![]() |
||||||
今回から第46回までは、オリッサ(Orissa)州。
州都であり、空の玄関口であるブバネシュワル(Bhubaneswar)から。 オリッサ州について オリッサ州は、かつてカリンガ(Kalinga)王国が栄えた地域だ。 あまりこの王国については、記録が残っていないらしいのだが、今のインド東部~インドネシアに至る海域を支配する一大国家であったようだ。皮肉にも、この王国が大きく歴史に登場するのは、紀元前260年にマウリヤ朝のアショーカ王が征服したときだ。 アショーカ王が仏教に改宗したことから、以降、同地域は仏教が広く民衆に支持されるようになった。その後、紀元前1世紀頃からは、ジャイナ教が広まり、ついで7世紀頃からはときのケーサーリー王朝によってヒンドゥー教が広まった。ガンガ王朝(10世紀頃)になってヒンドゥー教は大きく栄え、この隆盛はムガル帝国がオリッサに侵攻する16世紀まで続いた。 もっとも、「かつて」文化的に栄えたと言っただけで、現在も多いに栄えている訳ではない。 デリーやムンバイの人々は、ときとしてビハール州やオリッサ州を後進的な州の代名詞のように言う。 この行為自体は決して褒められたものではないが、一方で事実でもある。 オリッサ州のGDPは他州に比べると低いし、山間部族が州内人口の4分の1を占めることから、カースト差別による虐げや教育水準の低さなどは確かに存在する。 この現象の大きな要因は、州の産業構造にあるように思える。 主要産業は、州内の豊富な鉱脈を活かし重工業では鉄鉱業が盛ん。ダイヤやトパーズなどの宝石も産出する。だが、これらの恩恵を享受するのは一部の富裕層もしくは外資だけで、その多くはインドの都市部あるいは最寄のパラディープ(Paradip)港から海外に輸出される。 地元民は、安い賃金で鉱山で働いたり、儲けの少ない軽工業(金銀細工・テキスタイル)で生計を立てている。 ブバネシュワル・カタックについて オリッサ州都ブバネシュワルとこれに隣接する都市カタックは、元々双子都市というべきか、極めて似た2つの都市構造をしていた。その後、双方の都市が飽和状態(双方とも100万人弱の人口規模)になり、その周辺に都市機能が拡大していった。 カタックは、その水に恵まれた地域特性(南北を大きな川・東をベンガル湾に接している)が逆に災いし、大規模な堤防工事を施さねば水害を被る危険性が高いという調査結果が出たことにより、州都は双子都市のもう片方のブバネシュワルに移された(1948年)。 以降、ブバネシュワルはオリッサの州都となった。 ヒンドゥー寺院群 ![]() 人口は、100万人に欠ける中規模の都市だが、商店街や住宅街の中に残存する寺院を見ると、数百年前の寺院が今も住民の生活の中に溶け込んでいることを実感出来る。 パワシュワメーシュワル寺院(Parashwameshwar Mandir) ![]() ![]() 寺院の外にもシヴァリンガ(男根)が祀ってあるし、本堂にもコブラが巻き付いているリンガが。 ![]() ヒンドゥー神の彫刻だけでなく、当時の生活も描かれている。 これは、王族の権力の象徴だった象の行進。 ![]() 全員女性(女神)なのだ。 一番手前のガネーシュ女神は、かなり滑稽な感じだが・・・。 ムクテーシュワル寺院(Mukteshwar Mandir) ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 小ぶりだが、全体構造と彫刻が特徴的。 まず、寺院の入口に、立派な門がある。これはトラナ(塔門)という、インドの仏教建築様式の影響を反映したもの。また、寺院壁面の深い彫刻は、仏教やジャイナ教の影響を受けている。 ![]() シッデシュワル寺院(Siddheshwar Mandir) ![]() ![]() ![]() ケダル・ゴウリ寺院(Kedar Gouri Mandir) ![]() ![]() ヴァイタール寺院(Vaital Mandir) ![]() ![]() 3人のタントリ神を祀っているので、屋根に3つの頭頂部がある。 ![]() リンガラージ寺院(Lingaraj Mandir) ![]() ![]() リンガの名が示す通り、シヴァ神を祀っている。 無数の寺院が敷地内にコンプレックスを形成しており、興味深い構造だが 残念ながら異教徒は外からしか見ることが出来ない(ソニア・ガンジーも泣く泣く外から拝んだという)。 ![]() 本堂のリンガは2つに割れているが、これは13~14世紀のイスラム勢力によるヒンドゥー教弾圧によるもの。 マナンタバシュデーブ寺院 ![]() ヴィシュヌ神を祀っている。 ヒンドゥー教徒以外、入ることが出来ない。 ラージャラーニ寺院(Rajarani Mandir) ![]() ![]() 痛みが激しかったが、1905年に大規模な修復工事がなされた。 ![]() パスカレシュワル寺院(Paskareshwar Mandir) ![]() パスカレは、太陽神を意味するが、本堂には、シヴァリンガを祀っている。 メゲシュワル寺院(Megeshwar Mandir) ![]() ![]() ここの最高司祭は、女性。 15歳のときより、60年間この寺を守っているのだという。 ブランメシュワル寺院(Brahmeshwar Mandir) ![]() ![]() パンチャヤタナという、5つの正方形状の建物が、ちょうどサイコロの5の面のような構図で建っている建築形式。 シヴァ神を祀っている(司祭がシヴァ神の三叉戟を持ってきて見せてくれた)。 その他 ビンドゥ・サーガル(Bindu Sagar) ![]() ヒンドゥー教徒たちが沐浴する一方、日々の洗濯などもここを活用しているようだ。 部族博物館(Tribal Museum) ![]() デリーに住んでいると、Tribalという言葉自体日頃耳にしないが、ここオリッサ州では今も山岳部族などが多数いる。 州内には、62の部族がおり(なんとアフリカ系までいるという)、これはインド各州の中で3番目に多い数字だと言う。 ![]() オリッサ近代美術画廊(Orissa Modern Art Gallery) ![]() 因みに、とても小さな画廊なので、ものの5分くらいで見終わってしまう。 ![]() オススメ度(100%個人主観) ★★★★☆ ・・・ 沢山のヒンドゥー寺院を落着いて観光出来る 観光所要時間 約6~8時間 ▲
by bharat
| 2006-02-21 10:30
| インドぶらり旅
仏教徒の聖地ブッダガヤー(ボードガヤー)に程近く、ヒンドゥー教徒の聖地ガヤー(Gaya)がある。
![]() ![]() ヴァラナシはガンジス川い沿った古都、アラハバードは3聖川(ガンジス川・ヤムナー川・サラスワティー川)の合流地点、ここガヤーにはガンジス川の支流が流れている。 ガヤーは、先祖供養の地として有名で、ここで御参りすることで、地獄に行った祖先を天界に、天界にいる祖先を不死にし、参詣者自身も解脱に至ることが出来る。 ヴィシュヌパド寺院(Vishnupad Mandir) ![]() 比較的新しい寺院だが、ここには先祖供養をするべくインド中のヒンドゥー教徒が集まる。 異教徒は入れないが、塀の外から立派なシカラ(砲弾のような形状の屋根)が見える。 ブラフマジュニの仏跡・ヒンドゥー寺院 ![]() ![]() ![]() こんな重たいもの、どうやってここまで持ってきたんだろうか。 ![]() ここから周りの町・集落を一望出来る。 ![]() 穴の両端が空いており、参拝者たちが次々にここを這いつくばりながらくぐっていた・・・何の御利益があるのかな? ![]() オススメ度(100%個人主観) ★★★☆☆ 観光所要時間 3~4時間 ▲
by bharat
| 2006-02-20 10:30
| インドぶらり旅
デリーから国道1号線を北に進み、パーニーパットを越えていくと、クリシュナ像のある交差点が。
クリシュナゆかりの小さな町クルクシェートラへの入口だ。 ![]() インド神話の地 ![]() クルクシェートラは「クル族の土地」の意。 バガヴァト・ギータという神話の中では、この地でクル族同士の内紛が発生、大戦争になったとされている。 その片方のパーンダヴァ軍のアルジュンが、同族に刃を向けることを逡巡するのを、クリシュナが馬車の上から諭すというのが神話の内容。 シェイク・チッリー廟(Sheikh Chilli's Tomb) ![]() 赤砂岩の城壁に囲まれた建物で、奥部の上には白大理石のドーム状の廟が配されている。 廟は、タージ・マハルに象徴されるムガル期の廟同様、大きな丸みを帯びた屋根が特徴的。 ![]() シヴァ寺院・スィク寺院 ![]() 手前にスィク寺院、並んでシヴァ寺院が併設されている不思議な建物。 汚い溜池には、立派なシヴァ神の像がある。 ![]() シュリ・クリシュナ博物館 ![]() 館内は写真撮影禁止なので、売店で購入した絵画の写真をスキャンした。 ![]() ![]() ![]() とにかく館内の様子が雑然・混沌としていて、滑稽。展示物に唯一共通するのは、「クリシュナ」であることのみ。あとは何でもアリの絵画・彫刻の数々☆ パノラマ・アンド・サイエンスセンター ![]() 科学の原理をちゃっちい装置で展示。 パノラマシアターがベニヤで仕切られた館内の一角で上映されていたが、これも酷い内容だった。 ・・・うぅむ、誰が何の理由でこんな館を作ったのか・・・。 ブラフマサローヴァル溜池 ![]() 途方も無く大きい長方形の人造湖の中には、橋が架かっており、中央の島のような陸地には寺院・公園がある。 ![]() オススメ度(100%個人主観) ★★★☆☆ ・・・ クリシュナの面白博物館が良かったので ▲
by bharat
| 2006-02-06 10:27
| インドぶらり旅
![]() 濃霧が気になるこの季節、遅延・欠航が続発する飛行機・電車を避けたいと思い、車での移動で行ける旅行先を探してみた。 アグラまで、デリーから車で約3時間半。もうちょっと南に足を伸ばせないかと思って、今回の旅行先をグワリオールに決めた。 何度も主を替えたグワリオール城 ![]() ![]() この城に関する最も古い記述は525年で、丘の上に寺院があったと書かれている。10~12世紀に、ラージプート勢力の支配下に入り、後述のサーフ・バフー寺院はこの時期の建立だ。 14世紀のトーマラ族というラージプート勢力のとき、大いに栄え、現在のグワリオール城の形はこの勢力のマン・シンという王が築いたものだ。同王は、良君としても知られ、音楽にも造詣深く、インド歴史上有名な音楽家のタンセーンは、この時代に音楽を学び、のちにムガル皇帝アクバルに仕えた。 16世紀にはロディ王朝の支配下に、その後ムガル帝国に支配された。同帝国皇帝のアクバルは、この城を城郭ではなく、牢獄として使用した。 1751年には、マラーター王朝シンディア家の支配下に入るが、時期は折りしもインド第1次独立戦争期(1857年セポイの反乱からの数年間)。この時期には、イギリスや隣国ジャーンシーの支配下に入ったが、1886年には、再びシンディア家の手に戻る。以降、同家の下で、グワリオールはインド独立まで、藩王国として続いた。 現在も城郭の保存状態は良好で、城郭内部の建物群も大変綺麗に残っている。 マン・シン・パレス(マン寺院) ![]() 拝観料は強気の250ルピー(約650円)、ツアーガイドもベテランである。 建物は、ラージプートのマン・シンの治世期の1486~1516年に建てられたと言われる。 ![]() ![]() トラ・・・シヴァ神の腰巻きや、ドゥルガー神の乗物にもなっており、神聖視されている。 ![]() ![]() ![]() インコ・・・神聖視されている訳ではないが、インドの彫刻に良く登場する。カジュラホなどの秀麗な女性彫刻にもインコを手にする女性が描かれている。 ![]() ![]() ![]() サス・バフー(Sasu Bahu)寺院 崖の切り立ったところに、2つのヒンドゥー寺院が建っている。 サスは「義理の母親」、バフーは「義理の娘」の意味で、夫々の命で建てさせた寺院が隣接して建っているのだ。 ヒンドゥー教には、大きく分けて「ヴィシュヌ派」と「シヴァ派」の2つがあり、インドの二大叙事詩『ラーマーヤナ』『マハーバーラタ』では双方の神が特徴的に描かれている。もともとこの神々は、ブラフマーとともに、ヒンドゥーの3大神のポジションを分かち合っている。世界を創造するブラフマー、それを維持・運営するヴィシュヌ、破壊・再生するシヴァという役割分担だ。あるインド人は、"GOD"の文字は、「Generate=創造」「Operate=維持・運営」「Destroy=破壊・再生」の頭文字を取ったものだと言っていた・・・なんちゅう自己中心的な持論だ・・・。 ヴィシュヌ神は、「温和」「慈愛」の神で、もともと単一の神格しか無かったが、他の神を己の化身として位置付けて、どんどんその派閥を拡大していった。 中でも、クリシュナ神とラーマ神を取込んだことで、数の上では後述のシヴァ派を大きく上回ることとなった。仏教の始祖ブッダも、ヴィシュヌ神の第9化身というから、なんとも寛容というか強引というか・・・。 現在、このヴィシュヌ派の信者のうち敬虔な者達は、白いUの字の印を額に付けている。 また、ヴィシュヌ神を祀る寺院のてっぺんには、丸い車輪上の物体が配されている。これは、ヴィシュヌ神の武器である円盤を指している。 シヴァ神は、前述したように破壊・再生の神として知られる。神話の中ではしばしば魔神を退治する武勇伝が登場し、そのパワーが強調されている。リンガ(男根)崇拝はその際たるもので、シヴァ神を祀る寺院の本堂には、しばしばリンガが収められ、これに手を合わせたり触ったりして礼拝する信者の姿を目にする。また、シヴァ神は、信奉者には暑い恩寵を授けるという一面も数多く見られ、このメリハリが魅力の1つのようだ。 姿はというと、苦行僧のような格好をし、全身は灰で塗りたくられ、首には蛇を巻きつけ、手にはトライデント(三叉戟)と斧、腰にはトラの毛皮といった感じ。額には第3の眼があり、これが開くとき世界が破滅すると言われている(関連記載はこちら)。 シヴァ派の信奉者は、白・黄・白の横3本線に赤い点1つの紋様を額に塗っている。 シヴァ神を祀る寺院のてっぺんには、トライデントを意味するフォークの先端部分状の物体がのっかっている。 ![]() ヴィシュヌ寺院の方が大きく、保存状態も良い。建築は11世紀というから、結構古い。天井部分の崩落を防ぐために、内部に武骨な補強柱が近年入れられた。 ![]() 本堂には、大きなヴィシュヌが祀られている。 ![]() 外壁の彫刻が殆ど壊れてしまっていて、近年の補修の跡が目立つが、これは切り立った崖に建っている為の風化のせいなのか、あるいはイスラム勢力による破壊の為なのか。 テリ・カ・マンディル(Teli Ka Mandir : テリの寺) ![]() ![]() 城壁に全裸の像が・・・ ![]() 夜は見事にライトアップ ![]() 城郭内の建物に光を当てながら、音声(ヒンドゥー語・英語両方アリ)で歴史を振り返る、音声ドラマ形式になっている。 サヒジャマ・マスジッド(Sahijama Masjid) ![]() ジャイ・ヴィラース宮殿(Jai Vilas Palace) ![]() 内部には博物館が併設されているみたいだが、当日(月曜日)は定休日の為中には入れなかった。 移動遊園地・見本市 ![]() ![]() オススメ度(100%個人主観) ★★★★★ ・・・街の雰囲気がとても気に入った ▲
by bharat
| 2006-01-27 10:30
| インドぶらり旅
今回は、ウッタル・プラデーシュ州東部の都市アラハバードに行ってきた。
メーラトへの旅行同様、日本の政府系の研究所のインド駐在研究員の方(Nさん)の調査に同行させて貰う形での旅行となった。 北インド随一の文教都市・・・だった ![]() 12世紀に入ると、この地域一帯はアフガン系イスラム勢力のゴール王朝の占領下となる。次いで、ムガル帝国勢力下に入り、第3代皇帝アクバル治世期の1583年にこの地に城郭を建設、翌1584年にはこの地がアラハバード(アッラーの場所)というイスラム教コテコテの名前になった。その後、マラーター王朝、東インド会社の支配下となる。 20世紀に入ると、アラハバードはインド現代政治の中心政党である国民会議派の活動拠点として機能した。ガンディー、ネルーらが会議を重ねた場所(詳細後述)なども残されている。 尚、現在はインドの急激な発展からちょっと置いていかれた雰囲気を醸し出しており、アラハバード大学のステータスなども低下の一途らしい。 「水」で異なる近郊の村の様子 アラハバードの地形はちょっと特異で、市の東端と南端をヤムナー川に接している。東側には橋が2本かかっており、最近出来た新しい綺麗な橋(通行有料、日本のODA枠で出来たもので建設者は韓国橋梁会社だったみたい・・・ノンリコースだったのね)は結構立派な造り。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 太陽発電装置! なんでも、購入すると2,000ルピー(約5,200円)くらいするものを、政府の援助た何かで貸与されたのだと言う。粗末な家の屋根に放り出されたその装置は、子供が夜間勉強する為の照明にではなく、真昼間うたた寝しながら聞くラジオの電源に使用されていた・・・どう使用するかは個人の自由だがもう少し建設的に使って欲しいな。 最近のTVで、インド国産企業で南インドの貧しい村に発電装置を販売・設置している企業の特集を見た。日本でもこういった事業に積極的に参画する動きは無いのだろうか・・・何かと言うと、ODA絡みの大規模事業ばかりがニュースになるが、こういうのもインド政府の補助を貰いながら出来るんぢゃないかな? ![]() ![]() カラフルな母屋に、離れが2軒。離れにはトラクターが置かれており、かなり他の村民とは生活水準が異なる感じだ。全ての建物の入口には鉄格子のシャッターがはめられていた・・・周りの人たちを信用してないのかしら? ![]() 道が陥没していて、車が通行不能だったんで、途中から歩いて移動する。 ![]() と、畑の中心から、何故か頭に枯れ木を乗せた女性たちが大行進・・・これは一体・・・? ![]() この村で政府が行った公共事業の数々を見せてもらった。 ![]() ![]() ![]() ラーム・クリシュナ・ホテル・・・値段は500ルピー(約1,300円)くらいと手頃で、改装直後なのか部屋も綺麗だった。お湯は出たり出なかったりだけど、ちゃんと桶で湯をくれるので大丈夫。部屋は少々埃っぽいが、虫は出ない。併設のレストランも、野菜しか出ないが味はそこそこ。 ![]() 現地調査員が増えたので、5人(運転手を除いて)乗れる車をホテルで手配したところ、インドの誇るNo.1国産車アンバサダーAmbassadorが到着・・・前のベンチシートに並んで座れってことね。しかし、この車の製造年を知りたいもんだ。 ![]() ![]() 立派な用水路が村中にひかれており、周辺の田畑に水を注いでいた。 ![]() ![]() 店主 「"オカサ"ってメーカーのだよ。」 僕 「"オカサ"?」 店主 「あぁ、日本の西の方みたいだ。」 ・・・! オオサカね。しかも、メーカー名ぢゃなくて、場所の名前だっつの。 ![]() アラハバード市街は、サンガム(詳細後述)など水と密接に関係した文化・生活が根付いているが、少し都市部を離れると、水が豊富にあって裕福な生活をしている村と、水が乏しく貧しい生活を余儀無くされている村とが混在している。 作物の収穫期を過ぎた3~5月には、もと顕著な違いを目のあたりにしたに違いない。 市内観光も・・・ アラハバードの市内も半日ばかり観光。 アナンド・バワン(Anand Bhawan) ![]() ![]() サンガム ![]() インド神話で、不老不死を得るために神族と魔族(アスラ/阿修羅)が協力したという話がある。彼らは、飲むと不老不死になるアムリタ(甘露)を作る為に、乳海を攪拌したのだが、結局その乳海から得たアムリタを飲んだのは神族だけだった。 この乳海の霊液がインドの4箇所に零れ落ちたと伝えられており、そのうちの1箇所がアラハバードとされている(他は、ハリドワール、ウッジャイン、ナースィク)。これら4箇所を「4大聖地」と呼んでいることがある(※)。 ※この呼び方は結構曖昧で以下の様な区分もある。 「4大神領」 バドリナート、ジャガンナート、ラーメーシュワラム、ドゥワールカー 「7聖都」 ヴァラナシ、ハリドワール、カーンチープラム、アヨーディヤー、マトゥラー、ウッジャイン、ドゥワールカー 「3聖地」 ガヤー、アラハバード、ヴァラナシ ![]() 今回訪れたときはちょうどこの時期にあたり、しかも6年に1度の"準"クーンブ・メーラーだったので、かなりの盛況だった。巡礼者はまだまだこれから集まってくる雰囲気だったが、彼らが滞在するテントの数が半端無かった。 ![]() また、巡礼者が多く集まるということで、被災者募金の仮事務所も設置されていた・・・小銃を持った軍人にハリボテの動物たちのミスマッチがなんともシュール・・・。 ![]() 頼んでも無いのに、勝手に御祈りしてきて金をボッタくる胡散臭い輩がウヨウヨいてうっとうしかったけど、彼らを無視しながらおもむろに川の中へ・・・。 3つの聖川にちなんで、3回牛乳を川に捧げて、川からあがる。 Fort ![]() 現在、観光ではなく軍用施設として使用されているので、内部の隅々まで見ることは出来ない。 アラハバード大学(Allahabad Univ.) ![]() オススメ度(100%個人主観) ★★★☆☆ ▲
by bharat
| 2006-01-23 10:36
| インドぶらり旅
クリシュナ神生誕の地マトゥラーから10km、クリシュナが幼少期を過したとされる村、ヴリンダーバンがある。
寂しい街並みとは裏腹に、多くのヒンドゥー寺院があり、なかなか見応えがあった。 クリシュナに染まった村 インドTシャツでも触れたが、ヒンドゥー神の中でも、クリシュナの人気はシヴァと並んで際立っている。特に、イスコン(ISKCON:International Society for Krishna Consciousness/クリシュナ意識国際協会)なるクリシュナ神普及活動を行う世界規模の団体まであるのがスゴい。因みに、調べてみたら、なんとこの団体、日本にもある! このISKCONを含め、何故クリシュナが数あるヒンドゥー神の中で人気が際立つのか? 諸説あるようなのだが、「イケメンでナンパな牧童」説と「西インドの歴史上の英雄」説などが複合してスーパー神様クリシュナが誕生、全ての支持者を取り込んだようだ。 前者は、マトゥラーで生まれたクリシュナが、地元の暴君を退治し神格化したというもの。顔はカッコ良く、当時のナンパグッズだった笛(今で言うBMW3シリーズみたいなもんか)がとても上手かったので、遊女や踊り子たちにモテまくったみたいだ。 後者は、正反対のカタい内容。ヤーダヴァ族という民族の指導者として辣腕を発揮し、民心掌握に「信愛(バガヴァット)」を旨とする教え(宗教)を説いて、名声を得た名君だったとする説。この「信愛(バガヴァット)」は、ヒンドゥー教の基本的な教えにも組込まれている。 ・・・話はクドくなったが、これらのクリシュナ像が全て1つに纏まったので、色んな支持層を取り込んで、確固たる地位を確立出来たようだ。 ヴリンダーバンは、みんなクリシュナ大好きといった雰囲気の漂う村だ。 とても貧しい街並み・村人(殆どの人が靴を履いていなかった)は、近代化から取り残された過疎の典型イメージを醸成する。それに反して、立派な寺院が密集するように立っている。 変わった雰囲気の村だ・・・。 小集落に際立つ寺院の数々 人口数万人そこそこの村に、保存状態の良いヒンドゥー寺院がたくさん建っていた。 現在もヒンドゥー教徒が礼拝しているという事実が、これら寺院が異教徒の破壊を免れたことを示している(ヒンドゥー教徒は、一度異教徒に破壊された寺院は死んだ寺院として礼拝しない。カジュラホが好例で、同地の有名なヒンドゥー寺院のうち、生きた寺院は1つしか無い。)。現在も礼拝に使われており、かつ外国人観光客が少ないということで、全ての寺院は入場無料(だったと思う)。 ランガジー(Rangaji)寺院 ![]() 外壁及び正門は、ラージャスターン州の城郭都市のような体裁でとても武骨な印象を受ける。 ![]() ゴープラムは、南インドの寺院に固有のもので、末広がり形状に神様の彫刻をビッシリ施した塔状の門。 北インドでこれを見たのは初めてだ。 ![]() ゴーヴィンド・デーヴ(Govind Dev)寺院 ![]() カーリー寺院 ![]() 何故、クリシュナ信仰の中心地に、唐突にカーリー女神の寺院が建ったのかは良く分からない。一般にカーリー信仰は、インド東沿岸部のベンガルあたりでメジャーなのに。カーリーは、ドゥルガーと同様、破壊の神シヴァの奥さんパールヴァティ女神の化身だ。だがドゥルガー、カーリーに化けるにつれ、女神というかヤマンバみたいな凶暴なキャラに変化する。カーリー女神の怒りを鎮めるために、山羊などを生贄に差出すという祭りが未だにある。 ニディワン(Nidhiwan)寺院 ![]() 門をくぐると、巨大な庭園が姿を現す。 サルに気をつけながら、ヒンドゥー僧に中を案内して貰った。 ![]() 庭園内の1つの社は、クリシュナが寝泊りしたと伝えられる建物。賽銭をせがまれ、「クリシュナ万歳」斉唱を強要された・・・僕はヒンドゥー教徒ではないのだが。 ![]() 「案内有難う」とソソクサと寺院を出ようとしたら、ヒンドゥー僧にガイド料をせがまれた。50ルピー(約130円)あげると、「クリシュナ神にたったのこれだけですか!?」と来た。 毎度のことだが、こういうときは勝手な理屈で無理矢理説得する・・・「ホントウは200ルピーあげるつもりでした。でも、僕は仏教徒なので、半分払えば充分だと思いました。加えて、あなたのガイドは半分しか理解出来ませんでした。だから、半分の半分で50ルピーしか払いません」と、ガァーッて言ったら、悲しそうに引き下がってくれた。 ボンケ・ビハリ(Bonke Bihari)寺院 ![]() 清掃時間で門は閉まっていたが、門が開くのを待つヒンドゥー教徒らで寺院前はゴッタ返していた。 ラーダー・バッラブ(Radha Ballabh)寺院 ![]() 宮大工みたいな人たちが解体だか清掃だか作業をしていた。 マダン・モハン(Madan Mohan)寺院 ![]() 大迫力のイスコン ![]() デリーでのド派手なイメージがあったので、なんとなく今回は予想はしていたが、予想以上にスゴかった。 ![]() 入口を入って左の御堂は、吹き抜け構造になっており、中央に黄金茶室みたいな社が天井に届かんばかりに配置されている。 ![]() みんな、御祈りをしたり、ホールで雑談したり、思い思いに過していた。 この御堂の内壁に描かれた絵の1つがとっても気になった。 ![]() ・・・真ん中のキャラだけ、とてもウイている・・・。 これ、オリッサ州の神様のジャガンナートなのだが、同地方の自然信仰(ジャガンナートは木)とヒンドゥー教が融合した際、このジャガンナートはクリシュナ神の化身という整理をされた。で、クリシュナ神としてこのイスコン寺院にも描かれているのだが、ハッキリ言ってメチャクチャ不自然な構図だ・・・2頭身化した奇面組の連中が周りの連中と一緒にいるみたいな感じ。 オススメ度(100%個人主観) ★★★★☆ ・・・デリーからも近く、たくさんの寺院を見られる。 所要観光時間 2~3時間 ▲
by bharat
| 2006-01-12 10:30
| インドぶらり旅
今回の旅行先は、マトゥラー(Mathura)。
デリーからアグラに車で向かうと、途中の道路標識に名前が出てくる。 ヒンドゥー神クリシュナゆかりの地らしいのだが・・・。 宗教紛争の中心地 現在、インド人の誰に聞いても「クリシュナの生誕地」という認識がされているマトゥラーだが、意外にも宗教都市としての歴史は、仏教とジャイナ教に始まる。 紀元前4~2世紀頃、マウリヤ朝の宗教政策の庇護下、多くの仏教寺院やジャイナ教寺院が建てられたと言われており、少なくとも中国の僧玄奘(629~642年にインドに滞在、仏教の修行に勤め、のちに『大唐西域記』を記した)がマトゥラーを634年に訪れたときには、僧院が20、仏教僧が2,000人いたとされている。 同地がクシャーナ王朝支配下になった紀元後2世紀も、引続き仏教が栄えたが、その後、グプタ王朝期に入ると、ヒンドゥー教が隆盛を見せる。中でも、ヴィシュヌ神の信仰が特に篤かったが、同地域が半農半牧の生活様式であったため、ヴィシュヌ神の化身でありしばしば牧童の姿で描かれるクリシュナ神がこの地域の圧倒的支持を得ることとなった。 このクリシュナ神が、このマトゥラーで生まれたとされている(因みに第29回旅行のヴリンダーバンもクリシュナゆかりの地である)。 こうして、ヒンドゥー教によって、この地域から仏教はほぼ完全に姿を消したが、そののち今度はヒンドゥー教が駆逐される。 アフガン系イスラム王朝のガズニ朝の君主マフムードによって、この地域一帯はイスラムに塗り替えられた。 その後16世紀に入り、再び商人・農民の間で、マトゥラーはクリシュナ神の生誕地であるとして、クリシュナ信仰が盛んになる。この時期、クリシュナ神を祀るケーサオ・デーオ寺院などが建立されたが、1500年にローディー王朝(イスラム系奴隷王朝)によって破壊され、再建築されたのち1669年に今度はムガル王朝(これまたイスラム系)によって破壊された。こうして、イスラム王朝によるヒンドゥー弾圧政策によってこの地は破壊され、その後イスラム寺院が建設された。 このイスラム寺院と、その後1960年建てられた新生ケーサオ・デーオ寺院は隣接するように建っているが、近年のある宗教紛争がきっかけで、今現在、ここには極めて厳重な警戒態勢が敷かれている。 1990年代初頭、時の政権政党インド人民党(BJP)は、イスラム原理主義勢力を牽制する意味で、イスラム対ヒンドゥーの対立構造を助長し、その1つとしてアヨーディヤー(デリーの東約630kmに位置するウッタル・プラデーシュ州の一都市)の寺院を槍玉に上げた。同地に現在存在するイスラム教モスクは、以前ヒンドゥー神ラームの生誕地を祀った寺院があった場所であり、ヒンドゥー教徒に同地を返せというのがBJPの見解だった。 1992年12月16日、ついに物理的衝突が発生・・・ヒンドゥー至上主義者が同モスクを破壊した。 これに端を発し、宗教紛争がインド全土に飛び火、近隣諸国にも影響を及ぼす一大事になってしまった。1994年に、最高裁判所がアヨーディヤーの土地の所有権について裁定をしない旨決定し(要はお蔵入り)、時間とともに平静を取り戻しつつあるが、2002年にもアヨーディヤーで巡礼を終えたヒンドゥー教徒を乗せた列車に、イスラム教徒が放火し、多数の焼死者を出すという事件も発生しており、お互いの中ではまだ何かくすぶっている感じだ。 ・・・と、話をマトゥラーに戻すと、上記アヨーディヤーの宗教紛争の経緯とマトゥラーの歴史が似ている(昔ヒンドゥー寺院のあった場所にモスクが建っている)ので、今でもマトゥラーの寺院の警備はとても厳しいのだ。 実は、今現在の土地がどの教徒のものなのか、という問題はインドでは結構多い。 上述のアヨーディヤーは、ヒンドゥー教が興る前に仏教が盛んだったため、寺院建立地の所有権紛争には仏教も絡んでいる。 また、仏教ゆかりの地ブッダガヤーでも、大菩提寺の所有権をめぐって、ヒンドゥー教徒と仏教徒が争っている。現在は、1949年に制定された大菩提寺管理法に基づいてヒンドゥー教徒が管理しているが、インド仏教のリーダー佐々井秀嶺(インド仏教のリーダーはなんと日本人なのだ)率いる大菩提会による返還運動が行われている。 プチ・ヴァラナシ ![]() また、街の東側をヒンドゥー教の聖なる川ヤムナーに接しており、ヴィシュラム・ガート(Vishram Ghat)をはじめとして20余りの沐浴場がある。 ![]() クリシュナ生誕寺院 ![]() ホントウの(?)クリシュナ生誕寺院 ![]() 彼が言うには、今僕が見たのはホントウのクリシュナ生誕寺院では無いと言う。そういえば、関連書籍にもクリシュナ生誕地には諸説あると書いてあったな。 ![]() その他の「ゆかり」 ![]() ![]() クリシュナの父ヴァースデーヴァと母デーヴァキーは、デーヴァキーの従兄のカンサ王によって監禁されていた。カンサ王が、デーヴァキーの産む8人目の子供によって自分が殺されるとの予言を聞き、デーヴァキーが子供を産む度にその子供を取り上げ殺していったのだ。ところが、8人目の子供(クリシュナ)が産まれたとき、牢獄の番人の目を盗んで、ヴァースデーヴァとデーヴァキーの従者は赤子を連れてヤムナー川へ。 ![]() ヴィシュラム・ガート ![]() ここは、上述の話でクリシュナがカンサ王を倒した後、休息した場所と伝えられている。 この寺で御参りをした際、聖水を頂戴したので、何の気なしに飲んだのだが、これがなんとヤムナー川の水だった・・・この後数日間、激しい下痢になったのは言うまでも無い。 ![]() ネズミーランド!? ![]() 対岸に着いて、小さな集落を通って徒歩約15分。 それは、真新しいヒンドゥー寺院だった。 ![]() ![]() ![]() ・・・うぅむ、しかしこの寺院、何故外見だけ妙にヨーロッパ調なのだろうか・・・分からん。 カンサ城 ![]() 途中、大きな城が見えてきた・・・カンサ城だ。 ガート側から回って見に行ってみたのだが、廃墟になっていて、特に見るものは無かった。 驚くことに、建物の一部は、今も住居として使用されているようだった。 オススメ度(100%個人主観) ★★★☆☆ ・・・アグラよりもディープ故、短期観光客には向かないかも。 所要観光時間 2~3時間 ▲
by bharat
| 2006-01-11 10:30
| インドぶらり旅
▲
by bharat
| 2005-12-08 10:01
| インドのTシャツ
そろそろヒーターのいる季節ですが、買い溜めたTシャツをザッと紹介しておくことにします。 その5は、カジュラホで買ってきたもの。 5. 油絵タッチのガネーシュ ![]() ![]() ちなみにこのTシャツ、激しく色落ちした・・・1回目の洗濯のとき、一緒に洗ったあらゆるものが真っ青に染まった・・・。 全くの余談だが、このガネーシュ、象ではない。象の頭をした人間型の神様。インドでは、金運上昇、学業成就の神様として崇められている。彼が何で象の頭になっちゃったかと言うと、以下のようないきさつがあったからだ。 彼は、シヴァ神とパールヴァティ女神との間に出来た子供。ある日、お袋のパールヴァティの入浴の見張りをしていると、親父のシヴァが中に入れてくれとやってきた。ガネーシュとシヴァとは、お互い顔を覚えていなかった(ガネーシュが小さな頃からシヴァは外出がちだった)。で、中に入ろうとするシヴァと入れまいとするガネーシュはさんざん争った挙句、キレたシヴァがガネーシュの頭をハネてしまった。パールヴァティが、「何てことしたの?アンタの息子なのに!」と言うと、シヴァはたいそう反省して、「それは済まんかった・・・次にここを通りかかった動物の頭をくっつけて生き返らせるよ」と約束。・・・次に通りかかったのが象だったので、その頭をガネーシュに接合して復活させたというわけ。最後のくだりを除けば、何だか火曜サスペンス劇場にでも出てきそうな、有り得ないシチュエーションだが、このシヴァ、さすが破壊神だけあって、とっても暴力的・・・。 ▲
by bharat
| 2005-12-05 10:12
| インドのTシャツ
今回は、宮殿列車の旅3番目の目的地であるジョードプル。
ジョードプルの興りについて ![]() また、旧市街の壁は青色に塗られており、通称「Blue City」と呼ばれている(居住するバラモン・カースト者が階級色である青を壁に塗ったのが事の発端だが、その後青色塗料が虫除けに効くとされ、町全体が青色に塗られるようになったという)。 余談だが、ラージャスターンには、街並みの壁が統一色になっている都市が多い。 壁の塗装については、都市が住民に義務付けているところとそうでないところがある。例えばジャイプールなどは旧市街の壁をピンクに塗装することが義務付けられているが、このジョードプルは特に青色に塗装することが義務付けられている訳ではない。 ヒン・ムス・エイ折衷 ![]() これは、19世紀末、マハラジャ ジャスワント・シン2世によって建設された。時代を反映するかの様に、中央の角ばった塔や屋根はヒンドゥー建築様式あるいはムスリム(イスラム)建築様式で、左右対称に作られた小さな出窓のようなスペースは、英国建築様式に則ってデザインされている点が特徴的である。 ![]() 廟周囲には人造湖があり、当時のマハラジャたちが、同地域で貴重なる水を大量に使って権力誇示したことが分かる。 現役のマハラジャ宮殿 ![]() これが、メヘランガル城。ラーオ・ジョーダ藩王が1459年に築き始めた城塞で、大きな大地の上に高さ20~30mの城壁を張り巡らせた戦闘色の強い建築物である。城塞中心部に行くまでに、7つの門をくぐる必要があり、その門のいくつかには、砲弾の痕が残存している。 ![]() 城塞中心部は、大小の宮殿が庭園で繋がれており、宮殿内の各部屋は貴金属・宝石等で装飾されている。 尚、同Fortは、ジャイプールと同様、現在もマハラジャの私有物であり、運営等はこのマハラジャが行っている。 ![]() ![]() オススメ度(100%個人主観) ★★★☆☆ ▲
by bharat
| 2005-11-14 16:18
| インドぶらり旅
|
![]() |
![]() 2年間のインド生活で、どこまでインド人に近づけるか!?
検索 タグ 旅行(142)
ヒンドゥー(64) デリー(59) インドの実態(50) 世界遺産(32) 仏教(26) 土産(21) ホテル(19) マハラシュトラ(17) 食文化(17) スリランカ(16) あぶない(16) ウッタルプラデーシュ(15) インドのいやげもの(15) タミルナドゥ(13) マディヤプラデーシュ(13) オリッサ(12) ラージャスターン(12) 催事(12) インド駐在(9) カテゴリ 以前の記事 2012年 01月 2011年 09月 2011年 03月 2011年 01月 2010年 12月 2010年 08月 2010年 03月 2008年 09月 2008年 01月 2007年 10月 2007年 09月 2007年 07月 2007年 06月 2007年 05月 2007年 04月 2007年 03月 2007年 02月 2007年 01月 2006年 12月 2006年 11月 2006年 10月 2006年 09月 2006年 08月 2006年 07月 2006年 06月 2006年 05月 2006年 04月 2006年 03月 2006年 02月 2006年 01月 2005年 12月 2005年 11月 2005年 10月 2005年 09月 2005年 08月 2005年 07月 2005年 06月 友達のインドブログへのリンク インドのヨドチョー
アルカカットさんのHP これでインディア デリー在住Micchaさんの生活 時の流れるままに バンガロール在住 しきちサンの生活 しきちとチンさん アジア生活 デリー近郊在住の 駐在員妻ナオミさんの生活 Small About India デリー近郊の駐在員 むらサンの生活 好好!?いんどぉ~ デリー駐在員ひでサンの生活 インド暮らし その他のジャンル ファン 記事ランキング ブログジャンル 画像一覧 ![]() |
ファン申請 |
||
外部サイトRSS追加 |
||