約18年振りに、ナグプール(Nagpur)を再訪。
インド中央に位置する、マハラシュトラ州第3の都市(ムンバイ、プネに次ぐ)であり、インド仏教の拠点としても有名である。 詳細は、2006年10月の訪問記に譲るが、今回の目的は、仏教寺院を再訪することと、何より佐々井秀嶺上人と会うこと。 インドラ・ブッダ・ビハール(インドラ寺) 建物内には、タイから寄贈されたブッダ立像がある。 佐々井秀嶺上人 とても気さくな方で、何処から来て、何をしているのか、等他愛の無い話を少々。 私自身の年齢を伝えると、まだ40〜50年生きられるじゃないか、良いなぁと微笑んだ。 齢88ながら、目には力が有り、矍鑠とした様子で、今なお仏教及び仏教徒を守る為に闘っているという。カースト差別に苦しむ人々を仏教に導いたり、仏教由来の地を取り戻す運動を行ったりしている。ブッダガヤの大菩提寺の管理権奪還(現在、ヒンドゥー教徒と仏教徒の双方による管理となっているものを仏教徒のみでの管理にする)を求めて、インド最高裁にて係争している。 佐々井上人の半生については、余す所なく記載することは難しいのだが、こちらに記す。 1935年、岡山県生まれ、88歳。 1960年、高尾山にて得度、佐々井秀嶺を名乗る。 1965年、仏僧としてタイ留学。 1966年、インドに渡る。コルカタ、ラージギルを経て、1967年にナグプールに。 1969年、インド山妙法寺建立。 1970年、ムンバイにてアンバードカルの研究を行い、同氏のインド仏教復興運動の中心的存在に。 1986年、不法滞在容疑で逮捕されるも、60万人の釈放署名運動により釈放。 1988年、全インド仏教大会の大導師就任。この年、インド国籍を得る。 1992年、ブッダガヤ大菩提寺管理権係争開始。 2002年、同寺ユネスコ世界文化遺産登録に貢献。 菩薩大寺(Mahavihara) 18年前、道端に看板と立像が数体あったのみの場所は、時を経て、立派になっていた。 「佐々井一族の墓」と書かれた墓石に、佐々井上人がここインドに骨を埋める覚悟を伺いことが出来る。 あとは、アンベードカル像、民俗学者山際元男氏の碑、日本の震災の鎮魂碑などが。 #
by bharat
| 2024-03-16 18:56
| インドぶらり旅
先ごろの日経新聞にて掲載されていた、ラビンドラ・チャンドラ・バルガヴァ氏のインタビュー記事。
同氏は、インド最大の自動車メーカー、マルチ・スズキの元CEO、現会長。 齢90弱ながら、なんとも的確なコメント。 インディラ・ガンジー元首相(1984年暗殺)の次男、サンジャイ・ガンジー氏は「インド国民車構想」という夢を抱いていた。しかし80年に同氏は飛行機事故で死亡した。同氏が立ち上げた会社の流れをくんでいたのが国営企業「マルチ・ウドヨグ」だ。失意の母となったインディラ氏はスズキとの合弁事業を進め、誕生したのが「マルチ・スズキ」である。母子の遺志はここに引き継がれた。 R・C・Bhargava インド・エネルギー省などを経て、国営マルチ・ウドヨグ(現マルチ・スズキ)役員。2007年から現職。 2023年のインドの新車販売台数は約508万台と2年連続で日本を上回り、世界第3位の規模を誇る。そのうち乗用車は約410万台で、マルチのシェアは約4割だ。スズキとの合弁交渉に公務員として携わった私が、その後約40年間にわたってマルチで車造りに関わるとは想像もしなかった。 スズキは80年代にまだ小さな企業で、当時の鈴木修社長(現相談役)は出資総額を抑えたかった。せいぜい4万台程度の生産を見込んでいた。しかしインド人の熱狂はすさまじく、いざ車の先行予約をすると約12万台の注文が入った。「インドは違う」。鈴木氏は私を信頼し始め、インドに賭けたことへの自信を深めていった。 マルチは「日本企業のインド進出の最も大きな成功例」と言われる。これまで誰もマルチが何をしたのか、どうやって成功したのか知ろうとしなかった。今こそ日本企業に言いたい。「インドに来て、インドのやり方に従うな」と。 マルチはすべてを日本から学んだ。基本的な考え方は「労働者と経営者はパートナー」ということである。日本式マネジメントのすごさは、労働者が会社の成長に自ら積極的に貢献しようと思わせてしまうところなのだ。 マルチの工場の従業員は、社長が自分たちと同じ服を着て、同じ場所で、同じ食事をしていることを初めて目にして感激した。カーストなどの身分制度のない平等な労働文化を浸透させた。より平等になることで会社が栄え、国がより繁栄するという概念を日本の姿が示している。あいにくインド人はあまり理解していない。 その際、重要なのがインド人管理職のトレーニングだ。マルチが日本のシステムに早く適応できた理由のひとつは、鈴木氏が多くの人材の研修を日本で受け入れたことだ。「百聞は一見にしかず」。人間は目で見ればそれを信じ、受け入れることができる。日本に送られたインド人は、現場の清潔さや時間厳守、チームワークを目の当たりにして帰る。そのうえで「なぜ日本人に出来て、あなたにはできないんですか」と問う。 私が知る限り、日系企業でインド人に日本のマネジメント方法を教えるために十分なリソースと労力を割いているケースは見あたらない。コストはかかるが、その何百倍もリターンがある。鈴木氏は頻繁にインドを訪れ、現場に足を運んだ。だが、日本企業の社長がインドに来ることはあまりない。 マルチの労働者はほとんどが税金を納め、車を持ち、子どもは公立学校に通い、よい会社に就職する。マルチが成長し豊かになれば労働者は会社を辞めず、もっと働いてくれる。ただ12年7月のハリヤナ州マネサール工場での暴動は試練だった。一部の労働者が外部の組織によって、ストライキや暴力を振るうよう惑わされた。 モディ首相も規律や思いやりを持ち、人間の能力を引き出す日本の経営システムに特別な感情を抱く。インドは豊富な高度人材などの労働力を抱える一方、貧困にあえぐ人が多く平等とはほど遠い。だから労働者と経営者が敵対するほか、社長が良い転職先や自分の富ばかり気にして「会社の成長」に集中しないのはだめだ。インドは日本のシステムに従うことでしか成長できないと確信している。格差を広げる欧米のシステムは、この国にふさわしくない。(談) #
by bharat
| 2024-03-05 17:40
| ふと思うこと
嘘の様なホントの話。 このほど、インド国内でスパイ容疑をかけられていたハトが、約8ヶ月ぶりに釈放された、とのこと。 どうやって尋問されて、どうやって嫌疑が晴れたのだろうか。。。 だがしかし、結構大真面目な話として、この様な動物の拘束は今回が初めてのことでは無い様で、インドとパキスタンの間の緊迫の中で、伝書鳩の様に使われていたハトが拘束された事例が過去に数回有り、今回拘束されたハトは中国への情報漏洩に使われた嫌疑によるものだ、としている。 軍事衝突がおおいに有り得る地政学リスクを抱えるインド。 日本とは異なるレベルでの警戒をいているのね。。。 #
by bharat
| 2024-02-05 17:32
| ふと思うこと
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2年間のインド生活で、どこまでインド人に近づけるか!?
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