第24回旅行は、IT都市ハイデラバード
今回は、初の南インド。
アーンドラ・プラデーシュ(Andhra Pradesh)州の州都ハイデラバード(Hyderabad)を駆け足で観て来た。 デリーで開催されたIITFで、どんなところなのか多少は知っていたが、なかなか特徴のある都市だった。 どんなところ? ハイデラバードは、インド南部に位置するアーンドラ・プラデーシュ州の州都で、政治・商業の中心都市。人口450万人余り。 このアーンドラ・プラデーシュ州は、インドのほぼ中央に位置し、東側はベンガル湾に接する。デカン高原に位置する地理特性上、州都ハイデラバード及びその周辺は岩肌や低木が目立つ。16世紀より、イスラム勢力(クトゥブ・シャーヒー王朝)によって支配さていたこの地域の中心都市はゴルコンダ城(Golconda Fort)だったが、水不足から都市機能を今のハイデラバードのある平地部にシフトした。その後、ムガル帝国によって同地域は侵略され、以降は同帝国から派遣された総督が統治するという支配形態を採る。いずれにせよ、この一帯は数百年の長きに亘り、イスラム勢力の統治下にあり続けたことになり、現在も多くのイスラム教徒が住んで いる。 アーンドラ・プラデーシュ州は、識字率・州内所得ともにインドの平均を下回るが、現在の州首相ナイドゥによるIT推進政策により、州内のIT関連産業が急速に伸長している。その一つの成果として、IIT(インド情報技術大学)の1校がハイデラバードにあり、IBM、オラクル、マイクロソフト、サティヤムなどは同大学内にIT校を設けており、産学共同での取組みが進んでいる。 市内観光 市内を観て回ったが、如何せん時間が足りなかった。 正味1日しか使えなかったので、あまり観れなかった。 クトゥブ・シャーヒー廟 市の西部、後述のゴールコンダ城のすぐ近くにある墓群。クトゥブ・シャーヒー王朝の8人の 王のうち7人がこの地に埋葬されている。 このクトゥブ・シャーヒー王朝は、ムガル帝国と激しい戦いを行うが、結局ムガル第6代皇帝アウグランゼーブは、この地の武力制圧を諦め、降伏させる方策を採った。 クトゥブ・シャーヒー王朝とムガル帝国は双方ともイスラム教を信仰する国家。但し、前者はイスラム神秘主義、後者は純正イスラム教(現在のスンニ派)だ。イスラム神秘主義は、インドのイスラム教の大きな特徴の一つで、イスラム教本来の聖典『コーラン』には存在しない概念だ。元々のイスラム教ほど戒律が厳しくなく、神の存在も比較的絶対的でない。この柔軟性が、インドにおけるヒンドゥー教からイスラム神秘主義への改宗を大きく後押ししたと言われている。 この神秘主義を信仰したクトゥブ・シャーヒー王朝の建築物には、純イスラム建築(タージ・マハルなど)とは若干異なる点が存在する。例えば、棺の形も純イスラム建築と比して非常に簡素な作りで何段にも箱を積み上げた形になっている。 ゴールコンダ城 13世紀に建設され始めて以降、最後はムガル帝国の侵攻をも何度も防いだ堅城。 ムガル皇帝アウグランゼーブは、この城の攻略に実に8ヶ月も要したと言われ、結局独力での攻略を諦め、敵軍の裏切りをきっかけに落城させた。 高さ120mの花崗岩質の丘の上に建設されており、巨岩と人口の城壁を組合せ、また隘路を螺旋状に施した、防衛に適した構造をしている。城壁は全長11kmに亘って城郭を囲んでおり、城郭内部から再奥の城壁の様子が見え、物音が聞こえるような構造になっている。 各城門には、象による城門破壊を防ぐトゲ状の突起が施され、天井部には穴が空いていて、ここから敵兵に煮えたぎる油を垂らしたという。 また、長期戦に備えての各種設備も充実していた。 兵士・住民の居住設備は勿論、水道設備も整備され、今でも水道管の通っていた跡を確認することが出来る。 また、城壁内部の兵士駐屯場所には、こんなものも。兵士たちの力比べに使われたものだという。 巨岩の上で、しばし瞑想(?)。 チャールミナール Char(=4つ)+Minar(=尖塔)の名が示す通り、周囲を塔が囲む構造になっている建築物。Hyderabad中心部にあり、市のランドマークになっている。1591年、大流行した疫病の終息を祈願して作られた建物で、建物内部にあるモスクは、今だイスラム教徒礼拝場所となっている。 ・・・時間が無くて、建物内部に入れなかった、残念。 1日使って、ハイデラバード郊外のダム湖を観に行った。 ナガルジュナ・サーガールとナガルジュナ・コンダ ナガルジュナ・サーガールは、ハイデラバードの南東約150kmに位置する人造湖で、インド最大規模のもの。約50年前、灌漑・発電のために建設されたダムによって生まれたこの人造湖の中に浮かぶ島がナガルジュナ・コンダだ。この島にある博物館には、ダム工事の際に発掘された仏教史跡の遺構が保存されている。この地はインド大乗仏教を大成した哲学者ナガルジュナが活動した場所であり、彼の名がそのまま地名となった。 島へ行くには、2つの交通手段が・・・どちらにするか考えるまでも無く、船で。 ん?? なんか浮かんでる!? ・・・と思ったら、やけに老け込んだ一寸法師が。安~い手漕ぎ渡し舟らしい。 何か、佐渡島のタライ舟に似てるな・・・。 違う住民・違う言葉 今まで、北インドを中心に旅してたが、今回のハイデラバードは他の都市と全く違う印象を持った。まず、イスラム人が多い点。男性は白いイスラム服に白い帽子、女性は目以外を黒い布で覆った服装・・・何かアジアにいる気がしない。心なしか、街の雰囲気もヒッソリしている。 そして、この地域では殆どヒンディー語が通じない・・・テルグ語圏なのだ。テルグ語は、南部インドの言語で、ヨーロッパ大陸の影響を受けて発達したアーリヤ族系のヒンディー語などとは、文字も発声も全く異なり、インド大陸先住民であるドラヴィダ族系の言語だ。町の人たちは、ヒンディー語も英語もカタコトだった。 今度は、もうちょっと時間を取って、今度はIT企業街も観てみたいな。 オススメ度(100%個人主観) ★★☆☆☆ ・・・まだ全部を観てない気がするので。
by bharat
| 2005-12-14 10:30
| インドぶらり旅
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2年間のインド生活で、どこまでインド人に近づけるか!?
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