日本企業駐在員 インド人化計画
2024-03-16T20:05:05+09:00
bharat
2年間のインド生活で、どこまでインド人に近づけるか!?
Excite Blog
第73回旅行② ナグプール(Nagpur)再訪
http://bharatiya.exblog.jp/30856768/
2024-03-16T18:56:44+09:00
2024-03-16T20:05:05+09:00
2024-03-16T18:59:10+09:00
bharat
インドぶらり旅
詳細は、2006年10月の訪問記に譲るが、今回の目的は、仏教寺院を再訪することと、何より佐々井秀嶺上人と会うこと。
インドラ・ブッダ・ビハール(インドラ寺)
佐々井上人が住職を務める仏教寺院。
建物内には、タイから寄贈されたブッダ立像がある。
佐々井秀嶺上人
今回、時間を頂き、30〜40分ほどお話を。
とても気さくな方で、何処から来て、何をしているのか、等他愛の無い話を少々。
私自身の年齢を伝えると、まだ40〜50年生きられるじゃないか、良いなぁと微笑んだ。
齢88ながら、目には力が有り、矍鑠とした様子で、今なお仏教及び仏教徒を守る為に闘っているという。カースト差別に苦しむ人々を仏教に導いたり、仏教由来の地を取り戻す運動を行ったりしている。ブッダガヤの大菩提寺の管理権奪還(現在、ヒンドゥー教徒と仏教徒の双方による管理となっているものを仏教徒のみでの管理にする)を求めて、インド最高裁にて係争している。
佐々井上人の半生については、余す所なく記載することは難しいのだが、こちらに記す。
1935年、岡山県生まれ、88歳。
1960年、高尾山にて得度、佐々井秀嶺を名乗る。
1965年、仏僧としてタイ留学。
1966年、インドに渡る。コルカタ、ラージギルを経て、1967年にナグプールに。
1969年、インド山妙法寺建立。
1970年、ムンバイにてアンバードカルの研究を行い、同氏のインド仏教復興運動の中心的存在に。
1986年、不法滞在容疑で逮捕されるも、60万人の釈放署名運動により釈放。
1988年、全インド仏教大会の大導師就任。この年、インド国籍を得る。
1992年、ブッダガヤ大菩提寺管理権係争開始。
2002年、同寺ユネスコ世界文化遺産登録に貢献。
菩薩大寺(Mahavihara)
18年前、道端に看板と立像が数体あったのみの場所は、時を経て、立派になっていた。
「佐々井一族の墓」と書かれた墓石に、佐々井上人がここインドに骨を埋める覚悟を伺いことが出来る。
あとは、アンベードカル像、民俗学者山際元男氏の碑、日本の震災の鎮魂碑などが。
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インド人の自己分析と日本評 (バルガヴァ/マルチスズキ元CEO)
http://bharatiya.exblog.jp/30841202/
2024-03-05T17:40:00+09:00
2024-03-05T17:43:32+09:00
2024-03-05T17:40:31+09:00
bharat
ふと思うこと
同氏は、インド最大の自動車メーカー、マルチ・スズキの元CEO、現会長。
齢90弱ながら、なんとも的確なコメント。
インディラ・ガンジー元首相(1984年暗殺)の次男、サンジャイ・ガンジー氏は「インド国民車構想」という夢を抱いていた。しかし80年に同氏は飛行機事故で死亡した。同氏が立ち上げた会社の流れをくんでいたのが国営企業「マルチ・ウドヨグ」だ。失意の母となったインディラ氏はスズキとの合弁事業を進め、誕生したのが「マルチ・スズキ」である。母子の遺志はここに引き継がれた。
R・C・Bhargava インド・エネルギー省などを経て、国営マルチ・ウドヨグ(現マルチ・スズキ)役員。2007年から現職。
2023年のインドの新車販売台数は約508万台と2年連続で日本を上回り、世界第3位の規模を誇る。そのうち乗用車は約410万台で、マルチのシェアは約4割だ。スズキとの合弁交渉に公務員として携わった私が、その後約40年間にわたってマルチで車造りに関わるとは想像もしなかった。
スズキは80年代にまだ小さな企業で、当時の鈴木修社長(現相談役)は出資総額を抑えたかった。せいぜい4万台程度の生産を見込んでいた。しかしインド人の熱狂はすさまじく、いざ車の先行予約をすると約12万台の注文が入った。「インドは違う」。鈴木氏は私を信頼し始め、インドに賭けたことへの自信を深めていった。
マルチは「日本企業のインド進出の最も大きな成功例」と言われる。これまで誰もマルチが何をしたのか、どうやって成功したのか知ろうとしなかった。今こそ日本企業に言いたい。「インドに来て、インドのやり方に従うな」と。
マルチはすべてを日本から学んだ。基本的な考え方は「労働者と経営者はパートナー」ということである。日本式マネジメントのすごさは、労働者が会社の成長に自ら積極的に貢献しようと思わせてしまうところなのだ。
マルチの工場の従業員は、社長が自分たちと同じ服を着て、同じ場所で、同じ食事をしていることを初めて目にして感激した。カーストなどの身分制度のない平等な労働文化を浸透させた。より平等になることで会社が栄え、国がより繁栄するという概念を日本の姿が示している。あいにくインド人はあまり理解していない。
その際、重要なのがインド人管理職のトレーニングだ。マルチが日本のシステムに早く適応できた理由のひとつは、鈴木氏が多くの人材の研修を日本で受け入れたことだ。「百聞は一見にしかず」。人間は目で見ればそれを信じ、受け入れることができる。日本に送られたインド人は、現場の清潔さや時間厳守、チームワークを目の当たりにして帰る。そのうえで「なぜ日本人に出来て、あなたにはできないんですか」と問う。
私が知る限り、日系企業でインド人に日本のマネジメント方法を教えるために十分なリソースと労力を割いているケースは見あたらない。コストはかかるが、その何百倍もリターンがある。鈴木氏は頻繁にインドを訪れ、現場に足を運んだ。だが、日本企業の社長がインドに来ることはあまりない。
マルチの労働者はほとんどが税金を納め、車を持ち、子どもは公立学校に通い、よい会社に就職する。マルチが成長し豊かになれば労働者は会社を辞めず、もっと働いてくれる。ただ12年7月のハリヤナ州マネサール工場での暴動は試練だった。一部の労働者が外部の組織によって、ストライキや暴力を振るうよう惑わされた。
モディ首相も規律や思いやりを持ち、人間の能力を引き出す日本の経営システムに特別な感情を抱く。インドは豊富な高度人材などの労働力を抱える一方、貧困にあえぐ人が多く平等とはほど遠い。だから労働者と経営者が敵対するほか、社長が良い転職先や自分の富ばかり気にして「会社の成長」に集中しないのはだめだ。インドは日本のシステムに従うことでしか成長できないと確信している。格差を広げる欧米のシステムは、この国にふさわしくない。(談)
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スパイ容疑で拘束されていた「ハト」がようやく釈放される
http://bharatiya.exblog.jp/30789159/
2024-02-05T17:32:00+09:00
2024-02-05T17:32:23+09:00
2024-02-05T17:32:23+09:00
bharat
ふと思うこと
このほど、インド国内でスパイ容疑をかけられていたハトが、約8ヶ月ぶりに釈放された、とのこと。
どうやって尋問されて、どうやって嫌疑が晴れたのだろうか。。。
だがしかし、結構大真面目な話として、この様な動物の拘束は今回が初めてのことでは無い様で、インドとパキスタンの間の緊迫の中で、伝書鳩の様に使われていたハトが拘束された事例が過去に数回有り、今回拘束されたハトは中国への情報漏洩に使われた嫌疑によるものだ、としている。
軍事衝突がおおいに有り得る地政学リスクを抱えるインド。
日本とは異なるレベルでの警戒をいているのね。。。
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第110回旅行は、世界最多雨記録をもつ地チェラプンジ
http://bharatiya.exblog.jp/30494457/
2023-11-19T19:01:00+09:00
2023-11-20T01:32:38+09:00
2023-11-19T19:02:41+09:00
bharat
インドぶらり旅
チェラプンジ
シロン市街から56kmほど南西にあるこの地は、湿気を帯びた風がちょうど山の斜面にぶつかる場所に在り、大量の雨が降ることで知られる(wettest place on earth)。
実際、1860年8月〜1861年7月の1年間の降水量は26,461mmで1994年に同じくメガラヤ州のマウシンラム(Mawsynram)に破られるまで長らく世界一雨の降る場所であった。
その地域特性から、滝、洞窟、巨石など、自然が生み出した観光地がいくつか存在する。
ディムペプ渓谷(Dympep Valley)
シロンから向かうと、チェラプンジ地域への入り口に位置するのがこの渓谷。
ジップラインを楽しむこともできる。
アルワー洞窟(Alwah Cave)
渓谷の次に出てくるのが、この小さな洞窟。
入場料Rs.50-。
入口ゲートから100m余り歩くと、洞窟への入口があり、
石灰岩でできた細長い洞窟の中を歩くことが出来る。
道は行き止まりになっており、突き当たりまで行ってまた戻ってくるルート。
洞窟の長さは、300〜400mほどあろうか。
コー・ラムハー(Khoh Ramhah)
次に立ち寄ったのはこのきのこの山の様な形状の巨石。別名モトロップ(Motrop)。
地域伝承によれば巨人が作った籠とのことだが、実際には長年のモンスーンによる雨によって二つの丘の間の窪みが深くえぐれて現在の形になったとのこと。
なんとも不思議な景観だ。
マウスマイ洞窟(Mawsmai Cave)
次に出てくるのは、こちらの洞窟。
入口は、アルワー洞窟よりも栄えている。
おどろおどろしいゴミ箱のある小道を経て、
広い洞窟入口へ。
ただ、広かったのは入口だけで、中はかなり狭く、しかもかなり長い道のり。地図の上では200mくらいの様だったが、もっとある様に感じた。
身をかがめたり、よじ登ったりを繰り返して、出口に到達する。
第2洞窟は閉鎖中だった。
ノスンギタン滝(Nohsngithiang Falls)
シロンへの帰り道に立ち寄ったのがこちら。
別名、セブンシスターズの滝。
圧倒的な迫力の大渓谷に、雨季には7本の滝が流れ落ちることからその名が付いたというが、11月は既に雨季から乾季に移っており、滝は1本だった。
だが、いずれにしても大迫力の景色。
オススメ度(100%個人主観)
★★★★☆ ・・・ 大迫力の自然は一見の価値有
観光所要時間
6〜7時間
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第109回旅行は、メガラヤ州南東の集落マウリノン、リワイ
http://bharatiya.exblog.jp/30491979/
2023-11-16T07:26:00+09:00
2023-11-20T01:33:43+09:00
2023-11-16T07:42:12+09:00
bharat
インドぶらり旅
メガラヤ州都シロンの南方約90kmにある、インドで最も綺麗な集落と評されるマウリノン(Mawlynnong)。
雑誌Discover Indiaが2003年に「アジアで最も綺麗な村」に選出し、以降、観光地化が進んだ。
といっても、今でも80余りの家庭が日々の生活を営む小さな集落であり、その一端を垣間見る、という観光スタイルで同地を楽しむ様になっている。
入村時にRs.100-かかり、
竹で編まれた展望台をRs.30-払って登ると、
周囲を一望することが出来る。
また、すぐ近くには、見逃してしまいそうな小さな入口からBalancing Rockという、絶妙なバランスで小さな石の上に乗っかる巨石を見ることが出来る。見物料Rs.10-。
リワイ
このマリンノン集落のごく近くにリワイ(Riwai)という集落がある。
見どころは、Living Root Bridgeという、文字通り樹木の根で形成された人が渡れる天然の橋。
ものの数十秒で渡れてしまうが、ジブリアニメの様な不思議なビジュアルの橋で、面白い。
オススメ度(100%個人主観)
★★☆☆☆ ・・・シロンから時間をかけて行った割には、、、
観光所要時間
(移動時間含め) 6〜7時間
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第108回旅行は、バングラデシュ国境の清流の村ダウキ
http://bharatiya.exblog.jp/30491003/
2023-11-14T19:18:22+09:00
2023-11-19T18:55:02+09:00
2023-11-14T19:19:38+09:00
bharat
インドぶらり旅
今回旅先は、メガラヤ州の南端、バングラデシュ国境にある村、ダウキ。
州都シロンから南に約80kmほどの距離なのだが、山あいの心許ない道路で2ルートしか選択肢が無く、しかも大半が未舗装なので、シロンから車で実に4時間くらいかかる。
地理的には、メガラヤの大半を占めるシロン高原がここで終わり、南に広がる平原とのちょうど境目にあるのが、このダウキ。
いんどとは思えない景観・清流
清流や渓谷を眺めながら、小舟でのクルージングをすることが出来る。
1槽(3人まで)、45分、Rs.800-。
また、舟の発着場の河原がバングラデシュとの国境でも有り、小石で作られた線沿いに数名、軍人が立っている。
ちゃんとした、経済、商業上の国境管理は少し離れた場所の管理ゲート、事務所で行われている(後述)。
国境ゲート
船着き場から数百メートル東に行ったところに、バングラデシュとの国境ゲートがある。
写真を撮るだけだから、というと、ゲートを通してくれて、バングラデシュゲートとの間の緩衝地帯を歩くことが出来た。その長さ約50m。
穏やかな雰囲気も、今のインドとバングラデシュとが大きな緊張状態にないことの証左だろう。
オススメ度(100%個人主観)
★★★★☆ ・・・体力的に厳しいが行く価値有
観光所要時間
(移動時間含め) 8〜9時間
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第107回旅行は、北東州メガラヤの州都シロン(Shillong)
http://bharatiya.exblog.jp/30488771/
2023-11-11T19:17:00+09:00
2023-11-26T12:51:08+09:00
2023-11-11T19:25:50+09:00
bharat
インドぶらり旅
過去、2005〜2007年の駐在期間やその後出張として来訪する間、インド国内100ヶ所余りを旅してきた。
インドの州29のうち、22州を巡ってきた。
実はこの度、2度目のインド駐在となり、また土日祝日などを利用して、インドを旅することが出来る様になった。
嬉しい限りである。
ということで、今回の駐在期間では、過去訪問した先を久しぶりに再訪したり、前回行っていなかった場所を訪問したり、またインドの色々な場所を堪能したいと思う。
北東7州の一つメガラヤ州
メガラヤ(Meghalaya)州は、インド北東7州(7 Sisters)の一つで、1972年に北側のアッサム州から分離して成立した。面積は東京都よる少し大きいくらいで人口は約320万人、宗教は英国植民地時代の影響でキリスト教が多い。
州の全域が州都シロン(Shillong)を中心とするシロン高原から成り立ち、標高は全域で1,000メートルを超える。
主たる産業は農業で、石炭も産するがそのほぼ全てが南側の国境から隣国バングラデシュに輸出されるという。
部族民などの指定カースト民が多く存在し、経済的にはまだまだ発展途上である。
州都シロン
人口は50万人に満たない。
山あいに所狭しと建物が並び、シロン中心地は徒歩10〜20分で全て観て回れるくらいの規模。
今回の旅は、シロン空港から入り、グワハティ(アッサム州)から出たのだが、シロン空港も市街地からは約20km離れたところにある。
シロン市街地にはさしたる観光地は無いが、その周辺に観るべき場所がいくつかある。
ウミアム湖(Umiam Lake)
シロン空港からシロン市街に向かう途中にある。
風光明媚な景観だが、人工湖である。州の電力確保の為に作られた水力発電所の一画を成している。入場料Rs.60-。
ワルド湖(Ward Lake)
こちらはシロン市街からすぐの場所にある。
こちらもまた人工湖だが、とても小さく、人々の散歩のスポットの様になっている。入園料Rs.50-。
Siri Siriという薄紅色の花をつける樹木が遠巻きには桜の様に見え、日本の公演の様な佇まいを見せる。
毎年11月中下旬には、桜祭りの様な催しをしている。
ドン・ボスコ博物館(Don Bosco Museum)
シロン市街の北2kmにある。
青年教育の父と言われるドン・ボスコ神父の創ったサレジオ会が関与して建てられた館で、今の姿で観光客に公開される様になったのは2010年から。
入館料Rs.100-、館内の写真撮影料Rs.100-。
吹抜構造の建物(4〜5階建?)の中、内壁に沿う様に回廊があり、最下階から上に向かって展示コーナーを観ながら昇っていく。
メガラヤ州のみならず、インド北東部全般を把握出来る様な展示になっており、文化・民俗、民族、動植物、資源など多岐に亘る情報を知ることができる。
関心したのは宗教を説明するコーナーで、キリスト教団体が建てたものなのに、ほぼ全ての宗教を公平に説明している。
面白かったのは、北東の部族ごとの戦闘スタイルを紹介するコーナー。
シッキム州だけ、とてつもない違和感、、、これで戦えていたのだろうか。
エレファント滝
旅の行程的には翌日のダウキ(Dawki)に行く際に寄ったのだが、シロン市街の南方10kmにエレファント滝(Elephant Falls)がある。
元々、英国植民地時代に、象の形をした巨石が近くにあったことからこの名がついたのだが、巨石自体は1897年の大地震で壊れてしまって今はもう無い。
3ヶ所に大小の滝が流れている。
充実のホテル
今回宿泊したのは、Tajホテル系のVivanta Meghalaya Shillong。
2022年10月に誕生した五つ星ホテル。
日中の移動がかなりハードなので、休息場所は良い処にと、こちらを選んだのだが、とても快適だった。
オマケ
私がよくインドの服を購入するFabindiaがシロン市街にもあった。
何か特徴ある品揃えてわもあるかなと期待して行ったが、特段何も無かった。
オススメ度(100%個人主観)
★★☆☆☆ ・・・ ドン・ボスコ博物館は行く価値有
観光所要時間
半日
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COACHの革財布がインド製!
http://bharatiya.exblog.jp/17206793/
2012-01-12T10:30:00+09:00
2012-01-12T14:12:03+09:00
2012-01-12T14:12:03+09:00
bharat
ふと思うこと
先日、アウトレットで革財布を購入した。
米国ブランドCOACHの製品なのだが、中のタグを見ると、「MADE IN INDIA」の文字が。
気になったのが、インドでの生産体制。
インドでは、皮革職人は、最下層カースト(スードラより下)に位置しており、清掃夫や洗濯屋さんとかと同じレイヤーである。
※カーストの実態についてはコチラ。
インドの国民的球技であるクリケット。
そのプロ競技者は国の英雄として見られている一方、そのボールを製造する人たちの扱いは酷かった。
インド在住時、革製のクリケットボールを製造する集落を訪れる機会があったが、極めて劣悪な職場環境で、皆御世辞にも裕福とは言えない生活ぶりだった。
※訪問時の様子はコチラ。
他方、北部カシミール地方では、寒い気候から皮革製品(ジャケットなど)を製造する業者が数多く居る。
彼らの出自(カースト)はよく知らないが、外国人(欧米人や日本人など)相手に皮革製品の仕立てをやっていた。
私も革ジャケットとカバンを仕立てて貰ったこともあり、彼らと定期的に会っていた。
高く安定した収入によるのか、良い身なりであった記憶がある。
今回購入したCOACHの革財布。
その製造現場は、果たしてどの様な環境なのだろうか。
興味は尽きない。]]>
タタ自動車の激安車ナノが、贅沢仕様に転身!?
http://bharatiya.exblog.jp/15612516/
2011-09-27T10:30:00+09:00
2011-09-27T13:39:40+09:00
2011-09-27T13:38:59+09:00
bharat
ふと思うこと
車関係のトピックをチェックしていたら、こんな記事が飛び込んできた。
なんでも、タタ自動車が属するタタグループ内の宝飾ブランドGOLDPLUSとタイアップして、宣伝用に作った「特別仕様車」なんだそうだ。
価格は、2.5億ルピー・・・日本円にしておよそ3.5億円。
車体には80kgの純金、15kgの銀が使用され、エメラルド・ルビー・真珠がブリブリにくっつけてある。
ボンネットには、国鳥の孔雀が宝石だらけで翼を広げてます。
誰が買うのかしら、これ。
しかし、こういう企業活動があること自体、国の経済が成長している証なのだと思う。
燃費が良いことだけをアピールして、車名が分からないくらいパーツを共有化してしまった、日本の車事情とは随分と異なる。
思い返せば、バブル期の日本は、車作りでも随分遊んでいた。
エンブレムを七宝焼きにしたり、スピーカーを10個も付けてみたり、カーステレオに録音機能付けてみたり、エアコンに加湿機能を入れてみたり・・・やはり、「ナンセンス」にお金を投じる気運があったってことだろう。
つい先日、長年乗っていた車を買い替えたのですが、諸々検討の結果、国産車では無い車を購入。
燃費以外のところに魅力たっぷりの車で、気に入ってます。
インドの車から、ふと国情を憂いたひととき。
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東日本大震災 インドを含む各国の反応
http://bharatiya.exblog.jp/14433717/
2011-03-15T10:00:00+09:00
2011-03-15T13:42:59+09:00
2011-03-15T11:13:10+09:00
bharat
ふと思うこと
災害状況については、皆さん周知の通りだと思うし、これについてどう考えるかということについては、直接被災していない自分が何を語っても浮ついたものになるので控えたい。
今回着目したのは、震災直後に各国から寄せられた支援の早さ、多さ。
震災があった日の週末、13日(日)の午前9時時点で、既にインドを含む69カ国、5国際機関から支援のメッセージが届いていたという。
インドは、元来親日的なうえ、昨今はFTA締結などで政治・経済も接近しており、今回の災害を報をうけ、ただちに支援を発表している。
まず地震発生当日の3月11日(金)、マンモハン・シン首相が菅首相宛に親書を送り、「インドは日本政府や国民と共にある」との支援メッセージを送った。
更に、13日(日)に、ラオ外務次官が支援物資の内容を明らかにし、Haryana州やPunjab州の協力のもと、ウール地の毛布を日本に送付することを決めた。
この支援の動きは、政治の範囲に留まらず、インドの一般民衆の間にも瞬く間に広まった。
National Post紙によれば、震災発生当日の11日(金)、アーメダバードのある学校では、生徒たちが黙祷を捧げる姿が報じられているし、翌12日(土)には、同都市で民衆たちによる集会も開かれたようだ。
同様の動きはトヨタ自動車などが進出しているインド内陸の都市バンガロールでもあったようで、ここでもやはり12日(土)の地域集会が開かれ、日本を支援するというメッセージが出された。
震災後の整然・冷静な被災者の行動にも、各国から驚きと賞賛の声が挙がっている。
「日本を称える世界の声(東日本大震災をうけて)」というサイトでは、各国のメディアの反応を抜粋して取上げているが、総じて感嘆と賞賛の声を上げている。
BBC(英国) :
地球最悪の地震が世界で一番準備され訓練された国を襲った。その力や政府が試される。
犠牲は出たが他の国ではこんなに正しい行動はとれないだろう。
日本人は文化的に感情を抑制する力がある。
CNN(米国) :
現地の人は暴動を起こさず、現段階、冷静に対処している面で優秀である。
ツイッター等ソーシャルネットワークを通じて、皆が励ましあい、情報提供を呼びかけている姿は流石だ。
The Hindu Business Line(インド) :
インドの部品メーカーの技術者らは栃木県内にあるホンダの研究開発施設を訪問中に被災したが、
「素晴らしい緊急時の態勢ができていた。すべてが精密時計のような動きだった」。
「冷静さが保たれており、通信状況も含めてすべてが秩序だって行われていた」。
New York Times(米国) :
きょう、私たちの気持ちは皆、日本の人々とともにある。
(阪神大震災の際)商店の襲撃や救援物資の奪い合いが見られず、市民が勇気と団結、共通の目的の下に苦境に耐えていたことに感嘆した。
日本の人々には真に高貴な忍耐力と克己心がある。
これからの日々、日本に注目すべきだ。間違いなく学ぶべきものがある。
ソウル新聞(韓国) :
(日本語併記で)「深い哀悼の意を表します」との見出しを掲載。
早期の復興を心から祈っている。
失われた20年を抜け出し、りりしいかつての経済大国の姿を取り戻すことを祈る。
過去に日本から忘れることができない傷を受けたが、日韓交流が活発になったことを歓迎するとともに、苦しいときの友こそ真の友だと強調。
環球時報(中国) :
日本人の冷静さに世界が感心。
微博(ツイッター)(中国) :
非常事態にもかかわらず日本人は、冷静で礼儀正しい。
ビルの中で足止めされた通勤客が階段で、通行の妨げにならないよう両脇に座り、中央に通路を確保している写真を掲載。
こうしたマナーの良さは教育の結果。
日中の順位が逆転した国内総生産(GDP)の規模だけで得られるものではない。
この「つぶやき」は7万回以上も転載され、「中国は50年後でも実現できない」「とても感動的」「われわれも学ぶべきだ」との反響の声があった。
一方、日本の災害を喜ぶコメントが寄せられると、「おまえは中国人の恥だ」と批判が殺到する事態となっている。
今回の災害を通じ、被災者の皆様への御見舞・哀悼の意を表すると同時に、周囲の反応を通じて、日本の姿を映し出すが出来ると感じた。
皆さんは何を感じただろうか。
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インド人の世界観!?
http://bharatiya.exblog.jp/14001536/
2011-01-18T10:30:00+09:00
2011-01-18T19:24:27+09:00
2011-01-18T11:44:39+09:00
bharat
ふと思うこと
極端かつ主観的だが、インド人の世界観について、非常に的を射ていると思う。
結局、クリケットが強いか弱いか、だけかい!という気もするが(笑)。
記載内容について、少し細かく触れていきたい。
INDIA:Number 1 at thinking we are number 1 !
自分たちが1番だと思ってるんだから、1番なんだ!とある。
インド人の愛国心、自尊心、自信を意識したコメント。
PAKISTAN:Terrorists trained here.
テロリストたちがここで訓練する、とある。
ムシャラフ政権交替以降の状況を考えると、パキスタン~アフガン国境で不穏な勢力がいると思われても仕方が無いか。
AFGANISTAN:America fights wars here
アメリカがここで戦争をしている、とある。
NEPAL:India's 29th State.
インドの29番目の州、とある。
こりゃヒドい、ネパールの人怒るだろうね。
でも、日本が米国の51番目の州と揶揄されてもう久しいが、インドとネパールの繋がりはかなり密接だ。
国の宗教はヒンドゥー教で同じ、民族的にも北インドとは同じルーツ。
ネパールからインドへの出稼ぎは相当数おり、産業に乏しいネパールの雇用を相当助けている。
実際、デリーで働く守衛さんやメイドさんも、ネパール系の人が多い。
日本のインド料理店のコックさんも、結構ネパール人だったりする。
ネパールについての詳細紹介について、コチラ。
SRI LANKA:Tiny as a shit, but can play great cricket! Also Ravan lived here.
訳すのも心苦しいが、ク○みたいにに小さいが、クリケットはめっぽう強い、とある。
確かに、クリケットは強い。
ICC(Intetnational Cricket Council)発表の2011/16/Jan付のランキングでは、オーストラリア、インドに次いで世界第3位だ。
また、ラバン(ラヴァナ)が住んでいる、とある。
これはインド神話『ラーマーヤナ』に出てくる魔王がスリランカに住んでいて、それをラーマ王子が退治するというくだりを言っている。
インドではダセラという祭りが催されるくらいポピュラーな話だ。
スリランカについての詳細紹介は、コチラ。
BANGLADESH:Immigrants.
移民の国。バングラデシュからインド、特にインド東部(コルカタなど)へは多数の出稼ぎ労働者が来ている。
SOUTH EAST ASIA:Shopping.
東南アジアは一括りで、買い物場所なんだと。
確かに、バンコク(タイ)に行ったときにも、インド人と思しき人をたくさん見かけたし、市内に大きなインド人街もあった。
飛行機で数時間の距離だし、品揃え豊富な東南アジアに来て、いろいろ買い込んでいくのだろう。
AUSTRALIA:Cricketers and racists.
クリケットと人種差別主義。
ICC(Intetnational Cricket Council)発表の2011/16/Jan付のランキングでは、オーストラリアは世界第1位だ。
人種差別については、白豪主義という言葉があるほど、非白人に対する差別・排斥意識がある国だ。古くは先住民アボリジニから、近年ではアメリカ系黒人、日本人、インド人に至るまで、差別の対象となっている。
法的にこれらが禁止・規制されたのは1970年代で、英国の影響が希薄化し、アジアとの連携が経済上必須になってきたことにより、移民法(1973)、オーストラリア市民憲法改正(1973)、人種差別禁止法(1975)が次々に制定された。
2000年開催のシドニーオリンピックでは、「アボリジニら先住民に貢献する五輪の開催」が公約となり、同大会を民族和合に活用した。その徹底ぶりは凄く、聖火リレーはアボリジニの聖地エアーズロックを出発点とし、アボリジニのノバ・ペリス・ニーボーン(アトランタ五輪女子ホッケー金メダリスト)を第1走者に、アンカーにはキャッシー・フリーマン(シドニー五輪400m走金メダル獲得)を選んだ。また、開会式には2,000人のアボリジニが参加、民族文化を反映した内容にした。
ただ、今でも意識としては差別感情が残存している様で、2008年にオーストラリアの大学がオーストラリア人12,500人を対象に人種差別について行った調査では、回答者の46%は特定の民族はオーストラリアにふさわしくないと回答。特にイスラム教徒、黒人、アボリジニ、東南アジア諸国民に対する差別意識が根強いと回答、更には約10%が異民族間結婚は認めらない、、同じく約10%が自分たちよりも劣る民族がいると回答している。
インドとの国民感情も必ずしも良好とは言えない。メルボルンなどの都市部では、「カレー・バッシング」と称して在豪インド人を襲撃する事件が2007年以降多発、2009年までの約3年間で1,500人のインド人が襲撃されたとの情報もある。2009年にはメルボルンで在豪インド人たちがデモ抗議を展開、国民感情を察知した本国のマンモハン首相は、2009年6月1日に豪州ラッド首相と電話会談し、事態沈静化を要求するという、国家レベルの懸案に発展している。インド本国では、様々な波紋を呼び、例えば大御所映画俳優アミターブ・バッチャンは、クイーンズランド大学からの名誉博士号授与を拒絶、オーストラリアで開催された映画祭への出演も辞退した。
JAPAN:Kapoor buys shoes from here.
Kapoorがここで靴を買う、とある。
たぶん、Raj Kapoor(1924-88)のことを言ってるんじゃないかと思う。
映画「Shree420」の中で唄っている歌の歌詞に、
My shoes are Japanese (俺の靴は日本製)
And the trousers are English (俺のパンツは英国製)
The cap on my head is Russian (頭の帽子はロシア製)
But my heart is Hindustani (でも、俺の心はインドのもの)
ってな文句がある。
・・・こんなイメージしか無いんかい、日本には。
CHINA:Communisit Party of India works for them. Also, cheap and worthless goods.
これは相当に風刺的な表現だ。
インド共産党が中国のために働き、中国製のモノは安くて使い物にならない、と言っている。
正確にはインド共産党の理念は中国のそれとは異なるが、インド東部・北東部には毛沢東主義者が解放戦線を張っていたりする。
いずれにせよ、インドの嫌中感情をよく現している。
RUSSIA:Where our weapons come from.
インドに流入する武器の出所。
実際のところはどうなのだろうか。
SAUDI ARABIA:Sheiks and Oil. USA wants this.
首長と石油がある、米国がそれを狙っている、とある。
DUBAI:Shopping and jobs.
買物と仕事。
同じ中東地域でも、サウジアラビアとUAEでは随分とかんきょうが異なる。
UAEでは、現地王族は働かず、労働者層は専らインド人などだ。
そのあたりの環境からこの表現になったのだろう。
AFRICA:Poorer than us.
我々よりも貧しい。
インドにしては随分と自虐的な表現だ。
物質的な貧しさについては、客観的に自認しているということか?
SOUTH AFRICA:Gandhi was here. Plus cricket.
マハトマ・ガンディーが滞在した場所、あとクリケット。
インド国内でガンディー人気が実はイマイチというのは以前書いたとおり(詳細コチラ)。
南アのクリケットの世界ランキングは第4位。
SWITZERLAND:Shah Rukh Khan dances here.
ボリウッド俳優Shah Rukh Khanが踊る場所。
インド映画の海外ロケ地ということなのだろう。
元々インド映画のロケ地は、北部のジャンムー・カシミール州と決まっていた(旅行記はコチラ)。
だが、パキスタンとの領土紛争に伴う治安悪化、映画業界の国際化に伴って海外ロケが敢行されるようになった。
BRAZIL:Once every 4 years we support their football team.
サッカーのイメージしか無いようで、4年に1度サッカーを応援してるよ、とある。
インドも実はサッカーは盛んで、クリケットやグランドホッケーに次いで挙がる競技種目だ。
今でこそ見る影も無いが、かつてはアジア強豪国の一角を成し、1950年にはブラジル開催のワールドカップに呼ばれている。
しかし、裸足での試合参加をFIFAが禁じた為、なんと大会参加を辞退している。
結局、以降も本戦参加は無し・・・クツ履いて出ておけば良かったのに。
AMERICA:They export jobs.
仕事をくれる存在。
バンガロール、ハイデラバードなどで栄えるTI産業の多くは、米国発のビジネスのアウトソースだ。
CANADA:An extension of Punjab.
パンジャブ州の延長。
パンジャブ州に多いシーク教徒との繋がりを言っているのかな。
2000~2002年には、カナダのブリティッシュ コロンビア州の州首相にUjjal Dosanjhが就任、インド系移民初のカナダ州首相として話題になった。
BRITAN:They took our wealth. But, crappy at cricket!
我々の富を奪った、でもクリケットは弱い。
個人的に感じるのは、ここで書いている程、インド人は英国のことを憎んでいないということ。
寧ろ、建築物・線路などのハード、法体系・英語能力などのソフトを伝授してくれたとプラスに捉える人までいる。
なんたるプラス思考、恐るべしインド人。
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英国東インド会社 135年ぶりの復活!
http://bharatiya.exblog.jp/13994755/
2010-12-31T10:30:00+09:00
2011-01-18T11:45:56+09:00
2011-01-17T01:47:11+09:00
bharat
ふと思うこと
なんでも、ムンバイ生まれのインド人実業家Sanjiv Mehtaが、「東インド会社」のブランドを正式に承継(買収)し、2010年8月にロンドンのConduit Streetに、ストアをオープンさせた。
業態は、高級食品店。
2011年は、インドでの店舗展開もあるようだ。
未だに「東インド会社」の称号が生きていたのも驚きだが、そのブランドを買取ってビジネスをするインド人の商魂の逞しさを感じた。
そもそも東インド会社ってどの様な存在だったか・・・。
今更だが、ちょっと調べなおしてみた。
<発祥>
もともと「東インド」は、現在のインドのみを指す名称ではなく、インド~東南アジア一帯を指していた。
欧州列強が、大航海時代から植民地支配に動き出した17世紀、イギリス、フランス、オランダ、デンマーク、スコットランド、スペイン、オーストリア、スウェーデンがこぞって、この「東インド」の間接もしくは直接支配を狙って、東インド会社が設立された。
<英国東インド会社の台頭>
今回復活したのは、上述のうち英国の東インド会社だ。
17世紀初頭、インドの直接支配の積極的っだのは、英国のほか、オランダ・フランス・ポルトガルなどだった。
もともと英国はじめとする各国は、本国からインドに送金を行い、そこで廉価でインドの綿花・紅茶を買付けて本国に輸出し、大きな利益をあげるというビジネスモデルを実践していた。
1530年に既にコルカタを支配していたのはポルトガルだったが、1690年にその支配権を奪取すると、1698年にコルカタは英国インドの首都になった。
商業面から東インド会社がインドを支配し、それが英国のインドに対する行政・法律の支配の度合いを深めることとなった。
英国がインドから地税を徴収出来ることとなったのは、コルカタにおいてであり、1765年だった。
この支配の流れは、その後マイソールなどの主要都市にも伝播した。
これによって、英国は東インド会社を通じ、インド内で地税を徴収してその金でインドの名産品である綿花や紅茶を本国に送ることが出来る様になり、インドにおける圧倒的優位性を発揮するに至った。
<英国東インド会社の終焉>
風向きが変わったのは、18世紀後半から。
この頃、英国本土では産業革命が進み、資産家によるインド進出が発生、東インド会社によるインド商圏の経済的独占が困難になりつつあった。
加えて、英国がインドへの軍事支配を強化するに至り、東インド会社が軍事費膨張による財政悪化に陥ってしまった。
その後、英国のインド支配が弱まるにつれて、東インド会社の存在意義も無くなり、19世紀後半にその姿を消した。
今回、135年ぶりに復活した東インド会社、取扱いは高級食品。
店舗HPを見ると、チョコレート、ビスケット、ジャムなんかを販売しているようだ。
味は兎も角として、会社のロゴの入った商品、一度買ってみたいものだ。
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ジュリア・ロバーツがヒンドゥー教に改宗!?
http://bharatiya.exblog.jp/13078582/
2010-08-11T10:00:00+09:00
2011-01-18T11:46:14+09:00
2010-08-12T02:28:44+09:00
bharat
ふと思うこと
なんでも、新作映画『食べて、祈って、恋をして』の撮影中に影響を受けてのことらしい。
が、如何にもマユツバだ。
広義には改宗は出来るらしいが、それでも改宗後は原則最下層のスードラから現世を再スタートすることとなる・・・ハリウッド女優がそんな現実を許容したとは考えにくい。
また狭義(厳密)には、そもそもヒンドゥー教徒は生まれながらにヒンドゥー教徒であり、途中で他の宗教から乗り換えられるものではない。
僕が、オリッサ州のプリーのジャガンナート寺院を訪れた際にも、ヨーロッパ人でヒンドゥー教徒を名乗る集団に会ったが、寺院には入れて貰えず、外から寺院を眺めていた。
余談だが、この「ヒンドゥー教徒でなければヒンドゥー寺院には入場出来ない」は、敬虔な寺院では未だに残っている不文律だ。
イタリア人でカトリックだったソニア・ガンディーは、上述のジャガンナート寺院へ入ることは許されず、今でも寺院の入口に小さなレプリカが置いてあり、ソニアはそのレプリカを参拝することしか出来ないと言われている。
たぶん、ジュリア・ロバーツが言っている「改宗」とは恐らく、生活様式をヒンドゥー教に倣うということなのだろう。
しかし。。。
欧米のセレブ層で、「スピリチュアル・ヒンズー」なる言葉が持て囃されているそうだが、一方で前近代的だという側面はきちんと理解されているのだろうか。
生まれながらにヒンドゥー教徒で低いカーストに配されている人々は、毎年仏教やキリスト教に改宗をしている・・・その理由は、不条理なカースト差別を免れたいという切な願いからだ。
(ヒンドゥーについての関連記事はコチラを参照)
この両極端なムーブメント、貴方ならどう考えるだろうか。。。
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ラジニカーント60歳還暦! 日本で勝手に記念イベント
http://bharatiya.exblog.jp/12389165/
2010-03-29T14:11:00+09:00
2010-03-29T14:25:33+09:00
2010-03-29T14:24:45+09:00
bharat
インドのイベント
「ムトゥ 踊るマハラジャ」で日本でも御馴染みのラジニカーントが、2009年12月12日の誕生日で60歳の還暦を迎えた。
日本では、インド本場のムンバイ映画(通称ボリウッド)よりも、「ムトゥ 踊るマハラジャ」が渋谷・新宿界隈でブレークしたので、タミル映画の方がポピュラーになってしまった感がある。
2000年以降のボリウッド映画は、割とダンス控えめ、ラブシーンも入れて、欧米に似せた作り込みのものが増えてきたが、タミル映画は良くも悪くも昔通りのインド映画である。
今回の「祝・還暦 特別講演」を行っているのも、渋谷の単館系のイメージフォーラム。
完全に、勝手に盛り上がって勝手に上映している感じだが、翻訳が松岡環さんということでちゃんと金をかけてやっているっぽい。
上映作品は、「チャンドラムキ」(2005)と「ヴィーラ」(1994)の2本で、いずれも上映時間が160分そこそことタミル映画にしては短め。
タミル映画が嫌いじゃないヒト、是非行ってみては?
イメージフォーラムのサイト:
祝★還暦 ラジニカーント
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第106回旅行は、インド西部の商業都市スーラト
http://bharatiya.exblog.jp/8658972/
2008-09-06T10:30:00+09:00
2009-03-09T02:37:08+09:00
2008-09-24T01:00:38+09:00
bharat
インドぶらり旅
久々に新たな場所を訪れた。
ムンバイを海外船沿いを電車を北上、グジャラート屈指の商業都市のスーラトに到着する。
インド西岸の港町であったこの都市は、昔よりヒンドゥーやパールシー(ゾロアスター教徒)の商人たちが集まり栄えたが、大航海時代後の16~18世紀に欧州列強からも狙われることとなり、インド国内の王朝であるマラタ、ムガル、海外からはポルトガル、オランダ、英国の熾烈な争奪戦の舞台となった。
その結果、インド人商人たちが退去したムンバイが現代インドのNo.1商業都市となっているのはなんとも皮肉だ。
さりとて、今のスーラトがさびれているといったことはなく、地理的には、グジャラート州の工業地帯とムンバイ経済圏の双方の恩恵を受けて、現在もなお商業発展している。
史跡は少ない。
地元の高名な導師の修行道場を覗き、 立派なヒンドゥー寺院のある小学校を見学。
ちょっと面白かったのがコレ。
こんなところに、「JAPAN」マーケット・・・?
日本製品が置いてあるのか?? 「JAPAN」と銘打った店舗もあるのだが、中に入って確認しても日本とはなんら関係ナシ。
なんでも地元の人たち曰く、家電製品等の部品屋がたくさん入っているこのマーケットは、日本・韓国・中国等の部品が多く、「JAPAN」という名前を付したのだそうな・・・結局日本とは殆ど関係無いってことみたい。
オススメ度(100%個人主観)
★☆☆☆☆ ・・・ 特に見るものナシ
観光所要時間
2時間
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