オススメ度(100%個人主観)

   ★☆☆☆☆ ・・・ 港湾地区に入るには事前に許可が必要

観光所要時間

   1時間
by bharat | 2006-11-01 10:30 | インドぶらり旅
インド周辺 第13回旅行は、秘境タクツァン
e0074199_624106.jpg ブータンで最も権威ある寺院タクツァン。
 アクセスが恐ろしく不便で、首都ティンプーや国際空港のあるパロに近いにも関わらず、今なお秘境だ。



由緒正しき仏教寺院
 この寺院が、こんな辺鄙な場所にあるにも関わらず、今尚ブータン国民・仏教徒から神聖視されているには、訳がある。
 このタクツァンとは、現地語で「虎の巣」を意味し、その昔ブータンに仏教を伝えたグル・リンポチェが虎に乗ってこの地に飛来したという話が残っているのだ。

e0074199_5251519.jpg 1694年に建てられたが、1998年4月19日に厨房の火の不始末が原因で寺院群の大半が焼失してしまった。
 直後から、復旧工事が始められたが、その際には今まで殆ど整備されていなかった寺院への道が整えられることとなった。
 その殆どはブータンの学生らによってなされ、2000年に完成。
 以後、観光客たちに利便を供することとなった。

道中の様子
e0074199_5385850.jpg 歩道が出来たとはいえ、標高3,200mのこの天空寺院への道程は、かなりキツい。
 まず、1時間ほど緩やかな山道を登り、掘立小屋へ。
 掘立小屋では、トイレ休憩が出来、ガイドと一緒にしばしコーヒーで一服。

e0074199_5433331.jpg ここから暫くは再び緩やかな道が続く。
 このあたりから、立込める霧、経文を書いた旗、鳥居など、霊的な雰囲気がいよいよ増してくる。
e0074199_625268.jpg 路傍には、僧が瞑想を行う小屋があり、丁度このときにも「瞑想中につき、御静かに」との建て看板があった。

 ここからが大変。
 目標の寺院は見えるのだが、目の前には切立った断崖が。
 この高低500mはあろうかという崖を一気に下ってまた登らねばならない。
 これをクリアして、漸く寺院に到着・・・往路約2時間半の行程だ。
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 寺院の中は写真撮影禁止だったので写真は残せなかったが、小さな御堂がいくつも存在する寺院コンプレックスになっている。像は、ブッダのほか、東西南北の方角を夫々の神の像などもある。

 ・・・文章に書くと、どうしても陳腐になってしまうが、筆舌に尽くしがたい聖地だった。


オススメ度(100%個人主観)

    ★★★★★ ・・・ 是非機機会があれば行くべし

観光所要時間

    5~6時間
by bharat | 2006-10-21 10:30 | インド周辺国ぶらり旅
インド周辺 第12回旅行は、ブータンの首都ティンプー
e0074199_2512264.jpg パロから山間の道を約2時間。
 ガードレールの無い、切り立った崖に作られた細い道は、車がすれ違うのがやっと。

 そんなこんなで、ブータンの首都ティンプー(Thimphu)に到着。


首都と言っても・・・
e0074199_3295312.jpg 国王の行政拠点のタシチョ・ゾン(Trashi Chhoe Dzong)がランドマークの首都ティンプー・・・とは言っても、その歴史は約50年と浅く、人口も4万人そこそこ。
 小さな村と言っても良いくらいだが、見どころは結構有り、町の雰囲気ものどかで良い。


メモリアル・チョルテン
e0074199_4411040.jpg 第3代国王ジグミ・ドルジ・ワンチュクの墓。
 彼が1972年に没したあと、1974年に建てられた。
 朝早くに訪れたのだが、地元の礼拝者が沢山来ていた。

ドゥプトプ尼僧院(Drubthob Goemba)
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 市の北部に位置する尼僧だけの寺院。
e0074199_5351540.jpge0074199_5354246.jpg 建物を一部増築していたが、興味深かったのは作業者が皆ブータン人ではなかった(と思われる)ことだ。
 ブータンでの土木工事・家屋建築工事従事者の多くは、バングラデシュやインド北東部からの出稼ぎ者だという。


国立病院
e0074199_784749.jpge0074199_79182.jpg 外見からは全く分らないが、ブータンで一番大規模な病院。
 処方箋を持って、薬を貰いに列を作るのは、万国共通なのだろうか・・・。
 年間ののべ患者数は約3万人、結構な数だ。
e0074199_2305874.jpge0074199_232572.jpg 中には、博物館コーナーもあり、様々な展示が。
 薬は、漢方薬に似たものが多く、草木・木の実・獣の骨・角から作られている。
 体の中身を記した解剖図もあるが、全然実際と違う・・・気孔の概念に近い考え方だと思われる。


国際大学
e0074199_334236.jpg 英名で、National Institute for Zorig Chusum。
 Zorig Chusumは、ブータン語で伝統絵画・工芸の意味。
 この建物群には、様々な訓練教室が入っている。
e0074199_3133349.jpge0074199_3135864.jpg まずは、粘土の人形を作る教室。
 どこか日本的な雰囲気だなぁと思ったら、上野陽子という日本人芸術家の技術指導によるものだった。
e0074199_3332531.jpge0074199_3334433.jpg 木彫り教室では、仏教に関するモチーフ・・・ブッダ、法輪、法螺貝などを彫る練習。
 ブータンでは、建築物の外観を伝統的工法・デザインにするよう規制がなされており、これに関連する技術者は必須だ。
 彼等を継続的に育成するこの教室の役割は、非常に重要と言える。
e0074199_353745.jpge0074199_3532455.jpg 仏教彫刻の教室では、立派な御手本の脇でコツコツと小さな仏像を彫り続ける生徒が。
 ブータンの寺院に収められている大きな仏像が、途方も無い人手・時間をかけて作られているのが分かる。
e0074199_4225928.jpge0074199_4231422.jpg 民族舞踊の教室では、音楽に合せてステップの練習。
 刺繍教室には、日本人留学生の姿が。
 刺繍科を修了するにはなんと4年かかるという。
e0074199_453380.jpge0074199_4532281.jpg 仏教壁画が、石を砕いた塗料で出来ていることが分かる。
 化学系の塗料は使っていないようだ。


 敷地外には、生徒たちが作った作品を売る売店がある。
 出来栄えも、値段も納得のレベル。



民俗博物館(The Folk Heritage Museum)
e0074199_5274723.jpg 現地名で、Phelchey Toenkhyim。
 ここでは、ブータンの昔の生活様式を再現している。
 家の作りや、家庭用具などは、特に目を引くものは無いのだが・・・
e0074199_554899.jpg ビックリするのが、家屋の内外に、チ○コが飾ってあることだ。
 ブータンでは、魔除けの意味で一物を玄関の門に付けたという。
e0074199_6393745.jpg 家の中の祭壇のど真ん中にも、チ○コが。
 家族繁栄の象徴として、信仰の対象になっていたらしい。
 他でも(例えばヒンドゥー教)男根が信仰の対象になっている例はあるが、ここまでリアルなレプリカを作って、祀っているのはあまり知らない。


町の様子
 首都だけあって、街中は栄えている・・・といっても、およそ一国の首都とは思えない小さな規模だ。

e0074199_5124285.jpg 一般に、ブータンのホテル・ゲストハウスでは、ブータン料理がテーブルに並ぶことは無く、御世辞にも美味いとは言えない西洋料理の真似事が出てくる。
 どうせブータンに来たのだから、御当地料理を食さないとということで、来たのがこの店。
 その名も「ブータン・キッチン」。ベタな店名にベタな外観。
e0074199_6145597.jpg 料理は、肉料理に地酒。

e0074199_6273031.jpg ネットカフェでは、随分と昔の型のPCが数台に、プレステーションも数台。
 ・・・これで、御客からいくら取っているのだろうか?

e0074199_634321.jpg こちらは、絨毯屋。
 伝統工芸というよりは、普通の家庭で使う絨毯みたいだ。

e0074199_6415819.jpg 八百屋には、日本でも見慣れた野菜がたくさんある。
 西岡京治氏が、日本からブータンに伝えたものなのだろう(西岡氏についてはパロ旅行記参照)。

e0074199_7175276.jpg 宿泊のホテルがこちら。
 Hotel Pedling
 39室
 ダブルルーム 1,800ヌルタム(約4,500円)
e0074199_7203735.jpg 外観、中身ともに結構立派。

e0074199_5165721.jpg これは、市内の中央郵便局。
 外観は、やはりブータンの伝統的な建物。
e0074199_5194458.jpg 切手販売コーナーで、切手を物色。
 面白いのが、切手のデザイン。
 全然ブータンと関係無いものが殆どなのだ。
 なんでも、ブータンには発達した印刷技術が無く、イギリスにこれを依頼しているらしい。
e0074199_5463279.jpg なので、デザインもイギリス任せ。
 アポロ月面着陸、オリンピック、ディズニー、葛飾北斎など、な~んでもあるのだ。

e0074199_5571043.jpg 市内には、映画館もちゃんとある。
 公開中の映画は・・・!!
 「My Beloved Yak」・・・小鹿物語みたいなストーリーなのか!?


国獣は絶滅危機種
e0074199_694080.jpg 市街から少し離れた丘陵の一角に、ブータンの国獣タキンの保護区がある。
e0074199_6131091.jpg この牛のような、山羊のような動物・・・愛嬌があるというか、ブサイクというか・・・。

 ブータンには、このタキンの誕生秘話みたいな神話が残っている。
 高僧ラマ・ドゥルクパ・クエンレイ(Lama Drukpa Kuenlay、1455~1529)が、彼の門下生から奇蹟を見たいと請われたので、山羊の頭の骨と牛の体の骨をくっつけて蘇生させた。
 これが、タキンのはじまりなんだと・・・無茶苦茶な話だな。


週末マーケットはスプラッタ
e0074199_6411678.jpg 週末には、大きな広場にズラッと露店が並ぶ。
 多くは食料品だが、中には骨董品を並べる一角もある。
e0074199_6541718.jpg !!・・・これは、ヤク肉売場。
 この色、明らかに「血」だよね・・・。
e0074199_6551125.jpg そして、店の前には、肉待ちのワンコたちがいっぱい。
e0074199_656012.jpg 1頭まるごと裁いたのか、店主のそばには、ヤクヘッドとヤクフットがゴロンと置いてあった。
 ・・・なんとも刺激的な光景。



オススメ度(100%個人主観)

   ★★★★☆ ・・・ どこか懐かしい小さな町は一見に値する

観光所要時間

   3~4時間



by bharat | 2006-10-20 10:30 | インド周辺国ぶらり旅
インド周辺 第11回旅行は、ブータンの玄関口 パロ
 ブータンには、国際空港が1つしかない。
 デリーからの直行便で約3時間飛んだところにある、パロ(Paro)だ。

かつての首都・・・?

 ブータンについての記載は、同国が国際連合に加盟した1971年まで、かなり曖昧だった。
 その当時の歴史的に鎖国政策を採っていたし、他国にブータン大使館・領事館の類も無かったので、ブータンに首都すら間違えられて記された世界地図が殆どだったという。

 1950年半ば、ブータンは首都をプナカからティンプーに移したと言われているが、この頃ここパロも冬の都として機能していたらしい。


質素な空港に豪華な飛行機

e0074199_704583.jpg 現在は、空路での唯一のアクセスポイントとなっており、飛んでいるのもDruk Airだけ。
 御覧の通り、山間の狭~い盆地に、粗末な滑走路が1本だけ。

 着陸時には、飛行機の左右の翼を山の斜面にぶつからんばかりに近づけながら、高度を下げていく・・・かなりスリリング。


e0074199_773093.jpg 着陸すると、ブータンの伝統建築に則った、素朴な建物が出迎える。
 いきなり、異国に降立った実感が沸いてくる。
e0074199_775646.jpg 入国手続を行う建物内は、こんな感じ。
 ちなみに、写真には収められなかったが、審査官もブータン民族衣装を着ており、まるでタイムスリップしたかのような、なんとも懐かしい印象を受ける。


 ここで少し、Druk Airについて。
 現在、インド(デリー、コルカタ)、ネパール(カトゥマンドゥ)、バングラデシュ(ダッカ)、ミャンマー(ヤンゴン)、タイ(バンコク)とブータンを空で結ぶこの航空会社は、ブータンの国営企業。

e0074199_7462996.jpg 以前は、BAe-146-100という小型ジェット機2機での運航だった。
 高翼機で眼下を見下ろせるというメリットの他は、積載可能乗客数の少なさ、航続距離の短さ、昔ながらの操縦システムなどデメリットばかりだった。
 総座席数はたった72席で、春と秋の観光シーズンには、毎年旅行代理店が座席の確保に奔走するのが常だった。
e0074199_7471537.jpg この状況がドラスティックに好転したのは、2004年。
 エアバスのA319型を導入したのだ。
 同機は、総座席数114席で、呼び込める観光客数も一気に増えた。
 メンテナンスや乗務員研修は、専らタイ航空におんぶにだっこらしいが、これもじきに自分で出来るようになるのだろう。

 運賃は、往復32,250ルピー(約84,000円)と非常に高額。



街の様子
e0074199_16363374.jpg 街の中心部といっても、非常に小規模。
 1985年に今の街並みになった。
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 大通りが1本あり、この通り沿いあるいは近辺に、小さな商店が立ち並んでいる。
e0074199_332755.jpg昼食を採ったレストランの階下に床屋があったので、取敢えず散髪(?)。
 彼らの技術レベルと価格を知りたかったのだが、あまり参考にならず・・・というのも、バリカンをあてている彼、どうみても生粋のブータン人では無い。
 恐らくインド人かバングラデシュ人だろう・・・出稼ぎなのかな?
 技術レベルは、インドの床屋と同様でした。
 料金50ヌルタム。
 インドの50ルピー札を渡して御会計(ブータンではインド紙幣/貨幣が使える、詳細はこちら)。


e0074199_3403454.jpg ブータンの郷土料理は、とても辛いのが特徴。
 唐辛子は料理に欠かせなく、多くの家で唐辛子をこんな感じに干していた。
e0074199_3424197.jpg そんな家の下では、外国製のオモチャを売る売店も。
 ブータンと言うと、鎖国のイメージが強いが、少しずつこういった輸入品が入ってきているようだ。

e0074199_346595.jpg ブータンもインド同様、いやそれ以上かも知れないくらい、犬が多い。
 が、犬種がちと違う気がする・・・気候が寒いせいか、モコモコした毛の犬が多い。
 どことなく、和犬に似ている。

e0074199_3494740.jpg 町外れには、アーチェリー場。
 ブータンの国技はアーチェリーで、今の国王もアーチェリー好きということで、国の中で最もポピュラーなスポーツとなっている。
e0074199_4563971.jpg 会社員もアフター5で楽しむというこの競技、ムチャクチャ難易度が高い。
 矢を射る場所から的までの距離はゆうに100m以上あり、加えて的はとても小さい。
 20分くらい様子を眺めていたのだが、この間的にささった矢はたった数本・・・随分とストレスのたまるスポーツに思える。



 実際の旅行では、上記市内をザッと観たあと、ティンプー(Thimphu)に移動した。
 最終日に、再度パロに戻って、以下の場所を観て回った。

国立博物館
e0074199_4204992.jpg この建物は、タ・ゾン(Ta Dzong)と呼ばれている。
 物見櫓(ゾンは、櫓・要塞の意味)という意味らしい。
 円柱形の建物は、7階建。
 3階(4階だったかな)に入口があり、ここから追上下の階を観て回ることとなる。

 この建物、立地している丘の下にあるパロ・ゾン(後述)の物見櫓として、機能しており、建設されたのは、17世紀中頃と言われている。


e0074199_4564027.jpg ココが博物館となったのは、1968年。
 3代国王ジグミ・ドルジ・ワンチュク(在位1952~72年)が自国の歴史を再認識・編纂したいと願い造ったのだそうだ。
 当時、ブータンの歴史的な品々は、一般家庭に散在しており、この本格的な収集を行った。
 仏像、仏画、彫刻、壷などの宗教的なもの以外に、儀礼に使う楽器・衣装、ブータンに棲息する動物・昆虫の剥製なども展示されている。


パロ・ゾン
e0074199_552818.jpg パロのランドマークであるこの建物。
 ゾンは、前述したように、城塞の意味だが、そもそもブータンにおけるゾンの存在は、単なる軍事拠点のみならず、仏教を広める宗教拠点、国政を行う政治拠点としての機能をも併せ持つ大変大きな影響力を持つ場所だった。
 現在は、県庁のような機能を持っており、このパロ・ゾンはパロ県庁といったところだ。
 中は、半分行政事務所、半分寺院になっている。
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 ゾンの中のカベにこんな絵が。
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 よく仏教画に登場する絵だが、こんな意味を現している。

 ヒトは、天・人・餓鬼・畜生・地獄の五趣を輪廻すると信じられており、人はこの中の1つの世界に住んでいる。
 大乗仏教期に入り、阿修羅(天の中の闘争を指す世界)が加わり、六道というようになった。

 絵の中では、円が全ての世界を現し、これを死神が司っている(審判している)。

 円の一番中心には、3つの欲望を象徴する動物(鳥・蛇・猪)、その周りに天と地獄、その周りの6分割された大きな枠には、六道が描かれ、一番外側に人間の生の営み全体が描かれている。


ダショー西岡の墓(ストゥーパ)
e0074199_654736.jpg 小高い丘に建てられた、文字通り西岡氏の墓。

 ブータンの歴史において、日本人が非常に大きな役割を果たしたという事実を知っている日本人はどれくらいいるだろうか。
 ・・・少なくとも、私はついブータンに行くちょっと前まで知らなかった。

 ダショー西岡こと西岡京治は、JICA職員として1964年にブータンに派遣された。
 当初2年の任期予定でブータンに入った彼は、同国の悲惨な生活実態を見て驚いた。
 殆ど獲れない農作物、栄養不足等に起因する低い平均寿命(当時40歳そこそこだった言われている)・・・。
 日本から種子を持込み、農業機械を輸入し、地元民に根気強く農業指導を行った彼は、結局28年をブータンの発展に費やし、1992年没した。
 国王は、彼の功績を多いに讃え、ダショー(騎士の称号:外国人では彼しか貰っていない)の称号を与え、彼の葬儀は国葬とされた。


オマケ

 市街にある、「Made in Bhutan」という店で、土産物を物色。

 王様コスプレしてみた・・・なかなかの風格!?
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オススメ度(100%個人主観)

  ★★★★☆

観光所要時間

  5~6時間
by bharat | 2006-10-19 10:30 | インド周辺国ぶらり旅
☆SHANGRI-LA☆  ~ブータン~
 先般、短期間ながら、インド隣国のブータンに行って来た。

 個人的には、インド以上に情報が少ない国だが、インドに来てからというもの、いつか行って見たい気になる国の1つだった。


国の概要
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名称 : ブータン王国
面積 : 38,394k㎡
      地図の通り20の県で構成されている
首都 : ティンプー(Thimpu)
人口 : 699,000人(2001年国勢調査による)
      国外からの労働者も多数おり、実際のところはもう少し多い?
国旗 : 中央の雷龍は、ブータンの地元の通称Druk Yul(雷龍の国)からきたもの。
      上部の黄色は、国家の権威を表現している。
      下部のオレンジ色は、仏教への信仰心や精神的な強さを表現している。
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国章 :
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国教 : 仏教(チベット仏教を国境とするのはブータンのみ)
言語 : ゾンカ語(チベット語と似ている)
時差 : 日本時間 - 3時間
標高 : 海抜180m~7,550m
国樹 : イトスギ  国花 : ブルーポピー  国獣 : タキン  国鳥 : ワタリガラス
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通貨 : Ngurtrum(ヌルタム)
      インドルピーと1:1連動制。現地ではインドルピー紙幣/貨幣がそのまま使用可。
貿易 : 輸出 インド(95%)・バングラデシュ(5%)
      輸入 インド(75%)・シンガポール(13%)
産業 : 水力発電事業(インドに電力を輸出)
      観光事業(ここ数年来 本格化)
      農業

歴史

 宗教的観点からは古いが、政治的・国際的にはまだまだ若い国ブータン。

 この地に仏教が本格的に入ってきたのは、7~8世紀と言われている。
 ブータン仏教の開祖グル(導師)・リンポチェという高僧が、大乗仏教をこの地に伝えたとされ、ブータンにおいては、彼の像は仏陀と並列で並べられるほどステータスが高い。


 国としてのスタートは、チベットの宗教派閥争いに敗れた僧ガワン・ナムゲルが1616年に建国。
 17~19世紀、この一帯は山間部族が小王国を建て、合従連衡を繰り返していたが、イギリスの圧力が増すに従い、ある勢力は降伏し、ある勢力は抗戦した。現在のインド・ブータン国境近辺の地域では、ブータン・イギリス間の領有を巡る小競合いが激化。
 1773年にクチビハール、1826年にアッサムが相次いでイギリス支配下になってしまうと、焦点はドゥアールに集中。この領有をめぐり、1864年に戦争が勃発した(ドゥアール戦争)。
 この戦争に敗れたブータンは、イギリスから金を受取る代わりに領土の所有を諦めざるを得ないこととなった。
 
e0074199_5105844.jpg 領国内の族長レベルの争いに終止符が打たれたのは1907年。
 ワンチュク家のウゲンが強大な軍隊を形成して他勢力を一掃、領国内の統一を果たした。
 以降、現在まで2代ジグミ・ワンチュク(治世1910~52)、3代ジグミ・ドルジ・ワンチュク(1952~72)、4代ジグミ・シンゲ・ワンチュク(1972~)と世襲君主制を採っている。
 一時期、政治のトップに首相を据えたこともあったが、1964年の首相暗殺、クーデター未遂など政情不安を招いた為、国王親政に戻った。

e0074199_5114415.jpg 尚、第4代国王ジグミ・シンゲ・ワンチュクは、2008年の立憲君主制への移行を宣言しており、議会政治強化・国王定年制などドラスティックに国の制度を変えるようだ。


 ・・・しかし、たった4代で、顔と頭身バランスが随分と近代化している気がする。
 現国王は、なかなかのイケメンである・・・初代~3代と、ベッピンさんの王妃を娶ったのだろうか。



 国際的には、1910年にイギリス保護下、1949年にはインド保護下に入るなど、小国ゆえの外交政策も、1971年に国連に加盟して、世界の檜舞台にあがる。
 以降、インド・バングラデシュを皮切りに世界各国との国交を樹立を行い、1986年には日本とも樹立、本年2006年はちょうど20周年の節目の年にあたる。

 国内政策については、かなり変わっている。
 特に現国王は、過激な近代化や外部文化の過度の流入を嫌い、伝統的工法による建物の建築のルール化、伝統的服装の強制、世界的な国の判断基準となっているGNPに代わるGNH(Gross National Happiness : 「国民総幸福量」 )の提唱等を実施。
 アイデンティティの醸成、国王への敬服が促進された一方で、国内にいた異民族が流出(=難民化)せざるを得ない環境となり、特にネパール系の人々12万人が一度に難民化し、国際問題に発展した一幕も。


シャングリラ(地上の楽園・桃源郷)の由来について

 今回、ブータンの地に降立って、まず驚いたのが、ヨーロッパ人観光客の多さ。
 9割以上はヨーロッパ人、それも御年配の方ばかりだった。

 どうもブータンは、ヨーロッパでは「シャングリラ(地上の楽園・桃源郷)」のイメージが強いらしく、老後の旅の人気ランキングが高いようだ。
 「ブータン=シャングリラ」が定着したのは、1933年英国人作家ジェームス・ヒルトン(James Hilton)が書いた『失われた地平線』(原題"Lost Horizon")によるところが大きい。因みに、同書は、日本でも1959年増野正衛によって訳され、新潮社から出版されている。
 ヒルトンは同作品において、この世の楽園シャングリラに迷込んでしまうガイジン4人の様子を描いている。
 場所は、小説によると、「バンコクの北西」で「インド・カシミールの東」だという・・・小説の中で描かれる様子から察するに、今のブータンあるいはチベットを連想していたと言われている。
 この本を原作として映画化もなされている、しかも2度。

 中国は、2002年5月5日、雲南省の最北西部、迪慶チベット族自治州の州都である中甸が、その行政地域がシャングリラであるとして、県名を本当にシャングリラ(香格里拉)に変更してしまった。
 また、デリーにも昨年出来たが、マレーシア系華僑の郭鶴年(ロバート・クォク)が展開するアジア地区最大のデラックスホテルグループの名前でも有名になっている。

e0074199_5691.jpg 僕は、シャングリラ聞くと、1997年石野卓球・ピエール瀧らの電気グルーヴがリリースしたCDタイトルを連想してしまう・・・。
 ♪夢でキスキ~スキ~ス
         キスキ~スキ~ス
              どこへもどこまでも~♪
 の歌詞をつい口ずさんでしまう。

 彼らは、シャングリラの意味を知って、曲のタイトル付けたんだろうか・・・まぁ、余計な御世話だが。



 → インド周辺 第11回旅行 パロ
 → インド周辺 第12回旅行 ティンプー
 → インド周辺 第13回旅行 タクツァン
by bharat | 2006-10-18 10:30 | インド周辺国ぶらり旅
第76回旅行は、藩王の旧都アルワール
e0074199_18571762.jpg デリーから、南南西に車で約4時間。
 藩王の王都として栄えたアルワール(Alwar)に到着する。

 アルワール王国は、1771年、から出たラージプートのタクール・プラタプ・シン(Thakur Pratap Singh)が建てた。同名の都をここアルワールに置き、18世紀のインドの軍事戦略上、非常に重要なポジションを担った。
 当時、インド内で、強大な勢力を誇っていたマラタ(Maratha)王朝と戦っていた英国は、このアルワール藩王国を防波堤と位置付け、同盟関係を維持して、様々なサポートを行った。
 このアルワールが皮切りとなってラージャスターンの多くの藩王たちが英国と同盟を結んだが、これらの関係はのちに、英国の成すがままにしか出来ないという不満から崩れてしまう。

 タクール・プラタプ・シンの後、バクタワール・シン(Bakhtawar Singh、治世1791~1815年)、バナイ・シン(Banai Singh、1815~1857年)と良くこの地を治め名君と言われたが、最も有名なのは、ジャイ・シン(Jai Singh)だ。彼は、1902~1932年までこの地を治めたが、過激な性格で(英国とのポロ試合で負けて、馬に火を付けたというエピソードが残っている)、最終的には英国により失脚させられた。

 インド独立の際、この地域は最後まで藩王(Maharaja)らが統一国家形成に難色を示して揉めたが、最終的にラージャスターン州に組込まれ、現在の形になった。


 デリーとジャイプールを繋ぐ大動脈、国道8号線からは随分と南に逸れるが、デリーから155km、ジャイプールから約143kmとほぼ中間地点。
 東西・南北に舗装道路の交流点に位置し、大きな電車の駅もあり(宮殿列車の記事に付記したFairy Queen Trainはデリーとこのアルワールを結ぶ蒸気機関車である)、人口はなんと30万人。



 ・・・でも、その前に。
 忘れそうになったが、市街地に入る前にこんなものがあった。

ジャイ・ヴィラス宮殿(Jay Vilas Palace)
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e0074199_1922318.jpg 
タタルプールからアルワール市街に向かう途中、遭遇したのが、この建物。
 今は、公共施設の建物として使用されており、観光客が入れるようにはなっていない。
 大通りからは城壁しか見えず、裏の細い路地に回らなければ全貌が見えてこない・・・見逃している人も多いのではないか。
 雨季直後に来れば、手前の沼地も綺麗な水面と化していたのだろう・・・ベストな時期は8月前後かな。



市街部
e0074199_1630997.jpg アルワール市街の様子は、観光地といった様子は全く無く、中規模の商業拠点といった様相。
 道幅も広く、交差点の中央には、時計塔や銅像などが建っていた。
e0074199_16303616.jpg 街からはずれたところにある丘を目指す。
 この丘に、ラージプートの城砦が今も残っているという。


宮殿と周辺施設
 そもそも丘の上の城砦を見に来たのだが、思いがけず広大な宮殿施設が広がっていた。

シティ・パレス
e0074199_19264010.jpg 手間の門をくぐると、いきなり中庭に出てくる。
 この施設は、1793年、バクタワール・シン藩王が建てたもの。
e0074199_1959305.jpg 屋根の腐食や装飾のはがれが見受けられるものの、建物の殆どは残存しており、保存状態は全然悪くない。
 おまけに、公共施設(観光事務所・博物館)として現在も現役で活躍中。

夏の宮殿とバクタワール・シン廟
e0074199_20304943.jpg シティ・パレスの中庭を抜けて、丘の方角を向くと、人造湖(サーガル)を取囲む建物が見えてくる。
 水色と黄色の鮮やかなコントラストが際立つ建物は、宮殿。
 過酷な夏をしのぐ夏の宮殿といったところか。
e0074199_20333515.jpg 向かって宮殿の左側には、丸いドームを持った建物。
 これは、一体の建物を建てたバクタワール・シンの廟だ。



城砦への遠く険しい道

序盤戦
e0074199_2036160.jpg 丘の上にかすかに見える城壁を頼りに、山登り開始。
 道は、一応石畳になっているので、迷子になる心配は無さそうだ。
e0074199_20372917.jpg 歩いてすぐ、道端のあばら家の前に佇むジイサン発見。
 「まだ上までは結構あるぞ。水でも飲んでいかんか?」と壷の水を薦めてくれたが、丁重に御断りした・・・こんなところで急性の下痢になったら、絶対野グ○だもんな。

城門その1
e0074199_20413363.jpg 20分ほど歩くと、城門が。
 日本の城郭と同様、こちらの城砦にも本丸・二の丸などの建築構造が見られる。
 恐らく、これは一番外側の城壁にある門と思われる。

中盤戦
e0074199_20442360.jpg 更に登ること30分。
 遠くに綺麗な城壁が見えてくる。
 ・・・あそこまで行くんか、遠いな。

城門その2
e0074199_20454432.jpg 歩き始めてから1時間弱。
 漸く、最後の城門をくぐる門を突破。
 こんなの、鎧を着込んで攻込んだら、敵に出くわす前に疲れ果てるだろうな。

山頂の寺院
e0074199_20503252.jpg 山頂には、ヒンドゥー寺院が。
 驚くことに、ポツポツ参拝者が。
 こんなところまで、みんな歩いてきたのかな?
 女性や子供もいるが・・・・


 ・・・・と驚いていると・・・・ん??道??
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 Noooooooo!!
 車でここまで来れたんぢゃ無いか!
 一気に疲れが出てきた・・・。

e0074199_20534729.jpge0074199_20535876.jpg こんな廃墟も。
 落書きする内容は、万国共通なのかしら・・・。


バラー・キラー
e0074199_2112738.jpg ヒンディー語で「大きな城砦」を意味するこの施設は、現在は丘全体の治安管理を行う無線基地として使われている。
 といっても、日本のアマチュア無線マニアが嘲笑するくらいの粗末な機材が並ぶ程度。
 職員も2名いたが、とてもヒマそうだった・・・詳細はナオミさんのブログ御参照


e0074199_2135774.jpg 建物が中庭を取囲むスタイルは、前述のシティ・パレスと極めて似ている。
 保存状態はあまり良くないが、気軽に中に入って高層階に昇れる。


 最上階から、丘の逆側を見ると・・・思いもよらぬ絶景が広がる。
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 中央の窪みが単なる扇状地なのか(にしても川は見当たらない)、クレーターのような外圧で出来たものなのかは不明だが、吸込まれるような感覚に陥る。



 ・・・絶景を楽しんだのも束の間、水分補給も出来ないまま、来た道を引返す。
 ふもとで、「バラー・キラー こちらから車で○○分」みたいな看板を出しておいて欲しいものだが・・・。


オススメ度(100%個人主観)

   ★★★☆☆ ・・・ ジャイプールニムラナと組合せると◎かも

観光所要時間

   4~5時間(全て車でまわれば2時間以上短縮可)
by bharat | 2006-10-08 10:30 | インドぶらり旅
第75回旅行は、後進的インドを垣間見れたタタルプール
e0074199_21595848.jpg 今回は、micchaさんナオミさん、Kさんと一緒に日帰り旅行。
 車でギリギリ行ける場所ということで、ラージャスターン州のアルワール(Alwar、詳細は後日更新予定)に行き先を定め、車を出発させた。

 タタルプール(Tatalpur)は、その道すがらに立ち寄った、小さな村だ。


一際目立つ城砦 タタルプール・フォート
e0074199_15204431.jpg 突然この村に立寄ろうと思ったのは、国道を南に進んでいる途中で、小高い丘に立つ立派な城砦が目に入ったからだ。
e0074199_15343743.jpg ふもとの集落を抜けて、城砦への道を登る。
 城壁は、花崗岩の片面を削って出来たもので、構造は粗い。
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 但し、城門は鉄製、内部の建物も煉瓦に漆喰。
 装飾は殆ど無く、軍事色が強い。
 地元民も何時建てられたか細かくは知らない様子だったが、恐らくここを支配下に治めていたアルワールの王様(ラージプート族)あるいはムガル帝国が16~18世紀に造ったものと思われる。


デリー近郊にも残存する旧来のインド
 この集落の文化レベルをちょっと分析。

 まず、道路インフラがしっかりしており、都市部との流通は問題無いと思われる。
 道端の噛みタバコ屋の商品も充実していた。

e0074199_15473877.jpg 自給自足経済でないせいか、比較的皆の服装も裕福そう。
 学校の生徒は制服を着用。
 地元民の普段着も、あまりボロくない。

 家の作りも良く出来ている。
 ドロ造りのものは殆ど見当たらず(アラハバード近郊のドロ住宅を御参照、煉瓦に漆喰、塗装も綺麗。
e0074199_15443631.jpge0074199_15451539.jpg

e0074199_15481045.jpg 水も潤沢にあり(雨季からだいぶ時間が経過しているのも関わらず)、家畜の保持、農作にも遜色無い感じ。



 だが、驚いたのは、デリーから3時間、アルワールから2時間の立地なのに、とても閉鎖的・旧態依然的な文化だったことだ。

e0074199_1894312.jpg まず、女性が道端を歩く際、顔を見せない。
 サリーの布で顔を隠して歩いている。
 この写真のヒトがクムハール(壷作りカースト、中位~下位くらいのカースト)なのか、ただ家庭の壷を作っていたのかは不明だが、僕らがレンズを向けても、こちらを向くことも無く、顔も隠したままだった・・・積極的な都市部の女性とはかなり様子が違う。


 また、若者の態度も特徴的。
 中学生くらいの男子生徒たちが、我々を面白がって、一緒に丘の上まで付いてきたのだが、やたらと女性陣2名の体を触るのだ。
 こちらが怒ると、今度は少し距離を開けて投石を開始。

 このガイジン拒絶行動とも取れる行動。
 恐らくは、狭い集落社会の中で抑制された性的衝動が、部外者に対して出ているものと思われる。
 集落の中で、男子が女子にセクハラ行為をしようものなら、汚らわしいとして、村八分にされてしまうが、フラッと立寄った部外者になら何をしても村長から罰せられることもあるまい・・・そんな心理なのかも知れない。

 インドには、未だに強烈なムラ社会意識が残っている。
 行政村(行政的に線引きされた村で、選挙の際等はこれが基準となる)・自然村(前者とは全く関係なく、カーストや部族等で歴史的に固まっている集落で、行政とは何の関係も無い)なんていう概念があるのも、その顕著な例だ。


 帰り際、年配のおじさんに、「アイツラ、僕らにこんなふしだらな行為をしてたぞ。」と言ったら、「そうですか、すいません・・・なにぶんガイジンが来るのなんて殆ど初めてなモンデ」と困り顔で話していた。


 ガイジンがインドに上手く浸透していくには、まだまだ時間が必要ということか・・・。
by bharat | 2006-10-07 10:30 | インドぶらり旅
第74回旅行は、ラーマ神ゆかりの地ラームテーク
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 ナグプールから北に40km、小高い丘にヒッソリと残る寺院群がある。
 ラームテーク(Ramtek)だ。


ヒンドゥー神話ゆかりの地
 人口2万人、標高345mのこの小さな村は、ヒンドゥー教徒にとっては、意味のある場所だ。
 神話『ラーマーヤナ』で、ラーマ王子が聖仙アガスティヤ(関連記事こちら)を訪れるくだりで、ラーマは伴侶シータとともにこの丘で一時期を過ごしたとされている。
 ラーマの丘を意味するRamgiriが、のちに現在の地名Ramtekとなった。

古寺院&絶景
e0074199_694763.jpge0074199_69588.jpg 大小27もあると言われるこの丘のヒンドゥー寺院は、14~15世紀に建てられたもの。
 丘を登ってまず目にする木製の城門も、ボロボロになっていた。

ラクシャマン・スワミ寺院
e0074199_613530.jpg 複数の御堂が内部で繋がっている建築様式。
 砲弾状の尖塔シカラを最奥部に持つこの複合建築は、中世のヒンドゥー建築に特徴的で、特に東~中央インドに数多く残っている。中でもプリーのジャガンナート寺院が代表格だ。

プラバラームチャンドラ・スワミ寺院
e0074199_617596.jpg これも、ラクシュマン・スワミ寺院と同様の建築様式。
 奥には、展望台の様な空間があり、下の景色を一望できる(本記事一番最初の画像がそれ)。
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 また、城門方向を見ると、全ての寺院を視界に入れることが出来、迫力がある。

ヴァラハ
e0074199_6244690.jpg ラーマ神がヴィシュヌ神第1化身なら、こちらのイノシシは第5化身。
 化身兄弟ということで、祀られているようだ。


アンバラ湖(Ambala Tank)
 丘のふもとの降りると見えてくる、人造湖。
 湖畔に小振りなヒンドゥー寺院が複数立ち並ぶ、とても雰囲気の良い集落だ。
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e0074199_6311990.jpg 一部水没している寺院もあったが、乾季には水がひいて使用可能な状態になるのだろう。
e0074199_631439.jpg 面白いことに、ここの寺院は、殆どがシヴァ神を祀っている。
 写真は、シヴァ神の乗物ナンディ像。

e0074199_6325126.jpg 当日は、ヒンドゥー教の祭日だったので、集落は実にノンビリした感じ。
 リクシャーを洗う人や・・・
e0074199_634128.jpg 車を洗う人たちが結構いた。



オススメ度(100%個人主観)

   ★★★☆☆ ・・・ 情緒溢れる集落の雰囲気は、期待以上

観光所要時間

   1時間30分
by bharat | 2006-10-03 10:30 | インドぶらり旅
第73回旅行は、新仏教の総本山ナグプール
 デリーから、空路で真南に約1時間半。
 「インドのヘソ」のナグプール(Nagpur、ナーグプルとも)に到着。

ネオ・ブッディズム発祥の地
e0074199_5413362.jpg 空港に降立つと、見えてくる空港名「Dr. Ambedkar International Airport」。
 不可触選民の出でありながら、インド初代法相となり、インド憲法にカースト制度廃止を明記させた不屈の政治家アンベードカルの名を採っている(彼の功績についてはラクナウ旅行記で詳しく書いたので御参照)。
 空港内の内装も、彼の絵や彼が推進した仏教のモチーフが描かれており、インドの他の空港とは一風違った雰囲気を醸し出している。


e0074199_615725.jpg ナグプールは、英国植民地時代の中央州の州都が置かれていた場所。
 今でも、当時の柱が市街地にポツンと立っている。

だが、この都市が今特別なポジションにあるのは、1956年以降だ。
 上述のアンベードカルが、カースト制による身分差別からの解放を目指して、1956年、同志30万人とともにこの地で集団改宗を行ったのだ。
 因みに彼は、その直後、同年12月6日に没した。

 その後、仏教に対する彼独自の解釈は、インドにおける新仏教思想(ネオ・ブッディズム)と位置付けられ、時に昔ながらの仏教から非難を浴びる局面もあったが、現在、インドにおける仏教の復活はアンベートカルによる功績が非常に大きい。

 また、彼の死後、インド仏教の先頭に立っている指導者が、日本人僧であることはあまり知られていない。
 佐々井秀嶺というその僧は、日本仏教団体の仕事でインドに来たのが縁で、以来、低カースト者の救済を目的としてインドで活動を展開。
 インド政府もその活動を高く評価し、1988年には、極めて異例とも言える、時の首相ラジーブ・ガンジーからインド国籍とインド名アーリヤ・ナーガルジュナを与えられた。

e0074199_6383312.jpg ナグプールは、そんなインド仏教の本拠地なのである。
 街中の車・オートリクシャー・自転車などは、みな仏教旗をつけて、仏教一色といった雰囲気だ。



そこかしこで仏教式典が・・・
 今年が、アンベードカル没後50周年、そして佛紀2550年(ブッダ生誕年を元年として、今年が2550年目)にあたるため、10月2日の祝日(ガンディー誕生日)を利用して、様々な仏教式典が開催されていた。
 以下は、そのいくつか。

ディークシャ・ブーミ(Deeksha Bhumi)
 ここは、アンベードカルが集団改宗を行った場所。
 巨大な仏塔(ストゥーパ)が目印の公園だ。

e0074199_6475423.jpg ここの式典がインド中で一番盛大だったと思われる。
 来場者は、一部報道では数百万人とも。
 とにかく、凄い人手・・・なかなか仏塔に近づけない。
e0074199_6495545.jpg 漸く敷地内に入ると、仏塔の脇には、アンベードカルとブッダの像が並んで鎮座している。
e0074199_6512497.jpg 仏塔の中に入ると、様々な写真が展示されており、中央部には仏像が。


龍宮寺(Dragon Palace Temple)
e0074199_5154821.jpg Dragon Palace Templeと聞いて余り要領を得ず、何となく立寄ったが、かなりの盛況。
 本堂の脇には大きな石柱に「妙海山 龍宮寺」・・・あ、それでこの英訳なのね。
e0074199_52344.jpg 本堂には、立派な仏像。


菩薩大寺(Mahavihara)
e0074199_512884.jpge0074199_51474.jpg 道端に、看板で漢字で「菩薩大寺」。
 表のシュールな出来栄えの仏陀立像には、真言宗智山派大本山が寄進したとの掲示が。

ナガロカ(Nagaloka)
e0074199_526095.jpg 敷地内に、公園・大学寮などが建つこの場所には、珍しいイスに座った仏陀坐像とその下にアンベードカルの写真が。


勿論ヒンドゥー寺院もある
 ナグプールに多くの仏教徒がいるとはいえ、やはりマジョリティはヒンドゥー教徒。
 ヒンドゥー寺院もたくさんある。
モティバーグ・スリスカンダ・サマジ(Motibagh Sri Skanda Samaj)
e0074199_5373411.jpge0074199_538660.jpg 白とターコイスグリーンの2色の綺麗な配色の寺院群。
 入口には、南インド特有の建築様式ゴープラム(塔門)、内部には小さな本堂が並び、3階建ての大きな礼拝堂がある。

ラームダーム(Ram Dham)
 ラーム神の名前が付いているが、ヒンドゥー神ほぼ総出演のテーマパーク。

e0074199_6241157.jpg ラーム神の冒険譚「ラーマヤナ」を内壁画や人形で表したトンネル。
e0074199_6244453.jpg 出来栄えは、かなりシュール・・・。


e0074199_6292430.jpg これは、シヴァ神の棲むカイラーサ山を象ったもので、中に入れる。
e0074199_6304434.jpg 中には、インド各地の寺院のシヴァ寺院のリンガ(男根)の模型が展示されている。


e0074199_6335549.jpg これは、ちょっと珍しい像。
 普通のガネーシュ像に見えるが、裏を見ると・・・
e0074199_634458.jpg ヤクシャが彫られている。
 ヤクシャは、インド神話に登場する豊穣を司る大地母神で、元々は山の精霊という位置付けだった。
 日本では、夜叉の名で登場する。



 ・・・冒頭にも記したが、2006年が、アンベードカル没後50周年&佛紀2550年にあたる年ということで、インド仏教の盛上がりを体感することが出来た。
 唯一、日本人仏教指導者の佐々井上人を見ることが出来なかったのが残念だったな。


オススメ度(100%個人主観)

   ★★★★☆ ・・・ インドの新仏教を体感

観光所要時間

   5時間 (祭りが無ければ2~3時間で周れる)
by bharat | 2006-10-02 10:30 | インドぶらり旅