インド人化完了☆ <インド滞在の総括レポート2-①>
2. インド各地を訪れて感じたこと
先のレポートで述べた3要素、すなわちインドの「地理」・「歴史」・「文化および宗教」を理解して、初めて市内や国内・周辺国の各所を旅したときにその地域のことを深く理解することが出来る。 インド滞在の2年の間、私は出来るだけ自分の目で確認しながらインドの実態に関する知見を深めようと試みた。 毎週末の殆どを、インド国内および周辺国の旅行に充てた。 周遊箇所は、最終的にインド国内105箇所、周辺国21箇所に及んだ。 <インド首都圏・北インド> (1) デリー州---(訪問箇所:1) 面積1,483k㎡で伊豆半島や静岡市とほぼ同じくらいの大きさ。 人口は約1,400万人。 言わずと知れたインドの首都がある場所である。 よくインドの首都を「ニューデリー」と記載している資料を目にするが、厳密に言えばこれは正しくない。ニューデリーは、飽く迄デリーの中の特定の地区を指す名称であって、総称ではない。デリーは、ニューデリー地区・オールドデリー地区・デリーカントンメント地区に大別されている。 使用される言語は、ヒンディー語・パンジャビ語・ウルドゥー語など(後者2言語はヒンディー語に似ている)で、英語人口が多いのも特徴的。 宗教人口はシーク教徒が4%と多い。市内でよくターバンの人たちを見かけるのもうなずける。 政治的中心地で、大統領官邸、国会議事堂はじめ、各省庁の事務所がある。 商業的にも中心地で、電力やガス、水道の各インフラの本部(公社)などが配置されている。 産業別では、第1次:1%、第2次:9%、第3次:90%となっており、圧倒的に非製造業が発展している。 テレビ普及率は85%、電力普及率は99%、電話普及率は53%。 (旅行記)デリー (2) ウッタル・プラデーシュ州---(訪問箇所:10) デリーの東側を接する大きな州で、面積は約24万k㎡、人口1.7億人。 インド全土でもっとも人口の多い州の1つで、票田として最も政治に影響力のある州でもある。州都ラクナウは政治都市として栄えているが、州内格差が急速に広がっていることが問題視されている。西部は、デリーの影響を受けて急速に近代化し、本田技研・ヤマハ発動機など日系企業も多く進出する一方、東部は未だ農耕・牧畜型生活様式のままである(産業別では、第1次:35%、第2次:13%、第3次:52%)。テレビ普及率は30%、電力普及率は8%、電話普及率は35%、州内識字率も56%と意外に低く出ているのも、東部の数字が低いことに起因していると推測される。 ガンジス川の沐浴の映像で登場するヴァラナシも、この州にある。 (旅行記)アグラ、メーラト、ヴァラナシ、サールナート、ファテープル・シークリ、ジョーンプル、ラクナウ、マトゥラー、ヴリンダーバン、アラハバード (3) ハリヤナ州---(訪問箇所:3) デリー西側をぐるりと囲むように立地するこの州は、面積4.4万k㎡、人口約2,100万人。 1966年に、後述するパンジャブ州から分割されて成立、州都はチャンディーガルでパンジャブ州都を兼ねている。 デリーに接するグルガオンは、デリーとともに統一地域圏(NCR:National Capital Region)に指定され、急激な発展を遂げている。この近隣に工場を置くスズキ自動車や本田2輪が第2次産業を牽引、州北西部には一大穀倉地帯も広がっており、非常に恵まれた州と言える。 (旅行記)パーニーパット、クルクシェートラ、スーラジクンド (4) パンジャブ州---(訪問箇所:1) 面積5万k㎡、人口2,400万人。 この州はあらゆる意味で非常に特徴的な州だ。まず、シーク教徒の占める割合が60%と非常に高く、州内のアムリッツァルは彼らの総本山だ。そして、重労働を厭わない彼らの労働気質と、1970年代の緑の革命によって農業が急速に近代化・拡大、現在ではインドの食物庫と言われるほどだ。市中に出回る小麦の70%、米の50%はこの州からだと言われている。 農業従事者は、州内全人口の約36%に上る。 (旅行記)アムリッツァル (5) ジャンムー・カシミール州---(訪問箇所:4) 面積22万k㎡に人口1,000万人、人口密度は僅か46人/k㎡。 近年は、紛争地域の代名詞という、あまり良くないイメージがつきまとう地域だが、元々は自然豊かで、インド映画のロケは殆どこの地方で行われていたほど。 1948年、1965年、2回のインド・パキスタン紛争では、州内の住民が殺しあうという事態になってしまった。元々は、インド・パキスタンの分離独立時に、この一帯を支配していた藩王が、どちらの国の支配下に入るかということが原因だ。約7割の州民がイスラム教徒なのだが、藩王はヒンドゥー教徒。結局藩王はインドの所属になることを決めたのだが、これにパキスタン政府が猛反発、州民を喚起して軍隊、ゲリラ部隊、周辺国入り乱れての紛争になってしまった。その後、パキスタンが勝手に一部領土を中国に割譲する等混乱を極めるが、現在は停戦協定線を決め、一応平穏が保たれている。かつての主要産業だった観光業も、徐々に活発化してきている。 尚、第3回紛争の主な舞台は、東パキスタン(現バングラデシュ)であり、カシミールとはあまり関係ない。 現在も、州の産業構造は大幅な変化は無く、農業と観光業が主体。なかでも、良質な羊毛でつくるパシュミナ製品や、高度な技術を誇るカシミール絨毯、精緻な彫刻が魅力のくるみ製家具など、クラフトマンシップを駆使した産業はインドの中にあって非常に特徴的。余談だが、インドで大変盛んなクリケットで使用されるバットは、一流品は殆どこのカシミール産である。 尚、観光箇所としては、首都スリナガルの周辺で景色を楽しみながら湖畔でゆっくりするか、ラダック・レ-などのヒマラヤ地方などのチベット密教系の異文化を体験するかが有名。 (旅行記)レー、ティクセ・ヘミス(ラダック東部)、ラマユル・アルチ(ラダック西部)、ビマ(ベマ) (6) ヒマーチャル・プラデーシュ州---(訪問箇所:2) 面積5.6万k㎡、人口600万人。 英国庶民地時代より避暑地として栄え、当時、シムラーは夏季の英国本拠地として栄えた。 今でも、避暑やスキーを謳い文句として観光に力を入れている。 また、東を中国チベット自治区に面しており、中国のチベット侵攻の際には、チベット王ダライ・ラマは領民たちとヒマラヤを越えてインド領内に庇護を求めてきた。現在も、州内北西部のダラムサラーには、チベット亡命政府が置かれている。 (旅行記)ダラムサラー、シムラー (7) ウッタラーンチャル(ウッタルカンド)州---(訪問箇所:3) 面積5.3万k㎡、人口850万人。 デリーの北東にあり、東側をネパール、北側中国に面している。 こちらもヒマーチャル・プラデーシュ州同様に、避暑地として観光客を誘致している。 一方で、聖川ガンジスの源流があり、多くの敬虔なヒンドゥー教徒が集まる巡礼地でもある。その1つであるリシケシュには、ビートルズがヨガを習いに訪れたことがあり、欧米人にも大変人気のある観光スポットになっている。 (旅行記)ムスーリ、リシケシュ、ハリドワール レポート2-②に続く。
by bharat
| 2008-01-02 10:30
| ふと思うこと
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2年間のインド生活で、どこまでインド人に近づけるか!?
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