逃れられぬカースト
去る9月、ある事件に決着が付いた・・・と報道された。
陰惨な強姦殺人事件について、犯人が賠償金を支払い、決着したというのだ。 が、その中身は決着どころか、旧態依然としたインドを示すものだった。 事件概要 事件は、ナグプールに程近いバンダラ(Bhandara)という村落で起きた。 バイヤラル・ボトマンゲ(Bhaiyyalal Bhotomange)とその妻スレカ(Surekha)、その親戚ガジビエ(Gajbhiye)は、マハール(Mahar)カーストの小作農。 マハールカーストは、かつて不可触賤民と呼ばれた最低カーストの1つで、インド初代法務大臣アンベードカルはこのカーストの出である。 もっとも、「カースト」といっても、彼らはアンベードカル同様に、ヒンドゥー教から仏教に改宗していたので、表面上はヒンドゥー教のカーストとは関係なくなっていたのだが。 そんなボトマンゲ夫婦とガジビエが、地主から一方的に耕作地を減らされたのが1996年。 理由は、上位カースト農民が使用するトラクターの為の道路を作るというものだった。 更に、最近になって、水路を作るというので、更に農地を潰すことが決定。 ここに至って、ボトマンゲ夫婦とガジビエは抗議行動を開始。 すると、地主側もこの弾圧行動を開始。 9月3日、15名の暴漢がガジビエを襲撃。ガジビエがスレカと肉体的関係にあるとして、その破廉恥行動を諌めるというのが彼らの言い分だった。 暴行を受けたガジビエは、警察に駆込み、すぐに12名が逮捕された。 9月29日、解放された12名は、その夜痛飲。 酔った勢いで、ガジビエに復讐すべしという雰囲気になり、ガジビエの自宅に急行した。 暴漢たちの目的は、ガジビエと彼の家族を殺すことだったのだが、当日ガジビエ一家は不在。 その足で、ボトマンゲの自宅を襲撃した。 ボトマンゲの家には夫婦のほか、23歳の長男ローシャン(Roshan)、21歳の次男スディル(Sudhir)、長女のプリアンカ(Priyanka)が一緒に暮らしていた。長男は盲目、次男は学卒、プリアンカに至っては学業優秀で近い将来軍隊に入って家庭の生計を助ける予定だったという。 襲撃当時、バイヤラル・ボトマンゲは家を出ており、家主以外の4名が家に居た。 12名の暴漢は、この4名を家の外に引っ張り出し、まずスレカとプリアンカを襲撃。 衣類を剥ぎ取った上、自転車のチェーンや斧で全身を殴打した上、入替り立代りレイプし続けた。2名はその過程で死亡してしまった。 次男スディルが、携帯電話で警察に通報を試みるが、暴漢に見つかり、リンチされて死亡した。 長男ローシャンも殴打され続け、死亡した。 騒ぎを聞いたバイヤラルは、この状況を、ただ物陰で見守ることしか出来なかったという。 これだけの騒ぎになっていたのも関わらず、村民は誰一人として助けたり、警察に通報したりしていない。 なぜなら、この村落に最下級のマハールカーストはボドマンゲ家とガジビエ家しかなく、その他彼らより上位カーストの村民たちは皆見てみぬふりをしていたのだ。 ガジビエが隙を見て、警察に駆込んだのが18:15。 警察の一団が、現場に駆けつけたのは20:30。 しかし、彼らはただのパトロール係で、事件の記録は出来ないとして、そのまま警察署に帰ってしまい、記録もされなかった。 翌朝、茫然自失のバイヤラルが警察に赴き、惨状を訴えたが、警察の対応は驚くべきものだった。 「事件の記録がされていない。おまえは虚偽を話しているに違いない。」 結局、翌日に4体の惨殺死体が近隣の野原で発見されたことで、警察は重い腰を上げて、事件の検証に動き出した。 だが、この検証も上位カースト者が作った出来レース。 犯行に使われた武器はことごとく隠蔽され、警察側の医者も「女性2人への性的暴行は無かった」との診断書を纏める始末。 スレカの親戚がこの判断を不服として、地元の農業家の連盟(VJAS)を通じて抗議、現場検証をやり直すよう要請。 これに警察は渋々対応し、2~3回目の現場検証を行ったが、形式的なものに終始した。 この強姦殺人事件で、最終的に38名の容疑者が逮捕された。 が、VJASコメントでは、主犯格は政治的な立場を利用して、警察に圧力をかけ、未だに捕まっていないのだという。 被害者への保障も、酷いものだ。 マハラシュトラ州が一方的に保障金額を決定、たった1人残されたバイヤラルに、45万ルピー(約117万円)が支払われた。 一家4人の命が117万円とは・・・。 但し、法律家筋の見解でも、現行の法律(残虐行為予防法 Prevention of Atrocities Act 1989)に照らせば、最大で1人20万ルピー(約52万円)しか賠償金はおりないのだという。 インドの所得水準を考えて、この金額は妥当なのか・・・。 因みに、私が先般行ったナグプールでの仏教記念式典は、そんな事件の直後に行われた。 企画側は、事件について触れないようにし、仏教徒の暴動が起きない様(冒頭にも触れたが、被害者はヒンドゥー教から仏教に改宗したインド人なのである)、細心の注意を払っていたのだという。 この事件で考えること この事件について知ったとき、2つの事実に驚き、またインドの闇の部分が見えた気がした。 ① カースト制にはびこる上位者の下位者への弾圧は厳然として残っている 今回の事件では、村落にただ2家庭のみ存在する最下層カーストが被害にあった。 そして、被害現場に居合わせた周囲の村民たちは、だんまりを決め込んでいた。 大都市から少し離れた(日頃のアクセスが可能なくらい近い)村落でさえも、先進国から大都市に流入する新しい文化に対しては未だ閉鎖的で、数千年来の慣習に基づいた行動・思考をしているということか・・・。 ② ヒンドゥー教徒から異教に改宗しても、カースト弾圧から逃れられない事実がある 私が強い関心を寄せているインドの政治家アンベードカル(彼についてはラクナウ旅行記で詳しく書いたので御参照)。 彼は、ヒンドゥー教の生活様式の根幹を成すカースト制について、ヒンドゥー教徒であり続ける限りこれを廃止することは出来ないと判断、死の直前に仏教に改宗した。 今回、被害にあった最下級のマハールカーストのボトマンゲ家は、恐らく上位カーストからの弾圧から逃れるために仏教に改宗したのだろう。 だが、農民が農地から簡単に離れられる訳はないし、金銭的余裕のない者が見知らぬ土地に移動するのも極めて困難だろう。 結局、先祖代々育った土地でヒンドゥー教を捨てても、カースト差別を負の遺産として引き継かざるを得ないのが実情なのか・・・。 日頃、デリーで生活していると、カースト差別、宗教差別、貧困などを目の当たりにすることは殆ど無い。 インド全人口の1%に過ぎないこの都市にいて、インドを理解している気になる錯覚・・・地域格差が大きな国においては気をつけなければならないと、実感した。
by bharat
| 2006-11-23 10:30
| ふと思うこと
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2年間のインド生活で、どこまでインド人に近づけるか!?
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